2 本命登場!

 「意地っ張り。」
 「うるさい。」
 肩で息をしながら壁に凭れかかり、ディメードはクレーヌの治療を受けていた。
 「格好付け。」
 「黙れって。少しはこっちもやるってところを見せないとだろ?」
 事実、ミキャックの攻撃はディメードに大きなダメージを与えていた。しかし彼は弱みを見せようとせず、さもまだ戦える素振りを見せながら、自ら去った。それもまた彼の美学のうち。無様に叩きのめされて終わる姿は受け入れ難い。
 「実際油断しすぎなのよ。色目ばっかり使ってるから負けたんじゃない。」
 「妬いてるのか?」
 「ふふ〜ん。」
 ディメードは笑みを浮かべてクレーヌの頬を指で撫でる。クレーヌもまんざらでもない様子で笑みを返していたが、暖かな治癒の魔力の質が一変した。
 「さぁ、傷を開いてあげるわよ。」
 「待て、冗談だ!」
 「二人ともご苦労。」
 端から見れば仲の良い二人がじゃれ合っているだけの光景に、落ち着いた声が割って入った。カレン・ゼルセーナである。
 「お疲れ。結局勝ち残りはあたしたちだけよ。どう思う?この男どものだらしないこと。」
 クレーヌはディメードの頭を叩いて、にやつきながら言った。
 「我々の任務はこの大会で優勝することじゃない。勝ち負けはどうでも良いことだ。」
 「だよな。」
 「だがアヌビス様の目のある中で、目下の敵に敗れるというのは気分の良いものではないな。」
 「でしょ?」
 「まあそれはともかく、客席へと移動するぞ。」
 「え?客席?」
 クレーヌがそう問い直した次の瞬間___
 ゴゴゴゴゴ___!
 重苦しい轟音が地鳴りとなって壁を震わせる。
 「な、なんだ?」
 「この大会の大本命が登場したのさ。」
 大本命、そう言われるのは主催者である彼を除いて他にない。
 「餓門か!すると相手は___」
 「竜の使いだ。」
 微笑の中にも真剣な眼差しを称え、カレンは力強く言った。

 戦いを前に、ソアラの心は異様なまでの静けさの中にあった。敵が餓門であること、彼が凄まじい強さの持ち主であること、そして父の死に大きく荷担した人物であること、その全てを十分に理解した上でなお、ソアラは波立ちのない静かなる心を得ていた。
 「行こう。」
 その源は戦いへの前向きな闘争心。敵を倒すこと、それに対し何ら恐怖や雑念を抱くことなく向き合うことができる。先の戦いでも、ヘル・ジャッカルに向かう直前まで辿り着けなかった境地に自分がいる。
 「私は強くなっている。」
 竜の使いとして確実に階段を上っている。ただ、それは紫の自分を失うことではない。
 自らの半分は母からもらった竜の使いの血、しかしもう半分は父からもらった妖魔の血。紫の頭髪、瞳はその証だ。そして今の心の平静は、友であり好敵手であり心の師でもある人物との再会によりもたらされた。長らくの雑念が消えた瞬間だった。
 もはや彼女を取り巻く不安はない。あるとすればアヌビスの存在だけ。しかしそれは彼女が強さを求めるための糧でもある。
 「勝てる___相手が餓門だろうと!」
 恐れることはない。餓門に何を臆することがあろうか。父の片腕でしかなかった男に!

 篝火目映い戦場へ。会場から注がれるのは餓門を讃える声ばかり。その怒号のような響きでさえ、ソアラの心をかき乱す要素にはならない。炎の奥に聳える巨体を一心に見つめ、彼女は前へと進む。
 豪傑と呼ぶにふさわしい男は、ソアラなど一捻りできるほど筋骨隆々とした巨漢である。しかし彼女は全く怯むことなく、真っ直ぐに突き進む。それは強大なる魔王に挑む勇者のようでもあった。
 「小手調べにはちょうど良さそうな相手だな!」
 「___」
 餓門はソアラのことを覚えていない。だが、そんなのはどうでも良いことだ。
 「始めて。」
 会場の雰囲気に圧倒されていた翠が、思い出したように飛び跳ねて銅鑼をうち鳴らす。それとともに歓声が爆音となって轟き、応えるように餓門は両腕を広げた。
 「この餓門様のがっ!」
 観衆へのアピールを考えていたのだろう。しかし顎を突き上げるように食い込んだソアラの左膝が、彼の言葉を絶った。
 「はあああ!」
 一気呵成!膝を引くとソアラは直ぐさま左の拳で餓門の頬を打ち、挟みつけるようにして右の膝を側頭部に叩きつける。そのままの勢いで頭を飛び越えて背後に回ると、餓門の後頭部目がけて速射砲のような蹴りを連発した。
 「だああああ!」
 ソアラは容赦なく餓門を攻め立てる。一つ一つのキックに込められた威力は、徐々に罅入る舞台を見れば明らかだった。
 「っ!」
 しかしそれだけの蹴りを食らっても餓門は倒れない。そればかりか素早く両腕を伸ばしてソアラの足を捕まえてしまう。そして___!
 「どおりゃぁっ!」
 ソアラが手斧のような軽さで宙を舞う。恐るべき怪力で振り下ろされた彼女の身体は、舞台に鋭く叩きつけられる角度で吹っ飛んだ。しかしソアラは瞬時に舞台に手を付いて宙返りすると、全身のバネを使って軽やかに餓門に向き直る。そしてすぐさま地を蹴って、一気に突貫した。
 「こやつ!」
 真正面から高速で迫るソアラを捕らえに掛かった餓門だが、ソアラは体を落として餓門の手から逃れるとそのまま股の下に滑り込み、両の足首を掴んだ。
 「つああっ!」
 餓門の足を平行棒代わりに体を振り上げて、背に強烈な蹴りを放つ。今度はその勢いで上半身を振り上げると、餓門の背を踏み台に一気に舞台の端まで飛び退いた。
 そこでソアラが止まる。素早い動きに翻弄されっぱなしだった餓門は、ようやくまともに彼女と向き直ることができた。
 「ちょこまかと良く動く女だ!」
 「これ、何か分かる?」
 「んぁ?」
 ソアラの手には長紐が垂れ下がっていた。どこかで見たことある紐は、自らの腰回りの清涼感と結びつき、餓門に下を向かせる。
 「あ。」
 股の下をくぐり抜けた瞬間、ソアラは一瞬で餓門の腰巻きの紐を抜き取っていた。一方の餓門は、紐を奪われたことはおろか、腰巻きがすでにすっかり落ちていることにさえ気付いていなかった。
 ちなみに餓門は腰巻き一枚が定番のスタイル。野性的な彼は、その下に何か付けるような男ではない。
 「あちゃ〜、さすがに覇王餓門様って感じね。」
 「言いやがるな!紐がほしけりゃ貴様にくれてやる!」
 「あ、あの!それはいろいろと困るので、腰巻きはつけてください!」
 ウブな翠を後目に堂々たるソアラと餓門。衣装直しの空白に戦いの腰を折られた感はあったが、観客は覇王を向こうに回して一歩も引かない女の躍動ぶりに目を丸くしていた。
 客席の目はこの戦い、餓門だけに向いていた。彼がどれほど圧倒的な強さで敵をうち倒すのかだけに注目していた。それがである、先制パンチを受けてダメージを負ったのは彼だけで、何ら反撃らしい反撃さえできていない。
 目は徐々に、ソアラへと移りつつある。勿論、一部の面々だけは初めからソアラの戦いに注目していたわけだが。
 「凄まじいスピードだな。あれでもまるで全力じゃない。」
 その一つがカレンの一団。真っ先に声を漏らしたディメードは彼女のスピードに目を奪われていた。
 「当たり前よ、あの竜の使いはメリウステスより速いんだから。」
 「だが本当に驚くのはそこじゃない。」
 しかしカレンが注目していたのはソアラの速さではない。クレーヌの言う通り、かつての八柱神で最速と謳われたメリウステスを凌駕した敵だ。速さはある程度察しがつく。
 「いま見るべきはあの力強さだ。」
 「力強さ?餓門をダウンさせたわけでもないのに。」
 「いや、敵の剛力を受け流す柔軟さと言うべきか。叩きつけられようとした瞬間、奴は両腕を地について飛び跳ねた。クレーヌ、おまえに同じことができるか?」
 「!___いえ、無理ね。きっと手首か肘か肩、どこかしら壊れるわ。」
 そう、今のソアラの動きの中でもっとも驚くべきはそこだった。
 「驚異的な身体の強さだ。あの女は餓門の力を向こうに回して、力技でも十分に勝負できる可能性を秘めている。」
 「あの細身でな___」
 「だから怖いのね、竜の使いって。」
 「そいつの連打を受けてもビクともしない餓門も餓門だがな。」

 「よぉし!今度は俺の番だ!」
 ソアラの蹴りで罅入った舞台。餓門が怒声とともに全身に力を込めると、それだけで罅は一層大きくなった。そして餓門は地を蹴って飛び出す!
 ドゴォッ!
 痛烈な拳が舞台を打つ。そこは今までソアラが足っていた場所。ソアラは拳を逃れはしたが、餓門の思いの外の速さに反応が若干遅れていた。そして飛び散った石のつぶてが彼女の動きを止める。
 「速いだろぉ?」
 「!」
 ドゴッ!
 強烈なアッパーがソアラを襲う。身を守るべく交差した両腕に打ち付けた拳、それだけでソアラの全身に痺れが走る。しかし餓門の拳の威力はそれだけでは終わらなかった。
 「くっ!?」
 全身を駆け抜けた衝撃がソアラの身体を上空へと勢い良く押し上げた。遅れてきた理由は分からない、しかしソアラの身体は餓門の拳を受けた瞬間からわずかに遅れて、彼女の身体を空の高みまで弾き上げた。
 (さすがに凄い威力!)
 まともに腹に食らっていたら、それだけで勝負が決しかねない破壊力だ。
 「あーっと!由羅さんこれは危ない!」
 「え?」
 餓門の拳に思いを巡らすのも束の間、思いもかけない翠の声にソアラは小さく首を傾げた。しかし言葉の意味を彼女はすぐに身をもって知ることになる。
 ズガガァァァァン!
 夥しい閃光と爆音が会場を凍り付かせる。激しい稲妻は舞台の上空、闘技場の柱の頂点の狭間で巻き起こっていた。
 「っ___」
 青白い輝きの余韻を残し、枯れ葉のような力のなさでソアラが落ちてくる。爆裂に弾かれた彼女は、餓門から遠く離れた場外まで飛ばされていた。
 「ぐっ___」
 しかしソアラは地面すれすれで身を翻すと、片膝を付くこともなく地に降り立つ。髪は乱れ、頬や指先には血の色も見えたが、ソアラはまだしっかりとした目で舞台上の餓門を見つめていた。
 「由羅さん、なんとか堪えました!いやあ、それにしても空への逃亡を防ぐ稲妻陣が思わぬ形で餓門さんの武器となりました。」
 妖魔の全てが空を飛べるわけではないが、空への逃亡を防ぐために闘技場の上空には稲妻の仕掛けが施されている。だがソアラはそんなこと全く聞かされていなかった。
 (ドラグニエルがなければ危なかった。これが稲妻を吸ってくれたから___)
 仕掛けが知らされなかったのはアヌビスの策謀だろうか?いやそれは後で考えよう。今、感嘆すべきは竜装束ドラグニエルの性能である。
 「攻めよう。守ってたって勝てやしない。」
 装束の腕の部分、そこに描かれた金竜の鱗がソアラの一念に呼応して蠢く。すると何ら変哲のない刺繍から実態ある金の鱗が吹き出すと、ソアラの手を覆うように伸びていった。
 「でも___紫のままで!」
 「!」
 消えた!誰しもがそう思った次の瞬間___
 ドガッ!
 ソアラは餓門の後ろに現れ、背中に拳を打ち付けていた。
 「であああ!」
 ソアラのラッシュが始まる。餓門に振り向く暇も与えず、ソアラは目にも止まらぬ速さで拳を連発した。確かに速い、しかし威力はどうだ?餓門をぐらつかせることさえできないのではないか?
 「うぐぉぉ!?」
 しかし観衆の疑念は餓門の呻きが払拭する。
 「効いています!由羅さんの猛攻が餓門さんをぐらつかせ___え?」
 翠は頬に張り付いた生温い感触に言葉を止めた。拭い取ってみると、彼女の指先は真っ赤に濡れた。
 「血です!由羅さんの猛攻で___餓門さんの背中から血が噴き出しています!あの身体のどこにこれほどの力があったのでしょうか!?」
 翠の上擦った声が会場を沸騰させる。しかし戦士たちは冷静な目を保ち続けていた。
 「いや違う、武器の威力だ!」
 彼女が現れた瞬間だけ闘志をかき立てられた竜樹もまた、落ち着いた面もちで部屋の小窓からソアラの戦いを見続けていた。誰しもが消えたと思ったあの瞬間もソアラの動きを見失うことなく、今も高速の拳が黄金の鱗に包まれていることを見抜いていた。そして、それが見た目ほど効いていないことも鋭敏に感じ取っていた。
 「ぬおおおっ!」
 「!?」
 餓門の雄叫びとともに状況は一変した。鱗に傷つけられた背中から噴水のように鮮血が迸ると、それはたちまちソアラの顔を真っ赤に染める。目に入り込んだ血が彼女の動きを鈍らせると形勢は逆転した。
 「くっ!」
 「なぬ!?」
 振り向き様に放った餓門の拳を、目を封じられたはずのソアラは身を捩って交わす。しかし餓門は躊躇わない。続けざまに豪快な拳をソアラに放った。
 「ぐっ!」
 三発目が肩を掠めたことでソアラの体制が崩れた。誰もが拳の直撃は免れないと思ったその時!
 「ドラギレア!!」
 一瞬にして鱗を開いたソアラの両手から巨大な炎が吹き出すと、それは一気に餓門を飲み込んだ。翠が思わず仰け反るほどの火炎はたちまち周囲の大気を熱し、観衆の目を眩ませるほどの凄まじさだった。
 しかしそこには落とし穴がある。ソアラの体制がまだ崩れたままであること、そして餓門が炎ごときで怯む男ではないということ。
 「!!」
 拳が炎を突き破ると、ソアラの身体は弾丸のようなスピードで吹っ飛び、瞬く間に壁に激突した。そして餓門は___
 「ふんっ!」
 気合一閃とともに、全身を覆い尽くしていた炎を吹き飛ばす。ドラギレアをあっけなく蹴散らし、彼は平然と舞台の上に立っていた。
 「この程度、屁でもないぞ!あれ?屁も出ないだったか!?」
 冗談か本気か分からないことを言いながら、餓門は胸を張って高らかに笑う。一方のソアラは苦痛に顔を歪めながら、ゆっくりと壁にめり込んだ身体を引きはがす。手元では拳を覆っていた竜の鱗が連なって、椰子の葉のように広がっていた。
 (ったく、とんでもない馬鹿力。防御してこのダメージじゃ___)
 あの瞬間、ソアラは竜の鱗を大きな手のように広げて拳を受けとめた。衝撃を和らげてもこれだけ吹っ飛ばされたわけだが、またもドラグニエルの力に助けられたのは事実だ。
 ___
 「あ〜んもぅっ!駄目!」
 黄泉へとやってきてまもなくのこと、レイノラとの修行に臨んだソアラは、強さを磨く以外にも大きな課題を課せられていた。
 「それはまだおまえの体にドラグニエルが馴染んでいない証よ。これからはできるだけそれを着続けて過ごしなさい。それだけでも違うわ。」
 レイノラの娘、セティが身に着けていたドラグニエル。ソアラを持ち主と認め、彼女に適したサイズに変貌はしたが、それでもまだその力を引き出せているとはいえない。つまり馴染んでいるわけではないのだ。とくに紫の状態では、何を念じても竜装束は全く反応してくれなかった。
 「本当に服から武器が出るんですか?」
 「言ったはずよ、ドラグニエルは生きていると。その装束の中には竜が棲む。それをいかにおまえのものに出来るかで、ドラグニエルまた変わっていくわ。」
 半信半疑だった。それでもソアラはレイノラの言いつけを守り、なるべくこの装束を着続けた。時には洗濯することもあったけど、そうしているうちにだんだんと愛着も沸いてくるものだった。
 そしてあの鱗だ。丈夫なだけだった装束が、今ではソアラの意志に応じて竜の鱗を吹き出す。とはいってもまだ自由自在とはいかないし、できることと言えば固めて武器にしたり、広げて盾にしたりという程度。使いこなせているとはお世辞にも言えない。でもソアラにとっては大きな一歩だった。
 ___
 そっと胸に手を当てたのは気を落ち着かせるためではない。紫紺の装束の胸元で鋭い眼光を称える黄金の竜に触れるためだ。
 「あたしの体はあんたに預ける。ちょっとやけくそ気味に攻めてみるよ!」
 初めて着たときからそうだったが、こうすると強い生命の息吹を感じる。竜の拍動が全身を包み込むようで、とても勇気づけられるのだ。
 「よしっ!」
 カウントを十七まで聞いたところで、ソアラは気合いを付けて地を蹴った。ゆらりと舞い上がった体は餓門の目の高さで宙に留まると、突如として弾丸のような速さで一直線に滑空する!
 「真っ向勝負!」
 「返り討ちにしてやる!」




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