3 暗躍する狂気

 大神バランの死。まさかの思いが意識を取り戻したレイノラの言葉に裏付けられると、全ての神々が愕然とした。そしてゼッドだけでなく、すでに三人もの神が殺められていたことに絶句した。レイノラは男の顔を鮮明に記憶している。しかし彼女は心身共に傷が深く、あの時のことを思い出すにも嗚咽が走ってどうにもならない状態だった。
 ともかく全てを癒さなければならない。彼女は森の女神リシスの神殿へ送られた。リシス神殿は深い森の奥にあり、忌むべき者が立ち入れない幻影に守られている。レイノラが現世を忘れて心身の力を取り戻すには丁度よい場所だった。
 なぜ現世を忘れる必要があるのか。それは大神バランを失った世の混乱が避けられないからである。これからは恐るべき敵と神々との戦いが始まる。その動きを逐一感じ取られては、治るものも治らないだろう。
 なにしろその前線に立つのは、戒めを解かれたあの男なのだから。
 「___」
 薄汚れた身なりを整え、きらめく黄金の如き美しさを取り戻した男。彼はいつになく精悍な面持ちで、神々が集う裁きの間へと現れた。
 「見違えたな、ジェイローグ。」
 ジェイローグは円卓を囲む神々の視線を浴びながら、一つだけ空いた席に座る。ビガロスの言葉に彼は長い瞬きをした。
 「いえ、私自身は何も変わっておりません。」
 彼の物言いに煙たい顔をするものもいれば、その一本気に共感を覚えたビガロスなどは小さな笑みを見せていた。ともかく、神々の対策会議は始まった。
 恐るべき男、正体は愚かその名も素性も分からぬ謎の敵を、神々は「G」と名付けた。力強いもの、大きいもの、転じて倒すべき敵、強欲なる悪魔などを意味する、神々のみが知る隠の文字であった。誰に気取られることもなく、暗号のようにして呼ぶために、そう名付けた。
 Gは潜伏している。大神バランを殺め、深手を負いながらも姿を眩ませた。敵は見た目にはただの男、狂気走ってはいるがただの男である。人の世に紛れるのは造作もないことだろう。まして奴は誰に察せられることもなく大神に近づき、一刀両断にしたというではないか。
 神々は警戒をしなければならない。そしてGを捕らえ、裁きを与えねばならない。だが、それだけのために時を費やすこともできない。全世界に目を配り、監視と討伐に当たる神が必要だ。それは、長らく世界の流動から外れてきたジェイローグならば都合がよい。
 「おまえにGの討伐を命じる。それ以外のことは何もするな。とにかく、一刻も早くGを見つけだし、討伐せよ。」
 「必ず。全霊を以てGを打ち倒します。」
 ビガロスの令をジェイローグは二つ返事で受け入れた。
 彼は思った___この勤めを成し遂げるのは是が非でも自分でありたい。レイノラの苦悩、ゼッドの死、そして大神の死へ、一連の運命の鎖はルグシュ宮殿の襲撃を防げなかった己の過ちから始まったのだ___と。
 「おまえならば断るはずがないと思っていた。しかし、おまえはまだ若く、力を貸す同胞もいない。竜族は優秀だが、神のために戦うという気概には欠ける。またおまえの補佐を望む者がいるとは思わない。それはおまえが一番分かっているはずだ。」
 竜族は竜と人の姿を併せ持ち、優れた知性と戦いにおける天賦の才を誉れとする。だが彼らはあまりに崇高な意思の持ち主で、異種族との交流を全く望まず、長命ではあるが決して数の多くない族内でその血を紡いできた。竜族の王の子であるジェイローグは、生まれながらにして王になることを定められた存在であり、父にも増して優れた才覚の持ち主だった。しかし、彼は誇りの鎖に縛られて生きる同族に嫌気がさして出奔した口である。結果として外界の刺激に触れ、ルグシュのような偉大な存在に見初められ、その才能を遺憾なく発揮したものの、彼に帰れる故郷はなくなっていた。
 長くなったが、ビガロスが言いたいのはそういうことである。
 「そこで、おまえを補佐するに相応しい者たちを連れてきた。若く、強く、才知に溢れ、おまえの臭いを知るものたちだ。」
 円卓の間の大扉が開く。物静かに、それでも抑えきれない溌剌とした輝きを放ちながら、靴音を鳴らしてやってくる者たち。
 一人は、押し隠せない強い意志と純真さを溢れさせ、その円らな瞳を一層輝かせて神々の前に現れた。肩にも掛からない短い髪は煌びやかな黄金。すらりとした鼻筋、長い睫毛、細くしなやかな手足、控えめな胸の膨らみ、女らしさは随所に見られるのに、あまりにも凛々しすぎて中世的に映る。
 彼女の名はセティ・ウィル・クラッセン。その風体は可憐なる女騎士。
 もう一人は、やや憮然とした面もちで、その柔らかそうな唇を尖らせてやってきた。黄金の長髪は紙を織り込んで背に束ね、頬には赤い染料で描いた奇異な紋様を刻み、神官諸子は神の前では白い装束と相場が決まっているのに全身黒。しかし風貌こそ違えど、美しい顔立ち、しなやかな体型、その全てがセティとよく似ていた。
 彼女の名はベル・エナ・レッシイ。その風体は異能の呪術師。
 一目見た瞬間に感じ入るものがあったのか、ジェイローグは二人の少女を目の当たりにして、いつになく強ばった顔をしていた。無理もない、何しろ二人には己の面影も、レイノラの面影も感じることができる。
 「おまえの娘たちだ、ジェイローグ。」
 ビガロスの紹介に、セティはキビキビとした一礼を返し、レッシイは憮然とした顔を崩さなかった。その態度一つとっても好対照だった。

 二人の娘。レイノラとの子が生まれていた事は聞き及んでいたがまさか双子、しかも共に女児だったとはさしものジェイローグも想像できなかった。しかもその二人が、討伐の戦士として帰ってくるとは___
 「セティ・ウィル・クラッセンです。父上のことは、クラッセン卿より伺って参りました。この年になって初めてお会いするのは少し不思議な気持ちですが___よろしくお願いします。」
 セティはまだ緊張が拭えないながらも、礼儀正しく、父に憧れの眼差しを向けて接する。彼女は生まれてすぐに人格者として名高い有翼族の長、バルドーム・フォン・クラッセンの元に預けられた。クラッセン卿は真実を包み隠すことなく、彼女が神の子であることを伝え、セティもその自覚を持って己を高めるべくこれまで歩んできた。そしていま父の元に舞い戻り、最高の喜びと、未来への希望を胸に、決意を新たにしている。
 だが、レッシイは違った。いや、むしろセティのようなケースが稀なのだ。
 「神の子だから戦え?冗談じゃない。あたしは今まであたしの人生を生きてきた。今頃親父面されたって迷惑なんだよ。」
 「ベル___」
 「あたしの名前はレッシイだ。」
 レッシイの育ての親はヌウトォル・エナ・リコシベリ。力強く感情的だが義理堅い獣人族の長である。この一族の古語で、エナはなにがしの子を意味する。すなわちリコシベリの場合は、ヌウトォルの子のリコシベリとなる。そして一族の古語でベルは神。つまり彼女は神の子レッシイとの名を受けたのだ。もっとも当人はそれを毛嫌いして生きてきたが。
 「今日は仕方なく来ただけだ。憎たらしい駄目親父の顔を見てみようと思っただけ。はっきり言っておくけどあたしはあんたに関わる気は全くないからね。」
 臆することも遠慮もない。彼女は父に背を向け、それきり姿を消した。

 二人の娘の気質そのままに、対極的な親子の再会を経て、ジェイローグはGの討伐に乗り出した。セティ、それから彼と親しい海神オコンらも手を貸した。
 ただ、潜伏するGを探し出す術はあまりにも乏しい。チャンスがあるとすれば、それはGが隠れ蓑を脱し、新たな殺戮劇のために力を放出した瞬間である。彼の目的が何かは分からないが、ともかく神の命が狙われていることは間違いない。そしてそれを果たすには、相応の力の放出が必要である。その瞬間を感じ取り、奴の居所を掴み、急行し、逃れようものなら追跡する。手はその程度しかなかった。とはいえ大神を殺めた相手、遭遇できたとても万事うまくいくとは限らないだろう。
 「___」
 背高な塔の頂にジェイローグ、セティ、オコン、さらにもう一人の協力者、風の女神ジェネリが背を向けあって瞑想していた。そこは尖空の塔と呼ばれ、雲を貫き、頂点からは世界の果てまで見渡せると言われている。そこで四人は東西南北、それぞれの方角に意識を集中していた。
 「父上___」
 セティが呟く。初々しい少女は神々に囲まれても気圧されている風ではない。
 「北の___ミディガスの近郊で強い力の放出を感じました。」
 「ミディガス___オコン、どう思う?」
 「巨人族の祭りがそろそろだ。彼らの祭りは山を潰すほど激しい。」
 「確かに、しかしミディガスの辺りなら盾の神ウリゴスもいる。」
 「当たってみましょう。」
 ジェネリは風に問い、風の答えを聞くことができる。風は世界を巡り、世界を見聞する。だが彼女の風でもGの行く手は掴めなかった。その一方で___
 「鉄壁のウリゴスが音もなく姿を消した。これは悲劇的結末と見るべきか___」
 彼らの目を欺くようにGは殺戮を進めた。Gとの対峙さえままならないまま、また神が消えた。

 一方その頃。
 深い森林の奥底にある森の神リシスの神殿、そのさらに奥、木々の暖かさ、潤い、清涼さに包まれ、彼女は痩躯を横たえていた。
 「___」
 ジェイローグを失ってから、彼女の肉体からは艶めかしさが削り取られていった。それは大神の死に直面し、さらに外を知れない環境に置かれたことで一層際だった。確かにここは、傷を癒すには良い場所だ。だが、いまのレイノラにとってはセサストーンも同然だった。
 「あなたがレイノラ?」
 ここではただ微睡むことしかできない。しかしあの悪魔のような男のことを思い出すのも苦痛だ。彼女はここを嫌ってはいるが、あの男の恐怖に苛まれるよりはましだとも考えていた。そんな退屈だがやりきれない場所に、初めて来訪者があった。
 「絶世の美女だって聞いていたのに、随分病的なんだね。」
 見たことのない人物だったが、他人には感じなかった。しかし神を相手に随分な物言いをする。
 「いや、ごめん、あなたは好きで病的になったんじゃない。でもちょっとがっかりしただけなんだ。」
 彼女は寂しげに笑い、レイノラはただ黙って彼女を眺めていた。答えを返そうにも、ここ数日黙り通してしていたため声も言葉も出なかった。
 「それじゃあ。もう多分ここには来ないよ。」
 踵を返し立ち去る少女。レイノラはただ朦朧とした霧の中でその背を見送ることしかできなかった。そして彼女、ベル・エナ・レッシイは自分が誰か、何をしに来たのかさえ語ることなく、レイノラの前から姿を消した。

 盾の神ウリゴスが消えてから、もう一月が過ぎた。あれ以来神々が消えることはなく、Gはその影すら見せない。嵐の前の静けさ、そう呼ぶのが相応しい無風状態だった。しかし神々は警戒を解くことなく、むしろ強かにGを滅するための用意を調えていた。宮殿にはあらゆる侵入者を感知する結界を張り巡らせ、さらにジェイローグを信頼する者は光の神具、輝玉を手にしていた。砕くと目映い輝きと、光の力を放散する、いわば信号弾である。しかし___
 「貴様の助けなど借りぬ!Gが現れれば、この手で返り討ちにするまでよ!」
 武神ヴァルビガンのように、あくまで頑なに若造の手は借りまいとする者も少なくはなかった。そしてGもまた、彼らの想像を超え、これまでとは違う脅威を見せ始めた。
 それは陽光眩しい、暑い日のことだった。
 「む!?」
 神殿にて、多くの神官と共に瞑想をしていたヴァルビガンの眉が吊り上がった。瞑想の最中に目を見開かせるほどのなにかが起こったからだ。
 「一同目を開けい!」
 徐に立ち上がり、一喝する。普段ならば考えられない出来事に、神官たちは戸惑いの目でヴァルビガンを見た。彼の弁髪が己の血潮の高ぶりで揺らめいていると知ると、一層困惑した。
 「強大な力がこちらへと向かってくる!これは明らかな殺意だ!おそらく、大神を殺めたという悪鬼に相違ない!」
 一石投じられた波紋のごとく、動揺が広がった。ある者はいきり立ち、ある者は狼狽した。
 「我らの結界陣はごまかせぬと察したのであろう、だがこのヴァルビガンを前に殺意を晒したのが運の尽きよ!」
 ヴァルビガンは空に手を翳す。すると神殿の屋根を貫いて、一筋の稲妻が彼を撃ち、次の瞬間ヴァルビガンの身体は黄金に朱と緑をあしらった剛健な鎧に包まれ、その手には身の丈の三倍はあろうかというような巨大な蛮刀が握られていた。
 「見ておれ諸ども!罪深き輩に神の力を思い知らせてくれるわ!」
 そしてヴァルビガンは稲妻が開けた穴から、神官たちの鼓舞のかけ声に後押しされて外へと飛び出していく。彼らは皆信じていた。何しろ武神ヴァルビガンと言えば数ある神の中でも最も戦に長けた存在。成敗してきた魔は数知れず、その強さたるや右に出る者はない。だがある者はこうも言う。
 竜族の長ほどではないだろう___と。

 「強い力が___!」  
 尖空の塔の頂で、セティが呻いた。顔をしかめ、首を竦めたくなるほど、その力は露骨だったのだ。それは別の方角に気を向けていたジェイローグたちにも分かるほど、はっきりとした力と殺意だった。
 「狙いはヴァルビガン殿か!」
 ジェイローグの身体を目映い光が包む。
 「ジェネリ、君は残って他の神々に警告を!オコン、セティ行くぞ!」
 光は大きく広がってセティとオコンを飲み込み、一気の塔の頂から飛び出していった。
 (どういう事だ___真っ向から現れたのか?)
 光の中でジェイローグの心中は混沌としていた。ヴァルビガンの気配が消える前に現れた強大な殺意、それは今までのGのやり方ではない。まして相手は最強と謳われる武神だ。
 (腕試しのつもりか___?)
 もしそうだとしたら、不気味だ。ヴァルビガンが敗れでもすれば、それは公然の出来事として、世界中に神々の破綻と恐怖を知らしめるだろう
 そして、懸念は現実のものとなる。
 「うおお!」
 ヴァルビガンは全霊を込めて武神の蛮刀を横凪にした。彼の鎧は胸に大きな罅が入り、また自慢の弁髪も解け、乱れ、敗戦の将さながらであった。そしてまた血が溢れる。
 「ぐっ!」
 一見はただの体格のいい男だ。なのにヴァルビガンを驚かせるほど、力強く、俊敏で、堅牢。今も横凪の一撃から、風に身を任す柳のように身体を靡かせて逃れると、そのまま蛮刀の周りを錐揉みのように登り詰め、彼の片耳を削いで背後へ。
 しかしヴァルビガンもやられてばかりではない。すでに男の片腕は切り落としたのだ。にもかかわらず奴は苦しい顔一つせず、身のこなしに一切の衰えも見せない。だが彼はまだ奥の手を残している。
 「!?」
 背後へ抜けようとした男の前に、解かれた髪が網のように広がって待ちかまえていた。網はすぐさま、髪のそれとは思えないような力で男の身体に絡みつき、締め上げる。
 「一刀両断!」
 振り返ったヴァルビガンは蛮刀に最大の力を込めて、髪に絡め取られた男に向かって振り下ろした。
 ザンッ!!
 血飛沫が舞う。蛮刀は男の身体を食い進み___止まった。刃は男を肩から食らい、胸を裂き、腹で止まった。両断することはできなかったが、それでも十分だ。勝利を確信したものの、思わぬ苦戦にヴァルビガンの笑みは引きつっていた。そして次の瞬間、それは一層の強ばりに変わる。
 ズッ___
 巨大な剣がヴァルビガンの背を突き破り、血塗られた煌めきを陽光に晒した。体の半分まで切り裂かれながら、男は笑っている。何が起こったのか、もはやヴァルビガンにはただ男を見据えることしかできない。
 「馬鹿な___」
 「この程度なら、まだ痛くない。痒いくらいかな?」
 この戦いで、ようやく男の言葉を聞いた。それは実に奇妙な声だ。高音低音入り乱れ、一様でない。その不可思議さと、武神らしい死への覚悟が彼を冷静にさせた。内蔵があふれんばかりに開いた男の傷口。その断面の肉が蠢き、出血を止めるばかりか肉体の再生を始めている。そして己の身を刺し貫いたこの大剣は___
 「ゼッドソード___」
 親しき間柄であった剣神ゼッドの秘宝。それにあまりにも酷似している。
 「いただきます。」
 考えられたのはそれまでだ。場にふさわしくない言葉とともに、男は強引に大剣を捻り、ヴァルビガンの体は両断されるというよりはねじ切られるようにして分かれた。
 戦いの様子を見守るうちに不安に駆られていた神官たちは、絶望し、取り乱して叫んだ。微かに届く悲鳴を葬送曲に、ヴァルビガンの体は地へ落ちる。しかし一筋の光が彼の上半身を受け止めた。
 「___なんたることだ!」
 ジェイローグである。すでに物言わぬ武神をその身に抱き、彼は悔恨の極みに達する。そして眼差しは憤怒とともに、宙を漂う男へと向けられた。視線が交わった瞬間、彼の体を言葉にならない衝撃が駆け抜けた。見たことのある顔ではない。なのに、まるで以前から知っていたような、戦うことが宿命であるかのような感覚。それは男の殺気が今までにないほど膨れあがったからこそだった。
 「父上!ヴァルビガン様は!?」
 わずかに遅れて戦場に光が舞い込むと、現れたセティはすぐさま父に問う。しかし答えは聞くまでもない。
 「あいつがヴァルビガンを殺したのか___?」
 ただの体格のいい男にしか見えないのだ。だからオコンは我が目を疑うように言った。
 「武神殿だけではない___剣神も大神さえも、あの男の手に落ちた。」
 ジェイローグは冷静に答える。しかしセティにもオコンにも、視線は向けられなかった。瞬きせずにこちらを凝視する敵を前に、彼の視線もまた釘付けとなっていた。
 「見つけた___見つけてしまった___」
 男の声。二人の神と一人の娘は、硬直し、男を睨み付けた。
 「もっと圧倒的に強くなってから遊び殺すつもりでいたのに。もう見つけてしまった___」
 だが男の視線はジェイローグから離れない。セティにも、オコンにも、一切眼差しを向けなかった。
 「ぶち殺すぞぉぉぉ!ジェイロォォォグ!」
 突然の変化だった。男の殺意、夥しい力が膨れあがり、眼下の木々が台風でもやってきたかのようにざわめいた。体半分裂かれた姿だというのに、男から溢れ出る力は壮絶。そしてその気配は___
 「大神___!?」
 それに似ていた。
 「グアアアア!」
 それまでは冷静に見えた男。しかし突如として血気を剥き出しにし、襲いかかってきた。狙いはジェイローグ。だがそれがわかっているから彼は冷静だった。オコンやセティが手を伸ばすまでもなく、ジェイローグは武神の無念を身に抱いたまま、スッと輝ける右手を前へ。
 「竜波動!」
 一喝とともに、ジェイローグの全身が黄金に輝く。そして掌からは光の筋、いや大砲が放たれる。その凄まじさたるや、武神に使える神官たちにさえ、ヴァルビガン以上と思わせる力を秘めていた。長く雌伏の時を過ごしてきた光の神。その力強さを、世界が知ったのである。
 「やったか!?」
 「いや___」
 だがそれは同時に、Gの恐ろしさを世界に知らしめる結果ともなる。
 「ぐぅぅぅ___」
 男は生きていた。竜波動の一撃は彼の右半身を完全に消し飛ばし、男は首の付け根から下が左側しかなかった。顔さえも、右の目尻のあたりまでがそぎ取られ、頭蓋骨を晒している。だというのに___
 「痛い___痛いぞ!」
 男は生きている。
 「ぐぉぉぉ久しぶりに痛い!」
 痛い痛いと叫んで身悶えしている。その情景があまりにも異様で、セティも、オコンも、ただ唖然としてしまった。それが致命的な過ちとなる。
 「ちくしょおお!」
 突然だった。咆哮とともに男の姿が消えたのだ。それこそ気配までもすっかりと。
 「逃げた___!?」
 「まずい!」
 すぐさまオコンが両手を空へと翳す。たちまち天に青い光が差すと、夥しい水の飛沫を上げて空を津波が走る。水は一円の空、大地を走ったが、男を飲み込むことはできなかった。
 「なんていう逃げ足___あれだけの傷を負っているというのに___」
 今までなにかに恐怖したことなどなかった。だがセティは今、自分の指先が震えていることに気がついた。父のあの一撃に体半分失いながら、まんまと逃げおおせた悪魔。あれがいつまた己の前に現れるのかもしれないと思うと、素直にゾッとした。
 「神々に事を伝える。我々はGに遭遇したが生き残った。これでより具体的な警告ができる。」
 そして父は、奴との戦いに一層の覚悟を募らせていた。視線を交えたそのときから、戦いの運命のようなものを感じていた。
 それからしばらくして、武神ヴァルビガンの遺体が消えた。ジェイローグの胸の中で、まるで霧に煙るようにして消え去ったのだ。




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