2 思い届けよ

 ソアラが試練の間に入っていたころから、餓門は積極的に天破派の抵抗勢力を制しにかかっていた。朱幻城が襲撃を受けたのもその一つである。餓門派集落には牙丸が集めた妖魔や、派閥入りを志願してきた裏社会の妖魔たちがそれぞれ配属され、戦力を充実させていた。天破派妖魔に有効な対抗策はなく、あっさりと鞍替えする者も少なくはなかった。ただ派閥の中でも戦闘に関しては一日の長がある赤辰だけが奮闘を見せていた。鉄騎も積極的に戦闘を行うことはなかったが、まさにその名のごとく己の集落に鉄の守りを敷いていた。ただどちらにせよ戦力の差は歴然で、餓門が慌てる相手ではない。
 むしろ彼が気に掛けるのは、この徹底抗戦の流れから逸脱した餓門派妖魔である。
 「ならぬ、追い返せ。」
 餓門の元から赴任してきた妖魔を門前払いにしたのは、妖人の園を築く妖魔、煉だ。彼は餓門派でも古参であり、水虎から厚い信頼を受けながらも派閥の長であることは好まない。自らの力を誇示することはせず、妖人に権利を与えるその姿勢は見る者の手本となる。
 「どこの馬の骨とも知らぬ妖魔たちを登用するなど、私には理解できぬ。」
 彼は現状に大きな疑問を感じているから動かなかった。しかし水虎殺害の真相がつかめない現状では、それ以上の行動もあり得なかった。ただ、こういう信望ある人物の迷いは周囲にも影響を及ぼす。今の餓門にしてみれば目の上のたんこぶは彼だ。

 一方、銀城にいた榊は予定より一夜余計にソアラを待っていた。それでも彼女が現れる気配がなかったので、先に朱幻城へと戻った。そして、我が都の有様に驚愕し、多くの同胞の死に嗚咽した。
 「申し訳ありませぬ、私が不甲斐ないばかりにこのような失態を___」
 まだ満足に体の動かない仙山が、それでも精一杯に土下座していた。榊は悲しみに震えていたが、彼を責める気にはなれなかった。
 「おぬしの失態ではない、これは私の失態じゃ。多くの民を統べる立場にありながら軽々しく城を離れ、大きな収穫を得ることもなく戻ってきた___」
 榊の目は充血していたが、涙を流すことはしなかった。
 「いえ、私の失態です。私が姫の許可無く城を離れた、その隙をつかれたのです。」
 「___」
 「耶雲めに協力を求めようと玄武滝を目指しました。しかし強力な妖魔の襲撃を受け、なにもできぬまま戻って参りました。」
 榊の小さな肩が震えているのが分かった。それでも彼女はまっすぐと仙山を見据えるだけで、彼を責めることはしなかった。
 「おまえをそう走らせたのは私じゃ。」
 「いえ、これは私の___」
 「もうよい!」
 食い下がる仙山にたまりかねた榊が一喝する。
 「我らがこんな問答をしても仕方のないことじゃ。民に謝罪し、そして死者を闇に帰す。それが先決じゃろう。」
 「畏まりました___」
 それから榊は多くの友を失った朱幻城の妖人たち、その住居を一つ一つ歩いて回った。家族を失い号泣しながら訴えてくる者、半狂乱に怒りをぶちまける者、様々だった。それでも、多くの民は榊への変わらぬ信頼を語った。榊にはその慈悲の心が痛くてたまらなかった。
 「これほどの民が___」
 そして慰霊堂の前へと並べられた死者たちを目の当たりにすると、彼女の目から涙がこぼれた。死者たちの前で崩れ落ち、憚りなく嗚咽し、号泣した。死者が闇に帰るのを見届けようとやってきた妖人たちも、その姿に胸を締め付けられた。
 自分で自分を守る力があれば、姫をこんなに悲しませることはなかった。そんな声まで聞こえてきた。
 悲しみの中、榊は闇の出入り口を開き、死者たちを一人ずつ闇の奥底に誘った。魂は闇に帰り、新たな魂として黄泉の大地に吐き出される。この儀式は榊にできるせめてもの報いだった。
 「由羅はどうされました?」
 城の庵に入ると、気丈な振る舞いを見せていた榊にも悲愴の色がありありになった。座ったままうつむいて一言も発しない彼女に、仙山はせめて気を紛らわそうと言葉をかけた。
 「うむ___金城におる。」
 「金城!?ですか___?」
 「証拠を掴むためじゃ。時が経っても戻らねば先に城へ帰ると告げてある。」
 「なんと___」
 仙山は驚きを隠そうとはしなかった。
 「期待していたが___難しかったようじゃな。まあ奴のこと、そう簡単に朽ち果てるたまではない。」
 榊は小さなため息混じりにつぶやいた。
 「由羅のことを諦めたわけではないが、今は朱幻城に光を取り戻すことが第一じゃ。」
 「実は私も由羅に話したいことがありまして、これは生憎でした。」
 「なんじゃ?」
 うつむいたまま話していた榊が顔を上げ、大きな目で仙山を見た。まだ潤んでいる。
 「短い間に、彼女が捜している者二人と出会いました。一人は砂座で、彼はいま皇蚕の鴉烙に仕えています。」
 「なんと___大した運の持ち主じゃな。」
 憂いは消えないが、榊はささやかな笑みを見せた。
 「赤甲鬼の風間と行動を共にしておりました。」
 「ああ、あやつか___」
 榊には棕櫚との思い出を連想させる名である。
 「もう一つは翼の女です。」
 「翼___ああ、由羅が確かに捜しておったのう。」
 「朱幻城の防衛に協力し、見知らぬ妖魔であろう女と共に名も告げず去っていきました。」
 「ほう___」
 榊は気が抜けたように崩れていた姿勢を正し、座り直した。
 「それは由羅に伝えてやらねばな。手がかりがあるとないとでは動き方が変わる。」
 少し会話をして気が楽になったか、榊の表情が穏やかになってきた。仙山はそれを見て思う。せめて彼女の精神を立ち直らせるために身を尽くそうと。

 「いやはや大したものよ、試練の間を破壊したあげく、死肉虫までうち負かすとはな!いやあっぱれあっぱれ!」
 餓門はソアラの益荒男ぶりを大層喜んだ。風呂に入り着替えを終えたソアラは餓門の前で平伏していた。目玉は風呂の間も目の届く場所に置き、今も肌身離さず持っている。
 「申し訳ありません、暴れすぎました。」
 「いや、大いに結構!なあ夜行。」
 餓門の横には茶色いローブの夜行がいた。ソアラは彼を一瞥すると、ニコリと微笑みかけた。動揺や疑りはなく、すでに彼に対する一つの確信を得た顔だった。
 「おまえがいない間も、我が勢力は着実に天破派の一掃へ事を進めている!おまえにもその実力を見込んで務めを与えよう!」
 どうやら餓門に気に入られたようだ。彼の正直な顔はソアラの活躍を期待して輝いて見えた。
 「牙丸から、妖魔捜索の依頼が来た。」
 「捜索ですか?」
 牙丸の名に長い瞬きをし、ソアラは問い返した。
 「そうだ、牙丸は我が同胞となる有力な妖魔を集めている!」 
 ははぁん___ソアラはほくそ笑んだ。
 「それは牙丸が自ずから務めたもので?」
 「ん?ああそうだ。あいつが未知の戦力を使おうと言い出してな。」
 「餓門様。」
 ソアラを気に入ったせいか口の軽い餓門に夜行が釘を差した。ソアラはニコリと微笑んで夜行を見やった。露骨である。
 「それで私は?牙丸さんの手伝いをすればいいんですか?」
 「そうだ!おまえは牙丸が捜している場所から離れたところにいる妖魔を連れてくるのだ!つまり〜___」
 餓門はそういって眉間に皺を寄せた。
 「手分け。」
 「そう、手分けだな!はっはっはっ!」
 ソアラの呟きを聞き取って、豪快に笑った。
 「おまえが捜すのは、耶雲という妖魔だ!こいつは昔は玄武滝のあたりにいたらしいが、いまは霊元の森に住むそうだ!その情報を牙丸がつかんだ!こいつを連れてこい!」
 餓門の大きくて張りのある声は、聞く者の背筋をピンとさせる。ましてソアラのように、好都合な任務を貰ったら余計だ。
 (やった〜、これで朱幻城に帰れる〜。)
 なにしろ今は目玉を榊に渡すことが第一。
 「どんな奴かを詳しく知りたけりゃ銀城の書庫にいけ!」
 「はいっ!」
 体よく任務を与えて貰ったことをソアラは素直に喜んだ。返事も快活である。
 それから___
 餓門の指示で、金城付きの薬師から治癒効果のある丸薬をいくつか貰い、ソードルセイドの鬼援隊が身につけていたような忍装束を貰ったソアラは、早速旅支度を調えた。そしていざ行かんと金城の廊下を出口に向かって歩んでいるとき、不穏な空気が前方に立ちこめた。
 「でたな___」
 夜行である。あれだけ布石を打っておけば姿を見せるに違いない、そう思っていたソアラには余裕があった。
 「邪魔しにきたの?ダ・ギュール。」
 現れた茶色のローブに、ソアラは構わず言い放った。夜行は行く手を遮るように現れただけでなにも語らない。
 「アヌビスは妖魔探しですって?笑わせるわね、自分の戦力探しなんでしょ?」
 そこまで言ったところで、夜行に変化が生じた。目の位置で光る赤い輝きが消え、ヘルジャッカルでしばし見た色黒の厳つい顔が浮かび上がる。それはダ・ギュールにほかならない。推測は的中していた。
「抜け目のない女だ。僅かな接触で早々に見破るとは。」
 「どういたしまして。」
 「そして相も変わらずアヌビス様の邪魔ばかりする。こちらまで追いかけてくるとは、竜神帝も人使いが荒いと見えるな。」
 ダ・ギュールの言葉にソアラは好戦的な笑みで応えた。
 「追いかけるわよ。あたしを騙したワンちゃんと決着をつけてやる。アヌビスにもそう言っておきなさい。」
 「吠え面をかくのは貴様だ。」
 それだけ言い残すと、ダ・ギュールの顔が消え、夜行も消え去った。
 「吠え面は犬がかくものよ。」
 ソアラは鼻息を荒くして吐き捨て、城の出口へと向かった。しかし、そこでもまたいらない出迎えがあった。
 「よう。」
 潮だ。城の門でこれ見よがしに待ちかまえている彼の姿に、ソアラは顔をしかめた。
 「俺も一緒に行くことになった。まあ、道中よろしくな。」
 「あ、そう___」
 ダ・ギュールの差し金に違いない。ソアラは心の中で口惜しさをかみしめた。
 「首に止まらせて貰うぞ。」
 「勝手にすれば___」
 一気にやる気を奪われたソアラは、投げやりに応対する。潮はすぐさま蝿に化けて彼女の首筋にとりついた。
 (どうしよう___目玉を渡さなきゃいけないのに___) 
 その時ソアラは餓門の言葉を思い出した。耶雲のことを知りたければ銀城の書庫に行け___榊がまだ銀城にいれば万事うまくいく!
 「ねえ、銀城に行きましょうよ。耶雲のこと知っておいた方がいいでしょ?」
 「用心深いな。おまえそんな女か?」
 耳元で潮の声がする。
 「耳に留まらないでくれる?臭いって思われたらやだ。」
 「やれやれ。」
 潮は再び彼女の首元から、髪の中へと入り込んでいった。
 (榊を見つけたら潮を追い払って闇に逃げ込めばいい___ま、榊がいればだけど。)
 予定より二夜も遅れているが、彼女が銀城にいると期待を込めてソアラは飛んだ。

 銀城は落ち着きを取り戻すと共に、充実した屋内食糧畑で妖人たちがせっせと働く農園の様相になった。また、天破が残した知識の証が眠る書庫も健在である。
 「どこなのよ?」
 書庫を探してキョロキョロと辺りを見回しながら歩くソアラ。潮も場所を知らなかったのは幸いで、書庫を探す振りをして榊を探すことができた。
 「う〜ん。」
 時にどうでも良い唸り声など出して、真剣みを失わせる。それでも眼差しは細やかに、榊の手がかりを探していた。
 「おい。」
 前髪を縫って、潮が額へとやってきた。
 「通り過ぎたぞ。」
 「え?」
 振り向くと、通りすぎた扉の前に難しげな文字で「書堂」と書かれていた。ソアラには読めないのだから気づかないのも無理はない。
「あ〜、本当だ。どこ見てたのかしらね?」
 だが読めないことがばれるといろいろ面倒だからソアラは取り繕った。蝿の潮はソアラの額で手足を擦ってから、また髪へと戻っていく。つくづく不愉快な能力だ。ソアラは早々に書庫を見つけてしまった運のなさとあわせ、心中で舌打ちした。
 「おい!」
 そんなとき、前方の角から現れた男がこちらに手を振ってやってきた。
 「あ〜、やっぱりそうだ。おまえ由羅だろ?」
 「?___あーっ!あんたあの!」
 あまり印象に残る顔ではなかったが、ソアラは彼を思いだして笑顔になる。彼は榊と二人で銀城にやってきた時に出会った妖魔で、能力は電撃だったはずだ。
 「久しぶりねぇ。」
 「久しぶりじゃねえだろ。茶室で待ってたのにちっともこねえんだから。」
 そう言えばそんなこともあったか。
 「まぁ咲紀(さき)が来てくれたから悪い気はしなかったけどな。あいついい子だなあ。」
 「ああ、そうでしょ。ちっちゃくて可愛いでしょ?」
 「そうそう。立ち話は大変だったな。」
 なるほど、咲紀とは榊のことのようだ。しかし「だった」という言葉でソアラは落胆した。
 「彼女は今どこに?」
 「任務を貰ったから暫く地方だとさ。残念だ、俺惚れっぽいから好きになっちゃってよお。」
 男ははにかむようにして頭を掻く。僅かに電撃が弾いた。
 「なぁに、あたしじゃなかったの?」
 彼は純朴で、なかなか気のいい妖魔だ。潮に対する時と違い、彼の前ではソアラも無警戒で朗らかだった。
 「そう言えばまだ名前聞いてなかったね。」
 「あれ?そうだっけか。俺は光法(こうぼう)ってんだ。」
 こういう知り合いは作っておいて損はない。ただ銀城を離れていないであろう彼といやに親しくては潮が不審がる。
 「暫くここにいるのか?」
 「ううん、書庫で調べ者をして、そのまま任務よ。」
 「そうか、咲紀の言ったとおりだな。」
 「あらそう?」
 小首を傾げたソアラの前に、男はゆったりした着物の懐から蓋付きの筒を取り出した。あまり大きなものではない。
 「咲紀から言われててさ、もし由羅が何か伝言でもあればこの中に入れてくれって。後で見るから。」
 「___へぇ、そう。」
 ソアラはしばし逡巡してから筒を受け取った。蓋を開けてみるとなんの変哲もない金属の筒だった。しかし、内側が黒く塗られていることでピンと来た。
 (やるしかない。)
 ソアラは潮を気にしながら、隠し持っていた目玉の一つを片手に握った。ただ、掌と目玉の間に筒の蓋を置くようにして。
 「ねえ光法、耶雲って知ってる?」
 「耶雲?ああ、有名じゃねえか。あの盗賊だろ?」
 会話で弘法の意識をそらした隙に、蓋を閉めるソアラ。蓋の内側に接するようにして握られていた目玉は、同時に筒の中へと入れられた。
 「確か二人組だよな。相棒は棕櫚だっけ?」
 「棕櫚!?」
 驚きのあまり声が大きくなった。光法はキョトンとした顔をする。
 「あ、ごめん、棕櫚って名前はあたしも聞いたことがあったからさ。結構有名な盗賊よね。」
 「そうさ。それ、もういいのか?」
 光法は蓋の閉まった缶を指さした。
 「うん。特に伝言ってほどのことは無かったから。」
 そう言ってソアラは筒を差し出す。それを掠め取ったのは、いきなり彼女の後ろから伸びてきた手だった。
 「おっ、潮も一緒だったのか。」
 「よう。」
 顔見知りだったのだろう。潮は気軽な挨拶をし、光法も彼が筒を取ったことを咎めはしなかった。
 「___」
 潮は筒を開ける。しかし中は空っぽだった。
 「な〜に?感じ悪いわね。」
 「ふん。」
 やはり潮は夜行から使わされた監視役だ。筒の中が期待はずれだったことで、潮はそれを光法に渡して蝿の姿に変わった。
 「それじゃあ光法、咲紀によろしくね。」
 「帰ってきたら顔くらい見せろよ。」
 「うん、もちろん!」
 ソアラはにっこりと微笑んで、光法にウインクする。キスの一つもしてあげたいくらい上機嫌だったが、あまり純粋な彼を惑わすのもよろしくない。
 (さすが榊、抜かりはないわ!)
 筒は光法の手に握られ、まじめな彼のこと、榊以外の誰かに渡ることはないだろう。あの筒の中が黒かったこと、あれでピンと来るあたり自分の勘も冴えている。
 (筒の底の黒は闇の入り口。きっとあれは、朱幻城に通じる。だから入れたはずの目玉が消えたんだ!)
 そして耶雲はあの棕櫚の相棒。できすぎた偶然だがありがたく受け止めたい。
 「ねえ、あんた霊元の森がどこか分かる?」
 「なんとなくはな。」
 「ならやっぱりもう行きましょうか。」
 「好きにしろ。」
 榊のところから出ていった棕櫚が耶雲のところにいる可能性はあるはずだ。期待感がソアラを急がせ、調べものを面倒くさがっていた潮も反対はしなかった。
 そのころ___
 「___」
 榊は急激な精神的負担から体調を崩し、休息を余儀なくされていた。銀城にいる間、警戒心から神経をすり減らし、ほとんど眠らなかったのも応えたようだ。
 「!」
 何か物音があったわけではない。しかし榊は布団を蹴飛ばして飛び起きた。枕元に置いていた小さな器を手に取り、その中に指を入れて空間に文字を描き出す。
 「来た___!」
 眠気も吹っ飛ぶ。器に闇が開き、それは現れた。
 「___これが___手がかり___?」
 器に転がる目玉。由羅らしからぬ悪趣味な贈り物に、榊はこれがまさか彼女の目玉ではないかと疑い、すぐさま手に取った。
 「!」
 そして、心象が流れた。




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