1 死地に舞う鳥

 「うおお!」
 互角な者同志の戦いでは武装が勝敗を分ける。農具を振りかざして戦う朱幻城の妖人たちが、鎧で武装した飛天城の妖人を倒すのは容易ではない。美しい朱幻城の街並みが次から次へと血で染まっていく。正面の城門はすでに破られ、街の中で怒号と共に二つの力が真っ向からぶつかり合っていた。
「ぎゃああ!」
 「うりゃああ!」
 悲鳴、奇声、雄叫び、ただ殺されてなるかと必死の抵抗を続ける朱幻城の人々。しかし道いっぱいに列を組んで前進してくる飛天城の軍勢を止められない。
 「クァァッ!」
 「うおっ!?」
「鳥か!」
 朱幻城の守り神たる自負か、溜まりかねた数羽の黒塚が急降下し、その強力な爪と嘴で敵の頭を狙った。油の煙は上空の高い位置に滞留しており、彼らにとってもこちらの方が動きやすかった。
「キィァァウ!キィァァウ!」
 だが黒塚のリーダー吉良はそれをさせまいと空の高見で嘶いている。彼は飛天軍の後列で光る鏃に気が付いていた。
 「放て!」
 飛天軍の殿に構える周達がここぞとばかりに軍配を掲げた。勢いよく放たれた矢は降下してきた黒塚たちを射抜く。空を切った矢もそのまま朱幻城の軍勢へと降りかかっていった。
 ゴオオオンッ!
 一方、より本城に近い城下で派手な爆発が起こる。
 「くくく___」
 崩れ落ちた白壁の瓦礫を前に、返り血に身体を染めた男が笑っていた。その姿を見て戦く妖人たちを前に、男は石を握っていた。
 「ほ〜れ。」
 男の手の中で、石が白く光り始めた。
 「うわああ!」
 それを見た途端、彼に対峙していた妖人たちは蜘蛛の子を散らすよう逃げ出した。
 「よっと。」
 それを嘲笑うように、男が石を放り投げる。それは逃げまどう妖人たちを追い越して、地面にぶつかった。
 カッ!
 白い輝きと共に、強烈な爆発が巻き起こった。妖人たちは轟音の中に消え、肉片が男の足下まで飛んできていた。
 「壊すぞぉ___」
 彼は嵐(らん)。周達がごく最近雇い入れた流れ者の妖魔である。
 「次はあれだ!」
 嵐は瓦礫を拾い上げ、近くの建物に向かって投げつける。壁にぶつかった瞬間、再び轟音が響き渡った。
 「さあどんどん行くぜぇ。」
 彼の能力は、手にした石を衝撃型の爆弾に変えること。穏やかとは言えない能力だった。

 すでに戦いは周達の圧勝へと傾き始めていた。しかし___
 「さあどんどん焚け!黒塚どもを休ませるな!」
 上空の黒塚に混乱があるのが見て取れる。火の指揮官は勝ち誇った笑みを抑えきれずにいた。その腰に下げた刀がゆっくりと抜き取られているとも知らず。
 「お、親方様___」
 勝手に動き出した刀に気づいた女の一人が恐る恐る声をかける。
 「喋る暇があったら黙って火をたけ!」
 「で、でも___」
 妖魔がさらに一喝しようとしたその時、彼の視界が歪んだ。
 「お?」
 意思にかかわらず景色が変わる。宙舞う刀は彼の首をバッサリと切り落としていた。
 「___きゃあああ!」
 恐怖のあまり女が悲鳴を上げる。火を焚くことに熱中していた他の女たちも、悲鳴と、火山のように血を吹き上げる指揮官の姿に絶句した。
 「我ら黒塚は神の鳥ぞ___神の怒りを思い知るがよい!」
 剣が宙に浮き、声を発しているように見える。あやかしの主にとって焚き火の前は影が浮き出る悪条件だったが、女たちはそこまで冷静ではない。刀が揺らめきながら油壺を叩き切ると、もう居ても立ってもいられなくなった。
 「た、助けてぇぇ!」
 「きゃあああ!」
 女たちはあっという間に持ち場を投げ出した。この戦いに積極的でなかった者が多かったのだろう、一人が逃げ出すとそれを見た者たちも逃げる。そうして城を取り囲んでいた油の煙が止まった。
 「次は中だ___!」
 策略を成功させた仙山が色を解く。

 「ハハハ!こんなにうまくいくとは___!榊と仙山がいなければこんなものか!」
 殿の周達は笑いが止まらない。敵を倒せば倒すほど、己の栄光が現実に近づくのだ。しかも己は後方で勝ち戦を見届けていればいい。これほど快感な殺人はなかった。
 煙が薄らいでいくことに気づかないほど、我を忘れて悦に入っていた。
 「クァァッ!」
 下の喧騒を苦々しい思いで見つめていたであろう吉良が、突然嘶いた。それは彼がある男の存在を感じ取ったからだった。
 「どんどん押し込め!」
 叫ぶ周達の頭の上を、ゆっくりと刃が越える。そして___
 「いけぇがああああっ!?」
 鎧兜で固められた身体を避け、刃は周達を頭越しに巻き込むようにして、目元から力強く突き刺さる。一頻り叫んで身悶えた彼は、自ら致命傷を拡大させ倒れた。
 刃に脳をかき回されては生きていられるはずがなかった。
 「な、なにごと!?」
 見る角度によって色は意味をなくすことがある。だから周達を仕留めた仙山は構うことなく、振り返った後列の弓隊に己の姿をさらした。
 「き、貴様!」
 「周達様!?」
 「怯むな!」
 最後列の弓隊がすぐさま仙山に向けて矢を引き絞る。だが仙山に不安はなかった。
 「クァァァ!」
 「と、鳥か!うおぁっ!」
 吉良を先頭とした黒塚たちが、猛烈な勢いで一斉に急降下し、周達の死に動揺していた弓隊をさらなる混乱に陥れる。
 「うおおお!」
 統制の無くなった弓隊を飛び越え、仙山は正面で朱幻城の住人たちとぶつかり合う重装隊の前へと躍り出た。
 「仙山殿!」
 「おお!仙山殿だ!」
 傷つきながらもなお立ち向かった朱幻城の妖人たちが沸き上がった。
 「皆の者すまぬ!このような辛苦を与えることになるとは!」
 仙山は同志たちに心からの詫びを告げ、すぐさま周達軍に向き直る。
 「うぬらが主、周達は死んだ!これ以上の戦いは無意味だ!」
 だが周達軍は下がらない。彼らも周達と同じ、弱者として食い下がる日々を過ごしてきた者にとって、この戦いは快楽なのだ。そして彼らを寄り奮い立たせるのが___
 ドゴォォォォ!!
 「!?」
 後方から聞こえた崩壊音に、仙山は振り返って眉をひそめた。
 「街に恐ろしい妖魔がいるんです!」
 「なんだと___」
 派閥内で地位の低い周達でさえ未知の戦力を囲い込んでいる。餓門派妖魔たちの周到な戦力補強に仙山はぞっとした。
 「ここは我々が黒塚と共にくい止めます!」
 「仙山殿はあの妖魔を!」
 仙山の脇を通り抜けて、意気あがる朱幻城の妖人たちが農具を振りかざす。無骨だがそれでも強いクワと、鋭い刀がぶつかり合った。
 「やむを得ぬか___すぐに仕留めて助太刀に来る!それまで持ちこたえるのだ!」
 「おおおっ!」
 猛々しい叫びを響かせ、戦闘はさらに激しさを増していく。そしてその喧噪、煙立つ朱幻城の空を眺めてゆっくりと歩む男がいた。
 「うぃっ、ふ〜___」
 片手に大きな瓢箪を握り、千鳥足で進む。ゆったりとした着流しを纏い、剛毛な厚い胸板を露わにした男。好き放題にはやした髭を濡らし、赤ら顔でいた。
 「あ〜、もう始まってるぞ〜___大枚もらってんだからしっかり働かにゃあなぁ___金返せなんて言われたらかなわん___」
 彼もまた、周達が雇い入れた流れ者の妖魔。名を氷室(ひむろ)といった。
 「終わる前につけるかなぁ___」
瓢箪の酒を口にして、氷室はゆったりと進んだ。

 暗い空に爆煙が広がる。嵐の破壊活動はさらに拡大していく。彼の周囲では既に多くの家が燃えさかり、漆喰のはがれ落ちる音がそこかしこで鳴っていた。この炎の戦場は仙山にとって厳しい。
 (やりづらいな___)
 背景に動きがあること、ましてや発光体であり影を生じること、この条件ではたとえ炎に溶け込みやすい色を纏ったとしても、輪郭が浮き上がってしまう。
 ただ、だからといって既に視界にとらえた敵を前に黙っていられるはずがなかった。
 (真っ向から___やるしかない!)
 せめてもの目くらましにはなる。仙山は炎が発する煙に姿を似せ、僅かに浮遊した。
 「さぁて___そろそろ城をぶっ壊しますか。」
 (いまだ!)
 嵐が彼に対して背を向けたその瞬間に、仙山は煙色の刀を構えて一気に接近する。嵐の背中は隙だらけ___全く気づいている様子はなかった。早々に決着をつけたかった仙山は、勝機を確信していた。
 パラパラ___
 しかし、それほど簡単ではない。嵐の周りには砂が降っていた。彼は腰に砂の袋をぶら下げ、そこからひとつまみを握り、後方へと撒きながら進んでいた。
 「!?」
 シュボボボボッ!仙山の全身に、針で刺されたような痛みが走る。衝撃音と共に砂を浴びた箇所で火花が散った。
 「うおぉ!?」
 音に驚いた嵐は前方へと跳びはね、一回転して向き直った。
 (気づかれたか!)
 火花が色を歪めていた。嵐と視線が交錯したと感じた仙山は色を解き、構わずにそのまま彼に向かって斬りかかる。
 「妖魔か!」
 嵐は手にしていた砂を仙山に投げつけた。
 「くっ___!」
 爆発する砂を真正面から受けた仙山の勢いは簡単に殺される。そればかりか、砂の一粒は彼の左目に入り込んでいた。
 「つああっ!」
 それでも構わずに、射程距離に捕らえた嵐めがけて刃を振り下ろす。嵐は際どいタイミングで後方へと跳び、大振りの刃をやり過ごしたが、仙山が刀を片手で握っていたことまでは気が回らなかった。
 「!?」
 何かが空気を裂き、迫る。それに気が付いた時にはもう遅い。せめて身をよじり、腕で首を守るのが精一杯だった。
 「うおおお!?」
 嵐の左腕に巧みに塗装された小太刀が突き刺さった。腕を犠牲にしなければ、首をえぐり取られていたに違いない。
 「仕留める!」
 今度は刀を両手で握り、仙山が斬りかかる。しかし嵐は近くに転げ落ちていた石を掴むと、勢いよく地面に叩きつけた。
 ドゥッ!
 「!」
 雲隠れの道具に煙り玉というのがある。それによく似た芸当だった。爆発は熱風と土煙を吹き上げ、片目を不自由にした仙山の視界を断つ。煙が失せた時には嵐はその姿を消していた。
 「逃げた___いやそんな輩ではないか。」
 一軒向こうに進んだところには、堀があって朱幻城の城塞がある。仙山が勘ぐるよりも早く、そちらから豪快な爆音が聞こえた。
「おのれ!」
 仙山はすぐさま城へと飛んだ。すぐに堀に面した壁が大きく壊されているのを見つける。そこから瓦礫の狭間を抜けるようにして城塞の内側へ。そこには玉砂利の庭園が広がる。
 「!」
 不意に投げつけられた石を察知し、仙山は身を翻す。爆弾と化した石は彼の頬を掠めながら瓦礫を越えて堀へと落ち、水柱を上げた。
 「この野郎!」
 嵐は浮遊する仙山に立て続けに石を放った。そのいずれもが少し高めの軌跡を描く。
 「甘い!」
 玉砂利に着地して一気に距離を詰める!石が高めだったからこそ、仙山はそう考えた。それが結果として嵐をほくそ笑ませる。
 ジュドドドド!
 仙山が玉砂利を踏んだ瞬間、そこを起点に激しい火花が飛び散った。一つ一つの破裂は小さいものでも、連鎖することによって壮絶な破壊力を生む。それは爆裂の花畑。足の裏から始まった衝撃は、仙山の頭の上まで駆け上った。
 「く___」
 一つ一つの傷は小さい。しかし無数の裂傷と火傷を負った仙山の姿はあまりにも惨たらしいものだった。肉の焼けこげた臭い、両足からは煙が上がっていた。
 「まだ生きてるか。しぶといな。」
 嵐の笑みを睨み付け、仙山が前のめりに倒れる。その時の衝撃で、不発だった玉砂利が破裂し、彼の身体を小さく弾ませた。
 「あんたはここの妖魔だろ?首を取るともっと金がもらえるかも知れない。悪いがとどめを刺させて貰うぜ。」
 庭園に置かれた形のいい石、人の頭ほどの大きさのそれを両手で持ち上げる。嵐はそのままゆっくりと仙山の側へと歩み寄った。
 「んじゃな。」
 石は無造作に嵐の手から放される。爆風を背で感じるため、彼はすぐさま背を向けた。
 「ん?」
 いつもなら二歩も進んだところで爆風が吹き付けてくるはずだった。
 「!?」
 振り向こうとした時、横から光と風が襲った。
 「本当だ、迂闊に触るなって姉様の言うとおりだ。」
 仙山の前に立ち、爆発の名残を見つめている女が一人。鮮やかなブロンドの長髪と、それ以上に目を引くのがその黒い翼だった。
 「う___」
 仙山は揺らぐ視界の中で、己を庇うように立ちはだかる女性に目を奪われた。
 「鳥___?___翼___の女___!」
 漆黒の翼、仙山は黒塚かと思った。しかしよく見れば人、しかも翼を生やしている。その姿を目の当たりにし、由羅たちが「翼の女を捜している」と言ったことを思い出す。
 「おまえはなんだ?邪魔するとおまえも命はないぜ。」
 嵐は余裕の笑みを見せ、その手に砂を掴んだ。
 「何でだろう、君みたいな人を見るといてもたってもいられなくなる。」
 翼の彼女、顔立ちはミキャックのそれによく似ている。いや、彼女そのものである。背も高い。ただ、その翼は黒。それだけが決定的に違っていた。そして言葉遣いも彼女のそれとは少し違う。
 「分からないけど___こういう状況だとこの人を守りたくなるんだ。姉様はやめろって言ったんだけどね。」
 対話というわけではない。彼女は独り言のように、空の辺りを見て話した。
 「変な女だ___!」
 嵐は構わずに翼の女に向かって砂を投げつけた。すると女の顔つきが豹変する。それまでどこかボーっとして見えた彼女の瞳に、急に戦士の厳しさが宿った。飛び立つことはせず、翼を身体の前へと傾け、その身体を包み隠す。
 シュパパパ!
 砂は翼にぶつかると爆竹のように激しく火花を散らした。
 「殺る気の相手には殺る気で挑めって言われてるから。」
 彼女の右手には微かに炎がちらついていた。翼を生やした上に、何かしらの能力を持っている。不可思議な妖魔であろう女との出会いに、嵐も隙を消した。

 「おぅ〜?」
 千鳥足で朱幻城まで辿り着いた氷室。彼と擦れ違うようにして妖人たちが次々と逃げていく。黒塚が本領を発揮し、仙山の帰還で活気づいた朱幻城の軍勢に、首領を失った周達軍は圧倒されていた。一人が逃げ出せば後は早いものだった。
 「なんでぇ___だらしねぇなぁ。」
 彼が朱幻城の門を潜った時、朽ち果てた周達の姿を見つけて氷室が吐き捨てる。
 「俺が金を貰うには___これを勝ち戦にするしかねぇなぁ。」
 門の向こうでは、朱幻城の妖人たちが勝ちどきの声を上げていた。氷室はそんなところへとぶらりとやってきたのだ。酔っぱらった彼を気にとめるほど、妖人たちは落ち着いていない。しかし黒塚の吉良は彼がいかに危険な男であるか、気が付いていた。
 「クァァァ!」
 吉良は仲間たちに危険を伝え、黒塚たちは徒党を組んで一斉に氷室へと急降下した。
 「うぃ〜。」
 吉良は上目遣いでそれを一瞥する。変化はあっという間に起こった。
 グンッ!
 聞き慣れない音に合わせ、肌を露出した氷室の肩に二本の角が突き出した。それは真っ直ぐで、しかも先端に穴が空いている。そして___
 シュゥゥゥゥゥ!
 角の穴から空に向かい、勢いよく白い霧が噴き出した。
 「キュアアッ!」
 黒塚たちが悲鳴を上げる。それは超高温の蒸気だった。勝利に浮かれていた妖人たちも我に返る。
 「片っ端から片づけてやるよぉ。」
 氷室は両手を妖人たちへと向けた。その掌に、穴が空いていた。
 「あっという間になぁ___」
 氷室の穴が唸りをあげる。手から肩から、無数の弾丸が乱射された。機関銃のように白い粒が妖人たちを、空の黒塚までも、次から次へと撃ち抜いていく。それは氷の粒。止むことなく、凄まじい勢いで血の雨を降らせる。
 「ぐふぅ___」
 一頻りの氷を放ち、氷室は瓢箪の酒を口に流し込む。氷の粒は外気を急激に冷やす。ただそれ以上に、広がる景色は寒気を伴うものだった。氷の弾丸はあっという間にその場にいた三百人以上の妖人と、数十羽の黒塚を全滅させていた。その中には吉良の姿も。
 「可哀想に___」
 血に伏し、朽ち果てた吉良にしなやかな手を触れて、彼女は呟いた。
 「こんなものを見たら小鳥が泣く。」
 哀悼の意を捧げているのか、彼女は暫くそうして目を閉じていた。
 「___ひっく。」
 氷室は突然現れた彼女の姿を見据え、再び酒を口にする。
 「しかし___目撃されずに済むのはいいことだ。不謹慎な言い方だがな。」
 銀髪の女が頭を上げた。
 「女で片目たぁ___」
 氷室が思わず呟く。彼の前に現れた隻眼の女は紛れもない、冬美だった。
 「戦争にかかわる気はなかったが、まあ仕方ない。彼らの代わりにおまえを倒す。悪く思うなよ。」
 彼女は昔と変わりない。影が差すような冷たさを携え、細身の身体でありながら独特の迫力を持つ。変わったものがあるとすれば___
 「ひっく。」
 氷室が冬美に掌を向ける。すぐさま氷の弾丸が噴き出した。しかし___
 ギュギュギュギュギュ!
 弾丸は一つも冬美に届かなかった。全てが彼女の身体の寸前で弾き飛ばされ、その足下に転げ落ちた。
 「うぃ?」
 酔っぱらいの氷室も、驚いてとろりとした目を見開く。冬美の身体の前で小さな光が動いたように見え、すぐに消えた。
 「そんなおおざっぱな攻撃はあたしには当たらない。」
 「もっと大ざっぱな方が当たるんじゃないか?」
 再び氷室の穴が火、もとい水を噴く。今度は固体でなく液体。水の柱が真っ直ぐに冬美を襲った。凝縮された水圧は簡単に肉体を貫くだけの破壊力を秘めている。それでも彼女は不動だった。
 「ウィンドランス。」
 ただ一つだけ呟いた。難しい呪文ではなかったが、戦いの時だけは冬美からフュミレイに戻った方がやりやすいのだ。呪文をあえて口にするのは、心構えの問題である。
 「!」
 水柱は風の槍と真っ向からぶつかり合い、飛沫となって蹴散らされていく。そのまま風が渦を巻いて氷室を襲う。しかし今度は氷室の穴から氷が塊となって噴き出し、壁となってウィンドランスをうち消した。
 「水___固体、液体、気体を問わず水を生み出す能力か。」
 「なかなかやるじゃねえの___嬢ちゃん。」
 氷室が冬美の実力を認めた時、二人の狭間に火花が散る。氷室の肩からは蒸気が噴き出し、強い殺気を感じた冬美は魔力を高めた。

 「くっ!」
 翼の女が軽やかに身を翻す。それを追いかけるようにして鎖つきのハンマーが襲いかかった。上へ下へ、大きな弧を描いて迫るハンマーは決して大きくはない。しかしよく見るとそれは金属の皿に拳ほどの石が貼り付けられたものだった。
 「まずい!」
 勢いをつけて真上から振り下ろされたハンマーを、翼の女は後方に飛んで回避する。しかし石は大地に勢いよく叩きつけられた。
 ボッ!
 石は激しく爆発し、玉砂利の飛礫が弾丸となって女を襲う。
 「っ___!」
 翼で身体を包み身を守る。しかし今度は玉砂利が爆弾に変わっていた。黒い羽が舞い散り、女の体は宙を泳いだ。
 (___)
 翼が痛み、血も滲んだ。しかし女は顔を歪めることもせず、仙山が倒れていた場所に目を移す。
 「よし。」
 彼が居なくなったことを確認し、女はゆっくりと玉砂利の庭園に降り立った。傷ついた翼を開き、精悍に変貌した目で嵐を見据えた。嵐はハンマーに新たな石を取り付け終えたところだった。
 「これで戦える。」
 「なに?」
 嵐も仙山がいつの間にか消えていることに気づいた。時間稼ぎだったとでもいうような彼女の態度がかんに障り、嵐は眉間に皺を寄せた。
 「行くぞ!」
 翼の女の右手が光り、勢いよく炎を噴き出した。
 「危ねえ!」
 嵐は慌ててハンマーを振るう。炎に飲み込まれた石はいつにもまして強烈な爆発を巻き起こす。爆風は嵐にも尻餅をつかせるほどの勢いだった。
 「な!」
 しかしその爆炎の中を翼の女が突っ切ってきた。錐揉みのようにして炎を散らし、一気に嵐に殴りかかる。
 「がはっ!」
 拳は的確に嵐の顎を捉えていた。尻餅をついていた嵐は仰向けに卒倒する。それだけの鋭い拳だった。しかし彼女がミキャックであったとしたら、この好機に呪拳を使わないのは妙だった。
 「よし。」
 嵐は死んではいない。しかしあの負傷していた男が難を逃れたなら、彼女はそれ以上やる必要はなかった。
 「冬美姉様は___?」
 女は空を見上げる。もう空は明るくなり始めていた。
 「あれ?嘘___一人で帰っちゃったの?」
 そして急に子供っぽい仕草で、不安な目をする。戦いが終わると彼女はまるで別人だった。
 「姉様!」
 まるで迷子が母を探すように、女は恥ずかしげもなく虚空へ呼びかけた。背後で嵐が意識を取り戻しているとも知らず。
 「油断___しすぎだぜ___」
 嵐は息を潜めながらその手に石を握り、慎重に立ち上がる。女はどこか取り乱していて気づく様子はない。この石を首の後ろにでも叩きつければ、それで勝負は付く。
 「おまえがな。」
 「!?」
 しかし石が彼女を襲うことはなかった。嵐の首に刃が深々と抉り込んだから。
「がはっ___!」
 嵐が白目を剥き、血反吐を吐く。その声に驚いて振り返った女の目は少し潤んでいるようだった。
 「さらば。」
 仙山は去ったわけではない。この機会を待っていた。彩りを消してその姿を現し、刃を捻る。嵐は悶絶し、石が手からこぼれ落ちた。
 「!」
 爆発する!そう思った仙山に緊張が走る。しかし石はただの石として地に転げ落ちた。それが嵐の命が終わった証だった。
 「姉様ぁ!」
 仙山が勝ちを手にしたと感じたのかどうなのか、翼の女は今までの戦いが嘘のような弱々しさで飛び立つ。泣き出しそうになって保護者を捜していた。
 そのころ___
 「___」
 冬美は少しだけ目を細くして、濃い霧の中にいた。身体に傷はなかったが、彼女は僅かに頬を桃色に上気させ、まっすぐに立っていた。
 「前___」
 霧でぼやけた視界。正面にボンヤリと氷室の姿が浮かび上がる。
 「違う___!」
 前の氷室は霧の中に溶けて消え、次の瞬間彼女の身体を背後から無骨な腕が締め付けた。
 「っ!」
 両腕ごと挟み付けられ、冬美は歯を食いしばる。
 「嬢ちゃん酒強いなぁ___この霧の中でぶっ倒れなかったのはあんたが初めてだ___」
 霧は氷室の肩から吹きだしていた。ただの水蒸気ではなく、彼が身体にため込んだアルコールを抱き合わせた状態で。
 「始末するけど悪く思うなよぉ。」
 グンッ!と骨が折れるかと思うほどに強烈な締め付け。さしもの無愛想な冬美も顎を上げ、声は出さないが苦しそうに口を開ける。その時彼女の指先から、小さな五つの光が放たれた。氷室はそれには気づかない。
 「んっ!?」
 冬美が口を開けるのを待っていたように、氷室の片手が彼女の口を覆い隠した。
 「!」
 氷室の大きな手と、冬美の口の狭間で水が溢れる。大量の水が氷室の手から彼女の口内へと流れ込み、呼吸が一気に詰まった。しかし放たれた五つの光が霧の中に舞い上がると、状況は一変した。
 ギュギュン!
 「あぉっ!?」
 氷室は冬美の背後を取っていた。片手は口を、片手は彼女の華奢な身体を捕獲し、全く身動きもできないほどに締め付けていた。そのはずなのに、彼の両腕が肩の辺りから千切れ飛んだ。
 「はっ___げほっごほっ___」
 冬美はその場で四つん這いに崩れ、水を吐き出す。ただその後ろでは、氷室が両腕の断面から血を噴き出して唖然としていた。
 「馬鹿な___どこから攻撃した!?」
 「妖魔は侮れない___もう少しで意識が飛ぶところだった___窒息したら、あたしだって死ぬ。」
 冬美はまだ荒い吐息で、胸の辺りに手を当てながら立ち上がった。上気した頬に濡れた唇が色っぽかったが、腰から下の辺りは氷室の返り血でべったりに濡れ、足下には妖人と黒塚の骸が転がる。その二律背反。死を間近に感じていた氷室だったが、酒の霧に立つ彼女の異様さに、美を感じて死ねるのは幸いだった。
 「苦しませるつもりはない。」
 五つの光の玉が彼女の周りを漂っていた。
 「行け。」
 氷室を指さす動きにあわせ、玉はまるでそれぞれが意志を持っているように動き、霧を裂く。そして光の球体は輝ける光線を思い思いの間合いで放った。
 ギュギュギュギュ!
 霧の中、血の花火が上がる。光線は唸りをあげ、的確に五つ別々の方向から氷室の頭を撃ち抜いていた。その全てを操っているのは、当然冬美だった。
 「ご冥福を___」
 冬美はその場で手を合わせ、氷室に祈りを捧ぐ。そんな彼女の身体に、五つの光が舞い戻ってきた。まるで巣に帰る鳥たちのようにして、身体に溶けて消えていった。これは彼女の能力か?そうといえばそうだ、彼女の傑出した「魔力」は妖魔の能力をも凌駕する域だから。
 「ひっく。」
 冬美は突然出てきたしゃっくりに目をパチクリとさせ、口の潤いを拭い捨てた。
 「酔ったか?あたしが。」
 霧が晴れてくる。すると朱幻城の空で慌てふためいている彼女が目に止まった。
 「向こうも済んだか。」
 冬美は彼女の元へと飛ぶ。
 「小鳥!」
 そしてその名を呼ぶと、黒い翼を大きく広げながら彼女は一目散に飛んできた。やはり彼女は記憶をなくし、黒麒麟にその身を買い取られたミキャックであった。
 「姉様ぁ!一人にしないで下さい!」
 「分かったから涙を拭いて。」
 冬美は小鳥ことミキャックの翼に手を触れる。淡い光が小鳥の傷ついた黒翼を癒していった。優しい光が彼女の心にも安寧を取り戻させる。
 「まったくとんだ寄り道だった。遅くなると凛様が気を害される、急ごう。」
 「はいっ。」
 「ひっく。」
 「はい?」
 「いや、なんでもない___」
 そして二人は誰に何を告げるでもなく、朱幻城の空から飛び去っていった。
 「ありがとう。」
 その後ろ姿を密やかに見守っていた仙山。多くの死者を出し、集落の被害は甚大である。榊が嘆く姿が目に浮かぶが、それでも陥落だけは免れたことにせめてもの救いを感じていた。




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