3 赤甲鬼の因縁
「えっと〜、これがね___」
「ふんふん。」
一方そのころ皇蚕にて。
桃色や黄色の趣味が目立つ鵺の部屋。教育係に当てられたサザビーが、鵺と文字の勉強中だった。
「こうか?」
「そう!」
サザビーが黒板に石灰石で文字を書く、書き順は滅茶苦茶だったが鵺は手にした帳面をパタパタと騒がせて喜んだ。
「すご〜い、砂座ってお利口だね。」
「まあな。」
本当はサザビーが鵺に教育を施さなければならないのに、いつの間にか立場が逆転している。いつもこんな調子だ。
「はい、今度は砂座の番。」
鵺が教えるのに飽きてくると、こうして教鞭がサザビーに移る。
「え〜っと、煙草の正しい吸い方と、やっちゃいけない酒の飲み方と、おっぱいの育て方、どれがいい?」
だが彼はこんな調子である。しかし皇蚕にも一人、彼がどんな人物かを知る男がいる。彼は同志たちにサザビーという男の適当な人格を伝えていた。
「いででで!」
突然天井から掌が落ちてくると、サザビーの頬をきつく抓った。
「まじめにやれ!」
ドアを開けて入り込んできた甲賀が、憮然として怒鳴りつけた。彼は時折サザビーの働き具合を観察しにやってくる。
「えっとね〜、やっぱりおっぱいかな!」
「鵺様っ!」
悪のりしている鵺を叱りつける甲賀。しかし彼女に睨み返されると弱腰になってしまうのはいつものこと。
「砂座!」
切り離されていた右手を元に戻し、甲賀はすぐに標的をサザビーに変えた。鵺の視線は感じるが極力見ない。
「おまえに教育係をやらせてはきっとろくなことはないと風間が言っていたが、本当にその通りだな。」
(余計な口を___)
バルバロッサのいらない差し金に、サザビーは引きつった笑みを浮かべて心の中で舌打ちする。
「教育とはもっと真っ当だ!分かったな!」
「うぃ〜っす。」
甲賀はピンとした背筋で生真面目に言い放つが、サザビーは背筋を曲げて怠慢な返事。
「うぃ〜っす。」
さらにそれを教わっていた鵺も彼を真似る。甲賀の額が微かに震えていたのは分かったが、彼はサザビーを睨み付けただけで黙って出ていった。
「ったく___あの野郎、変なこと吹き込みやがって。」
「風間のこと?」
「そ、あいつは無愛想な奴だったはずだぜ。」
無口だったはずの男から噂が広がるとなかなか不愉快なものだ。
「そうかな?あたしには優しいよ。」
鵺からはたまにバルバロッサの話を聞くが、どうも彼女から見たバルバロッサはサザビーが抱いている印象とは違う。あの黒ずくめのだんまりな男は、鵺の前でもそれほどお喋りではない。だが彼女の我が儘を嫌うわけでもなく、優しく接してくれるそうだ。
「そうだ、風間も呼ぼうよ!二人の話が聞きたい!」
皇蚕に住み始めてから暫くたつが、バルバロッサと話す機会はほとんどなかった。彼には聞きたいことが山ほどある。まず何より、彼がどういう経緯で今ここにいるのか。
「そうだな、呼んでみるか。」
「うん!」
サザビーが尋ねても彼は答えないかもしれない、いやその可能性が高いだろう。だがもし鵺なら___彼が鵺を人一倍大事にしているのなら、彼女の問いかけにはきっと耳を傾ける。
「ご苦労___と言いたいところだが、相変わらずおまえは生かして捕らえてくることができない男だな。」
鴉烙の前に、悶死した男の首があった。断面は鮮やかで、よほどの剣の達人でなければこれほどの切り口は作れない。首を持って帰ってきたのはバルバロッサだった。
「貴様の契約道楽を手伝うつもりはない。」
「道楽?相変わらずだな___」
バルバロッサは鴉烙の前で平伏せず、鴉烙もまた彼を前にすると嘲りを隠さない。
「我が能力は黄泉の秩序を守る。たった千の命が黄泉全土を平穏にするために捧げられた、ただそれだけのことだ。それを否とするおまえはつくづく了見の狭い男よ。」
葉巻をくわえ、鴉烙は車椅子にふんぞり返ってバルバロッサを下目に見る。その手元には一枚の契約書があった。
「刃向かいたくば刃向かえ、すぐにおまえは命を失う。」
それはバルバロッサの契約書だった。
「異世界より舞い戻ったその執念は認めよう、だが私に抗うことなどできぬと知ることも大事だ。」
そこに記されているのはバルバロッサの命の契約。皇蚕の住人は鵺を除き全員が契約を結ばされている。しかし少なくともバルバロッサのような側近格が命まで握られるのは特殊だ。多くは甲賀のように、側近と認められた時点でもう少し軽い代償へと契約が変わる。
「飼い殺しのつもりだろうが___そうそう悪趣味が続くとは思うな。」
バルバロッサは肘を真っ直ぐにして鴉烙を指さした。挑戦的な目をして、引導を渡すように。少なくとも部下である男とはほど遠い態度だった。
「私のために働いていれば些細な口答えは許そう。生かしておいてやるぞ、風間。」
バルバロッサは無視するように部屋を出る。黒マントの背中を見る鴉烙が笑っているのは振り向かないでも分かることだった。
「よう。」
部屋を出てすぐのところでサザビーが壁に凭れながら煙草を吸っていた。バルバロッサは睨むように彼を見る。
「鵺も一緒だったが先に部屋に帰した。」
「___そうか。」
「ちょっと話しいいか?立ち聞きするつもりはなかったんだが、鵺の奴とおまえを捜してたらここにいるって聞いてよ。」
いつものバルバロッサなら何も言わず、ただマントで口元を隠して立ち去るだけだったろう。
「俺と話すのが嫌なら鵺の部屋だ。一緒に彼女の話し相手になる。さて、どっちがいい?」
しかし皇蚕の中での彼は、風間は少し違う。特に鵺が絡むと___
「やむを得まい___」
彼の壁は低くなる。
「随分と湿気たところで話すね。」
皇蚕の中にバルバロッサの部屋はない。普段は皇蚕でも最も静かであろう場所にいる。そこはポケットのように壁が抉れて皇蚕の身体に食い込んだ場所、小さな穴蔵のようである。その穴蔵だけはどうしてか虫の内皮が厚く、体内の蠢きも聞こえないかわりに暗い。
「おまえ部屋とか無いわけ?」
「必要ない。ここは俺の住処ではないからな。」
彼の毅然とした物言い一つ一つに、鴉烙への嫌悪が滲む。深読みするでもなく、つきあいのあるサザビーには彼の言わんとしていることが分かった。
「___鴉烙の犬じゃねえってことか。」
相づちを打たないのは昔から。彼は沈黙で肯定した。
「おまえと鴉烙の間には色々ありそうだな。」
サザビーは煙草を取り出してバルバロッサに差し出す。
「いらん。」
「あっそ。」
サザビーはそれをくわえ、火をつけた。
「正直聞きたいことが色々あるんだ、まずおまえと鴉烙の関係、過去、因縁。おまえが何で中庸界に来たのか、何でおまえは鵺に優しいのか。」
煙を天井に向かって吹き上げる。皇蚕の内壁が呼吸をしているのだろうか、白煙は吸い込まれるように消えた。
「おまえらしく簡潔に喋ってくれりゃそれで良いよ。言わないってなら鵺に聞くぜ。」
「それはさせない。」
「なら頼む。」
「___」
バルバロッサは柔らかな壁を手で押した。すると内皮は柔軟に窪んで腰掛けにちょうど良い形となる。バルバロッサが腰を据えたのは覚悟を決めた証だった。
「俺の能力を知っているか?」
「地界で一度見たな、確か片手が赤くなってた。」
グンッ___
バルバロッサの身体から沸き上がった力が、大気を動かしてサザビーの身体を一瞬だけ圧した。彼の瞳が赤に変わり、その右手に赤い甲殻が現れた。
「それか。」
「近くで見てみろ。」
バルバロッサは右手の袖をまくり、赤いタイルが張り巡らされたようになった右手を晒す。サザビーは煙草を指に移して甲殻を覗き込む。それは一つ一つが宝石のようにキラキラと輝いて見えた。
「綺麗なもんだな。」
「これが我が一族、赤甲鬼(しゃっこうき)の能力だ。」
「赤甲鬼?」
バルバロッサの腕から甲殻が消えていく。変身は極簡単だが、赤い瞳でいる彼の身体から発せられる力は凄まじい。それはサザビーにも感じることができた。
「力強く、無機質を友にする力を持つ。」
「力強くってのは肌で分かった。無機質を友にってのは?」
バルバロッサは手にした剣の柄に巻かれた包帯を解き、サザビーに見せつける。黒光りした剣の鍔の辺りに赤い宝石が埋め込まれていた。
「こいつぁ___おまえの腕のか。」
「甲殻をはぎ取ると力を秘めた宝石となる。これを剣や盾のような武具に埋め込めば、それは己にとって適した武具へと変わるのだ。」
「なまくら剣も強くなるってことか?」
「その可能性もある。宝石に秘められた力次第で、武具は鍛えれば強くなる。これはまだ甘い、下手をすれば簡単に折れてしまうだろう。」
地界でフォンと戦った時、彼は中庸界から愛用し続けた長剣を折っている。あれからそれなりの月日はたっているが、まだ納得できる剣には鍛えられていないようだ。
「なるほどな、おまえが剣を大事にしていた理由もは分かった。で、それが鴉烙と何か関係あるのか?」
「我が同族はいない。」
「は?」
バルバロッサは無表情に続けた。
「赤甲鬼は閉鎖的な一族。しかしそれが異血の混入を妨げ、己の力を気高きものとしてきた。赤き里は繁栄を極めていた。だが赤甲鬼は俺だけになった。」
「鴉烙か___」
だが彼の味気なさが余計に痛く、サザビーは顔つきをきつくしてその名を口にした。
「何でおまえの一族が狙われたんだ?宝石か?」
「まさか___」
バルバロッサが笑みを見せた。寂しげな、達観した笑みだったが___
「波風の立たない命だから殺したのだ。黄泉の表にも裏にも関わりを持たない、孤立した民族だから狙われた。」
意味が分からない。サザビーは顔をしかめた。
「どういうことだ?何で殺すんだ?」
「鴉烙はその当時、千人の妖魔を殺す必要があった。」
「なんだと___?」
「地位のある妖魔、人脈のある妖魔を殺しては角が立つ。だから鴉烙は黄泉の社会から孤立している妖魔ばかりを探して殺していった。」
「ちょっと待てちょっと待て。」
話し方までマイペースだ。サザビーは慌てて彼の言葉を遮った。
「何で鴉烙は千人の妖魔を殺さなきゃならねえんだ?そっちを聞かせてくれよ。」
バルバロッサはムッとしながらも話を続けた。
「鴉烙の家系の契約だ。」
「契約___?」
サザビーは息を飲む。バルバロッサの低音は単語を余計に重くする。
「鴉烙は父からあの能力を受け継ぐために、千人の妖魔を殺さなければならなかった。それが奴の家系の動かざる契約。」
「___つまり、どういうことだ?」
「鴉烙の父、名前は忘れたが元はこの男が契約の能力の持ち主だった、しかし奴に子孫が生まれた瞬間、奴の意志とは無関係に『子孫が千人の妖魔を殺したとき、能力は子孫に引き継がれる』という契約が結ばれる。奴もそうやって鴉烙の祖父から能力を継いだ。」
随分な条件だが、それくらいの力強さと厳格さがなければ使いこなせない能力ということだろう。いや、厳格ではなく非情か。
「殺せなかったら___?」
「能力主が譲渡の契約を結ぶ。命潰えし時、誰彼にこの能力を譲渡する___とな。ただそれは、子孫が健在であるうちは結べない契約だ。」
「___やっぱり無茶苦茶な能力だな〜。」
「そうだ、だから鴉烙は生まれた時は能力を持たない。」
それでいながら千人の妖魔を殺めたというのだから彼の強さが分かる。ただそんなことよりもサザビーが気になったのは彼の子孫のことだった。
「待てよ、ということは鵺はどうなるんだ?あいつの扉の能力は。」
「わからない。ただ言えるのは彼女は間違いなく鴉烙の娘であり、あの扉の能力も他に類を見ない。」
「そうだな___それは分かるよ。」
サザビーは鵺が大地より呼び起こした扉を思い出す。開けると何かが起こる、あの奇妙な扉を。
「話を戻すか、おまえが今ここにいる理由を聞かせてくれ。」
煙草の先には灰が今にも落ちそうなほど溜まっていた。サザビーはそれを壁にこすりつけ、火の消えた煙草を構わずにくわえなおした。
「同胞の全てを殺されたが、俺はその時に里を離れていて無事だった。殺戮の犯人が鴉烙だと知り奴への復讐に動いたが、その時すでに鴉烙は千人の妖魔を殺し、父まで殺してこの皇蚕の主となっていた。」
皇蚕は鴉烙の一族が幾代前の先祖がどこかで捕まえ、愛用しはじめたらしい。つくづく謎な生物だ。
「鴉烙の能力は絶対だ。俺は確実に奴を仕留めるため、まずその当時まだ幼かった娘を人質に取った。」
「鵺か。」
バルバロッサは頷く。どれくらい前のことか分からないが、いくら寿命の長い妖魔といっても今の鵺がまだ少女なのは分かる。その当時きっと彼女はまだ幼児だったろう。
「殺すつもりでいたが、彼女はあの鴉烙の娘とは思えないほど純粋だった___」
「いまでも純粋だぜ。」
「そうとも。」
珍しい___バルバロッサが相づちを打った。
「そんなんじゃ殺せないな。で、どうしたのさ。」
「___俺は鵺を解放し、鴉烙に捕らえられた。その場で処刑されるところを鵺が助けてくれた。」
それでだ___鵺はバルバロッサが鴉烙に厳しい声をかけられると血相を変えて彼を守ろうとする。彼女も二人の険悪な関係は知っている、それでいて精一杯に鎹(かすがい)になろうとしているのだ。
おそらくバルバロッサがなぜ鴉烙を恨んでいるのかも知っているのだろう。
「鴉烙は俺を殺しはしなかったが黄泉から追放した。あいつはこの黄泉において処刑の権限を持つ唯一の男だからな。その時に、あいつから契約の能力を盗もうとした馬鹿な男も一緒に追放された。」
「ふ〜ん___ん?」
聞き流しそうになっていたサザビーは、何度も瞬きして首を捻った。
「棕櫚か?」
「俺は鴉烙への復讐を忘れたことはない。だから黄泉に帰ってきた。」
バルバロッサは何も言わずに話を続ける。
「だが用心深い鴉烙は、追放前に俺に命の契約をかけていた。時が経っても契約は生きている。烙印を押されないために、俺は皇蚕に向かうしかなかった。鵺は諸手をあげて俺を出迎え、鴉烙は嘲笑で俺を従えた。」
一つ息を付き、俯くことはなくバルバロッサは語った。そして___
「つまり、俺は今でも鴉烙を殺める方法を探っている。」
話しきったということだろう、バルバロッサは口を結び、マントの襟を立てた。
「最後のつまりの意味はわからんが、話は分かった。おまえは鴉烙を殺したい。だが鵺を傷つけたくないとも思ってるわけだ。」
「___」
答えない。
「まあ当然だ、鵺がおまえの命の歯止めだもんな。鵺がいなかったらおまえは生かされちゃいない。」
「___そうだ。」
襟の向こうから、籠もった声がする。
「俺だって鴉烙に命を握られてるのは同じだ。おまえの復讐を利用したいが、いいか?」
ただ協力すると言って手を差し伸べても彼は答えない。それを知っているサザビーらしい言葉に、バルバロッサは舌打ちしながらも___
「勝手にしろ。」
一言だけ呟き、腕組みして目を閉じた。
「鵺が妖魔を千人殺したら能力は鵺に引き継がれるかもな。」
軽い冗談だったが、バルバロッサは俯いた前髪の奥からギロリと睨み付けてきた。
「冗談だ、そんなことある訳ねえだろ。」
取り繕うように笑ったサザビーだが、バルバロッサの拳が彼の胸を突く。
「軽はずみなことは言うな。鵺の扉なら、千人くらい殺すのは難しくない。」
鳩尾で止まった拳にバルバロッサの本気を感じた。鵺は大胆な少女。それを知っているバルバロッサの警告だった。
「分かったよ、気をつける。」
サザビーもくわえ煙草のまま冷静な目をし、一つ頷いて彼の拳に手を当てた。
「おまえはだいたいここに居るんだな、また何かあったら来るよ。」
バルバロッサは再び腕組みし、目を閉じた。サザビーは辺りを一通り見渡してから内皮の窪みを出て、湿気た煙草にもう一度火をつけた。
(聞かれてた___かもしれねえな。)
勘だ。しかしいくら契約があったとしても、これだけの怨恨を秘めた男を野放しにしておくだろうか?
「___」
実際彼の勘は当たっていた。切り落とされた甲賀の耳は、たったいま主人の元に戻ってきたところ。
(鵺に近づけておくのは___後々に響くかもな。)
甲賀は鴉烙の元へと急いだ。
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