1 立て百鬼!
(遅くなっちまったな。)
すっかり日も落ち、外が吹雪き出した頃、髭を蓄えはじめて少し人相の変わった百鬼が自宅へと戻ってきた。彼は早朝からローレンディーニの連邦自警団を訪れていた。法王直轄の治安維持組織、しかも行商の拠点でもある芸術の都ならば、「指名手配者」であるフュミレイの情報が得られるかもしれないと考えてのことだった。
結果は思わしくなかったが、彼は本格的にソアラの思いを引き継ごうと動き出していた。
「ただいま〜。」
ただリュカとルディーには手伝わせていない。事情すら話していない。でも彼らは今日も素直に留守番をしていたようだ。明かりの漏れる自宅のドアを開けると、凍えた体を癒す暖かな空気が飛び出した。
「遅くなって悪かったな、すぐ飯に___」
「久しぶり。」
出迎えたのは元気な子供たちではなく、しなやかな女性だった。黒髪ではあったが、彼女が醸し出す雰囲気に思わずフュミレイと呼びそうになる。しかし彼女の顔だって忘れられない。物腰は少し変わったが、ミロルグはミロルグだった。
「驚いたな、何でいきなりおまえがいるのさ。」
「驚いたのはこっちだよ。私の森でおまえの子供たちが熊に襲われていたんだから。」
それを聞いた百鬼の顔から血の気が引いた。
「なんだって___!?」
「心配いらない、怪我はないよ。今は疲れて眠ってしまったけど、霜焼けも治療しておいた。」
肩に積もった雪さえ払わず、百鬼は自宅へ駆け込もうとする。ミロルグは諫めるように、穏やかな顔で言った。
「___」
寝室。二人並んで小さな寝息をたてている子供たちを見て、百鬼はようやく安堵する。
「ありがとう、二人ともすっかり寝てるよ。」
腰掛けて緑茶を飲むミロルグに礼を言い、百鬼もまた彼女と向かい合うようにテーブルの席に着いた。
「どういたしまして。」
「この辺りにいたのか?」
「そんなに近い場所じゃないけど、ここから南の森だ。よくあの二人だけでこの雪の中を来たと思うよ。」
そこまでリュカとルディーを突き動かしたものとはなにか。百鬼はソアラがいなくなってからというもの毎日のぎこちなさを感じていた。彼でさえそうなのだから、子供たちはもっと悩んでいたのかも知れない。
「ごめんな、いろいろ迷惑かけて。」
「いや、ソアラの奴がまた迷惑を掛けるかもしれないって言ってたから。」
「え!?」
口にしようとした緑茶を吹き出しそうになるほど百鬼はあっけにとられた。
「ど、どういうことだ?」
「聞いていないか。ソアラはたびたび私の所を訪れていた。」
「フュミレイ探しで?」
ミロルグは頷く。
「彼女が天界の使者と出会ったのも、たまたま私のところでだ。偶然が重なった形だが、そのときサザビーも私の所にいた。」
「サザビーも!」
大声を出してしまってから、百鬼はあわてて口を抑えた。あまりうるさくしては子供たちが目を覚ます。
「それじゃあサザビーは___」
百鬼は前のめりになって囁くような声で問いかけた。
「ソアラと共に行った。」
「そうなのか___」
「なあ百鬼___おまえはソアラの代わりにフュミレイ・リドンを探しているのか?」 「いや、そんなことは___」
否定したのは意外だった。ミロルグは百鬼を豪快で、隠し立てしない真正直な男だと思っていたから。それでも彼が嘘をついたのは、フュミレイを捜しているということを認めるのに多少の後ろめたさを感じているからなのだろう。
「私はおまえがそう言うのならそれで納得しよう。しかしおまえの子供たちはおまえの異変をつぶさに感じ取っている。彼らはおまえのことを私に相談しようと雪道を必死になって進んできたんだ。」
「リュカとルディーが?本当にそんなつもりで___」
あの無邪気な少年たちがそれほど多感に物事を察しているとは思えない。だがミロルグの見解は違った。
「子は親を見て育つ。親は子にとって最大の模範だ。その模範に何かの翳りがあると彼らは敏感に感じ取る。ソアラも含めておまえたちのことをいつも観察しているのが彼らなんだ。」
百鬼はしばし沈黙し、一度だけ暗い寝室を振り返った。
「あいつら___おまえの所に何を頼みに行くつもりだったんだろう?」
「父さんを手伝ってくれとさ。」
ミロルグは頬杖をついてニコリと微笑む。ただそれが嘲笑に見えるほど、百鬼は自戒の念に駆られた。
「おまえが悩み、苦しんでいるのをあの子たちは知っている。おまえはフュミレイを捜そうとはしていても、それが正しいことなのかどうかを迷っている。そうだろう?」
相変わらず痛いところをついてくる。百鬼は少しだけ頭を掻きむしり、寂しげに笑った。
「子供たちに悪いってのが一番だ___あいつらの知らない女を捜すことであいつらに苦労を掛けるのは忍びない。それとソアラのこともある。あいつが何も言わず出ていったのは本当に腹が立つんだが___あいつにも相当の覚悟があったんだろうし、それに帰ってくると信じるなら俺はフュミレイを捜すよりも、あいつの足取りを追って、あいつが戻ってこれる環境を造る方が大事かとも思っている。でも___」
「フュミレイのことも気になる___」
言いかけて口籠もった彼の言葉に続けるように、ミロルグが言った。
「ソアラから聞いたよ、おまえは今でも彼女のことが好きだって。」
「!___あいつ、そんなこと言ってるのか?」
ミロルグが頷くと百鬼は唇を噛んだ。
「ただ事実だろう。気になっているのだから。」
「___そうだな、そうかもしれない。」
緑茶を飲み終えたミロルグが立ち上がった。
「私はおまえにこうしろと指図するつもりはない。しかし、おまえの子供たちには多少の愛着もある。彼らにとっての先生らしいからな、私は。」
両親の助けになることを望んだリュカとルディーに戦いを教えたのは他でもないミロルグだ。子供たちの彼女に対する信頼は厚い。
「ただこれだけは言いたい___今ここにいない者のことよりも、子供たちのことを考えてやれ。たとえ誰かを捜しに出るとしても、それはおまえ一人でやってはいけない。子供たちと一緒に捜すんだ。」
「___」
百鬼は無言で何度も頷いていた。
「私はこれで帰る。」
外は雪が強く、もはや戸板を揺さぶるほどに吹雪いている。しかしミロルグには大したことではないのだろう。
「しばらく一緒にいるわけにはいかないか?あいつらも喜ぶ。」
「魔族のあたしによく言うな。」
ミロルグは呆れた様子で失笑した。
「魔族って言っても___」
「断る、ソアラの代役はご免だ。それに彼らにはおまえが強さを示した方がいい。」
強さを示す___その言葉に百鬼は感じ入るものがあった。近頃の彼は強さとは無縁で、思い悩み、弱さばかりを見せていた。だから子供たちは不安を抱いてミロルグのところに駆け込もうとしたのだ。
「さらばだ。」
「ああ、ありがとう。助かったよ。」
百鬼は立ち上がり、手をさしのべた。ミロルグはそれを見てきょとんとしていたが、すぐに握手を交わす。暖かさと共に力強さが伝わってきた大きな掌に、彼女はそれなりの満足を得た。
「お父さんおはよ〜。」
まだボンヤリとした声の挨拶が聞こえる。
「おはよう、昨日は大変だったなぁ。」
「あれ?どうしたのその格好。」
翌朝、目覚めたリュカとルディーを待っていたのは旅装束に身を包んだ百鬼だった。眠い目を擦りながら、ルディーが子供らしからぬ訝しげな目をして尋ねる。
「出かけないか?みんなで。」
「どこに?」
目覚めのいいリュカはポンと手を叩いてにこやかに問い返した。
「世界一周なんてのはどうよ。」
「行くっ!」
二人の食い付き方といったら___百鬼は白い歯を見せてニコニコと笑う子供たちに負けないくらいの笑顔で、二人の頭を撫でた。思えばこうやって笑い合ったのも久しぶりな気がする。そんなことでは二人が不安がるのも無理はないだろう。
「よぅし、なら早速支度してこい!父さんは朝飯の支度をしておく!」
「あさめし!」
「朝食って言わないとお母さんに怒られるよっ!」
「あ、いけね、そうだったな。」
ルディーに叱責されて百鬼は頭をかきながら笑った。やはりこうでなくては。子供たちは元気が一番、でも彼らが元気でいられる環境を作るのは親の仕事だ。
世界一周の旅に特別な目的はない。誰かを捜すというのであれば、それは生き生きとしていた頃の自分探しでもあり、失われかけていた家族の暖かさを取り戻す旅である。ソアラが申し訳なさげに帰ってきたとしても、明るく迎え入れられるように。
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