1 死刑執行!

 「わからんな___」
 天破は悩んでいた。深い皺をさらに食い込ませて。
 (能力としては___榊のところの仙山ならば不可能ではない。はじめから剣を手に玉座の後ろに立っていればいい。だが水虎様では気配を感づかれるだろうし、何よりも一瞬で三本の剣を打ち込むことはできない。)
 剣を感づかれずに壁から取り外し、水虎の背後から誰にも気づかれずに三本同時に刺し貫く。これが可能な能力とはなんだ?
 (視覚や何かの誤魔化しでは無理だ。可能性としては、物体潜伏や透過の能力。一切の破壊もなく地に潜り込んだり、通り抜けができれば可能だ。そう、榊のように闇から現れ闇に消えるのも同じか。)
 ただそれにしても不自然なことが多い。やはり三本同時というところが問題だ。天破は知恵を絞ったが、なかなか妙案は思い浮かばなかった。
 もしこの場にソアラがいたら答えはすぐに出ただろうに___
 剣を取り、背後に回り、三本の剣で覇王を刺し貫く。通常なら数秒はかかるであろう動作も、すべてが一瞬に凝縮されていれば誰にも気づかれない。
 「時」を止めてしまえば、その間の行動は一つの結果でしかないのだから。
 (この場に居合わせた妖魔___我が派では、この暗殺が可能なものはいない。餓門派___なるほど、妙に見覚えのない妖魔が多かったのはそのためか。)
 天破は細筆の先に墨を付け、いくつかの針に名を書き込んでいく。
 暗殺は水虎への近況報告の際に行われた。定期的に行われるこの報告会に、天破も餓門も数人の側近格を連れてくるのが通例だった。しかしあの日に餓門が連れてきたのは、天破も知らない若い妖魔たちだった。
 潮(うしお)、夜行(やぎょう)、朱雀(すざく)、牙丸(きばまる)___
 (この中に___暗殺の実行犯がいるのは間違いない___)
 一つの確証を得た天破は、容疑者について時間をかけて調査しようと考えていた。
 しかし彼を陥れようとしている男の集落が隣であることを考えれば、それでは遅かったのだ。
 ゴゴゴ___
 ここは天破の書斎であり、窓もなく彼の部屋の中でもっとも閉鎖的な空間。震動が響いて初めて、外で異常が起きていると知った。
 「なんだ___?」
 彼の集落「銀殿」は餓門が治める「金殿」と対になっている。集落そのものが巨大な宮殿であり、畑すら建物の中にある。その神殿が揺れているのだ。
 「大変です!」
 勢いよく、彼の側近格の妖魔が書斎に駆け込んできた。
 「何事だ?」
 「餓門の一派が突入を___がっ___」
 健常だったはずのその妖魔は、突然口から血反吐を溢れだした。いつの間にか、彼の肩に乗っかるようにして一人の男が姿を現していた。
 「貴様___」
 前のめりに倒れた妖魔のうなじの辺りに、短刀が深々と突き刺さっていた。現れた男は妖魔の背の上に立ち、ニヤリと笑う。天破は立ち上がり、テーブルの前には護衛の二人が立ちはだかった。
 「餓門派の___潮だったか___」 
 「よくご存じで。」
 潮と呼ばれた男は中肉中背、茶色い髪をしていて顔や髪型にもあまり特徴がない。目が細く鼻が低いことくらいだろうか?
 「ここに何をしに来た。」
 天破は険しい顔つきで潮を睨み付ける。しかし潮は白い歯を見せて微笑んだまま。
 「あんたを水虎殺害の罪で逮捕しに来た。」
 「餓門の使いがか?それは皇蚕の連中の仕事だろう?」
 天破の漆黒の瞳が赤く光る。
 「!?」
 その途端、床に敷かれていた絨毯が躍り上がり、足下から潮を包み込んだ。
 「やれ。」
 天破の声を待つまでもなく、片手を鎌に変化させた護衛の妖魔が絨毯に斬りつけた。しかし手応えがない。切り開かれた絨毯の中に潮はいなかった。いたのは一匹の蝿。
 「その虫を落とせ!」
 天破が叫んだのも束の間、蝿は護衛の妖魔の首筋に止まるとあっという間に元の潮の姿に戻る。変化の瞬間には、短刀が妖魔の首を半分以上切り裂いていた。
 「おのれ!」
 もう一人の護衛が背後から潮に鎌を振るう。しかし瞬時に蝿に変化した潮の前に鎌は空を切り、次に潮が現れた時に護衛の首は血で濡れていた。
 「無駄な抵抗はやめておくんだな、じいさん。」
 潮は細い目をいつもより見開いた。先ほどから終始笑みを絶やすことがない。
 「無駄?ひよっこが何を抜かす___」
 妖魔の死体が跳ね上がるように伸び、潮に襲いかかる。しかし潮は素早く蝿に変身してスルリと逃れた。部屋にあった家具や小物が天破の眼力に呼応して次から次へと襲いかかる。蝿は俊敏にその全てをやり過ごしていたが___
 ビシュッ!
 飛んできた隅の滴が蝿に命中した。筆を手にした天破が頬を歪める。
 「くっ!?」
 人に戻った潮は顔面を隅で真っ黒にしていた。
 「虫取り網と蝿取り紙、君はどちらが良いかな?」
 天破は余裕の嘲笑を浮かべる。それもそのはず、すでに潮の目前にはいくつもの小刀やらなにやらが宙で停留していた。
 「それとも人の姿のまま死にたいか?」
 潮を殺めるのはわけない。たとえ蝿の姿になろうとも、動きの軌跡を限定すれば短刀で突き刺すことだは簡単だ。
 「ねえ、あんたの能力ってさ。」
 「!」
 しかし誤算があった。天破の能力は眼力により物体を自在に操るもの。強力だが、神経は一方に集中することが多い。一対一であれば余計である。だから、書斎の壁の一辺が水のように溶け落ちいてることに気がつかなかった。
 「たとえばそうやっているときにこっちから襲われたらどうするわけ?」
 壁の穴より現れたのは派手な女。桃色の髪に長い睫毛と厚い化粧、肩まではだけた振り袖の着物はとても鮮やかな色づかいだった。
 「貴様は___朱雀か!」
 「おい爺さん!」
 潮が唐突に蝿に姿を変えた。朱雀に気をとられた天破はすぐさま眼力を込め、鋭利な刃が潮を襲う。しかしそれも一瞬のことだった。
 「はいそこまで。」
 彼に近づいた朱雀のしなやかな手のひらが、天破の目を覆った。
 そして___!
 「ぐあああっ!」
 朱雀の手と天破の目の狭間で白い煙が噴き上がり、天破が絶叫した。
 「あたいの手はすべてを溶かす___」
 「うぉああっ!」
 天破が彼女の腕を払いのけるよりも早く、朱雀自らが手を引いた。天破は膝立ちに崩れ落ち、顔を抱えて呻いた。ぼとぼとと、皮膚が溶け落ち、肉汁となって床を濡らす。天破の顔は、目の周りだけ朱雀の手形で真っ赤に焼けただれ、崩れていた。瞼は上下がすっかりと溶接されている。
 「天破の弱点は目だ。視界を奪えば連れ去るのは簡単って、本当だったな。」
 先ほどまで潮を付け狙っていた刃はすべて床に転がっていた。
 「とりあえずこいつを捕まえればお勤めは完了だ。戻ろうぜ、朱雀。」
 「あぁん、あんたがこの爺さん連れてってよぉ。」
 先に立ち去ろうとした潮に朱雀が甘い声を出す。二人は完全に油断していた。
 カッ!
 「っ!」
 立ち去ろうとした潮の足下で舞い上がった短刀が、彼の喉笛めがけて飛んでくる。目を焼かれたはずの天破だが、その額には第三の目が開いていた。
 「このジジイ!」
 朱雀が手を振るうと、その長い爪の先から雫が迸る。強烈な酸の雫は散弾のように天派の額に飛び散り、彼の最後の目も焼いた。
 「大丈夫かい?」
 「ああ、なんとか。」
 潮は襲いかかってきた短刀を腕で受け止めていた。真っ赤な血があふれ出している。
 「ったく、死に損ないが!」
 「ぐっ___!」
 潮に腹を蹴飛ばされ、天破は前のめりに倒れた。彼はこのときすでに覚悟を決めていた。最後に見開いた第三の目は、決して潮の命を狙ってのものではなかった。
 (同士の誰かが見つけてくれればそれで良い___水虎様殺害の実行犯はこの二人のどちらかだ___)
 テーブルの上に広げられた図面、そこにあった針がすべて抜け落ちていた。そしてそのうちの二本は、天井の隅のまるで目立たない場所に突き刺さっていた。その針の玉に記された名は「夜行」と「牙丸」___潮と朱雀の能力では水虎暗殺は不可能と知った天破のせめてもの伝言だった。

 銀城から金城へ、短い距離ではあるがこの移動は大きい。潮と朱雀だけではない、他にも十数人の妖魔により銀城は実質制圧された。生きて抵抗を続けていた者たちも、すべての目を焼かれた天破の姿に戦意を喪失した。そして水虎の片腕は、もう一本の腕の元へと連行されたのである。
 「おお、なんとまあ無様な姿だ!」
 金城の主「餓門」は、広々とした謁見の間に据えられた大玉座にいた。筋骨隆々の巨体は背の高さも、体の幅も奥行きも、圧倒される大きさだった。この巨大な逆三角形体格では服をこしらえるのも骨が折れるのか、それともその肉体美を見せつけたいのか、餓門は上半身裸で鎮座していた。その胸にはいくつもの傷跡がある。
 「だが罪人にはそれくらいが丁度いいなぁ、天破。」
 餓門は大きな目をひん剥いて、己の前に突き出された天破を見下ろす。ゴリラのように飛び出した額と、エラの張ったあごは力強さに溢れていた。だが目の見えていない天破に声にも出さず馬鹿にした仕草をするなど、あまりおつむは備わっていないようだ。
 「貴様になぜ私が裁ける?これを好機と見たのだろうが、私を殺めれば云千云万の同士が貴様を滅するだけだ。」
 天破は少しうつむいたまま、それでもしっかりとした声で吐き捨てた。
 「それがどうした!?俺が覇王となるんだ、邪魔する奴は片っ端から叩き殺せばいい!」
 それを聞き、天破は嘲笑を浮かべた。
 「相変わらず間抜けだおまえは。水虎様が邪魔だったから殺したと自分で言っているようなものだぞ。」
 「___がはははは!」
 一瞬口をつぐんだ餓門だが、すぐに高笑いした。天破も声を上げて笑う。
 「それがどうした!おまえが死ねばなにもかわらねぇ!罪人はおまえなんだよ!」
 「実行犯は夜行か牙丸だろう?」
 「ぐっ!?」
 餓門は根っからの正直者だ。彼が嘘をつけないことは、天破だって良く知っている。だから余計に今回の水虎暗殺、そして次の行動への素早さが腑に落ちなかった。
 「近頃おまえの側には私の知らない妖魔がずいぶんと増えたようだが、誰に唆されてこんなことをしている?」
 天破は目を潰された顔で、それでも餓門をしっかりと見ているようだった。餓門は唇を噛んで玉座の上で身じろぎする。
 「おまえは覇王の器ではない、今からでも罪を正せ。」
 天破の言葉が逐一随をえぐるので、餓門もついに痺れを切らす。そして___
 「黙れぇぃ!」
 立ち上がってその巨大な拳を天破の頭部に叩き込んだ。渾身の一撃は、天破を壁に吹っ飛ばすものではない。破壊力は一点に集中され、天破の頭だけをその場で粉砕していた。
 「ひゅ〜。」
 居合わせた妖魔たちは冷静沈着。潮は凄惨な光景に口笛を吹き、朱雀は爪の手入れをしていた。他の者たちも、ごく当然の光景としてしか見ていなかった。
 「___死刑は済んだ!これで俺はまた一歩覇王に近づいた!」
 餓門の雄叫びが、血塗られた謁見の間に響き渡った。
 「夜行!」
 餓門の声に呼応するように彼の前に黒い霧が立ちこめ、そこからまるで奇術のような鮮やかさで全身を茶色のローブに包んだ男が現れた。 
 「死刑は済んだがこれからどうする?」
 「天破の死を黄泉の全土に正確に伝わるよう、大々的に報じるのです___」
 まるで機械音のような、二重にも三重にも共鳴する声がした。それにあわせ、茶のローブの奥で赤い光が強弱する。
 「なるほどなるほど。」
 餓門は夜行の言葉をそのまま鵜呑みにし、頷いた。潮や朱雀は与えられた仕事をこなす以外に興味はないが、古くから餓門に仕えている妖魔はそうではない。
 「お待ち下さい餓門様、今この旨を報じれば天破派の大反発があることは必至ですぞ。」
 たとえばこの妖魔も新入り夜行の言葉に素直すぎる餓門に疑問を抱いている。
 「反発があって良いのです。淘汰すべき者の洗い出しができる。」
 「才能ありき妖魔を範疇に収めてこそ真の覇王であろう。天破派の妖魔の実力は確かだ、用意も無しに煽ってはあまりにも無策ではないか。」
 事は餓門を新たなる覇王とすることを目的に行われている。水虎暗殺は餓門の主導により行われたが、事実は金城の妖魔だけが知ることであり、煉をはじめとした各地の餓門派妖魔にはあくまで「犯人は天破」として伝えられることになる。天破が犯人と証明する事実はないが、天破が無実と証明する事実もない。実際に殺害方法から彼が疑われていた風潮もある。ともすれば情報の漏洩は餓門の周囲からしかあり得ない。
 「あげ___」
 だからこの妖魔は殺されたのだ。
 「ここまで前進して何を憶するか!我が邁進に口を出す奴は身内といえど容赦はしない!」
 餓門は全身の筋肉に血管を浮き上がらせ、城中に響くほどの大声を張り上げた。この言葉は反発を呼ぶか?いや、それはない。危険分子の徹底排除は、尊敬すべき水虎が辿った道でもあるから。




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