3 その派閥は虫の中に

 「宜しいのですか?奴らは妖魔です。」
 東楼城の玉座に腰掛ける妖魔に、側近であろう老翁が問いかける。
 「見過ごすしかあるまい、奴らは皇蚕の住人だ。それに___別の理由もある。」
 重く、低い声の男は、紅の髪に紅の口ひげを生やした紳士の装い。その色合いに情熱を感じさせる妖魔。口元に皺を畳むこの熟練の妖魔こそ東楼城の主、煉である。
 「ただいま戻りました。」
 謁見の間に清楚な風が吹く。現れたのは花かごを抱えた「あの」彼女だった。
 「おお瑠璃。良く戻った。」
 「今日は素敵なお客様に出会えました。」
 「それはよかった。」
 「それでは花工房に戻ります。」
 「うむ。」
 サザビーが花を買い、瑠璃と呼ばれた彼女はニコリと微笑んで立ち去っていった。彼女は一介の妖人であるが、せっかく手に入れた花の種を精一杯育てている姿を煉が認め、城の中に花工房を拵えて彼女に専従させていた。
 「花を愛でられる穏やかな心を持った男というのは、この黄泉にそういない。淘汰することも無かろう。」
 煉は情熱的であるが心の広い妖魔だ。ただそれを差し引いたとしても寛容な措置。理由は「皇蚕」にある。
 皇蚕の住人たちは、この広大な黄泉にあって覇王水虎とはまた別の意味で一目置かれているのだ。
 「あれか!」
 東楼城の近隣、黒ずんだ森の中に青紫色の小山がある。それが皇蚕だった。森の外に出て貰わなければその全貌は分からないが、遠めにも見える背は所々触覚を生やした蛇腹のようになっている。
 「あの虫の中に住んでんのかよ?」
 「そうよ!」
 信じがたいがそうなのだろう。その芋虫は集落の一つでも食いつぶしかねない大きさで、実際彼が過ぎ去った森には広々とした街道が走っていた。
 「あれを___誰かが操ってるのか?」
 「そう!父様よ!」
 サザビーが度肝を抜かれた顔をしているので、鵺が嬉しそうに手を叩く。
 「皇蚕は黄泉において一つの、そして特殊な派閥と認められている。その長が鴉烙(あらく)様だ。」
 「入り口は頭から数えて七つ目の段々の辺りよ。」
 甲賀の声にかぶせるように、鵺がサザビーの手を取ってはしゃいだ。
 「鵺様、私は砂座に皇蚕の外貌を見せてから参ります。先に戻って鴉烙様を安心させてあげてください。」
 「え〜、しょうがないなぁ。」
 鵺は頬を膨らませながらも、父の待つ巨大芋虫に駆けていく。甲賀は見送るまで笑顔だったが、彼女の姿が見えなくなるとがらりと顔色を変えてサザビーに向き直った。
 「選択の余地をやる。立ち去るなら今のうちだ。」
 「なぜだ?」
 甲賀の恫喝をサザビーは軽く問い返した。
 「おまえは何も知らないから気楽なことがいえるのだろうが、皇蚕の中に踏み込めば、二度と自由はない。それでも構わないのなら、私は止めることはしない。」
 親切で言っているのだろう。この甲賀という男は生真面目で、気高い忠誠心と人情味をあわせ持っている。だがサザビーは成り行きのなかで答えを見つける男。他に行き場のない今、迷う必要はなかった。
 「俺は構わない。今は自由よりも生きる保証が大事だ。」
 あっさりとした答えを聞くと、甲賀はしっかりと頷いた。それ以上の問いを投げかけようとはせず背を向けた。
 「ならば来い。ここならば鵺様に気に入られたおまえの命は確かに保証される。」
 甲賀も自由を奪われた身。するとあのバルバロッサも同じ束縛の中にあると言うこと。どうやら皇蚕の主、鴉烙の能力は絶対的ななにからしい。

 「こっから___入れるのかよ?」
 サザビーは皇蚕の入り口を指さして顔をしかめた。皇蚕の頭部から六つ目と七つ目の甲殻の隙間。そこはヒダが幾重にもなっていて、確かに腕の一般でも押し込めばかなり奥まで入り込みそうではある。
 「苦手な者は苦手だ、しかし不潔ではない。先に行くぞ。」
 甲賀は身体ごと真っ直ぐとヒダに入り込む。するとそれほど広いと思えなかった甲殻の隙間がグッと広がり、ヒダの蠕動が甲賀の身体を内側へと押し込んでいった。
 「あいつだったら大変なことになりそうだな___」
 ソアラだったら鳥肌を立てているだろう。ムカデ嫌いな彼女は、芋虫だって決して好きではない。サザビーは覚悟を決めてヒダに身体をぶつけた。
 (おっ___こいつは___)
 確かに気持ち悪いものではない。なま暖かさといい、柔らかさといい___
 さて、出入り口こそグロテスクではあった。しかし皇蚕の内部はサザビーの想像とは随分異なっていた。
 「壁中うねうねだらけかと思ったら、そうでもないな。」
 紫色の壁は艶を帯びているがぬめりはなく、滑らかな凹凸はあってもごつごつした印象ではない。そこは洞窟の住処とさして変わりがない場所だった。まずこれが本当に虫の体の中なのかと思うほどゆとりがある。壁は時折うごめくし、聞き慣れない音もする、床の部分は踏み固められたわけではないのだろうが平らに近い。そして驚いたのは明かりだ。
 「これは?こいつの体が光ってるってことか?」
 サザビーは天井を指さして尋ねた。
 「そうだ、皇蚕の体内で食物が活力に変わっている証だ。」
 「ってことは燃料の具合がそのまま明かりにつながるわけだな。」
 「そうだ、砂漠を長く進めば、光は弱くなる。」
 光の質は栄光の城で見た不燈火虫に近いが、これは神秘的では片づけられない。サザビーは天井の光に透けて何らかの組織が脈打つように躍動している姿を眺め、嘆息を漏らした。
 「はやくこい。」
 「ん、ああ、悪いな。」
 美女を見つけたわけでもないのに、彼が目を奪われて足取りを緩めるなどそうはないことである。
 「___」
 皇蚕の体内には部屋がある。ただ部屋に見立てているだけなのかもしれないが、その配置は絶妙だ。入り口から長い廊下を進み、行き当たった角を曲がるとそこは少し広くなる。そして両側に、ずらりと横穴のようにして部屋が並んでいた。まるでアパート。何より驚かされたのは___
 「扉があるってのはどうなんだ?」
 「必要だろう。個々人の住居でもあり、倉庫であったりもする。」
 「どうなってんだよ、この虫の中は。」
「もちろん後から取り付けた物だぞ。」
 「取り付けられるってのがわかんねえよ。」
 皇蚕にどれだけの人が住んでいるのかは分からない。それが全て妖魔なのか、妖人もいるのか、それさえも分からない。何より、なぜ皇蚕に住むのだろう。
 ゴゴ___
 壁が少しだけ活発に動き始めた。
 「皇蚕が前進を始めた。」
 甲賀が足を止めて呟いた。どの程度の速度で進んでいるのかは外に出てみないと分からない。体内は驚くほど静かだった。
 「一つ気になるんだが___ここはおまえらの集落と考えていいのか?」
 「集落?いや、派閥と思って欲しいな。しかも、この黄泉の中にあって、特異な派閥だ。」
 部屋が並ぶ広間を過ぎると道は折れ、また廊下に。甲賀は再び歩き出し、サザビーも続く。
 「我々は罪を犯した妖魔を捕らえ、裁く権限を持つ、いや正確には鴉烙様はだがな。」
 「つまり、そういう能力ってことか___」
 甲賀は急に振り返り、サザビーの肩を叩いた。
 「案ずるな、すぐにおまえも知ることになる。」
 多少の覚悟はしておこう。甲賀の話を聞くところ、どうやらこの派閥は「警察組織」だ。

 皇蚕の体内を進み続けること暫く、長い一本道は途中に出口など無い。そして辿り着いた大奥、そこは一つの部屋だった。
 「鴉烙様、新たな同士を連れて参りました。」
 甲賀に連れられて入り込んだそこはあまり広くない。中央にテーブルがあり、壁際には書棚がずらり。奥には扉もない寝室であろう部屋が見えたが、ベッドだ。榊のところとは随分様子が違う。
 「ああ。」
 それにしても皇蚕の主の部屋がなぜ狭いのか。理由は彼の身体にあった。
 「鵺から話は聞いているよ。」
 ギッ___
 車輪が軋む。テーブルの向こうにいた白髪の老いた男は、「車椅子」の向きを変えてサザビーにその顔を見せつけた。
 (こんなジジイが___とんでもない能力を持ってるのか?)
 だがそう思ったのは最初だけだった。白髪ではあるが、鴉烙の目は力に溢れ、口から顎までを覆って長く伸びる白い髭は知性を感じさせる。奥行きを感じさせる表情も含め、仙人とでも呼べそうな風貌だった。なにより足が不自由であろうはずの老人が、これほど自信に満ちあふれているものだろうか?
 「砂座といったな、まずは鵺を守ってくれたことに心からの礼を言わせて貰う。ありがとう。全く、甲賀も風間もだらしがない。皆どうしても娘には甘いのだ。」
 鴉烙から最初に見せた自信漲る威圧感が消える。
 「甲賀、下がっていろ。私は彼と二人で話をする。」
 「はっ。」
 甲賀は気をつけして一つ敬礼し、颯爽と部屋を後にした。
 「さて、娘が君を側に置きたいといっている。君は軽い気持ちでここにやってきたのかも知れないが、皇蚕の中に入ったからには我が派に所属して貰わねばならない。」
 「聞いているよ。ここは罪人を捕らえて裁く役目を持った派閥だって。」
 鴉烙は頷く。
 「鵺を妖魔から守ったのは事実、私は君の実力を評価しているつもりだ。そこで___」
 テーブルの子引き出しを開け、鴉烙は一枚の紙を取り出した。それは墨で書かれたものだろうか、「砂座」と名前が書かれていることは分かったが、他は読もうにも読めない。
 「君に加盟の意志があるのであればこの書類に血判を押していただきたい。」
 「なんて書いてあるかよく分からないな。」
 サザビーはベルトのバックルから小さなナイフを弾き出し、その刃で指に傷を付ける。血の滴を書類の上に落とし、そこに指を重ねた。異変があったのはその瞬間である。
 「!?」
 一瞬であったが、身体、胸の辺りに電気が走ったような違和感があった。
 「契約は成立した。」
 「なに___?」
 鴉烙は血の印が刻まれた書類を取り、サザビーに見せつけた。
 「条項を読み上げてやろう。汝に鴉烙派への所属を認め、任務に当たることを許可する。また、逃亡、裏切り、契約に反した行為については違反条項を適用する。」
鴉烙は続ける。
 「違反条項、代償に汝は命を捧ぐ。」
 能力か___気づいたが、少し遅かったようである。 
 「これが自由を奪う能力だな。」
 「契約は絶対だ。破れば誰の意志にもかかわらず君は死ぬ。そして私が契約違反と判断し違反の烙印を押せば君は死ぬ。契約の破棄は私にしかできない。たとえば___」
 鴉烙が書面を差しだし、サザビーはそれを手に取る。
 「破れ。」
 言葉に従い、サザビーは紙の書面を縦に引き裂く。しかし断面から白い糸が幾重にも伸び、紙はあっという間に元へと戻った。
 「見ての通り、この紙を破れるのは私だけ。」
 「なるほど、罪人には次に同じ罪を犯せば死ぬという契約を結ばせる訳か。」
 「そう。無論、違反条項は死だけではないが代償は常に肉体だ。尽くすことで信頼を勝ち得た者は、契約の条件を良化する。罪の重度によってもだ。例えば、甲賀は契約を破ろうとも命を失うことはない。ただし能力の源である左手を失うがな。」
 確かに、これは見事なまでの束縛だ。この契約に縛られては、誰も鴉烙に逆らうことなどできない。
 (いや、一つだけ抜け道があるか___)
 あいつだ。だから狙われる。
 「鵺が狙われている理由はそれだな。鵺を盾に、契約の破棄を求めようとしている。」
 鴉烙は頷いた。
 「人に命を握られるというのは実に恐ろしいことだ。そうしてでも契約を解きたいと思うのだろう。だから私は捕らえた罪人の契約条項に、『鵺を傷つけない』という言葉を追加した。しかし、直接でなければ違反条項は履行されない。いま鵺を狙う妖魔の大方は、命を握られた妖魔に依頼された者たちだ。」
 「それじゃあ罪人を増やすだけじゃないのか?」
 鴉烙はサザビーの言葉を一笑に付し、首を横に振る。
 「良いではないか。私に命を握られる者が増えるだけだ。」
 この能力は最強と呼んでも良さそうだ。たとえアヌビスであっても、命を賭けた契約に判を押したが最後、究極の束縛を受ける。もっともあの黒犬がそんなへまをすることはないだろう。時を止め、鴉烙に気づかれず別の男の血で判を押すはずだ。
 「しかし鴉烙の契約を知らないとは、あまりに無知だな。」
 白髪の老翁は奇異な者を見るような目でサザビーを笑った。
 「仕方ねえだろ、俺は妖魔でも妖人でもない。」
 「ほう___」
 コンコン___ノックと共に、鴉烙の返事を待つでもなく扉が開いた。
 「お。」
 「!」
 いつもどこでも、驚くことの少ない男が柄にもなく大きく目を見開いていた。振り向いたサザビーと顔を見合わせたバルバロッサは、相変わらず黒一色の服装だった。
 「よう、ひさしぶり。」
 「なぜ貴様がここにいる!」
 怒鳴りはしない。バルバロッサは小さく低い声で語気だけを強めた。
 「来たんだよ、色々あってな。」
 「色々だと___!?」
 「風間、砂座とは旧知の仲か。」
 鴉烙に問われると、サザビーの胸ぐらを掴みかけていたバルバロッサは手を下ろす。
 「異界での勤めの最中に不本意ながら行動を共にした時期がある。」
 バルバロッサは鴉烙の前でも甲賀のように実直ではない。口数の少ない彼がしっかりと答えてこそいたが、態度は依然と変わらなかった。そもそもこの鴉烙、命を握っている代わりに些細な態度の悪さにはこだわらないようである。
 「ほう、すると君は異界から紛れ込んだというのか。」
 「まあそういうことになるな。だから俺は妖魔でも妖人でもないんだよ。あんまり高い要求されても答えられるか分からないんで、その辺よろしく。」
 サザビーの物怖じしない飄々とした態度を見ているうちに、鴉烙は笑顔にさえなっていた。
 「おもしろいな君は。ならしばらく鵺の教育係でも頼むとするか。」
 「主、こいつに任せると鵺の将来に関わる。」
 バルバロッサは鴉烙のことを「あるじ」と呼んでいるようだ。
 「おまえこっちだと良く喋るな。」
 鵺の傍にいるだけで良いのなら、多少疲れそうだが危険はないだろう。程良い任務を不意にするようなバルバロッサの忠告をサザビーが皮肉った。
 「風間、それよりもおまえは相変わらず鵺に甘い。東楼城潜入用の手袋を娘に与えたそうではないか。」
 「あー!父様の嘘つき!風間のこと責めないって約束したのに。あっ、砂座だ!」
 バルバロッサの後ろから、ひょっこりと鵺が飛び出してきた。サザビーに一つ手を振って、彼女はつかつかと鴉烙に歩み寄っていく。一方の厳格に見えた鴉烙は、彼女の姿を見ると豹変した。
 「お〜!何を言うか鵺、私は風間と演劇の練習をしておったのだよ。」
 うわずった猫なで声と、口をすぼめて話す鴉烙の姿、そして言い訳にもならない稚拙な言葉にサザビーは腰から崩れ落ちそうになった。
 「嘘ばっかり!えいっ!」
 「あうっ!」
 鵺にでこピンを食らってもだえている鴉烙。
 「な、なんなんだありゃ。」
 「親バカというか馬鹿だろう。」
 バルバロッサが親子のじゃれ合いを鼻で笑う。先ほど鴉烙は彼に鵺に対して甘いと言ったが、これではまるで説得力がない。
 「行くぞ、これが始まったらしばらくはあのままだ。」
 「お、おう。」
 サザビーは少し戸惑いながらも、バルバロッサとともに鴉烙の部屋を後にした。

 「なぜ黄泉にまで来る。どうせおまえだけではあるまい。」
 「ソアラとミキャックが来てるんだが、色々あって三人ともバラバラだ。俺はたまたま東楼城で鵺とあって、ここに来た。」
 皇蚕の廊下を歩みながら、二人は話し始めた。バルバロッサから会話を切り出すなんて、これまではなかったことだ。
 「目的は?」
 「黄泉に来たことのか?」
 バルバロッサは振り向きもせずに頷く。
 「アヌビスだ。」
 「生きているのか?」
 「らしい。竜神帝にソアラが呼び出されて、俺もそれについて天界に行った。んでどうやらアヌビスが生きていて、そしてこの黄泉に来ている可能性が高いと知ったんだ。ただ本当にいるかどうかは分からないぜ。俺たちはその真偽を確かめるのが役目なんだ。」
 「___」
 バルバロッサは沈黙する。昔からこんな男だが、彼は語らないだけで知恵も働き、見識にも富むことをサザビーは知っていた。
 「心当たりでもあるのか?」
 だからそれを引き出すために問いかけることが必要。
 「いや、ないな。しかし___近頃の黄泉はいつになく混乱している。」
 「アヌビスが来たからかもしれないってわけか___」
 再び沈黙。そういえば___なぜバルバロッサは皇蚕にいるのだろう。鴉烙に束縛されることなど、彼がもっとも嫌いそうなことである。
 「おまえも鴉烙に契約されてんだろ?なんかおまえらしくねえな。」
 皇蚕のなかではいつになく饒舌だったバルバロッサは黙り込み、顔つきを険しくした。
 「俺のことは勘ぐるな。おまえのためだ。」
 そして一言だけつぶやき、それきり口を閉ざしてしまった。
 (因縁か___)
 その態度を見れば多少の推察はできる。だからサザビーもそれ以上問うことはせず、煙草に火をつけた。
 ともかく彼はソアラと同じように拠点を得た。契約に違反しないように行動を慎まねばならないが、皇蚕がパトロールでもするように黄泉を徘徊しているのなら、いずれ彼女と再会することもあるだろう。
 そして___
 (黄泉を動けるならミキャックを探すのには都合がいい。)
 気がかりな彼女の手がかりを見つけることもできるかもしれない。
 命に枷をかけられたというのに彼はいつもと変わらぬ前向きさで、皇蚕での生活を始めようとしていた。 




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