2 飛び出せ扉!

 ひょんなことから知り合った万引き娘だが、随分身なりの良い姿をしている。まずサザビーが彼女に抱いた疑問はそこだった。色染めもしていない布服が目立つ中で、藍に染められた袴と細かな刺繍が見えた装束は格が違う。
 「なあ、おまえ何で万引きしたの?」
 「まんびき?なにそれ。」
 嬉しそうにまじまじと猫の置物を見ている彼女に、サザビーが煙草に火をつけながら問いかけた。
 「いや___何でそれを店から盗ったんだってことよ。」
 「欲しかったから。」
 サザビーは言葉を失い、キョトンとして答えた彼女を見つめる。
 「___なぁ、ちょっとそこで座って話そうぜ。」
 「いいよっ。」
 全く何も分かってない___と考えた方が良さそうだ。サザビーは今まで話したことのないような、子供以上に純真無垢な彼女に調子を崩されて頭を掻いた。 
 「おまえさ、これがお店の売り物だってことは分かる?」
 「えぇ?売り物って?」
 「___」
 そこから説明しなけりゃならんのか___サザビーは苦笑いを浮かべた。
 「商売分かる?」
 「それくらい分かるよ、お金で物を買ったり売ったりするのよね。」
 「まぁそうだな。これはさっきおまえを追っかけてきた人の売り物なんだよ。これを貰うにはそれなりのお金を渡さなくちゃならない。」
 「え〜、そうなんだ〜。」
 全く不思議な娘だ、一つ一つの言葉を噛みしめるように大きく頷き、他愛のないサザビーの言葉を真剣に聞いている。
 「じゃああたしがお金を渡さなかったから怒ってたのね!」
 「そう。」
 飲み込みはかなり良い。どうやら本当に何も知らないだけのようだ。
 「なぁんだ、お金だったらいくらでもあったのに。今度から持ってでかけよ〜。」
 「なぬ?」
 少しずつ彼女のことが分かってきた。
 「おまえ名前は?」
 「鵺。」
 「ぬえ?」
 「こう書くの。」
 鵺は座ったまま上半身を前に倒し、土に指で字を書く。
 「難しいな___」
 「そう?あなたはなんていうの?」
 「俺は砂座。え〜っと、確かこういう字だ。」
 サザビーも鵺がそうしたように、榊に見せられた文字を思い出しながら土に書き起こす。
 「え〜?こんな字ないよぉ。」
 「そうか?」
 「こうでしょ。」
 「あ、なるほど。」
 「フフフッ。」
 鵺は無邪気に笑う。彼女は何も知らない箱入りのお嬢様。しかし気になることは、妖人が果たしてこれほどの地位を築けるのだろうかということ。
 「なあ鵺、おまえ妖魔?」
 「そうだよ。」
 あっけらかんと認めてみせる鵺に、サザビーは少しあきれた。彼女に嘘や誤魔化しは一切なさそうだ。
 「そういえばおまえ煙草嫌がらないね。」
 「父様も吸ってるもん。」
 「おまえの父様は煉とかいうのと関係があるのか?」
 「誰それ?」
 「___」
 どうにもつかみ所がない。ただ分かっていることについては包み隠さず話してくれるようなので、着実に聞いていくことにする。
 「ここの、えっと___東楼城の生まれか?」
 「違うよ。」
 「外から来たのか?」
 「そう!」
 「どうやって?妖魔は検問に引っかかるだろ。」
 その質問を待っていたとでも言うのだろうか。鵺は白い歯を見せて笑うとサザビーにあいてる左手を見せた。十分に観察しなければ分からないが、手相や指紋がぼやけている。
 「秘密の手袋だよ。風間に貰ったんだ。」
 「へぇ___って、風間!?」
 予想外の展開になった。彼女はバルバロッサの本当の名前、風間を口にして見せたのだ。
 「おまえ風間知ってるの!?」
 「え?砂座も風間の友達?あっ___!」
 その時、鵺の右手から陶器の猫が滑り落ちた。
 「よっと。」
 間一髪、上半身を倒したサザビーが地面すれすれで猫を掴んだ。
 (!?)
 足下の大地でなにかが動いた気がした。何かが消えたような___気のせいにも思えない感覚だった。
 「あぁよかった!ありがとう砂座!」
 「おまえ、それ変装だよな?」
 置物を受け取ろうとして身体を倒した鵺にサザビーが問いかける。
 「うん。」
 「もしかして___狙われてたりする?」
 「あ〜、どうなのかなぁ。でも普段はいろんな人が周りにいる。」
 「ハハハ___それは護衛っていうんだ、覚えておきな。」
 「わっ!」
 サザビーは鵺の手を引くと、姿勢を低くしたまま一気に駆けだした。引きずられるように飛び出した鵺も、少し脚をもつれさせながら走る。
 「ちっ___」
 二人がいた石の腰掛けの辺りで、何者かの舌打ちが聞こえた。

 東楼城は煉の息のかかった妖魔が少しいるだけで、後は妖人の住む集落。妖魔が外から入ることはできないはずなのだが、水晶の検問は妖魔を的確に割り出す反面あれが光らなければ妖人と鵜呑みにしてしまう欠点もある。察するに、今サザビーと鵺を襲撃している妖魔も、鵺と同じような手袋でここに入ったのだろう。
 「狙われてる奴が何で一人で集落に出てきたんだ!?」
 「だっていっつも虫の中よ!私だって自由に外に出たかったのよ!」
 (虫___?)
 追っ手の姿どころか、人の気配もなかったので二人は走りを緩めて狭い路地に入り込むと壁にもたれ掛かった。
 「はぁ、疲れた。今日は走ってばっかりよ。」
 お嬢様にしてはなかなか元気がある。鵺は軽やかなリズムで息を付きながら、汗を拭った。
 「虫ってなんなんだ?」
 日頃鍛錬していたわけでもないが、さすがにサザビーはこの程度では息切れしない。
 「皇蚕よ。」
 「おうさん?」
 「えーっ!この辺うろうろしてたくせに皇蚕知らないのっ!?」
 皇蚕と聞いてサザビーが目を丸くすることを期待していたのだろう、無反応だった彼の態度に鵺は怒ったような顔をする。その時___
 ゴガガガガ!
 「!?」
 何か石材の削り取られるような音が響く。反射的にサザビーは壁から背を離し、辺りを見回した。轟音に驚いた鵺は彼の背にへばりつく。
 ボゴッ!
 「うわっ!」
 「っ!」
 鵺の悲鳴と共に、サザビーは激しく後ろに引っ張られた。必死に肩にしがみつく鵺の手が肉に食い込むが、サザビーは精一杯足を踏ん張って堪える。
 「し、下か!」
 サザビーは後ろ手に鵺の腰を掴みながら彼女の足下を見やる。鵺の足下には空洞が開き、毛にまみれた無骨な手が彼女の足首をしっかりと捕らえていた。
 「蹴飛ばせ!」
 「両方捕まれてるのに!?」
 「ならしっかり堪えろ!」
 サザビーは鵺から片手を放し、素早く懐からマッチを取り出すと革ズボンにこすりつけて火を灯す。それを鵺の布帽に宛った。
 「うわわっ!」
 帽子の頂点が燃えさかったところで勢いよく穴に向かって叩き落とす!
 「グオオッ!」
 くぐもった叫びと共に、片手が離れる。すぐさま鵺は逆の足を捕まえる手を蹴飛ばし、逃れた。サザビーはそのまま鵺を背負い上げ、路地を奥に向けて走り出した。
 「足は大丈夫か?」
 「これくらいへっちゃらよ!」
 ゴッ!
 また鈍い音。鵺が後ろを振り向くと路地の大地が盛り上がっていた。
 「うわわっ!地面が膨らんでる!」
 「まだ追ってくるのか___!」
 激しい掘削音とともにもの凄いスピードで膨らみが二人を追ってくる。
 「うわっ凄い!掘ってるのよきっと!」
 そう、追っ手の妖魔は大地を掘り進み二人を追跡している。あの腰掛けにいた時から、奴は二人の足の下で機をうかがっていたのだ。それにしても背中の鵺が妙にはしゃいでいるのが気になる。
 「おまえ能力は!?」
 「え?」
 あまり期待はできないかも知れないが、聞いておくべきだ。サザビーもある程度の呪文はできるが、破壊力はないに等しい。多少戦闘術に長けただけの妖人に過ぎないと言っても良いだろう、だからこそ鵺に期待する必要があった。
 「何か能力があるんだろ?妖魔なんだから!」
 「使ってもいいけど___どうなるか知らないよ。」
 「はぁ!?」
 路地を抜け、開けた景色にサザビーが走り込む。しかしそこは広い檻に過ぎなかった。
 「はじめから追い込まれていたらしいな。」
 「え〜、本当に?」
 辿り着いたのは鳥獣さえ見あたらない寂れた墓地だった。四方を白壁で囲まれ、出入り口はこの路地だけ。もはや見捨てられた墓場なのだろうか、雑草が繁茂し、砕けた墓石がいくつも転がっていた。
 「どうする?あたしを突き出せば砂座は逃げられるよ?」
 サザビーが足を止めて迫り来る膨らみに向き直ったので、鵺はあっけらかんと尋ねた。
 「まさか。」
彼女があまりに軽々しく大胆な質問をするので、サザビーは思わず失笑する。
 「大丈夫よ、たまに浚われそうになるけど風間と甲賀が助けてくれるし、それに父様が絶対許さないから。」  
 背が軽くなった。鵺は地に降り立ち、両足首についた土を患わしそうに手で払った。
 「ま、乗りかけた船だ。俺は精一杯やるよ。おまえはその猫ちゃんでも大事にしてな。」
 サザビーは鵺が大切に抱く陶器の猫の頭を撫で、改めて隆起に向き直ると剣を抜いた。
 「___逃げ場はないぞ。」
 隆起は墓場の入り口で止まっていた。深みのある低い声を響かせ、土を破り、巨大な爪を有した毛むくじゃらの手が飛び出す。そして大地から蘇る不死体のようにして、土にまみれた風変わりな男が姿を現した。
 「モグラ___」
 それがサザビーの第一印象。男の両腕は毛むくじゃらで、外に捻れている。腰布こそ撒いていたが、顔以外は全て茶褐色の毛で覆われていた。人間離れした容姿。しかし棕櫚が額に角を生やしたりするように、妖魔の中には変身能力を持つ者もいる。
 「てめえどういうつもりだ?俺たちに恨みでもあるのか?」
 サザビーは知らぬを装い、男を睨み付けた。しかし男は獣のような目でじっと鵺を見ている。
 「貴様に恨みはないが、俺は鵺を連れ去りに来た。」
 目的は鵺だが彼女の命ではない。それは確かだ。
 「名前は?」
 「半蔵。」
 ゴバッ!名乗るや否や半蔵は大量の土を巻き上げて、土の中へと潜り込む。激しい掘削音が地鳴りとなって響いた。
 「気障な奴だな。」
 サザビーに緊迫は似合わない。半蔵が何をしようと彼は慌てはしなかった。
 「潜っちゃったよ、どうするの?って、わっ!」
 サザビーは剣を治めると、鵺をヒョイと担ぎ上げた。わめこうとした彼女の唇に指を当て、沈黙を促す。
 そのころ、墓場の地中深くでは。
 トストストストス___
 冷え切った暗黒の中で半蔵は全身の毛をそばだて、地に響く音を感じ取っていた。
 (ククク___足音が一つ___しかし重い足音だ___鵺を負ぶっているな?そんなことで欺けるとでも思ったか?)
 トッ___
 (墓石に乗ったな___)
 半蔵は笑みを抑えられない。地に潜られたことで動揺し、あたふたする敵の姿を感じるのは最高。それを全てお見通しといった風でほくそ笑む瞬間がたまらないのだ。
 (そして俺が地から飛び出した瞬間、相手の恐れおののく顔もな!)
 音がなくなった。墓石の上で音を殺して様子を伺おうというのだろう。半蔵は音の余韻から狙いを定め、自慢の爪を光らせた。
 土を掘り進み、骸を掻き落とし、墓石を突き破って一気に奴らを飲み込む!
 はずだったが。
 「あれ?」
 墓石を砕いて飛び出したそこには誰もいなかった。そればかりか___
 グサッ。
 「へ?」
 突然のことで半蔵はその瞬間何も感じなかった。己の右肩を見やり、ようやく劇的な痛みが襲ってきた。
 「ぎええええっ!」
 半蔵が悲鳴を上げる。その肩には真っ直ぐ落とされた剣が突き刺さっていた。
 「あ〜惜しい。」
 「凄い、本当に出てきた!」
 墓の側には枯れ木が立っていた。見た目には今にも折れそうな弱々しさだったが、実際はかなりしっかりしている。何しろ大人の男女二人が枝に乗ってもびくともしない。
 「ぎえっ!」
 剣の柄には縄が結ばれている。木の上からサザビーは強く縄を引き上げ、痛みに悶える半蔵の肩から飛び出すように剣が抜けた。
 「ひいいっ!」
 毛を血まみれにし、半蔵は元来た穴を土の中へ戻っていく。鵺はその姿を見て陽気に笑っていた。
 「ねえ、あいつがここに飛び出してくるってどうして分かったの?」
 剣についた血を振るい落とし、鞘に収めたサザビーに鵺が問いかけた。
 「長年の経験ってとこか?」
 地中で頼るものは聴覚と、それから震動くらい。その程度の想像は簡単なことだ。ポイントは墓石に乗ってから木に登ったこと。墓石に逃れたという「思わせぶり」が効果的だった。
 「あれ?何か揺れてない?」
 枯れ木が大きく揺れはじめた。鵺は腰掛ける枝を片手でしっかりと捕まえ、もう片方の手では猫の置物を大事そうに抱く。
 「折るつもりか___!」
 木の根本の土がどんどん盛り上がり、激しい掘削音が轟いた。地中では半蔵が枯れ木の根を叩き切っていた。
 「鵺、手を伸ばせ!」
 「うん___あっ!」
 サザビーの差しだした手を取ろうした鵺だったが、激しい揺れで逆の手から猫の置物が転げ落ちてしまった。
 「まって!」
鵺は反射的に枝から飛び降りた。思った以上に身のこなしが素早い。彼女は地面すれすれで置物を掠め取った。しかし___
 「ガハハハッ!」
 「!」
 地を破って半蔵が飛び出し、易々と鵺を捕まえた。
 「鵺!」
 サザビーが木の上から半蔵に向かって飛びかかる。彼を見上げた半蔵の頬は餌を溜め込んだリスのように膨らんでいた。
 「っ!」
 サザビーが身を翻すよりも早く、半蔵が口から大量の土を吹き上げた。土が目に入り込み、バランスを失ったサザビーは倒れそうになりながら地に降り立つ。
 「砂座!」
 鵺の悲鳴が危機を知らせたが視界は戻らない。すぐに頭部へ鈍い痛みが走った。投げつけられたのは砕けた墓石か、地味な攻撃だが体に響く。石は立て続けに投げつけられ、サザビーの肩や脇腹に食い込んだ。
 「く___」
 頭部になま暖かさが広がり、意識が混沌とした。四つん這いから肘を折れて前のめりに倒れたサザビーを見て、半蔵は笑い、鵺は奮い立った。
 「うあああっ!」
 「なに!?」
 音だけでは状況が分からない。悲鳴とは違う鵺の勇ましい声と、あっけにとられたような半蔵の声。サザビーは額に伝った血と一緒に目の回りの土を拭い落とし、痛みを堪えて見開いた。
 「!?」
 視界に飛び込んできたのは扉だった。鵺と半蔵の間に大きな木製の扉がある。
 「なんだこいつぁ!?」
 前触れもなく大地から飛び出した扉は、鵺と半蔵の狭間に割って入り、二人を引き剥がした。自由を取り戻した鵺は素早く身を翻して一つ後方に退き、半蔵はただ目の前に飛び出しただけの扉に苛立ちを感じていた。
 「邪魔くせえ!」
 半蔵は力強い拳を扉にたたき込む。扉は勢いよく開き___
 ドバババババババババ!!!
 「!?」
 サザビーは驚愕のあまり目の痛みを忘れた。なぜか開かれた扉から大量の水が噴き出したのである。それはまさに「怒濤」。荒れ狂う大波は半蔵を一飲みにし、扉から広角に墓場を海に変えていく。
 「な、なんなんだこりゃ___」
 その様を落ち着いてみていたのは鵺だけ。扉は彼女の前で幻だったかのように消えていく。しかし噴き出した水はそのままだった。
 「鵺___これがまさか___」
 「言ったでしょ、何が起こるか分からないって。」
 身を屈めていた鵺が立ち上がり、ハンカチを水で濡らすとサザビーに寄ってきた。
 「おまえの能力か___」
 「あたしは扉を呼び出しただけ。そのあと何が起こるかはあたしにも分からないんだ。だから父様からは使うなって言われてるの。頭、大丈夫?血ぃ出てるよ。」
 「ああ、大したこと無い。」
 鵺からハンカチを受け取ったサザビーは、顔に張り付いた土を拭い落としていく。彼が元気そうなのを見て、鵺は屈託無く微笑んだ。
 「ゴボゴボ___」
 「おっ。」
 半蔵が掘った穴に大量の水が入り込み、水面はまだ落ち着き無く揺らめく。そこにいくつかの泡が噴き出してきたことに気づき、サザビーは鵺にそっと耳打ちをした。
 「グハァッ!ゲホッ!こ___こんなんで穴が掘れるか!」
 息も絶え絶えに顔を出した半蔵は、びしょ濡れの手で怒りを込めて水を叩く。
 「頭きた!ガキだと思って手え抜いてりゃあとんだ妖魔だ!」
 半蔵は勢いよく飛び出すと体を震わせて水を跳ね飛ばし、鵺とサザビーを探して辺りを見渡した。
 「そこか!」
 枯れ木の影から鵺が覗くのが見えた。半蔵は爪をペロリとなめ上げて、水浸しの墓場を一気に駆けだした。
 「!」
 しかし彼はすぐ踏みとどまることになる。
 「はぁいストップ。」
 枯れ木の向こうから身体半分ほど現れた鵺は、サザビーに後ろ手に拘束され、首に剣を宛われていた。
 「な、なに!?」
 訳が分からないが止まらなければならない。何しろ半蔵の役目は鵺を殺すことではなく、浚うことだ。
 「こいつの命が惜しかったら一歩下がれ。」
 「な、なんだと___!?」
 知恵の足りない相手で良かった。半蔵は戸惑いながらも一歩下がり、その瞬間、枯れ木に隠れたサザビーの右手が縄を放した。
 ゴッ!
 一秒としないうちに、木の上に吊されていた墓石が半蔵の頭に落下した。半蔵はパッタリと泥の上に倒れる。石を括っていた縄は、木を渡してサザビーの手に握られていた。はて、では剣は?
 「ははっ!やった!」
 鵺の右手に握られていた。身体半分を隠した他愛のない見せかけである。適当なところで半蔵を踏みとどまらせ、後は微調整するだけ。
 「普通こんな手には引っかからないぜ。」
 サザビーは今にも剣を振り回さんばかりにはしゃぐ鵺から剣を掠め取った。さて、勝利の一服でも___と思いきや、半蔵もしぶとい。
 「ぐぅ〜。」
 しかし半蔵もしぶとい。後頭部を押さえながら何とか肘を張って立ち上がろうとする。だが結末はあっけなく訪れた。
 「___?」
 最初に気づいたのはサザビーだった。すっかり泥水になった水面を死体のそれとは明らかに違う、生々しい血の気のある腕が半蔵の側に流れてきた。とにかく腕だ。肘までもないところで切断された腕がプカプカと浮いていた。
 「なんだ?」
 腕は四つん這いになる半蔵の真下に流れ着いた。掌を下にして。
 「!?」
 翻った腕には煌めく短刀が握られていた。突然躍り上がるように水面から立ち上がった腕は半蔵の喉笛を真一文字に切り裂く。血反吐と共に呼吸音がヒュウと半蔵の喉で鳴る。腕は休む間もなく短刀を半蔵の胸に突き立てた。一度、二度、三度!
 「なんだありゃ___腕だけだぞ!?」
 腕だけが舞い踊って半蔵を殺す。その腕は人肌だが、断面は白い絵の具で塗りつぶされたようになっていた。
 「甲賀だ!」
 鵺が飛び跳ねて喜ぶ。彼女の視線を追うと、墓場の入り口から一人の男が駆け込んできた。その男、精悍で実に凛々しい顔立ち。若々しく、真正直さを感じさせる男らしい男の風体。
 ただ、右腕がない。
 「甲賀〜!」
 鵺が大きな身振りで手を振って彼に呼びかける。
 (いたか___しかしあの男は___?)
 サザビーはあからさまな視線を感じた。甲賀と呼ばれた妖魔は明らかにサザビーを訝しがりながらも近づいてきた。
 「鵺様、ご無事で何よりです。」
 驚いた。甲賀が血の池に浮かぶ半蔵の横を過ぎると、あの腕が舞い上がり、吸い付けられるように彼の右腕へと戻っていったのだ。
 (こいつの能力か___やれやれ、妖魔ってのはとんでもねぇな。)
 サザビーもつくづく呆れるばかりだ。千切れた腕はすでに何事もなかったかのように甲賀の身体と繋がっていた。
 「砂座があたしの猫を守ってくれたのよ。」
 「猫?」
 生真面目な顔で首を傾げた甲賀に、鵺は陶器の猫を見せた。彼女の愛らしい笑顔を見て、甲賀は力が抜けたようにため息混じりの笑みを見せる。
 「そうでしたか、それはそれは___」
 だがサザビーに振り向くと一変して厳しい視線を宿す。これが護衛というものだろう。
 「ご苦労だった、礼の代わりといっては何だが___これで今日のことは忘れて欲しい。」
 言うなり甲賀は懐から鶏の卵ほどの金塊を取り出し、サザビーに握らせた。
 「扉のことをか?」
 カマをかけてみる。案の定、甲賀は殺気の籠もった目で至近距離からサザビーを睨んだ。
 「殺されたくなければ全てだ。」
 「___わかった。」
 本気だと感じたからサザビーも頷く。榊にしてもそうだが、緊迫した世界の住人というのは冗談を受け入れるほど心にゆとりがない。
 「ううん、忘れることないよ砂座。」
 だが二人の張りつめた空気に鵺が割って入った。
 「ねぇ甲賀、砂座は風間の友達なんだって。皇蚕に連れて行ってあげようよ!」
 「なっ___いけません!」
 鵺が突拍子もないことを言い出すので、甲賀は血相変えて声を荒らげた。しかし憮然とした鵺の顔を目の当たりにすると、すぐに身を強ばらせる。
 ズッ___
 大地から、まるでタケノコのように扉が生えてきた。
 「わ、分かりました___しかし鵺様から旦那様にしっかりとご説明してください。旦那様がお許しになるなら、私も認めましょう。」
 それを聞くと鵺はニッカリと笑い扉を消した。なるほど、ただでさえお嬢様な彼女をこの扉がさらに我が儘にしてしまっているようだ。それにしてもこんな彼女に気に入られたというのは___
 (ちょっと先が思いやられるかな?)
 成り行き任せなサザビーでもそう感じてしまうところだろう。




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