1 東楼城
「まぁなんというか、相変わらずついてるな、俺。」
と、独り言を漏らしたのは他でもないサザビーである。榊の「闇影の歪み」に飲み込まれ、黄泉の闇の中をほんの少し彷徨って吐き出されたのが___
「はい寄ってらっしゃい見てらっしゃい!」
「ねえもう少しまけられないかね?」
朱幻城とは比較にもならないほど、活気と熱気にあふれた集落だった。
闇の中の短い時間、空の高みに放り出されるのかと心配する余裕もあったサザビーだが、闇色の雲が体にまとわりついて彼をゆっくりと集落ほと近くの高台に舞い降りさせた。そこで早速目にとまったここにやってきたわけである。
シュ___
とりあえず煙草に火をつけ、サザビーは市場外のはずれにあった樽に寄りかかりながら一服する。故郷ゴルガが隆盛だった頃の商店街を思わせるほど、そこは人で溢れ、賑やか。人々は外見的に、髪の色や身長体格が様々で見ていて飽きないが、おそらく売り手も買い手も妖人なのではないだろうか?仙山らの話から推測すると、妖魔はプライドが高く、おそらくここまで群れることはない。
(能力があるから自分も相手も警戒しあうのが妖魔だ。しかし種族格差のある世界でここは何だ?)
巨大な堀に囲まれた集落に、サザビーは火鉄門という入り口をくぐって入った。入り口で妙な水晶を触らされる検問があったが、簡単に許可された。検問官によると、この集落は「東楼城(とうろうじょう)」という名だそうだ。
「お花いかがですか〜?」
人混みから少しはずれたところで、涼やかな花売りの声。視線を送れば、赤茶色の髪を腰丈まで伸ばした清楚な女性が花かごを手に笑顔を振りまいている。サザビーは煙草を樽に擦りつけると、早速彼女の元へと歩み寄った。
「一つもらえるか?」
「ありがとうございます!」
サザビーが声を掛けると、髪を靡かせて振り向いた彼女は満面の笑みでお辞儀する。
「三結になります。」
「ゆう?あ、悪いがこれでもいいかな?」
竜神帝から貰った路銀用の宝石はソアラが持っていたが、実はサザビーもミロルグの元を訪れるまでの路銀代わりに持ち歩いていた。決して大粒ではなかったが、そのきらめきを見ると花売りは驚いて拒否する。
「そんな、こんな高価なもの受け取れません___」
「あ〜、ならその花全部貰うよ。それとちょっとここがどんなところか聞かせて欲しいんだ、旅をしていてついさっきここに辿り着いたばかりなんだよ。」
「はぁ___それは、まぁ。」
女性は訝しがるようにサザビーから目をそらしたが、それでも小さく頷いた。サザビーは彼女に不安を抱かせないように、近くにあった人目に付きやすい噴水のほとりで話を聞くことにした。
「ここは見たところ妖人ばかりの集落みたいだな。」
「???何も知らないでここに来られたんですか?」
最初の問いかけから的はずれだったのだろう、花売りは素っ頓狂な顔をしてサザビーを覗き込んだ。
「ああ、何も知らないんだよ。」
「でも旅をされているんでしょう?あれ?妖人なのにあてもなく旅をされてるんですか!?」
花売りは立ち上がらんばかりに驚いた。確かにサザビーも同じ立場だったら驚くだろう。妖人が黄泉を旅するなんて、野ウサギが猛獣の草原を駆けるようなものなのだ。
「うん、まあそんなところだな。」
サザビーはばつが悪そうに笑ってごまかす。
「この集落には門から入られたんでしょう?空からじゃ煉様が通すわけないし___」
「煉(れん)っていうのは?」
「煉様のことも知らないんですか!?」
清楚に見えて彼女はなかなか活発なようだ。商売の顔を持っているということか?
「だから最初に言っただろ?ここのことを何も知らないから教えて欲しいって。」
「本当になんにも知らないんですね___ちょっと警戒しちゃいました。」
サザビーのあまりの無知さを不憫に感じたのか、花売りは丁寧に東桜城のことを教えてくれた。
まずここの頭首は「煉」。餓門派の中でももっとも理知的で、情熱に溢れ、律儀で、水虎でさえ敬意を表したといわれる妖魔だ。水虎の死に涙し、集落の者たちも涙して悲しみを分かち合ったという。彼が仕切るこの東楼城は別名「妖人の園」と呼ばれている。煉は己と、そのもっとも信頼を寄せる数人の家臣を除き、この集落には一切の妖魔の進入を認めなかったのだ。社会的地位を得られず、己の生きる道に希望を見いだせない妖人たちに、自立のできる環境を与えたい。その人民愛の心が東楼城である。
「すると、この集落で暮らしてるのは妖人ばかりなわけか。」
「門を潜るときに水晶に触れさせられましたよね?あれは妖魔が触れると赤く光るんです。」
空を飛んで侵入を試みようとする妖魔もいるそうだが、それは堀が守る。堀に張られた水は写紋水(しゃもんすい)と呼ばれ、その上を過ぎ去った者の像を十夜に渡って記録する。そもそも侵入を煉や家臣が簡単に許すはずもないが、もし侵入者を見逃したとしても像を頼りに徹底的に調べ上げ、追放するそうだ。
「水虎様が亡くなられたでしょう、それからというもの身の危険を覚悟でここを目指してやってくる人が増えたんです。ただ緊張状態ですから余計に道すがらで命を奪われる人も多いみたいで___煉様も嘆いておいでなんです。」
妖人が殺されることは開戦のきっかけにならない。それが改めて格差を感じさせる。
「ここにはその煉と少しの妖魔しかいないんだろう?狙われても防衛力には限界がありそうだな。」
「大丈夫です。煉様はとてもお強い方ですから。水虎様が黄泉に一つの安定をもたらす前も、ここは何度となく侵略を受けたそうですが、すべて煉様のお力で勝利を収めています。」
強く、優しく、しかも己の信念を曲げない頭首には求心力が自然と付いてくる。もちろん妖魔の中には煉を嫌う者もいるだろうが。
「君もどこか他の集落からやってきたのか?」
「ここの生まれです。」
「ふ〜ん___」
サザビーは花を口元に近づける。甘い香りが広がった。
「花なんて咲いてるんだな。」
「種をいただいたんです、その人は他の集落の妖魔のところで働いていたんですけど、その妖魔がコレクションしていた芸術品が盗まれて、かわりに泥棒がたくさんの花を残していったそうなんです。」
「ほぅ___」
花を残す泥棒か___植物、犯罪者とくれば、サザビーが思い描いたのは当然あの男である。
「主人の妖魔は花をすべて燃やそうとしたらしいんですけど、その人がこっそり少しだけ鉢に移し替えて、やがて種が取れたそうなんです。素敵でしょう?」
「全部貰ったら悪いかな?」
「いえ、私の方こそこんな___」
まだ宝石をしっかりと握れないでいる花売り。
「なあ、朱幻城ってのはどっちにあるか分かるか?」
「朱幻城って___あの遠方のですか?」
「あ、遠いの?」
近所だったらしめたものと思っていたサザビーだが、当てははずれたようだ。
「雑貨屋さんにそれなりに遠くまでの地図があるんです、見に行きます?」
「そうだな、頼むよ。」
二人はそろって立ち上がり市場の方へと歩き出す。そのとき___
「待てぇっ!こら待てぇ!誰かそいつを捕まえてくれぇ!」
少ししゃがれた男の声がする。
ドンッ!
「きゃっ!」
二人が振り向いたところに、ちょうど布の帽子を深く被った何者かが市場の雑踏から駆けだしてきた。小柄な___少年だろうか?花売りにぶつかってよろめきながらも猛然と走り去っていく。
「大丈夫か?」
転倒して花をばらまいてしまった花売りをサザビーが気遣う。しかし走り去っていた少年にも気を取られていたのは確かだ。
「待て待て待て待て!万引きだぁ!おわぁっ!」
「ぎっ!?」
遅れて小太りの男が人混みから飛び出してきた。そしてサザビーに激突し、二人はもんどり打って絡み合う。
「いでで___」
「こんなところで何してやがる!見失っちまうだろっ!」
サザビーの上にのしかかるようにして倒れた小太りの男は、唾をまき散らしながら怒鳴りつけた。
「あいつを捕まえるの手伝え!」
「分かった、分かったから早くどけ!」
男は飛び起き、サザビーも顔に弾いた唾を拭って立ち上がる。
「ごめんな、ちょっと行ってくる。」
幸い激突の難を逃れた花売りに微笑みかけ、サザビーはまだ後ろ姿の見えた少年を追うべく走り出した。
(あんまり早くねぇなぁ___)
少年は逃げ足が早くない上に、少しスタミナにも難がありそうだ。サザビーは見失わないどころか、どんどん距離を詰めていく。ただ一方で、小太りの男はもっと遅い。
(それにあの走り方___)
走り慣れてはいないようだ。脚がもつれずに走り続けているのが奇跡的にさえ思える。
「よし。」
小太り男はすっかり置いていかれている。周りは住宅街だろうか?建物はあるが人の気配がない。ここなら___と思い立ったサザビーは一気に加速した。
「!」
いつの間にか横に並んできた男に気づき、少年は必死の形相で加速しようとする。しかしサザビーは難なく彼の左腕を捕まえた。
「このっ!」
少年が上擦った高い声を上げ、サザビーの股間を蹴りつけようとする。しかしそれを予測していたサザビーが膝を上げて難なく受け止めた。彼の右手には工芸品らしきものが握られていた。
「はなせ!」
手を振りほどこうとする少年だったが、サザビーは落ち着いている。
「心配するな、俺は味方だ___お嬢さん。」
そう、彼ではない。走り方や、体型を見ればある程度分かる。暴れて帽子が落ちたことで、推測は確信に変わった。ピンが外れ、椿の葉のような艶のある深緑の髪が広がる。まだ幼いが、彼女の目鼻立ちのはっきりとした凛々しい顔立ちは可愛いと呼ぶよりは美しいと思わせるものだった。気の強そうな目つき、サザビーはまだ抵抗があるだろうと思っていたが___
「なぁんだ〜、味方なの?良かった〜。」
「は?」
彼女は心からホッとしたような笑みを見せ、全く無警戒にサザビーの肩に手をかけると前屈みになって荒い息を整えようとする。何か隙を狙っているのか?と疑いたくなってしまうほど、味方という言葉を信じきっている。
「おぉっ!捕まえたなっ!」
息も絶え絶えになりながら、小太りの男が汗だくになって追いかけてくる。
「うわっ!しつこいよ!何で追いかけてくるのさっ!」
「いや、待て待て。」
何で追いかけてくるという言葉が妙に引っかかったが、サザビーはとりあえずあの男を諫めるのが先と考えた。
「おまえ何取ったの?」
「これよ、素敵でしょ。うわ、そんなこと言ってる暇ないよ!」
彼女が見せたのは陶器で作られた猫の置物だった。あまり高価なものではなさそうだ。
「心配するな、俺に任せておけ。」
必死に逃げ出そうとする彼女に言い聞かせ、脚を震えさせながらようやく辿り着いた小太りの男に向き直る。
「おい、お疲れのところ申し訳ないが、ここはこれで納得してもらえるか?」
サザビーは汗にまみれた男の手に宝石を一つ握らせてやる。怒りに眉をつり上げていた男も、それを目の当たりにすると驚きで目を丸くして、ゼェゼェと息をしながらもすぐに笑みを見せる。
「そう言うことでしたら___まあこっちも商売で___」
「良い運動になったろ?あいつに感謝しておいてくれ。」
「へへっ、分かってますぁな、旦那。」
小太りの男は物陰から彼を睨み付けている少女にも手を振って、ふらつきながら来た道を帰っていく。サザビーは振り返って少女に親指を立てるポーズをした。すると少女もニッカリと微笑んで物陰から飛び出した。
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