2 堕ちた天使

 「おまえたちはなぜこんなところをうろついている。餓門の名も知らないとは、よほど田舎の妖魔か?」
 仙山はサザビーと同じくらいの背丈だが、細身のせいかより高く見える。こけた頬をなぞるような長髪は頭の真ん中から左右へと分けられ、後ろ髪は背の辺りで結わえている。細くて吊り上がった目に薄い唇、高い鼻、どこを見ても尖った男だった。
 「いや、まずその前に名前を聞くとしようか。」
 彼はマントを翻しながら七色に彩ると、茶色にして身に纏う。その容姿はともかく、能力は実に鮮やかだ。
 「えっと___」
 妖魔の名前がちょっと特殊なのはソアラも知っている。自信家の棕櫚は構わずに本名を名乗っていたが、バルバロッサは素性を悟られないためか風間という名前を隠していた。ソードルセイドの人々の名に近いものがあるから、一か八かで偽名を使ってみるのも手だが。
 「サザビー。」
 「うっ___」
 あいにく、ここにも自信家がいた。
 「さ、ざ、び、い?」
 仙山は顎を突き出しながら、明らかに不振そうな目をしてサザビーの顔を覗き込んだ。
 「あ、あたしはソアラ___」
 名乗るや否や睨まれて、ソアラは苦笑いする。
 「奇妙な名だな、おまえたちの田舎はそんな名前をつけるのか?」
 「う〜ん、まあそういうことになるかしら。」
 間違ってはいない。確かに二人の故郷ではこれが普通の名前なのだから。
 「やはりおまえたちはどこか変だ、私の主に目通りさせるつもりでいたが、どうやら少し調べた方が良さそうだな。」
 仙山はただでさえ細い目をさらに鋭くして、目の前に並ぶ二人を代わる代わる睨み付けた。
 「改めて聞くがここで何をしていた?」
 サザビーに視線を送ると、彼は任せると言わんばかりに顎でソアラを差した。
 「仲間とはぐれたの、背中に白い翼のあるレディよ。」
 「___さあ、私は黒塚の報せに常に耳を傾けているが、そんな侵入者はいなかった。黒塚は縄張り意識が強いから、見知らぬ鳥には酷く攻撃的になる。そんな女が舞い込めば気づくはずだ。」
 そう言うと仙山は空に腕を伸ばす。すると一羽の黒塚がその大きな翼を羽ばたかせて彼の腕へと降りてきた。
 「ギィィヤッ!」
 けたたましい鳴き声でソアラたちを驚かせた黒塚は、その首に小さな宝石をぶら下げている。
 「彼にはこの辺りの黒塚を仕切ってもらっている。私の愛鳥、吉良(きら)だ。」
 吉良は仙山の肩へと飛び移り、胸の辺りの羽毛を嘴で解しはじめた。
 「吉良に聞いてもらえません?そう言う人を見なかったかって___」
 ソアラに呼ばれたのが分かったのか、吉良は顔を上げて右に左に首を傾げた。
 「___か、可愛い〜。」
 間近で見るとクリッとした瞳が実に愛らしい。ギュッとしたくなった衝動をなんとか抑えたソアラだったが、知らずと笑顔になっていた。
 「知らないようだな。その女の名は?」
 「えっと___ミキャックっていうんだけど___」
 「みきゃっく?やはりおまえの田舎は何かがおかしいな。どの辺りから来たんだ?」
 吉良を空へと帰した仙山は、ますます訝しげに二人を伺う。それにしても困る質問だ。ソアラはたまらずサザビーに目配せするが、彼は素知らぬ顔で煙草に火をつけていた。
 「どこから来た?それが言えないのでは考えねばならない。餓門の土地から来たというのなら、いろいろ扱いが変わってくるからな。」
 仙山はソアラを見下ろすようにして顔を近づけ、詰問する。悩んだあげくソアラが出した結論は「誤魔化してもしょうがない」だった。
 「上から来たのよ。」
 仙山は眉間に大量の皺を集め、黙り込んだ。
 「からかっているのか?」
 「違う違う!本当に上から来たのよ、別の世界から来たの!」
 ソアラは必死に訴えるが、仙山はまるで信じていない。
 「馬鹿馬鹿しくて話にならないな。やはり貴様たちは餓門の刺客か___?」
 そればかりか、また足下から土色に染まりはじめている。臨戦態勢に入ろうとしていた。
 「この世界にあたしたちの敵が、とんでもない奴が逃げ込んだっていうから、それを追いかけてきたの!」
 「口の減らないやつめ___」
 確かに信じてもらえるわけがない。かといって仙山が「餓門」という奴のことを警戒して今ここにいるのは間違いないのだから、話しに嘘を織り交ぜることもあってはならない。どうするべきか?ソアラが頭を捻っていると___
 「棕櫚って妖魔のことなら少し話せるが。」
 サザビーが唐突に言った。白い煙を空に噴き上げながら。
 「なに___」
 そして仙山はその名前に如実な反応を示した。
 「いま誰と言った?」
 「棕櫚。俺たちは、故郷で棕櫚と一緒に旅をしていた。」
 仙山の顔色が明らかに変わった。彼は背を正し、咽頭が動くのがはっきり分かるほどに唾を飲んだ。
 「なるほど___おまえたちの話は信じた方が良さそうだ。」
 「棕櫚を知ってる顔ね___」
 「知ってるもなにも___」
 仙山は引きつった笑みを浮かべた。
 「奴はほんの十夜も前まで我が主の元にいたのだ。」
 「!」
 何とも偶然に恵まれているものだ。棕櫚は重罪を犯して黄泉から追放されたのだから、こちらでは有名かもしれないと考えてはいた。ただそれにしたって、いきなり彼の足取りをたどれる土地と人に巡り会うとは。
 「我が主も交えていろいろと聞きたいことがある。」
 「あたしたちも聞きたいことがいっぱいあるわ、何しろこっちのことは全然分からないんだから。」
 仙山はしっかりと頷いて踵を返した。
 「付いてこい、榊様の元へ案内する。」
 ミキャックのことは心配だった、しかし今はこの無鉄砲な旅に一筋の道筋が生まれたことが正直に嬉しかった。ソアラとサザビーは一度だけ手を叩き合って、虎鋏に気をつけながら仙山の後に続いて一本道を進んだ。

 どうやら仙山はこの辺り一帯の警備を担当しているらしい。彼の能力は自らの体に自在な彩りを乗せるだけでなく、虎鋏や蛇にそうしたように、物体や生物にも自在に色を塗ることができる。
 「へぇ___」
 ソアラは目前の布きれに手を触れて感心しきりの顔をしていた。それは、本当に目の前まで近づかなければ、布に描かれた絵画であるとは全く気づかないほど精巧なものだった。離れてしまえばただの道沿いの森でしかない。
 「何で離れると立体的に見えるんだ?」
 「それが錯覚というものだ。我々妖魔であっても、おまえたちのように目を頼りにする者が多い。己の目で見るまでは信じないという言葉を口にする者がいるだろう?目で見るというのは、耳で聞く、鼻で嗅ぐなどの感覚よりも上位にあるのだ。」
 仙山が布をたくし上げると、その向こうには道が続いていた。
 「でもこれって、あなたの絵が下手だったらどうにもならないよね?」
 秘密の道に足を踏み入れるなり、ソアラが仙山に問いかける。すると仙山は失笑して答えた。
 「それほど稚拙な能力ではないよ。視覚をだます能力でありながら、私の能力も視覚あってのものなのだ。つまり、目で見たものそのままを描き出すことができるわけだな。」
 「おまえ良く平気で自分の能力をばらすね。」
 能力者にとって己の能力は何よりの秘密なのではないだろうか?そう感じたから、サザビーは呆れたような口調で尋ねた。
 「正直、おまえたちとは敵対したくない。特におまえとはな。」
 仙山に横から指をさされ、ソアラはニッコリと微笑んだ。仙山も自分の能力に自信を持っているから、それくらいのことを語るのにはためらいはないのだろう。それに彼は、まだ能力のすべてを見せたわけでもないように思える。
 「ねえ仙山、この道って空から見たら分かっちゃうよね。」 
 「それは仕方のないことだ。だが空を飛んではおまえたちのように黒塚にたかられてしまう。それに、程度の低い妖魔の多くは飛行ができない。」
 「森の中は?」
 「行きたければ行ってもいいぞ、命がいくつあっても出てはこれないだろうがな。」
 「あ、そう___」
 そんな言葉を交わしながら進んだ先、道が少し開け、その先にある何かがはっきりと見えるようになった。
 「赤い屋根___」
 目立ったのは、森の中に突き出た大きな赤い屋根だった。
 「我々の集落、朱幻城だ。」
 赤よりも少しオレンジに近い、実に鮮やかな色彩の大きな屋根が見える。その両端には銀色の___鳥だろうか?なにやら立派な彫像が陣取っていた。
 「あの銀色のはなに?」
 「黒塚の彫像、城の頂点に構える守り神、夜雀(やじゃく)だ。」
 新しい文化との遭遇にソアラの胸が高鳴る。自然と足取りは速まった。

 一方そのころ___
 「___」
 傷ついた翼も痛々しく、ミキャックは大きな滝を臨む岩場に身を潜めていた。爽快な水の粒子が清らかな風となって彼女の体を撫でるが、ミキャックはそんな場所には似つかわしくないほど険しい顔をしていた。滝の轟音でかき消されてはいるが、空には黒塚が十数羽飛び交っていた。まるで彼女が再び舞い上がってくるのを待つように。
 「っ___」
 岩にもたれていた体を起こすと、岩肌にうっすらと血が移り込んでいた。
 手が放れた瞬間、景色が変わり、たった一人で黄泉にとばされたのだと確信したミキャック。見知らぬ世界への恐怖感に苛まれながらも、持ち前の反骨精神でまずは妖魔の居場所を求めて空を舞っていた。そこをいきなり黒い鳥の集団に襲われたのである。
 鋭い爪と嘴で翼を狙われ、羽を毟られたミキャックはたまらず眼下に見えた滝へと急降下した。黒塚はそれ以上追ってこなかったが、純白の翼には赤い血染みが広がり、酷く羽が乱れた。
 (ここにいてもしょうがないな___)
 傷は呪文で塞いだのだから、いつまでもじっとしているわけにもいかない。彼女は身をかがめながら、岩場から臨む森へと足を踏み入れた。先ほど空から様子を見た限りでは、この森の向こうにはなにやら道のようにまっすぐと走る草原が見えた。とりあえずそこを目指す。
森へ飛び込んだミキャックは、暗い中で目を凝らしながら、慎重に足下を選びつつも早足で進んだ。天族は飛行や滑空を武器とするが、こういう込み入ったところは苦手だ。翼を枝に引っかけないように注意が必要だった。
 「はじめからこれじゃ___思いやられる。ソアラとサザビーはどうなったんだろう、こっちに来ているのかな___」
 過ぎたことだが、あのとき中途半端な良心の呵責でサザビーの手を放してしまったことを後悔する。と、同時にこの試練を報いと受け取るのも彼女だ。ソアラのように新天地を楽しむ柄ではない。
 それは我慢強くもあり、自虐的でもある。そしてこういう性質だからこそ、苦難を選び、問題に遭遇してしまうのだろう。
 「ハッハッハッ___」
 聴覚には自信がある。何かを聞きつけたミキャックは、森の中で腰を落としてピタリと止まった。翼を寝かせ、音を妨げないようにする。
 「ハッハッハッ___」
 息づかい___獣の息づかいだ。そして軽やかかつ力強く俊敏に、大地を捕らえる足音。その足取りに重厚さは感じない。しかし地を這うように、森の中に潜む獲物をめがけて、獣が___一匹ではない、複数迫っている。
 (狙われている!)
 頭数は三匹だ。そこまでは分かった。同じ方向から着実にミキャックへと迫ってくる。身の危険を感じたミキャックは魔力を解放した。上にはあの忌々しい黒い鳥がいるから、森の中を低空で飛ぶ!
 (これだけ正確に私を見つけられたのは臭いしかない。だったら___!)
 ミキャックは素早く滑空しながら翼を大きく羽ばたかせ、あえて木から飛び出した枝と接触させた。すると羽は枝に食いつかれたようにして、数本がそこに引っかかって残る。
 「よし___!」
 今度は血で染まった羽を引き抜くと、まったくあさっての方向へ投げつける。そして自分は小さな沢の畔につきだした岩の後ろへと飛び込んだ。苔むした大岩はしっとりと濡れていて、沢が生み出す爽やかな香りを吸っている。十分な隠れ蓑になると考えた。しかし___
 「えっ!?」
 岩陰に飛び込んだ途端、目前に白い輝きが降り注いだ。
 「ぐっ___!?」
 突然のことでミキャックは我を失った。光の輝きは強烈な冷気を伴い、彼女の顎から口にかけてを硬直させる。一瞬のうちにミキャックの口、顎、鼻を覆うように氷の塊が蔓延った。唇が裂け、舌までが固められる感覚、呼吸がつまり、ミキャックは喘いだ。必死の形相で見たのは、怯えた顔、それでも決死の覚悟を秘めた顔でミキャックに手を突き出す少年の姿だった。少年はボロ服一枚の酷く見窄らしい姿をしてはいたが、真っ青な髪と、雪のように白い肌はあまりに印象的だった。
 「絶対に掴まらない!」
 少年は腹の奥底から絞り上げたような、力強い声で言い放つ。誤解だ、彼は追われていて、ミキャックを追っ手と勘違いしている。ミキャックは精一杯首を横に振るが、氷が頬を越えて目まで達しようかというとき、溜まらずその手に炎を灯した。
 ゴガッ!
 ミキャックは己にアッパーを見舞うようにして、顔を覆い尽くそうとする氷の塊に拳を打ち付けた。拳の輝きと共に、氷の中に炎が流れ込んでいく。口元に隙が生まれ、彼女は呼吸を取り戻したが、まだ舌を固められて言葉を発することはできない。それどころか少年の気迫に任せて、氷はすぐに再生をはじめる。
 誤解であることを伝えなければならない。ミキャックは必死にドラゴンブレスの魔力を込めて、呪拳を氷にたたき込む。しかし氷の再生とは互角の速度でしかなく、呼吸を保つのが精一杯。そんなとき___
 「グルルルル___」
 苔むした岩の上。大きさは狼よりもずっと小さいが、それでも剥き出しにした牙の大きさは中庸界では見たこともないほどの凄まじさ。凶器に近い暴力性を携えた犬が唸りをあげていた。
 「!」
 先に気づいたのはミキャック、しかし彼女はそれを告げることが出来なかった。
 「グワアッ!」
 「えっ!」
 あっという間だった。青年の肩が凶悪な犬の鋭く長い牙に刺し貫かれる。冷気が止まり、ミキャックは一気に氷に炎をたたき込む。
 「この!」
 そして倒れて動かない青年になおも食らいついて放れない犬に向かって、その拳をたたき込んだ!
 「呪拳!プラド!」
 拳は犬の首筋の辺りに深く食い込む。それだけでも相当なダメージはあっただろうが、呪拳はここからだ。
 ボウフッ!
 犬の首から頭にかけて、亀裂と共に皮膚が弾け、鮮血が舞った。急所を破壊された犬はすでに眼球が回転し、即死していた。
 「しっかりして!」
 ミキャックは犬の口をこじ開けて、ピクリとも動かない少年の肩から牙を抜き去ってやる。まさかあの一撃で簡単にも命が奪われたのか?いや、青年はこの状況にあって、死とは違う安静状態にあった。それは、睡眠とでも呼べそうなほどに穏やかだった。
 「これは___」
 興味が警戒心を犠牲にしていた。ミキャックは背後から迫っていた犬に全く気づいていなかった。先ほど音を聞きつけた時は犬が複数であると分かっていたのに。
 ガブッ!
 「くっ!?」
 翼に激痛が走った。左の翼の下、その根本の辺りに犬が食らいついた。激痛に顔を歪める暇もなく、反撃に転じようとしたミキャックだったが___
 「う___」
 次にはもう身体から力が抜け、落ちてくる瞼をどうすることもできなくなっていた。犬の牙には麻酔毒が秘められていたのだ___一噛みで獲物をものにできる、そうでもないと獣でさえ生きられない世界なのかも知れない。
 「あらぁ、とんだ拾い物。」
 眠りに落ちる間際、ミキャックは女の声を聞いた。
 「あ〜、牙狼(がろう)が一匹やられてますぜ。」
 「これにくらべたら安い安い。さあ運びな、茶坊(さぼう)。」
 「こいつどこの妖魔でしょかね?」
 「その翼、さしづめ堕天使ってところかしら?」
 誰かが身体に触れる、そこで意識が途絶えた。ただ声の主はこの青年の追っ手であり、その一人、部下らしき男の名は茶坊。それだけがミキャックの記憶に焼き付いた。




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