3 悪魔のメロディー

 良く晴れていたその日、シュバルツァーの人々はすがすがしい朝を迎えていた。まさか突如として町にモンスターが溢れかえるとは、誰一人として想像もしなかった。城は瞬く間に喧噪に包まれ、兵たちは慌ただしく武器を取った。
 「いったいどこからこれほどのモンスターが___まるですでに島内に身を隠していたかのようだ___!」
 ラゼレイはテラスで城下の殺伐とした光景を見下ろし、戦慄した。そこから見下ろしただけで、様々なモンスターの荒れ狂う姿が嫌と言うほど目に止まる。すでに城の兵隊長に掃討の指示を下したが、モンスターの数は想像以上だ。
 「フォルクワイア殿!」
 謁見の間を臨むテラスに三人の天族が駆けてきた。
 「我々も応戦したい!よろしいか!?」
 彼らはいずれも別の島から逃亡してきた天族の頭首たちだった。
 「敵がどこから現れたのか全く分かりません、どうかここまで紡いできた命を決して無駄にはなさらぬよう!」
 「お心遣い感謝いたす!」
 三人の中で最も年上であろう口髭の天族が胸を張って答えた。そして三人は翼を広げてテラスから飛び出し、城の周囲で待機していた配下の兵たちも空へと舞い上がった。
 「私にも何かできることはないか___」
 ラゼレイも武芸の嗜みはある。だが島の頭首である自分には武芸以上の貢献の仕方があるに違いないと彼は考えた。
 「?」
 モンスターの咆哮、人々の悲鳴、爆音、その中であまりに不釣り合いなメロディーがラゼレイの気を惹いた。
 「これは___?」
 音楽である。戦意をかき立てるような、テンポの速い旋律がシュバルツァー全体に響いている。
 「見晴らし塔からか?」
 音の出所はすぐに分かった。しかしこの曲の意味するところはいったい何か?
 「いやだ!あたしも戦うの!」
 「駄目ですよーっ!」
 思案を巡らせていると室内からヒステリックな声が聞こえ、ラゼレイは踵を返した。そこでは外に飛び出そうとするルディーをトーザスが必死に押さえつけていた。
 「どうしました?」
 「あ!ラゼレイ様!ルディーちゃんが戦いに行くと言って聞かなくて___あっ!」
 と、トーザスが気を緩めた瞬間にルディーは彼を振りきって走り出す。
 「お待ちなさい、ルディー。」
 その行く先にフォルティナが手を伸ばして立ちはだかった。驚いたルディーは天界で見つけた母にぶつからないよう、慌てて急停止した。
 「どうして止めるの!?」
 「今行くべきではないからです。」
 「なんで!町が壊れちゃうよ!?」
 フォルティナはいつになく厳しい顔でルディーを見つめた。
 「町では我々の兵、そしてシュバルツァーにやってきた多くの島の兵たちが戦っています。あなたまでもが町へ向かうことはありません。」
 「でも___」
 「我々には城を守るという重大な責務があります。あなたのお父様が帰るための場所、この城を守り抜くことが我々の務めです。」
 ルディーは唇を結んで俯く。
 「共に戦いましょう。」
 「___うん!」
 顔を上げ、力強く頷くルディー。幼子とは思えない意志の籠もった瞳に、フォルティナは今更ながら彼女が竜の使いの子であることを実感した。
 「あなた、敵は必ずやこの城に攻め入ります。」
 「うむ。城の守護を固めるだけの兵力は残っている。トーザス殿も力を貸していただけますか?」
 「も、もちろん!」
 トーザスは胸を張って答えたが、口がうまく回らない辺り少し頼りない。だがラゼレイにはそれでも十分だった。颯爽と玉座に駆け寄り、肘掛けにはめ込まれた水晶に手を触れる。
 「城の守護兵に告ぐ!なんとしてもこの城を、シュバルツァーを死守する!」
 その声は城中に響き渡った。
 「うおおお!」
 束になって襲いかかる翼の生えた蛇。しかし勇猛なる天族は大槍の一薙ぎであっという間に蹴散らす。シュバルツァー一の大通りでは天族の一団がモンスター相手に奮闘していた。
 「恐るるに足らん!モンスターたちをうち倒せ!」
 幻夢は本からモンスターたちを実体化させる。しかし描かれたモンスターの強さまでは計れない。ペイデルウッドの魔竜は物語のキャラクターで、その強さがはっきりしていたが、どうやら今度の本のモンスターたちはそれほど凶悪でもないらしい。ただ、今回に限ってそれは大きな問題ではなかった。
 大事なのは数。とにかく大勢のモンスターで、大勢の天族に相手をさせることが大事だった。もう一つは自滅を避けるために炎を使わないモンスターでなければならない。火が不要となる明るい時間を選んだのも、多々羅が前もって竜舎へ向かったのも___そのためだ。
 「隊長!シュバルツァーの竜騎兵がやってきました!」
 「おお!心強いではないか!」
 大通りを城の方向から陸竜の一団がテイマーを背に乗せてやってくる。天族の兵団は雄壮な竜騎兵の姿に心を躍らせた。グライティエンルンを駆るダイアン・シス・エンデルバインの翼竜部隊ほどではないといえ、シュバルツァーの竜騎兵も誉れ高き兵団。否応なしに志気は高まる。
 「さあ!一気にけりを付けるぞ!」
 「はっ!」
 戦場に鳴り響くメロディーも、彼らの耳には心地よいリズムにしか聞こえなかった。しかし、前もって多々羅の歌をじっくりと聞いていたら話は別だ。
 「グアアアォォ!」
 竜の咆哮は味方を鼓舞する雄々しき叫び。しかし今日は違った。
 「う!?うわああ!」
 「ぎゃああ!」
 同志の悲鳴に兵団を率いる隊長は狼狽した。しかも振り返ったそこでは、シュバルツァーの竜騎兵が血走った眼で同志の命を奪っていた。
 「こ、これはいったい!?」
 状況を理解する暇もない。陸竜の一団は力強い四つ足で戦車のように猛進し、天族たちを蹴散らし、踏み潰し、あっという間に隊長さえもその波にのまれた。何とか飛び上がって逃れた天族も、竜の背に跨るテイマーが放つ矢の餌食となる。
 彼らは紛れもないシュバルツァーの兵士。しかし、タティアナの歌を聴いた。多々羅の傀儡と化した彼らの瞳には狂気だけが宿っていた。
 「うおりゃああ!」
 しっかりと武装した兵士が城へと押し寄せてきたモンスターに向かって剣を振るう。施錠の用意の無かった城門は、モンスターたちに簡単に突破された。しかしそこから少人数ながら天族たちが踏ん張っていた。
 「つああ!」
 城の守護兵は鋭い太刀筋で馬面のモンスターの胸を切り裂いた。モンスターは低い声を上げて倒れる。
 「妙ではないか!?」
 すぐさま別のモンスターに剣を向け、精悍な顔の守護兵が言った。
 「なにが!?」
 両手の小さな斧を振り回しながら、図体の大きな守護兵が問い返す。
 「こいつらには血も涙もないのかということだ!」
 「血___そうか、確かに血が流れていない!」
 それだけではない、先ほど胸を切り裂かれた馬面のモンスターが傷をそのままに立ち上がってきた。
 「ゾンビか!?」
 「いや、そうにも見えないが___」
 「まだ来るぞ!」
 門の向こうから鎧を纏ったリザードマンが大挙してやって来る。その数に守護兵は怯んだが、戦う以外に手はない。
 「何としてもここで食い止めるぞ!」
 「おお!」
 意気上がる守護兵たち。だがそんな彼らの足下をすり抜けて、何者かが飛び出した。
 「なっ!?」
 「子供!?」
 「ルディー殿か!」
 現れたのはルディー。彼女は自信満々に守護兵の前に立ちはだかっていた。
 「ドラゴフレイム!」
 その両手が目映く輝き、門に向かって真っ直ぐに炎が走る。炎は馬面のモンスターや、リザードマンの群れを飲み込んでいく。守護兵が斬りつけても斬りつけても立ち上がってきたモンスターたちは、驚くほどあっけなく炎の渦に包まれた。
 「こいつら炎に弱いみたいなのよ。ほら、上でも。」
 そこからは謁見の間に近いテラスの様子が見える。襲いかかる鷲に似たモンスターにトーザスが炎の呪文をお見舞いしていた。
 「なんと___」
 ルディーの言う通り、モンスターたちは炎の中で嘘のように簡単に朽ち果てていく。まさに紙が燃えていく速さだ。
 「あちっ!あちちっ!」
 ところが、どうやら紙でない人物も近くにいたらしい。
 「む?あれは!」
 「バーフェルヘイツ殿!」
 重い鎧でうまく浮上できないバーフェルヘイツは、門の辺りで尻に火を付けながら翼をばたつかせていた。
 「ミゼルグェストの兵団もこのシュバルツァーのために戦ってやろうというのだ!その旨をラゼレイに伝えるためにやってきた!」
 尻に少し焦げ跡を付けながらバーフェルヘイツはいつもの大声でまくし立てる。恩を売って優位に立とうという下心が見え見えだ。
 「感謝いたします。ルディー様、バーフェルヘイツ殿を頭首の元にご案内いただけますか?この状況、お一人で向かわれては場内の者が混乱しかねません。」
 「大丈夫、火に弱いと分かればここは我々で十分です。」
 このヒゲ親父のことが嫌いなルディーは目一杯の渋い顔をする。だが結局承諾し、幼子に先導されてバーフェルヘイツはシュバルツァー城へと消えていった。
 「入ったわ。」
 「順調だな。」
 その瞬間、多々羅と迅がほくそ笑んでいたことは誰も知らない。

 「急ぐぞ!」
 再会の喜びも束の間。険しい顔の百鬼とリュカを乗せた翼竜が、ダイアンのグライティエンルンを先頭にゲンペストラインを飛び立つ。他の翼竜たちも、性骨に操られていた女性たちを運ぶための一頭を残し、全て飛び立った。
 目指す場所はシュバルツァー。ゲンペストラインの水晶にラゼレイから知らせが入ったのは、ダイアンたちが到着してすぐのことだった。
 「目一杯急いでどのくらいだ!?」
 翼竜の背から百鬼はダイアンに問いかけた。
 「半日は掛かる!」
 「間に合うのか___!?」
 百鬼は焦れていた。天界最大の島の危機、そして何よりもそこにルディーがいる。手綱を取る手にも自然と力が入った。しかし、翼竜の一団の足を引っ張る者がいる。
 「クェアッ!」
 百鬼を乗せた翼竜が空中で止まってしまった。前に進もうとしているが、うまくいかない。
 「何事だ!?」
 他の翼竜も、空中でそれ以上前に進めなくなってしまった。
 「クルァァ!」
 「足だって!」
 翼竜の声を聞き、リュカが異変の正体を突き止めた。見れば翼竜の両足に薄白い帯のようなものが巻き付いている。
 「なんだありゃ!?」
 百鬼が驚いているのも束の間___
 「ぐっ!?ぐああ!」
 「ぎゃああ!」
 後ろで悲鳴がした。振り向いたその時には、最後尾の翼竜の背にいた兵士たちが血を吹き出しながら果てのない空へと落ちていた。そして翼竜の背には不気味な容姿をした男が一人。
 「なんだかよぉ、島を間違えたらしいんだよな。シュバルツァーってのはどっちだ?」
 丸顔で七分方はげ上がった頭を叩く、その男の腕は四本。頭知坊である。
 「妖魔か___!」
 性骨や竜樹の仲間と見抜いた百鬼は呻いた。急いでいるときにとんでもない相手に捕まったものだ。
 「この化け物め!」
 後ろから二番手の翼竜の背から、シュバルツァーの武装兵が飛び出した。
 「ほい。」
 しかし頭知坊の四腕のうち細い腕から白いものが吹き出すと、あっという間に彼らを絡め取ってしまった。糸は動けずにいる翼竜の体にまで伸び、天族たちを宙に固定する。
 「蜘蛛___こいつは蜘蛛か!」
 頭知坊の大きな体は細い糸の上を簡単に歩いた。
 「見るな___!」
 百鬼はリュカの目を手で隠す。その時、頭知坊の斧は糸に捕らえた兵士の頭を砕いていた。
 「グライ!」
 このままではまずい!ダイアンが愛竜の首を叩くと、グライティエンルンは長い首を折り曲げて自らの脚にまとわりつく糸に炎を吹いた。火は瞬く間に糸を駆けめぐり、焼き消していく。
 「ぬおっ!?」
 炎が効く。そう知ったグライティエンルンは炎を広く飛ばし、翼竜たちを糸の呪縛から解く。すると頭知坊の身体の支えも消えた。
 「危ねえぇ。」
 慌てて引き石を呼びつけ、事なきを得た頭知坊。しかし翼竜たちはすでにシュバルツァーの方向へ飛び去ろうとしていた。
 「今はシュバルツァーを目指すことが先決だ。」
 ダイアンの言葉に百鬼も異論はなかった。だが、事はそう簡単にいかない。
 「グルァァ!」
 グライティエンルンが嘶く。それは警戒の声だった。
 「新手か!」
 正面の空に妙な飛行編隊の影がある。
 「___ありゃどこかで見覚えが___あっ!」
 双眼鏡を覗き見た百鬼は、編隊の中心を飛ぶ色鮮やかな怪鳥の背に、魔女のような風体の老人を見つけた。
 「明るいうちに出てきて正解じゃな!赤い竜を打ち負かせば大手柄と効いたぞ!」
 百鬼をゲンペストラインまで吹っ飛ばした男。ザキエルだ。

 「なんと___」
 「本当なのですか?」
 「間違いありません___兵士たちが同士討ちをしているんです!」
 トーザスは半ば錯乱した様子でテラスから叫んだ。そこからはシュバルツァーの竜騎兵が仲間たちを蹴散らしていく姿がはっきりと見えたのだ。
 「なぜそのような___」
 ラゼレイは険しい顔で腕組みをする。謁見の間には三人しかいない。敵は炎に弱いと伝えるため、多くの兵士が城下へと向かったのである。
 「何か原因があるはずです!とにかく、もう少し様子を見てみます。」
 「わかりました。こちらもまずは帝様との連絡を取りましょう。」
 トーザスはテラスへ向かい、ラゼレイはフォルティナが手にする水晶に念を込める。しかしけたたましい足音と大きな声が彼の集中を断ち切った。
 「ラゼレイ殿!」
 いつの間にやらルディーを追い越し、バーフェルヘイツが謁見の間へと駆け込んできた。そして彼の言葉がラゼレイを驚かす。
 「私も戦おうではないか!」
 「まことですか___!」
 「このような状況で黙っている私ではないぞ!」
 バーフェルヘイツの正義感にラゼレイは心が打ち震える思いだった。
 「ありがたい!感謝いたします!」
 頑固であっても子供ではない。ラゼレイはバーフェルヘイツが差し出した片手を握るために、彼の前へと進み出る。和解を祝して、互いの手を結び会うために。
 「!」
 だが、差し出されたのは手ではなかった。
 シュッ!
 バーフェルヘイツは剣を煌めかせていた。その切っ先に僅かに赤い滴が付く。
 「バーフェルヘイツ___殿___?」
 咄嗟に後ろに飛んで刃を逃れたラゼレイ。しかし片手は腹部に宛われ、服に血染みが広がっていく。切っ先は彼の腹を掠めていた。
 「あなた___!」
 白い装束に広がる赤にフォルティナの声も上擦った。
 「ぐおおお!」
 バーフェルヘイツは獣のような雄叫びを上げてさらに剣を振りかぶった。素早い動作ではなかったが、手負いのラゼレイの背後は玉座で封じられている。
 「プラド!」
 幼い声が謁見の間に響き、白熱の球体がバーフェルヘイツの背中を直撃した。
 「くっ!」
 背で巻き起こった爆発に押し出されたバーフェルヘイツは、剣を翳したまま玉座に突っ込む。咄嗟に横っ飛びしたラゼレイだが、衝撃で傷口が広がり顔をしかめた。
 「なにすんのよこのヒゲ親父!」
 プラドを放った張本人、ルディーがバーフェルヘイツの背中に怒鳴りつける。ラゼレイの元にはフォルティナが駆け寄っていた。
 「ぐうぅ___」
 呻き声を漏らし、口からは涎を滴らせ、バーフェルヘイツは焦点の定まらない目で向き直った。ルディーは狂気じみた彼の眼差しに怯みもせず、その手に魔力の輝きを満たしてキッと睨み返している。
 「どうしました!?」
 しかしそうさせるのはソアラと百鬼の血が成せる業。彼女は決して戦いのセオリーや、駆け引きを知っているわけではない。テラスから舞い戻ってきたトーザスに気を取られ、バーフェルヘイツから視線を逸らしてしまったのもそのためだ。
 「ぐああ!」
 「!___あっ!」
 再びバーフェルヘイツに目を移したその時、彼は渾身の力でラゼレイとフォルティナに向かって長剣を投げ放っていた。
 「離れろ!」
 極短い一瞬だった。しかしルディーにはとても長い時間に思えた。剣の切っ先はラゼレイに回復呪文を施すフォルティナに向いていた。彼女は迫り来る剣に硬直することしかできず、ルディーは慌ててプラドを放とうとするが間に合うはずもない。
 フォルティナを救えるのはラゼレイだけだった。そして彼は身を挺してでも妻を守る、そういう人物だ。
 「っ___!」
 ラゼレイの背に深々と突き刺さった剣は、その右胸から切っ先を覗かせていた。ゆっくりと倒れるラゼレイの姿に、フォルティナもトーザスもルディーも、言葉を失っていた。
 「うあああああ!」
 ラゼレイが倒れ、剣が跳ね上がった瞬間、ルディーが絶叫した。
 「あああああ!」
 全身が総毛立つルディー。その両手に満たされた魔力は怒りと共に、プラドの白熱球の乱射と変わった。完全に我を忘れ、魔力の限界すら忘れ、彼女は怒りを爆撃に変えた。
 「___なさい!もうおやめなさいルディー!」
 「はっ!」
 気が付いたとき、彼女の身体を後ろからフォルティナが抱きしめていた。ルディーの全身は滝のような汗に濡れ、興奮で広がっていた瞳孔が元に戻る。目の前には粉塵が立ちこめていた。しかしテラスから吹き込んだ風がそれを運ぶと、瓦礫の中に惨たらしい姿で倒れるバーフェルヘイツの姿が露わとなった。
 「___あ___あたし___」
 それはショックな出来事だった。最近理知的になって自分の過ちの大きさを理解できたから、余計に混沌の坩堝に落ちた。フォルティナは露骨にガクガクと震えるルディーを抱きしめる。だがそれも特効薬にはならない。
 「まだ生きています!」
 バーフェルヘイツに近寄ったトーザスが声を裏返して叫んだ。それを聞いたルディーはハァと塊のような息を吐いて、膝から崩れ落ちた。
 「ルディー___」
 彼女はフォルティナの腕の中で意識を失っていた。閉じた目から大粒の涙が頬を伝った。
 「ラゼレイは___無事か___」
 トーザスは回復呪文を施しながらバーフェルヘイツの顔わ覗き込む。彼の顔は酷く拉げ、それまでの面影を消していた。歪んでしまった口元から血を滴らせながら、バーフェルヘイツは声を絞り出した。
 「何とか一命は取り留めました。この危機を乗り越えれば復活できるはずです。」
 「そうか___良かった___ぐぅ___!」
 バーフェルヘイツは呻き、血反吐を吐き出す。身体の至る所の皮膚が破け、肉が抉れ、トーザスの呪文も効き目がないほど彼は傷ついていた。
 「喋らないでください。すぐに治療しますから。」
 「___音だ___」
 「は?」
 「___音なのだ___」
 トーザスにはその言葉の意味がつかめなかった。それが分かったのか、バーフェルヘイツは血糊のついた手を精一杯伸ばして彼の腕を掴み、鬼の形相で言った。
 「滅びたくなくば音を止めろ!」
 「音___そうか!戦場に流れていたあの音楽!」
 気づいた。それで己の役目は終わったと感じたのだろう、バーフェルヘイツの腕が落ちた。借りは返した___とでも言わんばかりの死に際だった。
 「しくじったわ。」
 見晴台の上で、鳴酌を奏でながら多々羅が呟いた。彼女の横では迅が暢気に胡座をかいている。
 「あの親父か?」
 「そう、死んじゃった。」
 「まあそんなもんだろ。」
 迅はおもむろに立ち上がった。ちらりと眼下を覗き見て、人々の同士討ちに拍車が掛かっていることを知る。改めて多々羅の曲の威力は凄まじい。だがなぜ迅はこれに掛からないのか?
 多々羅の能力、秘密は無意識に働きかけることにある。動物にはそれぞれ音の聞こえる範囲、音域が決まっており、犬笛の音は犬には聞こえても人には聞こえない。多々羅の奏でるメロディーには、しっかりと耳に残る旋律の他に、人の耳には聞こえない音が混ざっている。これが無意識に働きかけることで、敵は知らず知らずのうちに催眠の罠に落ちる。ただ、これは無意識だから効果があるのだ。
 「下手くそだな〜。」
 「なんだって?」
 「曲とは関係ない音がピーピーうるせえんだよ。」
 「!___聞こえるの!?」
 それが二人の運命の出会いだった。多々羅の能力は仲間までも巻き込んでしまう。だから彼女は孤独に歌と殺しで黄泉を生きてきた。しかし、その能力の通じない男が現れたのだ。多々羅は出会った瞬間に、彼と一生を共にしたいと思ったという。
 「これだけでかい島をぶっ潰しても大将の首がなかったら片手落ちだ。しゃあねえ、俺が行って来よう。」
 「よろしく頼むわ。」
 「おまえもな。」
 どちらも殺し屋だったために、最初のうちはうまくいかなかった二人だが、今では互いの愛を何よりも信じている。こうした些細な別れにも、多々羅は迅にウインクを送り、迅は微笑みを返して颯爽と見晴らし塔から飛び降りていくのだから。




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