2 一途な気迫
「うぉわぁぁぁぁっ!?」
自分の意志に反して吹っ飛ぶ体。藻掻いても藻掻いても逃れられない呪縛。止めたのは___
「うばっ!?」
葉を茂らせた木々だった。地に根付くものへの接触が合図なのか、その瞬間に百鬼の体を支配していた魔力が弾けて消える。
「っ!」
落下の力が一気に体にのし掛かるが、百鬼は素早く近くの枝に手を伸ばした。細い割には思いのほかしっかりした枝。しかし樹皮が滑りやすく、百鬼の手は何度か慌ただしく枝の表面を撫でた。
「ふぅ〜。危ねえ危ねえ。」
ようやく枝の上に脇まで乗せて百鬼は一息ついた。落ち着きを取り戻し、もう少し体を持ち上げて枝に片足をかける。そこで眼下に見える地面の遠さを知った。
「随分と高い木だな___」
そう呟いて百鬼は頭を掻いた。今の立場を思うと苦笑いが出るのも無理はなかった。
(木の高さよりもここがどこかってほうが問題だよな___)
天界なのは間違いない。それなら島に降り立てたのは幸運と思うべきだろう。ただ何より気がかりなのはリュカたちの安否である。
「あいつらも無事だといいんだが___」
無事にシュバルツァーに辿り着けたのか?それを知るためにもまずは島の住民を訪れるしかない。戦いのダメージは残るが、体を動かすことに躊躇いは無かった。
(結構広いな。)
幹を滑るようにして木から降りた百鬼は、その最中に島の様子を眺めることができた。ミゼルグェストと同等かそれ以上に広いその島は、中央に城があり、そこから枝状に延びた道の先にまたいくつかの建物群が広がっていた。
事情を理解できる人物に会うために、百鬼は手っ取り早く城を目指した。
天界の城を見ていて思うこと。ややグレーに近い白の石で造られた壁は清潔感に溢れ、場内は竜の彫刻など細工の凝った作りが目立つ。そして天族らしさが出るのは天井の高さ。翼がなければ開け閉め出来なさそうな高い位置の窓も象徴的だ。
(って、俺は城見物に来たわけじゃねえんだよ。)
場内は靴音が反響するほど静かだった。先ほどまでは声を上げて呼びかけていた百鬼も、今はただ黙って城の様子を眺めるだけだった。
「___」
ついには謁見の間へと辿り着く。ただそこにさえ人の気配はない。百鬼は構わずに玉座へと歩み寄り、体を預けるようにして腰を下ろした。
「どうなってんだ、こりゃ?」
城の中には人っ子一人いない。しかし、たまたま辿り着いた厨房のテーブルには無数の食器が並んでいた。日当たりの良いテラスには白いシーツが何枚も干してあった。生活感はあるのだが、人だけがいない。
「ここの連中も敵の襲撃に備えて逃げたのか?」
もしそうだとしたらよほど突然の決定だったのか。なにしろ百鬼は、腐った料理が放つ臭いが気になって厨房に足を運んだのだから。
「かといって襲撃された様子もないしな___」
城内は良く掃除されていて、絨毯の乱れ一つ無い。血痕や崩れた壁なんてあるはずもなく、戦闘の跡は皆無だ。
「ふ〜___ん?」
考えを巡らし続け、やがて煮詰まった百鬼は溜息をつきながら玉座から背を滑らせた。すると謁見の間の入り口、その壁の内側に描かれた島の地図が目に止まる。そこにはおそらく島の名であろう文字も刻まれていたが、天界文字だった。
「___他の場所も見てくるか。」
百鬼は早々に立ち上がり、城以外の建物群を目指して歩き出した。
もしここに飛ばされてきたのがリュカやルディーだったら___地界では感覚だけで栄光の城のからくりを解読した二人のこと、あの天界文字も「ゲンペストライン」と読んでみせたかも知れない。
「おーい、誰かいねえのか?」
枝分かれする道を辿ってやってきた建物群はどうやら居住区だ。しかしここも人の気配がない。アパートの間には洗濯物を掛けたロープが渡され、風が吹くと開いた窓がパタパタと音を立てた。百鬼は城で調達した干し肉を囓りながら、異様な雰囲気に眉をひそめた。
(生活感はあるが体温がない___)
近くのアパートに入り込んでみた。施錠された扉は少なく、百鬼は簡単に五階の窓まで辿り着くことができた。洗濯物を家の中へと引っ張り込んでみると、いやに埃っぽい。
(三日、いやもっとだな___ここに掛けられっぱなしだ。)
ソードルセイドには神隠しという物語がある。小さな集落から人が突然そっくり消えてしまうという話だ。いまこの島にはそれが起こったようにも思える。
(アヌビス軍の連中ならそんな能力を持った奴もいるかもしれない。)
こうも綺麗さっぱり人を消し去ってしまう能力とは?スケールが大きすぎて想像が付かない。ただそういう連中の仕業なら、事の済んだこの島に再び奴らが訪れることはないだろう。そして人はいないが食料は十分だから生活にも困らない。地力で島を抜け出すのは難しくても、ここで朽ち果てることはなさそうだ。
「気長に助けを待つしかねぇか___」
やれることはせいぜい狼煙を焚くぐらい。百鬼はアパートの窓から外の景色を眺めた。ここにはないが、もう少し立派な建物に行けば薪の蓄えもあるだろう。白黒の煙を炊きあげて、通りがかった天族に気づいてもらうことを期待しよう。そうそう、あそこに見える煙みたいに___
「あれっ!?」
別の建物群から、空に向かって一筋の煙が上がっている。
「誰かいるんだ!」
喜び勇んで駆け出した百鬼は階段で足を滑らせ、派手に転げ落ちていった。
やってきた建物群。こちらも居住区だがより商業色が強い。開けたままの商店は食べ物屋だけではなく、金物や装飾品、服の店などもあった。そういえばポポトルからずっと同じ服で随分とみすぼらしい。身だしなみはそれほど気にしないが、汗の匂いも鼻を突く。
「背中は気になるけど、なかなかいい生地だな。」
背の大きく開いた天族の服を拝借し、百鬼は再び煙の出所を目指した。やがて辿り着いたのは___
「ここだ___」
そこは他の建物とは少し違う、飾り気のない石造りの家だった。奥手には大きな煙突があり、煙はそこから出ている。
「よし。」
百鬼は木の扉をノックした。しかし返事はない。構わずに扉を開け、中を覗くとムッとする熱気が溢れてきた。
「誰かいませんか〜?」
呼びかけても返事がない。
「ん?」
そのまま中の様子を窺っていた百鬼だが、壁に掛けられた武具の数々、そしてテーブルに無造作に広げられた本の数々を目にして顔つきが変わる。
「剣___ここは鍛冶屋か?」
本には剣の絵がいくつも描かれていた。その中には鍛冶の作業工程を思わせる図解集も。中庸界で刀鍛冶を志していた百鬼の血が騒ぐ。廊下の奥に扉を見つけると、彼は構わずに進んだ。
「うっ___」
奥の扉を開けると、輪を掛けて暑い大気が肌を撫でた。どうやら作業場か、それにしてもこの熱気は酷い。
「なんだこりゃ!?」
それもそのはず、暑さの元は部屋の真ん中で燃えさかる焚き火だ。乱雑に積まれた薪で火が盛っている。作業場は空気の流れが良いはずだが、煙が充満していた。慌てて駆け込んだ百鬼は、素早く水桶を掴んで焚き火へとぶちまける。黒ずんだ煙は白へと変わり、湿気が広がっていく。
「ふぃ〜___」
咳き込みながら閉じられた木窓を全て開ける百鬼。すぐに心地よい風が流れ込み、煙を外へと押し出だしていく。
「ったく、なんなんだ。どういうつもりで床で焚き火した?」
誰かが手を掛けなければこんな事は起こらない。薪もまだ燃え尽きるには時間がかかる状態だった。つまり、ここには少し前まで人がいたということ。
「あれは___?」
作業場の一角にはテーブルがあった。その上に置かれたものが百鬼の目を奪う。
「刀___!」
抜き身ではあるが、薪の無造作さに比べて丁重に置かれた折れた刀は彼の気を強く惹いた。手にしてみればそのしっかりとした重みに感嘆し、良く作り込まれた透の鍔に心を躍らせる。そして何より滑るような刀身の美しさ。
「___凄い刀だ___」
ただ残念なのは手入れができていないこと。刀身に付いた澱は所々に錆を生む。使い込んでいるのに、研磨されている様子もなかった。
「百鬼丸よりもずっと良いな___それにこの鋼はちょっと変わってる。あれ?待てよ、天界に刀があるなんて話は聞いてねえぞ。」
妙な矛盾に首を傾げながら刀を眺めていたその時である。
「あーっ!おまえ何やってんだよ!」
作業場に大声が轟いた。驚いた百鬼が振り向くと、そこには両脇一杯に薪を抱えた少女が頬を紅潮させて立っていた。竜樹である。
「せっかくちゃんと燃えてたのによぉ!あっ!てめえ龍風に触るな!」
「龍風っていうのか、いい刀だな。」
肩を怒らせて百鬼に詰め寄ろうとした竜樹の足が、その言葉でピタリと止まる。
「ただ手入れがよくない。確かにこいつは業物だし、使い手の腕も確かだ。でも些細な澱が___多分熱せられたんだろうな、刀身を浸食して小さな錆を作っている。だから折れたんだ。」
「わ、分かるのか!?龍風のこと!」
竜樹はその場に薪を投げ捨て、百鬼の腕を取った。熱心な眼差しを送る少女、竜樹のことを百鬼は知らない。しかし敵かも?という疑念はこちらに来て日の浅い百鬼にも浮かぶ。なにしろ彼女は天族の服こそ着ているが翼がなく、身体の所々に傷を作り、この刀の所有者だ。
「なんとなくな。」
だから曖昧な返事をした。
「なら龍風を蘇らせるのを手伝ってくれ!」
「蘇らせる?」
「刀を打つんだ!ここ鍛冶屋だろ?あっ!もしかしてあんたはこの店の人か!?」
「いや、違うな。」
「そうか___いやそんなのどうでもいい!向こうに鉄鉱石を見つけたんだ、だからそれと龍風を打ち直して蘇らせるんだよ!」
竜樹の頭の中にはこの刀を打ち直す、それしかない。毒気のない視線も相まって、百鬼にはその思いがひしと伝わってきた。
「おまえがこの刀の使い手なのか?」
「そうだ!」
「こいつで何を切ってきたのか___教えてくれるか?」
鍛冶の心得を知る百鬼には、刀身を見ただけでも答えが分かる。この質問は、男言葉を吐く小柄な少女の正体を知るためのものだった。
「___人だ!」
僅かながら躊躇いはあった。しかし真正直な気性は彼女に嘘や誤魔化しをさせない。
「この島の人たちもおまえが殺したのか?」
「それは違う、俺がここに飛ばされてきたときにはもう誰もいなかった。確かに俺はこっちの人間をたくさん殺したけど、これは嘘じゃない。」
「血がこの刀を腐らせたんだ。血を纏った上に強い日差しで熱せられて腐食が進んだ。」
「___」
百鬼は先ほどから腕を掴んで離さない竜樹の手を振り払った。
「悪いが、おまえのために刀を打つ気はない。おまえは俺の敵だし、刀を作ってもまた駄目にするだけだ。」
そして龍風を差し出す。
「手伝わなければおまえを殺すぞ___」
竜樹は力押ししか知らない。殺気を込めて百鬼を睨み付ける。しかし彼は妖気にも似た竜樹の気迫に動じなかった。
「鞴(ふいご)も知らないおまえにゃ刀は打てない。ここで薪を使って火を立てようなんて素人でもやらねえよ。」
「う___」
今の彼女は何を差し置いても刀だ。そして百鬼もこの島から脱するため、あわよくば敵将に貸しを作るために、巧く立ち回る術を考えていた。だから彼は「刀を打ってもいい」と思っていた。
「だったら、おまえは打てるのかよ!」
「まあな。こいつをそっくり蘇らせるのは難しいが、一刀拵えることはできると思う。」
「本当か!?なら俺のために刀を打ってくれ!」
「人殺しはしないと誓えるか?」
「それは___」
竜樹は少したじろぎ口籠もった。快活で一本気な彼女のこと、簡単に誓いを立てると思っていた百鬼にはその態度が意外だった。
「誓えば打ってやってもいい。」
「___」
何をそんなに悩んでいるのかは分からない。アヌビスの役に立てなくなることが不安なのか?いや、そんな忠誠にこだわる人物にも思えない。
「こっちの世界だけなら我慢できるかもしれねえ___」
「我慢?」
「そう我慢。あっ拳で戦えるしさ。」
「それも駄目だ。人を傷つけるな。」
「ん〜、分かった!分かったよ!それも守る!でもこっちの世界だけでいいだろ?俺の故郷じゃ生きるために武器は必要なんだ。なあお願いだよ、龍風を蘇らせてくれ!」
そうまくし立てたかと思うと竜樹はその場に膝を折って正座し、額を床に擦りつけるほど深く土下座した。
「お願いします!」
「本当に誓うか?」
「はいっ!」
「なんでも言うこと聞くか?」
「はいっ!」
百鬼は近くにあった丸椅子に腰を下ろした。
「肩揉め。」
「はいっ!」
「ぐぎっ___!」
竜樹は飛び上がって彼の肩を力任せに握る。思いがけない剛力に百鬼は呻いた。
「ま、待て待て!腹減ったからやっぱりメシだ!」
「はいっ!」
今度は一目散に駆け出していく。
「お〜いてえ。あんな顔してとんでもねえ力だな___」
百鬼は確かめるように両肩を回し、顔をしかめた。と、そうこうしているうちに入り口の方が騒々しくなる。
「お待たせーっ!!」
扉の前を行き過ぎる勢いで舞い戻った竜樹が持ってきたのは___
「なんか分からないけどうまそうなの持ってきました!」
ドンッと百鬼の前に置かれた巨大な魚の頭。
「生臭ぇ___」
百鬼がっくり。
「あ〜う〜、だったら焼こうぜ!焼けばましになるって、薪もあるしさ!」
「ちょっと落ち着け!」
「はいっ!」
拾い上げた薪をまたばらまいて、竜樹は百鬼の前で直立する。慌ただしかった鍛冶屋がようやく少し静かになった。
「まだ名前聞いてなかったな。」
「はいっ!竜樹です!」
「りゅーじゅ?」
「はいっ!」
「元気いいなぁ。」
緊張した面持ちの竜樹。百鬼は改めて彼女を上から下まで眺めて___
「女の子だよな?」
「っ!!」
竜樹は首を引き、急にグッと歯を食いしばって目を瞑った。
「どうした?」
百鬼がもう一度声を掛けると彼女は一つ長い息を吐き、ゆっくりと目を開けた。息を止めて頭に血が上ったのか頬は桃色に染まり、ニコリと笑った口元はあからさまに引きつっていた。
「そ、そうです。」
あまりにもぎこちない態度に、百鬼は首を傾げた。
「俺、なんか悪いこと言ったか?」
「いいえ言ってません!断じて言ってません!」
竜樹は慌てて首を横に振る。彼女はとにかく百鬼の機嫌を損ねないように必死だった。女であることを指摘されて堪えられたのは、刀を振るうようになってから初めてのことかもしれない。
「んじゃ次はなぁ___」
「はいっ!」
疑うことを知らない竜樹は、また目を輝かせて百鬼を真っ直ぐに見つめる。その一本気な心、そして何よりも刀のために身を尽くす愛の深さに百鬼は好感を抱いた。
「おまえが見つけた鉄鉱石を持ってこい。」
「えっ!?それじゃあ!」
「打ってやるよ。」
その直後、百鬼は椅子から転げ落ちた。なぜか?
竜樹の喜びの声が、あまりにも大きかったからである。
「持ってきたぞーっ!」
やがて服の中に入るだけの鉄鉱石を積めて、竜樹が帰ってきた。するとそこにはごちゃごちゃしていた鍛冶場をすっかり片づけ、龍風を見つめる百鬼の姿が。彼は竜樹に向けて小さな笑みを見せると腕まくりした。
「よし、こっちによこしな。」
敵に塩を送る、褒められたことでないのは分かっている。まして息子たちは父のことを心配しているに違いない。
「はいっ!」
しかし彼には竜樹を放っておくことはできなかった。ただ真っ直ぐに龍風を愛して止まない彼女の一途さ、それが百鬼の琴線が触れたのだ。
刀のために身を尽くす気迫、それは彼の師であるソードルセイドの刀鍛冶が最も大事にしていた心構え。そしてその気迫を宿した人物との出会いが、鍛冶の味を知ったものにとってこれほど胸躍ることだったとは___百鬼も予想だにしなかった。
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