3 敗北
ラドラスカの城下町。
「うあああ!」
凄まじいスピードで迫り来る侍を前にして、天族の女兵士が悲愴な叫びを上げて槍を振りかざした。仕留めてやる!その決意を胸に槍を突く。しかし侍は真っ向から、構わずに刀を走らせた。交錯の瞬間、その時だけ侍は女に対して体側を向く。槍は体の前を通り過ぎ、横に倒した刀身は女の胸を深々と刺し貫いた。
「ぐ___」
その瞬間、力を失った槍が地に転がる。
「隊長___!」
背中越しに聞いただけで、青ざめていると分かるような悲鳴がした。連れて天族たちの羽音。より強い者と戦えるかもしれない。いつもならば流浪の侍竜樹は血の気の多い笑みでも浮かべていただろう。
「おかしい___」
しかし今日は違った。ドンッとたった今仕留めた女の腹を蹴ると、女の体は刀から脱しながら仰向けに倒れていく。竜樹はその場で一振りした龍風の刀身を見つめ、眉をひそめた。振り払ったはずなのに、刀身に血の澱が残っているのだ。それも刃、真鉄の部分に。
「打てーっ!」
「!」
いつの間にか道一杯に広がった天族が矢を引き絞っていた。そればかりか囲い込むように後ろからも、真上からもこちらを狙っている。放たれた矢の驟雨、だが竜樹は迷わず上へと飛んだ。
「逃がすな!」
前後を塞いでいた天族たちが次の矢を放とうとする。しかし___
「ぐあっ!」
「うぎゃっ!」
その隊列が乱れた。あろう事か、飛び上がった竜樹は空から降りかかる矢を巧みにうち払い、軌道を変えられた矢は地上いた天族の一団に降りかかったのである。矢だけではない、一瞬遅れて今度は首、腕、翼___
「はあああ!」
空を塞いでいた天族を瞬時に始末し、竜樹は空中で刀を上段に振り上げた。
「大断裂!」
気合いと共に壮絶な速さで刀を振り下ろす。その瞬間、切り裂かれた大気の溝に波動が生まれ、衝撃波となって眼下の天族たちを襲った!
ラドラスカが揺れた。それは島を目前とした竜の兵団にも分かるほどにはっきりと。
「グライよ!嘶け!」
先頭を行くのはダイアンを背にした赤い翼竜グライティエンルン。
「ギィアアアアオオオォォォ!」
主人の声に従い、グライティエンルンは大きな口を開けて咆哮した。風が震える。それは町の人々に助太刀の報せをする声であり、敵の気をこちらに向ける声であった。
「ん?」
大断裂の一撃で、道には小さな谷が出来上がっていた。谷の両側には無数の天族の骸が転がる。難を逃れた天族も漏れなく仕留めた時、竜樹は大気の波紋を伴った咆哮を聞いた。
「来い!」
声に反応して黒真珠のイヤリングが光ると、先の路地から引石が飛んできた。竜樹は軽やかに飛び乗り、引石はそのまま町を見下ろせる高さにまで舞い上がる。
「!」
そして目の当たりにしたのが迫り来る竜の一団。グライティエンルンが二度目の咆哮をすると、竜樹は身震いした。もちろん、彼女に限って恐ろしくて震えるなんて事はない。
「いいね___やっと手応えのありそうな奴と戦えそうだ!」
グライティエンルンの大きな目が明らかに竜樹を睨んでいたから、彼女は嬉しくて武者震いしたのだ。
「お?」
ウキウキしているのもつかの間、知らぬ間に彼女に巨大な火の玉が迫っていた。
「上!」
引石がさらに上昇し、火球は熱気と轟音の余韻を残してその下を過ぎ去っていく。炎が袴の裾を少し焦がしたが、そんなことは気にならない。むしろ気になるのは___
「遅いぞこいつ!」
足場となる引石の反応であった。パワーも抜群だが、それ以上にスピードを武器とする竜樹にとって、動きが制限される引石に乗っての戦いはストレスの溜まるものになりそうだ。
「でも面白いぜ___燃えてきた!」
しかし逆境に立てば立つほど燃えるのもまた彼女。迫り来る竜の軍団に対峙し、引石の上で龍風を正眼に構えた。
「さあ来い!!」
そして白い歯を零して力強く叫ぶ!いま、町の上空で両雄激突!
グオオオオ___!
「あれ?」
と思いきや、グライティエンルンを先頭とした竜の一団は、竜樹よりもさらに上昇して彼女の頭の上を通り過ぎた。
「お、おいちょっと待ちやがれ!こらっ!」
期待を不意にされた竜樹は慌ててそれを追いかけた。
「来ているか?」
「はい、追ってきます!」
「よし!一気に島から引き離す!追いつかれるなよ!」
しかしこれはダイアンの思惑通り。もちろん竜樹もそれくらい感づいているが、彼女にとってはそんなことは二の次だ。だから構わずに彼の誘いに乗っている。
「やっと止まったな!」
そしてたどり着いた戦場、そこは周囲に無人の小島さえない空域。そこまで辿り着くと竜たちは急旋回して竜樹に向き直った。若干遅れて追いついた竜樹。石に乗った女侍と、三角形に隊列を組んだ六頭の翼竜と天族たちは、ついに真っ向から対峙したのである。
「よう、なかなか良いところに誘い出してくれたな!そっちの大将はどいつだ!?」
気持ちが高ぶれば声も自然と上擦るか。竜樹はまるでこれからバカンスでも楽しむかのような陽気さだった。
「私だ。」
大勢の人を殺めていながらこの破天荒、まるで悪魔か死神である。ダイアンは彼女の明るさに不快感を抱きながらも、グライティエンルンの頭上へと立った。
「あんたなかなかやるなぁ、俺を誘ったのは町から遠ざけることもあるだろうが、それ以上にあんたの竜が全力を出せる場所で闘いたかったんだろ?」
「___」
「俺は嬉しいぜ、強い奴と闘えるっていうからこっちに来たのに、これまでの奴らはからっきし骨がない。」
饒舌になっているのも心が鷹揚だからだろう。
(こっちに来た___だと?)
もちろんダイアンに言葉を勘繰られたことなど気づくわけがなかった。
「さあて___んじゃ早速やろうじゃねえか!」
いつもなら大地を蹴って敵に突貫する竜樹だが、今日は足下の動きが悪い。ただ、それならそれでやりようもあるというものだ。
「せぇのっ!」
上段に構えた龍風を気合いと共に振り下ろす。大気が切り裂かれた瞬間、白いつむじ風が巻き起こった。
「恐れるな!」
風のうねりを睨み、ダイアンが勇ましく言う。一瞬怯んだかに見えた翼竜たちは、グライティエンルンに倣いその翼で大きく羽ばたいた。
「!?」
すると竜樹のつむじ風にも負けないうねりが巻き起こり、二つの風は真っ向からぶつかりあった。
「ちっ!」
刀の一振りでしかない竜樹の風は、短い拮抗の末にあえなくうち砕かれる。翼竜たちの巻き起こした突風が竜樹に吹き付け、袴が騒ぎ、引石は激しく揺れた。
「踏ん張れこのへなちょこ!」
竜樹は傾いた引き石の縁に片足で体重を乗せてバランスを取る。そのとき___
「!」
空が目映いから気が付くのが遅れたか、風の背後から無数の火球が迫っていた。引き石のスピードでは逃れられない。しかしいつまでものろまな石に足を引っ張られる竜樹ではなかった。
「下!」
竜樹は石を蹴って大きく飛び上がると同時に引き石に指示を送った。跳躍の力で引き石は勢いよく下方へと動き、火球は石と竜樹の間を抜けた。
ゴッ!
翼竜たちは三角の編隊を崩すことなく、距離を取って火球を放つ。接近戦が得意であろう相手には、距離を置いて砲撃を繰り返す。勝利の戦術の基本だった。
「姑息なやり方だな!」
宙では自由のきかない竜樹。しかし刀の冴えは色褪せない。自由落下しながら、迫り来る炎を次から次へと切り裂いていった。戦いやすい状況ではないはずだが、彼女はそれを不利とは思わない。過酷なほど燃える竜樹は、宙を漂う引石を見下ろして薄ら笑いを浮かべていた。
「そうだ、こうすりゃいいんだ!」
ダンッ!
竜樹は引石に着地するやいなや、再び石を蹴って高く飛び上がった。しかも今度は真上ではなく、一気に前へ。
「前へ。」
そして引石も前進させる。高く飛び上がって曲線で進む竜樹と、その落下を受け止めるように直進する引石。しかしそれにしたって竜樹は前に飛びすぎている。引石のスピードでは竜樹の落下点に回り込むことなどできない。
「どういうつもりか___?」
確かに翼竜の編隊との距離は詰まる。しかし届くにはまだ遠い。竜樹の真意のつかめなかったダイアンだが、彼女が振りかぶった刀が白いうねりを帯びていることに気が付いた。
「風の刃か!?」
少しでも敵との距離を詰めて、風の刃を放つ。竜樹の作戦を察したダイアンはグライティエンルンの首を叩いた。
「ゴオアアッ!」
赤き翼竜が怒声と共に吐き出したのは、大砲のように早く力強い火球。竜樹が身を守るために刀を振るえば、蓄積された力は霧散するはずだ。
「なに!?」
だが彼女の行動はダイアンの想像を超えていた。計ったように落下しつつある竜樹を襲った火球。しかし竜樹はそれに対して刀を振るうどころか、くるりと背を向けたのである。
ゴッ!
火球は竜樹の背にぶつかって大きく弾ける。爆発を背に受けたように、竜樹の体は若干の炎を伴って吹っ飛んだ。しかし彼女の顔は苦痛に歪むどころか、作戦の成功を感じてギラリと輝いていた。
「まさか!背中を押させたのか!?」
ダイアンが呻く。竜樹の吹っ飛んだその先に、引石が待ちかまえていたのだ。竜樹が小さく呟けば、引石は竜樹に対して垂直に傾きを変え、彼女は身を翻して両足でグンと石に踏ん張った。
背に受けた火球の勢い、竜樹の強靱なバネ、その全てを宙で硬直した引石に込める。その反作用を味方にし、彼女の体は先ほどとは比べ者にならない力強さで飛び出した。
「火を放て!奴の勢いを殺すのだ!」
ダイアンの声に呼応して、グライティエンルンをはじめとする翼竜たちが一斉に火炎を吐いた。竜樹は弾丸のごとき速さだが、軌道は明白。炎は一切照準を違えることなく、彼女に襲いかかる!
「ぉぉぉおおおお!絶・大断裂!!」
しかし竜樹は怯まない。怒号と共に、全身全霊が込められたことで湯気のような白いオーラを纏う龍風を振るった。その瞬間、大気を引き裂く突風が生まれる。その風は龍風と同じだけの切れ味を持っていた。
幾重もの火球はなす術もなく消し飛び、白き風の刃は翼竜たちを襲った。ダイアンは竜樹が刃を振るった瞬間に危機を感じて、守備の命を下したが、間に合わない。
「ギュアアッ!」
翼竜の悲痛な叫びが轟く。三角形の編隊、その頂点にいるのはグライティエンルンとダイアンだが、すぐ後ろに陣取っていた二頭の翼竜が犠牲となった。一頭が両の翼を横に切り裂かれ、一頭は火を放った余韻で開いていた口から、首の真ん中当たりまで真っ二つに裂けていた。滝のようにあふれ出る血を伴い、二頭の翼竜は滅びゆく己に抵抗するように、最後まで羽ばたきながら沈む。背後の翼竜たちも、致命傷ではないものの傷を負ってい、グライティエンルンまでもその胸に深い裂傷を走らせていた。
(なんたる破壊力___グライの胸をこうも容易く切り裂くとは___)
その事実にダイアンは絶句した。グライティエンルンは選ばれし翼竜であり、最強の翼竜である。その赤い鱗は鋼鉄よりも硬く、火も氷も苦としない。しかし気位高く、英知に溢れるため、彼を手の内に入れられる天族はいなかった。竜と心を通わせることができると言われた伝説のテイマー、ダイアン・シス・エンデルバインを除いては。
「戦えるか___?」
赤き翼竜王の頭の上で、ダイアンは囁いた。笑止な___とでも言うように、グライティエンルンは大きな瞳でダイアンを一目見る。胸からは赤黒い血が蕩々と流れ出しているが、力強さ、闘志に翳りはなかった。
「よし___竜の盾だ!」
それはダイアンも同じである。圧倒的な破壊力を見せつけられても萎えない闘志、それは勝利へと導く秘策があるからに他ならなかった。
「近づいたぜ!」
二頭が倒され、ダイアンがグライティエンルンの傷に絶句したのはごく短い時間でしかない。しかし自らが放った突風で後進した竜樹はあっという間に引石に舞い戻り、抜け目なく隙を付いて翼竜の編隊に接近していた。
「この距離なら直に斬れる!」
「そうはいくか!」
グライティエンルンを目と鼻の先にし、龍風を煌めかせてニヤリと笑った竜樹。しかし思いも寄らぬ伏兵が彼女の前に立ちはだかった。
「プラド!」
「!」
倒された翼竜に騎乗していた天族たちである。予想外のことで、竜樹は白熱の爆破を顔に受けた。
「ここは我々が時間を稼ぎます!」
「団長は竜の盾を!」
「すまぬ!」
竜樹は仰け反ったがその両足は引石から離れない。天族は立て続けにプラドを放った。
「お話しした戦術を実行したい、よろしいか?」
二頭が倒され、四頭となった翼竜たち。ダイアンが編隊を崩してまで近寄った三頭の翼竜には、天族が二人ずつ乗っていた。うち一人はダイアンの部下であるテイマーたち。もう一人はラゼレイ配下の魔力に長けた天族たちだ。
「了解しました。すぐに取りかかりましょう!」
「頼みますぞ!」
そしてこの時、ダイアンが策を告げたのはラゼレイ配下の天族たち。彼らは素早く各々の竜を離れると、グライティエンルンへと寄り集まった。
「なぜ倒れない!?」
竜を失った天族たちが、息を切らしながらプラドを放ち続ける。しかし竜樹はいくら爆発をその身に受けようと決して後退しない。結局、天族たちの魔力が先に尽きた。
「ふ〜___」
竜樹の顔は煤け、髪は艶を失って乱れていたが、苦痛は微塵もない。彼女は易々と仰け反った体を元へと戻し、黒い煙を吐き出した。
「いまの技、威力はなかったけど由羅のに似てるな。」
天族たちにその言葉の意味は分からないだろう。分かるのは自分たちの危機くらいなものだ。
「クレイ!フレイズ!下がれ!」
そのとき後方を任されていた三頭の翼竜が、二人の危機を救うべく滑空して迫っていた。竜樹の視線がそちらに移った瞬間には三頭が火球を吐き出し、対峙していた二人の天族は身を翻して逃げ出した。しかし竜樹は慌てない。
「あっ!」
音もなく跳躍すると一人目の天族の首に刀を突き立て、さらにその体を踏み台にして飛び、次の天族の背中を切り裂く。血飛沫の上がる背を蹴って、さらに跳躍。炎は天族たちを飲み込むようにして竜樹の下を過ぎ去り、彼女の目は牙を剥いて迫る翼竜をしかと睨み付けていた。
ドゴォォンッ!!
背後で何かが爆発したことなど気づきもしないほどの集中力だった。
___
「我々の魔力ではこれが限界です。」
ラゼレイが使わした三人の天族は、グライティエンルンに触れていた手を離した。
「ありがとう、感謝いたします。どうぞ、竜の背へ。」
ダイアンは至極落ち着いて礼を述べ、彼らをグライティエンルンの背へと誘う。しかしそのグライティエンルンの様子がおかしい。先ほどまではダイアンに負けじと冷静に見えた赤き翼竜は、牙を剥いて歯を食いしばり、目は憎しみに燃えて血走っている。それは天族たちを怖がらせるほどの豹変ぶりだった。
「グライ、気を確かに持て。」
しかしそれには理由がある。同族が、竜樹に挑んだ三匹の翼竜が殺戮されたからだ。こんな情景を見せつけられながら、信頼する主は動くことを許さなかった。豹変は、その怒り、憎しみの鬱積によるものだった。
「全てをぶつけるのはこれからだ。」
鋼のごとき鱗を持つグライティエンルンが、ダイアンの掌の感触を得ているかどうかは分からない。しかし主もまた気を押し殺していることが通じたのか、やがて赤き翼竜もその怒りを心中に押しとどめていった。
それは、丁度竜樹が両者の目の高さまで急浮上してきたときのことだ。
「なんてこった〜、引石を壊された。」
竜樹は引石に乗っていなかった。三頭の翼竜が放った火球を避けた後の爆音、あれは火球の直撃で引き石が砕けた音だったのだ。飛ぶことが得意でない彼女は、神経の半分をそちらに傾けねばならない。
「飛べたのだな。」
「悪いかよ。」
「いや、足場を失って死なれるようでは同胞が浮かばれぬ。」
追いつめられながら、強い心を捨てないダイアン。その気骨、竜樹は嫌いではなかった。
「やる気だな?自分で飛ぶのは好きじゃないんだ、一瞬で片づけてやる!」
「望むところ___もとより貴様に倒される我らではない!」
竜樹は弾けるように前へと飛び出した。彼女は技能不足故に自由自在に飛び回ることができない、だから相手がどんな攻撃をしてこようと構わずに突貫するしかない。一方のダイアンはグライティエンルンに攻撃の指示をしない。赤き翼竜も彼の策を承知しているから、ただ竜樹から目を離さないようにだけ気をつけた。
お互いに大事なのは一つだけ___次の攻撃を当てること。思惑はそれだけだった。
(ギリギリまで引きつける気か?だが、俺の速さはこれが全開じゃない!)
先に策を見せたのは竜樹だった。こちらを睨み付けて接近を待つダイアンたちの裏をかくように、突如として加速したのだ。たちまち両者の距離は最接近し、竜樹はグライティエンルンの鼻面で龍風を振りかぶっていた。
仕留めた!彼女はそう思ったに違いない。何しろ龍風は、今までありとあらゆるものを切り裂いてきた最高の相棒だ。この愛刀と共に、幾多の修羅場を真正面から突破してきたのだ。しかし___
キィィィィィィィィンッ!
陽光降り注ぐ空の下、一際甲高い音が響いた。
竜樹はその瞬間、刀を振り下ろしたその姿勢のまま目を見開いていた。
彼女の頭を越えて、刃が陽光を散らしながら宙を飛んでいた。
「___」
絶句だった。姿勢を変えることもできず、ただそのままの姿勢で己が握る龍風を見て、彼女は微動だにできなくなっていた。愛刀龍風は、その刀身のど真ん中から真っ二つに折れていたのである。
一方で、斬りつけられたグライティエンルンの鼻には、小さなひっかき傷のような跡が残っているだけだった。
「嘘だろ___」
折れた刀身を見つめながら、やっと絞り出した言葉がそれ。その時にはもう、舞い上がった剣先は果てのない空の底へと消えていた。
そしてグライティエンルンが、満を持してその口を開く。
「!」
喉の奥底から発せられる夥しいエネルギーを感じたときはもう遅い。もとより竜樹はショックで青ざめ、全く動けなくなっていた。
「行け!メテオバースト!!」
ダイアンの一声と同時に、グライティエンルンの口からこれまでの火球とは比べものにならないほど大きく、そして目映く、力強い光の筋が放たれた。火球などという生やさしいものではない、赤き翼竜の王が究極の怒りと力を込めて放つ光の波動だ。それは竜樹を飲み込むと、天族の目にも見えないほど果ての果ての空まで一直線に伸びた。
そして___
フッと光の筋が切れると、戦場には静寂しか残っていなかった。目前にいた竜樹は光の筋に空の果てまで飛ばされながら、その体を昇華させたのだろう。少なくとも、過去にこの奥義を身に受けた者は、全てその場で死に絶えた。
「我らの勝利だ、しかし犠牲もまた大きかった。」
勝利の鍵は「竜の盾」だった。天族に伝わる呪文の中にグロイデンというものがある。それは呪文を施した相手に聖なるオーラを纏わせ、あらゆる攻撃に対する抵抗力を高め、さらに身体が持つ柔軟性を失わせる一方で、肌を一時的に石か金属のように堅くする守備の呪文。しかし高位であるため使いこなすには優れた魔力が必要であり、施された者は暫く動きが鈍くなる。
この呪文を竜に施すと、ただでさえ金属のように堅いその鱗は真に鉄壁となる。戦場であれば、まさしく竜の盾となって全ての攻撃を跳ね返す。そこで、竜にグロイデンを施す戦術を、テイマーたちは竜の盾と呼ぶようになったのだ。
「グアォォォォォ___」
仲間たちの死を悼むように、グライティエンルンが咆哮を上げる。その声を鐘の音の代わりに、ダイアンもまた死んでいった者たちへの祈りを捧げ、やがて勝利の報告をするべくシュバルツァーへと飛んだ。
一方___
「かっ!」
空を走る光の筋が弾けた。その瞬間、壮絶な衝撃から開放された竜樹の体は宙を泳いだ。服はほとんどが消し飛んでいた。
「___」
力無く落下する竜樹。しかし数メートルも下には緑の草原が広がっていた。どれくらい飛ばされたのかは分からない、しかし竜樹はメテオバーストに圧倒されながらも、別の島の上を通過する瞬間を見計らって、その夥しい力の呪縛から逃れてみせたのだ。
ドサッ。
彼女は丈の短い草原の上に仰向けに倒れた。痛みは全身に走っていたが、死を意識する必要は全くなかった。彼女の表情からはいつもの強気が消え、絶望に満ちていたが、それも全身に残存する痛みのせいではなかった。
「___」
竜樹が右手を挙げる。その手にはしっかりと龍風を握っていた。刀身半ばまでの。
「う___」
無惨な愛刀の姿、それが現実だと知った瞬間、彼女の顔がくしゃくしゃになった。
「うああああ!」
そして堰を切ったように、大声で泣き出した。時に嗚咽を混ぜ、大粒の涙をこぼし、草原に横たわる彼女は号泣した。
龍風は竜樹にとって唯一無二の親友だった。幼少の頃に出会い、それ以来常に彼女のパートナーとして、全ての戦いを勝利に導いてきたのだ。その親友にいつもの切れ味がないことを、つい少し前に訝しく思っていたというのに___
改めて折れた龍風を見たとき、情けなさ、悔しさ、腹立たしさ、あらゆる悔恨の念が竜樹に去来した。彼女はそのまま、涙が枯れるまで泣き続けた。
「ごめんなさい___ごめんなさい___」
声が掠れるまで、愛刀に謝罪の言葉をかけ続けた。
彼女がこれが生涯はじめての大いなる敗北だと実感するのは、次の朝、ようやくささやかな落ち着きを取り戻したころである。
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