2 お目覚め

 黄泉。
 かつて歴史を変えようと勇士たちが集った守宮ヶ原から、突き進むことしばらく。そこにはただ荒れ果てた大地が広がっていた。草木一本無く、ただ土がむき出しで、風が吹けば埃が舞う。
 その荒れ果てた土地に立ち、ぐるりと辺りを見渡すと目にとまるのがドーム状の大きな建物。
 それはかつて天破が治めていた集落___銀城である。
 激しい戦いの末に吹き飛んだ金城。しかしその対たる銀城は残っていた。あれから何日が経っただろうか、水虎の弔い合戦で一度は蛻の空となった銀城に、久方ぶりに妖魔が入り込んだ。
 「こんないい建物が空っぽで置いてあるんだぜ、俺たちゃついてる。」
 「ほんとだよねぇあんた。あたしこんな素敵なところに住めるなら、やっぱあんたと一緒になって良かったよ。」
 若夫婦だろうか、男女の二人組が銀城をもの珍しそうに歩き回っていた。
 「あんな古くさい里とはおさらばさ、ここで二人の集落を作るんだ。どうだ?夢があるだろ!」
 「いやぁん、あんたってば素敵!」
 人気のない銀城の廊下に二人の声はよく響く。じゃれ合いながら城の中を探索し、奥へと進んでいった。全体が屋根で覆われている銀城だが、城内で生活の全てを賄えるよう畑や工場も備えている。二人の胸は、広大な城を歩けば歩くほど嬉しさで高鳴っていった。
 そう、最初は自分たちの胸の高鳴りが血流の音を響かせているのかと思っていた。しかし城を奥に進むに連れ、それが間違いだと気づかされる。
 「ねえあんた、何か変な音がしない?」
 「ん?滝の音か何かじゃないか?ほら、さっき水路もあっただろ。」
 二人の耳に聞こえたのは、確かに遠くで轟く滝の水音にも似ていた。しかしおかしな点がある。
 「でもさ、滝だったらずっとゴーって音がするじゃないかぁ。今聞こえてるのは、ゴーッ、ゴーって途切れ途切れだよ?」
 「ん〜?ほら、あれだ、あの〜___水車だ水車!」
 「水車であんな豪快な音がするもんかい。ねえあんた、ちょっと見に行ってみようよ。」
 「そうだなぁ。」
 デートの時には色々面白い事を見つけたくなるもの。二人はじゃれ合いながらも耳を澄まして音の聞こえる方向へと進んだ。所々ランプの火が残っていた銀城を奥へ奥へ、次第に音は大きくなり二人は若干の恐怖を抱きはじめた。
 「す、凄い音だよあんた___あたしゃちょっと怖くなってきた___」
 「な、なにいってやがる、ここまで来たら音の正体を見ねえと気がすまねえよ。」
 「そ、そうよね。」
 二人は互いの腕をしっかりと組み合って、恐る恐る歩く。やがて音の出所が先に見える大扉の奥だと気づいた。言葉もなくただお互いの顔を見つめあい頷きあって、ゆっくりと扉を開く。すると音の激しさは際立った。
 「ぐごがががぁぁ___ぐごおおおぉぉ___」
 その部屋は真っ暗だった。中の様子をうかがうよりも何よりも、まず鼻を突いた強烈な酒の匂い。冷え切った部屋の中央、扉を開けたことで差し込んだ光が、緩やかに動く何かの影を浮き上がらせた。
 「な、なにかいるよ___」
 「ん?おい、この音ってもしかして___!」
 二人はランプを片手に足音を潜めながら蠢く影へと近づく。そして、音の正体を知った。
 「人だ___」
 「いびきだったのかい!?」
 そこは酒蔵だった。一際大きな酒樽がひっくり返されて、足下は酒の水たまりができている。そして樽に凭れるようにして、大男が眠っていた。滝の音のような轟音はいびきだったのだ。
 「んが?」
 「!」
 顔をよく見ようとランプを近づけると、大男は唐突にその目を開いた。驚いた二人はその場で立ちすくむ。
 「んごぉああああああああぁぁぁぁぁ!」
 そして突風でも巻き起こしそうな大あくび。相手が人だと分かっていても、二人に「食べられる!?」と勘違いさせる大口だった。
 「うい〜、よく寝た。」
 立ち上がると筋骨隆々とした肉体は迫力に溢れ、たまらず腰を抜かした二人組は手にしていたランプを床に落としてしまった。
 ゴッ!
 「うわちちちっ!」
 「あちちっ!ちょっとあんた!」
 アルコールまみれの床にランプの火種が燃え移る。男はその熱に飛び上がり、尻を焦がしながら酒蔵の外へと飛び出した。
 「あちっあちっ!」
 尻を壁に擦りつけて火を消し、男は冷や汗を拭って息を付いた。
 「なんなんだい今のは!?」
 連れの女は怖々と酒蔵を振り返り、ヒステリックに言った。開け放たれた倉の奥で青み帯びた炎が燃え上がっていた。きっとあの大男は炎に包まれて悶絶している、そう思ったから二人はそこで立ち止まれたのだ。しかし___
 「あ〜、目が覚めた。しかしあちいなぁ。」
 火の粉を纏い、大男は酒蔵から出てきた。まるでまとわりつく埃でも払うように、体に移った炎を叩き消す。口では熱いと言っておきながら、なんと悠長なことか。
 「あわわわ___」
 その様はまさに魔神だ。火をもろともしない屈強な大男を前にして、田舎から逃げてきた若い二人はまたも腰を抜かしてしまった。
 「俺はどれくらい寝てたんだ?教えてくれ。」
 まだ寝ぼけているのか、ボリボリと頭をかいて大男は尋ねた。しかしつい先ほどやってきたばかりの二人組に答えられるはずがない。
 「おいっ、なんとか言え。」
 その巨体でずいっと前に出られると、それだけで二人は少し失禁した。
 「あ、あんた誰___!?」
 女が思いあまって震えながら問いかけた。すると大男は顔をしかめ、やがてグンッと胸を張った。
 「俺かぁ___?俺は___」
 そして大きく息を吸い込む!
 「覇王餓門だぁぁぁっ!!」
 それは銀城そのものを揺れ動かすほどの怒号だった。

 「うぃ〜、食った食った!」
 銀城の食料庫にやってきた餓門は、例の二人組がまた腰を抜かしてしまうほどの豪快な食べっぷりで、百人分以上の食料を平らげてしまった。
 「___」
 その様に、二人はただ茫然自失とするばかり。
 「しかし驚いたなぁ、本当におまえたちしかいないとは!」
 指で歯に詰まった食べかすをほじくりながら餓門は言った。彼は自分に仕えていた連中が、この銀城にいるものだと思っていたようである。ところがどっこい、あの金城を吹き飛ばした壮絶な一撃で、八柱神に選ばれた面々を除いて配下は全滅している。そればかりか潮や朱雀といった地方制圧に動いた妖魔たちに「餓門も死んだ」と思わせていた。
 「それにしても俺の配下は一体どこに行ったんだ!?」
 銀城は戦場の遺物となり、そこで休眠していた餓門はすっかり忘れられた存在となっていた。現に地方制圧に動いた連中は、これを契機に制圧した集落を我がものとしている。つまり時は再び群雄割拠へと動いたのだ。しかもより混沌とした形で。もちろん餓門には知るよしもないが。
 「う〜む。」
 それでも餓門は腕組みして目を閉じ、考え込む。そしてピクリとも動かなくなった。
 「あ、あんた___」
 それを見た女は男と視線を交わす。二人はソロリソロリと足音を潜めながら、その場を逃げ出そうとしていた。これ以上こんな化け物と関わるのはまっぴらである。こんな目にあうのなら早く田舎に帰りたい___が。
 「考えてもわからん!!」
 いちいち声の大きい餓門。二人はまたへたり込んでしまった。
 「おいおまえら!」
 「は、はいっ!」
 その上、呼びつけられてはたまらない。素っ頓狂な高い声を出した男は、あろう事か女の後ろに体半分隠れていた。
 「外に出るぞ!ついてこい!」
 急に立ち上がると、足を踏みならして食料庫から出ていった餓門。残された二人はほっと一息___
 「ほっ。」
 「ちょっとあんた!なにあたいを盾にしてるんだい!?」
 「あっ!い、いや!」
 とはいかないようだ。
 「おい!早く来い!」
 「は、はいっ!」
 かといって喧嘩をしている余裕もなさそうである。
 「おまえら名前は!?」
 「ち、千鳥(ちどり)です___」
 「鴻(こう)よ___」
 外。埃舞う闇の空の下、餓門の斜め後ろに二人は立っていた。こんなはずじゃなかったのに___という思いが心中を渦巻いているのだろう。答えに覇気があるはずもなく、顔色からは血の気が失せていた。
 「どこか集落に行けば俺の知っている奴がいるはずだ!気合い入れていくぞーっ!」
 歩き出す餓門。ひょんな好奇心からとんでもない化け物を掘り返してしまった千鳥と鴻。
 「お〜っ!」
 餓門の目覚めが黄泉に与える影響も関係なし。ただやけくそになって、涙を滲ませながら叫ぶのが精一杯だった。

 場面転じて再び天界。
 百鬼たちがミゼルグェストを飛び去ってから数日が過ぎた。天族は空腹や渇きに強いのだが、それでも疲労は溜まる。過酷な逃避行は翼竜たちに掛ける負担も大きい。一刻も早く人々の住む島へと駆け込みたい思いはあったが、ひとまず無人の島で翼を休めることになった。
 「おいしい〜!」
 ポケットに残っていた中庸界のお菓子で数日を凌いでいたリュカとルディーは、久しぶりにありつけた果物を貪るように食べていた。
 「慌てて食べると喉に詰まるぞ。」
 「う〜___」
 「いわんこっちゃない。」
 百鬼は苦笑しながらリュカの背をさすってやる。
 「なに、シュバルツァーだと!?」
 和気藹々とした光景の向こうで重厚な大声が轟いた。バーフェルヘイツである。
 「いかん!いかんぞシュバルツァーは!」
 血の気の多い喋り方。見ればトーザスがバーフェルヘイツに何かを訴え、逆に言い負かされているようだ。
 「ちょっと行って来るな。」
 百鬼は果物を片手に遊ばせながら二人の元へと向かった。
 「でもシュバルツァーなら安全ですし___これからアヌビスの軍勢と闘うならあそこを拠点にするのが一番ですよ。」
 「いいやいかん!キジェットの息子に助けを求めるなど絶対に許さん!」
 「おい、どうしたんだよ。」
 トーザスも何とか食い下がっているようだが、バーフェルヘイツの凄みのある声に迫られるとどうしても腰が引けてしまう。そんな姿に百鬼は苦笑しながら、二人の間に割って入った。
 「部外者は引っ込んでろ!」
 「駄目です!竜神帝が百鬼さんの意見を重視するようにとおっしゃってました!」
 「むぅ___」
 竜神帝の名前を引っ張り出すのはトーザスの最後の武器だ。格に拘るバーフェルヘイツにはこれが最も効く。
 「何でもめてるのか気になっただけだ。みんな疲れてるところで騒がれたら休めるもんも休めないだろ。」
 「避難先をシュバルツァー___天界で一番大きな島なんですけど、そこにしようとしたらバーフェルヘイツさんが___」
 「私は先代のシュバルツァー頭首、キジェットに侮蔑されたのだ!それ以来一切の交易を絶っておる!そのような島におめおめと助けてくれと逃げ込むなど___全く言語道断!」
 「でもそんなこと言ってる場合じゃ___ねえ百鬼さん!?」
 「オッサン、逃げ込んでもいい島はあるのか?」
 「___ブランドゥマだ。頭首のデニロート様には常日頃より多大なご指導を賜っておる。」
 オッサンと軽々しく呼ばれたことにやや閉口しながらも、バーフェルヘイツは答えた。
 「近いのか?」
 「シュバルツァーの方が近いですが、一日余計に飛べば付く距離です。」
 「ならそっちに行こう。」
 「えーっ!?」
 トーザスが悲鳴にも似た声を上げる。まさか百鬼がバーフェルヘイツを尊重するとは思わなかったのだ。
 「がははっ!そうであろうそうであろう!なかなか話が分かるではないか!」
 「いでっ!」
 たちまち上機嫌になったバーフェルヘイツは百鬼の肩を力任せに一叩きした。それから___
 「シュバルツァーの方が安全ですよ。確かにデニロートさんは年輩の人格者ですけど、ブランドゥマこそこれっぽっちの兵力もない所なんですから。」
 「島の政治的な事情も考えてやった方がいい。頭首同士の折り合いが悪いんじゃ、中に入ってから色々と厄介事が起こりそうだろ?さほど遠くないんだったら仲のいい島に行った方がいいと思うぜ。」
 「そんなもんですかねぇ___」
 まだ納得がいかない様子のトーザス。しかし百鬼の意見を尊重するよう伝えられたと言った手前、決断に従うしかないのは自分が一番良く分かっていた。

 一方その頃、快進撃を続けていた竜樹は次の島を求めて彷徨っていた。とりあえず見つけた島には片っ端から殴り込みをかけていた彼女、しかし相変わらずの方向音痴で、同じ島に二度三度降り立ったこともあった。
 そしてもう一つ気になることが___
 「ちょっと妙だぞ___」
 愛刀龍風である。切れば切るほど鋭さ、美しさ、滑らかさを増してきた蠱惑の刀。しかしこのところ少し切れ味が鈍っている、そんな気がしていた。引石に立ち、竜樹は龍風を抜いた。日の光を浴びて、刀身が眩しすぎるほど美しく輝く。
 「いや、大丈夫。俺は相棒を疑ったりしない。」
 その煌めきにささやかな安堵を得て、竜樹は龍風を鞘に収めた。触れた鞘が熱を持っていたことには、日差し照りつける環境では気が付かなかった。
 「さあ!次はあそこだ!」
 遠くに島の影を見つけた竜樹。彼女の声に反応して、引石は弾けるように飛び出した。

 さて所変わって、シュバルツァーの城。ダイアンは謁見の間にてラゼレイとともに積極的に他島との連絡を取り合っていた。近隣の島を中心に警戒を強め、いざという時に素早く助太刀に迎うためである。
 『はっ、現在のところ異常ありません。』
 「ご苦労、引き続き警戒に当たってくれ。」
 水晶から映像が消えた。声を止めると、謁見の間に涼やかな音楽が流れていることにダイアンは気づいた。
 「これは___」
 どこから聞こえてくるのか、弦楽器の美しい音色である。
 「ああすまぬ、これは妻の趣味だ。」
 「この音色はパルニィトでございますか。」
 「左様。伝令の妨げになるのなら弓を休めさせよう。」
 「いえ、滅相もない。美しい音色は荒ぶった心を解きほぐして下さいます。大変に素晴らしい。」
 パルニィトとは天界に古くから伝わるバイオリンによく似た弦楽器。古来は陸竜の鱗に剣竜の髭を鞣した弦を張り、空竜の鬣から作られた弓で奏でるとされていた。今はそれを擬して木製のものが作られているが、弦はいまだに竜の髭を用いて作られている。
 「エンデルバイン様、次の島の用意ができました。」
 「うむ。」
 水晶に手を触れて魔力を注ぐ神官の声に、ダイアンは頷いた。水晶に向き直るとすぐに新たな投影が始まる。
 ピシッ___
 「む?」
 ところが水晶の映像に乱れが生じ、ダイアンは眉をひそめた。
 「他の投影か?」
 水晶がぼんやりと桃色に光った。ラゼレイが目配せすると別の神官が駆け寄ってきて水晶に手を触れる。すると映像が違うものに切り替わった。
 「___イア様!どうかお答え下さい!フォルクワイア様!」
 酷く切羽詰まった呼び声。玉座にいたラゼレイは素早く立ち上がって水晶の前へと躍り出た。映っているのはどこかの城に仕える侍女のように見えた。
 「ラゼレイだ、何事か?」
 そして凛とした声で呼びかける。神官は水晶に手を宛い続け、水晶は淡い輝きを発しはじめた。こうすることでラゼレイの姿が相手方の水晶に映し出される。
 『ああ!よくぞ答えてくださいました!私はラドラスカ城に仕える侍女でございます!』
 ラドラスカ、それはシュバルツァーの隣島であった。
 『恐ろしい敵がやってきて島の人たちを次々と___どうかお助け下さい!』
 「なんと___もはや敵はラドラスカまで迫っていたか!」
 さしものラゼレイも息を飲んだ。ラドラスカはシュバルツァーから一日と飛ばずに辿り着ける島。見晴台に登ればその影形もはっきりと見える。
 「ダイアン殿___!」
 言われるまでもなく、ダイアン・シス・エンデルバインは早速その手に槍を握っていた。彼は胸を張って頷く。
 「お任せ下さい、今こそ天族の誇りを見せるときです。しかし敵も強者、魔力に長けた者を数人ほどお貸しいただけませんか?」
 剛胆かつ緻密。油断しない男ダイアンは、天族では数少ない「勝利の戦略」を練れる猛者である。




前へ / 次へ