1 快進撃

 バーフェルヘイツの勝利報告。それ自体はトーザスや百鬼の嫌気を誘っていたが、この行動は彼と親交のある天族の心を大きく揺れ動かした。そして一つの波を呼ぶことになる。それは希望であり、闘志であり、嫉妬でもある。
 シュバルツァーより三日も飛んだ先にある島、ゲンペストライン。頭首のターブラン・ジグ・オドッティはバーフェルヘイツとは生来からのライバル関係にある男。互いにこの地位まで切磋琢磨してきたのは良いことだが、お互い手柄を追いすぎて冷静さを欠くことが多い。しかし今回ばかりは相手が手強いと分かっている。バーフェルヘイツが助っ人を取っていたという噂も聞いていたから、彼も迷うことはなかった。
 「拳聖マガジェアン殿のお出でである!」
 オドッティの近衛兵隊長が重厚な声を響かせ、城の赤い絨毯を闊歩する。その後ろに続くのは際だった長身で、筋骨隆々とした肉体に隙のない凛々しい顔つきの男。雄々しき翼は獅子の鬣のような威厳を放つ。
 「よくぞお出でくださった!天族最強の武闘師、マガジェアン殿!」
 「うむ___」
 その凛々しき男をオドッティは玉座から立ち上がって歓待する。彼は天界では右に出る者がいないと言われる武闘の天才、バルハラ・サハ・マガジェアンであった。

 「はっ、果てより迫る黒は世界の端から端まで伸びておりました。その様は凪雲のようでもありますが、言葉には表せぬ恐ろしさを感じました。」
 シュバルツァー城の玉座にて、ダイアンは神官装束を纏った女性の手にする水晶に語りかけていた。
 『風はどちらに吹いていた?』
 水晶に映るのは竜神帝であった。シュバルツァーのような地方の拠点となる大きな島には、ドラゴンズヘヴンとを繋ぐ水晶がある。ダイアンははじめて冥府の接近を目の当たりにしながら生き残った天族を代表し、竜神帝に事態を報告していた。
 「風は闇に向かって吹いておりました。日々、接近するほどに強く。」
 『やはりか___』
 そしてその報告は、竜神帝の考えを確信に変えるきっかけとなる。
 『ラゼレイ、ここへ。』
 「はっ。」
 玉座から立ってやり取りを見ていたラゼレイは、ダイアンと入れ替わるようにして水晶の前に出た。
 『我らの世界を脅かしているものは、やはりアヌビスの故郷たる世界、冥府そのものだ。』
 「なんと___」
 『しかしあれだけの世界を動かすにはアヌビスとて並の所行ではない。その方法は分からぬが、強大な力を持った人物が冥府の稼働のために力を注いでいるのは間違いなかろう。』
 「それはアヌビスでしょうか___」
 『かも知れぬが、あるいは___』
 そこまで言いかけ、水晶に映った竜神帝は言葉を飲み込んだ。
 『ともかく、冥府の接近の前に人々が殺戮されているのは確かだ。敵の数は決して多くないようだが、個々の力強さは我々を凌駕している。』
 「聞き及んでおります。多くの島が一人の襲撃に屈していると。」
 『これに勝てねば冥府そのものに抗うことは出来ぬと思っている。そして、勝つことは不可能ではないとも思っている。現にミゼルグェストのソルオール・グリン・バーフェルヘイツは小敵とはいえ勝利を手にした。我らが勝つためには、集団の力を利さねばなるまい。』
 「逃亡は、力を結集するためでもありますね。」
 『無論だ。しかし照準を絞らせすぎては、敵も集団となる。機を見て攻めに転じることも考えねばなるまいが、その際には優秀な将が不可欠だ。バーフェルヘイツの元には、中庸界にてアヌビスを打破したソアラ・バイオレットの夫、ニック・ホープがいた。これが幸運だったのだ。』
 「そのような高名な方がこの天界に___頼もしい限りです。」
 心強い助っ人の名に一瞬とはいえラゼレイの口元も緩んだ。
 『小さな勝利が大きな波のきっかけとなるやも知れぬ。ダイアン___』
 「はっ。」
 ダイアンが水晶の前に再び顔を覗かせた。
 『そなたの兵団に匹敵する集団は、天界広しといえどそうはないと思っている。シュバルツァーを拠点とし、獅子奮迅の働きを期待する。』
 「畏れ多いお言葉。このエンデルバイン、必ずやご期待にお応えいたします。」
 水晶の前で平伏するダイアン。これからが本当の戦いの始まり___その心中には天界を守るという強い意志が沸き上がり、体には猛き血潮が滾っていた。

 大きな波のきっかけとなる___竜神帝の言葉は間違っていなかった。天族は元来、中庸界に住む人々よりも遙かに戦闘力に長けている。多くの天族が魔力を操り、打たれ強い体を持ち、なにより空を飛ぶ。天賦の才の持ち主とはいえ、竜神帝の一士官であるミキャックが八柱神と渡り合えたのだ。ならば天族最強と呼ばれる男に偽りはない。
 「閣下!」
 「きゃっ!」
 ゲンペストラインが襲撃を受けたのは、マガジェアンがやってきた翌日のことだった。襲撃に対しては冷静であれと言いつけられていた近衛兵も、いざその時となれば落ち着いていられない。侍女をはじき飛ばして謁見の間へと駆け込んできた。
 「き、来ました!敵は我々の目をかいくぐり、すでに上陸しています!」
 「むぅ___ついに来おったな!」
 一瞬だけ呻いたオドッティだったが、すぐに玉座にふんぞり返って余裕の笑みを浮かべる。その自信の源は、近衛兵の背後から見えた男の姿にあった。
 「大丈夫か?」
 「す、すみません___」
 凛々しき男マガジェアンは、厳格な面もちとは裏腹に、突き飛ばされた侍女に優しく手を差し伸べた。侍女は少しだけ頬を赤くして、そそくさと小走りで去っていった。
 「たとえ心中乱れようとも、ご婦人に痛みを負わせてはならぬ。猛き心の中にも、労りの心は消してはならぬ。しかと心得よ。」
 「___は___」
 マガジェアンはまるで清流のように清らかで、沈着。近衛兵も彼の透き通った精神に当てられ、焦りを吸い取られるようだった。ひとたびの会話でさえそうなのだ、先ほどまでこの拳聖と精神論を交わしていたオドッティが冷静なのも頷ける。
 「マガジェアン殿、苦戦を強いられているであろう我が近衛兵をお救いいただきたい。」
 「無論。そのために私はここに来た。」
 赤絨毯が際だつ謁見の間、マガジェアンが開いた白く大きな翼とのコントラストは、天窓から差す光を聖なる輝きと思わせるほど神々しかった。
 「逃がすな!」
 その頃、近衛兵の一団は焦燥していた。先を行く影を追い、入り組んだ街並みを飛ぶ。百鬼たちが降り立ったミゼルグェストは、城を中心に島の中央部に街並みが密集する。一方でこのゲンペストラインはドラゴンズヘヴンと同様に、孤立した城から島の各地に道が延び、その先それぞれに小さな町が並び立っている。ただそれだけに町の間を行き来する人影が多く、隠密が忍び寄るには容易い土地といえた。
 「いない!」
 アパートの角を曲がると翼無き男の背中は消えていた。先で道は三つに分かれている。どちらに逃げたか?しかし迷いこそが危機の瞬間である。
 「!」
 日の光が遮られた。それに気づいたときにはもう遅い。
 ザッ!
 先頭の近衛兵、その首に刃が食い込む。刃は手甲から伸び、刹那に男は浅黒の肌に白い歯を際だたせて笑ってみせた。それは補欠で八柱神となった輪廻の笑顔だった。
 「団長!」
 我に返った他の近衛兵が輪廻に斬りかかろうとする。しかし輪廻は刃の抜きしなに団長の傷口を引き裂き、飛び散った血は近衛兵たちの目を襲った。
 「くっ!」
 怯んだ。それが命取りである。輪廻は崩れ落ちる団長の背を蹴って、風のように近衛兵たちの狭間を駆け抜けた。すぐに血飛沫が舞う。
 「ふふふ、他愛もない。」
 実に見事な早業。あっけない全滅であった。
 「?」
 邪魔者を退け、これで悠々と天族殺害に乗り出せる。そう思ったのもつかの間、ただでさえ日差し眩しい天界の空から輪廻にだけ更なる白い光が照りつけた。
 「ちっ___!」
 ただならぬ気配を感じた輪廻は素早く前へと飛び、反転した。
 「闇の手の者は光を嫌うと聞いた。」
 輪廻がいた場所に立つのはマガジェアン。風格だけで他を圧倒する男。補欠とはいえ輪廻もアヌビスに見出された人材だ。マガジェアンの並々ならぬ力は対峙しただけでも感じていた。
 しかし、勝てないことはない。
 「きあああっ!」
 輪廻は突如としてしなやかに跳躍した。奇声は相手を牽制するためにすぎない。ここは街角で、近衛兵たちの惨劇に窓を閉ざしたとはいえ建物の中には人がいる。飛び上がった輪廻は建物三階の窓をぶち破り、中へと飛び込んだ。
 「ひっ!」
 そこでは若い女性が幼い我が子を抱いて震えていた。翼で必死に子供を隠しながら、怯えた目で輪廻を見た。
 「お誂え向きの人質だな。」
 マガジェアンがすぐにでも追ってくるかと思ったが、そんな気配はない。輪廻はゆっくりと二人に近づいて___
 「なっ?」
 いけない。部屋に入り込んでから一歩は進めたが、そこからはまるで全身に綱を巻き付けられたかのように体が前へと出ない。
 「ど、どういうことだ?」
 力を込めてもびくともしない。しかし後ろへと引くことは簡単だった。
 「!」
 「気が付いたか。」
 一歩引いたことで自分の足下に目がいった輪廻。その時、窓の外にはマガジェアンがいた。彼の腕には白い光の紐が絡みつき、その先を辿ると輪廻の影へと行き着く。黒いはずの輪廻の影は白く変わっており、紐はそこから伸びていた。
 「おまえは束縛の白を浴びた。もはや我が身と結ばれた聖なる糸を断ち切る術はない。」
 それはマガジェアンの秘技。輪廻が最初に浴びた光は聖なる魔力を秘め、彼の影を白く染める。影から伸びた白はマガジェアンの体と結ばれ、二人の距離が紐の長さより離れることは決してない。端的に言えば、チェーンデスマッチを強要する技だ。
 技自体に破壊力はない。しかし身を潜めながら俊敏な動作で敵を討つ輪廻には厳しい束縛だった。
 「おのれ!」
 ならば速攻で片を付けるしかない。輪廻は手甲の刃を煌めかせて一気にマガジェアンに襲いかかった。しかしマガジェアンは全く動じることもなく、じっと輪廻の動きを見極めていた。
 「つああっ!」
 パンチを放つのと同じ要領で輪廻は手甲を突き出す。しかしマガジェアンは輪廻の手首を素早く片手でうち払うと、逆の手でその肘をグンッと突き上げる。
 「!」
 浮き上がった輪廻の体が宙を泳いだ。頭を逆さにした状態で、輪廻は拳に白い輝きを満たしたマガジェアンを見た。
 「聖拳撃!」
 マガジェアンが拳を放った瞬間、空へと駆け上る白い輝きはゲンペストライン城からも見えたことだろう。
 「ぐは___」
 宙を泳ぐ輪廻の体、その胸に大穴が空いていた。しかし出血はない。傷口には白い光がコケのように蔓延り出血を封じていた。一撃で仕留めただけでなく、血の雨さえも降らさない。拳聖の名にふさわしい美しい勝利だった。
 「見事だよ___こんなに早く殺されるとは思わなかった___」
 輪廻は断末魔の瞬間に、笑みを見せてそう言った。死を前にしての達観___拳聖はこんな死に顔を過去にも何度か目の当たりにしている。圧倒的すぎる力量差で敗れた場合、諦めの境地はときに笑みを誘うものだ。
 グン___
 落下の途中で白い光の紐が張りつめ、輪廻の体は宙に吊り下がった。もはや全身が脱力し、完全に息絶えた姿で。
 アヌビスにより選ばれた精鋭、新八柱神は早くも綻びを生じたのである。
 ___
 『勝利を手にしたのはミゼルグェストのバーフェルヘイツだけではない!我らゲンペストラインの勇者たちも、拳聖マガジェアンに導かれ勝利を手にした!みよ!これが敵将の首である!』
 勝利を知るとオドッティはすぐさま輪廻の首を切り落とさせた。そして水晶で親交ある同士の元に勝利の報告を行い、その首を映したのだ。もちろん彼が首を一番見せつけたかったのはバーフェルヘイツ。しかし当人は竜の背の上だ。
 『我らは決して屈しない!さらなる敵が来れば、さらなる首を手にするだけだ!』
 オドッティの興奮は冷めやらない。もともとゲンペストラインは武具生産の盛んな島だが、拳聖マガジェアンという最強の武具を得た彼は、自信に満ちあふれていた。




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