2 見過ごされた男

 大きな玉座でもあったのだろうか、城の大きさを超越してあまりにも広々とした謁見の間に、これまた不釣り合いな小さな玉座。竜神帝は可愛らしい動作で、玉座に飛び乗って見せた。
 「さて。」
 帝のこの見た目と、口調もまた不釣り合いか。
 「改めて、良く来てくれたソアラ。ただならぬ覚悟の元での決断、まことに痛み入る。」
 「畏れ多いお言葉___」 
 ソアラは帝の前にひれ伏し、貞淑な言葉で答える。目の周りはまだ赤いが、涙はすっかりとぬぐい取った。
 「サザビーもご苦労。ソアラへの気遣い、私が変わって礼を言おう。」
 ソアラと同じようにひれ伏すサザビーが深く会釈する。さすがに「神」と呼ばれる存在の前では、緊張感が違うか。
 「早速ですが帝___」
 「うむ、用件を済ませよう。まずは姿勢を崩すがいい、ミキャック。」
 「はい。」
 ミキャックが一つ手を叩くと、しとやかな女性天族たちが柔らかなクッションの着いた椅子を持ってきた。謁見の間に、帝、ソアラ、サザビー、ミキャックで会話が始まった。
 「おまえがそれを望んでいるようだから、簡潔に言おう。アヌビスは生きている可能性が極めて高い。」
 予想していた分だけ、ソアラに動揺はなかった。
 「可能性ということは___?」
 「奴の生存を確認したわけではないということだ。」
 サザビーの指摘に、竜神帝は淡々と答えた。
 「問題なのはアヌビスなのではない。おまえたちがダ・ギュールと戦わなかったというところだ。」
 「!」
 なぜ気づかなかったのか、確かにソアラもサザビーも、あのヘルジャッカルをアヌビス目指して駆け上がる中で戦わなかった男がいる。ダ・ギュールはアヌビスとの対峙においてもその姿を見せなかった。
 「あの男はアヌビスに絶対の忠誠を誓っている。少なくとも、あの男よりも先にアヌビスが死ぬということは考えづらい。」
 「あたしが迂闊だったんだ___あたしはヘル・ジャッカルから不気味な男が飛び出してくるのを見ていた___でもそんなことすっかり忘れていた___」
 ミキャックは口惜しそうに唇を噛む。しかしガルジャとの死闘で満足に動けないほど疲弊していた彼女に、そこまで求めるのは無理だ。アヌビスさえ倒せばことはそれで済むと思っていたのだし、この件に関して彼女が責任を感じるのは的はずれである。
 「ダ・ギュールが自ずと戦場を離れたというのは、事後を考えていたため。」
 「ということは___」
 ソアラの頬が強ばる。事後を思うということは、アヌビスにとってソアラとの戦いは結果ではなく、「過程」であるということ、それはつまり___
 「アヌビスははじめからおまえと死闘を『演じる』気でしかなかったようだ。」
 今更ではあるが、それが事実なら虚仮にされていたとしか思えない。だが、アヌビスならやりかねない。
 「しかし何のためにそんなことを___ソアラの力を計るためか?」
 ただそれにしてもサザビーの言うとおり、腑に落ちない部分の方が多い。アヌビスはあの戦いでラングやジャルコといった強大な戦力を費やしている。彼が多くの犠牲を払ってまでソアラと戦いきる意味がどこにあるのか。
 「それは、姿を隠すためではないかと思っている。」
 しかし竜神帝は答えを用意していた。子供っぽいドラゴンのそれとは違う理知的な表情で語る。
 「アヌビスの意欲を向上心と呼ぶのは語弊があるかも知れないが、奴の探求心については認めなければならない。奴は新しいものに目がなく、天の邪鬼だ。それでいて神のプライドには疎く、己の死さえも隠れ蓑にしてしまう柔軟性の持ち主だ。」
神らしくない___竜神帝が語るアヌビスへの褒め言葉を一言で表すならば、ソアラがあの邪神に抱いた第一印象と結ばれる。
 「何か興味を惹くものを見つけて___それに打ち込むことを気づかれたくなかったのかも知れないって、そういうことなの。」
ミキャックが解きほぐして語る。彼女がソアラとの再開にも心からの笑みになれなかったのは、その『何か』を薄々感づいていたからだった。
 「わかりました。」
 それだけ聞けば十分とでも言わんばかりに、ソアラが手を挙げて立ち上がった。『何か』の答えはそれほど簡単に連想された。
 「黄泉です。」
 「やはりか。」
 帝も予想していた。そしてソアラの意見を求めていた。彼は目を閉じて大きく頷く。
 「思いつきですよ、きっと。あいつはフォンから黄泉の話を聞いて、棕櫚とバルバロッサが帰った方法を見ていた。それに、鍵の封という道具だってフォンが持っていたはずだし___何より、棕櫚たちの力を見たらあいつが黄泉に興味を抱かないはずはないと思います。」
 「アヌビスは常に私の目を警戒していた。その中で、死という隠れ蓑を羽織れるのはまたとないチャンスだったのかも知れない。」
 そう、アヌビスは最初天界に姿を現し、その後地界へと逃げた。ただ天界に現れたのは、「地界に逃げた」という印象を持たせるためであり、実際は竜神帝の視線が弱まった隙に地界で戦力を蓄え、空を闇に染めて今後への基盤を築いて見せた。それは全て竜神帝の目を意識しての行動である。
 「ただどうやって誤魔化すんだ?ソアラに倒されたと見せかけるのは相当大変だ。」
 「簡単よ。」 
 ソアラの顔色は嫌悪感で満たされていた。アヌビスのふざけた芝居は懲り懲りするほど味わっている。
 「はじめから遊ばれていたのよ。偶然なのか、分かってやっていたのかはともかく、あいつは『ふり』をし続けてた。」
 ソアラは椅子に身を任せるようにして、どっかりと腰を下ろした。
 「時を止めればどんな攻撃からだって一瞬で逃げ出せる。半分だけ攻撃を受けることだってね___」
 「!」
 「全て予定調和だったということか___」
 「そう思います。きっかけは思いつきだったのでしょうけど、きっとアヌビスは黄泉に。」
 竜神帝が顎髭に手を添え、難しい顔をする。
 「何のためにだと思う?」
 「___帝のお考えは___」
 「新たな戦力の獲得と、自身の強化のためだと考えている。私にはアヌビスの目的の全貌は分からないが、いずれ私に戦いを挑むこともあろう。」
 現実的だ。邪神を相手として考えれば納得のいく答え、しかし相手はアヌビス。ただ邪悪で、光と正義を嫌うだけの邪神ではない。
 「私は___楽しみに行ってるんだと思います。あいつの場合、深い理由なんて後からついてくるもので、アヌビスはまだ見たことのない世界を楽しみに行っている。もちろん、帝のおっしゃるように新たな力を見いだそうともするでしょうが、それは二の次だと思います。」
 ソアラはアヌビスの曖昧な性格を知るからこそ、自信を持ってそう答えた。竜神帝は彼女の力のこもった瞳をじっと見つめ返し、長い瞬きをする。
 「アヌビスは何を目指している?」
 「帝に勝つこと___つまり、より無敵になることだと思います。」
 「___」
 無敵か___
 「あい分かった。」
 ソアラは「G」のことを知らない。その彼女が無敵と口にしたことは竜神帝の警戒を強めさせた。アヌビスは___少なくともダギュールが側にいるのだからアヌビスは「G」を知っている。あの無敵の存在を知るダギュールがいるのだから___
 「やはりおまえに意見を求めて良かった。」
 「お力添えができて光栄です。」
 「社交辞令も言えるのだな。」
 竜神帝はにっこりと笑みを見せていった。
 「まぁ___それなりに。」
 それが神の冗談であると知ったソアラも、笑顔で答えた。
 「さてソアラ、おまえはどうする?」
 短い弛緩の後、帝は再び重大な問いをソアラに投げかけた。普通なら緊張で身体が強ばるところだが、竜神帝がまじめな顔をして短い足を組んでいる姿を見ると、自然とリラックスできた。
 「黄泉へ行きます。」
 そして中庸界を離れたときから身に宿してきた強い覚悟のまま立ち上がり、声が上擦ることもなくはっきりとそう言いきった。アヌビス打倒の思いは潰えることはないし、「黄泉」という世界に対する彼女だけの特別な思いもあった。だから決断は簡単だった。
 「無理強いはしないぞ。」
 「してくれても構いませんよ。あたしはむしろその方が楽ですし。」
 「なるほど___」
 帝はその小さな身体で飛び上がるようにして玉座から降りた。
 「食事でもどうだ?サザビーも。」
 ささやかな顎髭をしごきながら、帝が歩く。
 「喜んで!」
 ソアラは快活な返事をして、帝の後ろを行進するように歩く。サザビーは彼女の陽気に首を傾げ、ミキャックはそれが強がりに違いないと感じて辛い顔をしていた。

 「どうもな、この姿になってからもうずいぶんと長い時がたったが、未だにこの食卓での食事というのがうまくいかない。」
 子供用の脚高な椅子に座った竜神帝は、手が小さいせいかスプーンのさばきがおぼつかない。ソアラは帝のそんな姿を見て、自然と頬を緩めていた。サザビーは竜神帝が思った以上に近い距離感だったので、少し拍子抜けしているところ。ただミキャックの耳打ちによれば、今日はいつもよりも砕けているという。
 「フフ、帝こぼしてますよ。」
 ソアラは顎髭をスープの色で染めている帝を見て、口元に手を添えて笑いを堪えていた。それに気づいた帝はナプキンで顎髭を撫でる。
 「いや、食事そのものが久方ぶりだが、この身体では魚を丸飲みにしたほうが似合うかな。」
 「フフッ、帝ってばお茶目。」
 「ソアラッ、調子に乗り過ぎっ。」
 軽々しい口を利いたソアラをミキャックが強い口調で戒める。
 「構わぬ。」
 「ところで帝さん、何であんたはそんな格好なんだ?自ら力を封じたって話は前に聞いたが___おがっ!」
 ミキャックに拳骨で叩かれ、サザビーは口の周りをムニエルのソースで汚した。
 「あんたもっ!」
 「ミキャック、席につけ。」
 「あっ___失礼しました。」
 ミキャックは頬を赤く染めてそそくさと自分の席へと戻る。一方でサザビーは脳天に手を当てて顔をしかめていた。
 「これは私の幼少期の姿だ。多くの高尚な竜がそうであるように人の姿も持つが___この姿の方が微細なれど特殊な力を発揮するのに適しているのだ。」
 「力を封じたのは___」
 「破壊の力は不要と感じたからだ。」
 ソアラの問いかけに、帝は言葉をかぶせるようにして答えた。
 「かつて私は己の力故に悲劇を招いた。」
 「だが___もしアヌビスがソアラを殺し、あんたを殺しに来たらどうする?あり得ない話じゃないはずだぜ___」
 サザビーの度胸には感心させられる。ソアラもミキャックも、彼の質問に固唾をのんだ。
 「答えが必要か?」
 「___」
 サザビーは竜神帝と真っ直ぐに視線を交わす。
 「___」
 「___」
 「負けた。やめておくよ。」
 「当たり前だ。」
 食卓に蔓延った緊張感が一気に霧散し、ミキャックが苛立ちを込めて食卓を叩いた。
 「ミキャック。」
 「___すみません。」
 ミキャックは慌てて手を食卓の下に引き戻した。それからは和やかなまま食事が進んだ。ソアラは旅立ちの前に心地よい思い出を作り、サザビーは___
 (そうか___最後の手段はあってもアヌビスには使いたくないってのか___)
 竜神帝から送られてきた念を思い出し、煙草に火をつけていた。




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