3 過去を求めて

 黄泉の一角、そこにはシンとした湖がある。周囲には緩やかな山が並び、湖へと続く道もあった。湖の畔に建つ館へとたどり着くその道を、三人組が進んでいた。
 「あれだな。」
 一人はサザビー。どこで調達したか袴に打ち掛け、腰には刀という姿だった。それなりに小綺麗な姿で行った方が目立たないと聞いたから、ちょっと荒っぽいやり方で近隣集落から他人の装束をいただいた。
 「___」
 彼のすぐ後ろを進むのは全身を黒い布で覆った大柄な人物。背中の辺りが猫背のように盛り上がった、奥行きある体つきだった。
 「む___」
 最後尾を歩くバルバロッサだけはいつもの姿。彼は前を歩く人物の布の隙間から零れだした黒い羽をつまんだ。
 「いてっ。」
 幅のある人物、その布の奥から甲高い声が聞こえた。
 「どした?」
 サザビーが振り返る。
 「すまん。羽が飛び出していた。」
 「んー、大丈夫。」
 バルバロッサが素直に謝ったのも珍しいが、それはそうとしてサザビーは黒布の奥を覗き込んだ。
 「大丈夫か?今みたいに声を出されるとちょっと困るぞ。」
 布の奥、さわやかな微笑みがチラリと見えた。
 「平気、我慢できるよ。忘れたものを取り戻すためだもの。」
 「そういうことだ。」
 そう、布に包まれた大柄な人物は小鳥である。元々長身な上に翼を無理矢理布で覆い隠そうとしたら、とんだ大男のようになってしまったのだ。そんな姿で健気な言葉を言う彼女を見ると、サザビーも自然と奮い立った。
 「俺の作戦は完璧だぜ。絶対におまえの記憶を取り戻す!」
 「さすがサザビー!」
 完璧だった試しなどあるものか。バルバロッサは調子のいいサザビーを心の中で嘲りながら、いつもの無口を貫いていた。
 そう、今度の涼妃のセリはあの館で行われる。

 館の側までやってくると、他にも妖魔たちの姿が見えた。着飾った彼らは慣れた様子で、館へと入っていく。館の入り口には酷く背の曲がった男がいて、来る客一人一人にお辞儀をして出迎えていた。
 「あれが茶坊とかいう男か。」
 「そうだ。」
 サザビーの問いにバルバロッサが簡潔に答える。彼らは決して物陰に隠れたりはせず、館へと続く道を歩きながらそう話した。
 セリ会場の周辺で潜んではいけない。そこには凶悪な犬たちが隠れているから。
 そう児玉に伝え聞いていたから、彼らも堂々と進んだ。
 「小鳥、気を付けてな。」
 「大丈夫。」
 サザビーは最後に、自分のすぐ後ろを歩く黒い塊に一声掛け、彼女のしっかりとした返答を聞くと口を開くのをやめた。それからすぐに、館の前にいる茶坊がこちらに気づいて視線を向けてきた。疑いの目である。緊張を携えたまま両者の距離は近くなり、茶坊が声を出した。
 「ご入り用でないならここには寄らねえことです。」
 近づくまでの間、彼が唇を動かす様が見えた。独り言のようにも思えたが少し違う。
 「入り用だ。児玉に紹介状を書いてもらっている。」
 サザビーは児玉からの紹介状を示し、茶坊はグンと目を見開いてそれを覗き込んだ。体型と言い、顔立ちと言い、どこか人間離れした男である。ただそんな茶坊に怪物かと思わせるのが、今のサザビーの連れだろう。
 「確かに本物のようで。しかしその黒い塊はなんで?」
 「ああこいつか?俺の用心棒だ。」
 黒布の狭間から鎖が垂れている。それは布の中で手枷をされた怪物の姿を思わせる。
 「ああ心配はするな、主人の命令には忠実だからな。俺かこいつが命令しなければ悪さはしない。」
 サザビーは軽々しく言った。茶坊はまだ訝しげに首を捻り、黒布の奥を覗き込んでいる。小さな彼は布の狭間を見上げて、奥を気にしていた。
 ブオッ!
 「ぬっ!?」
 黒布の奥から小さな炎が吹き出し、茶坊は怯んだ。
 「ああすまん、ちょっと脅かしたな。」
 サザビーはニヤニヤして茶坊を見下ろした。
 「俺たちの顔を良く覚えておいてくれ。これからは売る方でも買う方でも世話になるからな。行くぞ。」
 サザビーを先頭に黒い塊が鎖を揺らして進む。茶坊はやむなくその行進に頭を下げ、館へ消える後ろ姿を見送った。
 「む?」
 それはささやかな落とし物。茶坊は地に落ちていた黒い羽を拾い上げた。

 実はまだセリの開始まで時間がある。早めに来たのも敢えてのことだ。二人と黒い塊は会場へと続く真っ直ぐな廊下ではなく、横道をの前に立つ男へと近づいていった。
 「売りの交渉をしたい。涼妃さんに会わせてもらえるか?」
 サザビーも十分に長身だが、男の顔は少し見上げなければならない位置にあった。筋骨隆々として無表情。彼はサザビーに声を掛けられても、直立して向かいの壁を睨み付けていた。
 「おい、聞いてるのか?」
 男はサザビーのことを一瞥しただけで、すぐにまた視線を向かいの壁へと移す。
 「お客さん、そいつはやめておきなせえ。」
 「どういうことだ?」
 玄関から顔半分を覗かせて、茶坊がニタリと笑っていた。サザビーは振り返って彼に問いかける。
 「お客さんも主催者の力はご存じでしょう?そいつは見た目だけでして。」
 「___ああ、そういうことか。」
 改めて男を見れば、なるほど形骸にも見える。視線は高い集中力で壁を睨むと言うよりも、虚無の目で呆然としているかのようだ。彼もまた記憶を抜かれた人物。
 「良い品があるんで、おまえのご主人と交渉がしたいんだ。」
 「ちょっと待っておくれなさい。」
 短い思考の後、茶坊の顔が扉の隙間から消えた。しばらくして、しなやかな体を揺らしながら扉を押し開けるようにして、獣がやってきた。犬と言うには大きく、狼と言うには小さい。口から飛び出した巨大な牙が紺色の被毛に映える。眠りの牙を持つ恐怖の犬、牙狼だ。
 「そいつの後についていきなせい。」
 「へえ、助かるよ。」
 牙狼は時折喉を鳴らしながら早足のようにして進み、サザビーたちを追い越していくと先の角を右に折れた。
 「バルバロッサ、いざというときは頼りにしてるからな。」
 「___」
 見失ってはいけない、サザビーたちは短いやりとりを経て牙狼を追った。
 牙狼は実に良く手なづけられていていた。サザビーたちが後れを取れば先の角で座って待っている。そうして館を奥へと進むうちに、一つの部屋へと辿り着いた。
 「あら、ご苦労様。お客だね。」
 牙狼が扉を開けたらしい、サザビーたちが角を曲がると薄暗い廊下に光が零れ、声も聞こえてきた。サザビーは後ろを進む小鳥を一度だけ振り返り、部屋の前へと進んだ。見えたのは思った以上に簡素な部屋で、化粧台を前にする白髪の女。
 「ああ、申し訳ない。少しそこでお待ちいただけるかしら?」
 化粧も最後の仕上げだったようだ。三面鏡に映ったサザビーの顔を見つけると涼妃は手早く紅を差して振り返った。
 「初めて___お目に掛かるかしら?」
 涼妃はすっと右手を差し出す。これが妖魔でなければ握手をしての挨拶もあるだろうが相手が相手、サザビーは鼻で笑って手を後ろで組んだ。
 「俺の名は砂座という。」
 「フフ、よろしく。」
 涼妃には余裕がある。こういう得体の知れない客を相手にしてきた経験、それから彼女の隣で目を光らせる牙狼が余裕の源か。
 「児玉さんの紹介で来たんだ。あなたを捜していたら彼に辿り着いた。」
 いつもながらサザビーの物腰には緊張感が無い。涼妃と相対する場合、初対面の相手は警戒を抱いてやってくるものだ。あの黒麒麟のような、特別な存在意外は。
 「児玉さんとは以前からお知り合いでしたの?」
 「いや、初めて会った時に紹介されたんだ。」
 「あら。」
 涼妃を訪れる客は例外なく一癖ある。ある人物の記憶を消してほしいだとか、恋人を商品にされた復讐とか、その手の来客は日常茶飯事。ただサザビーの切り口は少し普通でなかった。
 「あの児玉に気に入られるなんてよほどね。」
 「ふふっ、まあね。」
 涼妃の言わんとしていることが分かったサザビーは、いやらしい笑みを見せた。
 「どうぞ。」
 三面鏡を背にする涼妃が向かいにある椅子を指差したので、サザビーはそこへ腰を下ろした。
 「私を探していたそうだけれど、何故?」
 「実は俺はある女に一目惚れしてね___」
 涼妃は拍子抜けした。場慣れした柔らかな物腰だが、詰まるところ目的は他の客と大差ないらしい。
 「黒麒麟、知っているか?」
 だが出てきた名前がそれでは勝手が違う。裏社会で一目も二目も置かれる彼女の名が出ては、涼妃の体にも自ずと血が駆け巡った。
 「実は、俺はあの方と懇意でね。あの方の屋敷を訪ねたときに従僕に一目惚れしたんだ___小鳥。」
 名を呼ばれ、黒い塊が静かに部屋へと入ってきた。その風貌にギョッとした涼妃。しかし隣で唸りを上げた牙狼を諌めるゆとりはあった。そういえばバルバロッサは?鴉烙の忠臣の中でも実働部隊の筆頭である彼は、こと裏社会の連中には面が割れていることがある。だから廊下で控えていた。
 「悪いな、商品として売られた人間が戻ってきたなんて言ったら警戒すると思って、化けさせたんだ。」
 サザビーは立ち上がり、頭を隠す黒い布を優しく取り払った。そして現れた顔、ここにいたときは気丈か虚無の表情ばかりが印象的だった___
 「堕天使___」
 「そう呼んでたのか?彼女は黒麒麟に小鳥と名づけられた。」
 小鳥は不安そうな目で涼妃を見ていた。様子を伺うような、気を許していない顔だったが怯えとは違う。それは彼女の中で、涼妃に飼われていた時間が空白となっていることを意味していた。もしよほどの仕打ちをされていたら取り乱しかねない___サザビーもそれが唯一の不安だったから、彼女の忘却は好都合だった。
 「翼が黒いわね。」
 背中の黒布を剥ぎ取ると、黒い翼があらわになる。それは涼妃の知っている色とは違った。
 「黒麒麟が白が嫌いで染められたんだ。んでだな、俺は黒麒麟に掛け合って彼女を妻にもらった。最初は何も思わなかったんだが、一緒に過ごしているうちに彼女に過去がないことを知ったんだ。なぜかと黒麒麟に聞きに行ったが、彼女は旅に出た後で行方をくらませていた。女中が一人残っていたから聞いてみると、あなたのところから買ってきたって言う。それで調べているうちに児玉さんと知り合いになった___というわけさ。」
 ところどころ脚色はあるが大筋では嘘じゃない。涼妃もあの黒麒麟から彼女を掠め取れるとは思っていない。だからとりあえずは頷いていた。
 「それで、私のところへ来た目的は?彼女に関する相談事のようだけど___」
 「あなたは商売人だから俺もお願いだけで済ませるつもりは無い。実は、児玉さんに彼女を大金で買うという前約束を取り付けてあるんだ。」
 涼妃は訝しげに首を傾げた。
 「今日、彼女をセリに出して児玉に買わせる。後日、俺の手のものに彼女を取り返させる。あなたには金が、俺には彼女が残ると言うわけさ。」
 「分からないわ、あなたには何の得も無い。」
 「ここからだ。児玉からせしめる金は俺からあなたへの支払いだってことさ。その金で、俺はあなたが奪った彼女の過去を買いたい。」
 なるほど___涼妃は顎先で小さく頷き、長い瞬きをした。それからの目は裏社会を闊歩する妖魔らしい鋭さを携えていた。 

 競りが行われる板敷きの広間にはテーブルが並べられ、それぞれに買い人たちが陣取っている。広間の奥手に舞台が設けられ、その奥には臙脂色の幕が張られていた。舞台の縁には沢山の松明が置かれ、広間を照らす明かりもそれだけだった。
 「おお、砂座殿。」
 人の顔を見知るのには苦労しない明るさ。浮かない顔でいたサザビーの姿を見つけ、女連れの児玉が声を掛けた。
 「やはりお出でであったか、おお例の娘も。しかし今宵は売りには出さぬので?」
 「商売上の交渉ですよ。お約束は果たします。」
 「それはそうでしょうな、では。」
 児玉はサザビーの本当の狙いなど知らないから、この約束が無茶苦茶だと疑いもしない。一方でサザビーも計画を練り直す必要を迫られていたから、児玉との約束が邪魔に感じた。
 「まさか断るとはなぁ。」
 サザビーは溜息をついた。金にならないものを大金で買うのだから、涼妃に断る理由はないと思っていた。しかし涼妃はサザビーの申し出を断った。
 理由は「危険だから」。
 記憶が蘇るとそいつは十中八九、それまでの屈辱を晴らそうとする。涼妃の身の危険、心配の種が増えることになる。だから駄目だというのだ。
 サザビーがなんと言おうと涼妃の心は変わらなかった。確かに用心深い人物ではあるが、そこまで頑なだった理由は何を隠そうサザビーたちの後ろ盾にある。涼妃は黒麒麟のような絶対的強者を敵にすることを酷く嫌う。いくら小鳥が今はサザビーの手にあろうと、もとは黒麒麟が愛でて買い付けた女。彼女が復讐劇に介入してくるのを恐れているのだ。
 「元気出しなよ。あたしは今のままでも大丈夫だよ。」
 「いや、おまえがそのままだと悲しむ奴が他にもいるんだ。諦めるつもりはねえよ。」
 無邪気な小鳥にまで気を遣わせるのは、サザビーがいつになく悩んでいるから。テーブルにはここのところご無沙汰だった酒が置かれているのに、手も付けずに腕組みを続けた。
 「やっぱり涼妃に押させるしかないな。」
 ただその言葉から察するに、策がないと言うよりは一つの愚策に変わるものを探していたようだ。
 「契約か?」
 バルバロッサの呟きにサザビーが頷く。懐から、ちらりと紙切れを覗かせた。
 「俺たちのご主人様の箔を利用させて貰う。それ以外に方法がなさそうだ。」
 「癪だな。」
 「まあそういうなよ。契約を取り付けてきたら鴉烙も喜ぶぜ。」
 そうこうしているうちに中庸界では見たこともない弦楽器を手に、青髪の青年が舞台に躍り出てきた。木に獣の鞣革をあて、張りつめた弦をバチで弾き、乾いた音を奏でる。
 「どちらにせよすぐには無理だ。今は噂に聞く涼妃の競りを拝見しよう。」
 と、サザビーは笑顔になって舞台の青年を見やり、バルバロッサは首から口元まで巻き付けた布をさらに立て、亀のように鼻まで隠してしまった。興味がないことの現れか。
 「___?」
 そんな彼に気づいて苦笑したサザビーは、ちらりと見た小鳥がただじっと青年を直視しているのに気づいた。聞き慣れない音色と麗しき青髪の美少年に見惚れているのだろうか?
 「さあさ皆々様、今宵もようこそお出でいただきました。」
 声を掛けようかと思ったときに、舞台に腰の曲がった小男が出てきた。茶坊だ。サザビーは呆然としている小鳥を気に掛けながら、舞台に目を移した。

 涼妃の挨拶を経て、競りが始まる。商品は男も女も若く、大概が半裸か全裸で登場する。何を目的とするかは買い付けた人の意志によるが、肉欲を連想させるところは否めない。
 「___あいつが___この舞台に___」
 商品の妖魔たちは、虚無的ではあるが完全なる忘我ではない。傀儡や人形と言うよりも、無垢な点では幼児、従順な点では犬に近い。研ぎ澄まされた己を持つ天族の戦士が、あの舞台の上で同じような目をしている姿を想像するとあまりにも痛かった。
 彼女がミキャックの記憶を思い出したとき、同時にここでの経験も思い出してしまうのは辛いことだ。彼女は暗い顔を見せまいとするだろうが、心には根深い傷が刻み込まれるだろう。
 「___」
 傷は、どんなに時間を掛けてでも消し去ってやらなければならない。彼女をあの舞台に立たせてしまった責任を誰よりも強く感じていたサザビーは、心に誓った。
 急に周囲が騒がしくなり、サザビーは舞台に目を移す。そこには一際流麗たる美女が現れていた。その柔肌に、薄衣一つ纏わせたのは涼妃の手法か。見え隠れの紙一重が彼女を手中にしたい男の欲を掻き立てる。
 「十万結!」
 「いや五十万結だ!」
 会場が急にムンと熱気を帯びた。己に向かって罵声のように次々と浴びせられる言葉に、台上の美女はたじろいでいた。記憶のあるうちはおそらく冷静沈着な淑女___サザビーは改めて涼妃の能力の恐ろしさと罪深さを感じた。そして欲にまみれた競りの様をしばし慄然として見ていた。
 意識が舞台にばかり傾いてしまったこと、それが対応の遅れを招く。
 「ぐおおおおおっ!」
 サザビーの近くで悲鳴が轟いた。同時に舞っていたのは、サザビーたちの横のテーブルで、たったいま二百万結の手を上げた男の鮮血だった。血飛沫は、刃の如き風を放った小鳥を一際濡らしていた。
 「うわあああああああ!」
 男臭い空気を切り裂き、小鳥が絶叫した。
 「小鳥!」
 サザビーが何かをする間もなく、小鳥はその両手を輝かせて飛び跳ねた。舞台の上の光景が彼女の記憶の一端を覚醒させたのか?思い出された地獄絵図に彼女は発狂し、サザビーが目に止めた瞳は焦点を失っていた。
 一瞬の硬直。しかし小鳥の視線の先にいた男の首が薙がれると、会場は狂乱に包まれた。それぞれが気高き能力を持つ妖魔であるが、小鳥の鬼気迫る様、雄々しき翼、なによりもその多彩かつ攻撃的な能力に面食らい、混乱の内に逃げ惑う。
 「あの女___!」
 舞台の上にいた茶坊が舌打ちし、その唇を尖らせる。彼の横に躍り出た涼妃は、狂乱する小鳥の姿を見て一つ指をうち鳴らす。小鳥もまた、忘我にありながら涼妃の姿を見つけると宙で身を翻し、槍を振り上げて一気に襲いかかった。
 しかし二人の女の狭間に、楽器を置き捨てた青髪の青年が割り込んだ。そしてその掌を揺り動かす。猪突猛進たる小鳥は彼の存在など眼中にない。しかし一瞬にして、彼女の動作はピタリと封じられてしまった。
 「いい子ね、梗(きょう)。」
 涼妃が不適に笑い、梗と呼んだ青年の髪を撫でる。青年の掌から放たれた冷気は瞬時にして氷柱を作り出し、小鳥の身体を凍てつかせた。ほんの一秒の間に小鳥の身体は舞台から伸びた氷の柱に食いつかれ、宙に留められた。
 「皆様!ご安心を!曲者はご覧の通り捕らえてございます!」
 こうなることを予測していたかのような芝居がかった身振りで、涼妃は声高らかに言った。よく通る美声は逃げ出した妖魔たちの足を止めた。もとより己の力量に誇りを持ち、些細な敵や混乱に動じず、自らの手で困難を打ち伏すのが優れた妖魔だ。この程度の騒動で尻尾を巻いて逃げ回るのは、気恥ずかしいことでもある。だから彼らは素知らぬ顔でテーブルへと踵を返した。
 「あぁ!」
 胴と槍を握る右手を氷に食われた小鳥は、足をばたつかせて叫んだ。しかし痛みや苦しみよりも、涼妃を破滅させたいという殺意を封じられたことへの煩わしさで叫んでいるようだった。そしてその思いの丈は、彼女の戦い方を呼び覚ます。
 ドガッ!
 小鳥は左手の拳を氷の柱にたたき込んだ。女の殴打が巨大な氷に亀裂を走らせることなどあり得ない。しかし氷の内側に走った炸裂はそれを可能にする!それは彼女がミキャックの記憶と共に忘れ去っていた、必殺の呪拳だった。
 会場に再び緊迫が走る。しかし涼妃は落ち着いて梗の肩に手を触れた。梗は再び手を揺らめかせると、内側から罅入った氷があっという間に修復した。しかも氷に触れていた小鳥の左手を飲み、さらに氷結を彼女の首から口元へと走らせていく。
 「次の商品は彼女にしましょう!さあ皆様、お声を!」
 凶悪な娘だが、確かにその美貌は見る者を惹きつけてやまない。この娘をただ淫蕩の渦に落とし込める。児玉を筆頭に、男たちが声を上げた。しかしそれは小鳥、いやミキャックをさらに苦しめる。
 「そこまでだ!」
 予定は変わった、しかしサザビーは焦ることなく満を持して動いた。




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