1 永遠なる源

 「ここで大人しくしていろ。」
 てっきり鴉烙に目通りさせられるものと思いきや、棕櫚は皇蚕の肉の窪みに金属の厚い扉をあてがった部屋へと押し込められた。中は手を伸ばせば全ての壁に触れられるほどで、押入のような狭さだった。察するに牢屋か。
 「鴉烙の前に突き出されるかと思いました。」
 「今は取り込み中だ。」
 「誰か来るんですか?」
 外の警戒から推し量っての言葉だった。甲賀が何も言わず鉄の扉を閉じると、部屋は真っ暗になった。
 (嘘が下手なのはそっちじゃないですか。)
 どうやら鴉烙の元を誰かが訪れるらしい。自信家の鴉烙がこれだけの警戒を張るというのはよほどのことだ。察するに、鴉烙の能力が何であるか知りながら、何らかの交渉話を持ちかけてきた、鴉烙以上に大胆で自信家な奴だろう。そうでもなければあの鴉烙がこれほどの警戒線を張るとは思えない。
 (だとしたら俺はなんて運がないんでしょう___)
 最悪の時に皇蚕の前を通りかかり、榊の安否を確認することもできない。さしもの棕櫚もため息を零していた。

 甲賀は棕櫚を捕らえたことを鴉烙に報告する暇もなかった。それからすぐに、自ずから「鴉烙に会いたい」などと申し出てきた客がやってきたからである。こういう客の大概は、鴉烙に復讐の念を持つ。彼の能力によって、家族なり友人なりを討ち滅ぼされた、それこそバルバロッサのような立場の者が大半である。鴉烙の能力に打ち克つ術を胸に抱き、彼に挑戦状を叩き付けに来るのだ。
 「あれか___」
 森影から姿を見せたのは細身の女だった。表情は明朗にはほど遠く、足取りも決して軽やかには見えない。痩身で、黒い長髪から飛び出した尖った耳が印象的。
 「影姫か。」
 甲賀は同僚を二人連れだって、女に近づいた。女の薄い黒装束は肌に密着しており、近づくと露骨な線が際立った。しかし痩せすぎていてあまり魅力的ではない。
 「はい。」
 ぽつりと一言、蚊の鳴くような声で影姫は答えた。
 「お一人か?」
 「無論です。」
 「鴉烙様は来る者は拒まぬ。だが何をしに参られたのか、それはここで聞きたい。」
 薄衣一つの曲線に目もくれず、甲賀は冷徹に問うた。返答如何によってはここでその首断つ。そう言わんばかりの殺気が込められていた。
 「交渉を。」
 「交渉___?」
 「風の噂で聞きました。鴉烙様は果てぬ己をご所望とか。」
 「!」
 甲賀は息を飲んだ。
 「どこでそれを___」
 「言えば道を開けてくれますか?」
 ニッ___長い前髪でその目を隠すように、俯いて話す影姫。幽霊のようなその女は、はじめってニヤリと口元を歪めた。
 「以前、捜索能力を持つ男に尋ねたことがございましょう?」
 「___玄武か。」
 「フフ。」
 甲賀が舌打ちしている間に、女はするりと彼の横をすり抜けた。
 「案内していただけます?」
 この女に強さは感じない。しかし何かしら、壮絶な能力を秘めているから堂々とここへやってきたのだろう。まして、鴉烙が求めてやまない秘密の鍵を知っているというのだから。

 「___」
 木製の扉を背にして、一人の妖魔が憮然としていた。いや、元々こういう顔つきなのであって、決して何かに不満があったわけではない。大きな体で扉の盾となるよう立つ彼は、この部屋の警護を任されていた。
 部屋の中にいるのは___
 「___」
 こちらは完全に不満顔の鵺である。よからぬ客がやってくるとなると彼女は徹底的に警護される。バルバロッサがそうしたように、彼女は鴉烙攻略の突破口となり得る存在。どうしても鴉烙をつけ狙う奴らの標的となるのだ。
 そんな父の思いも知らず、鵺は拘束されることを酷く嫌う。ましてサザビーとバルバロッサの件で反発したその時から、彼女は父を嫌っていた。子供のように意固地になって、父の言いつけに反発していた。
 「いたたたた!」
 突然部屋の中から悶絶の声が聞こえ、扉の前の妖魔は肩をすくめた。
 「お嬢様!?どうされました!?」
 「苦しい!苦しい!」
 悲痛な叫びに仏頂面の妖魔も顔色を変える。彼は直ぐさま扉のノブに手を掛けて、勢いよく開いた。
 ブホッ!
 「あ?」
 開かれると同時に、扉から黄色いガスが拭きだした。男の瞼は直ぐさま落ち、その場に倒れてしまった。催眠ガスである。
 「ふふん。」
 扉は二重になっていた。本当の扉の前に、鵺の「開けたら何かが起こる扉」が重なっていたのだ。扉が消え、ガスも溶けるように消え失せると、鵺はそっと扉を開けてニコリと笑った。

 甲賀に導かれ、影姫は鴉烙の部屋へと通された。鴉烙はいつものように、テーブルの向こうの車椅子にいた。音もなく歩む影姫を見て、髭を撫でる。
 「良く参られた。自ずから私の元に歩み寄るとは、なかなかの度胸持ちだ。」
 「それだけの価値がある出会いと感じました。」
 「ほう。」
 長い前髪は目元まで下がり、まるで雨に濡れた女___しかも死体や幽霊のようでもある。影姫には鋭敏な気配はない。しかしただならぬ何かを感じさせる存在感があった。
 「果てぬ己の話を聞かせてくれるのか?」
 鴉烙は白髭を歪めて笑みを見せ、影姫もまたその唇を笑みに変える。
 「___お互いに知り得ることを語り合いましょう。」
 そして、彼女は平然と口にした。
 「私は、あなたが求めるものの正体を知っています。そしてあなたは、それを見つける手がかりを知っている。互いの知恵を重ねれば、輪郭は実体となりましょう。」
 さしもの鴉烙も笑みを消した。
 「俄に信じがたい話だな。」
 「あなたは永遠の命を求め、私はその手がかりを知っている。しかし、それを教えて永遠の命はあなたが独り占めというのは虫が良すぎますわ。」
 さしもの鴉烙も口を真一文字に結び、射るような視線で影姫を睨み付けた。それは、彼の求めるものが「永遠の命」に相違ないことを意味していた。
 「私と手を結ぼうというのか?」
 「協力してお互いに損はないと思います。断られる理由がないと感じたからここへ来ました。」
 この幽霊のような女の能力が何であるか、鴉烙は知らない。だから甲賀の右手は毒の染みた短刀を握り、女の死角に潜んでいる。
 「おまえは___命の源の何を知っているというのだ?」
 「先にあなたが何を知っているのか聞かせてください。」
 「そんな義理はないな、私にはこのように黄泉を広く動け、数多くの部下たちがいる。自力で源を探そうとしたならばおまえより優位に立てる。いや実際、こういった問答は初めてではない。私が永遠の命を探していることをどこからか聞きつけ、すり寄って情報だけ得ようとする奴らだ。よほど虫が良いと思うがね。」
 鴉烙の手元には、いつの間にか一枚の紙が現れていた。そこには「影姫」の名が記されていた。
 「信頼のために命の契約をもらおう。これに血判を押せないと言うのなら、取り合うつもりはない。」
 それは最強と謳われる鴉烙の能力。この時点でどのみち影姫には選択肢が残されていない。血判を押して命を握られてから、永遠の命の情報を搾り取られて捨てられるか、血判を拒否してこの場で始末されるか。鴉烙はこの手の馬鹿を幾度となく相手している。この際に気を付けるのは、唯一の弱みである娘の鵺を利用されないことだけだ。
 「いいでしょう。」
 「なに?」
 だがさしもの鴉烙も耳を疑った。一切の迷いもなく影姫が契約の締結を受け入れたのだ。その言動には自信が溢れ、まるで鴉烙の能力を破る秘策を持っているようだった。だがこれも駆け引きだろう。自信をちらつかせて鴉烙の迷いを誘おうというのだ。しかし彼女以上に鴉烙は自分の能力に自信を持っている。
 「血判を押すがよい。」
 彼はいつもの威厳に何ら翳りを見せることもなく、刃物を持ち合わせていないであろう影姫に小指ほどの刃がついた小刀を差し出した。
 「でも私だけが契約を結ぶのは不公平ですわ。どうでしょう、あなたもご自分の命の契約書に血判を押しては?」
 「___」
 なるほど、何か策があるらしい。鴉烙はこの提案に駆け引きの鍵があると感じた。だが、鴉烙の契約は契約違反を犯すか彼自身の手で烙印を押さない限りは発動しない。たとえ己の命の契約書を結んだとしても、違反条項を無しにすれば、烙印を押さない限り発動することは全くない。
 「良かろう。」
 そして鴉烙の名が記された契約書が生み出される。影姫は鴉烙から小刀を受け取り、己の親指に傷を付けた。血が滴り落ちないように傷を上に向け、小刀を鴉烙に返す。鴉烙もまた己の親指を傷つけた。
 そして二人は血判を押す。これで影姫と鴉烙の命に鎖が掛けられた。
 「さあ、君の話を聞きたい。」
 布で血を拭い取り、鴉烙はすぐに問うた。一方の影姫は己の親指に口を付け、血を嘗め取っていた。
 「その昔、巨大な力が黄泉の果てに封じられました。」
 それまでの駆け引きが何だったのかと思わせるほど、影姫はあっさりと話し出した。
 「それは異世界で破壊の限りを繰り返してた幾多もの生命の集合体。」
 鴉烙の車椅子が小さく軋んだ。彼の手に若干の緊張が走ったためだった。部屋には椅子もある。座って話せばいいだろうに、影姫は立ったままで続けた。
 「その化け物は力を切る剣にバラバラにされて、一際頑丈で、脱出の困難な世界に封じられました。それが黄泉、しかも黄泉の果ての果てだと言われています。」
 「___」
 鴉烙がこちらをじっと睨んでいるのに気づき、影姫は血で塗れた唇をニッと歪めた。
 「気になるでしょう?私はこの力のことを詳しく知っている。ただ私はこの世界にその力の断片がどんな形で顔を出しているのかを知らないのです。そのときあなたが永遠の命を追い求めていると知りました。永遠の命とは、おそらく伝説の力の断片。」
 「貴様何者だ___」
 「私が知りたいのは、あなたが知っている永遠の命の手がかり。あなたは断片が欲しいのでしょうけど、私は断片では満足しません。伝説の力が眠る土地、そこへ赴きたい。」
 鴉烙にとっては冷や汗の滲む言葉ばかり。それは部屋の外に立つ甲賀も同じこと。切り離された右腕の掌にさえ、汗を感じるほどだった。
 「実のところ___」
 鴉烙は腰に力を込め、立ち上がることはなくともその身を前へと乗り出した。手は影姫の契約書に触れていた。
 「私もその先を目指している。あやふやで信じ切れない部分はあったが、おまえの言葉で『その先』の存在に自信を持てた。」
 契約書を握られても、影姫は戦き一つさえ見せない。
 「まずおまえが何者かを明かせ。どこでその伝説の力とやらの話を知った?」
 鴉烙の右手に、音もなく短い棒が現れた。その一片には奇怪な文字が彫り込まれ、血が滲んでいるかのような赤い潤いを宿していた。それが烙印の判。
 「答えねばここで消す。私には今おまえから聞いた言葉だけでも実に有益な情報だった。おまえの危険性を鑑みれば、この辺りで手を切るのも悪くないと思っている。」
 「もう少し遊んでくれるかと思っいましたのに___よほど欲望が強いようで。」
 影姫は嘲笑を浮かべる。
 「私は一方的な詰問には応じない。」
「___」
 しかし、鴉烙の要求には応えなかった。
 「ならこれまでだ。」
 トン。
 大げさな身振りや、呪文など一つもない。ただ簡単に鴉烙は判を突いた。彼にとって一人の命の重さなど、この程度でしかない。机から一歩も動くことなく、ただ木の棒を紙に当てるだけで人一人をこの世から抹殺できる。それはまるで神の所業である。
 グンッ!
 影姫の胸に電撃が走る。まるで見えない手に心臓を鷲づかみにされたような苦しみだった。頭が溶け落ちるように熱くなり、目玉は意志に関わらず回転する。手足が痙攣し、やがて全身の血液が沸騰して皮膚が崩れ落ちていく。
 このまま灰になる。よもやどんな奇跡が起ころうとも復活できないほど完全に消し去る。それが彼の契約。しかし、この日はいつもと違うことが起こった。
 「なに___?」
 朽ち逝く影姫の身体から黒い霧が溢れ出したのだ。それはまるで意志を持ったように動き、灰と化す影姫の上で蠢いたかと思うと、書棚に置かれていた小さな人形へと吸い込まれるように消えた。それはまだ幼かった鵺が、父に送ったはじめてのプレゼントだった。
 「俺とおまえの目指すところは同じだ。また会うこともあるだろう。次にはお互い素直になって、黄泉の果てを一緒に拝めるといいもんだな。」
 人形に喉はない、しかし木の擦れるような音と共に男の声を発した。若さと重厚さを併せ持つ、奇妙な声を。
 ザンッ!!
 短刀が人形を裂いた。
 部屋の片隅より飛び出した右手の仕業である。木製の人形に血が通っているわけがないが、身体を真っ二つにされた人形の断面からは黒い滴が弾け飛び、天井にまで届いた。
 「どうやら、問答の主はこの場にいなかったようですね。」
 甲賀が部屋へと入って来た。吸い付けられるように右手が彼の手首へと戻っていく。
 「影姫に鴉烙様が永遠の命を求めていると教えたのは、玄武です。」
 「玄武。そうか___」
 鴉烙はすぐに思いだした。確かに、「生命の活力に溢れた泉」探しを依頼した妖魔が居た。ただ奴の検索能力が曖昧すぎて、何の役にも立たなかったのだ。
 「鴉烙様!」
 その時、鴉烙の部屋に妖魔が慌てた様子で駆け込んできた。
 「何だ、騒々しい。」
 影姫に翻弄された口惜しさで苛立っていた鴉烙は、視線をきつくして言った。
 「鵺様がおりません!」
 「!」
 なんと忌々しいことか、鴉烙は拳で机を叩いた。無論、鴉烙は鵺の失踪を影姫を装っていた何者かの仕業と考えていた。しかし、親の心子知らず。鵺は勝手に逃げ出しただけただ。




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