3 救いの一手

 泉のことは断じて口外してはならない。この方角へまっすぐと突き進み、三つ瘤の岩にあたったら、その三つ瘤を右手に見ると一つになる方角へ突き進め。やがて道に出る___
 北斗に強い口調でそう言い聞かされ、傷の癒えたソアラは半ば追い出されるようにして白廟泉を離れた。
 (こちらでは黒麒麟と名乗っているレイノラが天界の女神___彼女がこっちに来たのには、もしかして帝が絡んでいるんじゃないのか?それに___白いからかもしれないけど北斗は闇の女神の部下とも思えない。)
 そこを問いただせなかったのは残念だ。あの場ではそこまで気が回らなかった。ただもし彼が竜神帝の部下であるというのなら、なぜ帝を嫌うレイノラに対してあれほどの忠誠を誓うのかが分からない。それなら北斗はレイノラの部下なのだと考えるのが自然だ。
 「竜神帝すなわちジェイローグはその昔、翼無き天族を絶滅に追いやり、魔族を繁栄させた悪だ。」
 思い出されるのはレイノラのこの言葉。母の夢の中でも、この話を聞くことが出来た。これが事実であり、レイノラの口振りからはこれが竜神帝の「裏切り」だということが感じ取れた。
 (レイノラは翼がない___翼無き天族たちの母ってことか?)
 神という存在の重みで考えるとその可能性はありそうだ。
 「まてよ___」
 ある意味ではソアラも天族である。本来竜の使いの故郷は天界なのだから。
 「なら竜の使いは翼無き天族に関係があるのかも知れない___」
 そう思うとゾッとしてきた。この空想が正解に思えたからだ。レイノラは闇を放つ前に___ジェイローグを取るか、あたしを取るか、決めてごらん___と言った。そんな選択肢を与えるというのは、レイノラが竜の使いに遠からぬ存在であることを暗示しているようだった。
 「もう一度会う必要がある___竜神帝にも。」
 確かめるべきだ。アヌビスのことを伝えるのももちろんだが、帝をジェイローグと呼ぶ闇の女神についても問わなければならない。
 ガサッ。
 三つ瘤の岩を過ぎてから、考えを巡らせながら一直線に森を進んでいたソアラの前に視界が開けた。
 「出たのか___」
 記憶から、白廟泉があったであろう方角を振り返ってみる。軽く浮上してみたが、白い湯の沸く滝はおろか、湯気さえ見えない。確実にあそこに辿り着くには、やはり今来た道を戻るのが良さそうだ。もっとも健常な体でそんなことをすれば北斗が容赦なく襲撃してくるだろうが。

 「___」
 もう時間がない。地に植物の根を蔓延らせ、棕櫚は白廟泉を探していた。根は水源を敏感にかぎ分け、効果を得るまでには時間が掛かるがかなり広い範囲の捜索が出来る。そしていくつかの泉や沼はあった。ただそれは何の変哲もないものに過ぎなかった。
 そしてあっという間に二夜が過ぎ、棕櫚に残された時間はもう無くなっていた。
 「仙山が見つけてくれていることを祈るしかない___」
 本当にそれしかない。もし彼が白廟泉を見つけられなければ、榊は死ぬ。彼女を憚り無く愛でる耶雲が朱幻城で号泣することになる。
 ただ不憫なのは耶雲ではなく榊だ。彼女は衰弱して死に至るのではなく、突然長い胸の痛みに襲われ、それが頂点に達したとき、己の意思ではどうすることも出来ないままに苦しみながら死する。榊が棕櫚を愛でているのを彼もまた知っているから、余計に不憫でならなかった。仙山が戻ることだけを信じ、彼女の側にいてあげる方がいいかとも思った。ただ、それでは仙山が納得しないだろう。
 「こんな閉塞感は久しぶりですね___」
 仙山はきっと、白廟泉を見つけるまでは帰らない。態度に見せることはないが、彼は忠義の枠を越えて榊を愛おしく思っている。それは、耶雲以上に強い情熱で。
 もし榊を救うことが出来なかったら、仙山は棕櫚を恨み尽くすだろう。耶雲さえ彼の元を離れるかもしれない。しかし仙山も、棕櫚を殺したいほど憎んでもそれは心中にとどめるしかない。榊が棕櫚を愛しているのだから、口惜しいがやむをえない。そんな彼の気持ちが分かるから、棕櫚は辛かった。
 「植物の能力___そろそろ捨てますか。」
 棕櫚の本来の能力は植物を自在に操ることではない。「能力の交換」である。気に入って使い続けていた植物で榊を苦しめたのだから、せめてこの能力とは決別すべきだ。
 森に蔓延らせていた根が腐れ落ちていく。能力との決別の思いを胸に抱き、棕櫚は別の森へと急いだ。

 一方の仙山、彼の場合は棕櫚のように目で見ずして広範囲を探す術は持っていない。そのためこの数夜、迷彩色に塗り潰した体で、森の中をひたすら駆けずり回るほかになかった。
 「ここも違うか___」
 やってきたのは沼だった。朱幻城に戻る時間を考えた場合、彼に残された時間はもう幾ばくもない。仙山は沼の横を通り過ぎて森の奥へと進もうとする。その時だった!
 ガシッ!
 「なっ!?」
 突然足首を何かに掴まれた。視覚を欺く能力は、時に彼から周囲の警戒を殺ぐ。沼から飛び出した手を振り返る間もなく、仙山の体は凄まじい力で引きずり込まれた。あっという間に右足の太股まで沼に入り込む。
 「待っていたぞ___おまえが来るのを待っていた。」
 沼が盛り上がっている。凄まじい異臭を放つヘドロの固まりが浮上し、その奥には眼孔がうっすらと光った。
 (___妖魔か!?)
 ヘドロを纏った妖魔だ!そう直感した仙山は素早く小太刀を抜くと、ヘドロの固まりに向かって投げつけた。小太刀を食ったヘドロは四方八方へと飛び散ったが、仙山の足を引く力はいっこうに弱まらず、すぐにまた泥の固まりが沼から顔を出してきた。
 「体が欲しかったんだ___人の体___」
 見識の広い仙山は、泥そのものである妖魔の話を聞いたことがあった。泥を食い、泥の体で生きる妖魔。窒息することなどあるはずもなく、沼がある限り生きる。それを妖魔と呼ぶことが正しいのかさえ定かでない存在。彼らが沼を出るためには、生物の死体の中に入り込むほか無いという。何かの間違いで泥が生命力を持った化け物と呼ぶべきかも知れない。
 「そうはさせぬ!」
 仙山の懐から彼の手に引きずられて炎が吹き出した。それは熱を放たない炎。懐に忍ばせていた破れ布を瞬時に彩ったものだ。しかし一瞬の目くらましには十分な鮮やかさである。
 「!」
 あからさまな反応だった。足首を掴んでいた手が放れ、仙山はすぐさま沼から右足を引きずり出した。その時には、炎を纏った布は泥のシャワーを浴びて力無く沼に落ちていた。
 グググ___
 炎に驚いて一度は沈んだヘドロが再び盛り上がる。泥の中に小さな穴が開くと、そこの中から確かに目玉が辺りを見渡していた。
 しかし仙山はいない。いや、実際にはいるのだが、風景と一体化して視覚では全く分からない。
 (探っているな___)
 すぐに逃げられるはずがないと思っているのだろう、ヘドロは沼の縁まで寄ってきて辺りを探っている。おそらく見破られるはずはないと考えていた仙山だが、右足にこびり付いた沼の泥は強い匂いを放っている。それに仙山は気づいていなかった。
 「___!」
 眼光が仙山に向けられ、彼は硬直した。泥が滴るのを防ぐため、土の上に仰向けになっていた彼にはすぐに動くことなど出来なかった。塊から凄まじい早さで泥が吹き出し、仙山に降り注いだ。
 「隠れても無駄だ。」
 「おのれ!」
 仙山は立ち上がって泥を払いのけようとするが___
 (体になっている!?)
 泥の重みが強まると、それは明らかな人型となって仙山の上に覆い被さっていた。掌で押しのけようとしてもがんとして動かない。あげく背景と同化した中で、空間に浮き上がった仙山の歯と口内は必要以上に目立った。
 ギュオッ!
 泥が仙山の口に飛び込んできた。それは一気に彼の喉奥になだれ込み、窒息へと導く。ヘドロの妖魔にとっては必勝の攻撃法だった。しかし___
 いつの間にか、すぐ側の木が真っ赤に燃えさかっていた。しかしその炎には動きが無く、ヘドロの妖魔は一瞬竦んだだけだった。しかしそれでも、仙山の口の中が袋小路だと知るのを遅らせるには十分な竦みだった。
 「よく見ろ。それは皮の袋だ。」
 仙山は色を解いていた。仰向けの彼に覆い被さった泥の一端は、彼が右手で顔の脇に広げていた革袋に突っ込んでいた。皮の袋の端に歯を描き、中には肉の赤みが描いてあった。
 「よく見たな。」
 泥の目が皮の袋にいったその時、仙山は笑みを浮かべた。
 「!?」
 泥の中に覗く目玉がひしゃげた。背景に近い色で塗られた左手で、同じく彩られた手裏剣を目玉に突き刺したのだ。
 「ぐおおお!」
 たまらずにあえいだ泥の体が革袋ごと立ち上がる。袋からは泥とは違う粘り気ある液体が流れ出していった。その液体が仙山の策である。好機とばかりに仙山が右手を草むらに忍ばせたその時、凄まじい勢いの泥が彼の顔へと襲いかかってきた。
 「がご___!」
 泥は一気に口中を駆けめぐり、鼻孔を遡って鼻や目尻から泥をあふれ出させる。仕留めるのには一瞬ですむ。だが仙山のからくりはすでに始まっていた。
 ゴオオオッ!
 泥の体が激しく燃え上がった。
 「ぎぃぃ!?」
 炎は泥の全身に瞬く間に燃え広がる。口を封じていた泥も、炎に吸い込まれるように萎縮して、仙山から脱した。
 「ぎえええ!」
 泥は身悶える。先ほどの革袋に入っていたのは油だ。白廟泉を見つけるまで休まないと決めていた仙山が、時間を取らずにすむ「食事」として持ってきたものだった。そして彼は右手に石を握り、地面にも石が覗いていた。
 石同士を打ち付けた一瞬の火花で、油に引火させたのである。
 「ぐううっ!」
 だが油まみれの泥を浴びたのは仙山も同じこと。彼の体もまた火中にあり、泥の苦しさも手伝ってもはや呼吸もままならない。しかし生きようとする執念の炎は、白廟泉の位置を知るあいつに届いた。
 「フリーズブリザード!」
 仙山の体に吹雪が降り注ぐ。あっという間に彼を襲っていた炎は沈下した。
 「仙山!」
 目にも鮮やかな紫色の登場に、仙山は奇跡を感じた。何しろ彼女は鋼城に向かったのだ。この広大な黄泉でこうも出会える偶然があるものだろうか?
 いや、彼女に限ってはあるのだろう。思えば、この由羅との出会いが全てを劇的に変えた。
 「しっかり!」
 俯せになると激しく咳き込んで泥を吐き出す仙山の背に、ソアラはしゃがみ込んで手を宛った。
 「構うな!奴を仕留めろ!」
 鬼気迫る仙山の横顔にハッとしたソアラはすぐさま立ち上がって振り返った。ヘドロの妖魔は消え、沼に慌ただしい波紋が広がっている。
 「ぐおお!」
 沼の全面から一斉に泥が吹き上がり、仙山の前に立ちはだかったソアラに弓矢の雨のように襲いかかる。
 「ドラギレア!」
 一瞬で詠唱をすませ、ソアラの突きだした両手から炎が吹き出す。その破壊力の甚だしさといったらない。強烈な炎は泥の雨を一息に飲み干し、沼そのものを覆い隠した。
 断末魔の声さえ定かではなかったが、炎の中に確かに人型の影が見えた。名前も分からなかった妖魔は、烈火のうちに沼の泥ごと消え失せていた。
 「ふぅ___」
 久方ぶりの大呪文だ。ソアラは掌の余韻を感じながら、完全に干上がった沼を見て一つ息を付いた。
 「さすがだな___」
 振り返ると、仙山は痛む体に鞭打って早くも立ち上がっていた。焦げ付いて穴の開いた服から、赤黒く火傷した皮膚が見え隠れしていた。
 「仙山、どうして___」
 心配そうな目をしているソアラの口を、いきなり仙山が焼けた手で押さえつけた。
 「回りくどい話をしている暇はない。」
 そして放す。驚いたソアラだったが、彼の重苦しい言葉に声を殺した。
 「姫はあと二夜で絶命する。」
 「___なっ!?」
 さしものソアラも絶句した。
 「最後の手段として、私と棕櫚は白廟泉という泉を捜している。」
 「!」
 ソアラが息を飲み、首を竦めたので仙山はハッとした。すぐに彼女の両肩を掌の痛みも気にせずに掴んだ。
 「その顔___知っているのか!?」
 ソアラには返す言葉を見つけられなかった。
 ___
 「なるほど、この巻物は真だったか。」
 仙山の懐の中の巻物は半分が焼け焦げて、半分が泥にまみれて、読める代物ではなかった。しかしもう必要ない。白童子が実在したことも分かったし、ソアラは白廟泉の場所を知っている。
 「そうと決まればソアラ、すぐに姫を白廟泉にお連れする。」
 「___」
 ソアラは言葉に詰まり、少し眉間に力を込めた。
 「有無は言わせぬぞ。」
 確かに、迷っていられるほど猶予はないようだ。仙山の情熱に、ソアラも考えることをやめた。白廟泉が今この瞬間誰かに狙われているわけではない。しかし榊の危機は今なのだ。
 「分かったわ、急ぎましょう。」
 北斗には恩を仇で返すことになる。頑固な狼は、きっと何を言っても聞かないだろう。
 ___
 「ここなのか?」
 でこぼこした街道に立ち、ソアラを先頭に、仙山、そして榊を負ぶった耶雲が並んでいた。目の前には奥深い森が広がる。
 「次の夜だと迷うかもしれないけど、今ならはっきりと覚えてるわ。ここをまっすぐ進めば三つ瘤の岩があって___」
 ソアラは手を伸ばして自分の斜め前を指さした。
 「三つの瘤が重なった場所からこれくらいの角度へ向かって突き進めばつくはずよ。」
 「微妙だな。得意の呪文で行けないのか?」
 耶雲が難しい顔をして尋ねた。
 「無理ね。そういう場所じゃないわ。」
 いま思えばだが、白廟泉を隠す幻影はレイノラが魔力で作り出したものではないだろうか?思い出してみよう。竜神帝は地界に聳える栄光の城を、幻影で山に隠していた。おそらく同じ手合いの術だ。
 「いい?途中、確実に白い狼に襲われる。出来るだけあたしが引きつけるから、仙山と耶雲は方向を見失わないように白廟泉を目指して。」
 仙山、耶雲の順に視線を交わす。そして、耶雲の肩越しにうつむく榊が見えた。
 「もう少しです。必ず良くなりますよ、姫。」
 彼女を勇気づけるために、ソアラは元気よく言った。しかし榊は顔を持ち上げて___
 「やめぬか?」
 そう呟いた。
 「え?」
 「何を申されますか!」
 「下ろせ、耶雲。」
 榊は耶雲の背を押し、離れようとする。しかし耶雲はしっかりと彼女の両足を背に抱えたままでいた。
 「下ろさぬか。」
 「放すでないぞ、耶雲!」
 「ああ、放す気はない。」
 仙山の一喝に耶雲は顔つきを厳しくして答えた。
 「貴様ら___!」
 「なぜ嫌がるの?あなたの命をつなぐための最後の手段なのよ?」
 耶雲の背中を叩きかけた榊は、ソアラの言葉にその手を止めた。
 「弱き体に過ぎた力の苦しみ___もはや、限界じゃ。今ではもう、草木として生きるのもまた幸せに思えてならぬのじゃ___」
 そして力無く、耶雲の服を口惜しそうに握り、言った。ソアラが初めて会った頃の、毅然とした彼女とは正反対な脆弱さで。
 「情けなかろう?私も情けないと思うておる。しかし___もはや耐え難いのじゃ___」
 榊の切実な思いが涙に変わる。後ろ向きな発想だとは思ったが、それもやむを得ない。彼女は実際に妖魔の戦いに身を投じることで、肉体的な格差を思い知らされた。あげくは草にさえ勝てなかった劣等感から、床に伏しながら思い悩み続けていた。そんな彼女を救おうとする男たちの存在は、今の精神状態では重荷にしかならなかったのである。
 ここ数夜の激動は彼女を著しく疲弊させ、思考の全てを負へと傾けていた。
 「行くぞみんな。」
 沈黙を断ち切り、歩き出したのは耶雲だった。
 「疲れてるんだよ。体が元気になりゃ、考えも変わる。」
 簡単な言い草である。榊にしてみれば、切実な苦しみをそんな一言であっけらかんと片づけられるのは実に口惜しかった。
 「傷が癒えたら朱幻城を離れたらどうだ?そうすりゃ少なくとも今みたいな使命感とはおさらばできる。そうさ、男付きになればもっと楽だぜ。さっちゃんみたいな可愛い子に頼られて嫌がる奴はいない。」
 耶雲は乱暴なやり方しかできない男だ。だから榊は彼をあまり好きになれない。しかし今はそれくらい乱暴に言われた方が身に染みる。
 「いや、耶雲。朱幻城を蔑ろにすることはできないな。だが暫く静養なさっていただくのには大いに賛成だ。」
 仙山は早足で、すぐに耶雲へと追いついた。背中の榊にもその笑みを見せながら。
 「その傷だらけの体と、色塗るだけの能力であの城が守れるのかよ?」
 「用心棒がいるからな。」
 「そういうこと。」
 ソアラも追いついてきて、仙山の横から顔を覗かせる。
 「姫、辛いときに身を預けられる男がいるって良いですよ。あたしも、棕櫚を掴まえてのんびりするのが良いと思います。」
 「あいつは駄目だ!」
 ソアラの提案に男二人が振り向き、声を揃えて言った。きょとんとしていたソアラはすぐに笑い出して手近な仙山の背中を叩いた。
 「姫!今の聞きました!?いいですね〜、モテモテで!」
 「___フフッ、そうじゃな。」
 榊が微笑んだ。そう、彼女を落ち込ませていたのは周りが思い詰めていたせいもあった。仙山はもともと暗い性格だし、ソアラは朱幻城を離れていたし、棕櫚は責任を感じて榊に顔向けできなかったし、耶雲は寄生草の進行を抑えるので必死だった。思えば、こんな和やかな空気は榊の周りに微塵もなかった。それが彼女に負の意識を背負わせた原因でもあったのだ。久しぶりに榊の微笑みを見て、ソアラだけではない、仙山も、耶雲もそう気が付いた。
 「さあ急ぎましょう!予定通り、耶雲と仙山はひたすら白廟泉を目指す。んであたしはできるだけ北斗を引きつける。姫もいいですね?」
 「うぬらに任せる。」
 榊の声に強みが戻った。消えかけていた活力の再生を感じ取り、耶雲は露骨に、仙山はひっそりと意気込んだ。
 「よぉし!俺に続けぇぃ!」
 声高らかに走り出した耶雲。仙山とソアラもそれを追った。ただソアラは、榊の気力が多少は回復したことに安堵しながらも、周囲へ五感の全てを峙たせるのを忘れない。
 北斗は、全員を殺す気で掛かってくるはずだから。
 ___
 三つ瘤の岩。少しずれてはいたが、辿り着くことができた。北斗の襲撃もない。
 しかしこれは想像できたことだ、普通ならば彼は白廟泉を見られないことを最優先に襲撃をかけてくる。しかし今は、一度白廟泉を見たソアラがいるのだから、彼の目標は「例え白廟泉を見られたとしてもこの森からは生きて返さないこと」になる。つまり、北斗はソアラたちを森の奥底に引きつけてから襲いかかってくるだろう。
 「えーと、こうだったな。___」
 三つ瘤が全て重なって見える位置に立ち、耶雲は左手を挙げた。
 「右手よ。」
 「足跡が残っているな。」
 「ああ、この辺は土が軟らかかったからね。」
 新しい足跡はまだしっかりと形が残っていた。ソアラが足を重ねるとピタリと合った。
 「向こうだね。」
 「よし、急ぐぞ!」
 「!!___待て!耶雲!」
 走り出そうとした耶雲に仙山が叫んだ。鬼気迫る一声に耶雲は駆け出した足を棒にしてピタリと踏み止まった。
 「なに___さっちゃん!?」
 振り返って文句を言おうとした耶雲は肩に食い込む爪で異変を知った。
 「下ろせ!耶雲!」
 「いや駄目だ!そんな余裕はねえ!」
 耶雲の言うとおりだった。突然のことで仙山もソアラも我が目を疑ったが、榊は額に脂汗を浮かべて眉間に皺を畳み、目を強く閉じ、歯を食いしばり、ただ歯の隙間からシュッシュッと音を立てて荒すぎる息を付いていた。耶雲の肩に血が滲むほど強く深く爪を突き立て、硬直のあまり膝からつま先までが伸びていた。榊はそれだけの苦しみに襲われていた。
 「棕櫚から聞いている!こいつは末期症状だ!」
 「___見込みより早いぞ!耶雲貴様の能力は___!」
 棕櫚の話ではまだ一夜以上の猶予があるはずだった。それが多少の余裕となって皆の心を落ち着かせていたが、焦燥は一気に高まっていく。
 「俺の能力はずっと生きたままだ。でも見込みは見込みだろ!?」
 「姫!しっかり!」
 ソアラは苦悶に歪んだ榊の顔を覗き込み、必死に呼びかけた。榊の様子が気になりすぎていて、ヒタヒタと地を撫でる足音には気づいていなかった。
 「グアオオッ!」
 「!?」
 森の枝葉を突き破る音と怒声を聞き、ソアラは身を翻した。その鋭い牙でソアラの首を狙ってきた白狼に対し、素早く氷の壁を作り出して盾とする。
 「こいつか!」
 構わずに氷の壁を噛み砕き始めた白狼を目の当たりにし、耶雲は慄然とした。一気に緊迫が上乗せされていく。
 「行って!二人とも!」
 ソアラの声を聞くまでもなく、二人は走り出した。次の瞬間には氷が噛み砕かれ、ソアラに向かって白狼の牙が襲いかかる。しかしすでに間合いはソアラのものだ。氷を貫いて飛びかかってきた白狼の勢いに任せるように体を捻りながら仰け反り、牙と爪がソアラの胸の上を過ぎ去った途端、一気に体を回転させた。
 「ぐぎゃうっ!」
 鋭い蹴りが白狼の脇腹にめり込む。白狼は着地に失敗して地に肩をこすりつけたが、すぐさま翻ってソアラに向き直った。
 「!?」
 改めて対峙し、ソアラは気づいた。
 「小さい!?」
 確かに純白の狼ではある。しかし北斗に比べて明らかに小さい!
 (まさか!)
 白狼は再び真っ向からソアラに襲いかかってきた。
 「コンドルサイス!」
 カマイタチの球を自在に飛ばすシザースボールをより強化したのがコンドルサイス。ソアラの掌から放たれた高速の砲弾は、鋭利な刃物の切れ味で白狼に激突した。
 バサッ___!
 大量の白髪が舞う。白狼の顔から胸あたりまでの被毛が一気に削げ落ち、骨組みが現れた。骨は紐の切れた操り人形のように、突進の勢いに任せて大地に拉げた。毛に覆われていた下半身は倒れたまま少し動いたかと思うと、すぐに毛が束となって抜け落ち、骨に変わっていった。
 「みんなが危ない___!」
 北斗の用心深さは分かっていたはずだ。この程度のことが予想できなかった自分に、ソアラは忌々しさを感じた。




前へ / 次へ