1 破滅の光

 「つあああ!」
 竜の使いの力を発揮することで変わるのは、色と肉体的な強靱さ。一方で「巧みさ」は紫のソアラ・バイオレットが培ってきた技術である。
 「かっ!」
 蹴り上げられた砂が竜樹の視界を塞ぐ。その隙にソアラは彼女の前髪を掴むと飛び上がりながら頬に軽い平手を喰らわせる。竜樹は闇雲に前に向かって拳を放つが、ソアラはすでに彼女の頭上を飛び越えていた。
 「っ!」
 背後から、ソアラの左足の蹴りが竜樹の左膝に打ち付けた。竜樹は持ち前の頑丈さで崩れなかったが、ソアラもそれを読んでいた。
 ガッ!
 左の蹴りの勢いのまま飛び上がったソアラは宙で身体を捻り、右足の踵を振り向いた竜樹の側頭部に叩きつけた。並の相手なら頭蓋骨が砕けるほどの一撃。さしもの竜樹も身体ごと前に倒れる___
 「嘘!」
 かと思いきや、竜樹は腕立てをするように身体を弾き上げ、着地の体勢になっていたソアラの足首を掴んだ。思わず「嘘」と言ってしまうほどのタフネス、そして彼女は劣勢になっても守りには拘らない。
 「うあっ!」
 尻から落ちたソアラの右脚を、竜樹は素早く両腕で挟み込む。
 メシッ!
 足首が両手で力任せに捻られた。鈍い音がして、ソアラは顎を突き上げて喘ぐ。
 「っ!___このぉっ!」
 たまらずソアラは竜樹の顔面にディオプラドを浴びせた。それでも肉体の虎鋏は脚を食って離れない。むしろその余勢を駆って、ソアラの右足首がさらにねじ曲げられた。
 「あちぃっ!」
 しかしソアラの右足に業火が灯ると、さしもの竜樹も手を放すしかなかった。締め付けが緩んだ瞬間にソアラは大きく後方に飛び、片膝をつきながらも身体に走らせたドラギレアの炎を消し去る。一方で竜樹も地を転がって袴に燃え移った炎をもみ消した。
 ここで二人に間が生じた。
 (強い___)
 右足に酷い痺れを感じながら、竜樹を睨み付けるソアラが思った言葉はその一つ。
 (強いな___)
 まだジンジンと痛む側頭部を一度だけ擦り、竜樹も同じ言葉を思っていた。
 「あんた___」
 「おまえ___」
 二人の言葉が重なり、互いに声を飲み込んだ。
 「あ___!」
 「お___!」
 言い直しのタイミングまで一緒だった。不思議なものである。
 「わざとやってねえか!?」
 だが気性は竜樹が勝っているらしい。計ったように重なり合った声に苛立ち、ほころびの出てきた草鞋で地を踏みにじった。
 「違うわ。先に言いたいことがあるならどうぞ。」
 右足の感触を確かめるように立ち上がり、ソアラはムッとして腕組みした。少しだけ顎を上げて話した彼女の仕草がかんに障ったらしく、竜樹は突然顔の前で拳を作ってみせた。
 「いいや!もう言わない!」
 「な、なんなのよ!」
 竜樹が猛然と駆けだし、右足がおぼつかないソアラはディオプラドを連発して牽制をかける。
 ゴオッ!
 しかし爆発など何のその。竜樹の突進力は呪文にも屈することなく、爆炎を突き抜けて一気にソアラに殴りかかってきた。
 バキィィィンッ!
 生身の人間を殴ったのとは違う、透き通った音が響き、戦場にキラキラと光が散らばった。
 (氷!?)
 竜樹が殴ったのは氷柱、ではソアラは!?
 「竜波動!」
 氷柱の後ろにいた。
 「!!」
 その輝きに秘められた破壊力を、竜樹はすぐに見抜いていた。同時に、さしもの自分でも相当の痛手を覚悟しなければならないと悟った。

 「!?」
 遠からずの場所で響いた壮絶な爆音に、煉は虚空を睨み付けた。その姿は外敵の遠吠えを聞く獅子のようでもあった。
 彼の部隊も竜樹に翻弄されたことで統制を失い、散り散りになっていた。死した者も少なくはなかった。煉の周りにいるのはたった五名の同士でしかないが、それでも大将の力に疑う余地はない。その炎は白壁さえも一瞬で焼き尽くし、しかも自由自在に動き回るどころか彼の意志一つで遠ざかろうと燃え続ける。さしもの竜樹も手を焼いて体よく追い払われたのだから。
 「巨大な力が開放された___餓門か?」
 餓門は戦場では人一倍目立つ男、それなのにこの戦いでは姿を見ない。好戦的で知られるあの剛力は金城に閉じこもっているのだろうか?煉は疑問を抱いていた。そんなときである。
 ヒュルルルル___ボァンッ!
 薄明かりの差す黄泉の空に、花火が上がった。一発だけ。紋様ははっきりとしなかったが、赤い彩りが付いているようだった。
 「何だ?」
 煉は眉をひそめた。と同時に、彼の配下が歓声を上げる。
 「おお、赤辰殿!」
 やってきたのは赤辰だった。彼らしくない、少しうつむき加減でのらりくらりとした歩き方で。
 「赤辰、お主一人か?」
 煉の問いかけにも答えない。彼の部下たちが、何か?と赤辰に近づいていく。そして惨劇が起こった。
 「がっ!」
 片手に一つずつ。二人の同志が透過する腕に心臓をひねり潰された。
 「なんだと!?」
 煉の顔色が変わる。その隙にも、あっけにとられていた同志たちが赤辰の手で頸椎を直にへし折られていた。
 「貴様、敵の術中に落ちたか!」
 顔を上げた赤辰の目は死人のように曇っていた。煉は舌打ちをしてその手に炎を灯した。

 「おい、何でこんな化け物が出てくるんだ!?」
 「知りませんよ!」
 棕櫚の手から蔦が伸び、襲いかかってきた狼のような獣を締め付けた。だがそうしている間にも別の獣が襲撃をかけてくる。
 「おりゃあ!」
 耶雲は飛びかかってきた獣の胸に肘を潜り込ませ、勢いに任せて投げ飛ばした。立て続けに両側から別の獣が襲いかかるが、棕櫚が一念を込めると大地から三人を取り囲むようにして無数の樹木が勢いよく伸び、獣の行く手を遮った。
 「榊、生きてます?」
 「案ずるな___」
 背中の榊の吐息がはっきりしないのを気に掛けて、棕櫚が問いかける。元気はなかったが、榊はしっかりと答えた。
 三人は突如現れた獣に苦戦を強いられていた。いったいどこから現れたのか、しかもこれは黄泉でもごく一部の地域にしか生息していない鋼崩(こうほう)という凶暴な犬だ。その強力な牙で、犬たちは棕櫚が作った樹木の壁を食い崩しに掛かっていた。
 それを少し離れた櫓の中から見下ろす男がいる。
 「時間がないね、このくらいにしておきますか。」
 牙丸に認められた妖魔の一人、幻夢だ。彼が手にした本には「黄泉の傀儡」なる題字がされていた。開かれていたページには鋼崩という字と、その解説文が記されていたが、そこには森の景色が描かれているだけで肝心の鋼崩の姿がない。
 「よっ。」
 幻夢は本を閉じ、軽やかな身のこなしで櫓の梯子を下っていった。

 「嘘でしょ___?」
 ソアラは我が目を疑った。そりゃアヌビスと凌ぎを削った頃に比べれば、まだ戦いの勘も力量そのものも研ぎ澄まされた状態ではない。それでも竜波動の破壊力は折り紙付きだ。
 「いってぇ___くっぅぅ___」
 竜樹はしゃがみ込んでいる。腹を抱えるような姿勢で、彼女は両腕を震えさせていた。腕には血が広がり、皮膚が幾分剥がれ落ちていたがそれでも竜樹は健在だった。彼女は竜波動を避けようとせず、顔の前で腕を交差させて真っ向から受け止めたのである。
 「まだ腕が痺れてやがる___」
 文句を言いながらも立ち上がるのだから凄い。この丈夫さには心底驚いたが、ソアラがもっと驚いたのは胴着のほとんどが消し飛ばされて露わになった彼女の上半身だった。
 「女の子!?」
 さらしの半分がそげ落ちて、ふくよかとは言わないが、胸元のふくらみが見え隠れしていた。ソアラは彼女の柄の悪さと打たれ強さから、単に顔が可愛いだけの青年だと思い込んでいたから驚きはひとしおだった。
 「あんだと?」
 竜樹の目つきが悪くなり、一段と鋭い視線でソアラを睨み付けた。
 「驚いたわ、てっきり男の子だとばっかり思ってた___」
 「ああそうさ、俺は男だ。」
 そう言って胸を張ってみせる竜樹だが、晒しが緩んでいるため余計に胸のふくらみが目立った。どう見ても女性なのに男だと言い張る彼女の姿は滑稽である。
 「てめえも男か?」
 「どこをどう見たらそう思えるわけ?」
 ソアラは自分の胸や腰に手を添えて、首を捻った。
 「女にしちゃ強すぎる。」
 自分のことを棚に上げてよく言うよ___と思ったが、竜樹が男と言い張るのには何か裏がありそうだったので口を噤んだ。
 そのとき、二回目の花火が上がる。竜樹はそちらを見上げた。
 「俺帰るわ。」
 「はい?」
 腰の龍風を確かめて、竜樹は唐突に言った。ソアラは顔をしかめて問いただす。
 「おまえ名前は?」
 「___由羅。」
 「聞かないな、そんなに強いのに。俺は竜樹って言うんだ、覚えておけ。」
 ずいぶんと自分勝手な喋り方である。
 「おまえとはまた闘いたい。今日は付き合って素手で闘ったが、次は容赦しないからな。」
 そして竜樹はソアラに背を向けて歩き出した。
 「ちょっと、どういうつもり?腕を痛めたから逃げるの?」
 負けず嫌いに見える彼女が背を向けて歩き出したことが腑に落ちないソアラは、挑発的に問いかけてみた。案の定、竜樹は少し苛ついた様子で答えてくれた。
 「三発目の花火が鳴ってから五つ数えたらこの戦場は吹っ飛ぶ。おまえも早くここから離れた方がいいぞ。」
 それだけ言い残し、竜樹は疾風のごとき速さで走り去っていた。変な子だなぁと思いながら見送ったソアラは紫色に戻り、改めて彼女の捨て台詞を思い返した。
 「え?吹っ飛ぶって言った?」
 寒気が走った。

 「赤辰!貴様ほどの男が正気を保てぬのか!?」
 俊敏な動きで襲いかかってくる赤辰の攻撃を回避しながら、煉は必死に呼びかけた。だが誇り高き大男の耳には届いている様子がない。
 「儘よ!」
 同志を術から解く知恵を絞りたいが、その余裕を赤辰が与えてくれない。
 「うおお!」
 煉が壁を背にすると、赤辰は雄叫びを上げて渾身の拳を放った。しかし煉は身をかがめて簡単にやり過ごし、透過する腕は壁へとめり込む。そのとき、二人の顔が近づいた。
 「!」
 赤辰の死んだような眼に、涙が浮かんでいた。その涙には彼自身ではどうにもできないもどかしさ、誇りを失い醜態を晒す自分への呪いが込められているようだった。
 戦士たる者、惨めな姿をさらすならば死を選ぶべし。
 誇り高き者たちだけが持つ受け入れ難い選択。
 煉は決断を下した。
 「天昇散華!!」
 煉の瞳に炎のような赤い輝きが広がる。彼の体毛が火炎となって燃え上がり、周辺の大気が高熱で揺らぎ始めた。背後の白壁が溶け落ち、赤辰の体から大量の湯気が昇る。
 「散れ、我が紅蓮の元に!」
 煉の体が赤辰ごと燃え上がった。その炎は全てを焼き尽くす。いや、焼くという行程はない。固体だろうが液体だろうが、超高熱で全てを大気に昇華させる、それが煉の炎だった。
 ゴォォォゥゥ___
 火炎が煉の体に吸い込まれるように収束すると、彼の周りには何もなくなっていた。背後の壁も、赤辰の全ても。
 「すまぬ。」
 介錯とは何と心の痛むことか。煉は赤辰の冥福を祈り、その場でそっと目を閉じた。

 「相変わらずえぐいねぇ、おまえの能力。」
 半分以上まで食い進められた樹木の囲いから顔を覗かせ、耶雲が呟いた。囲いの周りには鋼崩たちが横たわっていた。
 「ま、応用力が自慢ですから。」 
 囓られて露出した木の内側に、黴のような白いものが蔓延っていた。樹木に寄生する毒性の胞子だ。棕櫚は囲いの木にこの胞子を蔓延らせることで、鋼崩たちを毒殺したのである。
 「さ、改めて安全なところまで逃げ出すとしましょう。」
 「待て棕櫚___!」
 絞り出すような声で、榊が言った。
 「死んではおらぬ___!」
 「げげっ!」
 耶雲は慌てて囲いの中に首を引っ込めた。なんと鋼崩たちは何事もなかったかのように次々と起き上がってくる。
 「どうもおかしいですね___さっきから耶雲に殴り飛ばされたり、蔦で締め上げられてもまるで効いてる様子がない。」
 「落ち着いてる場合じゃねえぞ!」
 「ガルル!」
 腹に響く唸りを上げて、鋼崩たちが再び囲いを破り始める。胞子もなんのその、囲いは今にも突破されんばかりだ!
 「ドラギレア!!」
 快活な声と共に、戦場に炎が降り注いだ。樹木の囲いを避けるようにして、ドーナツ状に火炎が広がった。
 「シュアアアッ!」
 悲鳴とも何とも取れない奇怪な声を上げ、鋼崩たちが燃えていく。生身の生物が燃えるよりも遙かに速く。骨も残さず。
 (___作り物?)
 棕櫚がそう思ったのも無理はない。駆けつけたソアラが放った火炎一つで、あれほどしぶとかった鋼崩は跡形もなく全滅してしまったのだから。
 「良かった!無事だったね!」
 ソアラが酷く焦った様子で駆け寄ってきた。棕櫚はすぐさま周囲の樹木を枯れ果てさせる。
 「急いでここから逃げましょう!」
 「なんで?」
 耶雲がきょとんとして問い返した。
 「罠よ!さっきから花火が鳴ってるでしょ?あれの三つ目が鳴ってから五つ数えた後に、この戦場ごと吹っ飛ぶんだって!」
 「!!」
 棕櫚たちは絶句した。
 「それを___それを煉殿は知っているのか!?」
 榊は棕櫚の肩から身を乗り出していきり立つように問いかけ、少し咳き込んだ。
 「知らないと思う___あたしもさっきの竜樹って奴からたまたま聞き出せただけなの!」
 「なんと___」
 はじめからこの戦いは仕組まれていた。水虎の陣で飛行できないこの戦場は袋であり、煉軍は鼠だ!
 ボァァンッ!!
 三発目の花火が上がった。そのとき、四人は空を睨んで硬直した。
 「ソアラさんヘヴンズドアを!」
 「やってる!」
 一___棕櫚が叫ぶまでもなく、ソアラは魔力を開放した。
 「ヘヴンズドア!」
 しかし何も起こらない。水虎の陣は飛行に繋がる呪文さえ封じ込めた。
 「駄目!どうする!?」
 二___少しだけパニックになって、ソアラは棕櫚に問いかけた。
 「どうすると言っても___地下だって駄目でしょうし___」
 「棕櫚___」
 棕櫚に背負われたままの榊が彼に何かを耳打ちする。
 三___棕櫚はその言葉に息を飲み、冷や汗を滲ませる。
 「何?何か方法があるの?」
 「片手では間に合わぬ!早くせい!棕櫚!」
 「どうなっても知りませんよ!」
 四___棕櫚が肘先の無い榊の右腕を握った。そして一念を込めると___
 ズリュリュ___!!
 皮膚を破り、幾重もの細い植物が榊の肘から吹き出した。それは蠢きながら、あっという間に絡み合い、手のような形になった。
 これは禁断とも言える植物、「寄生草」。人の神経と細胞に連動し、肉体の欠如を補うが、とんでもない副作用を伴う。
 「闇よ!」
 健常な左と植物の右で、榊は空間に赤い文字を描く。
 そして、時が満ちた。
 
 「昇天っっっ!!」
 金城で餓門が叫んだ。全身の血液を煮え滾らせ、彼の力は金城の地下、この要塞全域に広がって蓄えられていた。
 それを開放した。
 彼はただ純粋に強いだけでなく、とある媒体に己の力を伝達させ、開放させることができる。金城は城の中心の柱から地下に広がる迷宮まで一枚岩である。それは、餓門が究極なまでに力を蓄えることのできる巨大な媒体でもあった。
 そこから開放された破滅の光は、天へと立ち上った。
 無限の闇に突き刺さり、それこそ、太陽を知るものが見たら黄泉にも太陽が生まれたのではと疑うほど、空が明るくなった。
 破滅の光は全ての命を飲み込んでいく。
 餓門派も天破派もない。
 全てが滅んだ。




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