2 困惑を呼ぶ来訪者
「どうした〜?」
「人が落ちてきた!」
「はぁ!?」
驚きのあまり立ちつくすソアラ。ミロルグと毛布を羽織ったままのサザビーも彼女の肩越しから雪の中に突っ伏す人影を見ることができた。空からいきなり人が落ちてきたというのはあまりにも驚きだが、もっと驚いたのは___
「しかも天族___!」
彼の背中に純白の翼があったことだ。
「う〜ん。」
天族の男が目覚めるまで、時間はかからなかった。彼をベッドに横たわらせ、サザビーが着替え、ミロルグが湯を沸かしている間、ソアラに見守られて彼は目覚める。
「はっ!」
「わっ!?」
彼の顔をのぞき込んでいたソアラは、男が突然目を開いたので身じろぎする。
「あっ!」
「は?」
男がいきなりソアラを指さしたので、わけもわからず彼女は眉間に皺を寄せた。
「ああっ!」
「な、なによ?」
男はソアラを指さしたまま飛び起きる。
「あああーっ!」
「うるさいっ。」
ベッドの上に立ち上がってソアラを指さし叫ぶ男、ソアラはたまらず彼に脚を払った。
「おわっ!」
ガンッ。
あけっけなく転倒した男は、ベッドの板に後頭部を打ち付ける。
「うく〜。」
「ご、ごめん、大丈夫?」
頭を抱えて蹲る男にソアラが手を触れて声をかける。振り向いた男は少し涙目になって___
「あーっ!」
またソアラを指さして叫ぶ。
「しつこいのよ。」
ソアラは反射的に彼の頭を平手で叩いていた。
「どうした?」
「あぁ!?」
やってきたミロルグをみると、彼女をも指さす。
「なんだ?」
「あぁ?あ〜?あぁ___」
何かが的はずれだったのだろう、男は首を傾げて難しい顔をし、なんだかかんに障る失笑を浮かべていた。
「なんなんだこいつは。」
「あ〜しか言えないみたいよ。」
「いや、喋れますよ。もうべらべら。」
思わず膝の崩れたソアラは、素早く振り向いて彼の襟首を掴んだ。
「なんなのよあんたはっ!」
「ごめんなしゃ〜い___」
奇妙な天族。このときから、彼はソアラの心をかき乱していた。
「私の名前はトーザス・フレア・ランドワール。何を隠そう天族です。」
「見れば分かる。」
「そして何を隠そう独身だったりします。」
「聞いてない。」
「ついこのまえ二股をかけていたことがばれて酷い目にあいました。」
「そりゃあんたが悪い___って、いちいち突っ込ませないでくれる?」
ソアラはベッドの上に片足を乗せ、引きつった笑みでトーザスを睨み付けた。目は少し垂れているが、すっきりした輪郭、柔らかそうな亜麻色の髪。黙っていればそれなりに二枚目なのに、彼の性格はとびきりの三枚目のようだ。
「おまえも突っ込まないの。こっちから聞いてやったらいいじゃねえのさ。」
見かねたサザビーがソアラの肩を叩いて落ち着かせる。
「あ、それいいですね。」
キッ!ソアラに睨まれて、トーザスはシーツをたくし上げて口元を隠した。
「まあいいわ___君もちょっとはまじめに喋ってよね。まず天族のあなたがどうしていきなり空から振ってきたのか。」
「多分とんでもないところに出るんじゃないかなぁとは思ってたんですけどね、ええ。天族が空から落ちてちゃあしょうがないですよねぇ。」
ソアラは伏し目になって、じっとトーザスを見る。滲む殺気にさしものトーザスの笑顔も凍り付いた。
「ミロルグ。」
「こういうことか?」
ミロルグが手を煌めかせると、トーザスの目前に破壊力の秘められた黒い輝きがスパークした。
「わ、分かりました。話します話します。」
トーザスも彼女が本気で怒っていると分かったのだろう、ようやくまともに語り始めた。
「私は天界から竜神帝の命を受けてやってきました。」
(何でわざわざこんな奴をよこすのよ___)
口に出すとまた長引きそうなので、ソアラは心の中でまだ見ぬ竜神帝に怒りを向けた。
「天界からこちらに来るのは帝に送っていただいたんです。ただ何しろこちらに来てから目的のソアラ・バイオレットを探せるかどうかが怪しいもんでして___でも帝に頂いた導きの石のおかげでなんとかここに辿り着くことができました。」
トーザスは懐から鮮やかな緑色の石を取り出した。
「それは?」
「この石に捜し物を念じると、そこへ導いてくれるんです。便利でしょ。紫色の髪をしたソアラ!って念じたらあっという間にここへ運んでくれましたよ。ただ突然だったもので空中でバランスを崩しまして___」
ペラペラと調子よく話しているトーザスだったが、ソアラは大きな目をもっと見開いて、ミロルグと互いを見合わせていた。
「ちょっとそれ貸して!」
「えぇ!?」
ソアラは彼があっけにとられているうちに導きの石をかすめ取ると、早速目を閉じて思いを込める。
(呪文の使い手___フュミレイ・リドン!)
と___しかし。
パキッ!
「あああああっ!!」
混乱させてしまったのだろうか、導きの石はソアラの手の中で真っ二つに割れ、あっという間に変色してただの石になってしまった。トーザスが悲鳴を上げる。
「ご、ごめん___」
ソアラは彼の顔色をうかがうような苦笑いで、宙を泳ぐ彼の手に砕けた石を握らせてやった。
「んで、おまえは何をしに来たんだ?」
「そ、そうそう。」
ソアラは取り繕うようにサザビーの言葉にあわせて頷いた。
「しょんぼり。」
だがトーザスはうつむいて立ち直らない。
「本当に悪かった。ごめんね。まさかあんなことになるなんて思わなかったのよ。」
ソアラはトーザスの首に手を回して、彼を慰めるように優しく抱いてやる。彼の鼻先に流れた紫色の髪がとても良い香りだったので、トーザスの気持ちが浮つく。
「実はもう一個あったりして。」
そして彼女の耳元でぽつり。
「きーっ!」
「やめとけやめとけ!」
右手に炎をともすソアラをサザビーがあわてて後ろから羽交い締めにして引きはがす。
「冗談です冗談。これは天界に帰るためのもので、特殊な力が込められてます。」
「あんた人のことからかい過ぎよ___」
どっと疲れが出たようで、ソアラは背を丸めて愚痴をこぼした。
「それで、本題は?」
「あ、はい。」
ミロルグが昔を彷彿とさせるような厳しい視線でトーザスを一睨みすると、彼はピンと襟を正してまた話し始める。ソアラとサザビーはミロルグにささやかな拍手を送った。
「___どこまで話しましたっけ?」
「竜神帝の命令って何なの?それを教えて。」
「ああそうそう。」
今までのおちゃらけムード、それを一掃する言葉が彼の口から聞かれた。
「アヌビスに関することで、お話があるそうなんです。」
「!」
良くない報せ___に決まっている。わざわざ使者をよこしてまで、アヌビスに関する話とは、まかり間違っても喜ばしいことではないはずだ。
「できれば、天界で直接話をしたいと。」
ソアラは息の詰まる思いだった。トーザスに言伝をさせるのではなく、天界で帝の口から話を聞かせたいというのは___相当の覚悟と邪推がかき立てられる。
「重要なことみたいだな。」
「多分。まあ私の知るところではありませんが___強制ではありません。あなたが拒むなら、帝もその決断を受け入れるようです。」
ソアラは音が聞こえるかと思うほど強く、固唾を飲み込んだ。なるほどこのトーザスという男、普段がふざけているだけあって真剣になったときの緊張感が違う。
「___」
黙り込み、少しうつむいて思いを巡らせるソアラ。
「行ったらしばらく帰れなさそうか?」
彼女に替わりサザビーが尋ねた。
「多分。」
トーザスは曖昧な答えを返すだけ。彼も竜神帝の話がなんたるかまでは把握していないようだ。ただおそらく、帝の周りに慌ただしい空気があり、良くないことだという予感は持っているのだろう。
「いけるのはソアラだけか?」
「石の力にも限界がありますので。」
それがますますソアラを混沌とさせる。いま百鬼との関係は少し不安定。はたしてこんな話を___一人で天界に行き、しばらく戻れそうもないなんて切り出せるだろうか。そしてなによりリュカとルディー___母とともに過ごす時間をとても楽しんでいる彼らを、置き去りにしていけるものだろうか。
「すぐには決められないわ___考える時間をちょうだい。」
それでも天界に、竜神帝に、何より緊迫感を抱かせる「話」に、ソアラは興味を抱かずにはいられなかった。そしてあまり我慢強くはない自分の性格も知っていた。
「二日後まででいいですか?私が帝に与えられた猶予なんです。」
ソアラは短い逡巡の後、頷いた。
「分かったわ、それまでに結論は出す。またここに来ればいいかしら?」
ミロルグに視線をやってソアラは問いかけた。トーザスも縋るように黒髪の魔女を見つめる。
「まあ仕方ないな。その翼で町へ放り出すわけにもいかないだろう。」
「んじゃついでに俺もな。」
「そのかわり、宿賃分くらいは働くように。」
「はーい。」
受け入れてもらった喜びを、陽気な返事で表す男二人。ミロルグは呆れた様子で顔をしかめた。
「それじゃ、二日後に。」
「竜神帝への中庸界土産も忘れずに。」
「フフ___」
さっきまでは食ってかかっていたトーザスの冗談にも、複雑な笑みを浮かべることしかできない。
バタン。
そしてそれ以上の別れの言葉もなく、銀世界へと踏み出していった。
「ありゃ相当悩んでるな。」
彼女がいなくなるなり、サザビーが腕組みしてつぶやく。
「二日たっても来てくれなかったらどうしましょう。」
「その心配はない。わたしは___ソアラの腹はすでに決まっていると思う。」
不安げなトーザスに、ミロルグはひときわ冷静な声色で言った。
「そうだな、俺もそう思うよ。ただあいつは、そのために犠牲を払わなければいけないことに悩んでいるんだ。」
「犠牲?何のです?」
トーザスに問われると、サザビーはニッと笑って彼の顔にたばこの煙を吐きかけた。
「うへっひぇっ!?」
「二股かけるような男にゃわからねえよ。」
そういってサザビーはケラケラと笑った。
「股を四つくらい持つ男が___よく言う。」
ただ女遊びが趣味の彼のこと、ミロルグのつっこみも当然である。
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