1 会いたい人

 あの日___アヌビスと戦い、そして勝利したあの日。我が子の偉大なる変化に当惑しながらも、私は喜びと幸せを噛みしめ、訪れた平穏な日々に計り知れない安らぎを感じていた。
 ただ、それはほんの僅かなときでしかなかった。
 きっかけはアヌビスの一言。
 彼があの首飾りに手をかけ、何気なく口にした言葉。
 「誰かがこいつに浄化の魔力を送っているらしい。」
 幸せの瞬間が過去に押し出されたその時から、私の頭の中でこの言葉だけが響き続けた。その意味することを勘ぐって、心の高ぶりを押さえつけることができなかった。
 あの首飾りはフュミレイ・リドンの遺品。彼女が死の決意を私に告げにやってきたとき、計らずとも残していった形見。そう、彼女は死んだんだ。クーザーマウンテンと共に、フェイロウと共に、自らの身体に巣くった爆弾で消え去った。
 はずなのに___
 アヌビスの言葉はにおわせる、私を誘うには十分すぎた。彼が口にした言葉は偶然に過ぎないのだから余計に真実だと確信できる。
 首飾りに魔力が籠もっていたわけではない。
 首飾りに「誰か」が力を注ぎ込んでいた。
 首飾りの持ち主はフュミレイ。
 あのとき___朽ちかけた私が聞いた声もフュミレイのものだった。
 こんな状況下で、彼女の生存の可能性を考えないでいることなどできるだろうか。そうとも、誰も彼女の亡骸を見たわけではない。
 フュミレイ・リドンは私にとってかけがえのない人。
 あの銀髪に私は共感を抱き、彼女もまた私に神秘を感じていた。
 彼女の魔力はあまりに天才的で、私は常にあこがれていた。
 彼女は冷淡の仮面を被る悲しき人だと知ったときから、私は彼女を慕わずにはいられなかった。
 私たちは最良の友となった。
 そして恋敵でもあった。
 私が愛した百鬼が、私よりも愛した人が彼女だった。
 彼をごく自然にニックと呼べるのは、彼女だけだった。
 そのフュミレイが___
 生きているというのなら、私は安穏とした日々を送ることなど到底できない。なぜこんなに自分勝手なのか___自責の念は強かったが、百鬼には何も語らず、子供たちは遊びに出すか嘘を付いて、私はケルベロスへ出かけることが多くなった。
 それは微かな不和だったが、大きな決意の呼び水ともなった。
 私、ソアラ・バイオレットの心は___
 混沌としていた。

 「手紙が来てたぞ。」
 夜。 
 「あ、ごめん、覗いてなかった。」
 二人はソードルセイドの郊外に住んでいた。街からは少し離れた風雪の少ない場所に、あまり大きくない家で召使いも雇わずにいる。
 「食事作るよ。」
百鬼が脱いだ皮のマントを受け取り、ソアラは微笑んだ。伸ばした髪をまっすぐに下ろしているせいか、だいぶ落ち着いた印象を受ける。
 「いや、師匠に誘われて軽く食ったから。」
 「あら。」
百鬼はソードルセイドの刀鍛冶の元で、百鬼丸に変わる新たな愛刀作りに精を出している。遅い帰りになることも多く、以前は必死に眠い目を擦って待っていたリュカとルディーも、最近は先に眠るようになっていた。
 「順調なの?」
 「まあな。まだ打たせてはもらえないけど。」
 こういうときは自然と小声で語り合う。会話はあまり弾まず、早々に子供たちを起こさないようベッドに入るものだ。
 だが今日は少し違った。
 「あ、見てよライから。」
 手紙を手に、ソアラはソファに腰を下ろす。
 「へえ、久しぶりだな。」
 思えばもう一年近く彼らと会っていない。二人が結婚をするというのでカルラーンに出向いて以来だ。いま二人はカルラーンで新婚生活の真っ最中。そう、中庸界に戻って別れ別れになってから、あと数ヶ月もすれば二年だ。
 「あら、フローラおめでただって。」
 「ほんと?」
 雪で湿った服を暖炉の側の石に掛け、百鬼はソアラが用意した渇いたシャツに着替える。
 「結構早かったなぁ。」
 「あなたライのこと馬鹿にしてない?」
 「ちょっとな。」
 百鬼はソアラの隣にどっかりと腰を下ろし、彼女の肩に手をかけた。
 「冷えてるね。」
 「慣れてるよ。」
 ソードルセイドは冬。外から戻ってきたばかりの彼の手はとても冷たかった。
 「何か飲む?」
 「いや、いい。」
 百鬼の表情がもう一つさえない。ソアラはキョトンとして彼を見た。
 「どしたの?」
刀鍛冶の師匠に何か言われたのだろうか?だが百鬼の答えは、彼女の楽観的な想像からはほど遠かった。
 「おまえさ___」
 「ん?」
 「俺に何か隠し事してない?大事なこと。」
 きっと彼はだいぶ前から感づいていたのだろう。ただソアラのことを信用しているから、あえて何も言わず時を過ごしていたに違いない。ただ、亭主のいない昼下がり、子供たちを遊びに出させてまで何処かへと足を運ぶワイフに良い印象を抱けるはずもなく、その手の噂というのは簡単に広まるものなのだ。
 「___」
 「してるな。」
 黙ってしまったのだから否定はできない。お互いの気性を良く知ってるから、食ってかかることさえしなかったソアラの態度に、百鬼は確信を覚えた。
 「うん___その、迷惑かけてるって言うのは分かるし、苛つかせてるのも分かるんだけど___」
 言葉がちぐはぐだった。なぜかは自分でも分からなかったが、ソアラは百鬼に「フュミレイが生存しているかもしれない」という言葉を伝えたくなかった。いや、分からないといったら嘘か。彼がそれを知れば、いまの自分以上の情熱を賭してフュミレイの足取りを追いかけはじめるだろうと思っていたからだ。
 それは一種の嫉妬でもある。だがそんなソアラの態度は百鬼をやきもきさせるだけ。
 「おまえらしくねえなあ。そんなにぐずぐずして。」
 「ごめんね。でも、どうしても秘密にしておきたいの!」
 後ろ向きな表情をするのはやめよう。ソアラはまるで何かプレゼントを隠し持っているかのように、明るく声を弾ませた。
 「何だ?楽しみにしてろってこと?」
 「そうそう!」
 「おしっこ___」
 寝ぼけ眼のリュカが、ふらふらと寝室から出てきた。
 「あ〜こらこら。」
 少し背の伸びた彼がキッチンの方へと向かっていくのを見て、慌ててソアラが近寄る。リュカに優しく声をかけ、トイレの方へと背を押していく彼女の後ろ姿を百鬼は見ていた。
 「浮気するような奴じゃないってことは___分かってるんだけどな。」
 自嘲気味な笑みを浮かべ、ぽつりと呟いた彼の独り言。彼もまた、どこか浮ついているソアラに相手の見えない嫉妬を感じていた。
 実はついこの前、サザビーとゼルナスが破局に陥ったという話を耳にしたばかり。ゼルナスことフィラ・ミゲルはクーザー地区を統括する存在であり、サザビーも過去が過去なのでゴシップ紙の格好の的になっていた。ある過激なゴシップ紙は、「寛大な女帝はついに卑しき種馬を排除した」として大々的に取り上げていたらしい。察するにサザビーの浮気が原因で、いままで黙認し続けていたゼルナスがついに我慢の限界を迎えたというものらしい。ことの真相はどちらかに会って聞けばすぐに分かるが、ゼルナスが激高したとされる日から二人が出会っていないのは確かなようだ。
 そんなことが実際にあったというのだから、百鬼も余計に意識していたのだろう。
 一方ではカルラーンで幸せの絶頂にあるカップルもいる。
 リュカとルディーはまだ年でいえば八つだが、特にルディーに関してはすでにソアラ似の強い自立心を発揮し始め、時に最初の反抗期かと思わせる行動を取る。
 少しずつだが、それぞれの状況が変わりはじめている。百鬼もそれを感じていたから、もう一度ソアラという一人の女をじっくりと眺めてみたいとも思っていた。

 翌日。
 子供たちが街の学校へ出ている間、ひとしきりの家事を手早く終えたソアラは長髪をうなじの辺りで軽く結わえ、黒いマントを羽織った。
 「ヘヴンズドア!」
 爽やかに晴れた日だったが、昨夜降った雪で一面の銀世界。外に出たソアラは、見慣れた景色を楽しむはずもなく、このところよく使うせいですっかり手の内に入れた呪文を唱えた。
 彼女の身体は光に包まれ、目にもとまらぬ速さで南に向かって消え去った。
 ___
 ギュン!
 雪を蹴散らして木々の狭間を突き破り、深い森の中で光が弾けた。現れたソアラは、お気に入りのブーツで深い雪の上に降り立った。タイガの中にあっては、煌めく陽光もかなり遮られ、薄暗くさえ思える。そして彼女の視線の先には、人の息吹を感じさせない小屋が建っていた。
 「___」
 ソアラは何も言わず。白い吐息を零しながらその小屋に歩みを進めた。
 「?珍しい。」
 屋根の煙突から煙が出ている。この小屋の主は寒さなど気にもとめない。暖炉を使うなんて何があったのだろう?
 「!」
 小屋に近づくと、スキーの滑走痕と、小屋の玄関に向かって進む足跡を見つけた。
 「だれかきてるんだ___まさか!」
 大きな足跡。百鬼か!?ソアラは慌てて、ノックもなく小屋に駆け込んだ。何しろリュカとルディーはこの場所を知っている。ただ灰の熱が開けた小さな雪穴には気づかなかったようだ。
 「お!?」
 飾り気のない木目ばかりの部屋に、今日は暖炉の炎が際だっていた。その前で毛布にくるまっていた男が、入口を振り返って声を上げる。
 「あーっ!」
 ソアラも驚いて彼を指さした。無精髭で薄汚れてはいるが、彼は間違いなく___
 「サザビー!」
 「よっ。」
 サザビーはいつもと変わらぬ調子で軽い挨拶をする。
 「やあソアラ、相変わらず騒々しいな。」
 奥の部屋から、黒髪の美女が現れる。未だに彼女が黒以外の服を着ていると少し違和感を感じるものだが、その顔立ちは昔とは比べ者にならないほど優しく、今日のような白のセーターとスカートもとても似合っていた。
 そう、ここには彼女が人里離れ一人きりで住んでいる。
 そしてスレイもここで育ったつまり、この小屋の主はミロルグ。
 「だってさぁ!」
 ソアラは笑顔を振りまきながら雪で濡れたブーツを脱ぎ捨て、サザビーに駆け寄った。
 「ひっさしぶり!」
 「うおっと!」
 後ろから抱きつかれて、危うく暖炉に前のめりで突っ込みそうになったサザビー。何とか踏みとどまって、ソアラの腕の中で後ろを振り返った。
 「もうあんたってば、会わないとなったら一年だろうが二年だろうが平気なんだから。」
 「お互い様だろ。」
 短いキスを交わし、ソアラは彼から離れた。ミロルグがサザビーに入れ立てのコーヒーを渡す。
 「こいつもさっき来たばかりなんだ。ここを探すのにだいぶ苦労したようだよ。」
 「苦労なんてもんじゃねえっての。おまえ誰かが森の中にはいりゃ気づくはずなのに、様子見にもこねえんだもの。」
 「怪しげだったからな。関わりたくなかったんだ。」
 ミロルグは憮然とするサザビーに微笑みかけた。
 「ソアラにもいまコーヒーを入れよう、少し待って。」
 「ありがと〜。」
 ミロルグには超龍神の僕として辣腕を振るっていた頃の面影がまるでない。スレイを愛情を以て育てたからだろう、彼女はソアラたちの前では見せなかった母性を感じさせ、人肌に暖かく、ごく普通の婦人に見えた。
 「サザビー、元気してた?なんだか色々悪い噂は聞いてたからさ、あたしたちも心配してたのよ。」
 サザビーが毛布を広げると、ソアラは構わずに彼の隣に座り込み、身体をくっつけあった。彼は下着姿で上半身は裸だったが、気にはならなかった。
 「ま、問題なかったら俺がこんな辺鄙なところに来るわけないよな。」
 「そりゃそうだ。」
 まだ彼の身体は少しひんやりしている。彼が傷心だと薄々感じていたから、ソアラも暖めてあげようと思って身体を寄せていた。
 「なんかおまえ前より色気ついたな。」
 「髪型変えたからでしょ。そういうサザビーはちょっと老けたんじゃない?」
 「三十だからな。」
 ニッと笑みを見せるサザビー。
 「三十?まだまだ子供だよ。」
 ミロルグがコーヒーカップを手に悪戯っぽく微笑みながらやってきた。
 「そりゃ、おまえは別だろ。」
 魔族であるミロルグはすでに百年以上の人生を謳歌している。
 「ありがと。」
 暖かいカップを、ソアラは毛布の下から手を出して受け取った。
 「で、サザビー。何しに来たんだ?」
 「あ〜。」
 木製の椅子に腰掛けてミロルグが問いかける。ソアラも興味深げに彼の横顔をのぞき込み、サザビーはばつが悪そうにして答えた。
 「なんていうかな、暫く人の目に触れない暮らしがしたかったんだ。」
 「ゼルナスに会いたくないの?」
 「会わない方がいいってこともある。」
 会わない方がいい___ソアラはフュミレイの顔を思い浮かべた。
 「あいつには立場がある。地区の代表格が俺みたいな遊び人と付き合ってるっていうのはな、場合によっちゃ当人の信頼さえ揺るがしかねねえ。」
 「つまり___ゼルナスに何かがあったのね?」
 「そう、いろいろとな。俺も別に浮気していた訳じゃないんだが、まあ古いことから色々引っ張り出されて彼女に悪評がついて回るようになった。だから俺は暫く距離を取ることにしたんだ。」
 苦渋の決断ではあったろうが、少し情けないとソアラは思った。
 「情けないな。おまえが正当を訴えて彼女と婚姻を結べばいい。」
 ミロルグも魔族でありながら恋愛の経験者。ソアラが言わなかった言葉を口にして見せた。
 「そういうもんでもない。それも考えはしたが、俺たちには結婚するときはあいつがフィラ・ミゲルじゃなくてゼルナスになるっていう約束事があってな。」
 「ゼルナスの方が拒んだってことか___」
 「実はクーザーじゃ最近いかがわしい薬が出回っていて、あまり治安が良くないんだ。あいつはそれを根絶するまでは地区代表者であり続けるつもりでいるし、悪評はふけど民衆もそうあってほしいと思ってる。」
 「なるほど、複雑だね。」
 ソアラは毛布の中でサザビーの手を握った。
 「そういうおまえは何しに来たんだ?」
 「あたし?」
 「ソアラは良くここに来るよ。わたしに頼み事をしにね。」
 ミロルグはそう言い残して奥の部屋へと消える。
 「頼み事?」
 ソアラは一瞬口ごもる。それでも孤独を求めてやってきた男になら、話すのも良いかと思っていた。
 「フュミレイ探し。」
 「フュミレイ?なんでまた。あいつはもう___」
 「死んでないって私は思ってる。」
 ソアラがアヌビスとの戦いの一幕を語ると、最初は訝しげに聞いていたサザビーも、少しずつ納得の色を示し始めた。
 「投獄されて、フィツマナックに飛ばされて、彼女は表舞台に立つことを避けるようになっていた。影からあたしたちを助け続けていた可能性だってあると思っている。」
 ソアラは熱弁を振るう。彼女の手に力がこもるのが分かった。
 「ただ実際にあのときの爆発、おまえは目で見た訳じゃないが、あれがフュミレイの体内から巻き起こったものだとしたら生き延びるなんてのは絶対に不可能だ。」
 「可能性はある。」
 サザビーの言葉に応えたのはミロルグだった。彼女は奥から小さな空の鳥かごを持ってやってきた。銅色の、ごく普通な金属製のかご。
 「彼女が命のリングを持っていたということ、これが鍵だ。リングは司る息吹を所有者に託す。命のリングに宿った生命力が、彼女に奇跡を起こした可能性もある___ま、そうあたしが話してしまったことが、ソアラの熱意をかき立てたわけだ。」
 鳥かごをテーブルの上に置き、ミロルグはそっとその入り口を開いた。
 「状況証拠は揃ってるのよ。だからあたしは自分でも世界を飛び回って、ミロルグにも手伝ってもらっている。暖まった?」
 「おう、あんがとな。」
 ソアラはサザビーから離れてテーブルの側に、サザビーも毛布を羽織ったまま立ち上がった。
 「フュミレイ・リドンには大きな特徴が二つある。一つはその優れた魔力、もう一つは銀髪。」
 ミロルグは指先に小さな闇を灯し、かごの頂点に触れる。すると指先から水が染み渡るようにかごに黒が走っていった。
 「これは彷徨いの鳥という捜し物の術法。一つの条件で一つのものしか見つけだしてはくれないが、例えば紫色の髪の女を捜せと念じれば鳥はソアラを探し出してくれるだろう。」
 それは該当者が一人しかいないから。そしてフュミレイにも彼女だけの特徴がある。
 「私はソアラに頼まれ、銀髪の女を捜すよう鳥に命じた。あれから十日。そろそろ鳥は捜し物を見つけているはずだ。もちろん、それが存在すればだが___」
 突然だった。ミロルグの魔力が強まったと同時に、鳥かごの前に黒い輝きが走り、それは入り口から吸い込まれるようにかごの中へ。次の瞬間には、黒い閃光の余韻を残しながら、カラスを小さくしたような鳥が止まり木で首を傾げていた。
 「相変わらずおまえって凄いね。」
 「今更だな。」
 つきあいの長いサザビーとミロルグの会話は昔から淡泊。リュキアとスレイの件もあって、お互いに思うところはあるはずなのだが感情はおくびにも出さない。
 「さあ鳥よ、私におまえの見てきたものを教えてくれ。」
 ミロルグは鳥かごの中に手を伸ばし、嘴の前へと指を差し伸べる。鳥は誘われるように優しく彼女の指をくわえた。そして___
 「!」
 鳥の体から黒いオーラが噴き出し、嘴から指先を伝わってミロルグに流れ込んでいった。本来魔力とはこれほど多様性のあるもの。呪文しか使い道を知らないソアラは感心しきりで見ていた。
 「___」
 その黒いオーラには鳥の捜索結果が込められている。小さなカラスのようだった鳥からは黒が消え、ごくその辺で見られる白茶斑の野鳥に変わっていた。
 「どうだった?」
 振り返ったミロルグに、ソアラが期待の籠もった目で尋ねた。
 「結果は___該当無し。」
 覚悟はしていただろうが、ソアラはあからさまに落胆のため息をついた。
 「ただソアラ、もし彼女が髪を黒に染めていた場合はそれも当然だ。それに___」
 見かねたミロルグはすぐに救いの手を差し伸べる。同時に彼女が考える可能性をも口にしてみせた。
 「鳥は異世界までは飛べない。」
 「そうだな、魔導口の上で起こった爆発だ。それにアヌビスとの戦いでおまえがあいつに助けられたというなら、あいつはこっちじゃなくて地界にいる可能性の方が高いんじゃないのか?」
 「やっぱりか___」
 ソアラもそれを考えていたのだろう、俯いたことで頬にかかった髪を掻き上げ、彼女は唇を噛んだ。
 「どうしようかな___」
 「やめとけ。」
 サザビーは暖炉の側に置いて渇かしていた煙草をくわえた。
 「不確かなことのためにまた地界に行くなんて馬鹿げてる。ミロルグ、火ぃくれや。」
 ミロルグの指先から飛んだ小さな火の玉が、煙草の先に豪快な炎をつける。彼は慌てて煙草を手に持ち替えて火を吹き消そうとする。
 「馬鹿げているかもしれないけど___」
 「あいつが生きてるなら生きてるでそれでいいじゃねえか。何も探して確かめることはない。ったく、加減しろよなぁ。」
 「手元が狂ったことにしておいてくれ。」
 窓から鳥を逃がしてやったミロルグは、サザビーにウインクを送ってはにかんだ。
 「でも___やっぱり聞きたいのよ。」
 「なにを?」
 「なぜ___姿を見せてくれないのか。」
 口を付けないままに温くなってしまったコーヒーを、ソアラは思い出したように口にする。
 「それと___あたしが会いたいってこともあるけど、それ以上に百鬼に会わせたいんだ。」
 「はぁ?なんでまた。」
 「自分でもよく分からないのよ、でもさ___なんていうか、あたしたち三人の関係ってすごく曖昧なままに終わっちゃったし___」
 ソアラも自分の感情を理解できずにいるのだろう。適切な言葉が見つからずにしどろもどろだった。ソアラ、百鬼、フュミレイの三角関係は、百鬼とソアラが結ばれることで決着を見たはず。だがソアラがそう思っていないのは確かだろう。
 「いまでも百鬼はフュミレイのことが好きなの___それが分かっちゃうから、彼女が生きてるなら百鬼に会わせたいの。」
 「なぜ?会わせたくないと思うのが普通じゃないのか?おまえには愛しい子供たちもいるというのに___」
 ミロルグの言う通りだ、だがサザビーは少しだけ彼女の思うところを悟っていた。
 「それが負い目になってるんだろ。」
 「___」
 「百鬼の気持ちに決着をつけさせる前に、子供ができてしまったこと。」
 サザビーは窓際に凭れ、白い煙を冷え切った外へと吐き出した。
 「ああ、もういいわ。あたしがどうかしてたのよ。」
 ソアラは額に手を当て、何度も首を横に振りながら言った。
 「やっと気づいた。結局あたしは百鬼を本当に自分のものにしたいから、フュミレイと彼の関係をきっぱり断ち切らせたいんだ。あ〜やだ、嫌な女。」
 結局根底にあるものが愛情という独占欲だと気づき、ソアラは本当に虫酸が走る思いだった。
 「ありがとうサザビー、おかげであたしのやってたことが馬鹿げてるって分かった。」
 「ん、ああ。」
 「ごめんねミロルグ、面倒かけさせて。」
 「気にすることはない。久しぶりの顔と出会えて楽しかった。」
 壁に引っかけていたマントを手に取り、一度だけミロルグと抱き合って二人は笑顔を交わす。
 「それじゃあたし帰るわ。サザビーはどうするの?」
 「俺はしばらくここに泊まる。」
 窓を開けていたため、また身体が冷えてしまったサザビーは肩を竦めながら言った。
 「勝手に決めるな。」
 ミロルグがムッとして彼を睨み付ける。
 「まあまあ、泊めてあげてよ。彼も色々大変そうだから。それじゃね。」
 二人に手を振りながら、ソアラはドアを開けた。タイガの中の雪景色が広がり、冷たい空気が小屋の中へ流れ込む。極寒の銀世界に降り注ぐ小雪、そこへ___
 「うわああああっ!?」
 「えっ!?」
 ドサッ!
 人も一緒に降ってきた。




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