4 奇跡の復活
「手間をかけさせてくれる___待ちわびがはっ!?」
メリウステスの言葉の途中に、ソアラの拳が彼の腹をえぐっていた。彼に匹敵するほどのスピードで、一気に最接近したソアラ。それはメリウステスが今まで身に受けたどんなパンチよりも強烈だった。
「っ___!」
顔に向かって放たれた攻撃は持ち前のスピードで回避し、メリウステスは大きく後方に飛んでソアラとの距離を取った。
「後悔するぞ___メリウステス。」
ソアラは自分の意志で言葉を発していた。今までの覚醒とは少し違う、気持ちのコントロールができている。それが精神修行の成果かは分からないが、気を抜くと力に飲まれてしまいそうな危惧もあった。
「おもしろい___だがスピードでは私が上だ!」
メリウステスは高速で神殿内を駆けめぐった。そのスピードを最大限に発揮し、常人の目には全く影を見ることさえできないであろう速さだった。紫のソアラではこの動きについていけないだろうが、今の彼女には焦りを感じるほどでもなかった。
シュ___
ほんの体を捻って後ろ蹴りを放てば十分。
「がっ!?」
機を見て背後から襲いかかってきたメリウステスのスマートな鼻が、豚のように上を向いた。ソアラの一撃は獅子の顔面を捕らえていた。さらに振り向きざま、ソアラの掌は魔力を発していた。
「ぎっ___!」
ディオプラドではある。だがその威力は今までの比ではない。壮絶な爆破はメリウステスの体を大きく弾き飛ばし、彼は背中を堅い神殿の壁にしこたま打ち付けた。
「ぬうう___」
ずり落ちるように、メリウステスは壁に凭れた。白い壁は獅子の血でべっとりと塗れていた。しかし彼は両足を踏み留め、全力を以て立ち上がる。ソアラは彼のしぶとさに小さな舌打ちをし、口の中に溜まった血まみれの唾を吐き捨てた。
(体が___持つのか___?)
状況は決してソアラ優勢ではなかった。メリウステスは己の劣勢を確信しているが、ソアラにも内なる敵がある。凄まじすぎる竜の力は、彼女の鼓動をひときわ大きくし、気を抜けば意識が失せてしまいそうなほど胸の痛みは激しかった。
「誇りを___捨てるときが来たか___!」
メリウステスは己の眉間に爪を立て、深く引っ掻いた。溢れ出た血が黄金の狭間を赤く変えていく。それは一種のまじないであり、メリウステスのけじめであった。
肉弾のぶつかり合いだけで戦うことを誇りとしていた彼は、封印を解いた。そして誇りを捨てた者として、眉間に深い傷を刻んだ。
「勝つ!」
体中の黄金が逆立ち、メリウステスの体が一回り大きくなる。膝を曲げて深く腰を落とし、両手を前へと突き出す。そして全身全霊を掌へと結集しはじめた。すぐに黄金の波動が激しいスパークを伴い、掌で輝きはじめた。
「これは生命力の___ジャルコがフェルナンドを仕留めた技と似てる___!」
強大な生命力の炎をそのまま外へと放つ熾烈な技。その人物の実力次第では無色の魔力以上の破壊力を秘め___ジャルコはこの一撃でフェルナンドを消滅させた!
「避けられるか!?ソアラ!」
避けられるはずはない。彼女の後ろには気を失った子供たちが倒れている。ソアラは胸の痛みを押し殺すように一つだけ大きく息をつき、メリウステスの輝きにも劣らない金色の眼をきつくした。
「天昇咆吼!カイザーウェイブ!!」
一喝とともに、生命の輝ける力がソアラに向かって放たれた。凄まじい___エネルギーに秘められた破壊力はこの神殿を簡単に吹っ飛ばせるほどだった。
しかし!
ズゥンッ!!
ソアラの足下で、神殿の床が罅入った。ソアラは両手をまっすぐ前へと突き出し、真っ向から波動を受け止めていた。その圧力たるや壮絶なはずなのに、彼女の体は下がらない。いや、むしろ押し返さんばかり!
「こんなことが___あってはならない!」
メリウステスは牙を剥き、目を血走らせ、全身を光に包み込んだ。そのあまりにも強力なパワーに彼の筋肉が軋み、皮膚を引き破って膨れあがる。
波動が一気に勢いを増し、ソアラの体が動いた。
「くっ___!」
突然強まった圧力に押し込まれ、ソアラは顔をしかめた。胸の痛みがこんな状況でもはっきり分かるほどに強くなり、鼓動が全身に響く。
(体への負担に構ってはいられない___ここで決める!)
ピタッ___竜の使いの証である、光り輝く黄金の髪がざわめいた。彼女の体は緩やかな光の羽衣のようなもので包まれ、止まった。
僅かな力の解放で、メリウステスの破壊の輝きを食い止めた。そして___
「はあああああ!」
大気が震え、金色のオーラが神殿を駆けめぐる。ソアラの一喝とともに、カイザーウェイブはその矛先を変えた。
「ば、ばかな!うっぐあああああっ!」
壮絶なエネルギーがメリウステスの体に逆流していく。悲鳴とともに、彼の掌から走った亀裂は瞬く間に全身へと広がり、メリウステスは体の内側から引き破られるようにして血を溢れ出し、倒れた。
行き場をなくしたエネルギーが弾け飛び、神殿のそこかしこに亀裂を生む。しかし数秒もすると、神殿内の大気は静寂に戻りはじめた。ただ余韻はいつまでも体に響く。
「___うううぐぅうっ!」
メリウステスにも負けないほどの大きな呻き声を上げ、ソアラの体から金色が消えた。紫色の髪が流れ、彼女は両手で胸を押さえて膝から崩れ落ちた。
「はあっ!はあっ!はあっ!」
蹲り、舌を突き出して、荒い息をつく。全身から噴き出した脂汗で、髪が顔にへばりついた。
「ヒュゥッ___」
呼吸が止まった。
ソアラは猫のように背を曲げ、堅く目を閉じて服の胸元を握りしめる。
「がはっ!げほっげほっ!」
呼吸が戻ったと同時に、口から血飛沫が弾け飛んだ。急に年老いたように、目からは光が消え、顔色が一気に青ざめていく。
もう二度とこんな気分は味わいたくなかったのに___逃れられないときが足音を立てて近づいてくる。
いや、それよりも早く、彼女の目の前には水先案内人が立っていた。
「___」
自らが吐き出した血の水たまりに影が差した。かろうじて顔を上げたソアラが見たのは、血みどろのメリウステス。
「竜の使いに副作用があるとは聞いていない。」
彼を立ち上がらせたのは意地だけだったのかもしれない。黄金の獅子はまるで野良猫のように汚らしく、毛並みからも輝きは失せていた。ただそれでも勝利への飽くなき執念、自らを磨き続けた気高き血潮は、彼をソアラの前に立たせていた。
「病持ちか___?」
しこたま血を吐き出したためか、ソアラの呼吸が少しだけ落ち着いてきた。彼女の瞳は生命力に欠けていたが、闘志だけは頑として鎮座している。メリウステスはその瞳に彼女の戦士を感じ、この戦いはどちらかが死ぬまでは終わらないと確信した。
そして勝つのは己だと。
「君の強さには感服した。私もまだまだ足りないと痛感した___しかし弱点があってはいけない。」
メリウステスは乱雑にソアラの前髪を掴み、彼女の顔を上げさせる。逆の手で首を鷲づかみにすると、ゆっくりと持ち上げた。
「弱点は命取りだ___!」
そして強引に、後方に放り投げた。
「っ!」
ソアラは聖杯が置かれた祭壇の上に背中から叩きつけられた。激しい痛みでまた肺が熱くなり、鮮やかに赤い血を口から弾き飛ばした。
「終わりか?」
メリウステスは短い階段を確かめるように、ゆっくりと祭壇に上がる。もはや指先も動かせないソアラがそこにいると思っていた彼は、面食らった。
「ぬうっ!」
ディオプラドの白熱球が迫る。必死に首を捻ってやり過ごしたメリウステスの後ろで、爆音が轟いた。
「___」
ソアラは口惜しさで唇を噛んだ。首だけを持ち上げ、最後の希望を込めて放った呪文だった。
「まだ戦えるみたいだな。なら___私も答えよう。」
フワリと飛び上がったメリウステスは、ソアラの胸の上に着地した。
「!!」
激震が体の中を駆け抜けた。ソアラは首を横に傾け、命がけで噎せる。体温が下がっているのだろうか、体が震えた。
「___見苦しいな。こんないたぶるようなことは趣味じゃない。ひと思いに命を絶つぞ。」
ソアラは安堵していた。この苦しみ___戦いではなく、己の病の苦しみから解放されることに。
『諦めてはいけない___』
声が聞こえる。清潔感のある女性の声。でも聞いたことのある声ではなかった。
『あなたはこんなところで朽ち果ててはいけない___』
(無茶いわないで___あたしの体はもうどうにもならない___)
声はまるでソアラの脳裏に直接流れ込んでくるかのようだった。思うだけで答えられると自然に感じ取っていた。
『あなたの汚れは私が消し去ります。』
近い。空想的だが、距離感は肉声かと思うほど近かった。
「さらばだ!ソアラ!」
爪を振りかざしたメリウステスの狙いは、彼女ののど笛だった。しかしとどめの一撃を妨げる閃光が、神殿を駆け抜けた。
ズンッ!
メリウステスの背中に矢が突き刺さっていた。だが致命傷ではない。メリウステスは平然と振り返った。
「ふっ___」
眼球に迫ってきた矢を素手でつかみ取る。振り返った左目に向かい、寸分の狂いもなくに放たれた矢もさることながら、紙一重の距離でそれを掴んだメリウステスはやはり八柱神。
「くそ___」
母顔負けの精密さで矢を放ったスレイは、チャンスをものにできなかった悔しさに舌打ちした。
「まだ生きていたか。私としたことが___詰めが甘かったな!」
野獣がスレイに獲物を変えた。天井しか見れないソアラに、鋭利なものが皮膚を引き裂く音が聞こえる。
なんとかしなくてはいけない___でもどうすることもできない___
『私に触れなさいソアラ!命燃え尽きるまで戦い、か弱き命を守るのが竜の使いの定めでしょう!』
私___?
ソアラは仰向けのまま、見上げるようにしてそこにあるものを見た。霞む景色の中、逆さに見える聖杯だけが清らかに光っていた。
希望が沸いてきた。奇跡に賭けてみたくなった。
残された生命力が結集する。一つ一つの動作に命を削り、口元から血を滴らせ、ソアラは体を俯せにした。聖杯をまっすぐに見つめ、ナメクジが這いずるように、血まみれの体を聖杯に向けて進める。
手を触れるんだ___
できなければ死ぬ。自分も、子供たちも、スレイも、外で傷ついているみんなも___!
そう!命はこういうときにこそ、賭ける価値がある!
「貴様のその生命力、人間ではないな。」
メリウステスは傷ついたスレイの胸ぐらを掴み、抱え上げていた。彼の生命力に驚かされたメリウステスは、心臓を捻り潰してやろうと考えていた。
しかし、その思惑は背後に感じた黄金の輝きで脆くも崩れ去る。
「!?」
振り返ったメリウステスは言葉を失い、緩んだ手からスレイが抜け落ちた。
「___あたしだって信じられないよ。」
今までのソアラではない。
今までの竜の使いではない。
力だけは解放して、彼女の心は平静だった。
黄金の輝きに身を包もうとも、破壊の衝動に飢えることはなかった。
聖杯に手を触れたそのとき、彼女の全身に違った活力が巡り、胸のわだかまりが全て消し飛んだ。
___全ての問題が解決していた。
「最後の力を賭したところで___弱点を持ったおまえに勝機はない!」
メリウステスは力を振り絞り、全身に電撃を迸らせる。戦士としての意地が、彼を最後まで戦いに駆り立てた。
「___メリウステス!」
決着をつける。ソアラも彼の気高き志に答えるがため、飛んだ。
二人の体がすれ違う。互いに拳を突き出し、接触の瞬間は目映い光が神殿中に広がっていた。
「___」
ソアラの頬に深い裂傷がつき、血が流れ出た。そしてメリウステスは___
「___見事だ___これなら悔いは___ない!」
ビシッ!メリウステスの眉間に亀裂が走った。壮絶な死ではない。それはとても静かで、誇り高き死出の旅立ち。断末魔の叫びや悶絶など、彼にとっては死に際の醜態でしかないのだろう。
全身に崩壊の鮮血を走らせたメリウステスの黄金が、年老いた白へと変わる。そのまま倒れた彼は二度と動くことはなく、どこからともなく吹き込んだ風に、灰となって流れて消えた。
「馬鹿な___メリウステス様!」
彼の死を感じていた男、ゲーブルは言葉を失い。大地を爆破して砂煙を巻き上げると、サザビーたちのいる戦場から姿をくらませた。
そして___
「おかぁさぁん___!」
百鬼と再会したときのような溌剌とした笑顔ではなかった。顔をくしゃくしゃにし、憚らずに声を上げ、リュカとルディーは大泣きしてソアラに縋り付いた。ソアラは二人を優しく抱きしめ、不安に直面させてしまったことを詫びた。
「ごめんなさい。今まで勝手なことばかりして___みんなには余計な苦労と心配ばかりかけてしまった。」
子供たちとの抱擁を終えたソアラは、皆の前で深々と頭を下げた。
「いいえ、あなたは竜の使いとして覚醒し、私たちの前に戻ってきてくれました。私はあなたの取った道筋が正しかったと信じています。」
レミウィスが畏敬の念を以て語る。
「こうして素直に再会を喜べたんだ。まあみんな傷だらけだが、とりあえず良かったじゃねえの。」
サザビーらしい考え方に、バットとリンガーがそうだそうだ!と騒ぎ立てる。だがソアラは頭を上げない。それは、彼女が許しを求めている男の答えを聞きたかったから。
「ソアラ。」
そして百鬼は彼女に近寄ってしゃがみ込み、深くうつむく紫髪の頭を撫でた。
「良かったな、いろんなことが分かったんだろ?今までおまえはたくさんの苦しみを味わってきたんだ。これくらいの我が儘は誰も責めたりしない。」
百鬼の指がソアラの顎に触れ、彼女は唇を噛みしめながら頭を上げた。
「ごめん___」
「謝るのはもういい。笑ってくれ。」
その言葉がソアラの思いを弾けさせた。
「百鬼ぃ___!」
熱い抱擁。二人は周りが恥ずかしくなるほど情熱的な口づけを交わした。
全ての別れはこのときの喜びのためにあった。そう思えるほど、ソアラの、百鬼の、皆の心に希望が漲っていた。
本当の戦いは___これからだ!
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