3 黄金の獅子 

 そこは変わった土地。まるで火口を思わせるような、周囲を円状の隆起した土地に囲まれる。円の中央に向かって大地が窪み、その中心にあるのが白い半球型の神殿。周囲は木々が生い茂るが、神殿の入り口へは隆起の向こう側からまっすぐに一本道が続いていた。
 「すまない、こんなところでいつまでも待たせてしまって。」
 白い屋根の頂点に、二人の男が直立していた。そのうちの一人、八柱神の象徴である黒マントを身に纏った若い男が、半歩後方に立つ男に言った。
 「いえ、メリウステス様のお考えには感服いたします。」
 男は黒マントをメリウステスと呼んだ。
 八柱神メリウステスは、八人の中でもっとも若く、真っ当な男だ。彼は武人であり、より強い相手との戦いに自らの向上を見いだす男。いや、彼のまだ幼さの残る顔立ちを見れば、青年と呼ぶほうがふさわしいのかも知れない。
 決して大柄でない体は、マントに隠されると線が細く見える。しかし彼は呪文を操らない。そして武器を使わない。怪しげな術も使わない。とびきり頑強な皮膚も持たない。
 全ての武器は己の肉体。
 「ゲーブル、なぜ君は私の下につこうと思ったんだ?私は君に何も与えることはできない。自分のことばかりで精一杯だ。」
 ゲーブルと呼ばれた魔族は屈強な体が目を引く。メリウステスよりも頭一つ以上背が高く、袖のない装束から覗く屈強な体は、いくつもの傷跡に彩られている。剃髪の頭と、皺の畳まれた厳格な顔もまた印象的だ。
 「メリウステス様は若くして、私が長い年月をかけ追い求めてきたものを形にしておられる。より強い者を探し求め、己の肉体だけで戦い、自らを磨いていく。」
 「自分を見ているようかい?」
 メリウステスは斜め後ろのゲーブルを横顔で見た。
 「あなたはすでに私よりも遙かに強く、そして何よりも若い。私のような老翁が己を重ねるなど滅相もないこと。」
 高い志を持つゲーブルに、メリウステスは常に畏敬の念を持ってきた。確かに、組み手をしてみてもゲーブルよりも自分が強くなっているのは分かる。でも彼から学ぶべきことはまだたくさんある。
 「僕はあなたの後ろ姿を見ているつもりだ。」
 正直な気持ちだった。
 「メリウステス様___」
 「待ち遠しいな。あのブレンを倒した人間たち。」
 彼はアヌビスにこの場所の調査を任されていた。この神殿の中に収められている神具の奪取が彼に課せられた任務。神殿入り口の仕掛けについてはすでに体験したが、決して破れないものではないと感じた。だが彼はそれをしない。
 ここに収められた神具は竜神帝に関わりを持つ。それを求めてやってくるであろう人間たち、メリウステスは彼らを待っていた。より強い者と戦うために。

 「見ろ!あったぞ!」
 長い旅路の果てにたどり着いた目的地。坂を上りきったところで見えた白い神殿に、手綱を取っていた百鬼の声が弾んだ。彼はすぐさま手綱を引き、キュクィを止めた。
 「何で止めるのさ。」
 幌から顔を覗かせたリンガーが問いかけた。
 「これだけの人数が乗ってるんだ。この下り坂はキュイに酷い負担になる。神殿までは歩いていくぞ。」
 「ぞ!」
 リンガーの下からリュカが顔を出した。百鬼は御者席から飛び降りて、キュイを車から外してやる。もうすっかり皆に慣れたキュイは、木に結ばずとも逃げ出したりはしない。
 「おいおい、この大人数で行くのか?」
 気怠そうな顔のサザビーがリンガーの頭を押さえつけるようにして言った。
 「それもそうだな、レミウィスさんとナババさん以外は神殿に行ってみたいやつだけでもいいか。」
 結局、レミウィスとナババに加えて神殿に向かうことになったのは百鬼、ライ、フローラ、棕櫚。
 「僕たちも!」
 当然のことながら好奇心旺盛なリュカとルディーの二人組、さらにはスレイも同行する。ピクニックではないのだが、はしゃぎだしたら止まらない子供たちを連れているとどうにも締まらなかった。
 ただ、和やかなのはいつまでも続かない。何しろ神殿には待ち続けている男がいる。
 「やっとついた___!」
 ちょうどそのころ、ソアラもまた坂道の麓までやってきていた。旅をともにしていたキュクィとは大陸を渡るときに別れなければならなかったが、近頃は少し胸の調子がいい。早足でここまでやってくることもできた。咳は出たがここまでの長い道のり、モンスターと出くわさなかったこともソアラにとっては幸運だった。
 「この坂の向こうか。」
 ソアラが見上げる上り坂の頂点には、皆のキュクィ車がある。偶然のタイミングとはいえ、人々はここに集まってきていた。
 「!?」
 いざ坂に臨もうとしたソアラはすぐさま足を止め、瞬発力で後方に飛んだ。
 ゴガッ!
 大地に力強い拳がめり込む。舞い上がっ埃がオーラのように揺らぎ、男の厳格な面立ちに威圧感を上乗せする。空から振ってきた拳の主はゲーブルだった。
 「よく避けた。さすがは竜の使い___生きていてくれたことを嬉しく思うぞ。」
 直立したゲーブルの醸す気位、誇り___ソアラは息を飲んで腰を落とし、ナイフを抜く。
 (誰よこいつ___八柱神?)
 そう勘違いしてしまうほど、ゲーブルの存在感は際だっていた。
 「我が名はゲーブル!メリウステス様に仕える男!」
 生粋の武道家が大地を蹴った。

 「あそこが入り口か。」
 「あれ?誰か立ってるよ。」
 暗闇の中でも白い神殿の姿は際だっている。だがその入り口に立つ男に気がついたのは、十分に神殿に近づいてからのことだった。
 「黒マント___ですね。」
 棕櫚の言葉の意味するところが皆に警鐘を鳴らす。坂を下りきった皆は、神殿の前でメリウステスと対峙する。線の細い青年に見える彼に、ブレンのような圧力はない。だが胸につけたアヌビスのブローチは紛れもなく八柱神の印だった。
 「待ちわびたよ。」
 メリウステスが若い声で言い放った。
 「八柱神か___」
 「誰だおまえ!」
 百鬼は血気盛んに怒鳴りつけたルディーの襟首を捕まえ、自分の後ろに引っ張り込んだ。
 「私の名はメリウステス。アヌビス様から、ここにあるものを持ち帰るようにとの命を受けた。」
 (アヌビスが___?)
 レミウィスが不可思議そうに眉をひそめた。アヌビスが聖杯を狙う意味、竜神帝の復活を妨げるための予防策か、それともただのコレクター精神か___
 「だがそれはついでに過ぎない。ここにいればブレンを倒した強者たちと戦える。だから私は待ち続けた___」
 メリウステスはマントを脱ぎ捨て、高らかに放り投げた。細身ではある。だが彼の肉体は戦士のそれだ。
 「様子見はなしだ。全力で手合わせ願おう。」
 マントは近くの木に引っかかり、メリウステスは体側に腕を構えて静かに目を閉じた。
 「!___気をつけろ!」
 メリウステスの周りで大気が静まる。風が彼の体を避けるようにして通り過ぎていく。ただならぬ気配を感じた百鬼は前に出ようとしたリュカを抑え、皆に注意を促す。彼の心配をよそにリュカは短めの剣を抜き、ルディーは呪文の用意をしていた。
 「私は元々は魔族___だが八柱神はより超人的な戦闘能力を得るために、モンスターの姿を持つ。そして私にもっとも適合する姿がこれだ!」
 メリウステスの体が内側から破裂するように光り輝いた。まばゆい輝きに百鬼たちは目を覆う。金色の光の中でメリウステスの装束が引き破れ、黄金の細波が彼の体を支配していく。黒髪は激しく逆立ち、金色へと変貌を遂げ、精悍な面立ちがより攻撃的に変わる。伸びた口には鋭い牙、腰からは細長い尾、掌には肉の球___
 「ゴオオオオオ!」
 気高き咆吼とともに輝きが吹っ飛び、メリウステスはその姿を皆の前へと示した。
 「___ライオン___」
 金色の被毛を持つ、二足歩行する獅子。まるで伝説の獣のような雄々しさを放つメリウステスの姿は、紛れもなく百獣の王だった。
 「みんな気を引き締めろ!」
 黄金の獅子の勇姿に圧倒されてはいけない。百鬼が目一杯の声を張り上げると、ライとフローラはすぐさま彼の両脇に躍り出て、棕櫚は背後で植物の種を取り出す。
 「行くぞ!!」
 腹に響くメリウステスの怒声が開戦の合図だった。

 「ストームブリザード!」
 ソアラの掌が白い光を発し、空を切り裂いて現れた氷の塊が吹雪となってゲーブルを襲う。
 「はあああ!つぁぁぁっ!」
 だがゲーブルは気合いとともに、迫り来る氷を素早いパンチとキックで次から次へと破壊していく。
 「嘘でしょ!?」
 ストームブリザードを簡単に打破し、ゲーブルはソアラに突っ込んできた。繰り出された正拳突きをソアラは仰け反って回避し、そのまま後転して下段蹴りから逃れる。追撃の前蹴りには一気に腰を落とし、大きく開いていたゲーブルの股間を滑り抜けて彼の背後に回った。
 ガシッ!
 ゲーブルの裏拳とソアラのハイキックが交錯した。
 「うあっ!」
 しかし力業の勝負はするものではない。ソアラは飛ばされるようにバランスを崩し、尻餅をつく。
 「!」
 顔を上げたときには、飛び上がったゲーブルの足の裏が、目前まで迫っていた。
 「ぬっ!?」
 ソアラは体を横に回転してゲーブルの踏みつけから逃れると、そのまま回転に任せてゲーブルの膝に己の両足をからみつけ、一気に捻った。ゲーブルは転倒し、二人の距離が固定される。
 「ディオプラド!」
 至近距離からの呪文がゲーブルの胸で弾けた。爆風の中でソアラは素早くゲーブルから離れようとする。しかし爆破の余韻が残るなか、ゲーブルはソアラの足首を鷲づかみにした。
 「うわっ!」
 ゲーブルは力任せにソアラの体を放り捨て、彼女は弧を描いて大地に激突した。
 「くっ___」
 草のないごつごつした大地に肩をこすりつけた。その痛みもさることながら、胸元への衝撃が酷く彼女の息をせき止めた。
 「うおおお!」
 装束が破けて露わになった傷だらけの胸を赤くして、ゲーブルはソアラに突貫する。何とかしなければ!しかし分かっていても、胸の痛みが体の動きを遅くしていた。
 しかし思わぬ形で危機は回避された。
 「なに___?」
 ゲーブルは己の拳をしかと受け止めた黒服の男に、顔をしかめた。
 「えっ!?」
 見覚えのある後ろ姿だ。ソアラは半信半疑でその名を呼んだ。
 「バ、バルバロッサ???」
 「ちっ!」
 バルバロッサはゲーブルの腹を蹴飛ばす。ゲーブルはその勢いを借りてバルバロッサから離れた。他にも三人の男たちがこちらにやってくるのが見えたから。
 「やっぱりソアラか!」
 「姐さん!」
 サザビーとリンガーが紫色の髪を見て意気揚々と叫んだ。
 「サザビー!?バットにリンガーも!」
 胸の痛みも忘れ、ソアラは立ち上がった。
 「くっ___!」
 ゲーブルは素手の相手にもかまわず長剣を振るうバルバロッサから逃れる。ソアラとの距離はどんどん離れてしまった。
 「妙な爆音が聞こえたから来てみりゃ、案の定だ!」
 サザビーは槍を片手にニヤリと笑って、ソアラとハイタッチを交わした。
 「あいつはメリウステスの部下だって言ってたわ!この側にメリウステスがいるんじゃないの!?」
 ソアラはどさくさに紛れて抱きつこうとしたリンガーにカウンターパンチを見舞い、サザビーに問いかけた。
 「八柱神か?」
 「そう!」
 「いるとしたらこの坂の向こうの神殿だ!そこに竜神帝に関わる神具がある!百鬼たちがそこに行ってるぞ___!」
 ソアラの目の色が変わった。
 「ここは任せたわ!」
 サザビーの背中を一叩きし、ソアラは神殿へと走り出した。
 そのころ___
 「っ___!」
 大地から噴き出した植物が空を掴む。
 「棕櫚!」
 棕櫚が振り向くよりも早く、背後から襲ったメリウステスの爪が彼の背中を大きく引き裂いた。棕櫚はそのまま顔を歪めて大地に突っ伏す。
 シュッ!
 「うあっ!」
 止まらないメリウステス。黄金の獅子を切り裂こうと振るった百鬼丸はあえなく空を切り、そのときにはもう彼よりも後方に立っていたライが、顔面に蹴りを食らってうめいていた。
 「ライ!」
 そして百鬼が振り向いたとき、メリウステスはすでに目前にいた。
 「心配している場合か?」
 「くっ!」
 メリウステスの爪が疾風怒濤の勢いで襲いかかる。百鬼は刀を盾がわりに攻撃を受け止めようとするが、メリウステスの動きについていけない。
 「ぐああ!」
 まるで巨大なシザースボールをその身に受けているような光景。百鬼はただ刀を体の前で構えることしかできず、目にもとまらぬメリウステスの攻撃は彼の体に次から次へと裂傷を刻み込んでいく。
 「シザースボール!」
 フローラの呪文がメリウステスを横から襲う。しかし呪文は彼の体を突き抜け、向こう側の森で爆音を上げた。
 「残像___!?」
 あまりもの高速がメリウステスの幻影をその場に残していた。驚いたフローラの鼻っ面にメリウステスの肘が炸裂。彼女は仰け反って倒れた。
 「あ、あれ!?」
 神殿の入り口でスレイが声を上げた。レミウィスとナババも驚き顔。
 リュカとルディーを連れて安全な場所へ___その命を受けて三人は神殿の中へと駆け込んでいた。しかしほんの一巡りのうちに現れたのは、神殿の部屋ではなく外だった。しかも戦況の悪さがさらに三人を唖然とさせた。
 「残念だけど、その神殿の入り口には反作壁(はんさへき)がある。どうやら竜神帝の加護を受けた人物でなければ、中には入れない仕掛けになっているのだ。」
 姿は変わろうとメリウステスの声色は変わらない。黄金の獅子は次なるターゲットを定めたようで、レミウィスたちをその鋭い眼光で見ていた。
 「ん?」
 メリウステスが目を細めた。
 「子供が二人いたはずだが___」
 「え?」
 レミウィスも気づいていなかった。慌てて辺りを見回すが、確かにリュカとルディーの姿がない。
 「!___まさか、ソアラの子供か!?」
 竜の使いの血を持つ者なら、神殿の内側へと足を踏み入れることができる。あり得る話だ。
 「厄介なことになってきたな___こうなれば先に目的の物を取る!」
 メリウステスの眼光が鋭さを増す。殺気を感じたレミウィスたちは身構え、傷を負った百鬼、ライ、フローラ、棕櫚が彼らの前に立ちはだかる。
 散らばるのは不利だ。目で追うのも難しいほどのスピードに攪乱されるだけ。素早く動く相手を捕らえるならば、自分はできるだけ静止して敵の動きを待つことも一つの策。ならばメリウステスの目的となる場所の前に集団で立ちふさがる!
 「こざかしい!」
 メリウステスがグッと身を屈める。そして___
 「消えた!?」
 ナババにはそう見えた。それは百鬼にしても同じ。だが魔族の血を持つスレイには、彼らにはない優れた能力がある。
 「ドラゴフレイム!」
 ゴッ!
 スレイの掌から百鬼の肩越しに放たれた炎は何かを捕らえ、そこでようやく皆の目にメリウステスの姿が止まる。あのスピードをスレイは呪文で捕まえてみせた。
 「ちっ___」
 獅子が牙を剥いて後退した。体でくすぶる炎を強烈な回転で消し去り、黄金の眼差しで立ちふさがる人垣を睨み付けた。
 「消えたら呪文だ___動きが止まったところを棕櫚___そうしたら俺とライで斬りつける___!」
 完全な待ちの作戦。呪文で止め、植物で捕らえ、斬りに行く。ただ百鬼の声を殺した伝言は、猫型の耳にそのまま届いていた。
 「姑息なことを考える___私が八柱神であることを忘れるな!」
 メリウステスは深く腰を落とし、その金色の被毛がざわざわと騒ぎはじめた。メリウステスの周囲で電撃が迸るように散らばり、彼はまっすぐに大地を蹴った!
 「呪文!」
 百鬼の声にあわせるように、フローラが、スレイが、レミウィスが、ナババが掌を輝かせた。しかしそのときすでに、メリウステスは先頭の百鬼に手をかけていた。
 ドガガガガガ!!
 無数の呪文が空気を刺激したとき、すでに全ての人垣が弾き飛ばされていた。決して皆を一掃するような破壊的な術をはなったわけではない。メリウステスのスピードと破壊力のある打撃。彼は一瞬のうちに、目にも止まらぬ早さで全員に痛烈な打撃を食らわせていた。その証拠が百鬼の頬の腫れであり、ライの喉元についた掌の跡である。
 「反作壁___」
 メリウステスは息の乱れ一つないままに、神殿の入り口に手を伸ばした。
 「砕けないと思うな!」
 空間にあり得ない波紋が生じる。彼の掌は何かを掴み、両の手を空間に差し込んでいく。ゆっくりと明らかに、何かがこじ開けられていった。
 「く___っそ〜___!」
 ソアラは立ち止まって両手を膝に立て、肩で息をしていた。神殿までもう少しだというのに、息が苦しい。
 「っぁあ!」
 ソアラは苛々をぶちまけるように体を起こし、口元を隠しながら唾を吐き出した。唾が赤色を呈したことなど目にも止めず、一度だけ胸元を掻きむしって再び走り出した。
 「みんな!」
 神殿の前に辿り着いたソアラはそこに広がる光景に愕然とした。
 「百鬼___!」
 真正面に倒れる百鬼に近づき、跪く。意識こそないが、呼吸も拍動もしっかりしていることがソアラを安心させた。
 「メリウステス!」
 ソアラはこの惨劇を生み出したであろう男の名を呼んだ。
 「ソアラ___よくここへ___」
 答えたのは苦しみを押し殺すような女の声だった。
 「レミウィスさん___!」
 ソアラは神殿の入り口の前に倒れているレミウィスの元に駆け寄った。
 「しっかり!」
 「大丈夫___電気のような刺激で体が痺れているだけ___それよりも___!」
 レミウィスはソアラの手を取って少しだけ体を起こす。
 「あなたの子供たちが神殿の中に___」
 「えぇっ!?」
 冗談とは思えないが、しかし___
 「八柱神は中です___スレイもそれを追って___皆の治療は引き受けます、だから神殿へ___!」
 「わかった!」
 ソアラはレミウィスの手を強く握ってから、神殿の中へと駆け込んでいった。
 (何でリュカとルディーがいるの!?)
 状況は分からない。だが愛しい我が子が危険にさらされるとあっては、黙ってはいられない。たとえ胸が軋もうとも関係なかった。
 「さあ、その杯をこちらに渡すんだ!」
 「嫌だよ!おまえのところになんて行きたくないって言ってるもの!」
 ルディーの声!ソアラの足が速まる。暗がりの湾曲した廊下の先に光がこぼれる場所が見える。あそこだ!
 「これはお母さんに渡すんだ!」
 リュカの声___
 「あの子たち___本能が竜の力を悟ってるの?___この正義感って___」
 想像することしかできない。しかしあの八柱神に睨まれながら、この神殿にある何かを守るために気勢を張る子供なんて___泣き出さなければおかしいような状況なのに。
 可能性を感じてしまう。でも、それを求めたくはない。戦うのはあたし一人で十分だ!
 「いたぁい!」
 「はなせはなせ!」
 「手を焼かせるな!」
 光が近づいてきた。ソアラは息苦しさも忘れてがむしゃらに飛び込んだ。
 「リュカ!ルディー!」
 神秘的な純白の祭壇。その上に立つ黄金の獅子。そこはランプとも違った光で満たされ、獅子の姿を幻想的に照らした。彼は左手で二人の子供の胸ぐらをまとめて掴み、右手には決して大きくはない杯を握っていた。
 「メリウステスか!?」
 金色の獅子に見覚えはない。しかしソアラがそれをメリウステスの変化だと悟るのは難しいことではなかった。
 「驚いた___生きていたのか。」
 メリウステスは突如として現れた竜の使いに、心地よい驚嘆を覚えた。
 「子供たちを放しなさい!」
 肩を揺らしながら、それでもソアラはメリウステスを睨み付けて一喝する。
 「___」
 メリウステスは口を結んでソアラの姿を眺めた。
 「その神具は持っていくといいわ___でも子供たちは放して!」
 「___お___かあ___さん?」
 まどろむ意識の中で聞く母の声。リュカが苦しそうに目を閉じながらも呟いた。
 「いいだろう。」
 メリウステスの答えがソアラをホッとさせる。メリウステスは左腕を撓らせ、子供たちをソアラに向かって放り投げた。
 「危ない!」
 朦朧とした意識で床にたたきつけられては危険だ。ソアラは二人を受け止めるために走った。しかし___
 シュッ!
 一陣の風とともに、ソアラの前にメリウステスの背中が現れた。
 「えっ!?」
 メリウステスはリュカとルディーを抱き留め、両脇に二人を抱えると一瞬のうちに祭壇の前へと戻った。聖杯は祭壇の上に置かれ、メリウステスは不適に笑い、あっけにとられているソアラを見やった。
 「どういうこと!?メリウステス!」
 ソアラは顔つきを険しくして問いかける。
 「杯は力ずくで持ち帰ればすむ。しかし、竜の使いを前にして、この好機を棒に振る気は毛頭ない。」
 その言葉はソアラをぎょっとさせた___メリウステスの志は知っている。
 彼は己を越える強者を捜し出し、戦い、勝つことを人生の道と感じている。
 「竜の力を見せろ!ソアラ!」
 やはりか!
 最悪の要求だ。自力で竜の使いになれないソアラ。彼女が力を発揮した様をメリウステスが見たのは、あの戦劇だけ。彼はアヌビスから、ソアラの覚醒には重大なきっかけが必要だと聞いているのだろう。
 だからリュカとルディーをその手に握った___!
 「見せろって___言われても___」
 戸惑ってはいけないんだ。それは分かっているがどうしても駄目だった。彼女の躊躇を見たメリウステスは、リュカを左手に掴んで高々と持ち上げる。
 「心配することはない。感情の極端な起伏によりおまえの覚醒が近くなることは知っている。すぐにでも呼び覚ましてやろう!」
 「待って!!」
 神殿の柱にリュカを投げつけようとしたメリウステスは、ソアラの叫びでピタリと止まる。
 「やめて___そんなことしなくても、あたしは竜の使いになれるから!」
 はったりだった。でも___可能性がないとも思っていない。今の状況は危機的で、心がソワソワと疼く。この明晰な緊張感ならできるかもしれなかった。
 そもそも、問題は肉体の歯止めだけなんだ。
 愛しい子供たちを守るために___竜の力を発揮した瞬間に肺の腫瘍が破けても構わない。精神の覚悟は十分にできていた。
 「やってみろ。」
 「言われなくたって___!」
 ソアラはようやく落ち着いてきた呼吸を一層整え、静けさを取り戻そうとする。感情は十分に高まっている。これに肉体的な力の放散を加えるため、ソアラは肩幅に足を開き、グッと力を集中した。
 緊張感はある___そう思っていた。だが現実は違った。
 あるのは焦りと危機感。ざらついた、無駄だらけの気持ち。洗練された、壁を突き破る剛速球でなければ竜の使いになれるはずなどない。この悪あがきは、これまで覚醒のために取り組んだあらゆる試行錯誤より遙かに程度の低い挑戦だった。
 (駄目か___!)
 ソアラは己のふがいなさに奥歯を噛みしめた。
 「やめろ。」
 メリウステスの冷酷な声。ソアラは肩を落とし、口惜しさの滲む眼差しで彼を見た。
 「どうせそんなことだろうと思ったよ。」
 メリウステスはまるでボールを投げつけるかのように、リュカを大きく振りかぶった。彼の視線の先には神殿を支える石の支柱があった。
 「やめて!」
 ソアラがリュカを守るために飛び出そうとしたそのとき。
 「なに!?」
 メリウステスが不意な体当たりを受けてバランスを崩した。祭壇の陰にスレイが隠れていたのだ。投げ出されたリュカとルディーを小脇に抱え、彼はソアラに駆け寄ってくる。
 「誰___?」
 半信半疑の目で見ていたソアラだが、すぐにレミウィスの言葉を思い出し、彼が成長したスレイであると察した。
 「スレイ後ろ!」
 だがスレイがソアラに近づくよりも早く、彼の背後には黄金の獅子が迫っていた。振り返る余裕すらなく、彼の背中に強烈な膝蹴りが炸裂する。息が詰まるような衝撃が背中を襲い、スレイは前のめりに突っ伏した。投げ出されたリュカとルディーは冷たい床をソアラの側まで滑ってきた。気を失ってはいるが命に問題はない。むしろいま危機に陥っているのはスレイだ!
 「はあっ!」
 スレイを守るため、ソアラは渾身のスピードでメリウステスに跳び蹴りを放つ。しかし簡単に見切ったメリウステスは瞬間的にソアラの横に回ると、彼女の頬に拳をめり込ませた。
 「くっ___」
 空中で殴られたソアラはへばりつくように地に伏した。しかしすぐさま軽やかに飛び起きると、後方に宙返りしてメリウステスに接近し、拳を放つ。
 「はああっ!」
 空を切ろうと休まずに攻撃を繰り出した。素早い拳の連打に、上中下段への蹴りを交えたコンビネーション。無鉄砲に打っているわけではないのに、メリウステスは全て回避した。防御し、受け止めたのではない。ソアラの攻撃はメリウステスの皮膚に触れることさえ許されなかった。
 パシッ___
 完全に愛想が尽きたか。メリウステスは憮然とした表情で、ソアラが放った拳を掌で簡単に止めた。そのまま力を込めて無理矢理拳をこじ開けると、彼女の親指に指を絡めて一気に捻った。
 「いつっ___!」
 ソアラは体を回転せざるをえなかった。親指の関節を封じて締め上げる。無理をすれば指がちぎれ飛ぶであろう、シンプルだが効果的な関節技だった。
 「竜の使いの力を発揮してもらわなければ相手にならないな。そうだ、ベティスの時のように死の淵まで追い込まれれば、防衛の本能が働くかもしれない。」
 「!」
 おもむろに、メリウステスは間接を締め上げられて背を向けているソアラの肩に食らいついた。
 「うあああ!」
 野獣の牙が肩の肉に深く食い込み、ソアラは悲鳴を上げた。紫色の髪を振り乱しながら、それでも彼女は骨を断つことを忘れない。
 「ディオプラド!!」
 いくらスピードキングでも、食い込んだ牙を外す素早さはない。手探りで彼の腹に触れたソアラは、至近距離からの爆発でメリウステスを肩から引っぺがした。右手の親指で鈍い音こそしたが、まだ戦える。ソアラは肩から血を迸らせて振り返った。
 「早い___!」
 吹っ飛ばしたはずのメリウステスがもう迫っていた。
 「ドラゴフレイム!」
 しかしその牙がソアラに届くよりも早く、カウンター気味に襲った炎がメリウステスの体を包み込んだ。
 「スレイ___!」
 ソアラは素早く駆け出すと距離を取っていたスレイの横に立った。
 「何やってたのよ!早く子供たちを連れて逃げて!」
 「し、しかし___」
 先ほどのソアラとメリウステスの戦いを目の当たりにしたスレイには、ソアラがメリウステスとまともに戦えるとは思えなかった。幼くして抜群の冷静さと度胸の強さを持った彼は、ソアラとともに戦うことを望んでいる。
 「大丈夫、一人で何とかしてみせるから、子供たちを___!」
 「君一人で私に勝つつもりか?竜の使いにもなれない君が。」
 メリウステスを包み込んでいた炎が飛び散るように消え失せ、残された熱気が彼の周囲の大気を揺らす。炎を身に浴びようとも、黄金の毛並みの輝きは失われてはいなかった。
 「きたっ!___!?」
 床を蹴ったメリウステスが高速で迫る。対処しようと身構えたソアラだが、突然胸の内側がねじ曲げられたかのように痛み、激しいめまいに襲われて膝が崩れた。メリウステスの爪が煌めくのが分かったが、体がこれっぽっちも動かない。
 「危ない!」
 そのときソアラはどんな気持ちだっただろう。エスペランザ、ネスカ、アイルツ、フェルナンド、そしてイェン___守らなければならない人々を全て失った日々。ソアラにとっての地獄の試練を、神はまだ与えたりないのか?
 バシュッ!!
 メリウステスの両腕から繰り出された渾身の一撃が、スレイの胸から腹までをたすき十字切り裂く。仰け反るスレイの体から夥しい血が噴き出した。彼が仰向けに倒れた先に、ソアラは血を浴びたメリウステスの笑みをみた。
 怒りがあるとすれば、それはメリウステスがスレイをなぎ倒したことではなく、守られることしかできなかった自分への怒り。ふがいなさへの怒りだった。
 ただ、それで十分だ。むしろ理性を保つためには、憎しみによる覚醒でない方がいい。
 「きたか___」
 メリウステスの前に、ソアラが立っていた。紫色の髪は光り輝く黄金に変貌を遂げ、眼光もまた金色へと変わっていた。
 竜の使いの覚醒だった。




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