2 来訪者
「しかしアヌビス様も人使いが荒い。何で私がこんなところまで、ソアラもいないのに調査に出てこなければならないのでしょう。」
グルーは愚痴をこぼしながら、風で乱れた髪を掻き上げた。ソアラを欠いているはずの人間たちがブレンを倒したという事実。少なかれアヌビスが色めきだったのは確かなようで、こうしてわざわざ八柱神であるグルーが百鬼たちの調査に派遣されていた。彼は空の闇にすっかりと溶け込み、まるっきり気配を消しながら、下を走るキュクィ車を見下ろしていた。
「まあこのまま観察していてもつまらないですね。少し遊んでさしあげましょう。」
グルーは青ざめたほどに色白でしなやかな手を現すと、空間に線を描いていく。彼の指先の軌跡に従い、闇の中に赤い筋が刻まれていく。それは六つの頂点を持つ星、六茫星。
「集え邪悪なる魂___恨めしき清らかなる魂を、おまえの世界へと誘え___」
六つの頂点を結ぶように、空間に円が刻まれる。そして星の中心が紫色にぼんやり光り始めると、そこから薄紫色のつかみ所のない塊が噴き出してきた。
「決して強くはないですが___デモンズミストは厄介な相手です。さらにおまけも付けましょうか。」
グルーは黒マントの内側から、ビー玉のようなものを三つほど取り出した。
「さて、どう御します?」
霧が結集したような、向こう側が透けて見える紫色の塊は、ゆっくりとキュクィ車を追いかけていく。グルーは整った唇を歪め、ビー玉を放り投げた。
「なんだ?」
手綱を取っていたライが顔をしかめた。掲げていたランプの火が突如として消え、前方の景色に霞がかかる。
「霧が出てきたみたいだよ。」
ライは振り返って幌に首を突っ込んだ。キュクィも困惑しているようで、足色が鈍っていた。
「いったん止めた方がいいんじゃないのか?ただでさえ暗い世界だ。これ以上視界が悪くなると動くのは危ない。」
「無理に急ぐ必要はありません。」
刀の手入れをしながら答えた百鬼にレミウィスも同意する。
「しかし、こんだけ乾いた土地で霧か。ったく、とんだ足踏みだな。」
キュクィ車の縁に寄りかかり、幌の口から半身を乗り出して煙草を吸っていたサザビーが呟いた。
「お?」
サザビーが妙な声を出した。外に灰を落とし、再びくわえた煙草の火が消えていた。
「どうしたの?」
「煙草が消えた。」
「しけてたんじゃねえっすか?」
フローラの迅速な治療で左手をつなぎ止めたリンガーは、真剣な顔で棕櫚の差し出したカードから一枚を引き当てる。
「んぎゃっ!」
派手なリアクションで仰け反るリンガー。
「だからおまえ、いちいち反応してたらすぐにババ引いたってばれるだろ?」
バットが苦笑いして彼の頭をひっぱたいた。
「いんや、こりゃ何か鋭いもので斬られた感じだぞ。」
煙草の先端を観察していたサザビーが、眉間に皺を寄せて言う。
「ねえ、やっぱりこの霧ちょっとおかしくないかな?キュイが指示もしてないのに座り込んじゃったよ。」
ライが御者席から幌の中に転がり込んできた。ちなみにキュイとは知らず知らずについたキュクィの名だ。
「おかしいみたいだな。」
霧は紫で、動いている。手入れが万全になった百鬼丸を握り、百鬼は立ち上がった。
「危ないかもしれないが、出よう。」
「このままこの中にいてもどうにもならねえからな。」
慎重に外へと飛び出した百鬼にサザビーが続く。二人の姿はキュクィ車から出た途端に霧にまみれて見えなくなってしまった。
「確かに異常ですね。」
「リンガー、手は大丈夫?」
「問題ねえっすよ。」
棕櫚、フローラ、バット、リンガーも様子をうかがいながらキュクィ車を出た。
「レミウィスさんとナババさんは残っていてください。」
「了解しました。」
霧の中から聞こえたフローラの声に、レミウィスはしっかりと答えた。そして何も言わずキュクィ車の中で座っていたバルバロッサは、じっと幌を見上げていた。その先の空の高見にある邪悪な気配を感じて。
「こりゃ___目の前もよくみえねえな。」
サザビーが煩わしそうに手を振るうと、霧はそれに沿って揺れ動いた。
「!?」
僅かに開けた霧の隙間から黒光りする煌めきが飛び出してきた。サザビーは素早く槍を振り上げてそれを受け止めた。
「剣!?」
霧から飛び出してきたのは錆ついた剣だった。サザビーはすぐさま槍を捻って、柄で剣を弾き上げると前方の霧を鋭く突いた。確かな手応えと石を打つような感覚。霧の向こうで積み木が崩れるような音がした。
「気をつけろ!霧の中に何かいるぞ!」
「骸骨だ!」
バットの声が聞こえる。
「このやろ!」
リンガーの必死の叫び。二人は賢明に剣を振るっている。
「そこか!」
百鬼は霧に浮かんだ骸骨の幻影に斬りつける。しかし___
ギンッ!
鋭い太刀筋は霧を大きく切り開き、百鬼丸を受け止めたのが何であるか目の当たりにさせた。
「この槍は!?」
「百鬼か!」
霧の向こうから声が聞こえた。二人は紫を掻き分けるようにして限りなく近づき、お互いの顔を確認する。
「いまこっちに骸骨がみえたんだ。てっきり___」
「この霧、目くらましだけじゃなさそうだな。」
「いだ!」
「その声はライさん!?」
リンガーの剣がライを傷つけたらしい。霧の中では混乱が巻き起こっていた。これはまさしく敵の術中。一気に打開するためには___
「フローラ!呪文で霧を吹き飛ばすんだ!」
邪悪な霧であればディヴァインライトで一掃できる。だが百鬼に言われずともフローラだってそれは分かっていた。
「そ___それが___!」
フローラの切羽詰まった声が霧中に響き渡る。しかし妙に共鳴して彼女がどちらにいるのかさえ分からない。
「魔力が霧に触れたら消えちゃって___こ、これって!吸い取られる___!」
「おいフローラ!?」
フローラの悲鳴にも似た言葉が百鬼たちをいらつかせる。
「ウインドランス!」
霧はキュクィ車の中にまでは入り込んでこないが、もはや完全に包み込まれている。レミウィスは霧に向かって呪文を放つが、風の刃は霧に触れた瞬間に染みいるように消えてしまう。そればかりかレミウィスの掌にまで遡るように霧が伸び、彼女の体から魔力を引きずり出していく。
「くっ___!」
霧につながれ、硬直したように動かなくなった右手をレミウィスは渾身の力を込めてねじ曲げた。何かが破裂するような音とともに、レミウィスの掌で血が弾けた。
「レミウィス!」
「大丈夫。皆さん!おそらくこの霧そのものがモンスターです!」
よろめいたレミウィスをナババが支える。レミウィスはすぐに姿勢を正して霧の中にまで届くように声を張り上げた。
「霧そのものだと___」
「フローラ!しっかり!」
ライがフローラを見つけたようだ。彼の焦りの混じった声色がフローラの身を心配させる。
「皆さん!大地から根を回して骸骨は捕らえました!今のうちに霧の正体を暴いてください!」
「だが___」
どうしたらいいのだろうか。むやみに武器を振り回しては霧の正体を切り裂くよりも味方を傷つけてしまうだろうし、おそらくこの手のモンスターには大いに有効であろうディヴァインライトも、霧の中からでは効果をなさない。
「そうだ!みんないったんキュクィ車に戻れ!一人だけが霧の中に残れば同士討ちはない!」
「そのキュクィ車がどこにあるのかわかんねえっす!」
百鬼の案に、リンガーの冷静さを欠いた答えが返る。棕櫚だっていつまでも骸骨を抑えられるわけではない。キュクィ車はすぐ側にあるのだろうが、もはや霧は極限まで濃度を増していた。
「どうすりゃいい___ぐっ!?」
声を張り上げたと同時に息が詰まるような苦しさに襲われ、百鬼は激しく噎せ返る。
「なんだっ___げほっ!」
サザビーも、ライも、次々と息苦しそうに咳き込みはじめた。口内から肺へと霧が入り込んできたのだ。体の中で霧の粒子が奔放に暴れ回り、全身に焼け付くような痛みが広がっていく。
「これは___くっ___」
棕櫚も集中を維持できない。骸骨が力の弱まった根をふりほどいたのが分かったが、伝えることもままならなかった。
「ふふ、他愛もない。偵察のモンスターに太刀打ちできないとは。」
空から紫色に渦巻く霧を見下ろし。グルーは冷笑を浮かべる。紫の霧は上空から見るとドクロを象るようにうごめいていた。
「どうすれば___」
霧はキュクィ車の中にまで進み込み、レミウィスは手を振るってせめて霧を振り払う。そしてバルバロッサは___
「___」
おもむろに剣を取ると、車内に座ったまま、その切っ先を自分の視線の先へと向けた。
ポゥ___!
レミウィスはその輝きに目を奪われた。彼の漆黒の剣には一つだけ、血塗られたルビーのような、濁った紅の宝玉が埋め込まれている。それが突如として輝きを発したのだ。
「!?」
レミウィスは霧を払うのも忘れ、彼の腕を走った赤い波動を直視した。波動は宝玉の輝きとともに剣を一気に切っ先へと走り、弾丸のような勢いで空へと発射されたのだ。
「!」
赤い砲弾は確実にグルーを驚かせ、油断の怖さを知らしめた。それほど真紅の輝きは上空のグルーを正確に捉えていたのだ。
「きわどい___」
砲弾はマントを掠め、空の高見に消え失せる。大きく裂けたマントがだらしなく垂れた。
「なるほど___ブレンを倒したというのはあながち嘘ではないのかも知れませんね。彼は___できる。」
幌にあいた穴を通じ、グルーとバルバロッサの目があった。グルーは彼に笑みと小さな会釈を送り、バルバロッサは何事もなかったように目を逸らした。
「___」
レミウィスは懐疑を抱くような目でバルバロッサを見ていた。彼はいったい何者なのか___魔族でもないというのに、あまりにも人間離れしている。
「ごほっごほっ!」
「!___ルート!」
ナババの苦しそうな噎びに我に返ったレミウィスは、霧を吸い込んで体を折り曲げている彼に寄り添った。反射的に、彼を二人だけの名で呼んでいた。
「くっ___!」
霧の中から声が聞こえる。剣戟の音、苦痛をこらえる呻き。どうすればいい___呪文以外に対処の術を持たないレミウィスは、バルバロッサを一瞥する。しかし彼は頑としてそれ以上動く気配はなかった。
いや、動く必要がないと分かっていただけかも知れない。
「ん?」
空にいたグルーは、三つの人影が近づいてくるのがはっきり見えていた。
「助っ人___でしょうか?いやしかし、あれは戦力とは思えませんねぇ。」
紫色の霧に向かって、三人の男女が一目散に駆けてくる。
いや、男女と言うにはまだあまりにも幼いか。一人の青年と、少年少女。
「ディヴァインライトを!」
蒼みがかった黒髪の青年が高らかに言う。そして自らは背にした木製の弓を手に取った。
「はい!」
栗色の髪をした少年が元気よく返事をし、目前に停留する霧に向かってその小さな手を翳した。
「ディヴァインライト!」
少年の一喝とともに彼の掌がぼんやりと光を放ち、輝きが大きく広がった!
「っ___この輝き___!」
グルーは顔をしかめ、短くなったマントで目を隠す。この光輝く浄化の呪文はもともと気に入らないが、子供が放ったにしてはあまりにも呪文の完成度が高い。
ギュィィィィィ___!
声とは違う。立て付けの悪いドアの軋むような音とともに、光を浴びたところから霧が一気に消し飛んでいく。
「こ、これは___!」
立て膝で骸骨の剣をこらえていた百鬼が、驚いた様子で霧の晴れた夜空を見渡した。
「どういうことだ!?」
悶絶している骸骨の剣をあっさりと突き返し、百鬼丸の一太刀が骨を粉砕する。
「あれが本体!」
宙空に紫色の不気味な塊がうごめいている。目の前の骸骨を倒したライが剣を振りかぶる。飛び上がって斬りつければ何とか届きそうな高さだ。
バシュッ!!
しかしライがそれ以上剣を振るう必要はなかった。霧で汚された大気を切り裂いて、一筋の蒼い光が紫の化け物を貫いていた。
「!?」
その瞬間、全員が光速の矢の出所を振り向いていた。
「ドラゴフレイム!」
大きく、早く、そして力強い炎の帯が上空を駆け抜け、紫色の化け物を飲み込み、完全に消し去っていく。ドラゴフレイムは元々広い範囲に拡散しやすい呪文。それを一直線の帯状にして、特定の相手だけを焼き尽くすというのはかなり高度な技術だ。
しかしそれを放ったのは___
「お父さーんっ!」
聞き覚えのある、いや、絶対に忘れることなどない可愛らしい声。百鬼は度肝を抜かれた思いだったに違いない。
「見つけた見つけた!」
やんちゃを剥き出しにして、二人の子供がはしゃぎながら百鬼に駆け寄ってくる。
「うそだろ___?」
開いた口がふさがらない。百鬼は引きつった笑みを浮かべ、無邪気な栗毛の子供たちをみていた。
「わーい!」
リュカが勢いよく百鬼の胸に飛びついてきた。
「お父さんだー!」
ルディーも父の手を取って飛び跳ねている。
「おいおい、どうなってんだ?何でおまえらがここにいるんだよ!?」
百鬼は近寄ってきた棕櫚に剥き出しの百鬼丸を渡し、子供たちの頭を撫でてやる。
「ねえ、あの人誰だろう。」
ライがまだ足下のふらついているフローラに肩を貸しながら、こちらに近寄ってくる蒼髪の青年を指さした。
「まあ敵じゃあねえな。」
サザビーが煙草に火をつける。
「どこかで見たことのある雰囲気ですよ。」
棕櫚は興味深げに、笑顔の爽やかな青年を見ている。赤茶色のマントの下は深い緑の装束。確かにどこかで見たことがあるかも知れない。
顔立ち?
髪?
弓矢?
棕櫚はハッとしたが、それを口にするよりも早く、青年が一声を発した。
「こんにちは、父さん。」
突然投げかけられた一言に、サザビーはくわえていた煙草を吹き出した。
「お、俺!?」
サザビーは目を見開いて己を指さし、青年と対峙した。彼はにっこりと微笑んで、大きく頷いた。
「さ、サザビーさんすげえ!」
「いくつの時の子供だ!?」
バットとリンガーが高揚した様子で手を叩いた。
「ば、ばかいえ!おまえどう見たって十五、六だろ?いくら俺だって十二、三で子作りは___」
幼児もいるのだ。サザビーは棕櫚に頭をひっぱたかれた。
「やっぱり分かりませんでしたか。もしかしたらと思っていたんですがね。」
青年は物憂げな笑みを浮かべ、長い前髪を掻き上げた。その仕草、黒以上に黒い髪の流れる様を見たとき、サザビーは一人の女の面影を思い浮かべた。
まさか___
「僕はスレイです。」
やっぱり!
「えええええええええぇっ!?」
ライが絶叫する。隣ではフローラが耳を塞いでいた。
サザビーは声も出ない。そう、ミロルグの面影が浮かんだのだ。リュキアは少々突飛な雰囲気の女だったが、彼女は彼女で黒髪にすればミロルグと似た空気を醸していた。その面立ちは、スレイにも受け継がれていたのだ。
「スレイってよ、おまえリュカたちと同い年のはずだよな___」
百鬼が不思議そうに問いかけた。
「はい。ですが僕の母は魔族ですから。」
「そっか、魔族ってあっという間に成長しちゃうんだよね。」
ライはあっさりと納得顔だが、しかし五年前の赤ん坊がすでに「これ」ではどうも釈然としない。ただスレイの顔立ちは確かにサザビーにも似ている。
「ねえお母さんは!?」
リュカの抱っこを終え、今度はルディーを抱き上げた百鬼。リュカが彼のズボンを引っ張ってせわしなく問いかける。
「あっ___とな、お母さんは用事でいま別のところに出かけてるんだ。ちょっと遠いからなぁ、すぐには会えないぞ。」
「えーっ___」
二人は表情豊かに不満を呈する。だがすぐに「お父さんがいるからいい。」と元気を取り戻し、百鬼を安心させた。
「何かあったんですか?」
「ん?ああ、いろいろとな。」
大人びているのは体だけではないようだ。スレイは状況を察して父に問うた。
「そうですか___僕もソアラさんに会えるのを楽しみにしていたんですが___」
サザビーからあらましを聞いたスレイは、落胆の色を隠そうとはしなかった。
「でもまだ望みが消えたわけではないんですね。」
「そういうことだ。」
サザビーはもう落ち着きを取り戻したようだが、あまりスレイをじろじろ見たりはせず、新しい煙草に火をつけた。
「お?おまえその武器は。」
「はい。母の形見の品___を模して祖母に作ってもらいました。」
スレイは自慢の弓をサザビーに示してにっこりと笑う。
「ミロルグは元気か?」
「おまえがいないから元気だ。」
スレイは悪戯っぽく言った。
「元気かと聞かれたらそう答えろと言われたんですよ。」
「あやつめ___」
血縁の成せる業か、意識せずとも言葉がかみ合う。だが普段のサザビーを知る皆から見ると、少し照れくさそうに映った。
「しかしおまえら何で来ちゃった、いや来れたんだ?おとなしく留守番してろって言ったろ?」
「だって〜。」
百鬼に額を小突かれ、リュカとルディーは顔を見合わせて声をそろえた。
「実は、中庸界でも光の浸食が進んでいるんです。しかもその出所は魔道口ですよ。僕には仕組みは分かりませんが、こっちの世界に来て、この暗闇が次元を越えて中庸界に染み込みはじめているのだと感じました。」
スレイの想像は間違いではないだろう。
「今まではクーザーマウンテンが邪魔をしてましたからね、我々がこちらに来たことで少なからず魔道口はこちらとの接点を広げたのかも知れません。」
あり得る話だ。山が消え去ってからの五年間、闇の進行は気になるほどでもなかった。
「俺たちが道を開いちまったわけか。何とかしなくちゃいけねえな。」
サザビーが白い煙を吐き出す。
「しかし、世界を越えて空を闇に染める力___やはりアヌビスは想像を絶する能力の持ち主のようですね。」
レミウィスがキュクィ車から出てきた。
「こんにちは。坊やたちいくつ?」
「六歳!」
優しげなレミウィスの問いかけに、二人は人見知りもせずに元気よく答えた。
「おいおい、まだ五歳だろ?」
「ううん違うよ!六歳!」
リュカが大きく首を横に振る。
「えぇ?おまえたちの誕生日って___」
「誕生日なんてとっくに過ぎちゃたものね。」
「アウラール姉ちゃんにお祝いしてもらったもんね。」
「すっごく綺麗なの貰ったよ!」
二人の言葉はどうやら嘘ではなさそうだ。だがそれにしても計算が合わない。百鬼は不思議そうに何度も首を傾げた。こちらに来てから三ヶ月程度。二人の誕生日にはまだ二ヶ月はある。
「五歳だろ?」
「いえ、僕も六歳になります。」
サザビーに尋ねられたスレイが言った。
「俺たちがこっちに来てからまだ三ヶ月だぞ。」
「えっ!?」
スレイが驚いて声を上げた。
「向こうではもう一年の時が過ぎていますよ。」
「なんだって?」
「祖母もそれを心配していたのです。中庸界の状況がむしろ悪くなり続けて一年が過ぎている。僕がこちらに来ようと決めた理由もそこです。」
時間のずれがある。それは間違いないようだ。
「どうやら時間にずれがあるようですね。」
「そんなことあるのかしら?夜が明けないから日数勘定を間違えたんじゃ___」
フローラは腑に落ちない様子で首を傾げた。
「でも街には時計がありますよ。やはり何といっても別世界ですから。」
と、棕櫚。
「いえ、時間の流れそのものが違うわけではありません。」
真打ち登場。やはり地界の疑問に答えを出すのはレミウィスだ。
「百鬼さんはフュミレイと同い年でしたね?今のお年は?」
「二十四。」
「私がいま三十九ですから___」
「えっ!?」
むしろ皆の驚きを誘ったのはその部分だったりして。
「なにか?」
「いや___三十くらいだと思ってた___」
レミウィスは伏し目になって、妙に驚嘆している皆を一瞥した。
「まあそれはいいでしょう。私とフュミレイの年齢差は十六ですから、本来であれば百鬼さんは二十三でなくてはならない。約1年の誤差があります。もしこの世界の時間の動きそのものが違うのであれば、こちらに来て二十年近くが経過している我々と、皆さんの年齢差はもっと縮まっていなければなりません。」
「なるほど、するとどこかで十ヶ月くらいの時が歪んだ。」
百鬼も納得した様子で掌を叩いた。
「まあ魔道口でしょうね。ただそうすると、我々は十ヶ月の時を得したのか、それとも十ヶ月の齢は重ねたもののそれに気づかないだけか___」
棕櫚が顎先に手を当てて呟く。
「あ〜、もうその話はいいじゃねえっすか。頭が混乱してくる。」
リンガーが髪を掻きむしって訴えた。確かにどうでもいい話だ。十ヶ月のずれがあるということが分かれば十分。
「んで、何でリュカとルディーを連れてきたんだ?」
サザビーがスレイに問いかける。
「ソードルセイドにモンスターが出たんです。ちょうど___うーん、僕と祖母はあのあたりに住んでいたものですから、実力を試す意味もかねて僕が討伐に向かったんです。」
ミロルグは己の居場所を誰にも伝えていなかった。それを知っていたからスレイも少しだけ逡巡していた。
「まあそれでなんですけど、僕がソードルセイドに向かったとき、モンスターは城下にまで進入していました。ただそこで思わぬ壁にぶつかっていた、それが二人なんです。」
そのときスレイは目を疑ったに違いない。それは今の百鬼たちが先ほどのディヴァインライトとドラゴフレイムを未だに信じられないのと同じだ。
「リュカ君の身体能力、そしてルディーちゃんの魔力、驚きましたよ___本当に。勝手にそんなことをするのは悪いとは思ったんです。戦いに巻き込みたくないから、百鬼さんとソアラさんが断腸の思いで二人を中庸界に残したこと、アウラールさんから聞きました___でも祖母と相談して、二人にその意志があれば祖母の元に来てもらうことにしたんです___」
「まあ行くわな、こいつらは何でもかんでもやりたがるから。」
百鬼は苦笑いで大きな手を二人の頭にかぶせた。
「すみませんでした___」
スレイは深々と頭を下げるが百鬼はすぐにそれを上げさせた。
「まあいいってことよ。俺もまた会えたのはうれしいんだから。やっぱり家族は一つの方がいい!な?」
「うん!」
家族がいい、その通りだ。
百鬼は陽気に振る舞っている。だが彼は誰よりも、少しでも早く再びソアラと会える日を待ち望んでいるのだ。家族が一つになれる時を___
そのころ___
「ごほっごほっ!」
立ち寄った街の大衆酒場で食事を取っていたソアラは、隣の席から流れてきた煙草の香りに息苦しさを感じ、咳き込んだ。
「そう、嘘じゃねえよ、ほんとなんだ。」
「そんな魔法みたいな話がか?」
ほろ酔いの男たちは彼女が煙たがっていることにも気づかず、盛り上がっている。ソアラは席を変えようと立ち上がった。
「本当さ、変わったところだぜ。変なとこなんだけどさ、入り口をくぐってしばらく進むとまた入り口に戻ってるんだ。逆戻りしたつもりなんてないんだけどな、どうしても前に進めねえのさ。」
しかし男の話が気になって、立ち上がったまま足を止める。
「でもありゃきっと凄い神殿なんだぜ。壁には竜が掘ってあってよ、入り口の真上にも竜の石像だ。あれだけ外してどっかに売っただけでもいい金になるぜ。」
竜。その一言がソアラの目の色を変えさせた。
「お!?」
突然肩を掴まれ、無理矢理振り向かされた男はびっくりした目でソアラを見る。
「それってどこにあるの!?」
目的地が決まった瞬間だった。
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