第8章 ハートウィンの娘
戦闘に決着が付いたその時、百鬼は勝者の約束を果たすためにブレンへと歩み寄った。彼が作り出した黒ずんだ池へと踏み込み、百鬼は仰向けのブレンを見下ろした。
「ブレン。」
ブレンは目を開けていた。黄金の眼球がしっかりと百鬼を見る。
「貴様か___この短い時で、変わるものだな。」
それは強者のプライドか。ブレンは声を発することも不可能に思えるこの状況で、尚もはっきりとした声色を保っていた。
「約束を守ってもらう。アヌビスがソアラを浚った理由は何だ?あいつが竜の使いなら、アヌビスは何故自分の敵を呼びつけたんだ?」
ブレンは邪悪ではあるが、誠意のある人物だ。百鬼は彼が何らかの答えを出してくれることを期待していた。
「クックッ___幸せな女だ。」
ブレンは髭面を歪めて笑う。口元から血が飛んだ。
「死人になっても思いを寄せる男がいるとは___」
百鬼が凍り付く。自らの耳を疑ったが、ライやサザビーもその言葉をしっかりと耳に刻んでいた。
「今なんて言った___」
確認することが恐ろしい。だが聞かずにはいられなかった。
「死人と言ったんだ。」
聞き間違いではない。百鬼はブレンの血が服に染み込むことも気にせずに、その場で跪いて乱れた髭を掴んだ。
「___どういうことだ!?」
百鬼の血走った眼に、ブレンは嘲笑を隠せない。
「ソアラはヘル・ジャッカルからの逃亡を試みた。アヌビス様は逃がすつもりでいたが___好戦的な八柱神がソアラを仕留めた。」
「嘘だ!」
嘘だと思いたかった。
「嘘なものか___ソアラが健在ならば、アヌビス様は私におまえたちの殺害を命じたりはしない。ソアラが死んだから、アヌビス様はおまえたちの相手に嫌気が差したのだ。」
だがブレンの口振りに偽りはない。今の状況では冷静になれているサザビーだけがそう実感していた。
「動揺しているな?」
髭を掴む手が震えている。
「だが現実を受け止めろ。ソアラは死ん___ごばっ!」
百鬼の精神を痛めつけるかのような言葉。しかしブレンはその全てを言い放つことはできなかった。ブレンの口を引き裂いて、大量の植物が飛び出し、毒々しい花を開く。
「それ以上聞く必要はありません。」
女のような細やかな掌が、宥めるように百鬼の頬に触れた。棕櫚の血に濡れた残酷な表情は、全てを物語っている。なにより___
こんなに後味の悪い勝利ははじめてだった。
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