2 黒の激突
「なぁ、何かを分解するのに四方八方散らかすのは、頭が悪い証拠だってどっかで聞いたことがあるんだけどよ。」
遺跡探索をはじめてから十日が過ぎた。旧跡の調査では出る幕がないライと百鬼の二人は、機械兵ベルコの解体に日々を費やしていた。機械に関する知識はなく、慎重さも欠ける二人だけに解体作業は手当たり次第だ。もはやドーム中が金属部品だらけになっており、サザビーが皮肉を言いたくなるのも当然だった。
「俺たちバカだもんなぁ。」
「いや、僕は違うよ。」
百鬼がライにヘッドロックを仕掛けているのを眺めながら、サザビーは白煙の混ざった溜息を吐いた。
「なあ、この金属で刀作ったら切れるだろうなぁ。」
ベルコの内部からまるで刃物のように尖鋭な金属板を見つけた百鬼が揚々と言った。
「さあな、剣を意識して作った金属じゃねえから、うまくいかねえだろ。」
「でも堅いのは堅いぜ。何せ百鬼丸で砕けなかった!」
百鬼は金属板を一振りしてみる。風を切る感触も悪くはなかったが、持ちづらい。
「合金だって話だからな。強度を追求した金属さ。」
「ねえサザビー、この機関部ジャンルカに持っていったら喜ぶんじゃないの?」
ライはベルコの心臓部ともいえる金属の箱を叩いた。この装置に飛び出た突起を結ぶと激しい電流が走る、いわば電池だった。
「持ってけるかアホ。」
サザビーは灰の塊を遺跡の床に落とし、短くなってきた煙草を尚もくわえた。
「腐食を早めるから遺跡の中で煙草はやめてくださいと、あれほど言いましたよね?」
刺すような声にサザビーは肩をすくめた。見れば遺跡の入り口付近で調査をしていたはずのレミウィスが、眼鏡に手を添えて伏し目がちでやってきていた。
「悪い悪い、それよりもどうかしたのか?」
サザビーがつい癖で壁に煙草を擦り付けると、彼女の眉間には明らかに力がこもった。
「食事。」
「あ、おいそっけねぇなぁ。」
レミウィスはそれだけ言い残すと、プイと背を向けて立ち去っていってしまった。
それから___
「明日ここを発ちましょう。」
「ということは、聖杯のことが分かったのですか?」
棕櫚の問い掛けにレミウィスは満たされた笑顔で頷いた。
「機械兵のスクラップはどうするの?」
「置いていきましょう。村の人に教えれば有効に使ってくれるはずです。」
「いいお礼になりますよ。」
この十日間を遺跡で過ごしきったのはレミウィスとナババにバットとリンガー。他の面々はマーズバインで寝泊まりすることがほとんどだった。ナババ言うとおり、礼を兼ねて金になる部品をプレゼントするのも良いだろう。
「で、どこを目指すんだ?ネルベンザックか?」
「聖杯があると思われる神殿があるであろう場所です。」
「なんだか不確定なことばっかりだなぁ。」
百鬼が思わず苦笑い。
「色々とありますからね。この遺跡の壁には重要な記述がありましたが、やはり破損していたり、意図的に苔で覆われていたりと全体的に保存状態が悪いんです。」
皆はバットとリンガーに目をやったが、二人は話しもそこそこに談笑していた。
「それと気になったのは___記述が新しすぎること。」
再びレミウィスに注目が集まる。
「この遺跡に刻まれていた文字はものの見事に天界文字です。いえ、ただ我々がそう呼んでいるだけの文字ですが、竜神帝、すなわち天界にまつわる記述の多くがこの文字で残されています。」
「我々の経験では、記されたのが百年前よりも新しい文字というのは見たことがありません。しかし、この遺跡に関してはおよそその半分。五十年ほど前に記されたものと思われます。」
二人にとってもはじめての経験だ。だからこの遺跡を信用しきれないでいる。
「ただ内容は正当な文章です。悪戯にしてはできすぎていますし___何しろ神殿の位置を明言しています。」
「で、その場所はどこなんだ?」
「ナババ。」
ナババが立ち上がって、壁際に寄せられた荷物の中から地図を引っ張り出してきた。
「改めまして我々がいるのはこのジネラ大陸です。目指す場所はここ、大陸の東端部です。」
「遠いなぁ。」
「大きなロスになることは間違いありません。皆さんがアーパスからハーラクーナまでに要した時間を考えれば、この闇の下、順調でも三ヶ月はかかるでしょうね。」
三ヶ月は長い時間ではある。しかしレミウィスがここに向かうことを考え直すはずなど無く、少しでもソアラのために役に立つものを手に入れられるならという思いは共通だった。
「聖杯だっけか?竜の使いに必要なんだろ?」
「必要かどうかは分かりませんが、竜神帝の加護を受けた道具であることは間違いありません。」
「なら迷うことはないな。」
百鬼は既に心を決めて大きく頷いた。反論の声は出なかった。
「なあ、マーズバインには神事に精通した人間はいないんだよな?」
サザビーがバットとリンガーを振り返って問いかけた。
「はっ!?」
「何で俺たちに聞くのさ!」
慌てながら取り繕うようにおどけてみせる二人。皆は苦笑いするしかなかった。
「おまえらまだ気付かねえの?俺たちはもうとっくにおまえらの両親に会ってきたんだぜ。」
と、サザビー。
「うぃぇぇえええええっ!?」
二人の驚嘆は見事なハーモニーを奏でる。
「両親も帰ってくるなってよ。ただ、立派な大人にしてくれって頼まれちまったけどな。」
サザビーは懐から煙草を取り出すが、レミウィスの厳しい視線に気が付いて懐に戻した。
「心配してらしたわよ。もうしばらくここには戻れないけど、帰らなくていいの?」
「いいよ。今戻ったって俺たちはあのころから何も変わってないからね。」
バットの即答には何の迷いも感ぜられない。フローラの心配は杞憂に終わったようだ。
「もっと役に立つから報酬はたんまり頼むぜ。」
本音かどうかは分からない。ただ笑いを誘ったリンガーにも迷いがなかったのは確かだ。二人は今の自分に納得していない___皆にはそれが良く分かった。
「マーズバインに神学者はいないと思います。そう、これを書き残したのが誰かというのは気になることですね。」
「ま、とにかくその場所に行ってみることだ。神殿があって聖杯があれば万々歳って事だろ?もうそろそろこの湿気たっぷりの遺跡からは離れたかったんだよ。」
百鬼は床にこびりついた苔を指で削ぎ取ってみせた。
彼は遺跡の湿気を理由にしたが、湿気なら彼の故郷、ソードルセイドの方がよっぽど強い。本心は少しでも早くソアラに近づきたい、それ以外の何物でもないだろう。
その日は全員が遺跡で眠ることになった。もっともその日と言っても今が昼なのか夜なのかは定かではない。とにかく、体力を充足する程度に眠ろうというだけだ。
「今はとても楽しいわ、もともとじっとしているのって好きじゃなかったから。」
「近頃の君はいきいきとしている。良く分かるよ。」
石造りの遺跡の上に登ると、木々の絨毯の向こうにマーズバインの光が見える。ハーラクーナに比べて夜景としては物足りないが、これくらい物静かな景色もそれはそれでロマンティック。
「生きていて良かった___あなたと一緒にいることができて。」
「それは僕もだよ。」
二人だけのレミウィスとナババには、主従の関係はない。言葉遣いも、仕草も、ただの愛し合う男女のそれに変わる。
「ルートウィック___」
二人きりでいるとき、レミウィスはナババを愛称では呼ばない。この名前で呼んだ方が、二人の瞬間を実感できた。
「くっ___」
しかし甘い空気は長くは続かなかった。ナババが顔をしかめ口元を抑えて咳き込んだ。レミウィスは心配そうに彼の背に手を宛って寄り添った。
「また血が___」
ナババは必死に押さえつけていたが、指の隙間から血が滴り落ちた。レミウィスの顔が心配から憂いに変わる。
「大丈夫、こんなの前からあったことだろ?」
ナババは努めて明るく振る舞った。右手を濡らした血液の量は決して多くないが、それでも異常なことだ。
「やはり良くないわ___旅はあなたの命を削ってしまう___」
「君を一人にはできない。」
ナババの返す刀はいつも決まっていた。そしてレミウィスはいつもの通り沈黙する。互いの視線が激しく交錯する瞬間、二人は愛を感じた。
ナババの身体を蝕む病が、死を望んだ過去が、皮肉にも二人の情熱の炎を永遠にしていた。
「血を洗ってくるよ。」
「私も行く。」
遺跡の裏にはささやかな小川がある。ナババは血の付いていない左手を差し伸べ、レミウィスもその手を取った。
「理知的な学者先生も、好きな男の前では一人の女か___」
遺跡の外に出て煙草を吸っていたサザビーは、小さな火を足下の岩に擦り付けた。
「ん?」
遺跡に戻ろうとしたサザビーは、何となく振り返った。しかしそこには鬱蒼とした茂みがあるだけ。
「?」
気のせいか?サザビーは首を傾げて遺跡の中へと戻っていった。
「何かしら___」
サザビーが何かを感じたらしいその時、もっと具体的なものを感じ取っていた人物がいた。
「いいものじゃない___邪な感じがする___」
ナババが手を洗っている小川のほとりで、レミウィスはじっと一つの方角を睨み付けていた。
「マーズバインから___?」
レミウィスの心はナババへの愛に燃えていた。明日からは暫くキュクィ車の中。今日は互いの愛を身体で確認したい気分だったが、それが急に冷めてしまった。結果、無意識が彼女に何かを気付かせ、それはマーズバインの方角にあると感じることができた。
「お待たせ。どうした?」
厳しい顔で虚空を睨み付けているレミウィスに、ナババは不思議そうな顔で尋ねた。
「はっきりとは分からないけど___不吉な何かが___」
「不吉?」
ゾクゾクッ!
何故かは分からない。しかしナババにも分かるほど、レミウィスの足先から頭へと身震いが走った。
「これは___不吉なんてものではないわ!」
レミウィスがナババを振り返ったその瞬間、彼女の顔に影が落ちた。
「!?」
同時にナババは目映い光を目の当たりにする。遅れて地鳴りに似た轟音が響き渡った。
「あっちは___!」
ナババが絶句する。光と衝撃から察するに爆発なのは間違いがない。しかも光源はマーズバインの方角!
「ルートウィックは皆さんを起こして!」
「君は!?」
「遺跡の上から状況を確認します!」
素早くキュクィ車に戻ると、レミウィスは望遠鏡を片手に颯爽と遺跡の上へとよじ登った。
「!」
望遠鏡が無くてもマーズバインが燃えていることは分かった。だが何故そうなったのか?不思議に思っているその時、マーズバインの真上の空から白い輝きが村へと降り注いだ。そして新たなる爆破を生む。
「いた___あれか!」
光の出所を望遠鏡越しに睨み付けると、そこには闇に溶け込むような黒いマントを纏った男が浮遊していた。がっしりとした体つきで、顔は髭で覆われていた。
(見ただけでこの威圧感___ただ者ではない!)
レミウィスは身震いを押さえ込み、遺跡の下へと滑り降りていった。
「おいバット!リンガー!」
遺跡の前では異変を察して皆が外へと飛び出していた。だが少し足りない。
「百鬼さん!」
「レミウィスさん!?」
よからぬ所から現れたレミウィスに百鬼が驚いた顔をする。
「敵は黒いマント姿で髭の大男です。」
「ブレンか!」
雪辱の相手。と、同時にまったく歯が立たなかった存在。百鬼の顔が自然と険しくなった。
「あれが相手じゃ___あの二人は殺されるぞ!」
「二人?バットとリンガー!?」
レミウィスは息を飲んだ。
「故郷がどうにかなってるのが許せなかったんだろ、止めるのもきかねえでいっちまった。」
サザビーは落ち着いた様子で手袋に指を通していた。
「どうにかしなくちゃいけないがあいつには剣が通じない。まともにぶつかっても犬死にだ。」
そう、前はブレンに情けを掛けられたようなものだ。今のままでは勝てない。百鬼は唇を噛み、意を決したように一人の男の名を呼んだ。
「バルバロッサ!」
マーズバインの様子を眺めていたバルバロッサは無表情で百鬼を一瞥した。
「時間を稼いでくれバルバロッサ!俺に策がある!」
「___いいだろう。」
バルバロッサがマントを翻した。
「守るのは好かないが___あの頑丈馬鹿との戦いには興味がある。」
彼の答えに百鬼は思いを込めて頷く。バルバロッサはあっという間に森の中へと消えていった。
「俺も行きましょう。村人を助けなければいけない。」
「頼りにしてる。フローラもいいか?」
「そのつもりよ!」
棕櫚とフローラは村を守るために走り去っていく。
「私たちも行きます。」
キュクィ車からレミウィスとナババが出てくる。レミウィスはナイフを腰にぶら下げて臨戦態勢だった。
「だがナババさんの身体は___」
「私は大丈夫。」
「急ぎます。」
レミウィスとナババは百鬼の心配をよそにマーズバインへと向かった。
「僕も!」
「待て、おまえは駄目だ!」
勇んで戦場へ向かおうとしたライの腕を百鬼が掴んだ。
「なんでだよ!」
ライは振り払おうとするが百鬼は強引に彼を引っ張った。
「策があるって言ったろ!遺跡の中に行くぞ!」
「そういうと思ったぜ。」
サザビーは既に遺跡の入り口に片足を踏み入れていた。何しろ彼が身につけていた手袋は、ベルコを解体するときに百鬼が使っていたものである。
そう、武器が通じなかった相手はブレンだけではないのだ。
「た、助け___ああっ!」
背後から迫る炎の波に飲み込まれ、妙齢の村娘が悲鳴を上げる。輝きの中でのたうつ女はたちまち黒ずんでいき、ぴくりとも動かなくなる。炭化した骸はその辺にいくらでも転がっていた。
「なんてこった___!」
バットとリンガーはその凄惨な情景に慄然とした。目の当たりにした火炎地獄の中に、彼らにとって唯一の帰れる場所もあった。
「俺の家が___お袋___親父は___!?」
「やめろリンガー!」
バットは燃えさかる家に駆け寄ろうとしたリンガーを、後ろから羽交い締めにして食い止めた。リンガーが抵抗している間に、残酷にも彼の故郷は天井から崩れ落ちた。
「___ざけんじゃ___ふざけんじゃねえぞ畜生っ!」
リンガーが声を掠れさせて絶叫する。
ズザザッ!
二人の足下に首が座っていない男が滑り込んできた。生々しい骸を直視しようと、今の二人は恐れることも悲しみに暮れることもない。あるのは、この死体をここへ投げつけてきた男への怒りだけだった。
「威勢がいいな。」
振り向いたそこには、燃えさかる炎の輝きに照らされた髭の大男が立ちつくしていた。そこにいるだけで強烈な威圧感をもたらすはずの存在。だが怒りに我を忘れた二人には、相手がブレンであろうと誰であろうと関係はなかった。
「てめえが!」
「ぶち殺す!」
怒りはこれほどに人を奮い立たせ、無謀にさせるのだろうか。バットはサーベルを、リンガーはちゃっかりと持ってきていたライの剣を抜き、ブレンに向かって駆けだした。
「うおお!」
やりたいことは言わずとも分かる。二人はブレンに向かって縦に並び、リンガーの姿はバットにすっかりと隠れてしまった。
「つああっ!」
ブレンに斬りつける素振りを見せたバットが背を屈め、それを踏み台にして背後からリンガーが飛び出す。高い打点からブレンに振り下ろされる刃。しかしブレンは微動だにしなかった。
ギッ!
リンガーの一撃は正確にブレンの額を捉えたが、切り裂くことも食い込むこともできない。目を丸くしたリンガーの体が宙にあるうちにブレンのマントの内側から、巨大な拳が飛び出した。
「!」
まともに拳を身に受けたリンガーは、まるで小石が飛ぶような軽さで燃え上がる屋敷へとはじき飛ばされた。
「リンガー!くそっ___!」
あっけにとられたバットだったが、すぐさま歯を食いしばってブレンに斬りかかる。渾身の力を込めて何度もブレンの胸にサーベルを振るったが、裂けるのはマントばかり。
キンッ!
傷を付けるどころか先にサーベルが真っ二つにへし折れてしまった。唖然としたバットの目前に、ブレンの掌が現れる。髭が動き、嘲笑を浮かべた。
「いぎっ!?」
ブレンの掌から吹き出した炎は、輝いているもののどこか黒ずんでいる。炎を吸い込んだバットの息が一気に詰まり、炎を消し去るためか、ただ苦しさのあまりか、彼は激しくのたうち回った。
「ディヴァインライト!」
白い輝きがバットを包み込むと黒ずんだ炎を散り散りに消し去っていく。すぐさま駆け寄ってきたフローラが彼の元へと跪いた。
「リヴァイバ!」
すでにバットに背を向けていたブレンも振り返る。現れた見覚えのある女の姿に、彼は口元をゆがめた。
「性懲りもなく___またやられに来たか。」
フローラはブレンを睨み付けながら、バットの治癒を続けた。
「今日はおまえたちを殺すために来た。加減はない___ディオプラド!」
ブレンは構わずフローラに掌を向け、白熱球を放った。しかしフローラは全く慌てる素振りすら見せない。それは「守れ」との命を受けた戦士がここにいたからだ。
「む___?」
ブレンは顔をしかめた。フローラの前に立ちはだかった八柱神さながらの身なりの男、バルバロッサは黒剣でディオプラドを受け止めていた。
「おまえの相手は俺だ。」
バルバロッサは顔色一つ変えず、まっすぐにブレンを見つめていた。だがブレンは彼のことなど意に介していない。燃えさかる家から火だるまになって飛び出してきたリンガーの元へと急ぐフローラを見やり、魔力のこもった掌をかざした。
バルバロッサは剣を振りかざして一気にブレンとの間合いを詰める。
切れはしない。しかしそれはブレンの慢心だ。せめてバルバロッサの黒マントに敬意を払うべきだった。
スパァァッ!
血飛沫が舞う。バルバロッサが振るった鋭い一太刀は、フローラへと伸ばされた腕を、手先から肩口まで一直線に切り裂いていた。
「な___にぃ!?」
驚いているのはブレンだけだ。バルバロッサは切れると思って切った。
「ちっ!」
避けるなど久方ぶりだ。そもそも切り傷を負うことがなかった。続けざまの刃の襲撃をブレンは必死の形相で回避する。バルバロッサも無理な追い込みはしなかった。
「なぜだ___」
ブレンは自分の体が切り裂かれたことに驚嘆している。
「所詮筋肉は筋肉って___そういうことか。」
フローラはバルバロッサが呟いたブレン攻略のヒントを理解した。皮膚にはよく見れば分かるとおり、筋がある。この皮膚の、筋肉の繊維に従って刃を走らせれば切り裂くことは不可能ではない。木目に逆らって木を切るのには大きな力がいるが、木目に従えば力はいらない。そして抜群の切れ味を誇る刃で、叩くのではなく真に「切る」技術があれば、どんな頑丈であろうと筋肉は切れるだろう。これは医師でもあるフローラに、メスを振るう技術を連想させた。
「二度はないぞ___!」
ブレンは逆の手を輝かせ、呪文で傷を塞いでいく。しかしバルバロッサはその隙を見逃すほど甘くはなかった。
「くっ!」
バルバロッサの剣はブレンの顔を掠め、髭が僅かに舞う。ブレンは必死に間合いを取ろうとするがスピードでは劣る。たまりかねて上空へと舞い上がろうとした。
「!?」
しかし体が何かに引きつけられて動かない。見れば彼の足には強靱なツタ状の植物がからみつき、大地に結びつけていた。
「あっけないな。」
バルバロッサの剣が闇を切り裂く。黒い刃はブレンの腹部を切り裂き、彼はそのまま剣を翻すと、開いた扉に向かって一気に突き刺した。
「ぐごぉあっ!?」
傷口が開いてしまえば肉は軟らかい。剣の切っ先はブレンの背中へと抜けていた。
「___」
その様子に息を飲んだのはフローラであり、ようやく意識を取り戻したバットとリンガーだった。
バルバロッサ___なんて強さ!
しかしそれはつかの間だった。
「っ!!」
バルバロッサの長身がフワリと浮き上がり、壮絶な勢いで背後の瓦礫へと突っ込んでいった。ブレンは悠然と腹に残った剣を抜き去り、瓦礫に向かって投げつけた。聞き苦しい音がフローラを慌てさせた。
「油断したな。」
致命的に思えた一撃だったが、ブレンは危機を感じさせない。
「よくも!」
目覚めたばかりのバットとリンガーが再び武器を取る。
「あなたたちは駄目!村の人を助けなさい!」
フローラは果敢な二人を戒めるように一喝した。ブレンは呪文で自らの傷を癒している。戦場から二人を遠ざけるなら今がチャンスだ。しかし___
「いやだ、俺はこいつだけは許せない___!」
「俺たちの村を滅茶苦茶にしたんだ!」
二人の闘志は死んではいない。しかしそれ故に冷静さを失い、感情に正直すぎた。
「村にはまだ生きている人たちがいる!この状況でどうすることが皆の力になれるのか、冷静に考えなさい!」
フローラの表情、言葉、それは普段のあの優しく、ちょっと甘えたくなるような母性的な姿とは違っていた。戦いを知り、生きることを知っている戦士だ。バットとリンガーは彼女の気迫に少しだけ冷静さを取り戻した。
「!」
一瞬ブレンからの意識が抜けたとき、フローラに向かってどす黒い火球が迫っていた。
「シザースボール!」
しかしフローラは落ち着いて風の球体を放つと、火球を細切れにした。
「声が大きいな、女。」
「___二人とも、早く!」
ブレンの嘲笑に奥歯を噛みしめ、フローラは必死に叫んだ。バットは大きく舌打ちし、リンガーは最後までブレンを睨み付けたまま、燃えさかる町並みへと全力で駆けだした。
「逃がさぬぞ。」
ブレンはフローラが立ちはだかっていることなど構わずに、掌に魔力を満たす。しかし彼の集中を断ち切るように、投げつけられた拳大の瓦礫がその髭面を打った。
「貴様は馬鹿か?おまえの相手は俺だと言ったはずだ。」
出所はバルバロッサ。瓦礫の山をうち破って現れた彼のマントは、左肩が大きく裂け、手先まで血で真っ赤に染まっていた。それでも彼の顔色、息づかいは変わらない。
「バルバロッサ___」
だが彼が肩に負った傷はそれほど浅くはない。フローラにはこれが彼のやりかたであると分かっていた。そう、彼に与えられた任務は「時間稼ぎ」だ。
「手負いの分際で大きな事を言う___ならば思い知らせてやろうではないか。」
ブレンを中心に一陣の風が吹き荒れた。
「八柱神たる者の力を!」
パァァァァン!渇いた音を立て、ブレンのマントがはじけ飛んだ。現れた隆々とした上半身の筋肉が、さらに盛り上がっていく。髭は天を突かんばかりに怒張し、その形相は何者も受け付けない。
「___」
変身か。バルバロッサはそう直感した。まっすぐにブレンを睨み付ける彼の横に、風に圧されながらもフローラが寄り添った。
「なぜ残った___」
「傷を治療します。」
バルバロッサの短い問い掛けに、フローラは態度で答えた。自らの剣で抉られた肩の傷が、見る見るうちに塞がっていく。
「俺の手を煩わせるな。」
「わかってます。」
簡単だが思慮深い返答にバルバロッサは満足感を覚えた。フローラもまた、バルバロッサの忠実なまでの戦闘姿勢に好感を抱いた。もっとも今はブレンから浴びせられるプレッシャーが激しくて、しみじみしていられる余裕はなかったが。
「うおおおおお!」
絶叫と共に、ブレンが変わりはじめた。その肌が人肌から鮮やかな青へと変わっていく。バルバロッサは口を真一文字に結んで少し腰を落とし、急襲を警戒する。フローラも半身を彼の陰に隠し、魔力を充填した。
「___モンスター!?」
急速に変化しはじめたブレンに、フローラが思わず呟いた。
ただでさえ大柄なブレンの体がさらに一回り大きくなった。自慢の髭とオールバックの髪はまるで獅子の鬣のように長く伸び、そして燃えるような真紅へと変貌する。服の全てがはじけ飛んだと同時に下半身が蠢き、瞬く間に強靱な四つ足へと変わった。ケンタウロスにも似ているがそれとは違う。太く長い尾、大きな翼、その全てが一介のモンスターとはまったく別の気位を兼ね備えていた。
「___!」
黄金色の瞳を見開き、側頭部から猛牛のような角を生やしたブレンは、野獣の如き咆哮を上げる。その轟きに嬲られるように、フローラは全身を震え上がらせた。痺れが身体の芯を駆けめぐり、緊張で強ばる。
なんたる迫力。だがそれもさることながら、この状況にあっても呼吸の乱れ一つ無いバルバロッサの精神力には唖然とするばかりだった。
「グフゥゥ___」
ブレンは大きく息を吐き出し、バルバロッサとフローラに対峙する。顔立ちはブレンのまま、しかしその容姿に先程までの黒マントの面影は残っていない。
「全ての八柱神が、魔族の姿とモンスターの姿を併せ持っている___モンスターである者が仮の姿として魔族の姿を持つか、魔族である者がその凄まじい力をより効率的に発するためにモンスターの姿を持つか___私は前者だ___すなわち___」
ブレンは片手を空へと翳す。彼の身体から闇の霧が吹き出すと掌へと集結し、何かを象っていく。そして一瞬黒い輝きを発したかと思うと、その掌には巨大な斧が握られていた。
「グランブレイヴが真の姿だ。」
モンスター『グランブレイヴ』。その様態は鬼神の如く、バルバロッサとフローラの前へと大きく立ちはだかった。
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