3 何らかの変化

 「うまくやれよ___」
 「任せてくださいよ。」
 三人目を下したならばとクライマックスを用意していた男がいた。
 『さあ次は四人目だ!しかしレストルップとの戦いのダメージは大きいぞ!』
 これまでは言葉だけの声援だった。軽く見ていたり、卑猥な言葉をかけたりする者もいた。しかしレストルップを敗ってから明らかに変わった。彼女の力を認め、先ほどレストルップに向けられていた本当の声援がソアラに向けられるようになった。もちろん、ソアラがズタズタにされることを期待するサディストたちも少なくはないが。
 「あと二人か___片腕は死んだけど、まだ魔力だって十分にある。」
 ソアラがレストルップにねじ込んだ左腕は黒っぽく変色し、全く動かせなくなっていた。アヌビス像に打ち付けた背中も酷く痛い。しかし戦意が健在のうちはやれる確信があった。髪を切ってからというもの、自分はなんだか精神的に強靱になった気がした。
 『さて次は四十番!魔族のカンディーノだ!ピンポイント攻撃の名手だっていう噂だぞ!』
 現れたのは小柄な男。体を長いマントで、顔を茶色の布で隠し、ただ片目の輝きだけが際だって見えた。怪しげな、力ではなく技で戦うと思われる男だ。
 (読めないな___相手の出方が気になるけどあたしにもそれほど余裕はない。)
 パワー型ではないとなると、どんな戦術をとってくるかが気になるところ。見たところ、スピード感もなさそうなので速攻で勝負をつけてしまうという手段もある。
 (なんだあの武器___銃?)
 すぐ側のアヌビス像に握らされたのは、どうやら銃らしい。拳銃よりは大きいが、ライフルと言うほどでもない。穴のあいた棒になにやら肉感的な部品がついていて、一目には杖に見えなくもなかった。
 一方向こうのアヌビス像には刃のなくなったソアラのクローが装着される。手甲だけのあんな武器に興味はない。そうそう、武器にこだわる必要がないぶん、駆け引きの要素が減った。それならば、一気に決めてしまいたいところだ。
 「戦劇開始!」
 審判の声と同時にソアラが颯爽と駆けだした。カンディーノは動かない。流れるような連続攻撃を得意とするソアラだが、その一撃目はおおむね拳から始まる。カンディーノがそれを分かっていたとは思えないが、彼はソアラが拳を体側に固定するとニヤリと笑った。
 シュッ!
 風を切る音。戦場を一筋の光が駆け抜ける。込められた破壊力は一直線に狙いへと走り、ソアラの右肘へと達した。
 「___!?」
 ソアラはこの痛みがなぜ生まれたのか、すぐには分からなかった。しかし後ろからの攻撃となれば答えは一つだけだ。
 「!」
 反転しながら倒れたソアラは背後のアヌビス像に握られた銃、その銃口がこちらを向き、今まさに二発目を放とうとしているのを目の当たりにする。
 「くっ!」
 必死に砂地を転がり、二発目の光線だけは何とか回避する。しかし武器の遠隔操作とは、全く予想だにしなかった攻撃だった。
 『これは驚いた!武器はアヌビス像に握られたままなのに、光線がひとりでに発射されたぞ!』
 エスペランザはソアラの様子を気にしながら必死に実況する。
 「うぐ___」
 肘を貫かれた右腕が全く言うことをきかない。体中に寒気が走り、背中の痛みも相まって立ち上がれなかった。
 「とどめ!」
 三発目が来る!ソアラは銃口を睨み付けて回避のタイミングを計った。しかし___
 ズギュン!
 発射の瞬間に何らかのアクシデントか、銃口の方角が変わった。光線はソアラの頭上を駆け抜け___
 「うぎゃっ!」
 なんとカンディーノへ。光線を体に受けたカンディーノはあっさりと地に突っ伏しぴくりとも動かない。コロシアムにいた誰もが、戦場にいたソアラでさえ何が起こったのか分からなかった。しかしカンディーノが自滅したのは間違いない。
 『なんと間抜けな決着!カンディーノは自分にとどめを刺してしまった!』
 エスペランザの一声でコロシアムは笑いに包まれる。しかしソアラは楽観していなかった。係員たちはカンディーノの状態も確認せず早々に彼を運び去り、誤射と思われる光線は明らかに威力が押さえられていた。
 『ソアラは幸運な四人抜き!しかし両腕が使えなくてはちょっとこれ以上の戦いは無理じゃないかな?どうですか?解説のバトゥパさん。』
 エスペランザはまたも近くの馬のモンスターに問いかける。
 『いや、名前はあってるけど、おれ観客だし。』
 『さすがバトゥパさん!』
 コロシアムの空気が柔らかくなる。四人抜きを大健闘と認め、審判がここでソアラを退かせる、そう考えるのが妥当だ。第一彼女はまだ立ち上がれてもいない。
 「次、四十一番!」
 だが審判は何のためらいもなく、五人目の入場を許可した。ソアラ自身はこの決定に何か言うつもりはなかったし、まだ戦えると考えていた。しかし両腕の利かない彼女に五人目を差し向け、登場したのがあの男だったときは、観衆やエスペランザのみならずソアラ自身もきな臭い部分を感じたことだろう。
 『げげっ!なんとソアラの五人目の相手は___彼女が有名になるきっかけを作った張本人、椅子の足で逸物をすりつぶされかけた男!無法者のベティスだ!』
 髭もじゃの半獣半人。巨大な角が目を引く見かけ倒しの男。ソアラが酒場で彼の面目を丸つぶしにした奴。ソアラの両手を封じてあっさり退いた四人目、躊躇なく五人目を呼び出した審判、ベティスの息が掛かっている可能性は高い。
 『ベティスは普段はやられるのが怖いから戦劇には出ていない!これはちょっと裏がありそうだぞ___ねえ解説のバトゥパさん!』
 『そうっすね。』
 馬面のモンスターはこくりと頷いた。コロシアムの雰囲気も全く二分されている。ソアラがベティスの因縁に巻き込まれていることへの不満を述べるものと、先日の酒場では服の一つも引き裂けなかれなかった彼女が手込めにされるのを期待するもの。だがあいにくベティスの股間はまだ腫れている。
 となれば彼が拳に復讐心を見いだすのは当然だった。
 「審判もグルとなると厳しい___でも___」
 両足がまだある。ソアラは決死の思いで立ち上がった。
 「戦劇開始!」
 ブーイングと歓声の入り乱れる中、戦劇が始まる。アヌビスは憮然とした面もちで戦場を見据えていた。
 「うおおお!」
 号令とともにベティスが突貫を駆ける。ソアラは戦場を広く使って逃げ回ろうと考えていた。しかし足がぴくりとも動かない。
 「!」
 徹底している!ソアラの足首を酒場でも姿を現した影が握りしめていた。すでにベティスの太い拳は目の前だった。
 「うっ___ぐはっ!」
 拳はソアラの腹に深く抉り込む。内蔵を下から突き上げられ、ソアラは苦しさに口を開けた。少しだけ胃液が戻り、体を保っていられずにベティスの腕に凭れた。
 「おいおいどうした?柔らかい乳を俺の腕に乗っけて。」
 ベティスは右腕を捻って掌にソアラの胸を乗せていやらしく揉みはじめ、左腕では彼女の前髪をつかむと無理矢理顔を上げさせた。
 「うっさい___不細工___」
 ソアラは煙たそうな顔でベティスを睨み付ける。
 「相変わらず口が達者だな!」
 「くっ!」
 ベティスはソアラの頬に自らの髭面をこすりつける。針金のように堅い髭に皮膚を削られて、ソアラの頬はたちまち真っ赤に腫れ上がっていった。
 「キスでもしてやろうか?」
 ベティスはソアラの顔を持ち上げて、分厚い唇を近づけていく。ぐったりしていたように見えたソアラだが、彼の顔が再接近すると急にキッと目を見開いた。
 「いぎぇっ!?」
 ソアラはベティスのがさついた唇に噛みつき、そのまま力任せにその一部を噛み契った。
 「うぎいいいっ!?」
 ベティスは両手で口を覆い、天を仰いだ。ソアラは汚らしいものを口にしてしまったように肉片を吐き捨てる。ダメージの残存からよろめいたが両足を開いて踏ん張った。一方でベティスは顎の周りを真っ赤に染めて、痛みで少し涙の溜まった目でソアラを睨み付けた。
 「手負いのあたしを相手に___家来まで使ってそのざまかい?」
 なおもベティスのプライドを踏みにじる言葉を吐くソアラ。ベティスの反抗は言葉よりも先に拳が出ていた。
 それからはまさに凄惨だった。ベティスの攻撃は彼女を死に至らしめるほど決定的ではない。人形遊びをするように、彼女の指をへし折ってみたり、髪をつかんで引きずり回してみたり、血まみれの女を好む者たちは酷くはしゃいでいたが、エスペランザあたりは無惨なソアラの姿を見ていられずにいた。
 ソアラの意識も、あってないようなもの。時折激しい痛みが彼女の意識を覚醒させるが、もはや微睡みの中にあった。
 アヌビスは、うつろな彼女をじっと見つめていた。まるで彼自身がうつろに見えるほどに。

 「おまえに必要なのは小さな変化だ。」
 ソアラは微睡みの中でアヌビスの声を聞いていた。いつの場面だろう___アヌビスとの謁見のように思える___
 「おまえが戦闘に自分の可能性を見いだしたのは正しい___過酷な状況はおまえに変化と覚醒をもたらすかもしれない___」
 いや、これは今かな?___アヌビスの声が妙に生々しい___
 「だがおまえは大いなる変化を期待しているようだ。そんな必要はない。」
 確かに期待しているのかもしれない。だからベティスに死の淵まで追い込まれてみてもいいと割り切ることもできる。
 「変化は些細でいいのだ。おまえは何らかの、ごく僅かな変化を見せればそれでいい。すぐに大いなる変化を求めてはうまくいかない。」
 そうか___それは確かにそうだ。全身でなくてもいい、私の拳だけでも、私の魔力だけでも、私が戦闘力に長けた何者かである証明となる「何らかの変化」。それがあればいいんだ___
 「おまえはまだ、自分の正体に恐怖を抱いている。それがおまえにブレーキをかけている。すべての理性を捨てろ。おまえが我を忘れれば、些細な変化はきっとある。おまえはすでにそれほどに成長しているし、なにより___負けられない血の持ち主だからな!」
 ソアラのぼんやりとした瞳に突如として血が巡り、今までにない活力を導き出す。
 「負けられない___血。」
 急激だった。アヌビスと二人きりに思えたぼんやりとした空間がはじけて消え、コロシアムの喧噪に舞い戻る。ソアラは地に突っ伏して大量の砂を食っていた。
 「理性を捨てる___些細な変化___敵から身を守ろうとする本能の赴くままに___悪を滅する本能のままに___」
 砂を噛みしめながら、ソアラは体を起こそうとするが腕の使えない状態ではうまくいかない。そうしているうちにもベティスが近寄り、彼女の髪をつかんで持ち上げた。
 「ぐふふふ___そろそろショータイムといこうか?残念ながら俺の自慢のものは使用不可だがな。」
 ベティスはソアラの士官服のベルトとボタンを丁寧に外していく。現れたアンダーシャツに野太い爪の先を引っかけた。
 「この___!」
 ソアラは必死に足を跳ね上げてベティスの顎を蹴飛ばそうとした。しかしベティスが髪を掴むのをやめると支えをなくした彼女の体はバランスを失い、つま先は空を切った。
 「がはっ!」
 逆に仰向けに倒れたところを、ベティスに下腹部を踏みつけられ、ソアラの口元から血が飛び散る。
 「ひひひ___残念だったな。」
 ベティスは足をソアラの胸に移し、シャツの上から力任せに踏みつけた。
 「うああ___!」
 ソアラが苦悶の悲鳴を上げる。
 「ああ!もう見てられない!」
 「待て。」
 ソアラが陵辱されるところを黙ってみていられるものか。ライディアはたまりかねて立ち上がろうとするがアヌビスがそれを制した。
 「何で止めるんです!?」
 「もう少し待て___」
 「そうだ、これからいいところだぜ。」
 色欲むき出しのジャルコに最大級の嫌悪の顔をしたライディアだが、アヌビスの目があまりにも真剣であり、彼もベティスの横暴に苛立っていることを感じて沈黙した。
 (ジェイローグ、久方ぶりに貴様の娘が育ったというのに___おまえはこのままあいつを見放すつもりか?まさかな___狡猾な貴様は暗闇に埋め尽くされた世界にあっても、千里を見渡せる目で俺を睨んでいるのだろう?)
 アヌビスが心中の呟きを飲み込んだとき、ベティスに踏み躙られ続けたソアラの胸で、アンダーシャツが破れた。妙な歓声が巻き起こる。だがアヌビスはその瞬間、ソアラではなく、彼女の真上の空中を睨み付けていた。
 「きた___!」
 戦場の中に小さな光が舞い込んできた。それは十分に目を凝らしていなければ見えないほどの小さな光。露わになったソアラの体に夢中になっている観衆は誰も気づかない。だがアヌビスは、まるで番犬が侵入者を威嚇するかのように、僅かに耳を寝かせて牙をむき、光を睨み付けていた。
 「___?」
 朦朧とした意識の中、ベティスの臭い吐息の向こうにソアラも小さな光を見ていた。光はゆっくりと落ちてくる。ベティスは楽しげに彼女の胸に舌を這わせていたが、彼女は光以外は気にならなかった。
 「___ドラゴン?」
 分からない。だが光が限界まで近づいてきたとき、ソアラはそこに浮かび上がる面影を見た。それは金色のドラゴン。純白の髭を蓄えたそのドラゴンは、絶対的な気品と、カリスマを感じさせる___そんな気がした。
 光はごく自然にソアラの額に落ちた。まるで小さな滴が触れたように、弾けて広がり、彼女の体に吸い込まれる。その瞬間、ソアラの景色が真っ白になった。
 「___変わった!」
 アヌビスが立ち上がらんばかりに身を乗り出す。ソアラの体が一瞬だけ金色に輝き、意識を失っているはずの彼女の体が動いた。
 ほんの一瞬の出来事。だがその些細な変化がもたらしたものは大きい。
 「う!?ぎゃあああああっ!」
 ベティスが仰け反って喘いだ。観衆も何が起こったのかと慄然とした静けさにうって変わる。ベティスの丸太のような両腕が肘のあたりからバッサリと切り落とされていた。二つの手は砂地に転がり、その断面は全く均一で、肉はおろか骨まで瞬間的に切断されたことを物語っていた。
 「______え?」
 目覚めたソアラは何が起こったのか分からなかった。両腕を切り落とされたベティスが自分の目の前で悶え苦しんでいる。戦場にはベティスと自分しかいないのに___自分は光を見て意識を失っただけなのに___
 「これ___あたしがやったの?」
 なぜそう考えるのだろう?こんなこと___できるわけないのに。でも、この場に二人しかいない今の状況が何よりの証拠。
 「そうだ、これはおまえがやった。」
 突然だった。戦場にいるはずのないアヌビスが、瞬きの間にソアラとベティスの狭間に立っていた。
 「アヌビス___?」
 そのとき、ソアラはアヌビスの些細な変化を感じた。彼の目はいつもと違って真摯で、はぐらかすようなものが何もない。そして隙もなかった。
 「___!」
 何も起こっていないはずだ。アヌビスはこれっぽっちも動かなかったのに、彼の背中越しに鮮血が噴き上がった。砂地にベティスの頭が落ちたとき、ソアラは何が起こったのか理解した。アヌビスがベティスを殺したのだ。何もしていないのに。
 空中に黒いマントが広がるとソアラの体を包み隠した。
 「決着が付いたぞ。」
 アヌビスは審判を睨み付け、審判はすぐにソアラに勝ち名乗りを上げた。
 『やった!ソアラが五人抜き達成っ!』
 我に返ったエスペランザが絶叫する。拍手と歓声が轟くコロシアムの中心でソアラはわけが分からずにキョトンとした顔をしていた。アヌビスの肩を借りて立ち上がり、大観衆に目を向けてようやく自分が勝ったことを認められた。
 「___あたしがやった___の___?」
 だがそれでも砂に転がったベティスの腕を見やると、どうしても呟いてしまう。
 とても___信じられなくて。




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