2 竜戦士レストルップ

 その日、ヘルジャッカルは異様な熱気に包まれていた。普段から魔族とモンスターの仲はあまりよろしくない。魔族には高尚な思想を抱くものが多く、モンスターを酷く下等な生物と見なしている。実際に下等なモンスターたちはそういった魔族の態度が嫌っているが、魔族と同等かそれ以上に高尚なモンスターたちは、この両者の意味のない啀み合いを嫌悪していた。それでも両者は同じ鞘に収まる身として、共存している。
 だが戦劇では種族の枠が壊される。強いものこそが最高。モンスターであれ魔族であれ、戦って己の力量を示すことがすべてであり、周囲もその凌ぎあいを目の当たりにして我を忘れて熱狂する。
 何より重大なのが、このデスマッチをアヌビスが観戦するということ。戦劇は八柱神候補への最短距離だ。それだから出場者たちは本気で相手を殺そうとする。
 「ソアラ!」
 青い士官服に身を包み、鋭いクローのついた手甲の感触を確かめるソアラを、陽気な声が呼んだ。振り向くと、広場にごった返したモンスターの中から見慣れた顔が飛び出してきた。
 「エスペランザ!」
 「髪切ったんだね!びっくりしたよ!」
 このところ訓練に大半の時間を割いていたソアラは、エスペランザとほとんど交流がなかった。彼女がアヌビスの意志に従い始めたから監視も必要ないということか?
 「あなたも出るの?戦劇。」
 「うわうわうわ!」
 エスペランザはあわててソアラの口を塞ぎ、辺りに目を配った。周囲のモンスターたちはジロリと彼のことを一瞥したが、彼の怯えた顔つきを知るとすぐにそっぽを向いた。
 「ふぅ。」
 「なによ?なんかおかしなこと言った?」
 ソアラはエスペランザが手を放すなり口を尖らせて問いかけた。
 「ソアラ___戦劇に出るっていうのは大変なことなんだよ。」
 エスペランザは急に真顔になって彼女の前に向き直った。
 「戦劇はアヌビス様に自分の力を認めさせる唯一のチャンスといってもいい。魔族もモンスターも、強さがそのままアヌビス様に直結するとわかっているから、これには本気で挑むんだ。正々堂々なんてない。卑怯なことだって強さのうちだからね、うかつに戦劇に出るなんて口走ったらどうなるかわからない。」
 不意をついて襲撃を受け、会場とは別の場所で始末されることだってある。だからエスペランザは誤解されることを怖がったのだ。
 「君はアヌビス様の後ろ盾があるから誰もちょっかいを出さないと思うけど、とにかく戦劇はなんでもありなんだ。試合が始まってからも決して油断してはいけない。五人勝ち抜くとその回の優勝者になれるけど、そんなの狙っちゃ駄目だよ。」
 戦劇は勝ち抜き戦。一対一の戦いを五連勝したものが出た時点でその回は終了となる。
 「ありがとう。でもエスペランザ、アヌビスに力を見せつけてやりたいのはあたしも同じよ。」
 「まあ僕は止めないけど、とにかく気をつけて。それじゃ、僕は広報の仕事があるから!」
 エスペランザはソアラを応援するように一つ拳を握り、またモンスターの雑踏の中に紛れていってしまった。その姿を見送りながらソアラは「だから広報って?」っと首を傾げていた。

 戦劇!
 モンスターが血湧き肉躍らせ、魔族が冷静のたがを外す宴。
 ヘルジャッカルに集う闇の者たちにとって、その力量を君主に示す絶好の舞台。
 しかしそれ故にその戦いは熾烈を極め、弱き者の多くは命を落とす。
 戦劇はヘルジャッカルに住むものたちにとって唯一無比の邪神の祭典である。
 「すごい___熱気が普通じゃないわ___」
 舞台はヘルジャッカルの中層に位置する空洞。そこには大きなコロセウムが設けられているが、その形は奇妙にも長方形だ。戦場は高い壁で囲われ、そこから伸びる階段状の客席にはヘルジャッカル全体のモンスターや魔族が物見にやってくる。その飛び交う怒号にも似た歓声に、ソアラは恐怖感さえ覚えた。
 さて、長方形の戦場には意味がある。二人の戦士は長方形の両端、いわゆる短辺にある扉から現れる。そして戦士の側には雄々しいアヌビスの彫像が凛として構えている。この彫像には、それぞれが使用する「道具」が一つ装着される___ただし相手側の彫像に。道具の種類は問われない。剣でも、盾でも、鎧でも、毒薬でもいい。だが、使っていいのは自分が用意した道具だけだ。そして素手でも勝てるのならば必ずしも使うことはない。
 敵陣深くにある道具を取るか取るまいか、ここに大きな駆け引きが生まれる。
 そしてもう一つが戦いの連続性と運だ。
 ようは五連勝をすればいい。順序はクジで決められるが、戦士の実力はいっさい考慮されない。いきなり強者と戦わなければならないこともあるし、弱者が連続することもある。そして負傷への配慮はなし。どんなに傷ついていようとも、審判が戦えると判断すれば次の戦いが始まる。戦闘中以外は治癒さえ許されない。一切のインターバルはなく、辞退もまた許されない。
 とにかく、連続して現れる五人の敵とどう戦うか。最初から全力を賭せば体力の充足している四人目五人目にはかなわないかもしれない。かといって、一人目に実力の拮抗した相手が現れたらそうも言ってはいられない。ここに二つ目の駆け引きが生じる。
 このルールはソアラを真剣にさせた。それは本気で優勝を狙っているからに他ならない。
 「あたしの番号は三十七___」
 最初の鍵は運。数人との戦闘を勝ち抜き疲弊した者が相手か、寸前の三十六番か。五人の連戦を勝ち抜くにはとにかく体力の温存がすべて。よって初戦の相手の活きの良さは重要なファクターだ。
 「三十七番の方。」
 声が掛かった。ソアラは素早く立ち上がり、手甲を外した。控え室は全戦士共通。その誰もが寡黙に精神を統一しているが、エスペランザの警告を受けてあえて手甲は装着していた。いくつか気になる何かを感じさせる戦士もいたが、ソアラは他人のことなど気にとめなかった。強そうな奴がいようとも、自分と戦うかどうかもわからない相手だ。
 「あ、ソアラさん。」
 「?」
 戦士の呼び出しを行っている小柄な女性がソアラを見ると笑顔になった。しかしソアラは彼女の顔に覚えがない。
 「えっと___ごめん、誰だっけ?」
 「ああ気にしないでください、顔を合わせたわけではないので覚えていなくて当然です。ネスカといいます、酒場でベティスに襲われていたウェイトレスですよ。あのときはありがとうございました。」
 ソアラは「ああ」と言いながら、そういえばこんな感じの子だったなぁと思い出していた。縁とは思わぬところで生まれるものだ。
 「どうやら三十四番のレゼーヴさんが勝ち上がりそうです。前の試合が終了したらそちらの階段を下ってください。使う道具はありますか?」
 ネスカは要領よく仕事を進めていく。ソアラは彼女にクロー付きの手甲を預けた。微笑むネスカの口元に小さな牙がのぞき、彼女も魔族の端くれであることを伺わせた。
 「レゼーヴさんは生粋の剣士です。剣がなければ力が発揮できない人ですから。」
 「アドバイスありがとう。」
 ソアラはネスカに小さく手を振り、彼女の左右に延びる階段のうち右側を下っていく。壁を筒抜けてくる会場の熱狂がソアラの戦意を否応なしに高めていった。階段を下りきったところに、ネスカと同じような係員がいた。その背後には重そうな扉。係員はソアラに一礼すると壁のレバーを引く。ソアラが物珍しさを忘れる前に戦場への道が開かれた。
 熱狂が、開いた窓から突風が吹き込むようにソアラのいる場所に雪崩れ込んでくる。だがソアラはそれさえも心地よく感じるよい緊張状態にあった。感覚は、戦術的思考は研ぎ澄まされ、いつにもまして精悍。
 『さあ三十七番はアヌビス様の秘蔵っ子、ソアラだ!もうみんなも知ってるよね!酒場であのベティスに一杯食わせた事件は有名だ!ベティスご自慢の大砲は今も使い物にならないらしいぜ!』
 小気味よい口調のアナウンスがコロシアムを笑いに包む。ソアラはこの声に聞き覚えがあった。声の出所と思われる巨大なラッパのようなものが見え、その下にはエスペランザが座っていた。
 「広報ってこれか___」
 ソアラがこちらを見たことに気づいたのだろう、エスペランザは私情むき出しで彼女に手を振っていた。
 『さあて対するレゼーヴは三人勝ち抜きが掛かる!しかぁし!二人目のノルペットにはずいぶん苦戦したぞ!ここはどうかな〜?どうですか?解説のジョビオさん。』
 エスペランザは近くの席に座っていた馬の顔をしたモンスターに問いかけた。
 『いや、おれ観客だし、ジョビオって名前でもないし。』
 『いやあさすがジョビオさん!』
 また会場が笑いに包まれる。
 「調子狂うわ___」
 ソアラは苦笑い。そんなこんなのうちに両のアヌビス像に道具が装着される。ソアラの側の像にはレゼーヴご自慢の剣、外見上は老剣士といった風体のレゼーヴの側にはソアラのクロー。しかしここでソアラは重大なことに気がついた。
 (うわっ___あんなにしっかり装備させるのか___)
 アヌビス像はどういう仕掛けか柔軟に出来ているようで、道具類はただ引っかけられるわけではない。ソアラのクローはグリップが像の手に握られているのはもちろん、腕に固定するためのベルトもしっかりと締められていた。
 (あれじゃあ取り外すだけで三十秒は掛かるな___使えないぞこれじゃ___)
 誤算だ。もっともこのレゼーヴに関しては、武器を取りに行くつもりはなかったが。
 「戦劇___!」
 戦場の中央に立つ審判が手を挙げる。名前こそ審判とはいえ、彼は殺し合いになろうとも戦いを止めたりはしない。
 「はじめ!」
 声とともにソアラは地を蹴って仕掛けた。そのスピードは観衆の驚きを誘い、疲弊したレゼーヴには到底対処できるものではなかった。
 素早い動きと手数の多い攻撃でレゼーヴをその場に釘付けにし、開始から一分としないうちに強烈なキックがレゼーヴの後頭部をとらえ、彼は気を失った。まさしく圧勝である。
 『すごい!ソアラのスピード炸裂だ!これは次も期待できるぞ!』
 ソアラは観衆の拍手に答えて一度だけ手を挙げ、アヌビス像の側へと戻っていく。息の乱れもなく、ダメージもない。ウォーミングアップにもまだ少し足りないくらいだった。
 「期待通りだな。」
 客席の一角、黒い仕切の設けられた空間にアヌビスはいる。彼の周囲では任務に出ているフォンとメリウステスを除いた八柱神が戦場を見下ろしていた。
 『さあ次は三十八番。ケンタウロスナイトのロキだ!強靱な四本足で巧みな跳躍を見せるぞ!』
 間髪入れずに向かいの扉が開き、次に現れたのは腰から上が屈強な男性、下は馬。まさしくケンタウロスである。
 「槍___」
 アヌビス像には円錐の切っ先が目を引く、ランスと呼ばれる槍が握らされた。
 (無駄な体力は使えない___武器を取られると厄介だし、仕込んでおくか。)
 ソアラは密かに掌に魔力を結集し、それを無色の魔力として自らの体内を伝導させていった。魔力は胴から足先へと通り過ぎ、溶けるように何処かへと消えた。
 「はじめ!」
 審判のかけ声とともにロキが動いた。その優れたバネは人の一歩を凌駕し、すさまじいフットワークで迫ってくる。
 「はああああっ!」
 だがソアラも一切怯むことなく、あからさまな気合いでロキに突っ込んでいった。ロキがにやりと笑ったように見えたが、気にはしなかった。
 「ふん!」
 ちょうど戦場の中央で鉢合わせるかと思ったそのとき、ロキがすさまじい大跳躍を見せた!
 『おおお!飛んだぁっ!』
 エスペランザが興奮気味に叫んだ。ロキはソアラの頭上遙か上を飛び越え、一気にランスのあるアヌビス像へ___!
 ソアラはしてやられた。誰もがそう思ったが、戦闘での駆け引きでは彼女の方が何枚も上手である。
 「ディオプラド!」
 ボッ!ソアラの一声と同時に、戦場の砂を突き破って光の球体が飛び出してきた。それは一直線にロキの元へと伸びていく。空中にいるロキにそれを回避する術などあるものか。球体はロキの馬の腹へと潜り込み、強烈に爆発した。
 「ぐあああっ!」
 ロキは呻きをあげながら真っ逆様に戦場へと落下した。砂煙が上がるが、すぐに一陣の風が吹き飛ばし、倒れたロキの側にはすでにソアラが直立していた。
 「あなたの負けよ。」
 ソアラはロキを見下ろして言った。
 「何を言わせておけば!」
 ロキは四本の足で立ち上がろうとするが___
 「うげっ!」
 ソアラの素早い水面蹴りでまた転倒する。
 「ひ、卑怯だぞ!」
 「なにがよ。」
 ロキが立ち上がろうとするとまた足払い。四本足の彼は立ち上がるのにとっても時間が掛かる。しかも後ろ足を払って腰を回してやればまたすぐに転んでしまう。
 「あっ!」
 「え?」
 ロキが指さした先を振り向いたソアラ。その隙にとロキは立ち上がろうとするが今度は振り向きもしない後ろ蹴りが彼の尻に炸裂して、また倒れてしまう。いつの間にかコロシアムは緊迫から笑いの渦に変わっていた。
 『へいへい審判!もういい加減止めてやったらどうだい?ロキさん、ソアラが優しくって助かったね!』
 また爆笑。すっかり笑い者になったロキは審判に敗北を告げられる。これだけ元気の余った敗者というのは戦劇史上でもそうはいない。
 「二人目までは順調___ただこの調子で五人いけるとは思えない___」
 この戦劇には少なからず裏工作があると聞いている。そしてソアラの予測は現実となった。
 『さあソアラは三人抜きに挑戦だ!えっと、三十九番は___!』
 エスペランザが思わず息を飲んだ。
 『な、ななななんと!今まで出ろ出ろとみんなに勧められていながら、この戦劇に一度も出場したことのなかったあの男!八柱神にも匹敵するといわれる実力者!竜戦士レストルップだぁぁっ!』
 エスペランザの叫びに呼応するようにコロシアムがどよめいた。それだけで、このレストルップがいかに有名で、いかに強敵かわかる。
 「レストルップ___アヌビス様仕組んだでしょ?」
 ライディアの問いかけにアヌビスはウインクで答えた。今まで頑なに出場を拒んでいたレストルップが今回になって前触れもなく登場したのは、アヌビスからの要請に他ならない。
 正面の扉が開く。ゆっくりと、重厚な足取りでその男は姿を現した。
 『出たぁぁぁ!レストルップゥゥ!』
 腰巻き一つで出てきた男は、竜の顔に人間の体と言うよりは、二足歩行をする竜といった様相。全身は緑に近い青色の鱗で覆われ、腹部には土色の蛇腹。その全身が筋骨隆々とし、なおかつ重苦しさを感じさせない。太くて長い尾に、背線を走るひれ、何よりドラゴンそのもののその顔つきは強者たる者の冷静なる気迫が漲っていた。
 (名前だけじゃない、こいつは___本当に強い___!)
 ただの直感。そういわれればそうかもしれないが、ソアラは自身の覚醒のためにも直感に自信を持つことにしていた。そして彼女は、レストルップを一目見た瞬間に、体の内側から走り抜けるような震えを感じていた。
 『さあ今日はあのバスターソードも白輝の鎧もなしだ!でもレストルップには一撃必殺ブーストフレアがある!あれを食らわせればソアラだっていちころだ!』
 エスペランザの声が聞き取りづらくなるほどコロシアムは沸いている。一人一人の声は自然と重なり、レストルップコールが巻き起こっていた。
 「ブーストフレアか___ありがと、エスペランザ。」
 ソアラはエスペランザのさりげないアドバイスに感謝し、時を待った。アヌビス像に像の身の丈ほどもありそうな巨大な剣が握らされる。おそらくこれがバスターソード。巨大で分厚い刃を、係員は三人がかりで像に握らせていた。典型的な両手剣。パワーはあるがスピードの期待できない武器だ。
 (体力も耐久力も破壊力も向こうの方が上。あたしが勝っているのは___スピード、これしかない。)
 厳しい戦いになるのは間違いない。
 「おい!」
 二人の距離はまだ離れている。レストルップは審判を手で制し、ソアラを呼んだ。その一声でコロシアムに静けさが生まれる。彼の側のアヌビス像では係員がソアラのクローを外しに掛かっていた。
 「なに?」
 ソアラはまっすぐにレストルップを見つめて問い返した。レストルップは係員からクローを受け取ると、ソアラに向かって放り投げた。クローは刃から砂に突き刺さる。
 「どういうつもりよ。」
 ソアラは憮然として問い正した。
 「ハンデだ。はじめからそれをつけろ。」
 レストルップは余裕の笑みを浮かべる。しかしソアラはこんなもの望んでいない。むしろ駆け引きの流れを彼に渡したくはなかった。おもむろにアヌビス像に近寄ると、渾身の力を込めてバスターソードを引き剥がした。
 「うぎっ___」
 とんでもない重量がソアラの肩に降りかかったが、彼女はしっかりと剣を持ち上げてレストルップに近づいていった。そればかりか足でクローを蹴り上げ、そのベルトを巧みに口でくわえた。危険極まりない曲芸のような芸当に観衆が拍手を送る。
 「はい___!」
 バスターソードをレストルップの足下に放り出し、ソアラは力みすぎたためか少し血走った目で彼を見た。
 「ハンデはいらないわ。お互いに武器を持って始めましょう。」
 レストルップは彼女の期待に応えるためか、足下のバスターソードを拾い上げる。ソアラがあんなに苦労して持ち上げたものを、彼は両手とはいえ軽々と振り上げた。
 「苦しむだけだぞ___」
 「手加減はしてもらいたくないの。」
 観衆の間にはこれでますますレストルップが有利になってしまったと、諦めに似た苦笑いが広がっていた。しかし当のレストルップは逆に笑みを消し去っていた。彼はソアラと戦うようアヌビスの命を受け、ここにいる。
 アヌビス様はなぜこんな小娘と戦うことを命ぜられたのか?
 その真意に計り知れぬものを感じていたから、レストルップも注意深く取り合っていた。
 「この場所から始めましょう。わざわざ像の側まで離れる意味なんてないわ。」
 「ん?そうか___そうだな。」
 「審判!」
 ソアラは審判に声をかけ、開始をかけるように促した。
 (なかなか狡猾だ___自分の舞台を作り上げた。)
 いま流れはソアラにある。それを彼女は自らの手で引き寄せた。レストルップはソアラに戦いの熟練者の味を感じ、自然と油断が消えてきた。
 「戦劇開始!」
 「ディオプラド!」
 開始の声が掛かった直後、ソアラは近距離のレストルップに向かって白熱球を放った。そしてそれを追いかけるようにして自らもまた飛び出す。
 ゴオオオッ!
 白熱球はレストルップの胸で爆発した。自ずと腕をかち上げられると踏んでいたソアラは、その隙に懐に飛び込もうと考えていた。しかし___
 「きいてない!?」
 爆発が巻き上げた砂煙の先で、レストルップはしっかりとこちらの動きを見据えていた。
 「!」 
 煙を切り裂き、バスターソードがソアラを襲う。だがソアラはなおも前方にプラドを放つことで自らの勢いを殺し、剣のタイミングを外した。レストルップの懐に飛び込むことは早々に諦め、砂地に深く踏み込んで素早く後方に跳躍する。一瞬でも躊躇をすれば、煙を貫いて追い打ちをかけてきたレストルップの剣に捉えられていただろう。
 「くっ!」
 二人の動作はまだ途切れない。想像以上の俊敏性でソアラとの間合いを詰めてくるレストルップ。すさまじい射程距離を持つあの大剣を考えると、ソアラは回避だけで目一杯の動きを強いられていた。
 「どうした!逃げるのが貴様の特技か!?」
 いつもならば相手を上回るスピードで、逃げながら徐々にこちらのペースに変えることもできる。だがこの強敵にはそれさえ難しい。
 後先は考えられない。本気が必要なのはいまだ!
 「はぁっ!」
 ソアラは飛び跳ねながら両手を突き出し、一つずつ火の玉を放った。
 「ふん!」
 勢いのない火球をレストルップは容易くバスターソードで切り裂いた。すると___
 ゴオオオオ!
 「なに!?」
 はじけた火球から突然火柱が巻き起こり、バスターソードを蛇のようなうねりで駆け上がるとレストルップの体に燃え移った。
 「今!」
 ソアラは後進をやめ、火だるまのレストルップに向かって突っ込んだ。だがレストルップはこの行動を予測済み。
 「!」
 突如激しい音をまき散らし、レストルップの体を覆っていた火炎がはじけ飛んだ。彼の気合い一発で魔力は簡単に破綻させられていた。そして彼はすでに剣を振り上げ、いつでもソアラを切り裂ける状態にあった。だがレストルップの予測はここまで、ソアラの予測は次まであった。
 「ディオプラド!」
 「ぬっ!」
 レストルップが剣を振り下ろすよりも一瞬早く、ソアラは砂を爆発させていきおいよく跳躍する。剣を振り下ろして全くの無防備となったレストルップの肩口を回転しながら飛び、後方に抜ける。
 「!」
 だがその向こうに尻尾が待っていることを忘れていた。
 「ぐっ!」
 脚と変わらぬ太さの尻尾が鋭く撓り、着地しようとしたソアラを横凪にはじき飛ばす。彼女は砂にしこたま顔をこすりつけたが、素早く身を翻してできるだけ後方の広い空間がある位置へ、レストルップから距離を取った。顔は焼けたように擦れてしまったが、レストルップが肩から血を流しているのを見れば痛みも自然と吹き飛んだ。
 「やるな___噂通りだ。」
 レストルップは立ち上がったソアラに改めて向き直り、賛辞を送る。
 「モンスターとこれだけフェアな戦いができるとは思わなかったわ。」
 口の中が少し切れた。ソアラは血を吐き出すと口元を拭い、充実した顔で改めてレストルップと対峙する。ここでようやく小さな間が生じた。
 『___互角だ___』
 すっかり静まりかえっていた観衆。最初に呟いたのはエスペランザだった。
 『互角だ互角だ!これは凄いぞ___!あのレストルップに手傷を負わせるなんて!』
 仕事そっちのけで騒ぐエスペランザに、二人の激闘が生み出した緊張から一時的に解放された観衆が沸いた。
 (いや___互角じゃない。傷は付けたが当たりは浅い___もっとも私にはあいつの心臓を抉れるほど爪を食い込ませる腕力もない。そして___もしあたしがあの剣を一撃でも食らったら敗北は決定的。)
 その差は大きい。ソアラには呪文を含め、レストルップを打倒するだけの決定打がなかった。
 「さてこれからどうする___」
 凌ぐだけでは勝てない。勝つための手段を練る時間が必要だった。
 「!」
 だがレストルップも優れた戦士。ソアラに考える時間を与えようとはしなかった。目立った動きがなかったせいか、ソアラはレストルップがバスターソードを振りかざしていることに全く気がつかなかった。
 「うおおおお!」
 「まずい!」
 レストルップは雄叫びとともに空を切り裂いた。軌跡が白いうねりを上げ、まるで飛沫を巻き上げる荒波のようにしてソアラを襲う。差詰め破壊力が段違いなウインドビュートか。ソアラは両腕を体の前で交差させて足を踏ん張るが、打ち付ける風圧の鞭にその体は簡単に浮き上がってしまった。
 「うっ!あああっ!」
 白いうねりはソアラの体を打ちのめし、彼女は戦場の中央あたりまで勢いよくはじき飛ばされる。
 「っ!」
 砂の揺れ動きを感じたソアラはすぐさま顔を上げる。すでにレストルップが剣を振りかざして跳躍していた。
 「ずあああ!」
 ソアラは砂地を転がってレストルップの一撃を回避する。砂が大きく巻きあがり、レストルップはすぐさまソアラの動きを追って斬りつけてきた。砂を突き破ってきた刃の切っ先が、身を起こしたソアラの鼻先を掠める。しかしソアラは怯むことなく回避に専念した。
 (隙があるとすれば___レストルップの攻撃は剣に限られていること___そしてあれが両手剣であること!)
 ドッ!
 行動は必要。プラドの爆発がソアラの足下で砂を爆発させる。そして砂の壁を前にして凛と立ちつくした。何かを企んでいるのはわかったが、隙を見せたソアラの罠に乗るのを覚悟の上で、レストルップは砂に映った影に向かって斬りつけた。
 ピッ!
 ソアラは僅かに仰け反るだけで剣を回避する。切っ先は前髪を掠めたが瞬き一つしなかった。
 「ストームブリザード!」
 そして氷結呪文を放った。氷は砂の壁を走り、一気に凍結させていく。
 「なに!?」
 砂は剣を巻き込むようにして凍り付き、レストルップの動きを止める。そして彼が切り裂いて砂が失せた部分だけは、壁の裂け目となって残っていた。そしてソアラはその掌を裂け目に向けていた。光り輝く魔力を満たして___
 「いけえええっ!」
 選択した攻撃は無色の魔力。破壊力を追求するならばこれ以上のものはない!
 氷の裂け目から光り輝く魔力の固まりがレストルップを襲う。魔力はレストルップの胸に抉り込んで激しく躍動し、レストルップの体に引き裂くような衝撃を巡らせる。壮絶な輝きはソアラの目さえ眩ませてしまうかというほどだった。しかし___
 「そんな!」
 輝きの後にもレストルップはそこにいた。彼の胸には拉げたような痕と巨大な痣が滲んでいたが、彼そのものは健在だった。彼はバスターソードから手を放すこともなく、それでいて氷の壁は砕けていない。それはすなわち、彼は剣に掴まったのではなく、自らの足腰で無色の魔力に耐えたのだ。
 「う___!」
 動きたい___しかし無色の魔力に投じた力の反動は彼女から自由を奪っていた。氷の裂け目から見えるレストルップが口を開け、その喉の奥底が赤く輝く!動きたい___しかし動けない!
 ゴオオオオ!
 レストルップの喉の奥底が真っ赤に輝いたかと思うと、彼の体ほどもあろうかという巨大な炎の弾丸が放たれた。それは焼け付く熱と大砲の破壊力を秘め、氷の壁を一瞬で打ち砕き、まともにソアラを直撃した。
 とてつもない衝撃音とともにソアラの体は一直線に砂の上を滑空し、遙か後方のアヌビス像に激突した。
 『で、でたぁぁぁ!ブーストフレア!!』
 エスペランザが叫ぶ。白熱した戦いに夢中になっていた観衆が我に返ったように騒ぎ出した。
 『これを食らってはソアラはひとたまり___いや!』
 すべての視線がソアラに集まる。
 「なに___?」
 レストルップもまさかあのか細い娘がブーストフレアに耐えうるなどと思っていなかったのだろう、驚いた顔をした。
 「氷の壁が___威力を半減させたみたいね___」
 ソアラはアヌビス像に凭れながらも、しっかりとした口調で言った。呼吸は乱れ、顔は汗にまみれているが、彼女はまだ意識を保っていた。
 「氷の壁___あんなの大して役にたっていないわ。」
 ライディアがぽつりと呟く。
 「あいつが自分の耐久力に気づいていないだけだ。」
 アヌビスは一瞬たりともソアラから視線を逸らさず、そう答えた。
 「おとなしく朽ちていればよかったものを___」
 レストルップはバスターソードを構え、ゆっくりとソアラに近づいてきた。
 「あなたも___あたしと同じで戦劇は今日が初めてなんでしょ?」
 ソアラは自らの足で立つこともできずにいる。アヌビス像に寄りかかったままなぜか笑みを浮かべていた。
 「それがどうした!」
 一人の戦士として、レストルップは加減をしない。一筋縄ではいかないと思ったからブーストフレアを使い、それでもなお耐えるというなら本気で体を真っ二つにしてやってもよいと思っていた。アヌビスからも「その気になったら殺してかまわない」との指示を受けていた。
 彼は猛然と駆け、渾身の力を込めたバスターソードをソアラめがけて横凪にした。ソアラは動こうとしない、観衆の誰もが彼女の最後と感じ、エスペランザは思わず顔を覆ってしまっていた。
 ガキン!
 レストルップの一撃はソアラの肉に達しなかった。鋼鉄のアヌビスの肉が食らえずに、バスターソードはソアラまで進むことができなかった。
 「ぐううっ!」
 破壊力はそのままレストルップの両腕に痺れとなって駆け上がる。
 「このアヌビス像___盾に使えるのよ。あたしもいま気づいた。」
 ソアラが動いた。強烈に堅い像に打ち付けた背中は焼き鏝を当てられたかのように痛かったが、精神の集中は一瞬だけそれを忘れさせた。
 ズバシュッ!
 クローがレストルップの蛇腹を引き裂いた。ダメージの余韻が残る体に鞭打っての渾身の一撃、しかしレストルップは倒れない!むしろ簡単に折れたのはクローの方。四つの刃が綺麗に根本から折れ、うち二つはレストルップの強靱な筋肉に捕らえられて腹にとどまっていた。
 「おおお!」
 「うっ!?かはっ!」
 バスターソードを手放した彼の拳がソアラの腹を突き上げる。ソアラの膝が崩れ、半分腰を落とした状態で彼女は必死にアヌビス像にすがりついた。
 「貴様の負けだ。」
 レストルップは両の拳を開いて爪を剥き、彼女の左右を塞ぐ。背後にはアヌビス像、正面にはブーストフレアの発射口でもある竜の口。逃げ場はない。
 「負け?___まさか、あなたはまだ三人目じゃない___まだまだよ___」
 疲弊しきった顔でなおも嘲笑にも似た笑みを見せるソアラ。その攻撃意識、戦闘へのこだわり、レストルップも彼女を一流の戦士と認めたからこそ、けじめで応えることにした。
 「ならば___敗北させてやる!」
 レストルップが口を開けた。来ると思った。いや、逆転の可能性があるとすればこれしかなかったのだ。だから、ブーストフレアでとどめを刺しにきて欲しかった。
 『あーっと!万事休すか!レストルップのとどめのブーストフレア!』
 エスペランザはソアラの勝利を諦めた。せめて彼女が無事であって欲しいと考えていた。それは観衆も同じ。ソアラが勝利を諦めていないと信じていたのは、彼女の色あせない瞳の強さを感じていた者、アヌビスだけ。
 「とどめだ___!」
 喉の奥底が激しく輝く!
 その瞬間、ソアラはあらん限りの力を拳に込めた!
 「おごがっ!?」
 今まさにブーストフレアが放たれようという瞬間、彼女の拳がレストルップの喉に食い込んだ。大口を開けた奥、輝きの源に、ソアラは拳で栓をしたのだ。
 「くっ___!」
 口内にねじ込んだ左腕、その肘のあたりまでが赤く変色していく。だがそれ以上の変化が彼女の目の前で巻き起こっていた。
 鈍い音を立て、レストルップの胸が大きく膨らむ。彼の体は内側から橙赤色の輝きを放ち、その目や鼻から僅かに炎が吹き出した。ブーストフレアは逆流し、彼の体内で暴れ回っていた。
 ズッ___
 ソアラが片足でレストルップの胸を軽く蹴ると、彼はまるで木板のように、そのまま仰向けに倒れた。硬直して時折体をピクピクと震わせ、口からは黒い煙が上がっていた。コロシアムはしんと静まりかえっていた。
 『___勝った?勝った___ソアラが勝った!』
 エスペランザには何が起こったのかわからない。しかし倒れているのはレストルップで、ソアラはアヌビス像に凭れながらも立っていた。
 『なんとなんと大逆転!ソアラがあのレストルップを下したぁ!これは大波乱!』
 コロシアムが今までにない熱狂に支配される。そのすべてがソアラの勝利を祝福していた。
 「素質で勝ったな___力の片鱗は見せていない。」
 アヌビスは笑顔で拍手を送っていたが、少し残念そうな顔をしていた。
 「中途半端に強すぎるのよあの子___これで力を発揮したら恐ろしいわ。」
 それはライディアも同じだった。彼らがソアラに期待していたこと、アヌビスが最強のモンスターと謳われるレストルップを対戦相手に仕向けたのは、ソアラに何らかの「変化」を待っていたからである。
 「あの傷でまだ戦うつもりのようですな。」
 ガルジャがアヌビスの方を振り向いて言った。
 「そうだろう、あいつも自分の限界を見てみたくなったようだ。」
 ソアラの表情がなおも前向きで戦闘的なのを見て、アヌビスは疼いたように肩をすくめた。
 (ここまで戦えた___あたしの突出した部分が戦闘なら、その限界を突き詰めてみせる___!)
 四人目の登場に躊躇はない。限界の先にあるもの、それを見つけるためにソアラはなおも戦う。




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