1 比重 

 「もう一度最初から詳しく説明してもらいましょう、自分たちの中で整理しながら、我々の常識で考えずに聞くべきです。」
 紛糾する車内を棕櫚が手を叩いてまとめた。
 「さすが姐さん、違うね。」
 「!」
 よかれと思って茶々を入れたつもりのリンガーだったが、側にいたフローラが慌てて彼の口を塞いだ。
 「姐さん___」
 「ま、まあまあ。」
 シュンとして俯いてしまった棕櫚をライが宥める。リンガーは彼が男であることを聞いて派手なリアクションで驚き、側にいたサザビーに拳骨を喰らっていた。バルバロッサは車内の隅で胡座を掻き、いつも通り沈黙していた。
 「さあ、気を取り直していきましょう。」
 フローラが改めて仕切り直しの笑顔を振りまき、まずはバットが語りだした。
 「いつだったかはっきりとは覚えてないけど、確か五年くらい前さ。急に、空に黒いものをこぼしたみたいにさ、スーッてなにかが広がっていったんだ。あっという間に夜になっちまった。不思議だったね〜。」
 バットの脳裏には今でもその光景が鮮明に残っているのだろう。彼の目は輝いていた。
 「ここはモンスターが多いところだから、みんなちょっとは嫌な予感がしてたんだ。光の神様は殺されちゃったって噂で有名だしね。」
 「ストップ。まずここで話を切りましょう。気になることがいくつか出てきました。」
 立ち直った棕櫚が再び進行役を務めはじめる。
 「モンスターの多い世界というのは本当ですか?」
 「本当ですか?ってさ、さっきから地界のことなにも知らないみたいなこというよねぇ。」
 と、金髪が面白そうな顔で鋭い質問を投げかける。
 「そりゃそうだ、俺たちは上の世界から来た。」
 「へーそうなんだ、最近じゃ珍しいね。」
 サザビーは決して彼らが驚くのを期待していたわけではないが、二人の反応はあまりに淡泊だった。
 「なんだぁ、中庸界のこと知ってるの?」
 ライは彼らの派手なリアクションを期待していたようだ。がっかりした様子でそう問いかけた。
 「知ってるというか、上から来たっていう人は時々いるよ、まあ一つの街に一人くらいはいるんじゃないかな___」
 「ああ、あと先祖代々の言い伝えって奴?上の世界の話っていうのは昔話にも一杯出てくるしね。」
 つまり地界の人たちには中庸界という名前はともかくとして、自分たちの住む世界の上には別の世界があり、我々の先祖はそこから来たのだという認識がある。
 「それなら話は早いですね。魔導口というのは知ってますか?」
 「___」
 棕櫚の質問に二人は顔を見合わせる。
 「ああ、あの黄色いの。」
 「おいしいよなあれ。」
 「知らないなら無理しないでいいですよ___」
 取り繕うように話す二人に棕櫚が落ち着いた突っ込みを入れる。
 「上に行く方法ってあるのかな?」
 ライが不意に思いついて二人に問いかけた。
 「ないでしょ、きっと。」
 「あ、そう。」
 会話は二秒で終わった。
 「話を戻しますか、モンスターの多い世界なんですか?」
 「そうだね、森にでも入ったらいっぱいいるよ。だからみんなキュクィを飼うんだ。」
 「キュクィを?」
 「キュクィの身体からは俺たちには良く分からない匂いが出ててさ、それがモンスターたちにはあんまり好かれないらしいんだ。」
 キュクィは人々から守り神としても親しまれている。そしてこの脚力。安全な旅をするのに欠かせないお供というわけだ。
 「昔は結構耳の尖った人間にやられた村とかあったんだぜ。」
 魔族か。一同声にはしなかったが納得している。
 「ただ俺らがまだ生まれる前に、ネルベンザックって大陸全体がやられて以来、けっこう静かだっていうよ。」
 「ネルベンザック?どこだ?」
 サザビーは手の届く場所にあった地図をバットに差し出した。
 「ここ。」
 「ここ。」
 真っ当に指さしたバットに対し、リンガーは地図の裏側を指さしたが完全に無視された。
 「はぁ〜、でかいなぁ。」
 ライが呆れたように声を漏らす。この地界の地図はマキシムに飾られていたものである。これで見ると、大陸と呼べそうな大地が三つほどあり、その中でも最大かつ、三大陸の中心に位置するのがネルベンザックだ。これを囲むように、東に縦長な大陸、西から南にかけて横長な大陸がある。ちなみに皆が今いるのは西南部を占めるジネラ地方。
 「ここのどこかにさ、光の神様が住んでたらしいんだよ。でもそれがアヌビスに殺されて、ずっと夜の世界が元に戻らないらしいぜ。」
 そこだ。もっともらしいようでそこが一番お伽話臭い。
 「その光の神様ってのは本当にいるのか?」
 煙を吐いてサザビーが呟いた。
 「いないんじゃん?俺らも別に信じてないし。」
 「あ、そう。」
 あっさり。若者の勢いを感じる。
 「アヌビスについて聞きましょう。彼はそんなに有名なんですか?」
 「ネルベンザックの北の島に住んでるらしいよ。」
 「あ、そう。」
 拍子抜け甚だしい。どうもこちらに来てからというもの肩すかしの連続だ。
 「ただ誰も見たことはないけどね。有名な噂さ。」
 「火のないところに煙は立たず、恐らく魔族やら、口のきけるモンスターから聞きつけたのでしょう。」
 「アヌビスの目的って何なのさ。」
 「そんなの俺たちに分かる分けないじゃん。」
 「そりゃそうだ。」
 「それよりも何でみんなアヌビスを倒そうとしてるのさ。」
 確かに彼らからしてみればその方が疑問なのかも知れない。皆はこれまでの経緯を説明し、中庸界が曇天に覆われていること、それの首謀者である超龍神、魔導口にまつわる話を二人に語っていった。
 「ふーん、そうなんだ。」
 「なんか大変そうだなぁ。」
 「って俺たちもか。」
 二人は肩をたたき合って泣き真似をしている。
 「それにしてもあっさりアヌビスの居場所が分かって良かったね。早速___」
 「馬鹿かおまえは。」
 「いだだだ!」
 ライのこめかみに拳を擦り付け、サザビーは溜まった灰を小さな皿に落とした。
 「こっちの世界の人は真っ暗で苦労してないの?」
 「してるさ、不便なことだらけだよ。何しろ昔よりも随分寒いし、畑が役に立たない。洗濯物だって干せないし、病気になるとなかなか治らない。」
 「やっぱり落ちつかねえってみんな言ってるよ。魔物の多い世界だから光がないと安心できねえんだ。この五年間で、原因は分からないけど突然死んじゃった人がたくさんいるって話しさ。」
 「ということは、まずそれを何とかしなくちゃいけねえな。」
 「そうですね、暗闇の世界が生命に与える影響は大きい。そしてアヌビスが世界を闇に染めたのは、自分にとって有意義な世界を作るため、そう考えるべきでしょう。ならまずそこから切り崩さなくては。」
 ひとまず話がまとまりかけてきたとき、御者席から百鬼が顔を覗かせた。
 「光が見えてきたぜ!」
 アーパスはもうすぐそこだ。

 「この時世に旅か?不思議な奴等だな。」
 「入っていいだろ?キュクィだって休ませなくちゃならないんだ。」
 アーパスは城塞に囲まれた規律正しい都市。クラレンスの倍ほどの大きさで、都市を覆う高い壁の一角には巨大な門が構えている。クラレンスほど奔放ではなく、物見塔には常に火が入り周囲に目を光らせている。このアーパスは西方に草原が広がるものの、他の方角には広い範囲に木々が茂っており、モンスターとの接触が少なくないことが想像できる。
 「クェッ!」
 キュクィだらけの厩舎。皆のキュクィはここに繋がれ、餌桶一杯の野菜を食べて満足げに一声。彼の世話と車内の整理を担当したのはソアラと百鬼。他の皆は街に買い出しだ。
 「よしよし___」
 ソアラはその愛らしい姿を眺め、時に頭を撫でてやったりしていた。しかしどうも顔つきが冴えない。
 「うわっ、やめろ。いててっ___ん?」
 桶に水を満たし、百鬼は他のキュクィにつつかれながらやってきた。ふと立ち止まったとき、彼女の横顔があまりに何かを思い詰めているようで急に胸が騒いだ。
 「ソアラ___」
 しきりに髪を引っ張ろうとするキュクイを振り切り、百鬼はソアラの側へ。
 「元気ないな。」
 「ん?」
 ソアラは彼の言葉を聞いて、取り繕うように笑顔を見せた。
 「本気で笑ってないぞ。」
 「そうかな?」
 百鬼は餌桶の横に、水の桶を置いてやる。野菜を夢中になって食べていたキュクィは、今度は水を派手に巻き散らせながら嘴に取り込んでいく。
 「気にしてんのか?」
 キュクィに背を向け、百鬼はソアラを見つめた。ソアラは一瞬だけ真顔になって、首を横に振って苦笑いに変わる。
 「ライディアの言葉だろ?分かってるよ、おまえのことは。」
 「そうだよね。私もあなたが心配してくれているのが分かった。でも___だから余計に一人で考えたかったの。」
 ソアラは何かを迷っている。心を許しあった相手に悩みをうち明けられない、それはうち明けられない何かが彼女に降りかかっているからだ。
 「あまり悩むなよ。それこそ相手の思うつぼじゃないのか?ライディアはおまえを悩ませるためにあんな事を言ったのさ。」
 百鬼は優しい顔でソアラの肩を抱こうとする、しかしソアラはそれを拒んだ。
 「五年___あたしは普通の母親だった。リュカとルディーを見ていると、自分の事なんてもうどこかにいってしまっていた。」
 百鬼の腕からすり抜けるように、彼女は厩舎を支える柱に寄りかかった。
 「フュミレイが手がかりを残してくれた。両親のことを考えろって___でもあたしはその手がかりさえ追うことができなかった。自分が紫であることに安易になりすぎていた___長い間あたしの回りには、あたしの紫を知っている、不思議とは思わない人たちばかりだったから。」
 「それの何がいけない?おまえ___前は自分で特別になることを嫌っていたはずだ。」
 百鬼の問い掛けにソアラは目を閉じる。
 「でもさ、普通じゃないでしょ?たまに鏡を見ていて思うんだよ、ふとね。何でこんな色なんだろうって___」
 ソアラは髪に指を絡め、目を開けた。百鬼を真っ直ぐに見つめたその瞳は力強く、先程までの鬱な表情とはまるで違っていた。
 「そして、私の前にライディアが現れた。彼女は私に手がかりを与えてくれた。私は___ずっと考え続けていた、彼女の言った私の『本当の魅力』を___」
 「信じてるのか?あんな奴の言葉___」
 「私に何かを感じたからライディアは言ったのよ。彼女は私の色をどうこう言ったんじゃない、あたしが何者かを感じたんだ。」
 それがソアラが考え抜いた末に導いた結論なのだろう。確かに、ライディアはあのときソアラのことを「変わっている」と言ったが、それを色のことではないと断言した。
 「あたしは今まで元の世界、中庸界で自分の真実を探すつもりでいた。でもそれは間違っていたのかもしれない。」
 ソアラがグッと拳を握りしめたのが百鬼にも分かった。
 「あたしの真実はこの世界にある。」
 「それを探すのか?」
 「___」
 百鬼が少しだけ怒ったような顔をしたので、ソアラは彼から目を逸らした。状況は、自分探しをできるほど余裕があるわけではない。
 「おまえはソアラだ。ソアラ以外の何だっていうんだ?おまえは自分に振り回されている___俺にはそう見える。」
 百鬼はソアラが走ることを嫌っていた。彼女があるかないかも分からない真実しか見えなくなってしまうことを恐れていた。だがソアラは頑なだ。
 「今それを言ってどうするの?あたしに振り出しに帰れっていうの?」
 「冷静になって視野を広く持って欲しい。」
 話にならない。ソアラはそんな顔で天を仰いだ。
 「そんな事じゃない。あたしだってこの世界になにをしに来たのか分かっているわ。」
 だがソアラの心は、自分の真実の探求に大きく傾いている。その比重の変化を見抜かれたから苛ついていたし、早くこの会話を終わらせたかった。百鬼を相手にこんな気持ちになるのは、もう何年もなかったことだ。
 「車の中を片づけてくる。あなたはキュクィの身体を綺麗にしてあげて。」
 「ソアラ___!」
 ソアラは振り向きもせず、足早に厩舎の外のキュクィ車へと去っていった。百鬼はその後ろ姿を見送りはしたが、追いかけたり呼び止めたりはしなかった。

 「___」
 車内に戻ったソアラは、まるで気持ちの蟠りを忘れさせるようにあくせくと動いた。心に渦巻く葛藤は彼女から平静を奪い、同時に感覚を鈍らせた。接近に気付かなかったのはそのためだ。百鬼の言うとおり、視野は確かに狭くなっていたらしい。
 「こんにちは。」
 「!?」
 大きく開いた幌の隙間から車内を覗き見る色白の男。その妖艶なまでの色香にソアラは直感的に背筋を硬直させる。彼が首元まで黒いマントで包んでいることに気付いたのは、震えの後だった。
 「___八柱神___」
 ソアラは咄嗟に身構えた。それほどこの優男、グルーの気配は気味が悪かったのだ。
 「あなたがソアラさんですね。初めまして、私は八柱神の一人、狂艶のグルー。」
 グルーは前髪を掻き上げ、血のような紅を差した唇でニッコリと笑みを作る。
 「早々と襲撃ってわけ___甘くないわね、アヌビスは。」
 ソアラはキュクィ車内で身を屈め、手探りで側にあったクローをつかみ取る。だがグルーは彼女を牽制しようとはしない。一対一の状況であることに余裕を感じているのだろう。
 「お一人ですか?」
 グルーはまるで彼女をお茶にでも誘うような言葉で切り出した。
 「見たら分かるでしょ___」
 クローの装着を完了し、ソアラは強気を前面に押し出して彼を睨み付けた。今は厩舎から百鬼が戻ってくることを期待する。だが___
 「お一人とは都合が良い。実は私はあなたに用があってやってきたのです。アヌビス様の使いとしてね。」
 「使い?」
 様相が変わった。
 「アヌビス様の元にお出で頂きたい。」
 「!?」
 その言葉は、あっという間にソアラの闘志を消し去っていた。
 



前へ / 次へ