1 バッド・ボーイズ

 暗闇の中をうろつくのはあまりお勧めできない。だが、だからといってこの膝下にも満たないような丈の短い草原で、一夜を明かすというのも難しい。なにしろまだこの地界がどんな世界かも分からない。不思議だったのは、月が出ていない割に景色が見えること。普通これだけ暗い空の下では、空と草原の切れ目が漸く見えるくらいだろう。だが今は仲間がどこにいて、それが誰かまではっきりと見える。暗闇の中に自分たちや回りの景色だけが浮き上がっているような、不思議な感覚だった。結局、この不思議さに助けられる形で、ソアラたちは草原を進むことを選択した。
 旅は静かなもので、時折吹き抜ける風が草を撫でる音がするばかり。魔獣の姿どころか、声だって聞こえない。おかげで七人の足取りは軽かった。しかし___
 「おかしいと思わない?」
 数時間もするとソアラが切り出した。
 「なにが?」
 革袋に満たした水を含んだライが、口元を拭って尋ねた。
 「もう随分歩いたけど___この空よ。」
 「確かに妙だな___俺たちの世界ではそろそろ夜明けだ。」
 サザビーが煙草をくわえようとしてそれを棕櫚にかすめ取られる。
 「昼夜の流れが同じとは限りませんよ。煙草は目印になるのでお預けです。」
 「そうね、中庸界と同じように朝が来ると考えるのは良くないかもしれない。」
 確かにフローラの言うとおりだ。中庸界の常識がここで通用すると思ってはいけない。しかしもしこのまま夜が続くとしたら___この旅はかなり厳しいものとなるだろう。
 草原を突き進むことさらに数時間。向こう側の空が少しだけ明るく見えた高台に駆け登り、ソアラは飛び跳ねた。
 「街よ!街がある!」
 「なんだって!?」
 百鬼が足をもつれさせながらも高台を走り、皆も急いでやってきた。高台の先にはまだ草原が広がり、遠くには森が見えた。しかし一際目を引くのは、草原と森の狭間で煌々と光を発する建物の群れ。明らかに人々の住む街であり、石垣に囲まれた街並みはそれこそ中庸界と何ら変わりがなかった。
 「問題なのは中身ですよ。人間の街とは限りません。」
 「魔族があんな平和的な街を作るかねぇ。」
 棕櫚が手で遊ばせていた煙草を奪い返し、サザビーは火を灯す。
 「とにかく行ってみようよ!」
 何しろこちらに来てから歩き通しだ。しかも見慣れぬ土地にこの長い夜で精神的な疲弊が濃い。まずは街へ近づくのが先決である。

 クラレンスの街。石垣の開いた場所に立て札が立っていた。そこにはこれといった門もなく、この石垣にしたって乗り越えようと思えば簡単だ。街の入り口から、街灯に照らされて通りを歩く人々の姿も見えた。
 「問題なさそうだな。」
 「ちょっと拍子抜けかなぁ。」
 街の入り口で様子を伺っていた百鬼とライが口々に言った。
 「なに言ってんのよ、これで人の住む街がなかったらあたしたちだってすぐに参っちゃうわ。」
 ソアラが口を尖らせて文句を言う。
 「そういうこった。見ろよ、宿屋だ。」
 サザビーの指さした先には別の立て札があった。そこには『マキシムの宿・旅行者歓迎!』と記されていた。
 「旅行者とかいわれると、なんだかなあって感じですね。」
 「確かに___」
 この緊迫感のなさは一体何なのだろう。ソアラにも、ライが拍子抜けといいたくなる気持ちが分かった気がした。ここまで化け物に遭遇するわけでもなく、しかも人々が普通に住む街にたどり着いて___おかしなことと言えばこの長い夜くらいだ。
 「なんだか気が抜けたら眠くなってきちゃったよ。ねえ、この世界のことを聞くのは明日にして、今日は宿で休もうよ。」
 ライが大きな欠伸をする。
 「そうね、確かに歩き通しだったし___あたしも眠いわ。」
 引きずられるようにソアラも口元を隠して欠伸する。今がどんな時間なのかも、この世界では分からない。もうそろそろ眠りに就きたくなるときなのかも知れない。
 とりあえずは旅行者歓迎と大々的に立て札を出しているマキシムの宿を目指して、皆は歩き出す。その姿を物陰からこっそり見ている二人がいた。
 「旅行者だな。マキシムに向かったぜ。」
 精悍な顔立ちではあるがどこか物足りない、黒髪の青年はまだ幾分の幼さが残る。
 「大人数だなあ。金持ってるぞ〜。」
 じっとしていれば二枚目なのかも知れないが、三枚目の性格がどうしても顔と仕草に滲み出てしまう、そんな青年は金髪だった。

 「お金の変わりに宝石類を持ってきたのは正解だったね。」
 「一つでこれだけの額になれば十分ってところよね。元王妃ってのも捨てたもんじゃないわ。」
 ソアラは金貨の詰まった袋の感触を確かめながら、洋服棚の下の小引き出しにそれを収めた。彼女は上も下もまるっきり無防備な下着姿で、士官服は洋服ダンスに吊る下げられている。
 「それにしても、良かったの?百鬼と一緒じゃなくて。」
 だがソアラの無防備も当然のこと。今日はフローラと二人なのだ。マキシムの宿は二階建てで、七人が一堂に会するような大部屋はない。別の部屋に百鬼とライとサザビーが、その隣の部屋には棕櫚とバルバロッサがいる。
 「いいのいいの、いつも旦那と一緒でも飽きちゃうでしょ?」
 そう言ってソアラはベッドに飛び込むように寝転がった。
 「のろけかしら。」
 「まっさかぁ。」
 二人はクスクスと笑い会った。いつの間にか、街中の家に灯っていた明かりが少なくなっている。どうやらこの世界にも時の意識はあり、人々の生活のリズムにも基準があるようだ。
 そして、全ての建物の明かりが消え、街が眠りに落ちた頃___
 「邪魔するぜ。」
 「おっはよーございまーす。」
 先程の黒髪と金髪がマキシムの宿へとやってきた。彼らが来ることは分かっていたのだろう、宿の親父は眠気を感じさせない顔でカウンターに座っていた。
 「今日の狙いは紫色の髪をした女のグループにした。」
 「というか彼女たちしか泊まってないよ。まったく、おまえたちが派手にやるから最近客足がぱったりだ。」
 親父は煙たそうな顔をして言った。
 「ちゃんと三等分してるんだから文句言うなよ。」
 「文句いうなよぉ。」
 「真似すんなっ。」
 黒髪が金髪の頭を拳骨で叩いた。いつものことなのだろう、宿の親父は小さな溜息を付いた。
 「おいおい、そんなに騒いでいていいのか?」
 「こいつと一緒にしないでくれよ。」
 黒髪を指さして金髪がヘラヘラと笑い、また叩かれた。
 「金を払ったのはどいつだった?」
 「女だ。その紫色と一緒に三番の部屋に泊まってる。男たちはちょっと離れた部屋に寝てるはずだ。」
 「うーん、相変わらずいい仕事するね、おっちゃん。」
 金髪は目を閉じて花の匂いでも嗅ぐような仕草をし、黒髪は白い目でそれを見ていた。
 「んじゃ、鍵をくれ。」
 「ほれ。」
 宿屋の親父から黒髪の手へ、あっさりとソアラたちの眠る部屋の合い鍵が渡される。格安の代金で旅行者を招き入れ、金子を奪って三人で山分け。これが彼らの手段なのだ。

 キィッ。
 慎重に扉を開き、二人は息を潜めながら部屋に入り込む。ベッドの二人が眠っているのを確かめ、黒髪が洋服棚へ、金髪がソアラのベッドの横に置かれた革袋へと近寄っていった。
 「こいつだ___」
 金目のものを入れるに相応しい場所は、マキシムの宿には一つしかない。洋服棚は軽い力でまったく無音で開くように細工されている。黒髪は小引き出しの中の袋を掴んで懐に放り込んだ。
 「これも良さそうだな___」
 そのままハンガーに掛けられた士官服に手を伸ばす。一方金髪はというと。
 「うっわ〜、めっちゃ美人。」
 ソアラの寝顔にすっかり見とれていた。とはいってもその左腕にはちゃっかりと、ソアラがこの旅のために特注したクローが装着されている。
 「うわっ、この姉ちゃん、やっらっすぃ〜___」
 金髪の視線は横を向いて眠るソアラの、そのふくよかな胸に釘づけ。彼女の身体を隠しているのが胸元の大きく開いたシャツ一枚では、それも致し方ないところか。
 「キャーッ。」
 ソアラの顔の方から覗き込んで一人で高ぶっている金髪。厳めしい顔で近寄ってきた黒髪が彼の頭を小突いた。
 「なぁにやってんだおまえ!」
 囁き声を強めて、黒髪が怒鳴る。
 「いやおまえ、これを見ないってのは損だぜ。」
 「う___確かに。」
 だが彼もまたソアラの胸に釘付けに。
 「おしいよなぁ、引っ張ってみっか?」
 金髪はすっかり悪乗りして、シャツの胸元にクローの切っ先を引っかけた。ピッと僅かにシャツが裂けて、二人にとっての視界が開く。
 「イェイッ!」
 二人は思わず拳をぶつけ合う。しかし___
 「ぅん___」
 ビクッ!
 ソアラが寝返りをうって仰向けになった。二人は驚いて肩を引きつらせたが、とりあえずほっと一息。
 「こわっ。」
 「やりすぎだぜ、見たいのは山々だけど、取るもの取って早くずらかるぞ。」
 黒髪は漸く我に返ってソアラのベッドから離れる。
 「触りてえなぁ。」
 「触んなよ!」
 相変わらずの金髪に黒髪が突っ込む。彼はもう一度洋服棚を覗き込み、今度はフローラの服を探りはじめた。ちなみにフローラはしっかりと毛布をかぶって寝ているので、二人の対象外。
 「わりい。」
 唐突な金髪の声に黒髪が振り向く。
 「触っちった。」
 そこでは金髪が右手でしっかりとソアラの胸を掴んでいた。彼は黒髪の方を見て申し訳なさそうな笑顔でいる。
 「アホかおまえ!」
 黒髪は頭を抱えた。その時。
 「う?」
 ソアラが目を覚ました。
 「あ。」
 「な、なによあんた!」
 悲鳴を上げないあたりがソアラである。
 「やばい!」
 金髪は素早くソアラのベッドから飛び退き、先んじて黒髪が部屋の窓をぶち破って外へと飛び出す。金髪もすぐさまそれに続いて逃げ出していった。
 「どうしたの!?」
 フローラが驚いて目を覚ます。
 「痴漢___いや窃盗か!」
 ソアラは開いた洋服棚を見て舌打ちした。
 「人の大事な物を___捕まえてくるわ!ったく、靴まで持っていったのか!」
 ソアラは破られた窓から外を覗き込む。下には砕かれたガラスの破片が散乱していた。 「みんなを起こして___」
 「ただの窃盗よ、あたし一人で充分。変に騒ぐことは無いわ。」
 「ならせめてこれは持っていって。」
 フローラは旅装束の一つとして持ってきていたケープをソアラに放り投げる。ソアラはそれを受け取ると颯爽と窓から飛び出していった。
 「ウインドビュート!」
 風が地面に散らばったガラスの破片を吹き飛ばし、長髪を靡かせて軽やかに着地。そのままケープを腰に巻き付けて走った。地面には、恐らく士官服のズボンの裾を引きずったであろう跡が付いていて、追跡には苦労しなそうだ。
 「今日は大収穫だったなぁ。」
 「いろんな意味で。」
 盗品はどこかに隠したのだろう。身軽になった二人は建物に周りを囲まれた町外れの空き地で、ケラケラと笑っていた。用心のつもりか黒髪は片手にサーベルを手にし、金髪はソアラから奪ったクローをそのまま身につけていた。
 「いやぁ、それにしてもいい乳だった。今までいろんな乳を触ってきたけど、一番よかった。」
 馬鹿らしいことを口走って鼻を高くしている金髪の首を、黒髪が羽交い締めにする。
 「てめえばっかりいい思いしやがって___!」
 「いででで。」
 「なにがいい思いよ。」
 談笑に澄んだ声色が割って入ってきた。二人は驚いてそちらを見やる。
 「げっ!お、おまえ!」
 そこには呆れ顔で二人を見るソアラがいた。
 「放せ放せ。」
 「あ、わりい。」
 金髪、ようやく羽交い締めから開放。
 「どうも手口がぬるいと思ったら、童貞くんの仕業だったのね。」
 「なにぃ!?」
 ソアラの挑発的な言葉に黒髪が顔をしかめる。
 「図星かしら?」
 「俺は三回。」
 照れくさそうに笑う金髪の頭を、黒髪が加減なく叩いた。ソアラもなんだか間の抜けた二人の姿に苦笑い。
 「盗んだものを返してもらえる?」
 「嫌だ!」
 黒髪が歯を剥いて答え、金髪はソアラに尻を向けてペンペンと叩いている。
 (アホがきどもめ___)
 腹立たしさを内に秘め、ソアラは拳を握りしめた。
 「なら腕ずくで取り返してやるわ。」
 ソアラの視線が鋭いものに変わろうとも、二人には別にこたえない。むしろ___
 「それはさっきの続きをするチャンスってことっすね!」
 と金髪は浮かれ気味。黒髪もにんまりと笑ってサーベルを抜いた。
 「させてあげるわよ、あたしに勝てたら。」
 ソアラはシャツの裾を臍上辺りで一端に結わえた。
 「おりゃあああ!」
 黒髪がサーベルを振りかざして斬りかかってくる。だがソアラはあっさりとその軌跡を見切り、ほんの僅かな体重移動でサーベルをやり過ごすと、素早く反転して黒髪の腹に回し蹴り叩き込んだ。
 「うげっ!」
 「おりゃ!」
 よろめいた黒髪の背後から金髪が飛び出し、一気にソアラとの間合いを詰めてきた。だがソアラは反転して彼に背を向けた姿勢のまま小さく身を屈め、クローを突き出してきた金髪の左腕を取って鮮やかに投げ飛ばした。
 「ほらほらどうしたの?」
 両手を叩いてあからさまに挑発するソアラ。だが一方で、彼らの攻撃そのものにはまずまずのものを感じていた。
 「あれやるぞ!」
 「おお!」
 黒髪の声と共に、二人はソアラの真正面に一列に並ぶ。黒髪の影に隠れて金髪の姿が見えない妙な陣形。ソアラは少しだけ警戒を強めた。
 「いくぞぉぉ!」
 黒髪が猪突猛進に突貫をかけてくる。彼はサーベルを振りかざし、斬りつける素振りを見せたが。
 「!」
 突然黒髪が身を屈め、その後ろから金髪が飛び上がる。しかも黒髪の背を踏み台にして強烈な跳躍を見せた。
 「ぐっ!」
 金髪はソアラの頭上で回転し、彼女の後頭部に鋭いムーンサルトキックを浴びせようとする。しかしソアラはなまじっか彼の動きに合わせて振り返ってしまったため、顔面にキックを喰らってしまった。
 「っ!」
 そればかりか背後から強い衝撃を受け、たまらず倒れた。黒髪がサーベルの柄で殴ったのだ。
 「イエス!」
 二人は突っ伏したソアラを見下ろして、軽やかにハイタッチを交わす。しかし。
 ドガガッ!
 地を這うような水面蹴りに足下を掬われ、二人は尻餅を付いた。
 「げげっ!」
 見ればソアラはしかめっ面をして後頭部に手を当てながら、早くも体を起こしていた。
 「いったいわねぇ___油断したわ、まったく。」
 そしてゆっくりと立ち上がる。二人は慌てて飛び上がってソアラとの距離を取った。
 「今度こそ!」
 そしてまた縦の陣形を取る。そして黒髪が一気に突進してきた。
 「こうしたらどうするの?」
 「えっ!?」
 二度目ならば戸惑うこともない。ソアラは自ら黒髪に突進し、慌てた黒髪が身を屈める。タイミングに戸惑いながらも金髪は彼の背を蹴って飛び出した。
 「よっ。」
 「あらぁ!?」
 だがソアラはほんの一歩横にずれ、金髪の攻撃はあっさりと空を切った。そして顔を上げた黒髪の前には___
 「げっ!」
 「ばぁい。」
 ソアラの鋭い拳が黒髪の顔面に一撃。間髪入れずに逆の拳を腹に、そしてよろめいたところを側頭部へのハイキック。もちろん加減はしてあるが、黒髪はたまらず倒れた。
 「このやろめ!」
 背後から襲い掛かってきた金髪にキック一閃。
 「わぉ〜。」
 「あ、ごめん。」
 何故か遠吠えに似た声をあげて金髪が倒れ、ソアラも真顔になって謝っていた。彼女の爪先は彼の股間を的確に抉っていたのである。

 「ったく、潔くないわねぇ。あたしが勝ったんだからさっさと盗品を返しなさいよ。」
 ソアラはふてくされて座る二人を見下ろし、苛ついていた。さっきからずっとこの調子で取り合ってくれない。
 「あんたたち、名前は?」
 話題を変えてみた。
 「トメキチ。」
 「ヨネコ。」
 「ぶち殺すわよ。」
 「ホントだって。」
 「ほんとに?」
 「嘘にきまってんじゃん。」
 ポカッ。
 ソアラは先程から何度も髪を掻き上げている。苛ついたときに彼女が見せる仕草だ。
 「あのねえ、あんたたちにも盗みをするそれなりの理由があるんだろうけど、あたしたちは今ここでお金や武装を盗まれるととっても困るのよ。別に遊びでここに来ているわけじゃないんだから。」
 「なにしに来たのさ。」
 黒髪が口を窄めて尋ねた。
 「アヌビスと戦うためよ。」
 それを聞いた二人は思わず顔を見合わせる。
 「アヌビス?アヌビスってあのアヌビス?」
 「うっそ〜ん。」
 二人は驚きと半信半疑の顔でソアラを見た。
 「有名なのね、アヌビスって。」
 だが彼らの反応にむしろ驚かされたのがソアラだ。中庸界で超龍神が未知の脅威だったのに対し、アヌビスはこちらでは既知の脅威のようだ。
 「そりゃそうっしょ、アヌビスのせいで朝が来なくなったって話しだし。」
 「なんですって?」
 ソアラの顔つきが変わった。
 「その話、じっくり聞かせて貰えるかな。」
 「嫌だね。」
 反応は思った通り。だがこんな不良少年でも知っているくらいなら、あえて彼らから聞き出すこともないだろう。
 「ならさっさと盗んだものを返しなさい。」
 「それも嫌だ。」
 「俺たちが場所を教えなかったら見つけられるわけねーもんな。」
 金髪はそう言ってヘラヘラと笑っていた。
 「それだけでも返したんだからいいじゃん。」
 黒髪はソアラが片手にぶら下げているクローを指さした。
 「これはあたしがひっぺがしたんでしょ。返したとは言いません。」
 「細かいなぁ。」
 「そういう問題じゃない!」
 ソアラは爪先で地面を叩く。その貧乏揺すりにも似たステップをやめたとき、ソアラは急に艶っぽい笑みを見せた。
 「返してくれたら、ちょっとくらいさっきの続きさせてやってもいいと思ってたんだけどなぁ。」
 「前払いなら返す。」
 「おぉいっ!」
 即座に手のひらを返した金髪に、黒髪が怒鳴りつけた。
 「言ったわね、ならそうさせてもらうわ。」
 ソアラはゆったりとした足取りで金髪に近づき、そっとその身を寄せて彼の首筋に口づけした。五年の間になんだか慣れたものである。
 「うは〜。」
 金髪はすっかり舞い上がっている。黒髪はそれを見て舌打ちしていた。
 「あん、慌てないの。」
 ソアラが唇を放した途端、金髪は彼女の胸に頬を寄せた。ソアラは宥めるように彼の髪に指を絡めた。
 「向こうで、ね。」
 黒髪がいることを理由に、ソアラは金髪を路地へと導いた。一人になってしまった黒髪は、ふてくされた顔で「うらやまし〜」と呟いていた。が___
 「いでででででで!」
 突然金髪の悲鳴が聞こえる。すぐに路地からソアラに後ろ手に締め上げられ、首筋にクローを宛われた金髪が姿を現した。
 「はぁい、これでもまだ返さない?」
 「卑怯だぞ!」
 黒髪は慌てて飛び上がり、サーベルを手に取った。
 「泥棒の方が卑怯よ。」
 ソアラはムッとしてさらに金髪の腕を締め上げる。
 「我慢してろよ___!」
 友人を助けるため、黒髪はサーベルを抜くが___
 「いやもう無理!あねさん、あそこあそこ!」
 金髪は顎先で空き地のすみに並んだ樽を差した。
 「ああ、あの樽。」
 「ぉおぃっ!」
 黒髪ご立腹。
 それから___
 「ったく、しょうがない奴等なのよ、口ばっかり達者でさ。」
 宿に戻ってきたソアラは洋服棚に士官服を戻し、ケープを解いてフローラの服の上にかけてやる。窓が破壊されて部屋はかなり涼しかった。
 「ねえソアラ。」
 金の入った袋を調べていたフローラが言った。
 「やられたみたいよ。」
 「えっ!?」
 ソアラは驚いてフローラに駆け寄る。苦笑いの彼女から受け取った袋の中身は、表面だけに金貨が入り、残りは石と枯れ葉だった。
 「残念でした。」
 「あいつらぁ〜!」
 ソアラはヒステリックに髪をかきむしった。どうやらこの因縁はまだ尾を引きそうだ。



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