4 翼を広げて
フォンが死したその時は丁度ミキャックとキュクイが氷柱の中に封じられて暫くした頃だった。
「む___」
突然沖合で起こったすさまじい発光にガルジャは目を向ける。次いで爆音と突風が彼の元へと届いた。
「何だ___?フォンがやられたのか?」
ガルジャの顔つきが険しくなる。
「様子を見てくるか。」
ミキャックの氷柱にゆっくりと背を向けて、動くたびに大波を起こしながらガルジャは沖合へと進みはじめた。
「む!?」
しかし甲高い音に彼はすぐ振り向かなければならなかった。
「なっ!」
なんと氷柱が罅入っている。しかもその隙間からは微かに炎が漏れていた。
「ドラギレア!!」
ミキャックの声とともに炎が氷をうち破る。
「馬鹿な!」
「翼ってのは便利なものでね!」
ミキャックの背では、やや見窄らしくなった翼が白い蒸気を上げていた。
「自らの羽を燃やしたのか!?」
彼女の根性を思い知らされ、ガルジャは驚きの顔をする。
「氷に飲み込まれる一瞬だけ意識が戻った、それが良かった!」
「おのれ!」
巨体での方向転換には時間がかかる。ガルジャはミキャックに背を向けたまま、長い首を捻って大きく口を開いた。
「させるか!!」
ミキャックは手にしていた槍を滑空したままガルジャの口目がけて投げつける。
「あがぁっ!?」
槍はガルジャが吹雪を吐き出すよりも早く、鋭い弧を描いて喉の奥底に突き刺さった。漸く守護神が呻いた。
「誰にだって脆いところはある!」
ミキャックは拳に魔力を込め、風を切り裂きガルジャに向かって突っ込んでいく。
「呪拳___ウインドランス!!」
ミキャックが右手の拳を突き出したまま狙いをつけたのは___
「ぬおあああっ!!?」
喉に突き刺さった槍で喘ぎ、剥き出しになっていたガルジャの歯茎だ。滑空の勢いをプラスしてたたき込まれた拳は、鍛えようのない、それでいて痛覚に優れた場所を見事に打ちのめしていた。そしてガルジャの口内、上顎に激しい裂傷が幾重にもなって刻み込まれた。
「くううっ!」
だが呻いたのはミキャックも同じこと。拳の中に魔力を凝縮し、それを打撃と共に相手に送り込むのが呪拳。この凝縮に要する魔力は甚だしく、そのためこれまで彼女が呪拳に用いるのは軒並み下級呪文ばかり。ウインドランスとは少々やりすぎだった。
ボフッ!!
暴発した魔力が右腕で弾ける。黒い煙と血をまき散らして、肘から下で爆発が起こった。彼女は痛みに顔を歪めるが悲壮感はなかった。つながってればそれでいい。そんな顔だった。
「腕はまだもう一本ある!」
「この小娘が___!」
再び呪拳を放とうとしたミキャック。だがガルジャがいつまでも黙っているはずがない。その大きな瞳が強く輝くと、紫色の雲から一筋の輝きがミキャックを襲った。
「ああっ!!」
光は一秒もない瞬間にミキャックを直撃した。彼女の拳が再びガルジャに打ち付けるよりも早く。紛れもない、それは稲妻だった。
「はあっはあっ___!」
ミキャックはガルジャの鼻に掴まって体を支え、激しく息を付く。全身を、内外かまわず引き裂いていく稲妻の衝撃は、自分の呪拳と似るところがあった。
「本当にしぶといな、天族というのは。」
「うぐっ___ああああっ!」
突然ミキャックが悲鳴を上げた。と、同時に彼女の全身から夥しい量の血が噴き出したのだ。グランドブリーズが凍らせていた傷口が開いたのだ。白い装束、白い翼が一気に血で染まり、あっという間に意識を失ったミキャックはそのまま海へと落下した。
「死んだか?」
ガルジャは首を下げ、仰向けで海面に浮かび上がってきたミキャックに顔を近づける。
「___!」
そのガルジャの鼻先で小さな爆発が起こった。しかしガルジャは顔色一つ変えない。
「驚いた。こんなに強靱で執念深い女は見たことがない。」
「___」
水面に叩きつけられた衝撃で意識は戻った。しかしさっきの呪文が精一杯の反撃だった。
「おまえにひとつ聞きたいことがある。」
ミキャックは氷の欠片が漂う海面に体を浮かべたまま、ぼやけた視界でガルジャを睨み続けた。
「もし私がおまえを逃がしてやると言ったなら、おまえは逃げるか?」
「___」
「逃げるのか?」
「___逃げるよ。」
ミキャックの声が唐突に戻った。ただ決して体力が回復したわけではなく、今までは喉元に稲妻の残留を感じ、声が出なかっただけだ。
「昔のあたしなら死んだって構わないって思っていた___でも今のあたしは違う。ソアラたちが生きることの楽しさを教えてくれた今は___!」
「そうか。悪くない答えだな。」
ガルジャは顔を上げた。
「だが、ならば私はおまえを逃がすことはしない。生きることに活力を見いだせる者は驚異だからな。」
その瞳が朧気に輝く。
「先に死して待て。すぐにおまえの仲間たちが後を追う。」
稲妻が来る。動くことすらままならないミキャックはさすがに覚悟を決めた。
「キュアアアアッ!!」
「なっ!?」
しかし戦いはまだ終わりではなかった。海中に沈んだと思われていたキュイが突然飛び出したのだ。
「不死鳥___?」
血で赤く彩られた羽毛はまるで炎に包まれた不死鳥のようだった。その目つきは異常に鋭く、そして危機に陥ったミキャックを守ろうとする意志に満ちあふれていた。
「ぬううっ!?」
くちばしの奥が真っ赤に燃えさかり、キュイはガルジャに向かって強烈な炎を吐き出した。その目を見張る破壊力!さすがのガルジャも長い首を仰け反らせた。
「帝の加護を得て___キュクィまでがあんなに戦っている___」
ミキャックはぐっと歯を食いしばり、海水に漬かっている翼に力を込めた。
「あたしも戦わなければ___左手と、翼があれば何とかなるはずよ___」
バッ!
水飛沫を巻き上げ、ミキャックは傷ついてなお美しい翼を広げた。
「一撃で仕留める方法を考えるんだ___あそこを___中枢を傷つけられる方法を!」
ミキャックはゆっくりと、濡れた翼で空へと舞い上がった。
「おのれっ!」
素早い動きでガルジャの頭部に体当たりするキュイ。ガルジャは顔をしかめて瞳を輝かせ、稲妻を打ち落とす。それでもキュイはめげなかった。
「おおおっ!!」
体当たりの余韻が残るうちに、至近距離からガルジャの眼球に向かって炎を吐きつける。目を焼かれたガルジャは激しく喘いだ。
「安い鳥が!いい気になるな!!」
しかしガルジャもすぐさまその鋭い牙でキュイに噛み付く。まるで野生の猛獣のように、突如ガルジャが激しさを増した。
「キュウウッ!!」
右翼の根元に食らいつかれたキュクィは必死にもがき、体をばたつかせる。だがガルジャは激しく首を揺すって抵抗を許さない。
「奴をうち砕くには、滑空以上の力、落下の力を加える___」
ガルジャがキュクィの相手に気を取られているうちに、ミキャックは上空遙か高いところへと昇っていた。その真下にはガルジャが。
「そして___あたしそのものに鋭利な殺傷力を宿す___!」
周囲に漂う氷の煌めきを見渡し、ミキャックは健常な左腕を空に突き上げた。一念の魔力と共に、氷は彼女の左腕に吸い寄せられるように集まっていった。そしてすぐに腕は分厚い氷に包まれた。
「キュイ___!すぐに助けてあげる!」
ミキャックは上空で風を掴まえるのをやめた。そのまま頭を下げ、一切の羽ばたきも捨てて落下した。
「あたしもブッ壊れるのは間違いない___でもあいつを倒すにはこれ以外の方法なんて考えつかない!」
ミキャックに数々の力が上乗せされていく。突き出した左腕の拳は風を切ってガルジャに向かって落ちていく。左腕の氷が、風と、漂う氷の結晶との摩擦で研ぎ澄まされ、鋭利に形を変えていく。
「手こずらせおって___」
ガルジャはキュクィの体に一切の力が入っていないのを感じ、首を動かすのをやめた。
「さてあの女は___」
きっと彼はこれから虫の息のミキャックにとどめを刺すつもりだったのだろう。しかしそれは敵わなかった。
ミキャックは掛け声の一つも上げなかった。ずっと歯を食いしばったまま、絶対に照準を外さないために、気づかれないために、声を殺して力を拳に集中していた。
それは正解だった。
結局彼女が声を発したのは命中を確信してからだったのだ。
「呪拳!!」
「!?」
氷の刃に包まれた拳は、既にガルジャの脳天に届く寸前だった。
「ディォプラドォォォッ!!」
ミキャックはその拳にあらゆる力を全て結集させ、振り絞る。決して大きくも、太くもない拳は、氷の刃を纏うことでガルジャの頭皮を裂き、肉の内側へと深く食い込んだ。同時に彼女は腕が肩まで砕けるのを感じたが、そんなのは知ったことではなかった。
「き、きさま___!!」
衝撃で氷が砕け、生身の指がガルジャの頭蓋骨に触れたとき、ミキャックは勝利を感じた。
「!!!」
拳とガルジャとの接点で爆発が巻き起こる。
派手な轟音はなかった。威力は全てガルジャの体内に、頭部に注ぎ込まれていた。
一撃で中枢をかき乱す。命を奪うのには十分の一撃だった。
「すばらしい根性だ___感服す___る___」
ガルジャの全身から力が消えた。その巨体を海へと沈めていく。ゆっくりと長い首が倒れ、ミキャックも海面に投げ出された。翼に浮力を持つ彼女の体は、少し沈んですぐに浮き上がってくる。だがガルジャはまるで巨大な軍艦の最期のように、その巨体をまっすぐ海中へと進めていった。
「キュイ___あたしのせいであなたを死なせてしまった___」
水面に漂うキュイの骸。流れ着いてきた麗しい羽がミキャックの頬に触れた。
「ごめんなさい___でも、私はあなたの分も生きてみせる___」
彼女はこれまで過酷な道を歩んできた。そこで培った我慢強さが、その不屈の精神が、彼女をここまで戦わせたのは間違いない。
せっかく生き延びたのだから___野垂れ死にだけはしないようにしよう。
両腕は駄目だけど、まだあたしには翼がある。
「もうひと頑張り___」
冷たい海では傷の治療もままならない。彼女は生きるために、また翼を広げた。
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