1 魂の偉大さ

 夜。
 ソアラたちは毎夜落ち着かない、安眠できない日々を送っていた。出発してから四日経つが、アヌビスは時限爆弾の針を一つ一つ、夜空の中で進めていく。
 カッ!
 毎晩、世界のどこかで火柱が立ち昇る。特にヘル・ジャッカルから南方に向かって狙撃が行われると、闇に溶け込んで疾走する波動を頭上に感じることができた。
 まして視力を失ったソアラは、より一層その感覚を研ぎ澄まし、時に人の昇華を感じて嗚咽すらしていたほどだった。そしてより使命感を強くする。
 「このペースならヘル・ジャッカルまであと五日もあればつくと思うわ。」
 キュクィを休ませるためにも夜の行動は控える。募るのは焦れる気持ちばかりだ。もし昼夜問わずヘル・ジャッカルに向かって飛び続ければ栄光の城から三日ほどでつけるだろうが、そういうわけにもいかない。
 「このネルベンザックの北端から海を渡ったところか___」
 焚き火を囲んで会話が始まる。内容は会話と言うよりは打ち合わせに近いものだった。
 「大陸を出てからは見晴らしのいい海が続くの。忍び込むのっていうのは無理ね。」
 ソアラがヘル・ジャッカルで過ごした経験は思いも寄らぬところで役に立っている。
 「真っ向勝負で行くってわけか。」
 サザビーは煙草が嫌いなソアラに煙が届かないように息を吐き出す。
 「八柱神はあと何人いるの?」
 「これまで倒したのはブレン、メリウステス、グルー、ライディアの四人だな。」
 と百鬼。
 「あと四人、この前のジャルコ、それにフォン、あとの二人はみんなの知らない人物、ガルジャとラングよ。」
 「手強いかな?」
 ライの質問にソアラは苦笑いを浮かべる。
 「あくまで噂だけど、ガルジャはヘル・ジャッカルの守護神、ラングは八柱神最強の男って言われているそうよ。」
 皆も思わず苦笑い。
 「二人ともアヌビスに忠実なタイプだし、あたしたちが相手でも油断するようなたまじゃない___そうだ、でもラングはライディアと恋人同士だった。」
 「ライディアはあのジャルコという男に殺されたのよ。そのラングの心には付け入る隙があるんじゃない?」
 できるだけ不要な戦いは避けたい。ミキャックの言うように、ライディアのことを持ち出して説得できれば最高だろうが、ラングを知るソアラは首を捻った。
 「たぶん難しいと思うよ___噂が本当ならね。」
 「噂?」
 「ライディアが一方的にラングにくっついてただけだっていうのよ。ラングはもともと無関心だったって。」
 百鬼は腕組みして小さく唸った。
 「まあやってみるだけやってみるってとこだな。」
 「そうね。」
 「フォンは俺たちが何とかしますよ。ただそうすると最終決戦には参加できないかもしれませんが。」
 「いいのよ、あなたたちにはあなたたちの問題があるもの。今のところアヌビスと黄泉とは無関係なんだしさ。」
 「すみませんね、でもなるだけみなさんに力を貸せるよう努力はします。」
 そういって棕櫚は快い笑顔を見せる。バルバロッサも無言の了解といった様子。
 「それにしても良くもまあこんなところまできたもんだ。ポポトルと白竜、それにレサの戦争から始まって、しがない一兵卒どもが今じゃ勇者なんて言われてる。」
 サザビーがしみじみと語り、フローラやライも昔を懐かむような穏やかな顔になる。
 「あのときにはこんなこと、アヌビスとか竜神帝とか、そんなこと思いつきもしなかったよね。」
 フローラの言葉にライも頷いた。
 「これまでの時の流れはどうでした?俺たち妖魔にとって十年なんて短いものですが。」
 「あっという間かな。」
 ソアラはそういって笑う。
 「だってカルラーンで百鬼と喧嘩してたのがついこの前みたいなんだもの。」
 「そうだな、そうかもしれない。」
 「長くない人生を顔も見飽きた奴らと冒険三昧か。ま、平凡ではないな。」
 サザビーが毒づくように吐き捨てて笑いを誘う。
 「みんなこれまで走ってきたんでしょう?アヌビスとの決着が付けばやっとゆっくりできるじゃない。」
 こんなに堅い友情で結ばれた彼らを少し羨ましく思うミキャック。
 「あの世でゆっくりするのはやだなぁ。」
 「たしかに。」
 決戦の日は近い。この日もそれくらいで話を切り上げて、早めに休んだ。明日も夜も明けないうちから発つ。

 「レミウィス。」
 暗黒の部屋。椅子に腰掛けるアヌビスは、彼女のために新調したソファに横たわるレミウィスを手招きして呼びつけた。
 「___」
 アヌビスに与えられた本を読みふけっていたレミウィスは、読みかけのページに糸を挟んで立ち上がる。
 「なにか?」
 こちらに来てからすでに五日。レミウィスはアヌビスに気を許してはいないものの、緊張に関してはずいぶんと緩和された生活を送っていた。何しろ不自由がない。衣類は良心的で、食事もまとも、この部屋から出ることは許されていないが、一面の闇は慣れてくれば寝心地が良かったりする。アヌビスも彼女に特別構うこともなく、そればかりか彼女の希望を聞いて邪にまつわる本を与えてくれた。そしてこれが存外におもしろい。
 「ちょっと肩揉んでくれ。」
 「___」
 レミウィスは黙って彼の背に回り、そのがっしりとした大きな肩に手を載せた。
 「わたしの腕力じゃ何も感じないのでは?」
 「まあいいから。」
 後ろを振り向いて笑顔を見せるアヌビスに、彼女も渋々ながら手を動かす。しかしアヌビスの肩を覆った柔軟な筋肉を、緻密だが力に乏しい指が解すのはやはり難しかった。
 「なあレミウィスよ。もしソアラたちがここに来ることもできずに力つきたらおまえはどうする?」
 ただアヌビスも肩が凝っていたわけではない。彼女と至近距離で話がしたかっただけだ。
 「私の命で彼女たちが蘇るなら自害するさ。でも、それがかなわないなら貴様に任せるしかないな。」
 親切にされたところで敵意は消さない。微妙な距離感を保ちながら、彼の完全無欠に穴を捜す腹積もりは変わらなかった。
 「潔いな。何でそんなに思い切れる?死んだらおまえはもう消えてなくなるんだぞ。」
 「満足したから。」
 「満足?」
 「この旅であたしはもう自分の仕事を全うし終えた。」
 「だから捨て石になれるのか?」
 「そう。貴様を倒すためならな。」
 「うげ〜。」
 レミウィスはアヌビスの首に手を回し、本気で力を込めて締め上げようとする。しかしアヌビスは冗談程度にしか感じていない。
 「おいたはやめておけ。」
 気づいたときには、彼女の手は肩に戻っていた。
 「その忌々しい能力___竜の使いから奪い取った産物で貴様が完全無欠になったというのはあまりにも憎いな___」
 「ふふ、そうか。それを知っていたか。だからソアラが怒っていたわけだ。」
 「ソアラも利用するつもりだったのだろう?己を強くするために。」
 「俺はそんなに小さな男か?」
 「え___?」
 アヌビスが横顔でニヤリと笑う。
 「ソアラの価値はあんなものじゃない。あいつがただの竜の使いだったらもうとっくに始末しているさ。」
 「どういうことだ___?」
 「ソアラが紫だからさ。あいつは竜の使いだが、本当の意味で竜の使いじゃない。いや、もしかしたら本当に本当の竜の使いなのかもしれない。まだまだ、あいつの力はあんなものじゃないとも思う。」
 アヌビスはソアラの可能性を買っているのだ。ソアラが秘める力がどれほどのものか見極めるために、今までも攻勢には出なかったというのだろか?
 「だから血の器に吸わせてみたい。どれほどのエネルギーが抽出されるのかこの目で見てみたい___」
 「子供じみたことだ___」
 「そうか?だがそうでもしなければ竜神帝は覆せない。」
 やはりアヌビスの最終目的は竜神帝の抹殺なのだろうか?だが___それがいったい何を生むのか。この男は魔族やモンスターの繁栄する世界を望んでいる風にも見えない。
 「なぜ竜神帝を倒そうと思うんだ___?」
 「本能かもな。邪神たる者が持つ本能。俺は闇の申し子だから、光の申し子を消したくなる。単純なことだ。」
 「それだけか___?」
 フッ___アヌビスはレミウィスの掌から伝わる抑揚を楽しんでいた。邪神を相手に尋問を試みる彼女の勇気、少しでもここを目指す仲間たちへの貢献を考える謙虚さに感服した。
 「レミウィス、良いことを教えてやる。」
 「いいこと___?」
 いつの間に。気づけばアヌビスとレミウィスは並んでソファに座っていた。
 「何千年も前、それこそ俺が生まれるよりも前か、そのころ世界を滅茶苦茶にした奴がいた。それは、一人の男が幾多もの生命を我が身に結集したことで生まれた偉大なる魂の結晶。その男は自らに集った魂の偉大さで、世界を破滅へと導いた。」
 究極の破滅の力___レミウィスはそんな言葉を連想した。そして「我が身に結集した生命」という言葉に寒気を感じた。
 「そいつはまだこの世界に神が何人もいた頃、その神を次々と食いつぶして己に還元したらしい。おまえは俺を無敵と呼んだが、俺のは小細工に過ぎない。だがかつて世界には本当の無敵がいた。」
 まるで少年が憧れるように、アヌビスの話の内容は穏やかではなかったが、彼自身は活き活きとして見えた。
 「あらゆる攻撃も防御も受け付けず。究極の破壊は世界の存在そのものを覆すほどだった。そしてその力の源は数多くの偉大なる神々。恐怖を越え、人々は究極の破壊神の前にただひれ伏していた。そしてその力は『G』と名付けられた。」
 「ジー?」
 「こう書く。奇妙な文字だろう。」
 アヌビスは空間に炎を走らせてGと描き出した。
 「偉大さを意味する古びた文字だ。」
 レミウィスはじっと文字を睨み付け、一つ唾を飲み込んでから口を開く。
 「___単純な話だが、なぜそのGを止めることができたんだ?誰がやった?」
 そして持ち前の探求心を剥き出しにし、構わずアヌビスに核心を問いかけた。
 「今生き残っている神さ。」
 「竜神帝!?」
 「そうだ。奴はその当時まだ有能な若者の一人に過ぎなかったらしい。」
 レミウィスが驚いて息を飲んでいるのを後目に、アヌビスは続ける。
 「奴が利口だったのはGを倒そうとしなかったところだ。」
 彼がいやに饒舌なのが気になるが、レミウィスは改めて熱心に耳を傾けた。
 「倒すのが無理だから、奴はGを封印しようと考えた。ただそれも不可能だった。そこで目をつけたのが、Gの力が集合体であるというところだ。合体したものならば、バラバラにすることもできる。そして竜神帝は秘策に成功し、Gは封じられたという___」
 彼が語るのはあくまで伝説の域を脱しはしない。しかし嘘ではないだろう。そして嘘ではないと言うことは___
 「その力は今もどこかに眠っている___?」
 「そう。」
 レミウィスの問いかけはいつもよりもどこか弱々しかったかも知れない。口元の強ばりがその原因だろう。
 「利口だろ?奴はその力の在処も知っている。俺にとってこんなに好都合なことはない。」
 「貴様は___その力を目覚めさせるのが目的か___?」
 「いや。」
 アヌビスはグッとレミウィスの肩を抱き、口を彼女の耳元に寄せた。
 「目覚めさせて俺のものにするのが目的だ___」
 弱い姿は見せたくなかった。しかし脅しにも似たアヌビスの囁きに身震いを抑えることはできなかった。
 「だが、まだGのことはよく分かっていない。血の器もGがどうやって生まれたのか、それを調べる過程でできた偶然の産物だ。ソアラたちをここまで導いたおまえだ、俺を導いてくれるというなら大いに歓迎する。」
 「ば、馬鹿をいうな___!」
 レミウィスは身じろぎし、彼の手から逃れて立ち上がった。
 「でも、興味はあるだろ?Gのこと。」
 「___見くびるな!」
 アヌビスの差し伸べた手を力任せに払いのけ、レミウィスは息を荒らげた。
 「Gだかなんだか知らないが、そんな貴様の身勝手に振り回されて世界は闇に落ち、人々は多くを失った___!」
 「おまえも恋人を失ったか。」
 「!」
 逆上してはいけない。レミウィスは高ぶる気持ちに必死に蓋をして、わなわなと拳を震わせる。邪神のにやついた顔が憎たらしくってしょうがなかった。
 「俺に手を貸さなければおまえは死ぬ。」
 「殺せ___!」
 レミウィスは喉が痛くなるほど強く叫んだ。アヌビスが笑みを消す。
 「あたしを殺したところで結末は一つ!この戦いで貴様がソアラに敗れる!それで全て終わりだ!」
 「言うねぇ。」
 いつの間にか体中が汗だくになっていた。
 「だがなレミウィス。力と力のぶつかり合いは、どちらかが完全に潰えるまで、強くなることはあっても弱くなることはない。ソアラは人同士の戦いから、超龍神、そして俺へと階段を駆け上ってきた。」
 アヌビスはいつの間にか彼女の背後に立っていた。
 「正直迷ってるのさ。ソアラがどこまで強くなるのかを確かめるのと、あいつの力を奪って俺がもう一つ強くなるの。まあ、どちらにしても次はそろそろ竜神帝に挑んでみてもいいかもな。」
 「貴様は___!」
 勢いよく振り返ったレミウィスだったが、アヌビスはすでにそこにいなかった。
 「生き甲斐を見失ったというなら、俺が手を貸してやるよ。レミウィス___」
 闇の中、声だけが残響してレミウィスを嬲る。彼女はたまらず両の耳を掌で押さえつけ、堅く目を閉じていた。



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