1 絆

 「リヴァイバ!」
 ベッドに横たわるソアラの目を隠すような位置でフローラの掌が強く輝いた。
 「___」
 目映い光はソアラの顔についた火傷の跡を消していく。ソアラの様態を危惧して百鬼はもちろん、レミウィス、ライといった面々も部屋の外で診察が終わるのを待っていた。やがて光が消え、フローラは軽く息をつく。
 「どう?ソアラ。目を開けてみて。」
 瞼の開閉もはっきりと分からないのだろう、ソアラは手で瞼に触れて目が開いてことを確かめていた。
 「駄目、なにも見えないわ。」
 「光も感じない?」
 フローラは火の付いた洋燈をソアラの目前に近づけて尋ねた。
 「なにも___全部真っ暗。ああ、今顔のそばが温かいのはわかるけど___」
 「やっぱり駄目か___」
 フローラは落胆の表情を見せながらも、頭の中では何か別の方法を考えていた。バーニングミストは瞳を焦がし、眼球こそ無事ではあったがソアラの視力を完全に奪い取っていた。鼻の粘膜や、舌の感覚、喉、全て痛めつけられたが、それは治療のたびに急速に良化している。しかし視力だけがどうしても戻らない。
 「ごめんねフローラ___あなたにも苦労をかけてしまって___」
 ソアラは失明にそれほど悲観的ではない。むしろ口をついてでるのは皆への謝罪ばかりだ。
 「なに言ってるのよ、別にあたしはソアラがああいう行動をとっても不思議だなんて思わなかったよ。だっていつもそうだったじゃない。自分の身の危険も省みずにいつも勇気を持って戦ってきた、そうでしょ?」
 フローラはそう言いながらソアラの頬に手を当てた。ソアラはその暖かな、でも弱々しい感触に安堵する。
 「だからそんなに自分を責めないで___いつもの強気なあなたでいて、ね。」
 ソアラはフローラの優しい言葉に感じるものがあった。
 「フローラ___大きくなったのね。」
 「え?」
 「私がポポトルで初めてあなたを見たとき___あなたはあんなに小さな赤ん坊だったのに___私は今あなたに母親を感じてしまった___」
 フローラ手の平に、ジャルコに踏みつけられてまだ完治にはほど遠いソアラの手が重なった。フローラもなんだか久しぶりの二人だけの時間に感傷的な顔をする。
 「それはそうよ___もう私たちが出会ってからとっても長い時間がたったんだもの、お互いにいろいろ変わったよ。」
 「そうだね___」
 ソアラは微笑んでいた。フローラはたとえ彼女に見えなくとも優しく微笑み返す。
 「大丈夫よソアラ。時間はかかるかもしれないけど必ず私が治してあげる。」
 「信じてるよ。フローラは名医だもの。」
 「ありがとう。またすぐに戻ってくるから、ちょっと待っててね。」
 フローラの足音が離れていく。彼女が部屋を出る前に、ソアラは思い立って言った。
 「ねえフローラ。」
 「ん?」
 「暫く一人にさせてくれる?いろいろ考えるから___」
 「盲目の人を一人にすることなんてできません。」
 フローラは少しだけ怒ったような声で言った。
 「お願い、夜まででいいから。」
 「___わかったわ。」
 仕方ないか。フローラはソアラの気持ちを察し、小さなため息をつきながらも快い返事をした。
 「どうでした?」
 部屋を出るなりレミウィスがフローラを待っていた。ライも隠しだてしない表情でフローラに近寄る。百鬼は平静を装って壁により掛かっているが心配の色は拭えなかった。
 「落ち込んでいる様子はありません。私が言うのも何ですけど、反省しながらむしろ前向きで、はっきりとしたいつものソアラだった、そんな雰囲気でした。」
 「自棄になっているわけではないのですか?」
 レミウィスはソアラのことが気になって仕方ないのだろう。いつもと違ってどこか落ち着きがない。
 「ソアラは追いつめられていたんですよ。きっとこれまでも多くの人の死を見てきて、それに戦いの連続だったから疲れもたまっていたでしょうし、少し不安定になっていたんです。これがいい休息になってくれると思います。」
 フローラの診断は的確で、レミウィスもとりあえずは納得した様子で何度か頷いた。
 「ソアラとは___」
 「疲れているみたいで、休むって。」
 フローラは首を横に振る。
 「そうですか___わかりました、まずこれからのことを少し話し合いましょう。今後の対策を練らなければ。」
 レミウィスは気持ちの切り替えを表すようにポンと手を叩き、一歩後ずさった。
 「今まで我々もソアラに頼りすぎていました。少し考え方を変えていきましょう。」
 「そうですね。」
 そう言って立ち去ろうとするレミウィスとフローラにライがきょとんとした顔で尋ねた。
 「ねえ、誰かソアラの側にいてやらないでいいの?」
 「一人になりたいんだって。ちょっと考え事、昔からソアラってそういう時間好きだったでしょ?」
 と、フローラ。
 「でもアヌビスはソアラを狙ってくるんだよ?だったら一人にするのは良くないんじゃないかな。」
 それももっともである。フローラは口元に手を添え、少し困った様子で虚空を見る。
 「俺が部屋の前にいるよ。見張りがいれば安心だろ?」
 百鬼は歯を見せてニコリと笑う。やはり一番ソアラのことを気にしているのは彼なのだということがわかる一こまだった。もっとも、だからこそ二人は夫婦なのだが。
 「話し合いはみんなでやってくれ。俺は後でソアラと一緒に内容を聞かせてもらうよ。」
 「わかりました。では奥さんを頼みます。」
 「おう。」

 それから暫く時が流れていった。百鬼は辛抱強く、そしておそらくソアラと同じようにいろいろなことを考えていた。
 「___」
 普段考えもしないことまでも考えられる。そして忘れていた心のゆとりを取り戻した気がした。長い動乱の中ではこうやって物事を見直す時間が必要なのだと改めて実感した。
 「ん?」
 部屋の中から物音が聞こえる。
 トンッ、トンッ、カチャ___
 扉が揺れていた。ソアラが外に出ようとドアノブを探っていると悟った百鬼は、すぐさまノブをひねって扉を開けた。
 「きゃっ!」
 突然支えを失ったソアラが、バランスを失って部屋から飛び出してくる。百鬼は慌てて彼女の体を受け止めた。ソアラは屈強な男の腕にすっぽりと収まった。
 「百鬼___?」
 彼の臭いか、感触か___ソアラは抱き留められてすぐに名前を言い当てる。
 「良くわかったな。」
 「そりゃわかるよ、あなたのことは一番知っているつもりだもの。」
 ソアラの瞼は開いているが、美しく深い紫の瞳は白く濁ってぼやけていた。そんな瞳で微笑む彼女の姿は、あまりに健気であると同時に惨たらしかった。
 「どうして一人で出歩こうとしたんだよ。」
 「その___トイレに行きたくなっちゃってさ。」
 「な〜んだ。なら俺が連れていってやるよ。」
 「ありがと。」
 「夫婦なんだから、助け合うのが当たり前だろ?」
 夫婦か。
 結ばれてからもう何年もたって、子供だっているのに、なぜか新鮮に聞こえてしまった。戦いに明け暮れ、振り回され、夫婦という言葉を忘れていたのかも知れない。ソアラは百鬼の妻よりも、戦士であることを大事にし過ぎていた___
 (百鬼がいなかったら___)
 今のソアラはいない。紫である彼女に戸惑うことすらせず、悩みはその広い胸で全て受け止め、痛みを分かち合ってくれる百鬼。ソアラは己の苦しみを理解し、共に歩んでくれる男性を求めていた。互いを心から励まし合える男性を。
 「抱っこしていってやろっか。」
 「い、いいよそんなの。」
 「照れるなよ。」
 「い、いや違うって、本当にきついから___」
 「あ、漏れそうってこと?」
 「ずばっと言うな!」
 彼といると明るくなれる。彼はソアラの傷みを吸い込んでくれて、ソアラが微笑めば彼は受け止めた傷みを粉々にして吹き飛ばすことができる。それが包容力。
 ___ライやサザビーでは足りない、彼だけの魅力。
 ___あたしとフュミレイが彼を好きなったのは、自分が辛かったからなんだ。
 ___だから、心まで抱いてくれる人が欲しかった。
 ___この人とずっと一緒にいたい、そう思えたのは今まで生きてきた中で彼だけだった。
 だからあたしたちは夫婦なんだ。
 二人そろってトイレに入り込んだ百鬼とソアラ。廊下まで聞こえるほど騒がしい声に通りかかった天族が驚いていたことも知らず、暫くして二人は出てきた。
 「うう〜、旦那とはいえ恥ずかしい〜___」
 ソアラは顔を真っ赤にして、少し俯き加減で百鬼に手を引かれていた。
 「目が見えないんだ、誰かがついててやらなきゃしょうがないだろ。」
 「うん___」
 結婚してからというもの不思議と百鬼に従順だった。昔は喧嘩もよくしたし、彼の意見を問答無用で突っぱねたり、彼が妥協することも多かった___けど今は少し違っている。
 「ねえ、もしかしてずっと部屋の前にいたの?」
 「ん?ああ、まあな。」
 「ありがとう。でも悪いことしちゃったね。」
 「気にすんなって、俺も一人で考える時間ができてちょうど良かった。」
 暫く無言になった。それにしてもこんなにぴたりとくっついて歩くのはどれくらいぶりだろうか。慣れないわけではないが、なぜだかとても暖かくて嬉しくなった。
 忘れていたものを思い出させてくれた。
 「隣、座ってくれる?」
 部屋に戻りベッドに腰を下ろしたソアラは百鬼にそう頼んだ。もちろん百鬼は自分が側にいると教えられるように、体を寄せて座る。
 「ありがとう。」
 このままなにもしないで体を寄せ合っているのも暖かくて素敵だったが、謝りたかったソアラはおもむろに話し出した。
 「ごめんなさい___」
 「ん?」
 「勝手なことをして___」
 「___」
 百鬼は黙ってソアラの肩に手をかける。優しくはしてくれていてもソアラには彼がそのことで怒っているのが伝わってきた。
 「___こんなに私のことを思ってくれる人がいるのに___」
 「俺だけじゃない。」
 百鬼は肩に掛けた手をソアラの頭へと移し、優しく髪をなでながら続けた。
 「フローラはおまえの治療に一生懸命だし、ライだっていつになく気を利かしている。サザビーはおまえの側では煙草を吸わない。レミウィスさんはいつだっておまえのための未来を考えてくれている。棕櫚とバルバロッサは知恵と力を貸してくれて、スレイは機転を利かして俺たちを助けてくれる。バットとリンガーはおまえを喜ばせようと必死だし、ミキャックさんはおまえを守ってくれる。リュカとルディーはおまえに泣き顔を見せたりしない。」
 ソアラは百鬼の一言一言をかみしめていた。
 「そして俺はおまえを誰よりも愛してる。」
 ポン。百鬼の大きな掌が、軽くソアラの頭を叩いた。
 「何か足りないものは?」
 ソアラは首を横に振る。
 「なら俺たちの気持ちを無駄にはしないでくれ。みんなおまえと同じ、一つの目標のためにここまできたんだ。」
 そう言って百鬼はソアラの頭を抱き、そっと頬を寄せた。
 「それが絆って奴だろ___」
 ソアラはあまりに愚かな自分が憎かった。絆の種類は様々だけど、これほど固い絆で結ばれた人々の輪を独りよがりの暴走でかき乱していた。ジャルコと戦うには一人がいい?何を言うか、強敵にこそ絆で立ち向かわなくてどうする。
 この絆の輪の中にいてこそ、自分は強く、そして戦える存在になる。
 この輪が大きければ大きいほど、強ければ強いほど、自分たちはアヌビスに立ち向かう、勇気と、強さと、資格を得ることができるのだ。
 「ニック___」
 口をついて出たのは百鬼ではなくニックという名前。この名で呼んだ方が二人であることを感じあえる気がした。
 互いの愛の深さを確かめ合うべく、二人は唇を重ねる。目に見えなくともその温かさはソアラの心を十分に満たしてくれた。



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