3 神の感触

 ドサッ。
 竜波動を放ったソアラは体重に身を任せるようにしてその場に倒れた。今まで味わったことのない程の疲労感と脱力感に意識が朦朧とする。眠りそうになったところで頭のどこかが警鐘を鳴らしたのか、大きく躰を痙攣させて意識を取り戻した。
 「はぁ___」
 竜の使いとしての力をありのまま放つ。そこから生まれるエネルギーは絶大で、フロア全体が一回り広くなった感じさえした。ただその代償も大きい。
 「やっぱり___加減がきかないか___」
 著しく生命力を失ったソアラの顔色は不気味なほど蒼白だった。いま眠ってしまったら二度と目覚められなくなりそうで怖い。
 「ミキャック___」
 壁に半分ほど体をめり込ませた状態でミキャックは眠っていた。ソアラは悲哀な表情で必死に彼女のところへと四つん這いで進んだ。
 「ミキャック___!」
 掠れかけている声を精一杯に張り上げて彼女の名を呼ぶ。目を閉じて物言わないミキャック。反応はないが拍動はある。息も___微かだが残っていた。
 「フローラのところへ___!」
 死なせるわけにはいかない。ソアラはなけなしの力を振り絞ってミキャックを肩に担ぎ、よろめきながらも立ち上がった。
 あの四つの柱の真ん中まで戻れば___きっと城に帰れる!

 百鬼は落ち着かない様子で扉の前をうろうろしていた。ソアラに対する心配が苛立ちに変わっているようだった。一方のレミウィスは壁により掛かって光の源を眺めている。
 「心配ですか?」
 レミウィスが百鬼に問う。
 「当たり前だろ。」
 百鬼の少しムキになった即答。
 「いいですね。何年経っても変わらぬ愛を持ち続けられる夫婦というのは。」
 「はぁ?」
 「まるで今のあなたは我が子の産声を待つ旦那様のようです。」
 そう言って微笑むレミウィス。百鬼はからかわれていたと分かったが、おかげで少し気持ちが和んだ。そのとき___!
 「帰ってきたか!?」
 ドアの隙間から光が漏れ始めた。二人が気を改める間もなくドアが勢いよく開き、雪崩れ込むようにミキャックを背負ったソアラが飛び出してきた。
 「ソアラ!」
 百鬼の声は歓喜と焦りの混じったものだった。蒼白な二人の面持ち、飛び出すなり意識を失ってしまったソアラを見ては笑顔になどなれない。
 「フローラさんを!私の回復呪文では長くは続きません!」
 すぐさま二人に手を宛ったレミウィスの言葉に頷き、百鬼は慌ててフローラを呼びに駆けていった。
 「ソアラはそれほど大きな傷はないのに___この消耗度は?」
 いけない。ついいつもの癖で観察に目がいってしまったレミウィスは、すぐさま気持ちを魔力に専念させた。
 一方その頃。
 「う___んぅ___」
 暗闇の中に立つ___そこに吹き込んできた白い光が私を押しつぶす。
 苦しい___全身が引き裂かれるような苦しみ___
 これほどの痛みを一生のうちにあと何度味わえばいいんだ___!
 「!」
 意識が覚醒する。目を開くと当然のように景色が見えた。亀裂が大量に刻まれた天井。
 「?」
 自分がなぜ生きているのかさっぱり分からない。希有な表情でライディアはあのフロアにいた。よく見れば傷の殆ども癒されている。光の中でアンダースーツも消し飛んだのだろう、裸だったのでよく分かった。
 「なぜ___生きている?」
 自分であの状況を打開できたはずがない。誰かが救ってくれたのだ。
 「よう、やっと気がついたか___」
 もしかしてラングが救ってくれた?少しでもそんなロマンチックな、都合のいいことを考えてしまった罰なのだろうか?こんな状態じゃなくたって、絶対に二人きりになりたくない最低な男の声。
 「ジャルコ___」
 八柱神の同胞とはいえライディアはこの男が大嫌いだった。かつては露骨に嫌がりはしなかったが、彼が興味本位でソアラを辱めたときから虫酸が走るほど嫌悪していた。この小柄な男は欲望に満ちあふれている。裸体を隠したかったが、体はピクリとも動いてくれなかった。
 「謀ったな___!」
 「おいおい、そりゃあねえだろ、せっかく助けてやったんだぜ?」
 ジャルコはなめ回すような目つきで、恩着せがましい言葉を口にする。恥辱のあまり、ライディアはクッと奥歯に力を込めた。
 「ソアラに負けちまったなぁ、おい。」
 蔑むようなジャルコの視線。それを言われると心が引き裂かれる思いだった。
 「どうするよおい、おまえはソアラと戦うことが仕事だったのにな。」
 「___」
 竜の使いになったその日から、来るべき同族との戦いに勝利し、アヌビスに骸を捧げるのが彼女に与えられた責務だった。だがそれを果たすことはできなかった。だからといって彼女の価値が変わるわけではないのだが、今のライディアには自分を追い込むことしかできない。
 「さて、おまえはおめおめとヘルジャッカルに帰れるか?」
 「何が言いたい___」
 ライディアは必死の強気でジャルコを睨み付ける。だが苦汁が滲んでいた。二人の優劣はあまりにも明確だった。
 「チャンスをやるって言うんだよ。器を奪ってくればアヌビス様だって許してくれらぁ。ゼルセーナの偉業が崩れた今なら、奴らにも油断があろうよ。どうだ?」
 アヌビスは聖杯を求めている。埋め合わせにはそれくらいの手土産が必要だろう。
 「___そんなもの、選択の余地はないわ。」
 起きあがりたい。女を隠したい。でも体に力が入らない。
 「ただこの任務は俺が与えられた。ここに寄ったのはほんの気まぐれなんだ。おまえを偶然助け、治療して、わざわざ親切で手柄を譲ってやるって言うのさ___」
 ジャルコの嘲笑。彼が黒いマントを脱ぎ捨て、ライディアの体に荒っぽく手を触れたとき、彼女に残された道は「耐える」ことだけだった。
 「下衆___!」
 「何とでも言え。」
 相手がラングだったら___そんなことしか考えられなかった。

 「!」
 ガバッ!
 「えっ!?」
 ベッドに寝ていたソアラが意識を取り戻すなり毛布をはね除け、その場に居合わせたフローラを驚かせる。
 「ソアラ、気がついたのね。」
 フローラは鼓動を落ち着かせるような仕草をして微笑んだ。ソアラはいつもなら微笑み返して何か言うところだが今は違う。眉をきつくしたままだった。
 「ミキャックは!?」
 「隣。」
 ミキャックはすでに意識を取り戻していた。ソアラの隣のベッドで少し気の抜けたような顔をして天井を見ている。ソアラもホッとした様子でもう一度ベッドに横たわった。
 「良かった___」
 「生きていたのが不思議だってさ。」
 「全身が傷ついていたんだもの___本当に奇跡よ。」
 フローラはそう言ってにっこりと微笑み、ミキャックも失笑した。
 「百鬼たちを呼んでくるわ。レミウィスさんも光の源のことをミキャックさんに聞きたがっていたの。でもあなたが目覚めてからの方がいいと思ったら。」
 「ありがとうフローラ。おかげで命拾いしたよ。」
 持ち前の元気を取り戻したソアラにフローラは手を振って部屋を出ていった。
 「ねえミキャック。あなたの過去についてはあえて聞かないわ。あなたがそれを認めてはいても、すごく拒んでいるのはよく分かるから。」
 互いに天井を見つめながら、話し出したのはソアラだった。
 「でもさ、それにばかりとらわれて、素敵な未来を見いだせないのは良くないと思うのよ。あなたの人生はあなたのためのものだもの、それに___こうして笑いあえるって素晴らしいことじゃない?命があるから楽しいんだし、幸せにも巡り会える。今のこうしている何気ない一瞬だって、きっととても価値のあるものなのよ。」
 ソアラの優しい言葉にミキャックは疲れを吐き出すようにして笑みを見せた。
 「そうだね___」
 確かに___今のこのときは暖かで、幸せだった。でもだからこそ余計に、荒んだ自分を感じてしまう。訪れた沈黙を絶ち、ミキャックは目を閉じて話した。
 「あたしは___人殺しなんだ。」
 仰向けに寝ていたソアラは、たまらずにミキャックの方に寝返りをうった。
 「ゼルセーナのこと?」
 「違う___それもそうだけど___もっと昔のことさ。」
 過去を語ろうとしている。ソアラはそんな彼女の姿が痛々しく思えた。
 「ねえ、無理に話さなくてもいいよ。」
 「そうじゃないんだ、話したいだけ。」
 ソアラは気の毒になって止めようとするが、ミキャックは構わなかった。
 「あたしの両親はある男に騙され、殺されたんだ。幼かったあたしは、世間知らずのままスラムに放り出された。」
 天界にもそんな土地があるのか___ソアラは彼女の身の上と同時に、天界のイメージに微妙なズレを感じた。
 「プライドだけは捨てずに精一杯その日を生きていたつもりだったけど、体も心も女になってきた頃、騙されて全てを踏みにじられた。すべてを恐れ、絶望にのたうつばかりだったあたしを一人の男が救ってくれた。」
 悪い予感がする。彼女の携える根深い悲愴はまさか___
 「あたしはその紳士の家に引き取られ、恵まれた日々を過ごすことになった。紳士はあたしの心の傷を癒すことに必死だった。あたしはやがて彼に心を開いていった。でも気づいてしまったんだ、彼があたしの両親を殺した男だって。」
 ソアラは神妙な面持ちでミキャックの横顔を見つめ続けた。
 「それからの葛藤の数日間は壮絶だった。でも結局あたしは___恨みに負けて彼を殺した。毒殺だった。でも___あたしは涙が止まらなかったんだ。」
 ミキャックが目を閉じた。天井を見つめ続けていた両目にゆっくりと蓋をする。
 「毒は___それとない会話の中で彼が在処を教えてくれたものだった。彼が両親を殺した男だと知るきっかけを与えたのも彼、あたしが思い悩んでいる間彼は何もしなかったし、彼は毒が入っていると知っていて私の入れた紅茶を口にした。彼の死に顔は穏やかだったし___何より財産を私に与えてくれた。」
 それは彼の償いだったのだろう。考え過ぎなのかもしれないが、彼はどこかでミキャックの噂を聞き、彼女を助けたいと思っていたのではないだろうか。
 「あたしは罪にならなかった。彼は心臓に病を患っていて、毒は彼の内服薬だった。過剰に取ることで毒と同等の働きをするものだったんだ。残されたあたしの手には、涙と、空しさと、金だけがあった。」
 「ミキャック、もう十分だから___」
 「違うよ、ここからさ。」
 また目を開けたミキャック。彼女の目尻に僅かだが涙の滴が見えた。
 「あたしはその金で大きな学校に入ったんだ。そして人生を改めようと決めた。一生懸命勉強して、もっと高度な勉強ができる学校に行くことになった。でも、そこで罪があたしを捕らえたんだ。」
 しかし涙はこぼれない。
 「当時その学校に行けるのは数えるほどで、難しい試験があった。その時、友人だと思っていた女の子があたしの過去を引っ張り出したんだ。スラム上がりで、男に汚されていて、しかも人殺し。あたしは過去を暴露され、未来を失った。またスラムに戻らなければならない。でも、その時に救ってくれたのが竜神帝だったんだ。」
 竜神帝への計り知れない忠義は恩返しか。
 「竜神帝はあたしに親身に、それでも甘えは許さずに接してくれた。そして、充実した仕事を与えてくれた。時がたって命ぜられたこの城の管理は、あたしにとって重大な任務だった。それは帝があたしを信頼してくれている証。あたしもそれに応えたかった。でもあたしは___過ちを犯してゼルセーナに光の源を奪われた。恩を仇で返すようなことはしたくなかったんだ。だから必死になったし、ソアラをどうしても守りたかった。」
 なるほど、理解はできる。失敗は彼女を必要以上に追い込んでいたのだ。でも、少し行きすぎている。
 「ミキャック。あたしの命を守ろうとしてくれるのは嬉しいけど、あたしが竜神帝の立場だったら、あなたの命の方が気になるわ。あなたが自分を捨ててまで身を尽くそうとしている姿、痛すぎるのよ。竜神帝はそんなつもりであなたを助けたわけじゃないでしょう?」
 「そうかな___」
 「そうよ。」
 ミキャックはまた目を閉じて、口元を歪めた。
 「最後まで聞いてくれてありがとう。少しは楽になった。」
 「ミキャック___?」
 そして、まだ痛む体で首を傾けてソアラに微笑みかける。
 「ずっと告白したかった、あたしの過去を知っている人が欲しかったんだ。でも怖くて、またそれで滅茶苦茶になっちゃいそうな気がして___でも、ソアラなら大丈夫だと思ったから___ごめんね、つき合わせて。」
 ため込んでいた思いを吐き出したからだろう、彼女はこれまで見せた表情の中で一番朗らかな顔をしていた。ソアラも自然と優しい笑顔になる。
 「そんなことない。あなたがあたしを信じてくれていることが嬉しいよ。」
 ドアがノックされた。すぐに百鬼たちがぞろぞろとやってきて、ソアラとミキャックは一度だけウインクを交わし、会話を終えた。

 「ちょっと狭いかな?」
 あまり広くない部屋にベットが二つ。ここにさらにバルバロッサを除いた大人九人、子供二人というのはかなり狭い。
 「ざっと十二畳ってところだもんな。」
 「何ですか?そのジョウって。」
 「なぁに、ソードルセイドに行ったことがあるのに知らないのか?」
 百鬼がスレイに畳を説明している間に、リュカとルディーは飛び跳ねるようにしてソアラのベッドに飛び乗った。一方ミキャックの側にはすぐさまバットとリンガーが歩み寄ってなにやら話しかけている。
 「まとまりねぇなぁ。お?」
 つい癖か、サザビーは煙草を取り出し、それをフローラに掠め取られた。
 「いまのここは病室よ。」
 「おっとそうだった。」
 「健康のためにもこれは没収。」
 「おいおい〜。」
 「コホン。」
 伏し目になって皆の様子を見ていたレミウィスが一つ咳払いをした。
 「宜しいですか?」
 それを見て百鬼たちは語らうのをやめ、子供たちもソアラに促されて彼女の隣に座り込んだ。
 「ミキャックさんってぇ___うっ。」
 下心丸出しでミキャックに話しかけ続けているリンガーの首に、細身の植物が巻き付いた。
 「申し訳ありませんね、不躾で。」
 「い、いえ。」
 漸く部屋に静けさが戻り、レミウィスはもう一度咳払いしてから語り出した。
 「さて、病床のミキャックさんには大儀でしょうが、少しお話を伺わせてください。」
 「ええ。」
 ミキャックは側にいたサザビーの肩を借りて半身を起こした。美女とのきっかけは逃さないサザビーの抜け目なさが光る。
 「まず、この城のこと、あの扉の向こう、そして光の源からよろしいですか?」
 簡単な会釈を経て、レミウィスは質問を始めた。
 「その前に自己紹介を___私はミキャック・レネ・ウィスターナス。ご覧の通りの有翼人、天族です。」
 天族という名を聞いただけで魔族と相対する存在であることがよく分かる。魔族は闇を好み、天族は光を好む。それだけで両者の距離がいかに離れているのかが伺える。
 「私は天界から三元世界を見下ろす竜神帝より、栄光の城の統制を任されています。」
 それにはレミウィスやサザビーも驚いた顔をした。この若き淑女がいわば前線基地の指令官だったとは。
 「ソアラをはじめ皆さんには感謝しています。私の失態で栄光の城より光を奪われ、闇に没した地界を元の姿に戻してくださいました。」
 「いやそう感謝されると照れちゃうね。」
 「単純。」
 少し顔を赤くしているライをサザビーがからかう。
 「俺たちはただアヌビスを倒すための最善の手段をとってきただけさ。それにまだ全てが解決したわけじゃないしな、感謝されるには早いよ。」
 百鬼の正義感溢れる言葉にミキャックは心が疼いた。なるほどソアラとは馬が合いそうだと彼女なりの想像をする。
 「この光の源は地界で隆盛になろうとしていた魔の手の者を抑制するために、竜神帝がその輝きを込めた宝玉です。」
 ミキャックは竜の社でソアラに説明したことを繰り返していく。アヌビスへの抑止弁として栄光の城、そして天族がこちらへとやってきたこと。今の光ある地界は本来の姿だが、アヌビスの闇に犯されないためには栄光の城が輝きの力を取り戻す必要があること。光の源をディック・ゼルセーナに奪われ、ミキャックが竜の社に居続けることとなった経緯___
 「しかし五年ですか___解決策を知っている天族が天界から加勢に来ることはできなかったのですか?」
 棕櫚の問いかけにミキャックは首を横に振る。
 「闇がただの夜ならそれもできたでしょう。でもあの闇はアヌビスの闇。天族が入り込むにはあまりにも酷な環境なのです。」
 「竜神帝ってのは?天界からこっちにくるとか。」
 「帝は天界を離れられないよ。」
 肩を貸したまま親しげに問いかけるサザビーに、ミキャックも口調を崩した。
 「アヌビスが地界に居を構えたのはずいぶん前だけど、帝にはそれが意外だったくらいなんだ。あ、いや___」
 「気にすることないよミキャック。」
 ソアラの言葉に少しはにかんでミキャックは続けた。
 「帝はアヌビスが天界にやってくるものだと思っていた。闇の者たちが巣くう世界の動きを感じて帝は天界の警戒を強めたんだ。でもアヌビスは地界を狙った。」
 「でも___いきなり竜神帝の側ってのはさすがのアヌビスも怯んだんじゃないかしら。外から追いつめていくのは常套手段だと思うけど___」
 「竜神帝がアヌビスに勝てる力を持っているならね。」
 「え!?」
 ソアラがあっけにとられた様子で思わず声を上げた。それは皆にしても同じだろう。光の神、それも自らの君主がアヌビスに勝てないとは大胆な発言だ。
 「帝は己が持てる破壊の力の全てを、遠い昔に自らの手で封印したのよ。」
 「なんで?」
 「その力のために大いなるものを失ったから___帝はそうとしか語ってはくれないわ。とにかく、竜神帝が持てる神の英知、そして光の輝きは失せることがない。でもその雄々しき竜の姿、そして闇を滅する神の力は捨ててしまっているのよ。」
 なるほど、それならばアヌビスが地界を選んだのは合点がいかない。
 「武器を持たない相手に極端な慎重策か、確かに不思議だな。」
 百鬼が腕組みして呟く。
 「一気に竜神帝を攻め立てた方がいいような気がするよね。」
 「それがアヌビスなのよ。」
 ライの声にかぶせるようにして、ソアラはシーツをくっと握りしめながら言った。
 「アヌビスが求めているのはただの勝利じゃないわ。なんていうか___目的だけを見て近道するより、遠回りして、道草食って、何か見知らぬものを見つけることを楽しんでいるのよ。例えば竜の使いとかね。」
 アヌビスは回りくどい男であり、飄々とした男であり、芝居の好きな男である。そうしてはぐらかしながら新しい興味を見つけ、利益を得て、野心を高めていく___
 私たちはそれに翻弄され続けている。
 「考えてもみなさいよ、アヌビスは私をヘル・ジャッカルに連れ込んで、こともあろうか鍛えたのよ?でもそれだって、きっと彼にとって何らかの利があるからなんだと思う。」
 そう、まるで竜の使いを呼び込むような真似をしているあの男のやり方。何かがあるはずなのだ。恐らくはライディアの口走った「骸を差し出せ」というところに鍵があるのだろう。
 「剣豪に挑んでこそ剣豪への道は開かれる。」
 百鬼が呪文のように簡潔な言葉を口にした。
 「ソードルセイドの古い言葉さ___強敵に相対することで自らも鍛えられるってな。」
 「邪神がそんなに殊勝な心がけの男かね?竜神帝が本当に力を失ったのかどうかが怪しいから慎重になってるんじゃないのか?その方が現実的だ。」
 パンパン。レミウィスが手を叩き、憶測が広がるばかりの会話を断った。
 「話を戻しましょう。いま肝心なのはこの城に光の源を戻すことです。」
 「それはそんなに難しいことじゃないわ。ソアラがいればね。」
 「あたし?」
 ミキャックは横にいるソアラに振り向き、大きく頷いた。

 やってきたのは栄光の城の中心部、吹き抜けからは美しい西日が差し込み徐々にではあるが不燈火虫の光も感じ取れるようになってくる。その謁見の広間にソアラたちはやってきていた。赤い絨毯の奥、壁には凛々しい竜の浮き彫りがある。ソアラが竜神帝を感じたあの素晴らしい彫刻だ。
 「ここよ。」
 浮き彫りの竜は口を開けている。ミキャックはその牙と牙の狭間を拳で軽く叩いた。すると彼女の手は竜に食いつかれたかのように壁にめり込んでしまう。
 「またあの幻影っすか。ワンパターン。いでっ!」
 リンガーの額をバットが指で一突きした。
 「ここにこれを差し込むのね。」
 光の源を手にしたソアラは、ゆっくりと竜の口にその冴えない水晶を押し込んでいく。
 「!」
 変化はすぐに起こった。ソアラの手の向こうで光の源は朧気に輝き始め、そればかりか浮き彫りの竜の目に白い薄明かりが入ったのだ。
 「さあソアラ、竜の力を発揮して光の源にできる限りの輝きを送り込むのよ。そうすれば源は城に己の輝きを巡らせるわ!」
 ミキャックと意志の籠もった視線を交わし、ソアラは力強く頷いた。
 ソアラは感じていた。それは神の感触。光の源により、きっとこの城の何かが劇的に変わり、そして重大なことが起きる。
 「よし___!」
 大いなる期待を胸に秘め、彼女は黄金へと変わった!



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