2 闇に目覚めよ
戦いは壮絶だった。先に仕掛けたのはソアラだ。
「はっ!」
ソアラはライディアに右手を突き出す。五本の指、その先端がそれぞれに輝き、剥き出しの魔力そのものがライディアを襲った。一つずつ、ライディアの回避する方向を先読みして光弾が床に壁にと大きな歪みを刻んでいく。
「っ!?」
だがライディアは瞬時に現した魔力で氷の結晶を生み出し、それをソアラの光弾にあわせて投げつけた。弾けた氷の結晶で光が乱反射し、ソアラは顔をしかめた。
「甘いよ。」
一瞬の隙だ。ライディアはソアラとの距離を一気に詰め、拳を放った。ソアラは半身をよじってやり過ごし、そのまま体を回転させて強烈な後ろ回し蹴り。
「フフッ。」
ガシッ。手応え充分だったが、ライディアの腕、いや掌がソアラの踵を押さえていた。スピードに乗ったキックを彼女は片手で受け止めて見せたのだ。
「!」
驚く暇すら与えず、ライディアがソアラの立ち足を払う。さらに仰向けに倒れたソアラの鳩尾に強烈な拳をたたき込んだ。
「かっ!」
息が詰まる。とてつもなく強く、重い拳の直撃にソアラは喘いだ。
「痛い?大丈夫よね?竜の使いなんだもの。」
余裕がある。ライディアはソアラの頬に手を触れ、にっこりと笑った。
「ああ___まだなんてことない!」
ソアラはつられるように強気な笑みを浮かべ、自由になった足でライディアの臑を痛打した。怯んだ隙に顔面に呪文を浴びせて飛び退き、一気に距離をとった。
「これが竜の使いなのか___」
ソアラはライディアに自分の姿を重ねていた。回し蹴りをびくともせずに受け止めた片手。あれほど強固で頑丈なガードははじめてだ。それがあの華奢な腕から生まれたものとはとても思えない。そしてあの重い拳。メリウステスの一撃よりもよっぽど痛烈で、甚だしい圧力を持っている。それを生んだのもあの細い腕だ。そして、自分も頑丈だとは思えない体でその攻撃を受けて、平気でいられる。
今まで実感はなかったが、同族を相手にしてはじめて確信できた。竜の使いはあまりに異常で化け物じみた生き物だと。
「いつつ___ったく、容赦ないね。せっかく人が同性のよしみで顔には攻撃しなかったって言うのに。」
ライディアはすすけた顔で愚痴をこぼす。黒っぽい汚れは竜の輝きに飲まれて剥がれ落ちていった。
「そんな気遣い無用よ。」
「そう?まあ顔の汚れを気にしてちゃ戦いなんて出来ないものね。」
口だけは互いに友人の戯れのよう。しかし動きは違った。戦いはかつてないほどに壮絶で虚々実々。ソアラが拳を放てばライディアがそれを引っ張り込んで逆の手で裏拳を見舞う。だがソアラも負けじと仰け反った勢いに任せてライディアの顎を蹴り上げる。
とにかく互いに一歩も引かない。ダメージなど意にも介さず、叩かれてもすぐに次の行動に移っていく。
「!___いけない。」
あまりの凌ぎあいに目を奪われていたミキャックは、ハッと我に返った。ぼーっと見ている場合じゃない。ライディアがソアラとの戦いに熱中しているうちに、光の源を栄光の城に届けなければ。
(よし!)
ライディアは彼女のことなど見向きもしない。ミキャックは簡単にフロアから脱出し、久方ぶりの外に向かって駆けた。ただ一つだけ___
(ソアラ___すぐに戻ってくる!)
彼女は翼をイメージした髪飾りを外した。それはクリスタルだろうか?水晶でできた小さな羽が三つほど合わさった可愛らしい髪飾り。ミキャックはその一本をへし折ると、一念を込めて通路に置いた。
少しの時が過ぎた___
死闘は一瞬の休閑を向かえていた。互いの凌ぎあいは壮絶に見えたが、未だに両者ともほとんど出血がない。息の乱れもすぐに修正できる。なぜだろう?疲労、消耗は限りなく小さかったのだ。
変?いや違う___変なことじゃない。
「変ね。」
そう言ったのはライディアだった。
「あたしの攻撃もあなたの攻撃も凄まじい破壊力のはずなのに___何でこんなにピンピンしていられるのよ?」
ライディアは分かっていない。だがソアラは感づいていた。
「分からないの?」
口調も表情も紫の時とあまり変わらない。この力に慣れてきたソアラは、同時に力を理解しつつもあった。
「何よ、癇に障る言い方ね。あんたは分かっているとでも言うの?」
それは本当の竜の使いなら教えられなくても自覚できることなのだ。
「分かっているわ。理由は簡単。」
ソアラは表情を強くしてライディアを見据えた。
「力の性質が同じだからよ。炎と炎がぶつかり合ってもそこに生まれる衝撃は大したものではないわ。元の炎に及ぼす力もね。」
ライディアは口をとがらせ、すぐに反論する。
「破壊力に性質は関係ないわ。たとえ魔族同士で殴り合ったって、殴られれば痛いじゃない。」
「違うわライディア。竜の使いになったときにあなたの体を覆うオーラ、つまり力の波動を自分で見たことはないの?」
「なに___?」
ライディアは自分の体を眺めてみる。黄金の光がまるで羽衣のようになびいている。それはソアラも同じ。
「あなたは魔族だから、本来は闇に性質を置いている。でも竜の使いは違うわ。見ての通り光の性質を持っている。つまり普段のあなたは闇でも、竜の使いになると光になってしまう。そして同じ光である私たちがぶつかり合っても、オーラがダメージを吸収してしまうのよ。」
ライディアはハッとする。確かに今の自分には闇を感じさせる要素が何もない。強いてあげればこの黒いアンダースーツだけ。
「あたしたちは肉体で戦っていたんじゃない、竜の使いの力、光のオーラをぶつけ合って戦っていた。竜神帝は光にまつわる神であり、竜の使いはその継承者。肉体で敵を滅するんじゃない、オーラで戦うのがあたしたちなんだ。」
竜の使いであるとき、二人が純然たる拳でぶつかり合うことはない。この光のオーラを自在にコントロールできるほど二人は熟練されていないから。
「つまり___」
ライディアは拳を握りしめて歯を食いしばった。
「あたしは竜の使いの力に飲まれているってこと!?あたしがこの力を操っているんじゃなくて、あたしがこの光の拠り所になっていると!?」
「そうなるかもしれないわ。だって今のあなたには魔族の面影が一つもない。」
ライディアはきつく目を見開く。眼力に込められた魔力が風圧を巻き起こし、無抵抗でいたソアラの体を大きく弾き飛ばした。しかしソアラは衝撃に顔を歪めるでもなく、背後の壁の手前で踏みとどまった。
「無駄なことはよしましょうよ。」
ソアラが光を消した。紫色の瞳に戻るとそれでも幾分顔つきが穏やかになった。彼女は後輩に諭すかのように優しく話を続ける。
「強い光の力を持つ竜の使いは、邪悪な闇の力に対しては抜群の能力を発揮する。反面、光同士のぶつかり合いは出来ない。つまり、竜の使い同士が戦うことなんて出来ないのよ。たとえあたしたちのように敵対関係であったとしても___」
ライディアは自分の拳を見つめてわなわなと震えていた。憤りが滲み、敏感になっていたソアラの感覚を夥しい嫌悪感が擽る。しかしその憎悪は突然にフッと途絶えた。
「なによ___」
同時にライディアからも光が消える。血のように赤い瞳は憎しみと落胆の滴で濡れていた。
「___なんなのよそれ___」
そして一度堅く目を閉じて潤いを絞り出し、ソアラを睨み付けて言い放った。
「それじゃああたしの苦しみは無駄だったの!?」
ソアラは驚くと同時に、ライディアを哀れに思ってしまった。彼女はとても多感で、感情を隠さない。でもまさか泣くとは___
それほど彼女は竜の力を得るために苦しんだのだろう。
「あんなに、あんなに苦しい思いして!やっと八柱神に、アヌビス様の側に、ラングと同じ場所にいられるようになったのに!この力じゃあんたを倒すことだって___ましてや竜神帝を陥れることなんて出来やしないって!?」
強さを求める理由とは何か?理由はいらない___いや、それは蛮族の言葉だ。
愛するものを守るための、もしくは奪うための強さ。自分の偉大さを誇示するための強さ。強さを求めることが生き甲斐になってしまったものには理由なんて無いかもしれない。
ただライディアには理由があった。
アヌビスに認めてもらい、恋人ラングの側にいるため___
それはソアラも知っていた。
___
「ああ、あいつはラングだ。」
「ラング___たしか八柱神でしょ?」
ソアラはヘルジャッカルでのアヌビスとの会話を思い出した。
彼女はラングとは二言三言挨拶を交わした程度で、面識はなかった。その第一印象は無味。顔つきにも態度にも血の気はなく、普通だった。とびきり無表情で感情に乏しい。あの個性集団の中ではあまりにも控えめに思えた。
だがラングは八柱神だ。そしてアヌビスはこう言った。
「八柱神の人選にはそれなりに悩んだが、あいつだけは絶対にはずせない。」
「へぇ___そんなに凄い人に見えないけどなぁ。」
そんな短いやり取りだった___
ライディアはラングのことを愛している。しかし、エスペランザに聞いた話ではラングは彼女のごっこにつき合っているだけだというのだ。ライディアはかつてラングに戦いを教わっており、二人の間にはある約束があった。
ライディアが八柱神になれたら、ラングは彼女の恋人になる___
エスペランザはこうも言っていた。
ライディアさんがあそこまで一途になる理由が分からない。彼女の美貌ならお淑やかにしていれば男の方から寄ってくるだろうに。
「恋ってそういうものじゃないわ。一途なのは素敵なことよ___」
そう、確かそんなことを言った。
しかし___ラングと結ばれるためだけに、彼女が自分の命も省みずに竜の力を受け入れたというのは納得がいかない。だって彼女はもっと理性的な人だ。
___
「せっかく手に入れた力もパァ___魔族のままでは雑兵は倒せてもあんたには歯が立たない___こんなんじゃ八柱神に居場所がなくなっちゃうな___」
ライディアはついにその場に座り込んでしまった。今のままでも竜の使い同士の戦いができないだけで、彼女の強さに偽りはないのだが___その落胆ぶりは異常だった。
「ライディア、とりあえず落ち着きなさいよ。」
錯乱状態のライディアにソアラが慰めの言葉をかける。敵を慰めるのも不思議な感じだったが、彼女が竜の使いであるがゆえの苦しみを味わっているのなら、同族としてこのままにはしておけなかった。
「ね、別に全てが無駄だった訳じゃないんだし___」
ソアラは顔を伏せているライディアに近づいてそっと手をかけた。
パンッ!!
その手をライディアが強く叩く。そしてソアラを睨み付けた。
「無駄よ!あんたと戦えなかったらあたしなんてなんの意味もないわ!」
「え?」
意外な一言だった。
「アヌビス様は自分の前に竜の使いが立ちはだかるであろうことを悟っていた!私の力の源となった使いが現れ、多くの魔族やモンスターを滅していったときにアヌビス様は思ったのよ___目には目を、歯には歯をってね!」
錯乱と興奮のためか、ライディアはあまりにも饒舌。
「この力をもらう前にアヌビス様は言ったわ___これだけの力を与えるのだからそれに見合うだけの働きをしろ。もし俺の目の前に竜の使いが現れ、おまえと相まみえることになったなら、必ず仕留めろ。そして躯を俺に差し出せ。それが出来なければおまえの骸が俺の前に横たわる___!」
ソアラにとってもそれはショックだ。アヌビスは竜の使いを待っていたということになる。そして「骸を差し出せ」という言葉___これは何を意味するというのだ?
「アヌビス___」
ソアラはあの飄々とした黒犬の姿を思い浮かべる。あの姿、馴れ馴れしい態度、知らぬまに自分の心には隙が生みつけられていた。ライディアも、ラングへの思いを利用されたに違いない。
(あいつの狙いは何だ___ライディアの話を聞いていると、あいつは竜の使いが現れるのを待ち、それを自らの元へ呼び込みたがっているように思える___)
ソアラは漸くアヌビスの本性を垣間見た気がした。奴の狙いが何かは分からない。だがきっとアヌビスは、竜の使いについてソアラも知らない何かを知っている。
「捨てられてなるものか___!」
突然ライディアが立ち上がった。真っ赤に燃える瞳は彼女が赤竜であったことの証。竜の使いではなく、魔族として、モンスターとして彼女の瞳は殺意剥き出しだった。
「説得は無理か___」
ソアラは口惜しそうにライディアから離れた。竜の力を露わにする。
「く___」
そのソアラを見て、ライディアは怯んだと同時に少し冷静になった。
竜の使いの強さは良く知っている。たとえこの状態で全力を振り絞っても結果は残念ながら見えていた。
このままでは勝ち目はない。だが竜の使い同士での戦いは決着が付かない。しかし彼女はソアラを仕留められなければ駄目だ。
どうしたらいい!?
活路は見えない。苦悩で頭が混沌とする___そのときだった。
『竜の使いは光の戦士ではない___』
ライディアの脳裏に声が響きわたった。
「な、なにこれ___?」
『光あるところには常に闇があるのだ___』
聞き覚えのない声だった。澄んだ、それでいて威厳ある女性の声。
『娘よ___おまえは一人の男を想うためだけに、全てを捧げるのか___?』
「あたしはラングを愛している___彼の側にいられるならどんな苦境だって!」
?___ライディアが何か呟いている。ソアラは不審に思いながら状況を見守っていた。
『その強い意志が、己を茨の道を歩ませようとも後悔はせぬか___?』
「しない。ラングがあたしを好きだといってくれるなら、後悔なんて無い!」
『___良いだろう。その情熱を忘れぬと誓うならば___おまえを変えてやる。』
ライディアは声の主について深く考えることはなかった。その言葉の意味も決して全て理解できるものではなかった。だがこの声には逆らえない、絶対的な何かを感じていたのも事実だ。
従って損はない。結論は一つだった。
「誓う、誓うわ。ソアラを倒せるなら何でもいい!」
『ならば___ジェイローグの娘を食いつぶせ。おまえは我が娘となるのだ。』
その変化は突然だった。身の毛もよだつほどに、全身を取り巻く感触が変わった。
竜の力が自然に呼び起こされる。燃えるように熱く、黄金に目映い力ではなかった。
冷たく、虚無的で、黒い息吹に満ちあふれていた。
「!」
ソアラも自らの眼を疑う。目の前にいたライディアは黄金に輝いていない。銀色、時折黒の流れを乗せて、銀色に輝いていた。
「分かった___分かった気がするわ。」
ライディアがゆっくりとした口調で言った。顔つきに冷静さが舞い戻っていた。自分の本当の居場所を見つけたような、落ち着きの中に充実が溢れている。
「竜の使いは光だけのものじゃない___私は闇の竜の使いになれた!」
ライディアが一際輝きを増す。ソアラの光のオーラが凍てつき、激しく揺れ動いた。
(なんなのこれ___!?)
意味が分からない。ライディアの変化は竜の使いのそれなのに、彼女を取り巻く銀のオーラは黒く彩られている。不気味さからか、ソアラは冷や汗を感じていた。
「___」
光と闇は表裏一体。情熱を糧に強さを追い求め続け___何が起こったのか知らないが、とにかくライディアは竜の力を我がものとした、それだけは事実だ!
「なかなか戻ってきませんね。」
栄光の城のあの扉。あらかたの捜索を済ませたレミウィスが、百鬼と共に扉の前でソアラの帰りを待っていた。
「この向こうにはいったい何があるんだ?」
「分かりませんが___小さな魔導口のようなものだと思います。」
それを聞いた百鬼が肩を竦めた。
「な、なに!?じゃあソアラはどっか遠い場所に___!?」
「いえ、そこまででは___ヘヴンズドアレベルの空間移動だと思いますよ。」
レミウィスは落ち着いた声色で扉に触れた。
「とにかく、私たちではどうすることもできません。」
「う〜___早く帰ってこいよぉ。」
百鬼は落ちつきなくその場で足を揺らしはじめた。レミウィスはただ静かに床に腰を下ろし、時を待っていた。
「___」
沈黙が続くと百鬼は足を止め、ただ黙って一点を見つめているレミウィスを横目で見た。
(声は___かけねえほうがいいのかな。)
下手に慰めてもいいものか___微動だにせず虚空を見つめるレミウィスは、きっとナババのことを思っているのだろう。
あれから皆で彼女に慰めの言葉をかけたが、彼女はすぐに気丈に振る舞い、むしろ心配させまいとする健気さだけが目についた。年長者として、リーダーとして、まるでナババの死を些細なこととでも言うような虚勢には心が痛んだ。
「気にしないでください。」
嘘のうまくない百鬼だ、彼女の心中を気にしているのが顔に出ていたのだろう。レミウィスは彼に寂しげな微笑みを送った。
「でも___ん?」
百鬼が何かを言いかけたそのときのことだ。扉の中央の微かな隙間から、光がこぼれ始めた。
「帰ってきたのか!?」
彼は思わず笑顔を覗かせるがそれもつかの間、勢い良く開いた扉からは見たこともない人物が飛び出してきた。
「はあっ!はあっ!」
飛び出してきたのは他でもないミキャックだった。彼女は酷く息を切らして倒れ込むように四つん這いになってしまった。彼女を知らない二人は暫く驚きで声すら出なかった。
「つ、翼だ___」
ボロボロになっていて跡形でしかないが、最初に百鬼の口をついた言葉がそれだった。
「有翼人___」
驚いていたレミウィスも、彼女の全身の血痕に冷静さを取り戻した。
「大丈夫ですか?」
しゃがみ込んでミキャックに回復呪文を施す。ミキャックは次第に息を落ち着かせ、一通りの汗を拭った。ライディアに受けたダメージもようやく失せていった。
「___あなたたちはソアラの___?」
「ソアラ、ソアラを知ってるのか!?」
百鬼の強い問いかけにミキャックは顔を上げ、確信の笑みを覗かせた。
「あなたはきっとソアラの恋人だね。彼女は今遠い場所でライディアという八柱神と戦っている。」
「ライディア!?」
「ありがとう、もう十分に癒えました。」
レミウィスに礼を言って立ち上がる。
「私もすぐに加勢に行きます。でもどうしてもこれだけはここに持ってこなければいけなかった___」
ミキャックはしっかりと握りしめていた冴えない水晶をレミウィスに手渡した。レミウィスは研究者の顔になってそれを食い入るように覗き込む。
「これは___」
「光の源。この世界の光をより確かなものとするための___竜神帝の輝きです。絶対に失われないように持っていてください。」
レミウィスはしっかりと頷いた。
「ソアラは戦っているんだろ!?俺もその場所に連れていってくれ!」
百鬼はミキャックの手を取って強く訴えるが、彼女は彼の手の甲に、まるでナイトが主人にそうするように、跪いて口づけした。
「心配しないで。ソアラは必ず、私の命に代えても生還させます!」
呆然としている百鬼をよそに立ち上がったミキャックは、先ほど現れた扉に手を触れた。手と扉の間には、あの髪飾りが押し当てられていた。
「翼よ!」
ミキャックは羽に乏しい翼を広げた。それでも十分に勇壮な姿。
「我を導け!」
そして高らかと叫ぶなり、彼女の姿は二人の前から消えた。残ったのは微かなきらめきと数本の柔らかな羽だけ。
「あれが有翼人___」
残されたレミウィスは研究者の顔で呟いた。ふと見れば、百鬼が少し気の抜けた顔で、床に落ちた羽を見ていた。
「百鬼さんって___惚れっぽいですね。」
レミウィスは伏し目でニヤリと笑った。
「え!?い、いやそんなことはねえぞ!」
百鬼の否定の仕方はあまりにも大げさだった。
「ほらほらどうした!?」
「くっ!」
竜の使い同士の戦いは壮絶を極めた。互いに相反する力のぶつかり合いは必要以上の衝撃を生み、劣勢にあるものをさらに苦しめる。
「フフッ!」
「うあっ!」
先程は踏みとどまることが容易だった眼力でさえ、ソアラの体を激しくいたぶる。圧倒的にソアラの劣勢。竜の力を発揮できるようになってからはじめての大苦戦だった。
「随分と差がつくものだね。」
壁に体を打ち付け片膝をついて蹲っているソアラを後目に、ライディアは悠々と語りだした。銀色の輝きの中には夥しい闇が波打っている
「それだけあたしたちの間にはセンスの差があったってことかしら?」
少しでも休める時間、考える時間が欲しかった。ソアラは立ち上がろうとはせず、どうしたらこの状況を打開できるのか思案する。
(力量に差があるわけじゃない___)
それがあれば、光同士のぶつかり合いでも多少の優劣はつく。光は互いのダメージを相殺するが、それでも圧力までは消してくれないのだから。
ではなぜこれほど追い込まれているのだろう?攻撃をすれば簡単に弾き返され、ライディアの攻撃は防ぐことができない。
「っ___」
「気づいた?」
目を凝らすまでもなく、ライディアが指先に輝きを蓄えているのが見えた。
「!」
放たれた銀の光は圧力の固まりとなってソアラを襲い、曲線を描きながら彼女の顎をかち上げるような軌跡で命中した。強烈なアッパーにソアラの体は伸び上がり、立位で壁に凭れるような格好となった。
「休んでいたみたいだから立たせてあげたのよ。感謝してね。」
ライディアは笑っていた。明らかな嘲りの顔を睨み付け、ソアラは口元を拭った。少しだけ弱まっていた黄金の輝きを強くする。
「なるほどね___」
なぜ劣勢なのか?ソアラは自分なりの答えを今の攻撃で導き出していた。
今の光はライディアの竜の力。オーラを弾丸に変えて放ったもの。ただ、それだけならソアラにもまねごとはできるかもしれない。しかし___
光の球に椀型の軌跡を描かせ、顎の下へ潜り込ませるなんて真似はできない。
「どうしたの?しゃきっとしなよ。」
再び衝撃弾。今度は回避することが出来たが壁に生じた大きな亀裂がその破壊力を見せつける。ライディアは簡単に、しかも正確に力を扱っていた。
スキルの差か?それもあるだろう。だがそれ以上に経験の差だ。
(闇でありながら光の力を使いこなしてきたライディア___その彼女がここに来て闇の力を手に入れた___)
鬼に金棒。ライディアにとって竜の力はとても扱いやすいはず。ようやく言葉や顔つきを抑制できるようになったばかりのソアラとは、「竜の使いへの慣れ」に雲泥の差がある。ソアラは先天的な竜の使いと言っても、それに気づくのが遅すぎた。
ライディアと比べてあまりにも未熟なのだ。
(その状態でも勝つためには___どうしたらいいか?)
一撃必殺しかない。
光と闇、言うなれば炎と氷の激突。渾身の一撃は間違いなくライディアを撃破するだけの威力を生むはず。全霊を込めた一撃をライディアに確実にたたき込む。ソアラが逆転するにはそれ以外の方法はなかった。
「よし___」
「やっとやる気になったね。」
狙いは決まった。あとはチャンスを作るだけ。ソアラは虎視眈々の面持ちで身構えた。 「もう少し楽しませてよ。」
ライディアは黒い輝きを炎のように溢れさせ、尋常でないスピードでソアラに襲いかかった。ソアラは逃げることはせず、壁を背にしながら地に足をしっかりとつけて防御に徹する構え。
激しい爆音。いや、光と闇がぶつかり合う度に爆発音に似た轟きが巻き起こる。
「くっ!」
力の衝突に堪えられなくなったソアラは、弾き出されるように横へと飛んだ。しかしそれを追跡するようにしてライディアが突っ込んできた。
「弱いね!」
「!!」
体勢の整わないソアラにライディアの鋭い手刀が襲う。身を捻って交わそうとするがそれもかなわない。
「ぐっ!」
剣より鋭い右手がソアラの左腕を深く切り裂く。飛び散った鮮血は二人の狭間で巻き怒る熱により、すぐさま粒となって消えた。
「まだまだ!」
次は左手。避けられない___ソアラは致命傷を避ける術を捜さなければならなかった。
「!」
突然、ライディアが攻撃をやめた。大きな舌打ちをして驚異的な瞬発力でソアラから飛び退く。入れ替わりで、強い魔力の篭もった拳がソアラの目の前を過ぎ去った。
「ちっ___」
ライディアに命中しなかった拳の内側で、魔力が燻ってプスプスと音を上げる。尻餅をつきかけて踏みとどまったソアラは、困惑の面持ちで拳の主を見つめた。
なんて律儀な___ソアラは嬉しい反面、悔やまれる思いだった。
「死に損ないのくせに、出しゃばりな女。」
ミキャックはまるで姫を守る衛兵のように、ソアラの前へ敢然と立ちふさがっていた。羽根飾りに込められた魔力は扉のヘヴンズドアに共鳴し、彼女を一瞬でここに運んだ。
「ミキャック、なぜ戻ってきたの!?あいつはあなたじゃ太刀打ちできない___」
「私はこの塔を、あなたを守るのが役目よ。」
傷こそ塞がっているが痛々しい姿は変わらない。ミキャックはそれでも勤労者だった。
「そんな忠義のために無駄死にしてもいいっていうの!?早く城に戻って!」
もう誰も死なせたくはない。エスペランザ、ネスカ、フェルナンド、アイルツ、イェン、そしてナババ___
思いがソアラの口調を強くする。
「ソアラ、私はあなたが生き延びられるのなら捨て石にだってなる。」
なぜそこまで!?ソアラにはミキャックの信念が理解できなかった。
「駄目よ!」
ミキャックを押しのけてソアラが前に出た。
「誰かのために捨て石になっていい人なんていないわ!誰だって同じだけの価値と命を持っている___竜の使いだとか天族だとかそんなの関係ない!」
だがミキャックはソアラの襟を乱暴に掴むと、強引に自分の後ろへと引き込んだ。
「あたしは竜神帝に尽くさなければならない!世界のためにはあたしが生き延びるよりも、ソアラが生き残ることが大切なんだ!」
ソアラはこんな女を前にも見たことがあった。頑なに、自分のためでなく誰かのために生きる女。それを彼女は、あなたは生かされているだけだと叱咤した。
でも結局、北方の才媛をソアラは救えなかった。
「そんなの許さない!」
「黙れ!」
ミキャックの腕を捕まえたソアラに、翼の騎士は横顔を向けて厳しく言い放った。その厳格な視線にソアラはただならぬ気迫を感じる。
彼女をここまで追い込んでいるものは何だ?竜神帝から地界の維持を任されながらそれに失敗したことへの責任感?それともここで討ち取ったゼルセーナへの思い?
「はぁい、安いお芝居はやめてもらえるかしら?」
ライディアのはっきりとした声色が割って入ってきた。いつの間にか彼女はその右手に黒い輝きを結集させていた。夥しい力の発散がなかったために、ソアラもミキャックもまるで気がつかなかった。
「あたしはただ黙ってみているほど優しくないのよ。」
ゆっくりと、その右手が二人を照準に納める。いつの間にか黒い波動は床を這い、二人の足を傷んだ石床に縛り付けていた。
「どっちかが生き残るんじゃないわ___二人まとめてサヨナラよ!」
ゴッ!!
ライディアが力を解放した瞬間、圧力が変わる。上からではなく正面から、ライディアの方向から凄まじいプレッシャーがのし掛かってきた。風はないのだが、空気が壮絶な重みを伴ってソアラたちの体を圧迫しているようだった。
全身が痺れる。圧倒的な闇の波動にソアラの光が掻き消され、いつのまにやら彼女は紫色になっていた。
「な、なんて力___!」
ソアラの顔つきが歪む。ライディアの右手にはまだ夥しい黒が判然と居座っている。力はまだ放たれていない。つまり、予兆だけでこれ。
「竜波動!!」
ライディアが叫んだ。黒い力が彼女の手を脱する。それはライディアの竜の使いのエネルギーそのものだった。
「ディオプラド!」
同時にミキャックも叫んだ。その腕を、圧力に歪めながら目一杯の力でソアラに向けて。
「ミキャ___!」
ソアラも叫びかけた。しかし声は自分の胸元で巻き起こった爆発にかき消される。加減のない爆発呪文は彼女の胸に激しい衝撃をもたらし、その体を悪魔の照準から大きく弾き飛ばした。
「帝よ___我が心の父よ___あなた様のため、これが出来る精一杯の恩返し!あなたの血を継ぐ若きドラゴンを救うため___我に今一度力を!!」
ミキャックは自らの眼前で槍を縦に構える。
「我が命の灯火よ!全身全霊を以て偽りの竜を滅せよ!!」
ミキャックの鮮やかな金髪が大きく広がっていく。槍に埋め込まれた宝玉が神々しい輝きを発して彼女の体を包み込む。フロアすら覆いかけた黒の中でその光は一際強い。
まるで竜の使いのようだった。
「今更あんたに何が出来るものか!」
ライディアの余裕は崩れない。だが驚きはしていた。
「ぐっ___ミキャック___」
不意のディオプラドに噎せ返っていたソアラも、彼女の姿に目を奪われた。
「我、天駆ける騎士。ミキャック・レネ・ウィスターナス。」
神々しい光はミキャックの体をなおも包んだまま。しかもその翼を甦らせ、さながら戦場の女神を思わせる。決して早くはないライディアの竜波動が彼女を飲み込むまでほんの一瞬、一瞬の復活だった。
「竜を守るために全てを捧ぐ!」
「洒落臭い!」
黒の輝きはより一層強さを増し、ミキャックを一気に食い尽くしていく。しかし闇の激流の中でミキャックは頑として槍を構え、未だに生気に溢れた瞳でライディアを睨み付けていた。彼女の光は闇に負けていなかったのだ。
「くっ___っ___」
しかしその力が及ぼす圧力まではどうなるものでもない。神秘性ではない、物理的破壊力が光の中のミキャックに直接ダメージを与えていく。押し負けるのは時間の問題だった。
「フフッ!凌げるもんか!竜の使いの力をただの天族がさ!」
ライディアは悪鬼らしい嘲笑を絶やさず、さらに突き出した右腕に力を込めた。
「うっ!?」
圧力が増す。ミキャックの全身で歪みが生まれていく。まるで石像の下敷きにでもなったように、腕が、足が、平常を保てなくなる。しかしそれでも、執念だけで彼女は槍を構え続けた。
「しつこい!」
ライディアが左腕を添えた。右手から放出されていた力が両手に変わる。ついにミキャックの構えが崩れた。槍が傾き、闇の流れが彼女の腰を掠め、血が噴き出した。
「終わり___なっ!?」
ライディアは気づいていなかった。ミキャックを倒すことだけに夢中になっていてもう一人のことをすっかり忘れていた。竜の使いの熱い血潮が冷静さを奪ったのか、紫色に戻っていたソアラの存在など眼中になかったのか___
「繊細な動きが難しくても___あからさまな力の放出だったらあたしにだって出来るはずだ!」
難しいことではないはず。かつてアモンの指導の元、魔力をありのままに放つ特訓をしたあのときの要領で出来るはずだ。力を___「魔力」から「竜の使いのエネルギー」に変えればいいだけ。
「うそでしょ!?」
ライディアがその存在に気づいた瞬間、ソアラも竜の輝きを発する。その右腕には黄金の光が凝縮されていた。
「ソアラァァッ!」
ミキャックの願いが篭もった叫び。彼女はライディアが放ちきった黒の波に食いつぶされ、見えなくなった。そしてソアラはその願いに答えるために___
「竜波動ぉぉッ!!」
竜の力のありのままを一気に放出した!
「そ、そんな___!!」
ついにライディアから余裕が消える。ソアラが放ったのは自分の竜波動とそっくりな白い波。その計り知れない破壊力は自分が一番良く知っている。波動がライディアを襲うまで、ほんの短い間___悪寒が、冷や汗が、震えが、涙が、一斉に襲ってきた。
足りないのは覚悟だけだった。
「うああああっ!!!」
覚悟なんて出来るはずもない。彼女には恋人だっている。でも体中が痛い。押しつぶされるように、引き破れるように全身が歪んでいく。
なぜこの短い人生で、こんな痛い思いを二度もしなければいけないのだろう?
何のために戦っていたのだろう?
アヌビス?
私はアヌビスのためにこの身を捧げていたのだろうか。彼の大願成就のために、彼の力となるために、こんな思いをしているのだろうか?
それは___あの天族の女と変わらないんじゃないのだろうか___?
いったい何だったんだろう私の命って___
何だったんだろう私の価値って___
ああ、ラング___
せめてあなたから愛の言葉を聞きたかった。私の片思いに嫌な顔もせずに答えてくれた生真面目なあなたは___私の願いに答えてくれても、あなたは私に愛を囁いてはくれなかった。
寂しかったのよ___私は___
こんなに強くなったのに___
自分を捨てて竜の使いになったのに___
もう___
光が広がっていくその中で、ライディアは覚悟を決めた。
フロアを覆っていた黒の全てが白に塗り替えられていく。壮絶な轟音。黒の衝撃から解放されたミキャックも壁に凭れ、微睡んだ瞳で全てを見届けていた。そして笑顔を残して力無くその瞼を閉じる。
___雌雄は決した。
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