3 豹変

 あまり感覚がつかめないがかなり下層まで来たと思われる。一際広いが飾り気のない空間へと二人はやってきていた。そこはだだっ広く、数本の円柱が規則的に並んでいるだけのフロアだった。
 「奴はこの先で死んだ。だから光の源はこの先にあると思う。」
 「この先って___行き止まりじゃない。」
 確かに今二人がやってきた壁を除き、どこにも先に進む道は見あたらない。袋小路だった。
 「幻影だよ。栄光の城にもあっただろ?」
 なるほどあの幻影はどうやら定番の仕掛けらしい。ただその構造については深く考えないことにする。
 「正面の壁の左隅に先に進む道がある。すまないけどソアラ、一人で捜してきてくれないか?」
 「え?あたしだけで?」
 「そこの幻影はちょっと特殊でね、外界との気配を完全にシャットアウトするんだ。だからもし魔の手の者がここに侵入してきても感じることはできない。ここの見張りはおろそかにできないから___」
 五年という時間、その全てを捜索に当てなかった理由もそれだろう。ソアラは納得して頷いた。
 「分かったわ。とりあえず一通り捜してきたらまた戻ってくるから。」
 ソアラは力強い微笑みを見せ、紫の髪を靡かせて走り去っていった。幻影をくぐり抜けると彼女の気配は空間から消え、ソアラもまたミキャックを感じられなくなった。
 ソアラを見送っている間は笑顔でいたミキャック。しかし急激にその表情が凍り付いていく。厳しく、一際気丈で孤独な戦士の顔に。
 「こそこそとしていないで出てきたらどうだ?」
 声色も沈着にミキャックは振り返った。言われるまでもないと、ライディアはすでに柱の影から出てきていた。
 「へえ、意外にやるじゃない。あたしがつけてきているの分かっててソアラを行かせたんだ。」
 ライディアはその美しい長髪に手櫛を通し、終始強気な笑みを浮かべていた。
 「でも___」
 彼女はまだ露骨な邪気を表さない。皆とはじめて出会ったときもそうだったが、その存在感だけで相手を威圧する。
 「たった一人で残ったのは利口じゃないね。」
 だがその視線に殺気が籠もると存在感は邪気のベールを身に纏い、より迫力を増した。
 「吠え面かくな___」
 ミキャックも負けてはいない。はじめからこうなることを予想していたかのように、彼女は槍を手にここまで来ていた。
 「勝算があるから残ったんだ。」
 厳しい視線がぶつかり合う。凍てついた殺気。ミキャックに気負いがないのは顔色だけではなかった。それがライディアにはおもしろい。
 「フフフ、あなたは私の力を分かっているから一人で残ったんじゃないの?」
 ライディアを睨む視線は不動だ。彼女の言葉に感応することなく、自分の使命だけを見つめるように。
 「ソアラでもあたしには勝てないと思ったんじゃないかしら?せめて光の源だったかしら?それだけはソアラの手に託そうってことじゃないの?」
 「いつまでその無駄口がたたけるか?」
 ミキャックの槍が虚空を切る。背中の翼を大きく広げてライディアに向かって一直線に床を蹴った。
 「ふっ。」
 ミキャックの速さはライディアの予想を上回るものだったが、彼女は素早く後方に飛び、簡単に槍の切っ先をやり過ごす。まだ両手すらマントの中だ。
 「ストームブリザード!」
 片手で槍を振るい、ライディアの動きを牽制しながら呪文を放つミキャック。マントの縁を氷に切り裂かれて薄紅の八柱神は僅かに笑みを殺した。ミキャックは一瞬動きの緩んだライディアに、ここぞとばかりに槍を横凪にする。しかし刃は俊敏に身をかがめたライディアの髪を少し切り落としただけ。見透かしたような切れ味で懐に飛び込まれ、逆に腹に抉り込むような一撃を受けた。
 「くぅ___」
 渾身ではないにせよ痛烈な一撃にミキャックは顔を歪めた。
 「的が大きいから当てやすいわ。」
 拳をしなやかなミキャックの腹に押し込み、ライディアは彼女の重みを感じながら呟いた。
 「貴様!」
 ミキャックの膝蹴りを飛び退いて回避し、すぐさま跳躍すると強烈な回し蹴り。しかし今度の攻撃は槍の柄によって受け止められていた。
 (なんて力___!)
 槍を握った手先が痺れる。細身で、自分よりもよほど小さな体から繰り出されたとは思えないほど重く、速い攻撃だった。
 「ディオプラド!」
 ミキャックは呪文で爆発を引き起こし一度ライディアとの距離を取った。爆炎の向こうでライディアは依然として余裕を見せている。

 音がない。聞こえるのは己の靴音、服がこすれる音、吐息___
 気配を感じないことも含め、幻影の向こうは全くの別世界だった。
 そして___
 「複雑に考えることもない___」
 ソアラは洞窟の奥底までやってきていた。そこには小さな祭壇があり、その向こうには地底湖が広がっていた。水は小さな破門を生じ続け、少し濁っていた。
 「いくら大盗賊だからといって余裕はなかった___それに___きっとこの盗賊はミキャックと特別な仲になりかけていた。」
 ソアラは構わずに水へ足を踏み入れた。底はあったが、腰の辺りまで沈み込む深さだった。
 「光の源を盗んだのは何のためか___アヌビスからの任務なのか、それとも他の何かか___どちらにせよこの行き止まりにたどり着いたとき、彼は逃げ去ることよりも、ミキャックとの心の決着を望んだ___」
 そう考えるのには理由があった。祭壇には何かの傷跡、それを消し去るようにさらに上から付けられた傷があった。上乗せされた傷は槍で突いたような跡だった。
 ディックの残した伝言、それを消したかったミキャック。そう考えるのが妥当だ。
 「ま___ミキャックは過去に触れられることを嫌っているから、それはいい。たぶんここに投げ込まれただろう光の源を捜すんだ。」
 この静寂が彼女の心も無に帰す。研ぎ澄まされた直感が、円滑な思考に拍車をかける。
 「きっとできるさ___必要なのは血の証なんだ。」
 ソアラはナイフを抜き、躊躇い一つなく腕を切った。血が溢れ、水に流れ落ちていく。だが血は広がりはしない。一筋の帯となって、揺らぎながらいずこへと流れていく。
 「来た___!」
 血が止まり、水が赤く朧気な光りを放ち始めた。極端に威力を集中させた氷で強引に傷を塞ぎ、ソアラは光の出所に手を伸ばした。

 「うあっ!」
 体を強く柱に打ち付けて、ミキャックは喘いだ。
 「どうしたの?やっぱり口だけだったのかしら?」
 所々服を傷つけているがライディアには出血すらない。ミキャックの劣勢は明らかだった。だが彼女は傷だらけの体でいながら、片膝を突かない。今も簡単に柱に凭れるのをやめ、直立してみせた。
 「フフフ___口だけ?違うね、そんな攻撃じゃいつまでたってもあたしは倒れない。」
 ミキャックは再び敢然と姿勢を正し、ライディアに向き直った。
 「?」
 「天族の力をなめるなよ八柱神。本気で来るんだ、そうじゃなきゃあたしだって本気になれないじゃないか。」
 ミキャックは挑発的に笑った。何かの罠か?あまりに露骨な挑発に不審を抱きながらも、彼女の優位者としてのプライドが警戒を許さない。
 「いいわ___思い通りにして上げる!」
 ライディアの殺気が膨れ上がった。格闘戦を得意とする彼女は呪文の一つも見せずに真っ向からミキャックへと向かってくる。ミキャックはこれを待っていた。
 確実に命中させるには、相手を油断させるのが一番。そして___
 当たりさえすれば一撃で仕留める自信はあったのだ。
 「眠らせてあげるよ!」
 ライディアの拳がミキャックに襲いかかる、だがミキャックは避ける素振りすら見せずにその雄大な翼を前へ傾けた。
 「なっ!」
 ライディアの拳は折り重なった羽に包まれて、勢いを吸収された。慌てたときはもう遅い。彼女の拳が力無くミキャックの腹にぶつかるよりも早く、ミキャックの拳は目映い光を帯びて決して大きくはない的を捕らえていた。
 「呪拳!プラド!!」
 「うっ!」
 身長差はそのままリーチの差になる。輝く拳がライディアの鳩尾に深く打ち込まれたとき、ライディアの指先はミキャックの豊かな胸に触れただけだった。
 「!?」
 ライディアは我が身に起こった出来事を疑った。鳩尾の一撃だけでも歯を食いしばらねばならない威力があったのに、ミキャックの拳はそれだけでは終わらない。
 「かぁぁぁっ!?」
 ライディアの鳩尾で、体の内側から弾けるような爆熱が巻き起こった。ライディアの顔が苦痛に歪み、形の良い口から血を吐き出す。拳の直撃をさらに二十発は全身に、それも体内から外へと食らったかというほどの衝撃。ライディアの胸の下で始まった白い輝きは、彼女の体躯を駆けめぐっていった。
 「やった。」
 ミキャックの拳は燻るように僅かに煙を上げていた。その表情は逆転を確信したもの。何しろそこには暗黒の装束をぼろぼろにし、血みどろのライディアが仰向けで倒れていたのだから。
 「ソアラは上手くやっているかな___」
 ミキャックは回復呪文を施しながら幻影の壁に目をやった。しかし___
 「危なかった___」
 ライディアの声。掠れてもいない、しっかりとした声だった。ミキャックはゾッとして、長髪を振り乱した。
 「驚いたわ___こんな攻撃を隠していたなんて。」
 ライディアは口元を手で隠しながら半身を起こし、ミキャックの目をそらすようにして口の中に蟠る血を吐き捨てた。吐血一つに嗜みを見せる、彼女の「余裕」はまだ生きている。
 「馬鹿な___」
 ミキャックは一瞬茫然としていたがすぐに我に返って身構えた。それでも沸き上がった冷や汗は隠せない。
 「あぁあ、服がボロボロ。インナーが無事だったから良かったけど___八柱神の紅一点が裸で帰ったなんていったらとんだ笑いものだもんね。」
 ライディアが立ち上がった。体を確かめるように何度かその場で飛び跳ねる。
 「あれをまともに食らって平気でいるなんて___!」
 強敵に打ち勝つためには必殺技が必要。それがミキャックの呪拳だ。相手の体内に呪文を流し込む拳は抜群の破壊力を誇るが、緻密さはない。当たらなければ意味がないこの攻撃。賭ける価値があったから茶番まで打ったというのに___
 「平気じゃないわ。昔のあたしなら絶対にあの世行きだった。今の攻撃は凄かったわ、本当に感心したよ。あんたを侮っていた___」
 実際に追いつめることはできた。だがそれに耐えるのが八柱神か___
 そしてこれでライディアは本気になる。もはやその瞳の鋭敏さは際だっている。ミキャックはなぜか激しく動揺し、尻込みしている自分を感じた。なぜだ?
 「ただ、今のあたしを天族であるあなたが越えるなんて不可能なのよ。この力さえ呼び起こせばあたしは___」
 ミキャックは目を見開いた。一瞬何が起こったのか分からなかったが、ライディアの豹変が彼女を震えさせた。そんなことがあるはずはないのだ。八柱神であるこの女が___
 「ソアラとだって互角以上にやれる。」
 なぜライディアを恐れたのか、その理由が分かった。
 彼女の髪が黄金色に輝く。空のように蒼い瞳。金色の頭髪。女性。
 それは竜の使いの特徴に他ならない。
 「何で___何で貴様が!」
 「おかしいか?」
 ライディアの嘲笑。ミキャックの怯えを笑う。
 「そうとも。あたしは竜の使いだ。」
 戦慄が走った。



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