2 悪魔のキス

 「竜神帝の城___ですか?」
 「確かにゾヴィスの湖畔に城がそびえていたという話は聞いたことがあります。しかし伝説のようなものですし、それが竜神帝の築いた城だとは聞いたことがありません。」
 フレリーの竜神教信者は皆が期待していたほどゾヴィス湖の情報を持ってはいなかった。教会には若いシスターが多く、ゾヴィスの城を見たことがある者はいなかったが、先人が城を描いたスケッチは何枚かあった。ただその絵にしてもは想像の域を出ないという。
 だが、それだけでも十分。後は己の目で見て、ゾヴィスで考える。
 「ついに来たね___」
 漆黒の水面広がるゾヴィス湖。闇に閉ざされた世界では、湖は吸い込まれるほどにどす黒く、不気味にさえ感じる。ソアラは凛として湖畔に立ち、広がる湖面を眺めた。対岸は___はっきりしないが見当はつく。ゾヴィスは大きく、静かな湖だった。
 「お城ないよー!」
 リュカがソアラの袖を引き、不満げに言った。
 「どこかにあったのに消えちゃったのよ。」
 「それをこれから探すの!」
 ルディーが鼻を高くして言った。
 「このスケッチの景色と比べてみるつもりでしたが___暗くてさっぱりですね。」
 ナババはフレリーで貰った古いスケッチにランプを当てる。スケッチはどれも精密に描かれていた。キャンバスの中央に城があり、周囲の景色は湖畔で背後には山も見える。
 「足しにはなるわ。まず城はあまり大きくなくて、しっかりとした石造り。この絵から見ると___多階層ね。」
 「こんなのがパッて消えるんすか?」
 リンガーの言うとおり現実的ではない。あまり大きくないといっても、そこは城だ。もし大規模な破壊活動でもおこなわれれば、フレリーの街の言い伝えになっているだろう。
 「消えたのではないですか?」
 レミウィスはスケッチを覗きに集まる皆の輪からはずれ、湖畔にしゃがんで水に手を触れていた。
 「一夜のうちに。」
 何か策でもある顔だ。彼女を知り尽くしているナババでなくとも分かる表情だった。
 「スケッチは実際に城を見て描いたものと仮定します。でもなぜ外観を描いたものしかないのでしょう?」
 ナババは何枚かのスケッチを見比べる。
 「中に入れなかったから?」
 「それだけでしょうか。スケッチの絵を見ていて思うこと___ソアラ、何かありません?」
 ソアラはスケッチを何枚か手に取り、ランプの下で覗き込むように見つめる。レミウィスは立ち上がり、振り向いた。
 「大きさ?」
 簡単な共通点だった。気づいてしまえば容易い。
 「至近距離で描いたものが一つもない___」
 スケッチの城はどれもこれも距離感が同じだ。しかし背景や、周囲の木々は違う。絵によって城の尺度そのものが変わっていた。
 「見せて〜!」
 ソアラの足下でリュカとルディーが飛び跳ねる。ソアラはスケッチを一枚づつ彼らに渡した。
 「どういうこと?」
 「蜃気楼のようなものではないでしょうか、遠くからは見えるのに、近づいてみると何もなかった。」
 レミウィスも空想で話しているに過ぎないが、彼女の言葉には自信が伺える。
 「形は何であれ、この辺りに竜神帝の城があるのは間違いないと思うんです。」
 彼女は背に隠していた手を、皆の前に示した。そこには数枚の純白の羽が握られていた。
 「羽___?」
 「新しいものです。水際に何枚か溜まっていました。」
 「鳥なんかいねえっすよ。それになんだか肌触りも変だ。」
 レミウィスの手から羽を一本掠め取ったリンガーは、その感触に首を傾げた。水鳥の羽にしてはいやに柔らかく、しっとりとし過ぎている。水を弾くとは思えないし、空を飛ぶにしてもどうも脆い。見たことのない羽だった。
 「気になるのはこれです。」
 新たに一本、レミウィスが羽を見せつける。それは桃色に染まっていた。
 「___」
 神妙な面もちでそれを手に取ったソアラは、桃色の滴を指で拭って鼻に近づける。うっすらとだが鉄の匂いがした___
 「血ね___」
 レミウィスが頷く。そして彼女はまじめな顔で口を開いた。
 「竜神帝に仕え、天に住む者たちは有翼人。すなわち翼を持つ人々だと言われています。」
 その言葉に驚いたのはバットやリンガーばかりではない、ソアラも彼女の発想を疑った。
 「本気でそう思ってるの?」
 「ええ。ここには竜神帝の城がある。それは何らかのために眠りに落ちていて、有翼人たちは城の眠りを覚まそうとしている___そんな気がするんです。」
 飛躍しすぎだ___誰もがそう思っていた。いや、ナババは違うか。
 「うわーっ!飛んじゃった!」
 一陣の風が湖畔を吹き抜け、甲高い声が沈黙を裂く。
 「なにやってんだあいつら。」
 振り向くと、風に飛ばされたスケッチをリュカとルディーが必死に追いかけていた。
 「あー、またあんなことして___」
 「待てーっ!」
 幸いと言っていいのか、スケッチは湖畔から内陸に向かって飛ばされている。二人は草木のない湖畔から、今にも森へと突っ込んでいきそうな勢いだった。
 「ちょっと!」
 二人は高く舞い上がったスケッチばかり見ていて、前を全く気にもとめていない。声をかけようとしたソアラは思わず息を飲んだ。森の寸前、大人の身長ほどもある大きな岩が埋まっているではないか。
 「ぶつかる!」
 ソアラは慌てて駆け出すが、あの勢いでは岩に正面衝突___のはずだった。
 「えっ!?」
 ソアラは己の目を疑った。
 「な、なんだ!?」
 その瞬間を見たのはソアラだけではなかった。リンガーまで声を上げ、振り向けばバットもナババも同じ顔。レミウィスだけが相変わらずの冷静さだった。
 「き、消えた___?」
 岩にぶつかったと思った瞬間、リュカとルディーの姿が消えてしまった。ソアラはその場で立ちすくみ、アヌビスの能力で遊ばれたときと同じような驚愕に呆然としていた。
 「あれー!?なんだこれ!」
 声がする。あのやんちゃな声はリュカだ。出所は___
 「変なの、洞穴みたい!」
 岩だ!
 「リュカ、ルディー!戻ってらっしゃい!」
 ソアラはハッと背伸びし、岩に向かって怒鳴りつけた。母の怒声には敏感なのが子供たち。二人はすぐに皆の目の届く場所へと飛び出してきた。
 「!!」
 岩の中から!

 「遠くからしか見えない城、少し毛色は違いますが同じ仕掛けのようですね。」
 岩に手を伸ばすと、レミウィスの掌は簡単に荒い岩肌の奥に潜り込んでいく。幻と呼ぶにはあまりに鮮明だが、その正体は顔を埋めてみるとよく分かる。岩は大きな口を開けた洞窟の入り口。外から見るとただの大岩だが、内側からでは全く透明で、湖畔の景色が見える。
 「不思議ね___でも、これはただごとじゃない。」
 そう、こんな仕掛けがあることそのものが、この洞窟の重要性を物語っている。ソアラは洞窟の壁に手を触れた。
 「イゼライル!」
 光が洞窟内へと広がっていく。入り口からすぐに地下へと急な傾斜。狭く、凹凸が激しい。一歩でも躓けば奈落の底までまっしぐら___危険度の高い洞窟だ。
 「これは子供たちには無理ね。」
 「えーやだー!」
 「キュクィ車に残ってもらいましょう。バット、リンガー、あなたたちも。」
 「了解っす!」
 元々この二人はこういう危険な場所に積極的ではない。洞窟に駆け込もうとしたリュカとルディーを揚々と捕まえた。
 「僕たちも行きたい〜!」
 「お留守番も大事な仕事。いい子にしてるってお母さんと約束して。」
 「ぶ〜。」
 頬を膨らませてふてくされる二人の態度はどことなくアウラールを彷彿とさせた。
 「さあ、せっかく水がいっぱいあるんだしよ、キュイの奴を洗ってやろうじゃねえの。」
 むくれながら手を繋いでいるリュカの頭を撫で、バットが言った。結局、洞窟探索組はソアラとレミウィス、ナババの三人だ。
 「そうそう。フッカフカにしてやろうぜ!」
 「フッカフカねぇ___」
 ルディーはあまり似つかわしくない苦笑いをしてみせる。明らかにソアラの真似だ。
 「おまえ顔も仕草もお母さんに似てるな___」
 十年後には___と、リンガーは少しだけルディーの手を強く握った。

 「キュィッ!」
 キュイがずぶ濡れになった鶏冠を振り回す。水が激しく飛び散った。改めて言うが、品種名がキュクィ、彼の名前はキュイである。
 「ほら、おとなしくしろよっ。」
 バットがキュイの手綱を外してやろうとする。キュイは喜んでいるのか嫌がっているのか、声を上げて足踏みしていた。
 「あー!あれなんだろ!?」
 リュカが空を見上げて何かを指さした。彼はいつも何か珍しいものを見つけては声を上げる。だが実際にそれは大したものでないことが多い。木に複雑に絡まった蔦だったり、土に奇妙な刺さり方をした石だったり___バットとリンガーは今回もその類だろうと気にもとめなかった。
 「ドラゴンだ!かっこいい!」
 今度はルディーが飛び上がって喜んでいる。
 「へぇ、ドラゴンかぁそりゃよかっ___ドラゴン!?」
 軽く聞き流そうとしていたバットが驚いて振り返る。吹っ飛ばした桶の水をキュクィが頭から被る。
 「んー、なかなかののり突っ込みだったな。」
 「んなこと言ってる場合か、あれを見ろ!」
 「そんなドラゴンなんているわけ___」
 リンガーは笑顔で空を見上げる。そこには闇の中にもくっきりと浮き上がる翼竜の影が迫っていた。
 「いぇぇぇっ!?」
 リンガーは派手に飛び上がり、なぜかバットに向かって親指を立てた。これぞのり突っ込み!と言いたかったのだろうがバットはそれどころではない。
 「こっちに向かってくるぞ!」
 翼竜は明らかにこちらに狙いを定め、凄まじい勢いで滑空してくる。
 こんな時に!頼りになるソアラのいない状況で、まさかドラゴンの襲撃を受けることになろうとは___!
 「やっちゃうぞ!」
 「えっ!?」
 だがどうしていいか分からない彼を後目に、ルディーは迫り来るドラゴンに向かってにこやかに両手をつきだしていた。
 「マジで!?」
 ルディーの両手が白く光り始める。そう言えばこの幼子は、初めてであったときにも呪文を操った。ここは___期待するしかない!
 「おーい!」
 だがしかし、バットの予想を覆す出来事が起こった。なんと翼竜の頭の上にひょっこりとライが現れ、手を振っている。
 「ドラゴ___!」
 「うわっ、まてまて!」
 そしてルディーの呪文はもはや臨界。バットは慌てて彼女の前へと躍り出た。
 「ンブレス!」
 ボッ。
 「あぢぢぢぢぢ!」
 バットの頭に火が灯り、彼は猛烈な勢いでゾヴィス湖へと駆け込んでいった。ちょうど翼竜から百鬼たちが飛び降りたのと同時だった。
 「はっ!」
 最後に飛び降りたスレイが紐の突いた笛矢を空高く放り投げる。翼竜はそれを追いかけて急上昇し、上空で笛が回転を失うとそのままもといた山の方へ飛び去っていった。
 「こんにちわ。久しぶりね、リュカ、ルディー。」
 フローラは愛らしい子供たちにほほえみかけた。
 「こんにちわ!」
 ソアラよりも甘えやすいのか、子供たちはフローラのことが大好き。二人並んで溌剌とお辞儀をしてみせた。
 「何とか追いつけたな。」
 百鬼はランプを掲げて漆黒のゾヴィス湖を眺めた。
 「バットはどうした?」
 「ここ___」
 サザビーに問われ、バットが水に沈めていた頭を上げる。焼けた髪が野性的に爆発していた。
 「ずいぶん画期的なイメチェンですね___」
 「それはおまえのジョークなのか___?」
 スレイの言葉にバットは力無く答えるばかりだった。
 「おい、ちゃんといい子にしてたか?」
 百鬼は二人の子供をそれぞれ片腕で抱き上げた。
 「してるよ。今だってお留守番中だもんね。」
 「そうだよ。」
 二人はまだ少しふてくされた顔でそう答えた。
 「そう言えばソアラはどうしたんだ?」
 「洞窟探索にいってるよ。」
 リンガーがそう言いながら岩を指さした。なんの変哲もない岩に百鬼はキョトンとした顔をする。
 「おまえ、ありゃただの岩じゃねえの。」
 「ねえの。」
 リュカが百鬼の真似をしてくすくす笑う。
 「それが驚きなんっすよ、あれ実は洞窟の入り口に幻がかかっていてただの岩に見えるんっす。」
 「ほう、そうだったんですか。」
 突然だった。
 「うっ___ぅあぁ___!?」
 聞き慣れない声色の後、フローラが突然顎を上げて呻いた。
 「フローラ!?」
 ライが眉をひそめる。
 「く___」
 彼女はよろめきながら後ずさる。百鬼が向けたランプは、彼女の首筋に小さな生き物を捕らえていた。
 「コウモリ___!」
 フローラの首筋に一匹のコウモリがしがみついていた。
 「ぁぁ___」
 フローラが苦悶の表情で歯を食いしばったのと同じくして、彼女の体を背後から抱きしめるようにして細腕が包んだ。黒い袖の先に現れた白く細い手は、まるで女性のそれのように繊細。
 「ソアラがどこに消えたのか___知りたかったんですよ。」
 フローラの背後から、端正だがそれ以上に妖艶な男が顔を表す。
 「グルー!」
 百鬼がその男の名を呼んだ。この状況、ソアラがヘルジャッカルへと連れ去られたあのときを思い出させる。
 「フローラから手を離せ!」
 ライは剣を抜き、グルーに怒鳴りつけた。
 「いいですよ、放しましょう。少し彼女を味わったら___」
 グルーの掌は構わずに服の上からフローラの胸を優しく撫でる。
 「何してるんだ!抵抗しろフローラ!」
 決してグルーは彼女の腕を捉え、逃げられぬよう関節を支配しているわけでもない。ただ後ろから抱き、淫猥に胸をまさぐるだけ。少なくとも両足は自由だし、その気になれば呪文で応戦ができる。なのにフローラは___
 「うっ___あ___」
 仄かに頬を上気させ、甘い声を漏らしていた。あの純潔たる彼女が。
 これがグルーの魔性。背後から捉えられた瞬間、もはや彼女に逃れる術はなかった。
 「と、遊んでいる場合じゃありませんでしたね。」
 おもむろに、グルーがフローラの唇を奪った。
 「っ!」
 フローラが強く目をつぶる。センセーショナルな瞬間、皆に自然と怒りがこみ上げる。
 「やめろ!」
 辛抱たまらず、ライが剣を振りかざして駆けだした。だがグルーがフローラを盾にするようにして向き直る。
 「フローラから離れろ!」
 ライは走りながら大地に剣を突き刺し、素手になってフローラを巻き込んでグルーに飛びかかった。
 「ふふ___」
 グルーは素早くフローラから離れ、ライは倒れかけたフローラを抱き留める。
 「フローラしっかり!」
 ライの腕にはフローラの暖かな体温が伝わり、彼女がゆっくりと目を開けたことでライはホッと胸を撫で下ろした。フローラは微笑んで、体を起こそうとライの肩に手を伸ばす。
 「良かった、無事なんだね!」
 「いや、違います!」
 スレイが叫んだ。魔族ならではの直感で。
 「私は大丈夫よ___ライ!」
 ギッ!フローラの爪がライの頬を素早く引き裂いた。
 「くああっ!?」
 その瞬間、ライには何が起こったのか分からなかった。何故フローラが薄ら笑いを浮かべ、彼の頬に爪を立てたのか?
 「ウィンドランス!」
 フローラの掌が白く輝き、巻き起こった風が結集してライを突き飛ばす。
 「くっ!」
 「ライ!」
 尻餅を付いて倒れたライの側に百鬼、サザビー、バット、リンガーが駆け寄る。
 「皆さん!グルーが洞窟に!」
 いつの間にかグルーは闇に紛れて消えていた。ただ一人、小さなコウモリの動きを追うことができたスレイが声を荒らげる。
 「まてー!」
 しかもこともあろうか、これはチャンスとばかりに二人の子供たちが洞窟に駆け込んでしまった。
 「おいこら!リュカ!ルディー!」
 百鬼が慌てて洞窟に向かって駆け出す。しかし人間離れしたスピードで跳躍したフローラが、彼の背中に体当たりした。
 「うっ___ぎゃっ!」
 頭から大地に突っ伏した百鬼が悲鳴を上げた。彼の背中で鮮血がはじけ飛び、指先を血に染めたフローラは軽やかに回転して洞窟を背にして立ちはだかる。
 「邪魔はさせない___あたしの役目は、おまえたちを洞窟に近づけないこと___そしておまえたちを殺すこと___!」
 声色はしっかりしている。なのにその言葉はとてもフローラから発せられたものと思えない。彼女は乱れた黒髪のまま、指先を染めた血を舌で拭い取っていく。ギラギラと輝くような瞳で、皆を代わる代わる見ていた。
 「あ、そうだ思い出した!あのグルーって言うのは女だったら好き勝手に操れるんだ!」
 「そういえば姐さんもそれで危なかったんだっけ。」
 今更ながら、思い出したようにバットとリンガーが言った。すぐさまサザビーの拳骨が二人の頭を打った。
 「そういうことは早く言え!」
 忘れられては困る重要なことだが、忘れるのも仕方なかったのかも知れない。何しろ、血の支配に犯されたソアラの救出には棕櫚が絡んでいた。
 「フローラをこのままにはしておけねえ___素手で行くぞ!バット、リンガー!」
 「あいあいさ!」
 背中の痛みに顔をしかめながらも、百鬼は猛然とフローラに突進した。
 「おりゃああ!」
 とにかく一度眠らせてやる!百鬼は多少加減しながらも、フローラの腹に向かって拳を放った。フローラは掌を腹に宛って防ごうとするが、あのか細い身体では防御は意味を成さないだろう。
 「ぎっ!?」
 だが呻いたのは百鬼の方だった。それはただの防御ではない。フローラは手に折れた矢を握っていた。
 「ぐああっ!」
 百鬼が拳を天に向けて悲鳴を上げた。中指と薬指の間、手の内側に矢が深く抉り込んでいる。
 「新しい必殺技!」
 後ずさった百鬼の後ろからバットとリンガーが左右に分かれて飛び出した。
 「クロスアタック!」
 左からバットが左足で下段蹴り。右からリンガーが右足で上段蹴り。全てが交差する挟み撃ち殺法!
 ゴガッ!
 「あへ〜。」
 しかし見事なまでのクロスカウンター。凄まじいジャンプ力を披露したフローラの下で、バットとリンガーはそれぞれのキックを味わっていた。見事な上段蹴りを顔面で受けたバットはそのまま倒れてしまったが、足を押さえて蹲ったリンガーには___
 「!」
 フローラの痛烈な踵が後頭部に叩きつけられた。
 「あの人はあんなに武闘派なんですか?」
 スレイはフローラの機敏かつ力強い動きに唖然としていた。
 「いや、歯止めが取れてるだけさ___」
 サザビーの指さした先、フローラの掌から大量の血液が流れ出ていた。百鬼の拳を折れた矢で受け止めたとき、矢は彼女の手をも大きく傷つけていた。
 「人間ってのは無理しないようになってる。だがグルーに操られているあいつは、自分が出せる最大限の運動能力を駆使している。このまま自由にさせたらフローラは再起不能だ!」
 サザビーは小さく唇を動かしながら駆けだした。すぐさまスレイも続く。フローラは薄笑いを浮かべながら、背の矢筒から矢を取りだした。
 「スレイ!呪文で仕掛けろ!」
 「はい!」
 スレイはサザビーを飛び越えるようにして舞い上がった。
 「シザースボール!」
 風が刃の切れ味を伴って、掌に収まるほどの球体へと形を変える。そして勢いよくフローラを襲った。
 「なにっ!?」
 だがフローラは避けようとしない。そればかりか弓も使わず、力に任せてスレイに向かって矢を投げつけたのだ。
 「っ___!」
 スレイは矢を肩に喰らって失速する。しかしその隙にサザビーがフローラの首を捕まえた。サザビーはそのままフローラの喉笛を押さえつけ、逆の手で彼女の服の胸元を破った。
 「こいつか___!」
 フローラの首筋から胸にかけ、くっきりとコウモリの紋様が浮かび上がっていた。やはり、ただ遊びで胸をまさぐっていたわけではなかったようだ。
 (ちょっとした呪いだな___!)
 いや、寄生と言うべきか。グルーは奴の分身ともいえるコウモリをフローラの体内に住まわせた。
 「ちっ!」
 サザビーの顔が苦痛に歪む。フローラが爪を彼の腕に食い込ませ、力任せに喉から手を外していた。
 「ぐああ!?」
 フローラはそのままサザビーの手にかじり付き、掌の肉を一気に噛みきった。
 「っ___マグナカルタ!」
 だがサザビーは怯まなかった。まずはフローラの呪文を封じること。この呪文のためなら多少のダメージは厭わない。
 「残念。予想していなかったと思う?」
 だがこの呪文は、もし呪文に格付けがあるのなら最下位にあたる。少しでも抵抗の魔力を露わにすれば、簡単に防げる脆弱な呪文なのだ。
 フローラの右手に満たされた輝きを見れば、マグナカルタが失敗したことは一目瞭然だった。
 「トルネードサイス!!」
 普段のフローラでは考えられない呪文。だがコウモリは、彼女の魔力の限界も構わずに究極の風の呪文を放った。
 突風は、ゾヴィスの水をも大量に巻き上げていた。



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