1 天依巫女

 しんしんと雪が降り続けるセルセリア。年間の大半を雪と共に過ごすこの土地は、その気高き伝説と神秘に守られた聖域である。セルセリアが聖域と呼ばれる所以は彼らの崇高な気質と、豊富な知識にもよるが、何よりの理由は彼らの中に特殊な力を持つ人々がいることだった。
 三元世界の伝説と、その扉を開くと言われる天依巫女(てんいみこ)こそ、聖域の象徴である。
 「うー、寒いな。」
 アモンは孤島セルセリアに降り立つなり肩を抱いて震えていた。
 「アモンさんはどうしてセルセリアに帰らないのさ。」
 「そんなのおまえ、寒いからにきまってんだろ。」
 ライの素朴な質問にアモンはつっけんどんに答えた。冗談じみた言葉でも、彼が言うと嘘か真か分からないから不思議だ。
 幾らかの茂みを潜り抜け、暫く進むと景色が開けた。そこは幻想的な、雪化粧をした古めかしい神殿のような建物が幾つも並んでいる。
 「変わらねえな、やっぱり。」
 アモンは懐かしむような言葉を少し煙たい顔で呟く。
 「あ、誰かいるよ。」
 ライが指さした先では、女性が怯えた顔でこちらを見つめていた。二人と目が合うとそそくさと神殿の中へと消えてしまう。アモンはその様子を見て舌打ちし、肩に積もった雪を払い落とした。
 「セルセリアの奴等はよそ者を嫌う。この島には旅行者が寝泊まりできる場所だってない。だがそれも、天依巫女を守ろうといういかれた使命感からだ。」
 「てんいみこ?」
 アモンがゆっくりと歩き出した。
 「天衣巫女はセルセリアに伝わる神術の継承者。世界の均衡を保ち、異界への扉を開くことができる。」
 「えっと___さっき天とか地とか言ってたやつ?」
 ライは神殿風の建物の窓からこちらを訝しげに見つめる子供に気が付いた。しかし彼らはすぐに首をすくめてしまう。
 「そうだ。だが先代の天衣巫女が、後継を作る前に消えた。だから、恐らくそれ以来セルセリアに巫女はいない。」
 「そうなんだ。」
 「それがおまえの母親ニーサであり、おかげでここの奴等はアレックスを恨んでる。俺が歓迎されない理由もそれだ。」
 「___!」
 アモンは無表情に正面の一際背の高い神殿を目指す。ライは驚きを飲み込んで、少し無口になって彼を追いかけた。

 閉ざされた神殿の扉をアモンは乱暴に叩いた。彼はなかばぶち壊すつもりでいたようだが、湿った木製の扉は驚くほど簡単に開かれた。
 「お待ちしておりました、アモン様。」
 「なに?」
 顔を出した白装束の女はアモンが目を白黒させるような言葉で出迎えた。
 「巫女も感じておられるのです、魔導口の開放を。」
 「巫女だと___?」
 アモンは眉をひそめた。
 薄暗い神殿の中央にある螺旋階段を上り、アモンは天依巫女が祈りを捧ぐ場所、空殿へとやってきた。この場へ入ることが許されるのはごく限られた人物だけ。ライは一階で待つことを余儀なくされた。
 「___」
 空殿へと上り詰めたアモンは、丁寧に並べられた蝋燭に囲まれて、全身を橙黄色に照らされた女性の面立ちに言葉を失った。
 「来てくれたのですね、アモン。」
 そして彼女の声を聞いて確信する。
 「ニーサか___」
 他でもない、彼女は行方不明になっていたアレックスの妻、ニーサ・フレイザーだ。
 「お久しぶりです。」
 アモンはまじまじと彼女を眺めながらゆっくりと近づいた。狭い空殿の中は、九つも並べられた蝋燭の光で充分に足りる。床には大きな魔法陣が刻まれ、ニーサはその中心にいた。これはかつてアモンがゴルガの洞窟に住んでいたとき、その一角に設けた瞑想部屋と酷似していた。
 「生きていたんだな。」
 「長き流浪の日々を経て、ここに戻ることができたのがおよそ一年前のことです。そのころからの世界の激動は天依巫女として肌に感じておりました。」
 アモンはニーサがうっすらと目を開けているにもかかわらず、こちらを見る視線が定まらないことに気が付いた。
 「おまえ、目が___」
 「三年前に患った病が原因です。視界はここに戻ってくるまでに失ったものの一つですが、おかげで天依巫女としての己を高めることができました。」
 ニーサは口元に皺を畳んで穏やかな笑みを見せる。彼女のこの力強き命は昔から変わっていないとアモンは感じた。
 「おまえだからな、生きていると信じてアレックスはずっと捜し続けていた。」
 アモンはニーサの肩に手を触れ、そのまま彼女の正面に回って座り込んだ。
 「私は人一倍丈夫ですものね___彼は今は___」
 「死んだよ。」
 ニーサの顔から微笑みが消えたが、彼女は取り乱すことも、長い沈黙や呻きさえなかった。
 「そうですか。」
 ほんの一つ頷いただけ。恐らく、盲目になったことで研ぎ澄まされた感覚的な何かで、アレックスの死を薄々感じていたのだろう。
 「伝えたからな。」
 「ええ、ありがとうございます。」
 ニーサはまだ悲しみの実感には至っていない。恐らく、もう少し時が経って、一人になって、彼と共に歩むことができない大きさを痛感するのだろう。
 「それでだ、今日俺がここに来たのは他でもない。」
 「魔導口でしょう?」
 「セルセリアの伝説は正直信じていなかったが___」
 アモンは疑るような声で言った。彼の心情を感じてニーサは苦笑する。
 「セルセリアに伝わる伝説は全て真実ですわ。そのために私のような存在がいることもお忘れなく。」
 「構造を教えて欲しい。あの泉はどこに通じているのか?どうすれば泉に仕掛けられた扉が開くのか。」
 ニーサは光のない目を閉じて、記憶の紐を解くように流暢に語りだした。
 「魔導口が邪神アヌビスの封印であると伝えられていたのだから、あれはアヌビスのいる世界へと通じる扉。そして、三元世界の原則では、天は気高き神の住む世界、地は陰惨なる魔物の住む世界、そして中庸には神の良心と魔物の邪神を併せ持つ、我々人が住む世界となっています。」
 「すると___地界に通じる扉。」
 「そうです。ただ三元世界というのはあくまで原則の構図。地界がどのようなところか、私には想像することしかできませんが、魔導口という存在はあれ一つではないのです。」
 ニーサは興味深いことを語った。アモンは身を乗り出して首を傾げる。
 「どういうことだ?」
 「魔導口そのものは世界各地に存在するのです。ただ、それは神出鬼没であり、いつ何時どこに現れるのかまったく分かりません。ですが、その扉は常に開かれているのです。神隠しというものがあるでしょう?それはすなわち、偶然にも現れた魔導口に何らかの形で身を投じた者たちが、地界へと消えたのです。」
 「そういえば___百年以上前にジャムニの辺りで一つの町から人がまるまる消えたという話を聞いたことがある。」
 「恐らく魔導口でしょう。」
 「まてよ、すると___」
 アモンはニーサが何をいわんとしているのか気付いたようだ。
 「私は地界にもたくさんの人々が住んでいると思います。それこそ、こちらと変わらない世界を築いているのではないかと。」
 かなり突飛な考え方だ。アモンはニーサにも大気の流れで分かるほど大袈裟なリアクションをして、彼女の肩に手を掛けた。
 「だがニーサよ、向こうは邪神の治める世界だろう?」
 「不確かです。アヌビスの封印であるという話は比較的新しいもの。古き書物に、地界に関して邪悪の神が住むなどという文節はどこにもありませんわ。」
 生来、この女の芯の強さはアモンも知っているところ。そこがこの閉鎖的な民族にあって一途にアレックスを受け入れ、長き放浪の旅を生き抜いてきた力の源でもある。
 「分かった分かった、おまえが言うなら確かだな。」
 「魔導口はいったいどこから現れたのです?今回のはここにいても分かるほど、大きなものが開かれたと感じています。」
 「クーザーマウンテンの下から現れたんだ。」
 「下?」
 「だが開かれた魔導口ってのは七色に輝いているんだよな?こいつは確かに、鏡のように透き通っている上にあり得ない場所から現れた。その点では魔導口だ。」
 「間違いありませんわ。ただそれは意図的に扉が封されているのです。恐らく、古来より三元世界の架け橋としてこの世界にあり続けた、魔導口の中の魔導口でしょう。」
 ニーサは確信を込めて語った。
 「実はな、その魔導口の向こう側に興味を持っている奴等がいる。おまえの息子をはじめ、超龍神という悪と戦っている奴等がいるんだよ。」
 「息子___?」
 ニーサの顔色が変わった。
 「ライだ。分かるだろ?」
 「ライは___ライデルアベリアは生きているの!?」
 ニーサは縋るように、アモンの気配へ手を伸ばす。アモンはその手を力強く取ってやった。
 「おまえが生かしたんだろ?」
 「私はアレックスの息の掛かった土地へあの子を送っただけ___」
 「それが今のあいつを作った。決して間違いじゃなかったぜ、その選択は。」
 ニーサは感動を押さえきれずにいる。彼女の手が小さく震えているのがアモンには良く分かった。
 それからアモンは、自分に分かる範囲でこれまでのことのあらましをニーサに説明していく。だがその中で、ニーサが大いに腑に落ちない点が一つあった。
 「なぜ超龍神が悪なのですか?」
 「は?」
 それはアモンを以てしても考えつかなかった発想である。
 「どういうことだ?」
 「伝承の超龍神は、天を納める竜の大神の命により、地の魔物からこの世界を守るために遣わされた神の子です。それがなぜ邪悪なのです?」
 「いや、何故と言われても俺にはわからん。」
 ニーサは怪訝そうな顔をして、口元に手を添えた。
 「超龍神がアヌビスの復活に、魔導口を開くことに拘っているところに理由があるのではないでしょうか?」
 考え方というのは色々あるものだ。こうして、変わった視点を持つ人物と接触することで、初めて新たな可能性が見出されてくる。
 「操られているとでも言いたいのか?」
 「セルセリアの伝承を信じればこそです___」
 だがアモンも全否定はしない。
 「あり得ない話ではないが___」
 小さな間が生ずる。
 「もし超龍神がアヌビスの居場所へ向かったなら、ライたちはそれを追いかけようとするはずだ。だが、魔導口の扉は今は閉じられているのだろう?」
 ニーサは頷いた。
 「ですが超龍神は通れるでしょう。彼は竜の大神の遣いですから、加護を受けてこちらへやってきた者にとって三元世界の移動は難しいことではない。ですが、我々のように中庸界に住むことを命令づけられた生命がそれをするのは簡単でない。」
 「そのためにおまえがいる。」
 「そうです。」
 ニーサは力強く答える。
 「魔導口を開いて欲しい、できるか?」
 「私一人の力では難しいでしょう。天依巫女の心術を心得た者が私の他にあと二人必要です。」
 「いるのか?」
 ニーサは首を横に振った。
 「一人は今私が育てています。あなたを下で迎えてくれた彼女です。」
 「あと一人か___」
 「一から育てるのでは、恐らく十年は掛かるでしょう。」
 十年。それは時間としてはあまりにも過ぎる。その間に超龍神やアヌビスがどのように動くのか掴む術はないし、この中庸界において局面が大いに変わる可能性だってある。
 「魔術において優れた素質を持つ女性であれば___時間の短縮もできますが___」
 「それは向こう側に行く気のあるやつは除いてだろ?」
 ニーサは頷いた。その時点でソアラとフローラは外れる。
 「___一人いるな。リングに適応する一族が___」
 アモンが思い浮かべたのは風のリングに適応を示した彼女だ。ただ問題は、彼女が拘束を伴う立場であるということと、本人の意思。
 「掛け合ってみよう。一週間以内にもう一度、できればフィラ・ミゲルを連れてここに来る。」
 「ミゲル___クーザーの一族ですか。」
 「そうだ。」
 アモンはニーサの肩をポンッと叩いて立ち上がった。
 「ライに会うか?」
 「えっ___」
 唐突に投げかけられた言葉にニーサは明らかな戸惑いを見せた。
 「下にいる。会うのか?」
 だが返事はすぐには帰ってこない。彼女は少しだけ俯いて、小さく首を横に振った。
 「会いません。」
 「なぜだ?」
 「色々辛くなるでしょう___?」
 「あいつはそんなに子供じゃない。」
 ニーサはそれを聞いて、寂しそうな笑みを見せる。
 「私が放せなくなってしまいそうなんです___」
 アモンは彼女の心中を察し、一つ息を付いた。
 「おまえがそうしたいならそれもいいだろう。アレックスも、分かっていながら最後まで父であることを明かさなかったしな。あいつは両親なしで逞しく生きてきた。」
 「すみません___」
 「謝るな。それじゃ、俺は行く。」
 アモンが階段を下っていく音が聞こえる。空殿から人の気配が消えて無くなる。
 「ライ___」
 勇気を胸に戦いに挑もうとしているライに、変な迷いを与えたくはない。例え母として不出来であろうと、彼が見いだした道を邁進して欲しい。ニーサはそう思いつつ、我が子の匂いを近くに感じて一人涙を零していた。




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