1 残された血痕
「おかえり〜。」
雪が少し強く振っている。窓の外を見ていたソアラはドアが開く音に振り返った。
「あれ?どうしたのよ、浮かない顔して。」
部屋に戻ってきた百鬼はどうにもすっきりしない顔をしていた。
「フュミレイの様子がおかしかったんだ。」
「おかしい?どういうこと。」
ソアラは首を傾げて尋ねた。
「頭を抱えて呻いていた。多分調子が悪いだけだとは思うんだが___」
「そう___ならいいけど。あとで様子を見に行ってみるわ。」
「そうしてくれ。」
ソアラはテーブルの上の瓶からコップに水を取り、百鬼に差し出した。
「おう。」
百鬼はそれを受け取って、一気に飲み干した。そんな彼をソアラはニコニコしてみている。
「順調か?」
百鬼は目立ってきたソアラのお腹に手を触れた。
「もちろん。」
ソアラは力強く頷いた。
「それにしてもさ___やっぱりおまえは普通の女だったって事だよな。」
百鬼は逆の手でソアラの髪に指を絡めた。
「どういうこと___?」
「おまえはただ、髪と瞳の色が紫なだけだってことさ。こうして俺の子供を産めるんだから。」
「ああ___そうね。」
ソアラは感慨深そうに頷き、髪に絡む彼の手を取った。
「でも生まれるまでは不安で仕方ないわ___色だって気になる。」
「あんまり心配するなよ!もっと自信をもちな。おまえは母親になるんだから。」
百鬼はソアラのお腹から胸へとその手を移した。
「お、こっちも前より大きくなったな?」
「ははははは。」
ソアラの素早い拳が百鬼の腹にめり込んだ。
「おぉぉ___」
「そういうジョークは嫌いよ。」
微笑ましいのやらなんなのやら。と、そんなとき___
コンコン。
「はいどうぞ。」
ノックの音にソアラが返事をし、やってきたのは従僕だった。
「申し上げます。フュミレイ様より御伝言です。十分後にフローラ様の部屋にお出で下さるようにとのことです。」
百鬼とソアラは顔を見合わせた。
黒いシャツ、黒いスラックス、黒いロングコートに黒い手袋。銀髪が最も映えるであろう暗黒に身を包み、フュミレイはフローラの部屋の前へとやってきた。彼女の気配は、かつてアレックスを殺めたときのような、漆黒の覚悟によって研ぎ澄まされていた。それは威圧感であり、鋭気であり___魔族云々ではない、フュミレイ・リドンだけが持ち合わせている独特の気配だった。
「いくか。」
フュミレイはフローラの部屋の扉をノックした。
「はい?」
中から弱々しい声が返ってきた。といっても、掠れた彼女の声はこれが精一杯なのだろう。
「フュミレイだ。入ってもいいか?」
「ああ、どうぞ、開いてます。」
快い返事を聞いてフュミレイは扉を開けた。黒一色の彼女を見た瞬間、フローラの笑顔が引きつったのがフュミレイには分かった。彼女は驚き、直感的に何らかの恐怖を感じ取ったようだがすぐにまた微笑んだ。
「体調はどうだ?」
「良くはなってきていると思うんだけど___やっぱりまだ呪文が思うようにいかなくて___」
フュミレイはしっかりと扉を閉じたが鍵は掛けない。そしてそのまま、いつもならばライが座っていることの多い、ベッド脇の椅子へと腰を下ろした。
「ライやソアラが毎日励ましに来てくれるのに___医者が体調管理もできないんじゃしょうがないね___」
「私に魔力があればすぐにでも癒してやるところだが___」
フローラの顔は改めて見るまでもなく蒼白で、頬もこけている。唇だって蒼いし、ことは回復に向かわない。もし今何らかの病気に掛かってしまったら、それこそただ事ではなくなるだろうに。
「黒ずくめのあなたを見ていると___昔を思い出すわ。」
「この服のことか?」
「でも今と昔は違うよね。私たちは成長したもの___」
それはアレックスの死が過去のものだと諭すような言葉だった。フュミレイは懺悔の気持ちで胸がいっぱいになりながらも、これをきっかけと感じた。
「おまえは確かに成長した。大人になった___だが私は違う。私は曖昧で、我欲に囚われ続けた。生きる事への執着を捨てきれず、それでいて恐れてもいた。被害妄想に振り回され、己を過信し、常に愚かだった___」
フローラにはフュミレイが何を語っているのか、まるで分からなかった。
「私は裏切りの中にその身を置き続ける。大切な者を失ってなお策を練り、あざ笑い、愚かしくも醜態を晒し続けるのだ。」
フュミレイはゆっくりと立ち上がって、ロングコートの内側から拳銃を取りだした。フローラは自分に向けられる銃口に驚き、言葉を失った。
「___なにをやっているの___?」
檄鉄が下ろされる音。フローラが声を出せたのはその後だった。ただ彼女の顔色に恐怖はない。あるのは困惑、戸惑い、それだけだった。
「私はまた裏切る。悪く思うな。」
フュミレイはフローラの額に銃口を押しつけた。だがフローラは身じろぎひとつせず、ただフュミレイの目をじっと見つめている。それはフュミレイにとって苦痛だった。
「何でなの___フュミレイ。」
小さな呟き。
「すまない、訳は言えない。ただ大人しくしていれば怪我はさせないよ。私は目的が達成できればすぐにここを去る。」
「目的って___力になれることなら___」
「それは不可能だ、絶対に。」
フュミレイは首を横に振った。
「口を開けてくれるか?」
フローラは言われるがままに口を開く。するとすぐに銃身が滑り込んできた。フローラは喉元を銃口に圧迫され、嗚咽を感じて目を閉じた。
「苦しいだろうが我慢してくれ。私の目的を知ったとき、おまえに銃から逃げられては困るんだ。」
その時、ほぼ時間通りに扉がノックされた。
「フローラ、フュミレイ、いるの?」
ソアラの声だ。フュミレイは一際落ち着いた面持ちでいた。
「ソアラか、他に誰かいるのか?」
「えっと、旦那と___あ、ライが来たわ。」
「棕櫚も来るはずだ。揃ったら入ってきてくれ。」
ソアラは扉の向こうで百鬼と顔を見合わせて小首を傾げていた。しかし二人は大人しくフュミレイの指示に従った。やがて棕櫚もやってくる。
「揃ったぞ、入っていいか?」
今度は少し強く扉を叩き、百鬼が問いかけた。
「ああ。」
フュミレイは引き金に少しだけ指を食い込ませ、フローラの額に逆の手を当ててベッドに押しつけた。フローラの身体が満足に動かないのは知っている。だからこの程度で充分だった。
扉が開く。先頭の百鬼は、部屋に一歩足を踏み入れて立ち止まってしまった。
「___なに___なにやってんだおまえ!」
百鬼は激昂する。その瞬間は彼が壁になって、後ろの三人には様子が分からなかった。
「動くな!」
フュミレイの一喝で百鬼は飛び出そうとした身体を止める。
「動けばフローラの頸が砕け散る。」
百鬼の横からすり抜けるようにして部屋に入ってきたソアラたちも、言葉を失った。ベッドの上で、仰向けのフローラに馬乗りになったフュミレイが拳銃を押しつけている。信じられなかった。
「私は本気だ。特に棕櫚、密かに植物を伸ばそうとしても___私の目はごまかせない。」
棕櫚は背に隠していた左手を、やむなく身体の前へと呈した。
「どうして___なんでこんなことを!」
フュミレイを信じていた。そう、アレックスが殺されたあのときだって信じていたのに!ソアラはこの気持ちをどう表現していいか分からなかった。また同じことを繰り返そうというのか?
フュミレイの冷静な顔。
氷の篭手と鉄の意志。
それが彼女を冷静にさせている。昔も、今も___
すでに彼女の氷と、鉄は、熱き情熱の炎によって溶かされていた___
そう信じていたのに。
「端的に言う。」
彼女は氷の冷淡さで語る。
「リングをよこせ。」
と___
「なに言ってるんだフュミレイ___おまえだってリングのことは分かっているはずだろ!」
彼女を光ある道へと導こうと百鬼は腐心し続けた。そして光明は射したと思われた。しかし彼女は未だに闇のまま。百鬼の語尾は口惜しそうに上擦っていた。
「リングがなんたるものか、全て心得ての上だ。ここには三つのリングがあるはず。水、魂、大地、それを渡してもらおう。」
「誰の差し金よ___こんなのあなたの意志なはずないわ!」
その質問に答えを返すことはできない。その瞬間ここにいる全員が死ぬことになるだろう。フュミレイはフローラの前髪を掴み、銃をさらに深く押し込んだ。
「早くしろ。フローラが死んでもいいなら話は別だがな。」
引き金に宛った指に力を込める。フローラは恐怖は感じていなかったが、喉を突かれる苦しみで自然に涙を浮かべた。そしてソアラが舌打ちする。
「わかったわ。ほら、リング出して。」
「だが___」
百鬼は躊躇う。
「フローラを見殺しにはできないでしょう?早く。」
百鬼は仕方なしに、魂のリングをソアラに渡した。
「さすがに話が分かる。おまえのそういう気性は大好きだよ、ソアラ。」
「ふざけんじゃないよ___!」
ソアラはフュミレイをきつく睨み付け、ライから大地のリングを、棕櫚から水のリングを受け取った。フュミレイはフローラの額から片手を放し、銃で彼女を押さえつける。
「さあ、こちらに。」
そしてその手を差しだした。ソアラは慎重にベッドに近づき、スッとリングを握った手を伸ばした。そしてゆっくりと指を解き、三つのリングはフュミレイの手に渡る。彼女がそれを握ったとき、引き金に賭けられていた指が外れているのがソアラの目に留まった。
「ディオプラド!」
「!!」
暫く戦いから遠ざかっていたとしても、ソアラの感覚は僅かな隙も逃さない。ソアラは伸ばした右手を輝かせ、光の球体はフュミレイの胸の当たりにぶつかると、激しく爆発して彼女の身体を弾き飛ばした。その威力に加減はなく、フュミレイの身体は部屋の壁の高い位置にぶつかり、胸の当たりから血を弾け飛ばした。
「フローラ!」
ライと棕櫚が素早くフローラに駆け寄る。だがフローラは何ともないという様子で顔を横に向けて銃を吐き出した。
「やりすぎだぞ___」
「あっ!!」
フュミレイの身を案じた百鬼がソアラの側に寄った。フュミレイの身体がゆっくりと壁から離れる。そしてソアラは悲劇の予感に声を上げた。
「危ない!」
棕櫚も気が付いて植物を走らせる。ライは息をのみ、フローラは目を見開き、百鬼は手を伸ばした。
フュミレイが飛ばされた壁には暖炉があり、彼女の真下には、暖炉の掻き出し棒を備える台がある。掻き出し棒は先端を上に向けて備え付けられ、その先端は暖炉にこびりついた灰を削り落とすために、槍と変わらない鋭さを持っていた。
それがフュミレイの真下にあったのだ。
「フュミレイ___!!」
百鬼が叫んだその時には、掻き出し棒の上にフュミレイの身体が乗っかっていた。細身の腹にめり込んだ先端は、一瞬のうちに彼女の背中から顔を出す。ディオプラドによる鮮血に加え、掻き出し棒を真っ赤な筋が彩っていく。鋼鉄の棒に串刺しになったフュミレイ。その重みでバランスを崩した台が倒れ、喧しい音を立てながら棒とフュミレイの身体が床に横倒しになった。
「そんな___」
ソアラは顔を真っ青にして、ガタガタと震えていた。膝が崩れ、立っていられずにその場にへたり込んでしまった。フローラは目を閉じて顔を背け、ライはただただ絶句してしまっている。棕櫚も伸ばしかけた植物を消し去った。
「あれでは___生きてはいないでしょう___」
棕櫚が呟いた。
「嘘でしょ___あたし___こんなつもりじゃ___!」
ソアラはボロボロと涙をこぼして、顔を覆ってしまう。
「おまえのせいじゃない___」
百鬼はしゃがみ込んでソアラを慰めた。彼には後悔を押し殺して彼女を慰めるしかなかった。
全てが絶望の空気に包まれていた。
リングを守るために、尊い友を失ってしまった悲しみ。
それは言葉にはできないほどの喪失感。
しかし___
「さすがに。」
声がした。
ソアラは顔を上げ、百鬼も、ライも、フローラも、棕櫚も、注目した。
「痛いな。」
ズルル___
鋼鉄の棒が抜き取られていく。その全てが肉から脱すると、大量の血が飛び散り、彼女は顔をしかめて腹を押さえた。だがしかし、彼女は立ち上がっており、そして己の身体を貫いていたものを抜き、それを投げ捨てた。片手には三つのリングをしっかりと握りしめていた。傷も、簡単に塞がっていた。
生きていた。それは喜ぶべきこと。だが、この状況ではあまりにも異常だった。
その場にいた誰もが言葉を失い、奇行を見守ることしかできなかった。
「リングは確かに頂いた。さらばだ___ああ、そう。苦しませて悪かったな。」
フュミレイの掌から放たれた白い輝きがフローラの身体を包む。フローラは恐怖に震えたが、それでもその光の心地に悪意は感じなかった。
そして皆がその光に目を奪われたその時に、フュミレイはリングもろとも姿を消していた。残っていたのは___大量の血痕だけだった。
「分かりませんね___」
事柄を整理するために皆は城の応接室へと向かった。メイドには冷茶を用意するように告げてある。何かを飲んで心を落ち着かせ、ゆっくりと考えなければこの混乱はおさまりそうになかったからだ。フローラの部屋から応接室まで、皆は無口なままだった。応接室のソファに腰を下ろし、最初に切り出したのは棕櫚だ。
「彼女がなぜ無事だったのか___なぜリングを求めたのか___なぜフローラさんを治療したのか___」
名前の挙がったフローラも、ソファに腰を下ろす。彼女の身体にあった火傷の跡は見る影もなかった。百鬼の腕、ライの肩、それぞれの傷も再生したフローラの魔力によって完治された。
「なぜ魔力を取り戻していたのか___」
ソアラも棕櫚の言葉に続けて腰を下ろす。すぐさまカップを手にして乾ききってしまった口を潤した。
「分からないことだらけだね。僕にはついていけないよ。」
「茶化す気にもなれないな。」
ライと百鬼も腰を下ろす。会話の主導権はソアラか棕櫚に委ねられそうな空気。
「彼女が残した手がかりは、奇妙な事実と血痕。」
と、棕櫚。
「もっと前から考えてみない?これは突発的な行動じゃないはずよ。ここに来たときから、そのつもりでいたはずだと思うわ。」
「そうだな。」
ソアラの意見に百鬼も賛同する。
「フュミレイは棕櫚くんと一緒にやってきた。道すがらで何か気になったことは?」
棕櫚は顎先に手を掛けて、冷茶の波紋を見つめながら答える。
「異常といったほどのものは___ただ、とにかく素晴らしい魅力を秘めた方だとは感じました。こちらの心を見透かしているようで___刺激的でしたね。」
「それはそうよ、あたしもそうだった。」
ソアラは棕櫚の受けた印象に共感した。だがそれでは、そこから得られる手がかりはないということになる___
「こっちに来てからも普通に仕事していたな。」
百鬼もできる限りフュミレイのことを思い返してみる。だが引っかかる節はどこにもなかった。
「でも、今になって考えてみると___少し変わったところもあったかも。」
「それは今に始まった事じゃないだろ。」
「そうかもね___あの裁判あたりからずっと不安定だったみたいだし___」
まだ冷静でないのかもしれない。思い出そうとしても、先程の場面ばかりが焼き付いてうまくいかない。
「最後にフュミレイと話したのって誰なのさ。」
それなりに落ち着いているライが尋ねた。
「あたしよ。ああなる前に少し話したわ。」
「なにを?」
フローラに対し、百鬼とソアラの問い掛けの声が重なった。
「えっと___」
フローラはじっくりと思い返してみる。
「ああ、『魔力があれば治療してやるのに』って言ってたわ。」
「じゃあ魔力を失ったって言うのは嘘だったのか?」
百鬼の言葉にソアラは首を横に振った。
「それはないわ。失ったっていうのは本当だろうし、リュキアに遭遇したっていうのだって確かよ。ただ、最近取り戻したのかもしれないけどね。」
「あり得ますね。フローラさんに嘘を付いたのは油断を誘うためでしょう。フローラさん、続けてください。」
こういうとき、ソアラと棕櫚は頼りになる。
「それから自分のことを酷く罵倒していたわ___えっと確か___私は曖昧で、我欲に囚われ続け、生きることに執着し、それを恐れ、被害妄想に振り回され、己を過信し、愚かだった。たしかそんなことよ。」
「良く覚えてるね〜。」
ライは感心した様子で言った。
「それだけ印象的だったの。ああそう、それから___私は裏切りの中に身を置き続け、大切なものを失ってなお策を練り、あざ笑い、愚かしくも醜態を晒し続ける___そう言っていたわ。」
皆は沈黙した。いつもならば「興味深いですね」とか言い出しそうな棕櫚でさえだ。
「でもね、フュミレイは優しかったわ。苦しいだろうけど我慢してくれって言ってくれたし___」
「傷つけるつもりがなかったのは確かよ。拳銃には___」
ソアラはフュミレイが残していった拳銃の弾倉を開く。
「弾が入っていなかったんだもの。」
中は全くの空っぽだった。暴発の可能性を気にしたのかも知れないが、とにかくフュミレイは初めからフローラを撃ち殺す気など無かった。逆に言えばそれは、リングを手に入れること意外に彼女の目的はなかったということだ。
「気にならないか?」
突然、百鬼が切り出した。
「なにがです?」
「フュミレイのいった言葉さ。大切なものを失ってなお策を練り、あざ笑い、愚かしくも醜態を晒し続ける___っていう下りさ。この情景、思い浮かばないか?」
「アレックス!」
ソアラがピンときて声を上げた。百鬼も頷く。
「なるほど、あの瞬間を連想させるね___」
フローラは少し俯き、冷茶を口にした。
「嫌われたかったんじゃないかしら。」
「は?」
突然奇妙なことを言いだしたソアラに、皆の視線が集まる。
「あたしたちと敵対したかった。リングを奪った上で、あたしたちに敵意を持って向かってきてほしかった。」
「そんなことして何の意味があるのさ。」
「ありますよ。」
ライは否定的だったが、棕櫚はあっさりと断言する。
「もし彼女の後ろに誰かがいて、彼女はそいつに弱みを握られて、そして抵抗も助けを求めることもできないとしたらどうです?」
「助けを求めるためには誰かに頼るしかない___そうか、敵対することでその後ろにいる奴を___!」
「まった!」
そこでソアラが話を止めた。
「先走るのは良くないわ。もう一度、彼女が強制されてリングを奪ったという想定で考えましょう。そのほうが建設的な考えができるし、冷静に思い出せるんじゃない?」
そう、決を急いではいけない。まだ分からない部分は幾らでもある。
「そうだ呻き声!」
百鬼がハッとして手を叩いた。
「ああさっきの、頭を抱えて呻いていたってやつね。」
「呻いていたって?」
フローラが尋ねた。
「ちょっと前さ、それこそフローラの部屋に集まるように言われる少し前。あいつの部屋の前を通りかかったら中から呻き声が聞こえてさ、何ごとかって飛び込んだら頭抱えて蹲ってたんだ___で、心配だったから肩に手を掛けたら『触るな!』ってすごい剣幕だった___」
百鬼はそう語っていくうちに声色が少し弱くなり、何度も茶を啜った。落ち着かないのも無理はない。彼はフュミレイを過去の人だなんて思うことはないのだから。
「体に何か異変があったのかしら___」
フローラが呟く。異変といえば___
「魔力___魔力の影響よ。」
ソアラは顔を上げ、自信を滲ませて言った。
「でもフュミレイは元々魔法を使えたんだよ。苦しまないんじゃないのかな?」
ライが一般的な見解を示す。
「魔力の戻り方が急激だったり、自分の許容を超えた量だったら影響はあるわ。」
「なぜそう思うのです?」
「フローラよ。」
「あたし?」
フローラはキョトンとして自分を指さした。
「たった一度の簡単な呪文でフローラの傷を全快させてしまったのよ。フュミレイは元々、私と同じで攻撃的な呪文を得意としていた。彼女にはこれほど強烈な回復呪文は使えなかったはず。」
そう、レベルで言うならばアモンの修業の甲斐もあってか、ソアラはフュミレイと同等のレベルの魔力を手にしていたはずだった。
「魔力は精神のエネルギー。その原点はここに集約される。どう?辻褄合うでしょ。」
ソアラは自分の額に親指を立ててニッと笑った。
「すると次はどうやって彼女がそんな魔力を手に入れたのか、ですね?」
「何者かの仕業か___危険な何かに手を出したのか___」
「よくいうよね、悪魔の契約って言ってさ、願いを叶えるかわりに魂を頂くぞ〜みたいなの。」
ライはお伽話を思い出しながら言った。
「あり得ない話じゃないけど、彼女はリングを奪った。だとしたらその悪魔は超龍神に絡むことになるわ。」
「可能性だがな___」
百鬼が人差し指をたて、皆は彼に注目する。
「元を正せば、フュミレイはアドルフ・レサの任命を受けなければソードルセイドに来ることはできなかった。ということはだ___」
「アドルフ・レサが黒幕___ですね。」
百鬼は頷く。
「あり得ない話じゃないけど___現実的じゃないわね。もしそうなら、アドルフ・レサでさえも、その悪魔の手に落ちていると考えるべきよ。急な世界征服への政策転換。布石はあるわ。」
「整理しましょうか。このままではどうやら我々は、アドルフ・レサに接触しなければならなそうですし。」
皆も棕櫚の意見に賛成だった。
「え〜まず〜、フュミレイはアドルフの命令でソードルセイドにやってきた。もちろん、この裏に何かがいることも考えなくちゃならないわね。彼女は初めからリングを奪うことが目的で、頭痛を堪えながら、自分を極端に卑下して、病床のフローラを利用してリングの奪取に成功___あ。」
快調に事柄をまとめていたソアラが言葉に詰まった。そうとも、大事なことを一つ忘れていたではないか。
「何でフュミレイは無事だったの___?」
それだ。呪文に胸を抉られ、鉄の棒で腹を貫かれて、彼女は平然と立ち上がった。棒を抜き取り、投げ捨て、呪文で傷を塞いだ。顔色も変わらず、姿勢も良かった。
非常識だ。
「!」
棕櫚がハッとする。しかしすぐに自分を否定し、言葉を飲み込んだ。だが百鬼の注意力はそれを見逃さなかった。
「心当たりがあるみたいだな。」
棕櫚は渋々と口を開いた。
「はじめは冗談だとばかり思っていました___俺の心の中でも、片隅に追いやられていた一幕でした___でも改めて、彼女との二人旅を思い返してみると___これは重大な一言だったのかも知れません。」
そしてもったい付けるように語る。
「本当、笑っていたんですよ、お互いにね。」
棕櫚は俄に信じがたい事と感じているのだろう。珍しく、彼らしくない自信に欠けた話しぶりだった。
「勿体ぶらずに話せ。」
百鬼はそんな彼を急かし、棕櫚は一つ溜息を付いた。
「もう馬車がソードルセイドの近郊までやってきた頃です。彼女は俺を魅力的だと誉めてくれました。ただ同時に、俺の全てを理解することはできないとも語りました。そして俺を『ただの人間ではないと思っている』と言ったのです。」
ソアラは黙って聞いていたが、「その気持ちは分かる」と心の中で呟いていた。
「俺は、フュミレイさんが俺に感じた魅力は、俺がフュミレイさんに感じた魅力と同じ、いわば神秘性なのだろうと思ったので、こう言い返したんです。『そんなことを言うと、あなたも人間扱いされなくなりますよ』ってね。そうしたら彼女はこう言いました。」
棕櫚は一つ息を付く。
「いつ私が人間だと言った?」
空気が膠着する。最初に苦笑いと共に首を振ったのは百鬼だった。
「冗談だな、あいつらしい悪趣味だ。」
「でも笑えないわ。あれを見せられた後じゃ。」
ソアラの言葉に、フローラも頷いた。
「まあ何を言っても憶測です。考えは考えに留めておくべきですよ。」
「そうね、とはいってもことは重大。」
「そうだ、憶測でもなんでもいいからフュミレイにぶつけてやればいい。俺はケルベロスに行くぞ!」
百鬼は力強く立ち上がる。ソアラは笑顔で手を叩いた。
「お〜、やる気満々。でもみんな少しはサザビーのことも心配しないとね。」
「少し?」
ライが茶々を入れ、皆に笑顔が戻る。事の真偽は定かではないが、もしフュミレイの裏に何かがいるのならばそれを正さなければならない。
彼女を救うためにも。二度と、彼女に血を流させないためにも。
次の目的地はケルベロス!
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