1 疑わしき女

 「ん___」
 ソアラはなにやら暖かな感触の中で目を覚ました。橙の光が頭の後ろ辺りから差して、目の前を照らしている。どうやら見えるのは天井か?それにしても___
 「!」
 髪の中へ、がっしりとした手がかき分けていることに気が付く。気付けば自分は布団の中にいて、髪の中を進む手が腕枕をしていた。
 「よう。」
 ハッとして横を見れば、そこには汚らしい顔の男がニヤリと笑っていた。瞬間的に防衛本能が働いたソアラは布団を跳ね上げ、飛び上がって彼の顔に掌を向けた。
 「呪文か?」
 「この距離で撃てば確実に仕留められるわ___」
 神官服のままだったソアラ。下ろしている長髪が広がった。四条は橙の光に照らされ、凛々しい顔つきでこちらを睨み付けるソアラに、身体の疼きを感じた。
 「撃てやしないさ。」
 「なら思い知らせてやるわ!」
 威嚇のドラゴンブレス。ソアラはそのつもりで念を込めた。しかし掌からはこれっぽっちの炎も出ない。
 「?___ドラゴンブレス!」
 この呪文に関しては、念じるだけでも放てるようになったはずだ。それなのに___
 「マグナカルタっていう呪文があってなあ。眠っている間にかけさせてもらった。おまえの魔力は封じられたってわけさ。」
 「そんな!」
 「あと右手の指輪はもらっておいたぜ。」
 「!」
 ソアラは愕然として自分の手を見やった。四条は彼女の慌てぶりを楽しそうに見て、布団をどかされた自分の身体を指さした。
 「え?うっ___!」
 四条が仰向けで、しかも憚りなく全裸だったのを知り、ソアラは閉口する。蹴飛ばした布団を掴みあげて彼の腰に被せた。
 「なんなのよいきなり___!」
 「照れるなよ、初めてみたわけでもあるまいし。」
 「そんな問題じゃないわ!」
 ソアラは声を荒らげ、漸く少し冷静になって辺りを見回した。開いた襖の向こうには畳張りの部屋があり、その先に恐らく廊下へと続くであろう襖がある。ここは四条の部屋だった。
 「ここは___?」
 「鬼援隊のアジトさ、花嫁さん。」
 ソアラも覚悟を決めた様子で、布団の上に腰を下ろした。
 「___裏をかいたってわけ?」
 「まあな。」
 四条は両手を頭の後ろで組み、枕代わりにした。先程布団を飛ばしたとき、彼は完全に全裸だった。
 「余裕ね、あたしが戦える女だって知ってるくせに、そんな無防備で___」
 「自信があるからな。」
 四条の瞳は橙の光を浴びてギラギラと輝く。ソアラは背筋に緊張が走るのを感じた。彼はやはりホープ家を苦しめる、それだけの何かを秘めた男だ。
 「とりあえず脱げ。」
 「は?」
 ソアラは眉間に皺を寄せて問い返した。
 「生かすか殺すか、審査の一つさ。俺に気に入られないと殺されるぜ。」
 「あたしは諂ったりしない___」
 「それくらいの方がいい。とにかく脱げ。俺に肌をさらせ。」
 四条の要求はあまりにも強引で、状況からいっても逃れることはできないと感じた。しかし、この身体で男の相手をすることはかなわない、だが弱みを握らせたくもない___
 「脱げ。」
 「分かったわよ!」
 ソアラは素早く神官服の上着を脱ぐと、四条の顔に叩きつけた。四条は苦笑いしながら肘を立て、彼女が服を脱ぎ捨てていく姿を眺めていた。
 「悪趣味___!」
 「これからその男に抱かれるんだ。」
 ローブをはだけ、白い肌が橙の光の中に露わとなる。四条の目線を気にしながら、ソアラは開き直るように全てを脱ぎ捨てていった。
 「いい脱ぎっぷりだ。よーく見せてくれ。」
 「___」
 ソアラは一糸纏わぬ姿でその場に立ちつくした。身体の細部まで嘗めるように眺めていく四条の視線は、実に耐え難いものだった。
 「いい身体だ。かなりの武闘派と見た。」
 「ありがと___」
 「ただ、その腹は不釣り合いだな。」
 「!」
 ソアラは目を見開いて四条を見た。視線が交錯すると彼は悪戯っぽく笑い、体を起こした。ソアラは小さく身じろぎして、腹部を手で隠した。
 「女が胸も隠さず腹を隠すか___いるな、あいつのが。」
 隠していてもいいことはない。こんな男に人情を期待することはできないが、それでも道はなかった。
 「ええ。あなたが忌み嫌うホープ家の子供よ。」
 「ははぁん___」
 四条はぼさぼさの頭をかきむしり、嫌らしい笑顔で彼女を見つめた。ソアラはとにかく腹部を手で守り、後ずさった。我が子を守ろうとする本能がそうさせた。
 「生みたいか?」
 「当たり前でしょ___」
 四条は行燈の側に置いてあったものを取り上げると、ソアラに差し出した。
 「着ろ、長襦袢だ。」
 「え___?」
 思わぬ一言だった。四条はソアラの足下にそれを放り投げ、自らも枕元に投げ出されていた襦袢を身に纏った。
 「どういうつもり___?」
 ソアラは訝しげに問いかけ、長襦袢を広げた。
 「生ませてやるよ。」
 「あたしを殺さないの?後悔するわよ___」
 「いいじゃねえか。こいつは賭けだ。」
 四条は襦袢を羽織っただけのソアラに近づき、その首筋に顔を近づけ、舌を這わせた。
 「賭け___?」
 ソアラは頬を朱に染めながらも、平静を保って聞き返した。服の隙間から、厚みのある掌が胸を窘めた。
 「今回で、俺とニックは決着をつける。俺が勝てばおまえは俺の妻となる。そういうことだ___」
 「いいの?ニック・ホープは必ずあなたを討つわ。」
 根拠なんてない。だが彼女には彼の妻であるという自負があった。理由はそれだけで充分だ。四条はソアラの身体で遊ぶことをやめ、トンッとその肩を叩いた。
 「それくらいのほうがいい。そういう思いを打ち砕けば、おまえは俺に惚れるしかなくなるさ。」
 「言うわね___」
 四条は敷居を越えて畳張りの部屋へと移った。
 「子供は生ませてやるよ。面白いじゃねえかニックの子供なんて。もちろん、そのあともう一人作るがな。おい!飯もってこい!」
 四条はさらに廊下へと続く襖から顔を出し、廊下で番をしていた忍びに怒鳴りつけた。
 「自由にさせるわけにはいかないからな、牢には入ってもらう。まあとりあえず飯でも食えよ。」
 「___あんたは___」
 大した男だ。そして酷い男だ。
 「ニックが一番嫌う男よ。」
 なにをするにも遊び半分。彼にとってはニックとの争いも遊び同然。
 「そりゃどうも。」
 彼女の嫌悪があからさまだったので、四条は笑った。

 フローラはウェディングドレスを血に染めながら、人々の治療に奔走していた。しかし聖堂にて息絶えた人々は実に三十人を数えた。聖堂での怪我人の治療、そして遺体の搬送が終わったのは実に夕刻を回ってから。それから百鬼をはじめとする面々は、休む間もなく会議室へと集まり、対策を練り直すことにした。
 「待たせたな。」
 皆が待っていた会議室に、百鬼が遅れてやってくる。彼はその手に一本の刀を持っていた。黒光りした鞘と、青銅色の鍔はともにどこか煤けたようにくすんでいる。
 「それは?」
 ライが刀を指さして問いかけた。
 「百鬼丸。」
 ライは自分の席の前、机の上に刀を置いた。
 「百鬼丸?」
 「すると偽名の由来は___」
 「そう、この刀さ。」
 百鬼が片刃の剣に愛着を示す理由、それは全てこの刀に通じることだった。彼は剣術ではなく、刀術を磨く幼少期を過ごした。そしてこの百鬼丸はホープ家の祖エリックが、剣ヶ岬にソードルセイドを興した際に最高の刀鍛冶に作らせた、まさに至極の一品である。
 「俺はニックだが、百鬼という名前にも誇りを持っているつもりさ。」
 「なぁんだ、刀から取ったんだ。どおりでナンセンスな名前だと思ったんだ〜。」
 ライが拳骨で叩かれたのは言うまでもない。
 「ほらほら、気取っている暇はないはずよ。早く始めましょう。」
 首筋に見える包帯が痛々しいアウラールに急かされ、百鬼も席に着いた。
 「無駄は省きましょう。私の推理を発表します。」
 早々に棕櫚が立ち上がった。囮作戦を具体的なものにしたのは彼だ。責任を感じているのだろうか、いつになく辛辣な面持ちでいた。
 「推理だと?手がかりはフォーレンダムだけじゃないのか?鬼援隊の忍びは自爆してしまったんだ___」
 棕櫚は首を横に振った。
 「いいえ、手がかりはありますよ。単刀直入にいうならば、鬼援隊の四条に心酔する忍びで、百鬼さんとも深い接点を持つ女性がいます。」
 彼はあっさりと断言してみせた。何故そんなことが言えるのか、テーブルを囲む面々にはまったく分からなかった。
 「根拠は?」
 「まず、フローラさんが囮であることを見抜き、こともあろうかソアラさんを浚ったということ。彼らはソアラさんの髪の色を知り、それを目標に浚っていきました。これはつまり、百鬼さんと何らかの接点を持ち、彼の恋人がソアラという名であり、彼女が紫色であることを知っていなければなりません。」
 さらに棕櫚は続けた。 
 「そして聖堂を襲撃した五人の忍び。そのうちの一人は女性でした。」
 「そうなの!?」
 「体型を見れば分かります。天井からロープで下りてくるところが見えました。」
 「よくあの一瞬で___」
 それほど鬼援隊の目くらましは完璧だったのだ。しかしそれでさえ棕櫚には通じない。皆はあらためて彼の不思議を感じた。
 「あの場で自爆した忍びは三人。四条と彼女だけはソアラさんを浚って消えました。四条が直接に百鬼さんと接触するとは思えませんし、やはりこの女性が鍵と考えられます。どうです?十年も会っていないあなたをニック・ホープだと見抜け、そして恋人がソアラさんであることまで知っている女性。」
 百鬼は腕組みしてテーブル上の一点を睨み付けた。
 「まずアウラール。小夏、小夏のおばさん、それに___珠洲丸だな。」
 「あたしは抜いてよ。」
 と、アウラール。
 「小夏さんと女将さんだって違うわ。」
 それには異論のないところだ。そうすると残るのは___
 「確かに___珠洲丸とはこの街に来てすぐにあった。ソアラのことも紹介した___でもあいつが鬼援隊だなんて!」
 百鬼は首を振り、頭を抱えた。棕櫚の言葉は的を射ているが納得することなんてできない。
 「俺ははじめから彼女が怪しいと睨んでいました。」
 「嘘、でたらめ言ってない?」
 アウラールは両手を上に向け、彼を疑うような口振りで言った。
 「彼女には血の匂いが染み付いています。これはあくまで俺の感覚ですがね___」
 百鬼はしばし俯いたが、短い逡巡の後すぐに顔を上げた。
 「直接かまをかけてみよう。棕櫚、手伝ってくれるな。」
 彼の決断は迅速だった。人なんて十年あれば変わるもの___自分に言い聞かせての苦渋の選択だった。
 「アウラールは四条家と石川家の接点をあらってくれ。どちらも確かな家柄だ、資料もあるだろ。」
 「任されたわ。」
 アウラールは拳で胸を叩き、痛みに顔をしかめた。
 「ライとフローラはアウラールを手伝ってやってくれ。行くぞ、棕櫚!」
 百鬼は颯爽と会議室から飛び出していった。その手に百鬼丸を握りしめ。 

 「客ですか?」
 長屋街一番の米問屋、石川屋。珠洲丸は自室で鮮やかな黒髪に櫛を通していた。
 「そうだ。ニック・ホープ殿がお出でだよ。」
 彼女を呼びにきた小柄な男は珠洲丸の父、石川元禄は口元を歪めて言った。娘である彼女も感服するほど、父の仮面は徹底している。今こうして、鬼援隊の金蔵でいるときの父の顔と、大旦那として店に出ているときの父の顔。まるで阿修羅の面の如く異なる。
 「ニックが___偶然とは思えませんね。」
 珠洲丸はつい先程帰ってきたばかりだった。四条のところから、褒美にたっぷり愛してもらった後だった。
 「やれるか?」
 「無論です。」
 「ニックは護衛を連れてきたようだ。早まることはない、うまく取り合え。」
 「はっ。」
 父の狡猾な笑みを見送り、珠洲丸は髪を束ねた。

 「まあニッちゃん、わざわざ来てくれたの?」
 「久しぶりに話でもしようかと思ってね。」
 お互いに作り笑顔にしては良くできている。城で起こった出来事を知る珠洲丸にとって百鬼の行動は常識外れであり、彼がこちらを試しているのだと察するのは容易だった。
 「そちらの方は?」
 「棕櫚っていうんだ。旅仲間でね。」
 「あ、そういえば美濃屋にいらっしゃった___」
 「そうです、覚えていて下さいましたか。」
 芝居にもほどがある二人の微笑み。棕櫚は彼女の香りを気にしていたし、珠洲丸は百鬼が彼を帯同した意味を探っていた。
 「城で何か騒ぎがあったようだけれど___」
 「ああ、ちょっとした爆発事故さ。長屋じゃもう噂になってるのか?」
 「ええ、ずっと騒がしかったわ。」
 百鬼は少しだけ気まずそうな顔をして、彼女から目をそらし空を見た。
 「なあ、ここじゃなんだし、ちょっと歩かないか?」
 「いいわよ。」
 「俺はフローラさんに頼まれていた買い物があるので、これで失礼しますよ。」
 棕櫚はそれだけ言って、珠洲丸に一礼し早々に立ち去っていってしまう。
 「行こうぜ。」
 「ええ。」
 百鬼と珠洲丸は隣り合って歩き出した。珠洲丸は百鬼の意図が分からず、警戒心を強めた。そしてそれ以上に注意深く二人の後ろ姿を見ていたのは棕櫚。いざというときのことも含め、距離をおいて彼女を観察する。
 「いやぁ、棕櫚の奴がいなくなってくれてよかった。せっかくだからな、二人で話がしたかったんだ。」
 「まあ、あなたには恋人がいるのに。」
 これも駆け引きというものだ。そして互いの思惑を想定しているだけに、自ずと話は肝に触れてくる。だがこれも作戦のうち。棕櫚との打ち合わせで、珠洲丸を試す方法は決めていた。
 「いや。俺とソアラは本当の恋人じゃない。」
 「え?」
 冗談、或いはかまかけだと思われてはいけない。
 「あいつとんでもない性格でさ、みんな嫌々に旅してたんだ。俺も一方的にくっつかれていただけだし___」
 つまり作戦とは、恐らく百鬼とソアラの関係を四条に伝えたであろう珠洲丸に対し、むしろソアラを浚ってくれて助かったと思わせるのである。こうして彼女の反応を見るわけだ。
 「でも___仲良く見えたわ。」
 「しょうがないんだ。子供を作っちゃってさ___」
 百鬼は珠洲丸の耳元に顔を近づけた。
 「ここだけの話しさ、城であった騒ぎでソアラが浚われたんだ。鬼援隊っているだろ?あいつらの仕業さ。」
 「ええ___」
 珠洲丸は困惑した。しかし悟られないように、表面では平静を保つ。
 「予告があってね、ソアラの奴、フローラを囮にして浚わせるなんて言いだしやがったんだ。みんな腹を立てたけど、あいつは身重であることを盾にして、ごり押ししやがった。でもどういうわけか鬼援隊に見抜かれて、結局あいつが浚われたんだ。まったく、ざまあみろって感じさ。」
 百鬼は演技とはいえここまで言える自分の口を疑った。一方の珠洲丸は、嘘か本当かは抜きにして、百鬼の言葉に困惑していた。もし彼の言葉が本当であれば、自分はとんでもない余計な口出しをしたことになってしまう。
 「珠洲丸___」
 百鬼は突然立ち止まり、珠洲丸の肩に手を掛けて振り向かせた。いつの間にか、大通りを外れて人気の少ない路地に入り込んでいた。日も暮れて、空は赤から黒へと変わりかけている。
 「俺と一緒に旅をしないか?」
 「___え___」
 珠洲丸は何がなんだか分からなくなった。憎むべきはずのニックが真っ直ぐに自分を見つめ、まさかとは思うが___
 「俺が本当に好きなのはおまえなんだ。」
 いや、まさかが起こってしまった。珠洲丸は困惑し、眉を下げて口元を震わせている。こんなことは___あってはならない!
 「珠洲丸!」
 彼女が動揺しているのを感じ取った百鬼は、半ばヤケになって彼女を抱きしめた。それは予定になかったことだが、これくらいの思い切りが罠には必要である。
 「___そんな___」
 百鬼の身体は力強く、真っ正直。四条に抱かれる身体になっていた珠洲丸に、彼の抱擁は斬新で、感じたことのない情熱を帯びていた。
 混乱してしまう___
 これが夢でないのなら、四条様のために私はどうすればよいのだろう?命を絶てばよいのだろうか?そしてソアラを浚わせてしまったこと、なんと詫びればよいのだろう?
 そして___この奇妙な胸の締め付けは何だ?
 四条様に愛される恍惚とは違う、この高揚は___
 「やめて!」
 珠洲丸は百鬼を突き飛ばした。想像以上の力で。
 「私は___私は!」
 珠洲丸は口惜しそうに唇を噛み、走り去っていってしまった。
 「収穫ありですね。」
 路地の向こうから棕櫚がやってきた。百鬼は冴えない顔で彼を迎える。
 「気分悪いな。」
 「それはそうでしょう。ソアラさんのことをあれだけ言えば。」
 「珠洲丸にも悪いことをした。」
 百鬼は気まずそうに頭を掻いた。
 「疑わしきに甘さは禁物です。これは布石なんですから。」
 「ああ___」
 百鬼は自分に言い聞かせるように頷いた。
 「次は向こうの出方を待つか___」
 「そういうことです、今のうちにゆっくり休んで英気を養いましょう。」
 そして二人は城に向かって歩き出した。様々な思惑の中、激動の一日は幕を閉じようとして___
 いや、最後の一幕がまだ残っている。それは、日付が変わろうかという頃、雪の降り出した長屋街で起ころうとしていた。
 「引っ捕らえてやる___!」
 草光晴の決意を引き金にして。




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