4 狙い

 支度を整えたフローラは、一人鏡台の前で鏡に映る自分を見ていた。身に纏った純白のドレス。細部まで飾られ、所々に小さな宝石がちりばめられている。フローラは更に純白の絹の手袋に、銀のティアラまで身につけ、いつもはすることのない化粧をし、時を待っていた。
 「ウェディングドレスか___」
 鬼援隊を罠に掛けるためとはいえ、この姿で男性を待つ心地は複雑だった。ウェディングドレスは___本当に愛する人のためにあるものと思っていたから。
 ___
 「花嫁にするってどういうこと?」
 「鬼援隊はソアラさんを浚うとは言っていません。花嫁を浚うんです。フローラさんがソアラさんに化けて囮になるのではなく、百鬼さんは初めからフローラさんを愛していて、この二人が晴れて夫婦になることにするんですよ。」
 棕櫚の案は奇抜そのものだった。中途半端な罠ではない、徹底させようというのだ。
 ニック・ホープが結婚するのはソアラ・バイオレットではなく、フローラ・ハイラルド。ソアラはただそれを祝福するだけ。その段取りで結婚式を執り行うというのだった。
 結局この案が通り、実に血の宣告から四日後に、城内だけでしめやかに式典が執り行われることになったのである。無論、噂は街を席巻したが。
 ___
 フローラは花嫁として百鬼を待っていた。
 コンコン___ノックの音。
 「開いているわ、どうぞ。」
 百鬼だと思ったフローラは、ゆったりとしたドレスのスカートを少しだけ持ち上げて、立ち上がった。
 「うわぁ。」
 しかし扉を開けて現れたのは、番兵に扮したライだった。彼は神々しいまでに美しいフローラの姿に、感嘆の声を漏らした。
 「ライ。」
 フローラは自然と微笑んでいた。百鬼よりも先に現れたのが彼だったことに、自分が喜んでいるらしいこと___彼女も薄々と感じていた。
 「ソアラがさ綺麗だから見てきなって言うから来ちゃった___」
 「フフッ___」
 フローラははにかみ、ライは顔を赤くして頭を掻く。彼も何となくだが、異性への好意というものをフローラに感じはじめていた。ただなかなか言葉にはできない。上手なやり方を彼は知らなかった。
 「___」
 「___」
 二人は黙ってしまう。ライが何かを考えているのが分かったから、フローラは黙って微笑んでいた。
 「あのさぁ___」
 「なあに?」
 ライはもじもじして、フローラとろくに目さえ合わせられないでいた。どうやらこの手の勇気は彼にとって別物らしい。
 「綺麗だよ。」
 率直な感想を表した、彼らしい言葉だった。彼が照れながら呟いた一言は、それだけで重みがある。それこそサザビーが最高の口説き文句を吐き出すのと同じくらい、価値のある一言だった。
 「ありがとう。」
 フローラも素直な彼に心を伝えるため、最もわかりやすい感謝の言葉で返した。
 「それじゃあ僕行くね、とにかく気をつけて。」
 「ライがいてくれるもの、私は安心しているよ。」
 ライは真っ白な歯を見せてニッコリと笑った。
 「あんたも気が利くようになったわね〜。」
 「おまえのおかげ。」
 ライがノリノリでフローラの部屋の前から立ち去っていくのを百鬼とソアラが覗いていた。白いモーニングの百鬼に、神官服を纏ったソアラ。ライのことを気遣って、フローラのところに差し向けた張本人たちである。
 「しかしおまえまで結婚式に出る必要があるのか?終わるまで隠れてたらいいだろうに。」
 百鬼は神官帽をかぶって髪を隠しているソアラに、不安をこぼした。彼女も鬼援隊が現れるであろう危険な結婚式に出席、それも新郎新婦の側に立つ神官の一人として出席するのである。
 「あたしが出ないわけにいかないでしょ。フローラは私の身代わりなのよ。黙ってみていられるもんですか。鬼援隊をこの目に焼き付けてやるんだから!」
 ソアラは口をへの字にして、鼻息を荒くした。
 「それじゃ、あたしは先に式場に行ってるから、後から仲むつましくおいで。」
 「おう。」
 二人は短い口づけを交わし、そこで別れた。
 百鬼が迎えに出たとき、フローラは少し緊張していたようだったが、表情は穏やかだった。ナーバスになっていなかったのはライのおかげだろう。
 彼はそれらしくフローラの手を取って、ゆっくりと式場へと向かった。

 式が執り行われるのは、ソードルセイド城中庭の一角にある大聖堂。大扉を開くと、入り口から真っ直ぐに緋色の絨毯が伸び、その両側には空間が広がる。正面には十字架が掲げられ、背後のステンドグラスは剣を掲げた騎士を象っていた。その下には広く荘重な祭壇が広がって、その手前に左右十列程度の木製の長椅子が据えられている。天井は驚くほど高く、どうやって開け閉めするのか分からない天窓から、外の光が射し込んでいる。どうやら典型的な北方系教会を模しているようだった。
 「___」
 祭壇の中央には司教が立ち、ソアラと棕櫚を含む六人の神官がその両脇に並ぶ。長椅子にはアウラールをはじめとする国家の要人と、古参の家臣たちが居並ぶ。入り口付近から広がる空間には残りの面々、従僕やメイド、ライを含む番兵たち。特に、唯一のまっとうな出入り口である大扉周辺には番兵が多かった。
 彼らは皆、今回の趣旨を知っている。大聖堂は独特の緊張に包まれていた。
 ギィィィ___
 大扉が音を立てて開き、祭壇横のオルガンが厳かな旋律を鳴らす。全員が身を引き締め、不自然でないように辺りをうかがっていた。
 「行こう。」
 「うん。」
 二人だけで囁きあってから腕を絡め、前後を屈強な兵に固められた百鬼とフローラは大聖堂に姿を現した。それから一歩一歩、確かめるように祭壇へと進んでいく。
 「かなりの警戒態勢だが、あれがフローラか。」
 聖堂の天井には、濃い緑色で際立ってよれよれの忍び装束に身を包んだ四条、黒装束と赤い鉢巻きに口元を覆面で隠した珠洲丸、黒装束に頭巾姿の忍びが三人、天窓から中の様子を伺っていた。
 「ほほう、美人じゃねえの。汚れを知らない女、ありゃ処女だな。」
 そんなことを言って四条は一人で笑っている。しかし珠洲丸の顔が冴えないのに気付き、彼も真顔に戻った。
 「どうした、今の冗談が不服か?」
 「いえ、納得がいかないのです。」
 珠洲丸も天窓から中の様子を覗き見る。百鬼とフローラの歩く姿は、彼女にはどうもぎこちなく思えて仕方がなかった。
 「これは罠ではないかと___」
 「なんかしらの罠はあるだろう。だからこうして、鬼援隊の精神を全うできる男三人を連れてきた。」
 四条の言葉も珠洲丸の顔から猜疑心を拭えはしなかった。
 「私が納得できないのはあのフローラという女です。私は実際にニックに接触し、例のソアラを恋人として紹介されたのですよ。」
 「するとあの女は囮か。浚われることを覚悟の上での策があるわけだ。」
 四条も納得して数回頷き、やがて目を閉じ、無精髭で汚れた口を歪めた。
 「ソアラは紫色の髪と言ったな。この場にいるか?」
 「帽子で隠すことはできます。」
 「限界まで探して、見つけたらソアラを浚う。駄目ならフローラで妥協してやろう。」
 四条は薄ら笑いを浮かべながら改めて聖堂の様子を伺った。もはや百鬼とフローラは祭壇に立ち、司教を前にしていた。
 「誓いの口づけが終わったら仕掛けるぞ。その方が面白い。ニック・ホープが嫌がることはなんでもやる。」
 それが今の鬼援隊の方針。百鬼が彼らを落ちぶれたというのは極当然のことだった。

 「汝ニック・ホープはフローラ・ハイラルドを生涯の妻とし___」
 本来の段取りに乗せて式が進んでいく。いつ仕掛けてくるのかと警戒しながら、できる限り自然に振る舞う。誓いの言葉に肯定の返事をし、指輪の交換だけはその素振りをしてみせる。水のリングと魂のリングだ。本当に交換するわけにはいかない。
 「焦らすわね___」
 ソアラは微動だにしないまま、口元だけで隣の棕櫚に呟いた。
 「狙いですよ___緊張が途切れる瞬間は必ずあります。」
 「それを待っている___」
 「そうです。」
 ソアラは改めて気を引き締め、周囲に警戒の眼差しを向ける。
 「せめてあたしたちだけでも集中を切らさないようにしましょう。」
 「勿論。」
 式はつつがなく進んでいく。何事もなく進めば進むほど、人々は緊張を保てなくなる。そして、四条にとっての合図の時が訪れた。
 「それでは誓いの口づけを。」
 「なっ!」
 司教の口上を聞いた百鬼は、思わず声を上げかけて慌てて口をつむんだ。
 「く、く、口づけだと___!?」
 百鬼は気付かれないように司教を睨み、囁き声で言った。
 「しかし段取りが___」
 司教も戸惑いながら囁く。
 「かまわないわ百鬼。あたしたちはこれから夫婦になろうとしているのよ。」
 フローラの囁きが一番冷静で、覚悟を決めた気迫があった。百鬼はそれでもあまりに申し訳がなく、フローラの方を振り向くことさえできない。
 「早く。」
 フローラは自ら彼へと向き直り、静かに目を閉じて顎を上げた。百鬼はやむなく彼女に向かい合い、そして静かにその唇を重ねた。
 「___」
 ライはその瞬間、妙なもどかしさを感じ、ソアラはフローラの憂いを押し殺すような表情があまりにも辛く、唇を噛んだ。
 そして二人の口づけに気を削がれた人々の大半が、集中を失っていた。
 バリンッ!!
 天井のガラス戸が破られ、破片の雨が降り注ぐ。百鬼はすぐさま唇を離し、それでもフローラを抱いたまま彼女と目線を交錯させる。フローラは一際凛々しい顔つきになって、頷いた。
 「なんだ!」
 天井から黒い球体が投げ込まれ、それは空中で弾け飛ぶと突如として白い煙をまき散らした。
 「煙幕か!」
 会場が一気に騒がしくなる。煙に紛れるようにして、四条を初めとする五人は、天井からロープを下ろし、一気に大聖堂へと滑り降りてきた。
 「四条!」
 百鬼が四条の名を呼ぶ。だが彼は答えなかった。喧噪の中、煙の影で無数の悲鳴が飛び交う。
 「百鬼、私を離して。」
 「必ず助ける___」
 「ええ。」
 百鬼はフローラを抱くことをやめ、彼女は自ら煙の濃い方へと数歩進み、立ち止まった。
 「四条出てこい!」
 「雑兵の始末が先だぜ!ニック!」
 聞き覚えのある、いや、忘れたくても忘れられない声!百鬼はすぐさま祭壇の裏から隠していた剣を取りだした。
 「煙が邪魔だったら___ディオプラド!」
 ソアラは天井にその手を向け、白熱球を放つ。そしてそれが天井高い位置まで登ったところでグッと拳を握った。
 「くっ!」
 ディオプラドは激しく爆発し、壮絶な風圧が大聖堂を駆けめぐり、その煽りを受けたほかの天窓が砕け、煙は一気に散り散りになって外へと弾き出された。
 ただ風圧は神官たちの帽子をも吹き飛ばし、ソアラの紫色の髪が流れた。既に祭壇に登り、フローラのすぐ前にいた四条寸之佑は、それを見つけてニヤリと笑った。
 「四条!」
 百鬼が剣を振りかざして四条の元へと駆け出す。棕櫚もすぐさまそれに続いた。フローラはただ四条を睨み付け、怯える素振りをするだけ。四条が自分を盾にして、百鬼と棕櫚の追撃を振り切ろうとするのを待つだけだった。
 「悪いがうそっこの花嫁に用はねえ。」
 「えっ!?」
 その一言がフローラを唖然とさせた。
 ドゴォォォォンッ!!
 四条の後方で突如として爆発が巻き起こった。それは実に壮絶で、大量の血飛沫と肉片を弾け飛ばしながら、ソードルセイド城の人々を発破する。爆発の煽りを受けた家臣やアウラールも悲痛な顔で壁際まで飛ばされていた。
 「なにが!え___むっ!」
 爆発は孤立していたソアラの気を引き、彼女は祭壇の影から迫っていた珠洲丸に気付かなかった。
 「うおりゃあ!」
 「おっと。」
 四条は百鬼の直情的な剣を軽やかな身のこなしでやり過ごす。力任せに剣を振る百鬼をあしらいながら、彼は珠洲丸の手によって麻酔薬を嗅がされたソアラの姿を見やり、笑みを浮かべた。
 「どうしたんです?」
 四条を百鬼に任せ、棕櫚は様子のおかしいフローラに近寄った。
 「嘘の花嫁って___」
 「えっ?」
 「ソアラは!」
 フローラはソアラがいたであろう場所を振り返った。そこに彼女はいなかった。
 「まさか!」
 さしもの棕櫚も驚きを隠せない。
 「なんだと!?」
 百鬼もそちらを振り返った。そしてその瞬間、祭壇の後ろ、ステンドグラスの下の壁が轟音をあげて崩れたのである。
 「細工は粒々。既におまえの花嫁は迎えの忍びが連れだした。」
 四条は忍び刀を手に遊ばせ、呆然としている百鬼に向かってそう言った。
 「貴様!」
 百鬼はすぐに振り返って四条に剣を振るう。だが四条は後方に下がって身を翻すと、百鬼に向かってその手を突きだした!
 「ドラゴンブレス!」
 「なっ!」
 勢いに任せて突っ込んできた百鬼の身体が炎に包まれる。呪文だ。
 「ククク!」
 「このぉぉっ!」
 悶える百鬼を見て笑っている四条に、後方から飛び出したライが斬りかかる。だがすぐさま四条との間に忍びが割って入った。
 「えっ!?」
 忍びは刀でライの剣を受け止めようとはせず、自らの腹で彼の剣を受けた。ライは信じられない玉砕行為に驚き、戸惑い、動作が止まる。
 「後は任せたぞ。」
 四条は祭壇裏の穴に向かって駆けだした。
 「待ちやがれ!」
 フローラに炎を消してもらった百鬼は、彼を追いかけようと立ち上がる。
 「俺を追うよりも自分たちの身の安全を心配したらどうだ?馬鹿王子!」
 「あっ!」
 ライが声を上げた。彼の剣を腹に受け止めた忍びが、最後の力で己の装束を引き剥がしたのだ。露わになった忍びの身体には、大量の火薬袋が巻き付けられていた。そして彼の手には既に火種が握られていた!
 「自爆!?」
 火種は火薬へと投じられる。
 「ククク___」
 爆音を背中に聞いて、四条は笑みを止められずにいた。
 「花嫁は既に我らが手に。我々も戻りましょう。」
 「そうだな。これから忙しくなる。」
 聖堂の外で待っていた珠洲丸を一瞥し、二人は颯爽とソードルセイド城から去っていった。
 「はぁっ___はぁっ___」
 爆発により飛び散った血肉で身体を汚し、ライは荒い息を付いていた。
 「くっ___」
 爆発は棕櫚の右手を激しく引き裂き、彼は崩れ落ちた。とっさの機転で大量の植物を放ち、忍びの身体を包み込んで爆発を押さえ込んだ棕櫚だったが、その威力は植物を通じて彼の右腕を砕いたのである。
 「棕櫚!」
 フローラがすぐさま彼の治療に掛かる。聖堂の入り口付近では、最後に残った忍びが自爆し、またも血肉が弾け飛び、近くにいたソードルセイドの番兵たちが宙を舞った。
 「こんな___なんてこった!」
 爆破の風が吹き抜け、血みどろの聖堂に、折り重なるようにして人々が倒れている光景が百鬼の目の前に広がる。あまりの衝撃に彼は膝から崩れ落ちた。
 「畜生___!」
 完敗だ。
 大失敗だ。
 「畜生___」
 彼は全ての口惜しさを拳にぶつけ、指に血が滲むほどの力を込めて、床を殴りつけた。




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