1 帰ってきた王子

 「ちっ___こいつはひでえや___」
 精悍な醤油顔が自慢の岡っ引き、草光晴は遺体に被せられた筵を捲って顔をしかめた。隣では同心の三吉が思わず目を覆っていた。三吉は草より一つ年下で、草が岡っ引きになったときからの相方である。
 「えげつない仏さんでやんすね___!」
 「えげつないのは下手人さ。喉を一切りなんて___尋常じゃねえ。」
 草は男の袖が膨らんでいることに気が付き、手を伸ばした。
 「見ろ。」
 「金でやんす。」
 「んなことは分かってる。強盗じゃねえってことさ。こいつは辻斬りさ!」
 草は唇を噛みしめ、仏に筵を被せた。実は辻斬り事件は今に始まったことではなかった。もう三ヶ月も前くらいからだろうか、長屋街で突然通行人が斬り殺された。犯行は夜に行われ、犯人は今もつかめずじまい。そればかりか有力な手がかりさえない。手を拱いているうちに再び人殺しが___また一人、また一人___
 立て続けに起こったことで判明したのは、辻斬りは長屋街でしか起こらないということ。ただでさえ長屋街と煉瓦街の確執が取り沙汰されていた昨今、両者の争いは活発になり、特に長屋街の煉瓦街に対する怒りは理不尽に思えるほど際立っていた。
 「まずは聞き込みだ、仏さんの足取りと、昨夜この辺りで怪しい奴を見た人がいないか、探すんだ。」
 岡っ引きたちも、辻斬りの捜査は煉瓦街でやれ!と詰め寄られ、困惑する日々が続いていた。今となっては、長屋街で辻斬りの捜査をしているのはこの草光晴と三吉くらいだ。

 「駄目でやんすね、昨日は特に冷えたから___」
 「誰も外を出歩いたりしてねえか___」
 周辺での聞き込みを終えた草と三吉は、重い足取りで街を歩いていた。街角では瓦版屋が滑らかな口上に乗せて辻斬り事件を売っていく。草は恨めしそうにそれを一瞥するとまた舌打ちした。
 「煉瓦街の奴らめ!」
 「王家が差し向けてるんじゃねえだろうな___」
 「鬼援隊だ!こういうときは長屋の英雄の出番だぜ!」
 瓦版を手にした人々は口々に囃し立て、鬼援隊の名を持ち上げた。ソードルセイドの長屋では煉瓦街や王族と戦う力を求めたとき、真っ先に鬼援隊の名が上がる。相次ぐ長屋街での辻斬り事件で、人々は王家への不満を抱き、それが鬼援隊再興の風潮を盛り上げていた。
 「どいつもこいつも鬼援隊、鬼援隊___ふざけやがって___」
 誰も岡っ引きに解決を求めない。岡っ引きは着物を着ていても王家の従僕。煉瓦街の警備隊と変わりのない立場だ。むしろ彼らに対する風当たりも強く、中にはグルだとまで言うものもいたほど。
 「親分___」
 草の苛立ちを感じ取って、三吉が声を掛ける。
 「お?」
 だが草の顔色が、言葉と裏腹に酷く情緒的になっていることに気が付いた。何かに見とれるようにして正面を向いていた。見れば前から整った身なりの、実に貞淑な女性がやってくる。
 「おろろろ?」
 三吉は彼女と草の顔を代わる代わる見て、ニタリと笑った。
 「こんにちは、草さん。」
 高級感のある着物を身に纏っていても、その美しさに飲み込まれない。清純と利発を絵に描いたような美女で、草をからかおうと思っていた三吉も思わず彼女に見とれてしまった。そして三吉が驚いたのは、彼女の方から草に微笑みかけたことである。
 「こんにちは珠洲丸さん!いやぁ、今日も良いお日柄で!」
 超龍神が復活してからというもの空は曇りがちである。今日も例外ではない。
 「フフ、面白い方ね。」
 女性は手を口元に添え、淑やかに微笑んだ。草は酷くどぎまぎしていて、ただ頭を掻いて笑うばかり。彼女の名は石川珠洲丸(いしかわすずまる)。長屋街でも最大の米問屋、石川屋の看板娘だ。
 「お勤めですか?」
 「そう、例の辻斬りの捜査です___」
 「ああ___」
 珠洲丸の表情に不安が差す。米問屋の娘である彼女は、こうして御用聞きに出る毎日だ。時には夜に出歩くこともあるかもしれない。彼女の憂いは草の正義感に火をつけた。
 「大丈夫!必ず俺が召し捕ってみせます!それまでは珠洲丸さんも、夜は特に注意してください。」
 「ええ、気をつけます。」
 珠洲丸は笑顔で答え、草を安心させた。
 「これからどちらへ?」
 「美濃屋へ、お米の商談ですわ。」
 「それはそれは、お勤めご苦労様です。」
 「草さんも頑張って下さい。」
 「はっ、はいっ!」
 草は袂を正して気をつけした。珠洲丸は微笑みながら小さく手を振って去っていく。草はその後ろ姿を見送って、一人手を振っていた。三吉が横から彼の顔を覗き込み、いやらしく笑った。
 「親分。」
 「なんでいっ___」
 草は頬を赤くしながら口を尖らせて目線を向ける。
 「惚れてるね?」
 「うっ!うるせいっ!てめえはそう言うところにばっかり勘が働きやがって!」
 「図星でやんすね。ナハハハハ!」
 「てめえ三吉!」
 そりゃこんな二人を見ては、町行く人々が不安を覚えるのも無理はないか。

 「でだ、ここにこう包丁を入れる。」
 「うわ〜、芸術ねこれは。」
 「外人さんは生魚は嫌いかい?」
 「う〜ん、ちょっとかな。」
 あの事件が瓦版で告げられてからというもの、美濃屋には古参の職人たちがゾクゾクと舞い戻り、かつての活気が戻りはじめていた。相変わらずライ、フローラ、棕櫚の三人は住み込みで働いている。今もフローラが板前から和食というものを教わっていたところだ。
 「ごめんください。」
 「あ、すずこ。」
 そんな美濃屋の表玄関に珠洲丸がやってきた。棕櫚と二人で玄関を掃除していた小夏が笑顔になる。彼女は珠洲丸のことを「すずこ」と言い、二人はすぐに賑やかに話しだした。どうやら旧知の仲のようだ。
 「それでは三俵、後ほど使いの者がお届けに上がります。」
 「いつもすみませんね。」
 女将の千春はにこやかに言った。商談はいつも通りにつつがなく終わった。
 「毎度ありがとうございました。」
 「送るよ。」
 珠洲丸と小夏は連れだって美濃屋を後にした。棕櫚は二人の、いや珠洲丸の後ろ姿を見送っていた。
 「綺麗な方ですね。」
 そして一言。
 「ええ、石川屋の娘さんなのよ、小夏とは昔から仲が良くて。」
 「そうなんですか。」
 女将には穏やかな顔を見せた棕櫚だが、一人になると珠洲丸が残した気配に顔つきを厳しくしていた。
 そのころ草と三吉は、食事をしながら事件のことを話し合っていた。
 「俺は絶対に鬼援隊の連中が絡んでいると思う。」
 草はまだ机になにもないうちから箸を手にして、シリアスな顔になる。しかし箸が邪魔で決まらない。
 「そうでやんすか?あっしは煉瓦街の連中の仕業と思いたいね。」
 「煉瓦街の連中は長屋と敵対するつもりはないはずだ。連中は後から来た民族だということを自覚しているし、長屋の頑固さと剣ヶ岬への愛着も知っている。こんな馬鹿な真似はしないと思うぜ。」
 「はい、きつね蕎麦おまち!」
 威勢のいい奉公人が熱々の蕎麦を持ってきた。二人は一際だらしない顔になったかと思うと、蕎麦を啜りながらまた話した。
 「でぼ親分、それはっはら、鬼援隊の、やふははっへ___」
 「油揚げ食いながら喋るんじゃねえよ。」
 そういう草も箸で三吉を指す行儀の悪さ。
 「はひ〜、熱々でやんすよこの揚げ。いやそれより、あっしが思うに鬼援隊にだって長屋の人たちを切る意味はねえでやんすよ。長屋街は鬼援隊にとったら味方でしょ?」
 「鬼援隊は偽善集団さ。確かにソードルセイドの歴史を語る上じゃ欠かせねえ奴等だが、とどのつまり私欲のために国を混乱させてきた悪党だ。奴等が殺すのは悪党外人ばかりのようにも思えるが、どっこい長屋にだって悪党はいらぁ。」
 「いますねぇ、美濃屋にいた奴とか。」
 「今回の事件だってどうだ?辻斬りの連発で反煉瓦街の声が高まってる。それが鬼援隊の支持集めに繋がっているんだ。偶然とは思えないね。」
 忘れてしまった方のために、鬼援隊の復習。
 鬼援隊とはソードルセイド建国時より存在する、愛国主義者の集団。長屋街に色濃く残るかつての剣ヶ岬の文化。これを侵害してソードルセイドを建国したホープ家と、ケルベロス系の移民にその矛先が向けられている。初代の隊長、四条隆光がエリック・ホープを討ち、ライオネル・ホープに討たれた。全ての諍いはそこで途絶えるかと思われたが、隆光の息子、四条寸之佑の手で再興され、ライオネル・ホープが討たれニック・ホープまでもがその消息を絶った。しかも四条はそのまま姿を消し、国は混乱に包まれた。
 その行動に大義はなく、ライオネルの手で安定していた国家を悪戯に掻き乱しただけだった。
 と、いうわけ。今回の辻斬り事件を発端に、また鬼援隊の気運が高まりはじめている。国王代理のアウラール・サー・レイニーも気が気でないところだろう。
 「よし、次は刀鍛冶を捜すぞ。」
 「刀鍛冶でやんすか?何でまた。」
 三吉は蕎麦つゆを飲み干して、一つげっぷをした。
 「辻斬りってのは元来、刀の切れ味を見るために人で試し切りをする事をいう。接点はあるぜ。」
 「へぇ!さすが親分!」
 「ごちそうさん!」
 草と三吉は連れだって料理屋を出ていった。二人が座っていた席の隣では、一人の男が静かに酒を啜っていた。

 さて、時を同じくして___
 「変わった街ねぇ。」
 「そうだろ?これが長屋街。」
 長屋を奇怪な男女が歩いていた。街の雰囲気にはあまりに似つかわしくない二人。一人はバンダナ巻きの大柄な男、もう一人は紫色が印象的な長髪の女。
 「ここが俺の故郷さ!」
 百鬼は懐かしき街の匂いを胸一杯に吸い込んだ。




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