3 全ては思惑の中に
「今、なんと___?」
翌日の夕刻。アドルフに食事の席へと招かれたフュミレイは、信じられない言葉を耳にした。
「取り戻させてあげると言ったのさ。」
アドルフの面をかぶったフェイロウは、ご機嫌に語った。
「しかし私もフィツマナックで取り戻す術を考え続けていたのです___それほど簡単に方法が見つかるとは___」
フュミレイは食事の手を止め、戸惑いを隠さずに問いただした。
「フィツマナックとケルベロスでは違う。それは君も分かっていることだろう?」
「それは確かにそうですが___」
魔族に関する書物はアモンとの内通を始めた頃から探っていた。魔道を心得る者として、幼い頃から魔に関する知識は怠るまいとしてきた。それでも見つからなかったというのに___ある種のプライドが彼女にアドルフの言葉を疑わせていた。
「人手も違う。君に心酔し、魔道の研究をしていた者たちの力を借りて、総力で探し当てたのだ。それこそ君が目を向けないであろう文献に至るまで。」
「左様で御座いますか___」
「成功するかは私だって分からない。しかし挑戦するべきではないか?」
確かにその通りだ。望みがあるのならば賭けてみなければならない。それを望んでいたはずだ。
「___わかりました。このようなご厚意を不意にすることはできません。」
「用意に多少時間が掛かる。三日後、場所はそうだな、私の奥室は知っているな?」
「はい、存じております。」
渡り廊下を抜けた先にあるアドルフの部屋の奥には、退避用の無味な石部屋がある。
「三日後の夜にそこでやる。いいな。」
「心得ました。ありがとうございます、陛下。」
「気にすることはない。君の腐心を黙って見ている私ではないさ。私は君に、負い目のない素敵なレディになって欲しいんだ。」
ゾクッ!
アドルフの台詞もそうだが、こんな言葉を流暢に吐いてみせた彼の視線。アドルフ・レサに対して恐怖にも似た寒気を感じたのははじめてのことだった。
(へぇ___鋭い。)
フェイロウもフュミレイが顔を強ばらせたことに気が付き、心の内で感心した。最後の一言は、アドルフではなくフェイロウとして語ってみたのだ。それをつぶさに感じ取ったフュミレイの感受性は実に素晴らしい。フェイロウはますます彼女への興味を募らせていった。
真夜中___
「う___ふっ______」
今夜も雇われたばかりのメイドが姿を消した。彼女はすぐさまアドルフの部屋に呼ばれ、奥室へと通された。そして常軌を逸した責め苦に命を散らせた。
「つまらないわ___本当、人間ってどうしてこう脆いのかしら。」
本来の姿でメイドを可愛がっていたフェイロウ。鋭い爪で彼女の身体をキャンバスに絵を描き、髪で締め上げて泡を吹かせ、四肢の指を一つ一つゆっくりと折っていく___上げればきりがない。フェイロウの性癖は留まることを知らず、彼女はストレスの発散に背徳の術を用いる。その対象はいずれも弱者で、抵抗を許さずに徹底的にいたぶる。時にそれは性を越えた虐待にも発展するほど。そしてあらゆる責め苦が、脆弱な人間の身体を簡単に死に追いやる危険を秘めている。
「でもつまらないのもあと少し。あの子が手に入れば___一生困らないわ。」
フェイロウは血塗れの裸で奥室を出た。血はすぐに蒸発して消え失せていた。
「つかめた?ローゼン。」
「勿論でス。」
近寄ってきたローゼンスクからタオルを受け取ったフェイロウは、そのまま風呂場へと直行した。
「頑張って下さったようデ、明日黒鳥城で受け渡しができるとのことですヨ。」
それを聞いてフェイロウは立ち止まる。
「待ってたわ、その言葉!」
フェイロウはローゼンスクに最高の笑みを見せ、風呂場へと駆け込んでいった。
「ホホホ、あんなに喜んで下さっテ、お嬢様ったラ。」
私室に付随した風呂場から激しい水飛沫の音がした。
「ひぃぃっ!!」
フェイロウの悲鳴が聞こえ、ローゼンスクはびっくりして少し飛び上がった。
「オ、オオ、お嬢様!」
ローゼンスクが風呂場に突進したその時、計ったようなタイミングで扉が開き、ローゼンスクの顔面にぶち当たった。
「ローゼン!まるっきり水じゃないのさ!!」
右手に魔力を満たして飛び出したフェイロウだったが___
「ウ〜ン。」
「あら___」
ローゼンスクは既に蹲っていた。
フュミレイはアドルフが時折見せる仕草に疑問を抱き、三日後を不安に感じていた。いやまったく、人を信じないというのは良くないことだが、一ヶ月前にはなにもなかった相手に何かを感じるようになるというのは、怪しむべき事でもある。
「気に掛かるのは___陛下の部屋にあった見慣れないオブジェ___」
レサ家の美的センスは単純に言うならば派手好き。だがアドルフはどちらかと言えば地味なものが好みだ。レサ家の伝統に従い、赤い色で城内も私室も固めてこそいるが、彼は決して赤が好きなわけではない。あのオブジェの銀光沢はあまりに趣味を逸脱しているように思えた。
「探ってみるか。」
蝋燭の火を消して、フュミレイはベッドへと滑り込んだ。何の気無しに思い出したのは百鬼の顔。
「今ごろは___ソードルセイドに付いたかな?」
ではそのころ彼と彼女はと言うと___
「あんたは鬼よ鬼!妊婦に雪の中で野宿ってふつーじゃないわっ!」
「しゃあねーだろ!吹雪になるなんて思わなかったんだから!」
ローレンディーニで購入した雪山羊車の影で身を縮め、急に激しさを増した吹雪を火種に啀み合っていた。
「あの宿場で泊まっておけば良かったのよ〜!」
「今更だ今更!ほらほら、もっとくっつけって。」
「やんっ。もっと抱きしめてっ。」
「似合わね〜。」
なんだかんだでいちゃいちゃしながら一つの毛布にくるまっている二人。手綱の先の雪山羊は、気持ち良さそうに雪を浴びながら眠っている。しかし時折うるさそうにバカップルを振り返って見ていた___
さて夜も明けて舞台は再びケルベロス城。その日、アドルフは朝から体調不良を訴え、一人床に伏していた。いや実際のところ仮病であるし、ベッドに寝ているアドルフはフェイロウではない。
(あア___ドキドキ。お嬢様、早く帰ってきて下さイ___)
本日フェイロウは訳あって黒鳥城に戻っている。かといってアドルフを一日おやすみというわけにもいかないので、そんなときこそローゼンスクの出番というわけだ。しかしきっての芝居下手の彼は、とにかくベッドの中で朝から緊張しっぱなしだった。幾ら姿形や口調までアドルフであったとしても、心はローゼンスクなのだから。
コンコン。
「ヒッ!」
ノックの音にローゼンスクは震え上がる。しかし対処はフェイロウに教わってきた。王のごり押しで医者まで部屋から遠ざけているのだし、とにかく誰にも会いたくないと駄々をこねればいいそうだ。
「陛下、フュミレイです。」
しかし心で分かっていても声にならない。結局、ローゼンスクは眠ったふりをしてやり過ごそうと決めた。
「陛下?」
返事がないことを怪しんだフュミレイは慎重にノブを引く。鍵は掛かっておらず、扉は簡単に開いた。ベッドに横たわるアドルフの姿が見え、フュミレイはホッと胸を撫で下ろした。
(眠っていらしたのか___いや、これは好都合。)
フュミレイは大胆にも息を潜め、ローゼンスクを探して部屋を見渡した。しかしあの巨大な銀のオブジェはどこにも見あたらない。そこで彼女は、以前それがあった場所へと静かに向かった。
(おかしいな___あんな重そうな物を置いていたのに、絨毯に跡の一つもない。)
フュミレイは赤くて深い絨毯に手を触れた。その様子を薄目で見ていたローゼンスクはすっかり困り果て、アドルフの身体で汗を掻きまくっていた。
(ド、どうしよウ___私がいないことを怪しんでいるんダ___)
バサッ!
緊張のあまり掛け布がずれて、ベッドから滑り落ちてしまった。今、ベッドの上のアドルフはなにも掛けていない。フュミレイが近づいて掛け布を身体に被せてやるのは極当然のこと。それはローゼンスクにとってはとてつもなく恐ろしい。
「誰ダ___?」
そこで何を血迷ったか、彼は体を起こし、積極的にフュミレイを追い出す策を取ったのである。実にチャレンジャーだ。
「おやすみのところ申し訳ございません、陛下。身勝手をお許し下さい。」
フュミレイは平伏し、アドルフに謝罪した。
「ミュレー___」
「???___フュミレイですよ。」
「あア、まだ舌が良く回らなくテ___」
ローゼンスクは必死の芝居と言い訳。幸いフュミレイは彼を怪しんではいないようだった。
「御加減が優れないと伺いまして、一目様子を見に参りました。」
「そうダ、一人にしてくレ___」
「はっ、失礼いたしました。しかし一つだけお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「何ダ?」
「あの像はどうなさったのです?金属の___カバか何かのぬいぐるみのようなものがあったでしょう?変わった物なので一目良く見てみたいのです。」
カバって___ローゼンスクはかなりがっかりしたが、今はそれどころではない。どうしてもまともな嘘が思いつかった。しかし答えに時間が掛かっては怪しまれる。
(!)
そして切羽詰まった彼は、一つの妙案を閃いた。
「あア、あれは像じゃないんダ。」
「え?」
「あれは動物。金物に見えるけど本当は柔らかいのサ。」
ローゼンスクは自信満々に語ったが、フュミレイはその奇想天外な答えに唖然とした。
「普段はほとんど動かないのだガ___今日は天気もいいからナ、散歩にでも出ているのだろウ。」
実に疑わしい___だが嘘を付くにしてはあまりにも突飛だ。
「まさかそのようなものでしたとは___驚きました。」
「用が済んだなら出ていってもらえるカ?」
ローゼンスクのアドルフは掛け布を拾い上げると再びベッドに横たわり、フュミレイに背を向けた。
「はっ、おやすみのところ申し訳ございませんでした。」
フュミレイは颯爽と部屋を後にした。ローゼンスクはホッと胸を撫で下ろしたが、扉の向こうではフュミレイが腕組みをし、疑問で脳裏を混沌とさせていた。
(動物だと___あれが?___あり得ない話ではないが、あまりにも妙だ。それに___陛下は人の目を見て話すよう教育されてきた方、まして勝手知ったるあたし相手に一度として目を合わせなかった。)
だが動物というのは良いヒントかも知れない。
「モンスター___という可能性だってあるわけだ。」
フュミレイは足早に歩き出した。
そのころ中空を漂う黒鳥城では___
「ふんふん、なるほどね。」
「そしてこれを埋め込めばいいわけです。」
相変わらず妙な臭気漂うカーツウェルの研究室。フェイロウはカーツウェルからなにやら図面を見せられ、説明を受けていた。そしてその手には黒い宝石のような物を握っている。
「頭いいわねぇ、あなた。」
「光栄ですね。それよりも、理解していただけました?」
カーツウェルは首を真横に傾けて尋ねた。
「なんとなく。あなたの記憶の一部を移させてもらえるかしら?そうすれば万全よ。」
「よろしいですよ。ですが他のところまで覗かないで下さい。」
「あなたが思い浮かべた事柄だけ頂くわ。」
そしてフェイロウはカーツウェルの額に手を触れた。
「どうぞ。」
そして目を閉じる。カーツウェルは図面の内容を一から思い浮かべていった。それがフェイロウに刻まれていく。
「入るぞ。」
その時だ、たまたまミロルグもカーツウェルの研究室へとやってきた。
「これはフェイロウ様、お取り込み中でしたか。」
ミロルグは姿勢を正し、深く一礼した。
「こんにちは、ミロルグだったかしらね___」
「リュキアかい?」
二人はそのままの状態で言った。
「いいか?」
「どうぞ。」
ミロルグはそのまま研究室の奥、リュキアの漂う部屋へと向かった。しかし、ふと立ち止まってカーツウェルを振り返る。
「なあカーツ、超龍神様はリュキアの件についておまえに何か仰っていなかったか?」
「いいえ。」
「___ならいいんだ。」
カーツウェルはあっさりと答え、ミロルグは奥へと消えた。フェイロウは目を開けてニヤッと口元を歪めた。
「悪い奴だね、あんたも。」
「あ、知られちゃいましたか。」
「死体の何がいいのかあたしには分からないけど。」
「私にとって死体は永遠です。そして研究材料です。」
カーツウェルは心地よさそうに大きな口を引きつらせた。
「これか___」
アドルフの部屋を後にして、フュミレイは書庫に直行していた。管理人から鍵を預かり、モンスターに関わる書庫を片っ端から探っていた。
「蛇メタル___」
そして遂に見つけだしたのだ。書き記された描画がまさにあのオブジェによく似たモンスターを。棚に掛けていたランプを膝元まで近づけ、フュミレイは詳細に目を通していく。
「極めて温厚なモンスターで、著者もしばしこのモンスターと共に過ごすことに成功した___」
さすがに共に生活しただけのことはある。解説文は極めて詳細で、フュミレイに確信を持たせるだけの内容だった。その中で一際目を引いたのがこの一文。
『気配りが良く、穏やかな気性で手先も器用なため、一部のモンスターは蛇メタルを世話役に置くこともあるようだ。』
フュミレイは本を閉じた。
「分かりやすい話だ。」
確かに。
「考えられる筋は二つ、アドルフ様が蛇メタルを飼っているのか、それともアドルフ様に成り代わった誰かが召使いを連れてきたのか。」
フュミレイは本を書棚に返していく。
「陛下から邪な気配を感じたのは確かだ。もし後者だとして___だとしてだ、何故私に魔力を取り戻させるなんて言ったんだ?そして今の陛下は誰なんだ?」
フュミレイは管理人に書庫の鍵を返し、腕組みしながら歩いた。次に向かうのはケルベロスの特殊組織、魔道研究会である。
「あ、フュミレイ様!お久しぶりです!」
魔道研究会はフュミレイの魔法に憧れた兵士たちが勝手に興した組織で、日夜、城の外れの会室で魔法の研究に励んでいる。組織のご意見番にされているフュミレイを、会員たちは快く出迎えた。
「良かった、思ったよりもお元気そうですね。」
「ああ、君たちも元気でなにより。」
会室の中には十人ほどのローブの男女がいて、フュミレイとの再会を喜んだ。
「魔力を失われたそうで___」
「君たちが解決策を見つけてくれたそうだね___ありがとう、嬉しかったよ。」
しかし会員たちは伏し目がちになり、互いの顔をちらちらと見合った。
「どうかしたのか?」
「いえ実は___」
会員の一人が回りの意思を確かめてから語りだした。
「陛下に解決策を探すように頼まれたのは確かなんです。ですが結局見つけられずに___そんなときに陛下が異国の友人より解呪法を聞き知ったと言って___」
「陛下は自分が発見したことは隠しておけって言うんですよ。」
「解呪の儀式も自分がやるって___でも僕たちがやることにしておけって。」
会員たちは堰を切ったように口々に言った。
「そうか___」
「陛下は何をしようとしているんでしょうか?」
「気をつけたほうがいいですよ、フュミレイ様。」
フュミレイにもアドルフ、いやアドルフのふりをした誰かが何をしようとしているのかは分からない。だが油断はならないだろう。
「助言は心に留めておこう。しかし滅多なことを言うものじゃない、ここはケルベロスなんだ。」
「いいですよそんなの。私たちは陛下よりもフュミレイ様です。」
会員たちの暖かさに、フュミレイは微笑みを返した。
「さて___」
会室を出たフュミレイ。少し事柄を整理してみる。
(今の陛下が誰かの変身だという推測で、筋道を立てよう。変身___?)
変身という言葉が妙に引っかかった、そして思い出したのがフィツマナックでソアラから聞いた旅の話。
「三魔獣の一人___マネマネ女のフェイロウ!」
仮説が重みを増してきた。
夕刻。
「セルチック。」
「はい___」
部屋の掃除にやってきたセルチックをフュミレイが呼び止めた。そのまま彼女の手を引いて、自分のベッドに座らせる。そして肩に手を添えて真っ直ぐに見つめた。
「私はおまえが疲れて幻覚を見たなどとは思わない。メイド仲間から聞いたよ、陛下が何者かに襲われている姿を見たそうだな。しかも、直後にもう一度見たときには何事もなかった___」
セルチックは横を向いてフュミレイから目をそらした。
「もっと詳しく教えてくれないか?その時のこと___」
「___嫌です。」
フュミレイはセルチックの仕事に対するプライドを知っている。だから彼女の気持ちは察することができた。
「頼む、おまえの気持ちも分かるがどうしても知りたいんだ。」
セルチックは振り向かない。
「___」
「今の陛下は偽物かもしれないんだ___!」
「___偽物?」
セルチックが振り向いた。
「そうだ、おまえが見たという陛下を襲っていた奴だ。そして次は私が狙われている。」
「___!」
セルチックの顔つきが強ばった。
「本当ですか___?」
不安がありありの顔はあまりにもセルチックらしくない。手を伸ばしてフュミレイの肘を取ったほど、彼女は動揺していた。
「二日後、陛下に極秘に呼びつけられている。」
「___分かりました、話します。」
セルチックは自分が見た景色をありのままに語った。幻覚と誹られたことなど意に介さず、全てをフュミレイに語った。
「その時、陛下の部屋にあのオブジェはあったか?」
「その時は気付きませんでしたが___翌日には確実にありました。購入したという話も、搬入したという話も聞きませんでしたので___不思議には思っていましたが。」
「そうか、よく言ってくれた。ありがとう。」
フュミレイはセルチックの肩を叩いて彼女の前から離れた。
「あの___どうなさるんです___?」
セルチックは訴えかけるように尋ねた。
「直接ぶつかってみるさ。そして退治する。」
「失敗したら___」
「殺されるだろう。」
そう言ってフュミレイはセルチックに背を向けた。
「兵士たちを集めれば___」
「集まると思うか?もし集まったにしても、それを説明している間に向こうに感づかれるだろう。事を荒立てないためにも私一人でやるよ。」
セルチックは切なげにエプロンを両手で掴んだ。そして思い余って立ち上がる。
「ご苦労だったセルチック、下がっていい___なっ?」
セルチックは突然フュミレイの腕を取った。驚いて振り返ったフュミレイは、彼女の感情的に潤んだ瞳に戸惑った。
「手伝わせて下さい___!」
「セルチック___?」
「私は永劫あなた様にお仕えしたい!」
セルチックは突然フュミレイに縋り付いた。フュミレイはよろめきながらも踏み止まり、困惑の顔で彼女を見やった。
「どういうつもりだセルチック___!」
「女が女を愛してはいけないのですか___」
「そんな___」
フュミレイにはセルチックの心情がわからなかった。
「それは歪んだ愛情だ、セルチック!」
「これが私の心なんです___男は反応のない女を嫌います___だからあたしはいつだって鉄の仮面でいた___」
フュミレイは言葉を失った。過去に何があったのかは知らないが、とにかく彼女の男性に対する徹底的な拒否反応が、あのポーカーフェイスを作ったようだ。
「手伝わせて下さいフュミレイ様___!」
「おまえは___自分が何を言っているか分かっているのか?相手は魔の手の者だ、私から魔力を奪った者たちの仲間だ!」
「だから余計にお手伝いしたいのです___あなたは魔力を失ったのでしょう?それで一人で戦えるんですか?」
言ってくれる___自分の胸元でこちらを見つめるセルチックの気迫に、フュミレイは口ごもった。
「あ___すみません___」
「いや___」
フュミレイは彼女の髪を優しく撫でてやる。
「お願いしますフュミレイ様___でないと私___」
「頑固な子だよ___セルチックは。」
まるで自害しかねないほどの覚悟を見せるセルチック。
「危険を感じたならすぐに逃げると約束しろ。その条件で手伝うことを許す。」
「はい!」
セルチックは最高の笑顔を見せた。しかしフュミレイはうかつにも彼女を巻き込んでしまったことを悔やんでいた。
「食事をお持ちしました。」
「ん?いつもよりも早いな。それにおまえはフュミレイのメイドだろ?」
「ご要望がありまして。陛下つきのメイドは出払っていたものですから。」
「そうか___よし、通れ。」
渡り廊下の検問を抜け、セルチックは食事のカートを動かした。カートの上には食事を乗せ、布で隠されたカートの内側にはフュミレイが身を縮めて潜んでいた。そして彼女はその手にマグナム銃を握っていた。現状で用意できる最も破壊力の大きな銃。片目になってはじめて放つ銃にしては、あまりにも難しいが___
「馬鹿っ!!」
アドルフの部屋。黒鳥城から帰ってきたフェイロウの怒号が飛んだ。
「ヒエ〜。」
ローゼンスクはへろへろになって後ずさった。
「なぁによ動物って!そんなことを言ったらあんたがモンスターだってばれるでしょうがっ!もしフュミレイが逃げでもしたらあんた___ただじゃおかないからね!」
そんな二人のやり取りを、扉の隙間からこっそり見ていたフュミレイとセルチック。
「あいつか?」
「はい___間違いありません。」
セルチックのポーカーフェイスが酷く強ばっていた。反面フュミレイは極めて冷静。汗の一つも見えない。
「ったく、そろそろ食事の時間かしら___あんたはオブジェに戻りなさい!」
「もう戻ってまス。」
「いちいちうっさい!」
ドガッ!
気を紛らわせるためにローゼンスクを殴りつけ、フェイロウは素早くアドルフに姿を変えた。
「決まったな、行くぞ。」
「はいっ___」
決定的瞬間を見届け、フュミレイは素早くカートの中に潜り込んだ。セルチックは覚悟を決めてカートの背後に付く。
「いつも通りにやってくれればいい。私が飛び出したらおまえは逃げろ。」
「心得ました___」
意を決してセルチックは扉をノックした。
「誰だ?」
何事もなかったような返事。その白々しさが鼻につき、フュミレイは憎しみを込めて檄鉄を下ろした。
「御夕食をお持ちしました。」
「入れ。」
さすが鉄仮面。いざとなればセルチックの顔から一切の動揺が消え、いつもと変わらない無表情で部屋にカートを運び入れていく。
「本日のメニューは、鳳来魚のソテーと___」
セルチックはいつものようにメニューを読み上げていく。ベッドの側にいたアドルフ面のフェイロウは、ゆっくりとテーブルに近づいてくる。
行動の瞬間。それは彼の身体とカートの正面が線で結ばれたその時だった。
ドシュッ!!
拳銃にしてはあまりに重い音と共に、カートの中から弾丸が飛び出し、アドルフの胸へと突き刺さった。火薬の匂いが広がり、赤い絨毯には別の赤が飛び散った。
「!」
「お嬢様!」
オブジェになりきっていたローゼンスクがあまりのことに悲鳴を上げた。すぐに二発目の弾丸がアドルフの腹を貫く。反動から両手に痺れを感じながらもフュミレイはすぐさま次のモーションに移り、カートから飛び出した。
「とどめ!」
三発目は頭にぶち込む!
蹲ったアドルフに片目で照準を定め、フュミレイは躊躇わずに引き金を引いた!
「な___!」
しかし引き金がビクともしない。見ればいつの間にか銃には大量の髪の毛が絡みつき、引き金を完全に固定してしまっていた。
「良くやる___素早い行動。感心しちゃった。」
「!」
フェイロウはアドルフのままで顔を上げ、笑顔を見せた。
「そんな!」
勝利を確信していたのだろう、逃げなかったセルチックが上擦った声を上げた。
「フフフフ___」
アドルフの髪が騒ぎ、たちまち際限なく伸びてフュミレイの身体を捉えた。フェイロウは血染めの身体のまま元の姿へと変わる。
「大丈夫ですカ?お嬢様。」
ローゼンスクが主人の身を案じて尋ねた。
「平気よ。頭をやられたらこうはいかなかったでしょうけど。」
「くっ!」
フュミレイの首にフェイロウの髪が巻き付く。そしてそのまま彼女の右眼に髪の先端を伸ばし、空洞の眼窩に一挙に滑り込んだ。
「あああっ!」
考えられない衝撃にフュミレイは喘いだ。
「魔族って頑丈なのよ。それにしても___」
「ひっ!」
四つん這いになって逃げ出そうとしていたセルチックの足に、フェイロウの髪が絡みついた。
「強かな女ね、落ち着いてるじゃない。」
セルチックは髪に引きずられ、すぐに部屋の中央付近へと引っ張り込まれてしまう。
「ローゼン、すぐに支度に掛かりなさい。傷を塞いだら早速始めるわ。」
「ハ。」
ローゼンスクは奥室へと消えていく。
「あたしたちをどうするつもりだ___!」
「どうする?」
強気を崩さないフュミレイをフェイロウは残酷な笑みで眺めた。そして急に口元をつり上げると、フュミレイの右眼に食い込んだ髪が壮絶に暴れ出した。
「うあああっ!ああっあああっ!」
神経をじかに嬲られるような痛み。フュミレイはたまらずに悲鳴を上げた。あのときの忌まわしき記憶が蘇ってくる。
「素敵な事よ。あなたたちを素敵にしてあげるの。」
突如、フェイロウの髪が黄金に光り輝いた。強烈なショック電流が二人を襲い、二人は気を失った。
「フフフフ___」
フェイロウは残虐な笑みを絶やさない。その手にはカーツウェルから貰った黒い宝石を遊ばせていた。
翌朝。
「___」
奥室は外と変わらない冷え込みだった。回りには石の壁と血染みがあるばかりで、後は武骨なテーブルや、磔にでもするためのものだろうか十字架が目に付いただけ。フュミレイはそんな監獄のような場所で目を覚ました。足下にはセルチックが気を失って倒れていた。
両手を鎖で吊されてはいるが足は自由。服は引き剥がされて裸だったが、これといった異常も見あたらない。
「いや___」
一つ大きな異常があった。視界がいつもと違うのだ。
左目を閉じたときに物が見えるのだ。
「右眼がある___!」
何とも奇怪なことだ。手で触れて確かめたかったが、生憎両手は塞がっていた。
「目だけじゃないわ。魔力も戻してあげたわよ。いえ、むしろパワーアップさせてね。」
アドルフ・レサが奥室に姿を現した。しかしその声はフェイロウのものだった。
「貴様___私に何をした!」
フュミレイはフェイロウを睨み、怒鳴りつけた。フェイロウは鼻を高くして笑い、本来の姿へと変化する。
「魔族にしてあげたわ。」
「!!?」
フュミレイは言葉を失った。その言葉の意味が飲み込めず、ただ目を見開いて沈黙した。今にも息が詰まりそうだった。
「___なんだと___?」
「聞こえなかったの?人間は脆いから、あたしの遊びに耐えられないのよ。あなたのこと苛めたいけど死んじゃったらつまらないじゃない?だから魔道の手術を施して、あなたを魔族に変えたわけ。お分かり?」
「なんてことだ___こんな屈辱___!」
フュミレイは歯を食いしばってフェイロウを睨み付けた。フェイロウはそんな目つきに疼きを感じて彼女の顎に手を触れた。
「屈辱?強くしてあげたのよ?腕の一本もぎ取ったって死にはしないわ___むしろ喜んでほしいわね。」
「屈辱以外の何だ___全て貴様の思惑通りに運ぶ___!」
フュミレイは首を振ってフェイロウの手を振り払う。
「セルチックまで巻き込んで___なんて無様なことだ___」
「あんまり悲観しなさるな。これからはあたしのために働けばよろしい。」
俯いてしまったフュミレイの頭をフェイロウは平手で叩いた。
「なめるな___魔力を与えたことを後悔させてやる!」
顔を上げたフュミレイの頬をフェイロウが思い切り張った。口の中を少し切ったらしいフュミレイは、俯いて血を吐き出した。
「なめてるのはあんたよ。あたしだってあんたのことは色々知ってるのよ、何せアドルフを食べたんだから。」
「食べた___」
フェイロウはフュミレイの頬を抓って顔を上げさせる。
「あんたの危険性は分かっているわ。だから安全弁を取り付けた。あんたの体の中には暗黒の爆薬が埋まっている。」
フュミレイは息を飲んだ。
「それは日々あなたのエネルギーを少しずつ蓄積し破壊力を高めていく魔性の爆弾。今の状態でも、ここと隣の部屋くらいは吹っ飛ぶわよ。」
「そんな___」
「十日もすればこの城くらい消し飛ばせるんじゃないかしら?そしてスイッチはあたしの匙加減一つ。」
フェイロウは冷たい目つきになってフュミレイを見つめた。フュミレイは急に心臓を直に握られるような胸の苦しさに襲われ、身体を引きつらせる。体温が急激に上がって、汗が噴き出し、息苦しさで口をパクパクと動かした。
「はい、やめ。」
フェイロウが念を止めるとフュミレイの胸元から痛みが引いていく。フュミレイは絶望感にただ荒く息を付くことしかできなかった。
「今はじっくりやったけど、その気になれば一瞬でどかんよ。」
「___」
フュミレイの視線に怯えが加わったことをフェイロウはつぶさに感じ取った。
「口数が減ったわね。お利口さんだから逆らえないって分かったのかしら?」
「うっ___」
フェイロウが急にアドルフへと姿を変え、そればかりか露わになっているフュミレイの乳房へとその掌を被せてきた。
「柔らかいね___フュミレイ。」
「___なんてことを!」
フェイロウはフェイロウのはずだ。なのに姿も声色さえ完璧なアドルフに乳房を撫で回される。フェイロウだと分かっていても彼女は赤面し、歯を食いしばって目を閉じた。
「ははは、赤くなって___馬鹿じゃないの。」
フェイロウの声がフュミレイを現実に引き戻す。開いた右眼の前には、指があった。
ブチュッ___
「やっぱりあんたは片目の方が似合うわ。」
「___」
さほど痛みはなかった。ただ視界が左に偏重し、頬を何らかの滴が伝った。前は失神した痛みに、今は無言でいられた。その時に彼女は、自分が人でなくなってしまったことを認めていた。
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