3 偉大なる好敵手
「ふう、やっと出られた!」
洞窟の外はいつもと変わらない灰色の空。それでも街が臨める景色は三人の心に安堵をもたらした。しかしそんな心地をかき消すようなだみ声が雪原を蹂躙する。
「まぁってぇたぞぉぉっ!」
幅広の段平が空を切り裂く。エイブリアノスは空に向かって小さな火の玉を吐き出し、豪快に吠えた。
「エイブリアノス!」
それに答えたのはライ。彼の顔が驚きと言うよりは笑顔に近かったのは興味深い。
「ここを教えたのはおまえだな!」
「そういうことだぁ、しっかりリングを取ってきてくれたみたいだなぁ。」
ライは颯爽と斜面を滑り降りて、エイブリアノスに対峙すると剣を抜いた。
「なんなんですあいつ?」
棕櫚がフローラに尋ねた。
「なにぃ!俺を知らないと言うのかぁ!?」
「うわっ、凄い地獄耳。」
棕櫚は驚いて呟いた。
「良く覚えておけぇ新参者ぉ!俺がかの有名なエイブリアノスよぉ!」
「有名ならとうに存じていますよ。無名だから知らなかったんじゃないですか。」
「むきぃーっ!ライぃ、あいつむかつく〜。」
「まあまあ。」
可愛げに振る舞うと不気味になるエイブリアノス。ライは苦笑いして彼を宥めた。
「まあ何はともあれ、モンスターなら戦いましょう。」
棕櫚もそう言って斜面を滑り降りようとする。フローラも後方で身構えた。
「待ってくれ二人とも!」
しかしライが振り返って二人を止めた。
「こいつとは僕が一人で戦う。棕櫚、悪いけどフローラを連れて先に戻ってくれる?」
その瞳は頑として引かない力強さを秘めていた。
「ライ___本気なの?」
「一人で戦えますか?」
「心配いらないよ。僕とこいつとは、いつも一対一で勝負するんだ。」
棕櫚は後ろを振り返ってフローラの表情を確認し、小さな笑みを見せて頷いた。
「分かりました、俺たちは先に戻ります。」
「温泉にでも入っててよ。」
ライは二人にウインクを送り、再びエイブリアノスに向き直った。棕櫚は足下のおぼつかないフローラの手を引き、駆け足でソードルセイドへと向かっていった。
そして雪原にはライとエイブリアノスだけが残った。
「待っててくれたんだ、いいとこあるじゃん。」
エイブリアノスは段平を肩に担ぎ、ニヤニヤと笑っていた。
「俺もおまえと同じさぁ。やるんなら一対一だぁ!」
「一緒にすんなって。」
互いに距離を取った状態で剣を構えた。二人の眼光は鋭さを増したが、それでも身中より沸き上がる疼きで自然とにやついていた。
ザッ___
二人が対角に、一歩足を踏み出す。しかし雪の中で巨体のエイブリアノスの動きは軽やかとは言えなかった。そのまま円を描くように両者が動き出したと同時に、ライは一気にエイブリアノスへ向かって走り出した。
「やああっ!あぁっ!?」
しかしたちまちに雪に足を取られ、転んでしまった。もんどり打ってひっくり返った先で頭を上げるとそこには___
「にひひぃ。」
エイブリアノスが歯の隙間から光をちらつかせていた。
「ははは___うわぁ!」
ライは必死に飛び退き、エイブリアノスはそれを見透かして火炎を一呼吸遅らせた。火炎はライの背中を捉え、衝撃でライは雪の中に顔から突っ伏す。彼はすぐさま雪の上を転がって、火を消し去った。
「くっ___」
再び二人の距離が開く。
「雪ってのは動きづらいよなぁ___」
「おまえだって同じだろ?」
「さぁどうかなぁ、おまえの武器は剣だけだぁ___だが俺はぁ___!」
エイブリアノスは大きく口を開き、ライは身じろぎした。
「手加減はなしだぁ!本気で行くぜぇ!!」
雪があれば火炎を消し去るのは容易い。しかしエイブリアノスの本気という言葉がライをゾッとさせた。
「百連発ぅぅぅぅ!」
「!」
「ウァラァァァァァ!」
エイブリアノスは怒濤の勢いで、首を左右に振りながら火炎弾を連発した。これを喰らってはひとたまりもない、ライは飛び回り、転げ回って必死に火炎弾から逃げ続けた。
「うぐっ!」
しかし火炎弾が雪を抉り、弾けた余波でライはバランスを崩す。無駄に乱発しているようでしっかりライの動きを追っていたエイブリアノスは、一気に狙いを定めて集中砲火を浴びせた。
「うわあああっ!」
一撃食ってしまってはもうどうしようもない。炎の弾丸に張り付けられたライは必死に身を縮めて防御に徹した。炎そのものの熱よりも、弾丸の衝撃が激しくライを痛めつけた。
「ガァッ!!はぁはぁ、五十四発___息が続かねぇっつーのぉ___」
「ぐぅぅ___」
炎が雪を昇華させ、周囲は湿っぽい大気と、白い水蒸気に包まれた。冷たい風が蒸気の白を拭い去ると、そこには苦しそうに蹲るライがいた。
「三十発目くらいからかぁ?ずっとくらっちまったなぁ。」
エイブリアノスはすっかり余裕の表情で段平を振り回した。
「へへへへ___でもそれまで逃げ回ったおかげで___」
ライは左肩を押さえながら立ち上がり、ニヤリと笑って額を滴った血を拭った。
「なぬ?」
広角に放たれた炎の弾丸は、周囲の雪をすっかり溶かしていた。土色の大地が顔を出し、これでライの俊敏さは倍増する。
「これからが勝負さ、エイブリアノス!」
「へん!利き腕を痛めて良く言えるぅ!」
ライは左腕を振り回して一瞬顔をしかめながらも、構わずに身構えた。
「はああっ!」
ライは一直線にエイブリアノスに向かって接近してきた。
「ばぁかぁ!おまえがいつもそればっかりなのは分かってるぜぇ!」
だがエイブリアノスは両手で振り上げた段平に渾身の力を込めていた。それを一気に振り下ろすと大地に深々とめり込み、直線の軌跡の土が捲れ上がる。いつもの地走りだ。
「いつもそればっかりなのはおまえの方だろ!これを待っていた!」
ライは地走りの波動に突進をかけ、そしてタイミングを合わせて波動の上に踏み込んだ!
「なにぃ!?」
波動の衝撃がライの足の裏に爆発的な力を与える。跳躍力には輪が掛かり、ライは想像を絶する高さにまで飛び上がり、そして剣を振りかざした。
「うりゃああああ!」
落下の勢いを味方に、ライはエイブリアノスに斬りつけた。
ギンッ!
しかし、耳に響く音を発し、段平に受け止められた剣は真っ二つに折れてしまった。
「ぐっ!」
その衝撃でライは尻餅を付き、エイブリアノスは彼を見下ろしてにんまりと笑った。
「相変わらず脆い剣持ってんなぁ。」
「それがいいってこともあるんだよ。」
「なにぃ?」
ザシュッ!!
「のおおおおぉぉぉ!」
エイブリアノスが悲鳴を上げた。折れて宙に舞った剣先は、クルクルと回転しながら落下してエイブリアノスの右肩に深々と突き刺さった。
「これで互角さ!」
「この野郎ぅ!」
エイブリアノスは力任せに段平を横薙ぎに振るった。ライは短くなってしまった剣でそれを受けたが、エイブリアノスの剛力が生み出す破壊力は壮絶。剣はあっさり弾き飛ばされ、ライの左腕から激痛と共に全ての感覚が吹っ飛んだ。
「このっ!」
「ぬぅっ!?」
追い打ちを喰らってはいけない。ライは土を蹴り上げて目くらましにすると、素早く起きあがって剣が飛ばされた場所へと飛んだ。剣を掴もうとしても左腕が震えてしまって力が入らない。一方でエイブリアノスも右肩に突き刺さった刃を抜きさり、肩から血を溢れ出させた。
(決着を付ける___)
互いの間に高まるものがあった。傷の程度から言っても、もはや次の交錯が雌雄を決することになる、いやそうしなければならないだろう。
ライは左腕を諦め、右に剣を持った。
「利き腕を使わねえつもりかぁ?俺は片手でもおまえをぶちのめせるぜぇ。」
エイブリアノスは悠然と段平を構える。対峙は決まってライの突進で均衡が破られる。今回もそうだった。
違ったのは彼が右腕に全霊を傾けていたと言うこと。邪魔にならないように、利き腕とは逆の手にあれを着けていたこと。
「いくぞぉぉ!」
「ガァァッ!」
ライはエイブリアノスに一直線に走り出し、エイブリアノスは大口を開けて渾身の火炎弾を放った。だがライはそれをまったく意に介さず、切っ先を失った剣を真っ直ぐに突きだして火炎弾に立ち向かう。彼の漲る闘志は、リングの眠れる力を呼び覚まし、土色の大地のリングは激しく呼応した!
ドゴバァァァァァンッ!
周囲一帯を揺るがすような爆音と共に、ライとエイブリアノスの間で大地が破裂して土を巻き上げた。火炎弾は土のシャワーに飲み込まれると敢えなく弾け飛び、次にエイブリアノスが目の当たりにしたのは、シャワーを貫いて突っ込んできたライの姿だった。
「馬鹿なぁ!」
予想だにせぬ出来事。大振りの段平で身を守るには___もはや懐に入られ過ぎた!
「ぐはぁぁぁっ!!」
折れた刃は切れ味鋭い剣以上の痛みを伴って、エイブリアノスの腹の奥底に抉り込んだ。内蔵を切り裂かれ、その大きな口から大量の鮮血が溢れ出す。それはライの身体をも濡らした。筋肉が収縮してライの剣はエイブリアノスの身体に捉えられ、二人はそのまま時が止まったように硬直した。
「さすがだぁ___」
重い音を立て、段平が落ちた。エイブリアノスの武骨な手が、震えながらライの頭に触れた。敵意はなかった。
「面白かったぜぇ___おまえと戦っているときは最高だったぁ___」
「エイブリアノス___」
ライはエイブリアノスの顔を見上げた。彼は口の回りを血で染めながらも、微笑んでいた。ライは思わず切なくなって、泣きそうな顔をした。
「なんでぇその顔はぁ___」
エイブリアノスはライの頭をポンポンと何度か叩いた。その大きな目を潤ませて。
そのとき___
ゴゴゴゴゴゴゴゴ___!
激しい地鳴りが雪を失った雪原に轟いた。それは二人が横に見る、洞窟があった斜面から聞こえてきた。
「雪崩!」
大地のリングの爆音は、眠れる雪にまで命を吹き込んでいた。雪は凄まじいスピードで一挙に押し寄せてくる。急斜面を駆け下りてくるその迫力は圧倒的。
「逃げなきゃ!」
「待てぃ!」
慌てて逃げようとしたライの肩を強引にエイブリアノスが捕まえた。
「今から逃げても間にあわねぇよぉ___」
そして徐に、雪崩に背を向け、ライを自分の胸の前に抱いた。
「エイブリアノス___まさか!やめるんだ!」
ライにも彼の意図が分かった。必死に力を込めてもがいた。
「勝者は生きてこそ勝者ぁ___いやいや、俺の台詞じゃねえなぁ。」
「駄目だよ!おまえが死んじゃう!」
エイブリアノスは決してライを離さなかった。
「楽しかったぜぇ___できればまた会いてぇもんだぁ。」
「エイブリアノス!!」
雪は瞬時に二人を飲み込んだ。
「これは___!」
フローラを宿屋に残し、棕櫚が戦場に戻ってきたのはそれから五分もした頃だった。彼は雪原を覆い尽くした新雪に愕然とし、柔らかな雪に身体を埋めながらも必死にかき分けて進んだ。
「ライさん!」
あまり大きな声は出せない。前に進むのもおぼつかない。
「あれは!」
なだらかな新雪の中に一際盛り上がっている場所を見つけた。棕櫚は雪を掘り進むようにして必死にそちらへと近づき、山盛りの雪をどかしていく。やがて何者かの肌が現れた。
「こいつはさっきの___これは!」
棕櫚はその光景に息を飲んだ。
そして___
「ん___」
「気が付きましたか。」
ライは棕櫚の背中で目を覚ました。
「棕櫚___」
もう街が近くに見える。あの雪原からは大部遠のいていた。
「エイブリアノスは___?」
「死んでいましたよ。」
「そう___」
「守ってもらったんですね?」
「うん___」
ライは棕櫚の背中に顔を押しつけ、震えていた。彼の涙が棕櫚の背中を濡らし、棕櫚はそれ以上なにも問わなかった。
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