1 棕櫚のお気に入り

 ソードルセイドは風変わりな街だ。街道を真っ直ぐに進むと、右に煉瓦の街並み、左に木製の街並みを眺めながら進むことになる。だがむしろ暖かな空気を運ぶのは木製の街並みの方で、煉瓦の街にはそこかしこに雪が積もっていた。
 「ソードルセイドと言えばやはり長屋ですよ。見慣れた煉瓦の街並みより、長屋に行って宿を取ることにしましょう。」
 棕櫚はすっかり観光気分で浮かれている。このところ寒さのせいか、植物の調子が思わしくないと危惧していただけに、長屋街のそこかしこで立つ湯気は、彼を喜ばせていた。
 「変わった街並みね___」
 「良くこんな平べったい木の家で雪を凌げるねぇ。」
 「それは街中に走っている側溝を見れば分かりますよ。ほら、湯気が立っているでしょう。フリスト山脈に由来する、豊富な温泉資源がソードルセイドを潤わせているんです。」
 三人は連れだって長屋街を歩いていた。そうすると、人々は彼らを白い目で見てくる。その誰もがフローラが弓道の時に来ていたような、和服と呼ばれる形の服を身に纏っていた。世界広しといえど、これほど異国を実感させる国もないだろう。
 「まずは宿を探さないとね。僕もうスキーでへとへとだよ。」
 「あそこの人に聞いてみるわ。」
 フローラは、店先でキセルを味わっている職人風の男に目を付けて、近づいていった。
 「すみません、この辺に宿屋はありませんか?」
 「けっ!外人がなにしにきやがったんでい。」
 男は舌打ちして、フローラから顔を背けた。フローラは「外人」という言葉の響きになぜだか酷くショックを受け、シュンとして黙り込んでしまった。
 「___おっと、向こうの通りを右に曲がって三件進んだ先の、美濃屋旅館にキセルを届けてやらなきゃいけねえんだった。」
 そう言うと男は立ち上がり、フローラに背を向けた。フローラはキョトンとして、店の中に消えていった彼の後ろ姿を見送っていた。
 「ソードルセイドらしいじゃないですか。ここは人情味溢れる街と聞きましたよ。」
 「でも変なの〜。普通に教えてくれればいいのに。」
 「それが粋なんですよ。」
 棕櫚とライがフローラに近寄って、口々に言った。するとフローラは急に笑顔になる。
 「ありがとう、素敵なおじさま!」
 そして元気良く、店の奥まで届きそうな声で言った。
 ドンガララシャン!
 拍子抜けして転んだのだろうか、店の中から騒々しい音が聞こえ、三人はいそいそと教えてもらった美濃屋を目指すのだった。

 「奴等もソードルセイドに辿り着いたようだな___しかし、ソアラがいないか。」
 ソードルセイドを見下ろせる小高い丘。ミロルグは雪を嫌って、浮遊しながら街の様子を見ていた。
 「ソアラぁ?それって誰ですぅ?」
 一方で、膝まで雪に埋没して首を傾げたのは、久々登場のエイブリアノスだ。
 「ソアラを知らないのか?紫色の髪をした女だ。リュキアが一度で目の敵にした、目立つ女だがな。」
 「俺はそいつと戦ったこと無いですよぉ。」
 「そうか、まあいい。」
 ミロルグはエイブリアノスを決して愚かな部下だとは思っていない。確かに失敗は多いし、不出来な部分もあるが、常に誠意を持って任務に望み、しっかりと全うするモンスターらしからぬ律儀な男と感じていた。
 「おまえに頼みたいのは、大地のリングの回収だ。」
 「へぇ。」
 「人間からの情報でな、この洞窟にそれがあるらしいと判明した。」
 エイブリアノスはミロルグの視線を追って、後ろを振り返った。切り立った崖にも雪は大量に積もり、その一角に黒い洞窟の入り口が、隠れるようにしてあった。
 「それを取ってくればいいんですかぁ?」
 「いや、おまえはそれを手に取ればいいんだ。この洞窟にはちょっと厄介な奴がいてな___分かるだろ?」
 「ははぁ、そういうことでぇ。」
 エイブリアノスは大きな口で、ニヤッと笑った。
 「しかしミロ様は人間にも繋がりを持ってらっしゃるんでぇ?」
 「人間の持ち物は、人間に調べさせるのが一番だ。パイプは多いに越したことはない。それよりエイブリアノス、ミロ様はやめろと言っただろ。」
 「いいじゃないですかぁ、可愛くてぇ。」
 ミロルグは苦笑いする。
 「おまえだけだ、そんなことを言うのは。」
 「なっはっはぁ!」
 エイブリアノスは声を上げて笑った。
 「おっと、あまり大きな声は出すな。ここは雪山だ。」
 「あぁ、そうでしたぁ。」
 「私も日を改めて戻ってくる。慌てることはないぞ、確実にリングを手に入れろ。」
 「へいっ!」
 「頼りになる奴だ、おまえは。」
 ミロルグはエイブリアノスの鼻っ面を撫で、黒い霧に包まれて姿を消した。
 「うっひょ〜!エイちゃん頑張っちゃうもんねぇ!」
 いつになく大張り切りのエイブリアノス。声が山間に響くのを感じて、慌てて口を両手で押さえた。

 「いやあ、いいお湯でしたよ。」
 「それはどうも、異国の方に気に入っていただけてなによりです。」
 先に温泉を上がり、脱衣場を出た先にあった座敷で、浴衣の棕櫚はくつろいでいた。そこへ女将がやってきて、いつの間にか雑談が始まっていた。
 「いい旅館ですね。やっぱり温泉旅館はソードルセイドに限りますよ。」
 「ありがとうございます。」
 美濃屋はソードルセイドの長屋街でも有数の由緒ある旅館で、閑静と情緒に溢れた作りは旅人に心の安らぎを与えてくれる。そして美人の女将でも評判の店だ。
 「お連れ様___大丈夫ですか?」
 棕櫚の横にライがぐったりとして転がっている。浴衣の前が逆だが、すっかりのぼせてそれどころではなさそうだ。
 「ああ、彼はいつもこんな感じなので、問題ありませんよ。」
 貞淑で、大人の美しさを漂わせる女将、美濃千春。棕櫚は少しウキウキしていた。
 「お茶をお持ちしました。」
 仲居が盆に湯飲みを乗せてやってきた。若く、背が小さくて可愛らしい女性だ。
 「小夏、お出しして。」
 「はい。」
 小夏と呼ばれた仲居は棕櫚の前にお茶を差し出した。
 「ありがとう。」
 「い、いえ___」
 棕櫚の微笑みに当てられて、ポッと頬を赤くした小夏。照れ隠しでもするように女将のそばに寄った。
 「女将、清二さんがお魚駄目だって___」
 「よしなさい、お客様の前で。」
 小夏はハッとして口元に手をやり、そそくさと立ち去っていってしまった。
 「可愛い人ですね。奉公人ですか?」
 熱々のお茶を含み、棕櫚は一つ息を付いた。
 「いえ、娘なんです。主人が他界してからは、あの子にも仲居として頑張ってもらっているんです。」
 「ご主人が亡くなられた___」
 「昨年のことですわ。流行病でしたの。あらいやだ、こんなこと___お客様にお話しする事じゃありませんね。」
 「いえ。」
 千春は小さな笑い皺を作り、照れたように笑った。
 「おまたせ。」
 漸く女湯からフローラが現れた。さすがに黒髪のフローラには浴衣がよく似合う。ほんのり上気していつになく艶っぽい。
 「綺麗ですよ、フローラさん。」
 「ありがと。こんにちは、女将さん。」
 「ゆっくりしていって下さいね。」
 厳しい寒空を進んできた三人にとって、美濃屋で過ごす時間は久しぶりに心の安まる一時だった。
 部屋に戻った三人は、和室の雰囲気を楽しみながら茶菓子を食べてくつろいでいた。
 「いやあ、やっぱり宿屋はソードルセイド!長屋街ですよ。この雰囲気はここじゃないと味わえません。」
 「棕櫚くん、来たことあるの?」
 「いえ、はじめてですよ。」
 「それにしてもさぁ、お客さん少ないよね。ヒェックシェン!」
 湯冷めをしたらしいライのくしゃみが響いた。
 「確かに少ないですね。今の季節のソードルセイドは、商人や旅人が長期滞在する時期と聞いたことがあります。それにしては男湯は誰もいませんでした。」
 「女湯も他のお客さんは一人だけだったわ。」
 「娘さんが先頭切って働いているようですし___去年ご主人が亡くなられてから、経営が苦しいのかも知れませんね。」
 「詳しいのね。」
 フローラは悪戯っぽく笑った。
 「あ、いえ、別にこちらから聞いた訳じゃありませんよ。」
 「本当?」
 「やめてくださいって。」
 棕櫚はフローラの問い掛けから逃れるように、窓際へと向かった。障子を開き、敷居の上に腰掛ける。寒風が部屋に差し込んだが、それ以上に夜空に舞い散る雪と、奥ゆかしい庭園の流麗さばかりが目を引いた。
 「綺麗ね___」
 「本当に。」
 フローラは敷居に手を掛けて、風流を楽しんだ。
 「___」
 棕櫚の目の前に、丁度少し緩くなって広がった浴衣の胸元。男なら目線が行くのは仕方のないことだ。
 「本当に___」
 流麗な曲線に、棕櫚は少し赤面した。
 「あど〜、さぶいんでずげど〜___」
 鼻水を一杯にためたライが、一人部屋の奥で震えていた。

 「へっくしっ。」
 時を同じくして、必死に声を殺したおかげで、やけに可愛らしくなってしまったくしゃみをした男が一人。
 「こんな風変わりな宿に止まりやがってぇ、あいつらめぇ___」
 全身に黒い布を纏ったエイブリアノスである。彼は三人が泊まっている部屋沿いの縁側が一望できる、厨房の上あたりの屋根瓦にへばりついていた。
 「しかしこんな場所ならばぁ、俺様も少しは雰囲気を出さねばなるま〜いぃ。」
 独り言を楽しげに呟いて、エイブリアノスが取りだしたのは弓矢である。それもソードルセイド伝統の古式弓。なんと矢の中程に、紙が縛り付けてあった。
 「そうとも諸君、矢文なぁのだぁ。」
 誰に言ってるんだか。
 「こいつに大地のリングの在処を書けばぁ、きっと奴等が取りに行くぅ。そして最後は俺様が頂きぃっ!ミロ様に誉められばぁんばぁんざぁい!」
 一頻りはしゃぐと、エイブリアノスは見事なまでの切り替えで弓矢を構えた。しかし這い蹲ったままなので、まるでボウガンのように弓を横に向けている。本人はそれで正しいと思っているのだろうが、これではうまくない。
 「はぁっ!」
 ビヨン。
 気合いとは裏腹に、矢はその場で少しだけ上に向かって飛び跳ねただけだった。弦が武骨な指に擦れて、痛かっただけである。
 「あれぇ、おっかしいなぁ。」
 ビヨン。
 何度やっても結果は同じである。

 「スピルルルルルル___」
 鼻水のせいで奇妙な寝息を立てているライ。フローラと棕櫚も静かに眠っていた。部屋には障子の向こうから僅かな光が射し込むだけ。そんな中、静かに襖を開いてやってきた人影は、足下に気をつけながら慎重に辺りを見回した。
 「___」
 フローラの枕元に光る物を見つけ、人影は音を立てないようにそちらへと近づき拾い上げた。触れたときの感触ですぐに指輪だと分かったのだろう。それだけを取って逃げるように部屋を出た。
 「ふぅ___」
 廊下に一つ二つ掛けられた行燈が人影を照らす。酷く神妙な顔で、罪悪感に押しつぶされそうになっていた彼女は小さな溜息を付いた。水のリングをその手に奪ったのは、女将の娘、美濃小夏である。しかし彼女は少しおっちょこちょいなところがある。それは自他共に認めるところだった。
 「襖、閉め忘れてますよ。」
 「あ、すいません___」
 棕櫚が部屋を出て襖を閉めた。彼がニッコリと微笑んでいたので、小夏はうっかり詫びを言ってしまった。それは彼女が開けた証拠だ。
 「!」
 小夏もやっと状況を理解したのだろう、振り返って口を開けるとすぐに身を翻し、棕櫚の前にひれ伏した。
 「申し訳ありません___!」
 「しっ___静かに、二人が起きてしまいます。」
 棕櫚は跪いて彼女に優しく囁いた。小夏は訳が分からずに、泣きそうな顔で彼を上げた。
 「取った物を返して下されば、目を瞑ります。あれはとても大事な物なんです。」
 「御免なさい___本当に御免なさい___」
 小夏は棕櫚にリングを差し出し、棕櫚はそれを受け取った。彼女の手は冷え切っていて、目に見ても分かるほど震えていた。
 「母は___女将はなんの関係もありません___私が勝手にやったことなんです、だから女将にだけは___」
 「分かってますよ。あなたはこれを返してくれた、今度は私が約束を守ります。」
 棕櫚は小夏の肩を優しく叩いた。まるで勇気づけるように。
 「さあ、行って下さい。誰か通るかもしれません。」
 「ありがとうございます___本当に御免なさい___!」
 小夏は棕櫚にいつまでも頭を下げながら、廊下の奥へと消えていった。だが彼が気に掛けたのは、先の角を右に曲がったことだ。
 (仲居の部屋は左だったような___右は厨房___するとやはり裏がある。)
 棕櫚はゆっくりとした足取りで、小夏を追いかけた。彼はもとより、小夏の態度を見てこれが自分の意志ではないと察していた。彼女は嘘がつけない正直な娘だ。それは女将と会話していた時の短いやり取りでも感じられた。
 そして案の定___
 「あぁん?取り損ねた?」
 「御免なさい___でも気付かれてしまって___」
 厨房では、包丁を手にした男と二人の女中が小夏を囲んでいた。男は調理台の上にふんぞり返って、包丁の腹で小夏の頬を叩いた。ひんやりとした感触に彼女は震え上がった。
 「んで?なにも取らずに戻ってきたのか?もう一部屋、女の客が泊まっているところがあったろ。」
 「あ、あの人はお体が悪いんです___それに常連さんですよ。」
 小夏は必死に反論した。もうこんなことはやめにしたかった。でもやめられないのだ。
 「だったら俺たちはここを出ていくことにするよ。そうすりゃ、美濃屋は女将とおまえの二人だけだ。やってけるのか?」
 「それに忘れちゃいないだろうね、あたしたちの給金が滞ってること。しっかりあんたに払って貰わなきゃ、やってられないよ。」
 女中の一人が小夏を詰る。
 「___わかりました___」
 「そう、素直に取ってくりゃいいんだよ。」
 「いえ、その必要はありませんよ。」
 「あん?」
 厨房の暖簾をかき分け、浴衣の棕櫚がやってきた。種を仕込んだターバンも巻かずに、それこそまるで男か女か分からない。
 「な、なんだてめえ!」
 「名乗るほどの者じゃありませんよ。ただの正義の味方気取りです。」
 棕櫚は自分でも少し気障だと思うほど、格好つけて髪を掻き上げてみた。
 「お、お客様!」
 ここまでやってきてしまった棕櫚を見て、小夏はあたふたするばかり。そんな彼女を板前は後ろから羽交い締めにして、首に包丁を宛った。
 「近づくな!」
 棕櫚は歩みを止める。二人の女中が挟み込むようにして、包丁を手に棕櫚に近づいてくる。
 「どういうつもりかしらねえが、俺たちの邪魔をしないでもらえるか?」
 「小夏さんを包丁で脅しているのを、黙ってみているわけにはいきませんよ。こちらとしても大事な物を取られかけたわけですし。」
 棕櫚は余裕の笑みを絶やさなかった。現状は不利であっても、彼は計算高い男だから仕込みの類を忘れない。
 「大人しく金子を置いていけ。」
 「お願いしますお客様___これ以上職人に辞められたら___それこそ美濃屋は潰れてしまうんです。」
 小夏は涙ながらに訴えた。それを聞いて男はニヤニヤしながら頷いている。
 「腹に虫を抱えているうちは、幾ら頑張っても良くはなりませんよ。まずは虫を一掃することなんです。その後はそれから考えればいいし___心配せずともあなたや女将さんは、助けてあげたくなる魅力の持ち主です。」
 「なんだ?」
 「えっ?」
 板前も小夏も、己の目を疑った。小夏の服、その肩の辺りから突如として細く強靱なツタが吹き出したのだ。それは先程、棕櫚が触れた位置である。ツタは瞬く間に男の腕を絡め取って捻り、包丁を奪い取ると、首に巻き付いて締め上げはじめた。
 「きゃっ!」
 呆然としていた二人の女中も、棕櫚の足下からゆっくりと伸びていたツタに絡みつかれ、あっさり御用となった。

 「さあ、皆さん!起きて下さい!」
 翌朝、棕櫚の威勢のいい声でライとフローラは目を覚ました。
 「___ん〜___」
 ライは寝ぼけたまま布団を抱く。フローラはぼんやりとした景色の中で、体を起こして不思議そうに棕櫚を見た。
 「どうしたの___?」
 「今日からここで働くんですよ!ほらほら、私は温泉を掃除してきますから、ライさんは部屋の掃除、フローラさんは厨房で女将さんを手伝ってください。」
 半ば強引に二人は叩き起こされた。小夏が脅されていたことは女将の耳に届き、例の三人は岡っ引きによって夜半のうちに引き取られた。板前と仲居は、経営危機を気遣うふりをして女将に自ら給金の後払いを申告し、一方で小夏には給料が払われていないことを押しつけていた。
 事実がどうあれ、小夏が客の持ち物に手をつけたことは事実。女将は小夏を戒め、小夏は従業員がいなくなってしまったことを嘆いた。そんな二人のために、棕櫚は一肌脱ごうと思ったわけである。
 「どうしたのよいきなり、説明してよね___」
 「人助けですよ。」
 フローラは眠そうに目を閉じて、うなだれ加減に首を傾げた。




前へ / 次へ