第9章 傷だらけの薔薇
北方はケルベロス。雪に覆われた灰色の国。国王はまだ幼いアドルフ・レサ。
その若き国王の前に跪く一人の美女。銀髪の女の名はフュミレイ・リドン。
全ては彼女の一言から始まった。
「どういうことだフュミレイ!貴様はアドルフ陛下の意志に背くのか!?」
ハウンゼンは頬を膨らませ、静かに平伏するフュミレイを罵った。
「そうではありません。私は参謀の一人として陛下に進言したまでです。」
フュミレイの答えはいつもの通り落ち着いていた。彼女は顔を上げ、ハウンゼンを無視してアドルフを真っ直ぐに見つめた。
「陛下、時は今ではないのです。どうか今一度の熟慮を。」
答えをアドルフに求めても、割って入るのは玉座の隣から離れようとしないハウンゼン。
「何を根拠に!?白竜軍は弱体化し、世間は条約にうつつを抜かしている。ベルグランの整備も完璧だ。これを好機と呼ばずに何という!?」
フュミレイは忌々しい気持ちを押さえつけ、アドルフを見つめたまま服の裾さえ動かさずにいた。
「陛下。民は力による支配を拒みます。それはあなたのお父上が証明した事実なのです。同じ轍を踏んではなりません___」
「貴様___それはレサに対する侮蔑か!?」
「そう思われるあなたの感性を疑いますな、宰相殿!」
だがあまりにもうるさいハウンゼンを睨み付け一喝する。ハウンゼンは拳を握りしめ、顔を真っ赤にしていた。
これ以上は無理だ。我慢しきれなかった。
「失礼いたしました。」
フュミレイは立ち上がり、アドルフに深く一礼して踵を返した。アドルフを説き伏せられなかった彼女は、己の敗北を感じていた。
「フュミレイ___」
しかし、アドルフが唐突に彼女を呼びつけたのだ。フュミレイは驚き、らしくない顔で振り返った。
「そなたの言葉は真か?今は良くないのか?」
「陛下___!」
それに慌てたのはハウンゼンだった。
政治面は全て私にお任せを、陛下は私の言葉のみを信じればよいのです。
ハウンゼンの言葉をアドルフは了解していた。ハウンゼンの意志とは関係なく、アドルフがこんな口を利いたのははじめてのことだった。
「私は国家の行く末を憂慮しております。それだけはご理解下さい。」
「分かった。そなたの言葉は我が心に留めよう。」
そんな言葉を言ってくれるか___
フュミレイは思わず笑みを浮かべてアドルフに向き直り、改めて礼をした。
そして、ハウンゼンは爪を囓りたい衝動を抑えるのに必死だった。
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