3 大いなる誤算

 「平気な顔してるのね___」
 アルベルトとラミアの牢にも血の式典の噂は届いていた。
 「今更だからな___ここまでサラのことを追いかけ続けたんだ、今ははやく彼女の所に行きたい。」
 「軟弱ね___」
 ラミアは牢の隅に膝を抱えて蹲る。アルベルトは何をするでもなく壁にもたれかかっていた。
 「生きることに絶望したら、人にはなにも残らないわ。」
 「分かっているさ___だが生きていても俺にはもうなにも残らない。」
 グレルカイムでの日々はサラのことを忘れさせてくれた。しかし、同時に彼は全てを失った。
 「死ぬのが怖くないの?」
 「今は。」
 「あたしは怖いわ。でもあたしがそれを怖いと思えるようになったのは、あなたが死の覚悟を殺いでくれたからよ。」
 ラミアは立ち上がり、アルベルトの前へ。
 「あなたはそんなつもりじゃなかったかも知れないけど、あたしは嬉しかったのよ。私の命を紡いでくれた人がいたことが___あなたは私に生きる希望を与えてくれたの。」
 そして彼の元へと身を預けるようにして近づいた。
 「ラミア___」
 「あたしをサラだと思うことはできない?あたしをあなたの生きる希望にはできないの?」
 こんな俺に___救いをかけてくれる女がいたとは。
 アルベルトはしばし俯き、ラミアから目を逸らした。
 「無駄だよ、俺は明日死ぬ。それはもう逃れようがないことだ。」
 なんて不甲斐ない男___!
 ラミアの手は自然とアルベルトの頬を張っていた。

 「動くぞ。」
 「えっ?」
 牢獄に戻されるなり、唐突にサザビーが言った。
 「動くって___」
 「ここを脱出する。そして、ベルゾフを仕留める。」
 サザビーは頑なだった。
 「仕留めるって___殺すのか?」
 「アクトゥマはベルゾフあってのアクトゥマだ。あいつさえいなくなればここは風化する。気が引けるなら俺がやるよ。おまえらは血の式典からアルベルトを守ればいい。」
 「そうか___式典に殴り込むんだな?」
 確かにあの混沌とした状況ならば、逆にそれを利してアルベルトを救い出すことも可能かも知れない。そしてベルゾフを討つことも。
 「でもどうやって牢屋を抜け出すのさ。」
 「そんなのは簡単だろ。」
 時はあっという間に流れていく。すぐに、再び血の式典の時が訪れようとしていた。
 「いてててててて!」
 「んぎゃーっ!死ぬ〜!」
 牢獄に悲鳴が木霊する。
 「なんだなんだ騒々しい!」
 牢屋番は苛つきながら走ってきた。牢屋の中では三人衆が腹を抱えて苦しがっていた。
 「いてぇ〜!腹がいてぇよぉ!」
 百鬼がそう呻きながらのたうち回る。
 「水にやられたかもしんねえ___あの壺___変なもの飲ませやがって___!」
 サザビーは汗だくの顔で格子にしがみつき、牢屋番を睨み付けた。
 「助けろ!助けろはやく___!」
 「ま、まてよ___」
 すっかり慌ててしまった牢屋番は牢の鍵を開け、中へと駆け込んできた。
 「ど、どこが痛むんだ?」
 「あ〜っと___」
 急に暴れるのをやめて、百鬼が牢屋番の腕を掴んだ。
 「貴様ら___!」
 「どこだっけなぁ?」
 百鬼はそのまま牢屋番を一本背負いにし、彼の手から転げ落ちた鍵をライが拾い上げた。 「よし、まずは武器の調達だ。」
 汗なんて真っ赤な嘘、サザビーの身体を濡らしていたのはただの水である。三人は素早く牢から飛び出して、しっかりと鍵を掛けた。まず目指すは武器庫だ。
 「いよいよか___」
 夜空の下、篝火に照らされたコロセウムのフィールド。その中央に立ち、アルベルトは無心で虚空を見ていた。客席からこちらを物欲しげに睨む男たち。彼らの殺気も、怒声も、今は心地良い。
 「やっとサラの側に行ける___」
 しかしその時、アルベルトの心を揺るがすことが起こった。
 ゴゴゴ___
 まるでマタライズの時のように、対面の扉が開いたのだ。
 「___!」
 そしてその奥から現れたのは、ラミアだった。彼女は門番に押されるまでもなくフィールドへと進み、女性の登場に客席から歓声が上がった。アルベルトは何故ラミアがここにいるのか理解できなかった。とにかく、冷静ではなくなった。
 彼女が自分の隣へやってくるのを待てずに、アルベルトは口を開いた。
 「ラミア!どういうことだ___!?」
 「志願したわ。血の式典に。」
 ラミアは落ち着いて答えた。
 「___なんだって!?」
 「思い出させてやるわよ、あんたがサラを失ったときの気持ち。」
 「そんなことをして___」
 アルベルトは絶句する。
 「意味はあるわ。あなたがサラをきっぱり忘れるために、あたしがサラの死体になってやる。それに___命を助けられた借りがあるからね。それを返してやる。」
 「やめろ、俺はそんなことを望んで君を助けた訳じゃない!」
 アルベルトはこちらを振り向かずに話すラミアを無理矢理振り向かせ、訴えかけるように言った。
 「もう遅いわ___あなたの弱さがあたしをこう突き動かしたのよ。」
 「俺に___」
 一生の間に同じ顔の女を二人も失わせろというのか!?
 アルベルトの苦悩をよそに、いつものビップルームにベルゾフが姿を現す。髭面の男は二人の様を見下ろして小さく嘲笑っていた。
 「これより、血の式典を執り行う!」
 いつもの口上が始まった。
 「___」
 ラミアの足が震えていることにアルベルトは気づいた。強がってみても、虚勢を張っているだけで彼女はとてつもない恐怖の渦中にいる。それに巻き込んだのは他でもないアルベルト。いま思えば、この彼の心の弱さがラミアを突き動かし、そしてかつてはサラを突き動かした。強敵を前に引け腰になる彼を鼓舞するように、サラは強がって、意地を張って、いつも前に出ようとしていた。
 「___」
 アルベルトはラミアの前へと歩み出た。
 「アルベルト___?」
 「今更遅いかも知れないが___生きるために戦おう、ラミア!」
 「___本当、遅いわ!」
 二人は背をつけあった。その時ラミアは、小さな微笑みを浮かべ。
 ゴオオオオ!
 歓声が地鳴りとなってコロセウムを揺るがす。いよいよだ。
 「なんだ!?」
 その時だった、客席の猛者たちが飛び出すよりも速く、二つの影がフィールドに飛び降りて猛然と駆け寄ってきた。
 「あ___あれは!」
 アルベルトはその面構えを見て唖然とした。
 「だれ___?」
 「手を貸すぜ!アルベルトさん!」
 二人は武器庫で取り返した愛用の剣を抜き、二人を庇うように客席に向かって立ちはだかった。
 「おまえたちがどうしてここへ!?」
 「そいつはこっちが聞きたいくらいさ!」
 「話してる余裕はないよ!来た!」
 「何とかやり過ごすぜ!」
 できるだけ引きつけてから人混みに紛れて消えるしかない。幾らなんでもこの集団を相手にするのは無理だ。
 その様を見下ろすビップルーム。
 「フッフッフッ___供物が増えるのは良いことだ___また一層復活に近づく。」
 ベルゾフは髭を扱きながら、至福の笑みを浮かべていた。
 「ほう復活ねえ___ゴルガンティのかい?」
 「!?」
 だがその背後には、護衛の信者たちをなぎ倒してビップルームへと辿り着いたサザビーがいた。ベルゾフは振り向いて戦いた。
 「き、貴様!やめろ!」
 「聞けないな!」
 サザビーは槍でベルゾフを突いて掛かった。ベルゾフは動きづらそうな長い白装束でその一撃を回避する。しかしそれだけで精一杯だった。
 ズバッ!
 大気を薙ぐ鋭い刃は、逃げだそうとしたベルゾフの背中を深々と切り裂いた。充分な致命傷になる手応え。深さは申し分のない一撃だった。ベルゾフは大量の血をまき散らしてビップルームの床に突っ伏した。
 「やった___」
 サザビーは動かなくなったベルゾフを見つめ、肩で一つ大きな息を付いた。
 「ククククク___」
 「!?」
 突然だった。ベルゾフが笑い出したのだ。
 「なんだ___」
 「クハハハハハッ!」
 息絶えたはずのベルゾフが体を起こす。全身から溢れ出していた血は、もはやその流れを止めようとしているのに、ベルゾフの体は動き、そして立ち上がった!
 「なっ___!」
 サザビーは慄然とし、後ずさった。振り返ったベルゾフの瞳が黄金色に輝き、顔つきは狂人のように歪んでいる。
 「良くやってくれた!礼を言うぞ!グハハハハハ!」
 「な、なに!?」
 ベルゾフの声は酷くねじ曲がり、声帯が傷ついて口から血の塊が弾けた。
 「我はゴルガンティの魂!この男に取り憑いて復活を期していたが___こやつがなかなかの手練れで手をこまねいておったのだ!」
 「なんだと___」
 それが事実なら___サザビーの一撃はゴルガンティを助けたことになる。
 「ベルゾフを殺してくれて礼を言うぞ!これで私は肉体へと戻ることができる!グヒャヒャヒャヒャヒャ!」
 ベルゾフの骸が走り出した。サザビーはあまりの事態に我を忘れ、その奇行を食い止めることさえできなかった。
 「なんてこった___すまねえベルゾフ!おまえは立派な男だ!」
 ベルゾフはその優れた精神力で、ゴルガンティの完全支配を許さなかった。結果はどうあれ、その苦労を何の報いもなく断ち切ってしまった己の浅はかさが恨めしい。生身の拳をビップルームのテーブルに叩きつけ、サザビーはベルゾフを追いかけた。
 「くそっ___なにがなんでもってわけか!」
 ドームまでの道のりに、何人もの信者の骸が転がっていた。それを飛び越え、ドームへと辿り着いたサザビーは愕然とするしかなかった。
 「なんてこった___!」
 ゴルガンティの石像が石ではなくなっている。灰色だった身体は銅褐色へと変化を遂げ、その身体は石像であった頃よりもぐんぐんと巨大になっていく。開きっぱなしだった口が僅かに閉じられ、その奥では舌が蠢く。
 「グオオオ___」
 地鳴りのような声と同時に、肩や背中にある穴から黒い煙が勢い良く吹き出した。
 「くっ!」
 煙はドームを吹き荒び、床に転がっていたベルゾフの骸が吹き飛ばされて、サザビーの横を抜けていった。ゴルガンティの身体がドームの天井にぶつかり、ドームが崩れ始めた。
 「おおっ!見ろ!」
 「うおおっ!」
 コロセウムからもゴルガンティの姿が見えるようになった。その雄姿を目の当たりにして、信者たちは血の式典そっちのけで沸き上がる。
 「ゴ、ゴルガンティ!?」
 必死に逃げ回っていたライ、百鬼、そしてアルベルトにラミアの四人も覚醒した邪神の姿を目の当たりにする。
 ギンッ!
 その鋼鉄の瞼が開き、黄金色の巨大な目を見開いたゴルガンティ。
 「ゴオアアアアアアアアッ!」
 その叫びは大地を揺るがし、神殿の壁に罅が入る。信者たちはその凶暴性に歓喜の雄叫びを上げるが、それに気が付いたゴルガンティはコロセウムの方を振り向いてその口を大きく開いた。
 「逃げよう!」
 「ああっ!二人とも急いで!」
 魔の手の者がそうしたときに何が起こるか、戦ってきたライと百鬼には直感的に分かる。二人はアルベルトとラミアの腕を強引に引っ張って逃げ出した。
 ゴルガンティの口の奥底で真っ赤な火種が弾ける。そして___
 炎はコロセウムのフィールドへと降り注ぐ。血の式典はまた別の地獄風景へと変わった。必死に走った四人は、地響きで僅かに開いていたフィールドの門をこじ開けていた。炎がフィールドの砂を熱し、足下と背中から強烈な熱が襲う。屈強な男たちは炎の中で悶え狂っていた。
 「何なのよ___あの石像が動いているの___?」
 ラミアは戦慄の情景に震えていた。
 「早く!神殿の外まで逃げるんだ!」
 「ラミア!」
 漸く開いた門の隙間から、四人はコロセウムの外へと逃げ出した。ゴルガンティの雄叫びが響き、邪悪なる巨人はコロセウムを叩き壊し、炎で我に返り逃げ惑う人々の皆殺しをはじめた。
 「うわっ!」
 神殿の外へと向かう道すがら、突如天井が崩れ落ちてきた。ラミアを庇いながら後方へと飛び退いたライと、前へ向かった百鬼とアルベルトが分断される。
 「ライ!大丈夫か!?」
 「大丈夫!僕たちは別の道を探すから!二人は神殿の外へ!」
 「わかった!」
 短いやり取りを経て、百鬼とアルベルトは真っ直ぐ神殿の外へ。
 「とは言ったものの逃げ道なんてあるのかな___」
 「あるわ。こっちよ。」
 「わおっ!」
 ラミアが走り出し、ライは笑顔になってそれを追いかけた。
 「百鬼!こっちだ!」
 神殿の入り口ではサザビーが待っていた。
 「サザビー!どうしたんだよありゃ!」
 「誤算だ!ベルゾフを殺したらゴルガンティが蘇った、そういうことさ!」
 神殿の入り口も大きく揺らぎはじめた。三人は一目散に神殿の外へと駆け出す。大階段を下りきったあたりで、壮絶な爆音が轟いた!
 「ゴアアアア!」
 ゴルガンティが神殿を叩き壊し、壁を打ち破って姿を現したのだ。
 「逃がさぬぞ人間ども!我が姿を見た者は一人たりとも生かしては帰さぬ!」
 ゴルガンティは神殿を逃げ出した三人を、その巨体を揺さぶって追いかけて来た。
 「どうするよ!追ってきたぜ!」
 さすがの百鬼も悲鳴に似た声を上げた。
 「人間も魔獣も寝起きがとろいのは一緒だ___!」
 「駄目で元々やってみるってか!」
 百鬼は積極的なサザビーの言葉に煽られるようにして、引きつった笑みを見せた。さすがに相手の悪さは感じている。立ち向かうにはかなりの覚悟が必要だ。
 「本気か、おまえたち!あんな化け物と戦うって言うのか!?」
 アルベルトには二人の考えが理解できない。
 「アルベルトさんは逃げてくれればいい!」
 「___いや、借りができたからな。一緒に戦う!」
 「良し!とにかく砂の深そうな場所まで走るぞ!あの巨体だ!砂漠は動きづらい!」
 夜明け間近の砂漠を走る三人、それを追う巨大な魔獣。ゴルガンティにしてみれば、それは逃げ惑う蟻を踏みつぶそうとするようなものだ。
 「逃げ切れるものか!」
 ゴルガンティの太い腕、その掌が光り輝いた。
 「飛べっ!」
 手から吹き出した炎は威力から推してドラゴフレイム。三人は炎の直撃を避け、散り散りに飛んだ。そして素早く身を翻してゴルガンティに向き直る。それを見て、ゴルガンティも足を止め、その巨大な口をニヤッと歪めた。
 「手向かうか!?人間風情が!」
 ゴルガンティは小さき者の小さき反抗を、目覚めの余興には丁度良いと考えた。まるで塔のような足が僅かに砂に埋もれていたが、その程度はどうというものではない。
 「動き回って斬りつけるんだ!俺たちが飛んでいるハエをなかなか捕まえられないようにな!」
 「ハエって言うのはどうかと思うぜ!」
 三人は体力の消耗を顧みずに、走り出した。裸足であったためそこまで走りづらいわけではなかったが、それでも固い大地に比べてスピードは劣る。しかし、全てを気に掛ける余裕はない。悪条件であろうとここで出せる全力を出さなければ勝てはしないのだ。
 「ベルゾフの死に報いるためにも___勝つ!」
 最初にゴルガンティの足に飛びかかっていったのはサザビーだった。




前へ / 次へ