2 ベルゾフの嘲笑
超龍神が大きな活動を起こせないのには訳がある。それは超龍神の居場所たる城が、活動をすることができないからである。理由は超龍神の肉体、四つの均整にある。
「黒鳥のエネルギー源である核心が、超龍神様の肉体の封印に縛られているんですよ。」
空に舞う暗黒の鳥。今でこそ動くことができず空の遙か高見に封されているが、ここはかつてよりの超龍神の居城「黒鳥城」である。
「この封印は強烈ですから簡単には解けません、やはりなによりもまず先に、四つの均整と呼ばれる封印を解くことが必要なようですね。」
まったくもって前線に出る気配のないこの男。白い髪はその一部が大きく跳ね上がり、細く面長の顔。右眼に眼鏡のレンズを当てている。背は高いが身体は細く、指先にいたっては実に細やか。魔族の中にもこういう男はいるという典型のような奇怪な人物。彼の名はカーツウェルという。
「と言うことはバルバロッサとリュキアだな___」
動けない黒鳥の玉座には、青白い長髪を呈した美形の男が鎮座していた。これは超龍神の仮の姿。いつも巨大な竜の姿でいてはまわりが落ち着かない。大概強大な生命体は、軟弱な世界における仮の姿というものを持つのである。
「今のところ封印を一つ撃破したとの報告が届いておりますね。」
カーツウェルは指を一つ立てて答えた。
「急がせろ。」
「はい。しかし先達ての封印撃破に際しましても、人間の妨害を受けリュキアが重傷を負いました。」
それを聞いて超龍神は顔つきに嫌悪を滲ませた。
「リュキアめ___あの出来損ないが。人間と戦って傷を負ったというのか?」
「腹を切り裂かれました。もはや回復して、均整と彼女に傷を負わせた女を追っております。」
それを聞いて超龍神はますます煙たい顔をする。
「魔族でありながら人間相手に敗北を喫し、逃げたのか___」
「お言葉ですが超龍神様。」
闇に浮かぶ扉を開き、謁見の間にミロルグが現れた。
「人間の中にも我々と同等の力を持つ者がいるのです。私も、均整の詳細を追って辿り着いたアモンという男を仕留め損ねました。」
ミロルグは超龍神の前にひれ伏し、淡々と述べた。
「ふん___貴様がそんなざまだからリュキアがしくじるのだ。」
「___はっ。」
ミロルグは目を閉じて神妙に答えた。
「まったくゴルガンティとフェイロウはどこで油を売っている___」
超龍神は肘掛けに頬杖を突き、忌々しそうに言った。
「フェイロウはどこかで遊んでいるようだ。」
すると彼の後方の闇から、尖鋭な印象を受ける青髪の男が現れた。
「ジュライナギアか。」
この男はジュライナギア。目鼻立ちも細く、実にそれらしい面立ち。
「しかし、ゴルガンティは蘇ってはいない。」
「蘇っていないだと?」
「奴は完全に退治された。その魂は尚も生きながらえているが、肉体は石と化している。蘇り切れてはいないのだ。」
ジュライナギアはそう語った。
「なるほど___確か奴が封じられたのは、ゴルガの砂漠だったな。」
ジュライナギアは頷く。
「ミロルグ、ゴルガンティの様子を見てこい。復活に手間取っているようなら協力してやれ。」
「はっ___」
ミロルグは立ち上がり、超龍神に背を向けて歩き出した。
「三魔獣が蘇れば、世界を闇に包むのも容易い。」
超龍神の言葉を背に受けながら、謁見の間を出て闇の扉を閉じる。超龍神の気配を断ち切ると、ミロルグは一つ大きな舌打ちをした。
「___不愉快な奴だ。」
愚痴を胸の内に押し込め、ミロルグは闇の廊下を外へと進んだ。
「アルベルトとかいう男のことが気になるのは分かるが、俺たちに残された時間は少ない。まずは女神像を探す。異論は?」
部屋に戻るなりのサザビーの問い掛けに、二人は首を横に振った。
「ないぜ。」
「アルベルトのことはそれからでも遅くはないもんね。」
「そういうことだ。三日後にはソアラたちが帰ってくる、今日の夜中から早速動き出そう。」
サザビーの言葉にライは頷いた。
「でもよ〜、女神像は見つかってない。まずどこから探すんだ?」
「そりゃゴルガンティの石像さ。あの裏辺りが怪しいと思わないか?」
「たしかに。」
「それに石像が三魔獣のゴルガンティそのものかどうかも調べてみたい。」
サザビーはあれがゴルガンティそのものが石化した姿ではないかと疑っている。
「バルバロッサとリュキアはどうするのさ。」
「出てきたら出てきたで、例の罠に填めてやればいい。リュキアの単細胞なら成功するはずだ。出てこなかったら出てこなかったで、女神像に宝珠の結界をかけてやればすむことさ。」
「さて、そうと決まったら夜まではゆっくりと休むとしようぜ。」
そう言うが早く、百鬼は石のベッドに転がり込んで寝息を立て始めた。
そのころ___
「さあ、入れ!」
体中を木の棒で打ちのめされ、意識朦朧としていたアルベルトは無理矢理に牢の中へと押し込まれた。
「あっ___」
牢の奥から小さな声がした。そちらにあった人影を目に留めた瞬間、アルベルトは気を失った。
「う___」
「気が付いた?」
意識を取り戻したアルベルトの視界に飛び込んできたのはサラの顔だった。その衝撃は彼に急激な覚醒をもたらした。
「サラ!」
飛び起きたアルベルトは身体の痛みを忘れて、サラの肩を掴んだ。
「?___違うわ、私はラミアよ。」
ラミアは落ち着いて答え、アルベルトは現実を取り戻して頭を振った。
「そうだったな___」
彼女の肩から手を離したアルベルトは、自分の身体に濡れた布が宛われていることを知った。ラミアが介抱してくれていたようだ。
「ありがとう、おかげで身体の痛みも和らぐ。」
「助けてもらったお礼だよ。」
「マタライズに志願したというのはやっぱり嘘だったか。」
ラミアは疲れたような笑みを見せた。
「嘘じゃないさ。もう諦めて死のうと考えていたもの___」
彼女と会話しているとどうしてもサラの影がダブってくる。その幻影にアルベルトはサラのことばかり追いかけている自分を痛感する。
「君は何者だ___自らアクトゥマに入ったとは思えない。ああ、ありがとう。」
ラミアが罅入ったカップに部屋の隅の壺から水を酌んできた。アルベルトは渇いた喉を潤す。
「あたしは復讐に来たのよ。ベルゾフを殺すために。」
「復讐?」
ラミアは虚空を見るような遠い目をして、寂しそうに語りだした。
「みんな殺されたのよ、ベルゾフとアクトゥマ教に。それまではグレルカイムは___私たちの民族が住む、戦争とも無縁な平和な村だった。」
「すると君はグレルカイムの原住民___」
「ゴルガンティの像、あたしたちは鬼神像と呼んでいたけど、あれは昔からあたしたちの村にあった。守り神だったわ。それをいきなりやってきたベルゾフが、ゴルガンティだ!て言って___村のみんなは皆殺しにされたわ。」
「何故___殺す必要は___」
「神殿を造るのに邪魔だっていってさ。」
「それにしたって、労働力として使うのが普通だ___」
ああ、と呟いてラミアは納得した様子で頷いた。
「それはあたしたちが厄介な能力を持っていたからよ。私たちは砂漠の虫たちと共存をしていたから、一部の人間は口笛で虫を呼ぶことができる。虫たちを呼ばれる前に殺してしまえと言うことなの。」
ラミアは自然とその当時のことを思い出しているようだった。牢屋には窓もない。虫を呼ぶ口笛の効果を封じるためだろう。
「とにかく___あたしはベルゾフの手から逃げることができた。そしてたまたま通りかかったキャラバンに拾われて、それからは復讐することだけを考えて生きてきた。」
ラミアはそこまで言うと一つ小さな溜息を付いた。
「でも復讐は失敗した。あたしは捕らえられて___どうなったかは分かるでしょ?あたしは生かされているんだから。」
ラミアは奥歯を噛みしめた。軋む音が聞こえたかと思うほどに強く。
「だからマタライズに志願したのよ。毎日笑い者にされ、憎き男に辱められるくらいなら___死んだ方がましだってね。もうあたしにはあいつを殺すことは無理なんだって___諦めていたのよ。そう、あたしにしてみればあんたがあたしを切らなかった方が不思議だわ。六人も平気で殺しているのに。」
「平気じゃないさ___」
アルベルトは目を閉じた。
「ただ、やめられなかった___」
「サラっていうのは誰?」
アルベルトは口を結び、答えようとはしなかった。
「私がサラって言う人に似ているんでしょ?だからさっきも間違えた。」
黙りを決め込んでいるアルベルトをラミアは睨み付け、鼻で笑った。
「所詮そんなことでしょ。サラって女に振られたとか___そんな程度のことで自棄になって!それで人殺しの快感に目覚めただけでしょ!冗談じゃないわ、そんなことであたしに恩情かけて!」
ガッ!呆れた様子で一気に捲し立てたラミアの腕を、アルベルトが力任せに掴んだ。腕に食い込むような傷みと、衝動を押さえ込むような彼の視線にラミアは息をのむ。
「それ以上言うな___」
「___」
ラミアは強い視線を崩さない。
「サラと君の顔は確かによく似ている___それが君を切れなかった理由だというのは認める___だが___サラを侮辱することは許さない!」
「死んだの___?サラは___」
ベルゾフを倒すために必死で生きていた民族の生き残りだ。ラミアは簡単には下がらない強さを持つ。
「俺とサラは軍人だった。そして恋人同士だった。そして俺はサラを守ることができなかった___俺の判断ミスで、サラは俺の目の前で死んだんだ___」
「だからってグレルカイムに___」
「俺にも分からない。だがいつまでたっても俺の心からサラは消えなかった。彼女の死体が見つからなかったことが___俺を吹っ切れさせなかった。俺はサラの生存を信じて世界を彷徨うようになり、やがてここへと流れ着いた。ここでの暮らしは俺からサラを忘れさせてくれた___だから俺はここを離れられなくなった。」
そこまで語って、アルベルトは考えた。今思えば、俺は何故こんな所にいるのだろう。と___
「ラミア〜、今日も頼むぞ。」
「くっ___」
牢にやってきた屈強な信者が、無理矢理に彼女を牢から引っぱり出した。
「彼女をどうする___」
「言わせるのか?」
信者は嫌らしい笑みを見せ、拒むラミアを無理矢理引きずっていってしまった。
「___」
一人牢へと残されたアルベルトは、ラミアが残していった布を手にして強く握りしめた。水が指の合間を滴って落ちていった。
バキッ!!
門番を後ろから一撃。信者たちが寝静まった隙を伺って、三人組は邪神像のあるドームへの潜入を果たしていた。
「うひゃっ、こうしてみるとゾッとするね。」
暗闇の中、ドームの天井にある小さな窓から差し込んだ月明かりが、邪神像の不気味な影を浮き上がらせる。ライは苦笑いして邪神像を見上げた。
「行くぞ。」
百鬼の言葉に頷き、彼を先頭に邪神像へと近づいていく。その時だった。
「イゼライル!」
甲高い女の声が響くと、ドームを支える柱の一つが神々しいばかりの輝きを発した。あまりの眩しさに一瞬目を眩ませた三人だったが、明るくなったドームで見たのは邪神像の肩に座り込むリュキアと、足下に立つバルバロッサだった。
来た!
一瞬のアイコンタクトの後、三人はアモン提案の罠を実行に移すことにした。
「て、てめえら!」
「待ってたわよ〜、と言ってもあたしたちもついさっきここに辿り着いたんだけど___二つ目の均整はここってわけね。」
リュキアは前回とは印象を変え、真っ赤なルージュで彩った唇でニッコリと微笑んだ。赤は彼女にとって殺意の色。迸る鮮血のイメージである。
「あら?あの魔族女はどうしたのよ。」
リュキアはソアラがいないことに気が付き、拍子抜けした様子で口を尖らせた。
「ソアラは魔族じゃねえ!おまえらと一緒にすんな!」
百鬼が一歩前へと歩み出て、力強く訴える。リュキアはそういう熱血じみたことが嫌いな女だ。黙ってプラドの球体を彼の足下へと投げつけた。
「うわっと!」
百鬼は後方へ飛び、爆音は広々としたドームに共鳴した。
「んなことはどうでもいいの。あたしはあいつを殺すために来たのよ。魔族女はどこ?」
リュキアが百鬼を睨み付ける。すると百鬼の顔が急に満面の笑みへと変わった。
「?」
不気味に思ったリュキアは眉をひそめて思わず仰け反った。
「がっはっはっはっ!」
百鬼が高らかに笑い出す。
「ふっふっふっ___」
「あははははは!」
サザビーとライもそれぞれに笑った。サザビーは芝居らしく、ライはありのままに。
「やったなおい!まんまと填ってくれたぜ!」
百鬼はリュキアに背を向けて、後ろの二人に向けて手を翳す。ライとサザビーはその手を叩いて三人で円陣を組んだ。
「作戦成功!おうっ!」
掛け声一発の後、三人は円陣を解いてゴルガンティ像に向き直る。
「なに?なんなのよあんたたち、頭おかしいの?」
「まんまと掛かったな魔族ども!余裕ぶっこいてるからそういうことになるんだぜ!」
百鬼は片手を腰に、逆の手でリュキアをビシッと指さして威勢よく言った。
「掛かった?」
リュキアは理解できずに小首を傾げた。
「まだ分からないのか?お嬢ちゃん。」
「なっ!?」
サザビーの挑発にリュキアは歯を剥いて彼を睨み付けた。
「俺たちはおまえたちを罠に填めたんだ。均整は四つ、そのうち一つでも守れば効果は続く。守るために俺たちは、ホルキンス伝来の結界を使うことにしている。分からないか?」
「勿体ぶらずに答えろ!」
リュキアの口振り、顔つきから余裕が消えた。焦らして苛々を誘うサザビーの戦法にまんまと乗せられている。バルバロッサはそれに気づいているが、彼は寡黙な男だ。
「手分けしたのさ。俺たちはできるだけ派手に、飛行船を使っておまえたちの目を引くように。そしてソアラとフローラは、ひっそりと北方の均整に向かっている。勿論、ホルキンスの宝珠を持ってな。」
リュキアは絶句した。ちんけな人間どもに手傷を負わされた上に、今回はまんまと欺かれた!こんな失態があっていいものか___超龍神が許さない!
「どこよ___」
「あん?」
「北方のどこなのよ!行き先、知ってるんでしょ!」
「___どうする?」
サザビーは百鬼の方を見て、半笑いで尋ねた。
「ふはっ、まあ教えてやってもいいんじゃねえの、どうせまにあわねえよ。」
百鬼も失笑して答えた。その態度がリュキアの逆鱗に触れる。
「言わなければ___このドームごと吹っ飛ばす!」
リュキアは両手を空に向け、それぞれの手に一つずつ白熱球を滾らせていた。
「___ふっ、北方はケルベロス国の希望の祠だ。正確な位置は俺たちにも分からない。ソアラたちもまだ辿り着けてないかもな。これでいいかい?お嬢ちゃん。」
「おまえ___!」
リュキアはサザビーを一心に睨み付けた。彼の冷笑を消し去りたくてたまらなかった。だが今は___
「北へ行くよ!」
白熱球を消し、リュキアは下のバルバロッサに向けて怒鳴った。
「正気か?」
それがここに来てはじめての彼の言葉。
「あたしはいつだって正気だ!」
「やれやれ___」
リュキアはバルバロッサの隣に降り立った。
「そこの優男___!」
「優男?おれ?」
サザビーはおどけたふりをして自分を指さした。
「ソアラを殺したら次はおまえだ!___ヘヴンズドア!」
殺意を残し、リュキアはバルバロッサを連れて北方へと向かった。
「ちょろいもんだぜ。」
魔力の発生源がいなくなると、イゼライルの輝きは一瞬のうちに闇に吸い込まれて消えてしまった。しかしそれも束の間。
バンッ!
「!?」
ドーム入り口の扉が勢い良く開き、松明の光が再びドーム内を明るくした。屈強な男たち十数人が素早く中へと駆け込んで三人を取り囲む。そして最後にはあの男が姿を現した。
「大御所の登場か___」
サザビーはベルゾフを睨み付けた。その時である___
「う!?」
彼と目があった瞬間、サザビーは背筋に鋭い震えを感じた。息が詰まるような切迫感___これは要するにプレッシャー、気負いである。
(なんだ___超龍神の気配を浴びてきた俺が、ただの人間相手に___)
こいつは___本格的に、狡猾なオッサンじゃ済ませなくなってきた。
「神への冒涜行為は許し難い。ひっとらえろ。」
ベルゾフの指示で、棒を構えた信者たちがジリッと間合いを詰め始める。力の象徴である武器はそれぞれ自分のものを持つことが許されている。だから三人の装備は十分だった。
「どうする?」
「強行突破だろ!」
「いや待て。」
戦意満点のライと百鬼をサザビーが制した。
「ういてっ!」
傷だらけになって牢屋に放りこまれたライは、押された拍子で顔から床に倒れ込んだ。
「おとなしくしてろよ!」
「いって〜。」
ライは顔をさすった。
「痛めつけられたか?」
牢の中には既に百鬼とサザビーが待っていた。二人とも顔に殴られた跡がある。
「あっはっはっ、変な顔。」
「そういう問題じゃないだろ。」
「まあその調子なら大丈夫だな。」
三人とも怪我の跡はたくさんあるが、身体はまだまだピンピンしている。
「拷問があまりきつくなかった。この後にも何かあるかも知れない。」
と、サザビー。
「何であっさりつかまっちまったのさ。武器は没収されるし。」
あのとき抵抗せずに捕まろうと言いだしたのはサザビーだ。百鬼はそれが気に入らない。
「宝珠は無事だった?」
「股間に入れておいたから大丈夫だ。さすがに男相手に下を脱がす気はなかったらしい。」
サザビーは股間に手を当てて自慢げに語った。
「それ二度とフローラに持たせないでよ___」
「はっはっはっ。気にするな。」
「気にするよっ!」
「そんなことよりもだ、何でつかまったのか教えろよ。」
「ベルゾフさ。」
サザビーは真顔になって答えた。
「ベルゾフ?」
それだけでは意味が分からない。だがサザビーの顔つきに、百鬼はただならぬものを感じた。
「あいつは普通じゃない。それこそ超龍神に似た気配を感じた。」
「当てになるのかよ?」
「俺はずっと超龍神のプレッシャーに当てられてきたからな、身体が反応する。」
つまりベルゾフに恐怖を感じた___というのだ。
「これからどうする〜?」
ライは一つ欠伸をして、頬に痛みを感じて顔をしかめた。
「リュキアとバルバロッサは作戦通りだませたわけだ。ゆっくりやればいい。ベルゾフも気になるしな。」
「そういうことなら暫くくつろぐかな。」
百鬼はまた一足先にベッドに潜り込んでしまう。ちなみに牢屋には石のベッドが一つあるだけ。
「この野郎___」
「あ〜、僕も寝よ〜。」
「やれやれ___」
三人はそのまま眠りに落ちた。まずは英気を養いつつ、成り行きを待つ。
「おい!起きろ!」
牢番の信者が金属棒で鉄格子を叩き、騒がしい音で三人の眠りを妨げる。牢の中は神殿の中にも増して涼しげでなかなか居心地がよい。何しろグレルカイムの暑さはただならぬものがあるため、三人にとって牢屋の中はむしろ快適な住処だった。
「うるせえなぁ___もう少し寝かせろ。」
サザビーが手を挙げてあっちにいけというジェスチャーをする。
「スピルルル___」
「ソアラ___なんだぁ___」
ライは奇妙な寝息を立てて熟睡し、百鬼は譫言で何か呟いていた。そんな彼らの態度を見て牢屋番は苛々を募らせる。
「起きろっ!これから死刑が執行されるんだ!」
怒声は牢獄を地鳴りとなって響いた。
「死刑なんて後にすりゃ___なにっ!?」
漸く頭が追いついてきたか、死刑と聞いてサザビーは飛び起きた。
「ふにゃっ!?」
前世を疑うような声を上げてライも目覚める。そして百鬼は___
「ソアラァ___生理ってなんなんだぁ___?」
意味不明な譫言で一同の視線を集めた。
「死刑って俺たちのか?」
サザビーは鉄格子にしがみついて尋ねた。
「おまえたちは後だ。といってもすぐのことだがな___今日はおまえたちをあっさりとドームへと侵入させた番人さ。ベルゾフ様は、おまえらにも自分たちがどんな目に遭うか見せておきたいとおっしゃっている。ありがたいだろ?」
番兵は笑った。
「おっといけねえ、死刑じゃねえんだ。『血の式典』って言わなきゃな。」
「血の式典___」
それから三人は、コロセウムに付随する牢屋へと移された。視線はコロセウムのフィールドより少し上、鉄格子で仕切られてはいるが、かなり臨場感溢れる視界でフィールドを見ることができる。客席の下に築かれた牢屋とはいえ、かなり良い席だ。
「ファ〜。」
百鬼は欠伸をしながら鉄格子の向こうを覗き見た。隣ではライとサザビーも同じようにしている。フィールドには怯えきった様子の信者たちが五人いた。斧も、断頭台もないが
フィールドに立たされた信者は顔面蒼白で、客席の男たちはいつにも増して目を血走らせているようだった。
「なにが始まるんだい?これ。」
百鬼はまだ眠たそうに目を擦ってサザビーに尋ねた。
「そんなことは俺にもわからねえ。俺がおまえに教えられるのは、生理のことくらいかな。」
「うっ___そ、その話をどこで聞いた___?」
「おまえから聞いた。」
「??」
百鬼は訳が分からなくなって首を傾げた。
「おまえ生理って何か本当に知らないの?」
「行ったり来たりするものだろ。」
サザビーは呆れて天を仰いだ。せめて、来たり来なかったりだろ___と思いながら。
「脳天気だねぇ、おまえは。」
「ねえ二人とも!ベルゾフだ!」
ライが鉄格子の向こうを指さして二人に呼びかけた。
「今日もお出ましか。」
サザビーはベルゾフに意識を集中させる。いつもの口上か?何かを語りだしたが場所が遠くて良く聞き取れない。
「なあライ、生理って知ってる?」
「知らない。」
「だよなぁ___前になんか知らないけどソアラが生理がどうとかいってさ、適当に答えたらあいつ怒りだしちゃって___何だったんだろうあれ。」
「フローラに聞いてみたら?」
「やめとけやめとけ。それだけはやめとけ。」
サザビーは二人の頭を押さえつけて、少しだけむきになって言った。訳が分からず二人は目を合わせるばかりだった。
「んなことよりもだ、おまえらのくだらん話のせいでベルゾフの言葉が聞けなかった。少し黙ってろ。」
それから三人は鉄格子にへばりついてベルゾフの様子を観察した。
「___この者たちは、その弱さのあまり、破廉恥な輩からゴルガンティを守ることができなかった!これはアクトゥマの信者としてあるまじき行為である!」
会場が静まり返っていることもあり、ベルゾフの言葉が聞き取れるようになった。あれだけ血気盛んで、我が儘勝手な男たちがこうも神妙にベルゾフの言葉に耳を傾けている。それだけで、コロセウムの雰囲気は圧巻だった。
「この者たちは弱さを露呈した!弱き者は骸となってゴルガンティに命を捧げる。それがアクトゥマだ!よってこの者たちを血の式典の『供物』とする!さあ皆の者!我こそはとこの供物を血祭りにし、ゴルガンティに捧げるのだ!」
その瞬間だった。三人は戦慄のあまり呆然と口を開けて見守るしかなかった。
「うおおおおおおお!」
客席から、全ての信者が一斉にフィールドに流れ込んできたのだ。己の武器を振りかざし、壮絶な殺意を一挙に解き放って。地響きと共に彼らの叫びが怒号となってコロセウム全体を揺さぶる。ベルゾフは人々の狂気を、笑って見下ろしていた。
「こいつが血の式典___」
それはまさに、地獄風景。供物とされた五人もやけくそになって応戦の構えを取るが、すぐに人の群れに飲み込まれていった。こんな壮絶な袋叩きは見たことがない。そればかりか回りでは、個人的に怨恨のある者同士が争い、武器を振り回す。血が飛び交い、ときには肉も飛び交う。特に供物たちのいるフィールドの中央では、切り落とされた手足が空へと舞い上がってもいた。それは人の所業とは思えなかった。
「___なんてこった___こんなことになるなんて___!」
「あれじゃあ___僕らがあの人たちを殺させたようなものだよ___」
凄惨な景色に百鬼とライはショックを受け、酷く汗を掻き、指先は震えながら鉄格子を力任せに握っていた。一方でサザビーは落ち着いて状況を眺めていた。ベルゾフの様子ばかりを観察し、彼が嘲笑を浮かべていると知ると一つ舌打ちをした。
(俺は建前でもポポトルの総帥だった___数多くの人が俺の判断で命を落とした。それに慣れてしまった俺は、一々の死を悲しむことはない___しかし___)
嘲り笑うことも決してしない!
___
血の式典が終わったのはおおよそ十分後のこと。何とか収拾がついたその時には、二十人近い供物ができあがっていた。実に恐ろしい儀式である。
「血の式典は明日の夜半にも執り行われる。ゴルガンティに捧ぐ神聖なるマタライズで醜態を曝した___あれが供物だ。」
ベルゾフの言葉が三人に一人の男を連想させる。
「アルベルト!」
百鬼がその名を叫んだ。
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